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# キャリア図鑑

## キャリア図鑑
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1990199519962001200220062007201120152016結婚この時の楽しさや感動が、現在の第一法規でのものづくりの楽しさにつながっていると思います。環境づくりと若手の育成入社5年目で異動した電算部門での仕事は、今でも印象に残っています。当時は、ワープロからパソコンへと移行しつつある時代で、社内にも多くのパソコンが設置されました。設置されたパソコン同士は、ネットワークでつながるようにもなりました。世の中や社内の環境が変化する様子を間近で見られる部門への異動は、ラッキーだったと思います。ＩＴ関連の用語を覚えたり、システムエラーを連発したり、失敗を繰り返しながらもチーム全体でシステムを構築した日々は、面白くてワクワクする毎日でした。自らデスクの下に潜り込み、配線工事を担当したこともありますよ。２０１５年４月に現在の品質管理部長に就任。メンバーの大半が私よりも先輩で、かつ品質管理のプロ集団という事を知っていましたから、人事発令直後は不安で仕方ありませんでした。それでも、「メンバーを信じて、分からないことは教えてもらおう。私は毎日、笑顔で過ごそう」と開き直ったことが、良かったのかも知れません。メンバーから「尚子さんがいると安心できるし、相談しやすい。決断も早いのでありがたい」と言われたときは嬉しかったですね。これまでは、紙媒体の品質管理が中心でしたが、今後はデジタル商品の品質管理が求められます。過去の電算部門での経験をメンバーと共有したり、50余りある当社のデジタル商品に触れたりしながら、デジタル商品の品質とは何か？をメンバーとともに模索しているところです。今後は、メンバーがより楽しさを感じながら働ける職場環境を作ること、私を追いかけ追い抜く若手社員を育成することに努めていきたいと思っています。将来を担う若い皆さんに願うことは、「興味があること、やってみたいと思うことに対しては、臆することなく、一歩を踏み出してほしい」ということです。長い人生だもの、失敗があっても良いのではないでしょうか。楽しそうだと思ったら、何でも挑戦してみてください。第一法規株式会社は、創業１１０年を超える歴史ある会社で、法令とその関連情報の提供を続けています。その会社の品質管理部長として活躍する小林さんは、キビキビと働く、明るい笑顔が印象的な方です。そんな小林さんに、仕事のやりがいや今後の目標をお聞きしました。品質管理部とは、当社が提供する商品の製造過程における品質担保、クレームの対処、再発防止策の検討と実行を行う部署です。私は部長として、2５名のメンバーをまとめながら、協力会社との情報交換や製造現場の視察等、品質担保に関わる業務を担当しています。大学時代の専攻は、国文科（現総合文化学科）の書道コース。小学生の頃から習っていた書道を学べ、好きな読書にも関われる、この短大に入学しました。印象に残っている授業は、篆刻（書画作品に落款として押される印を作る）です。一双の軸制作が卒業作品でしたが、心を込めて文字を書き上げ、自作の落款印を押す際には手が震えましたし、表装された軸を目にしたときは、涙が溢れるほどの感動と達成感がありました。PROFILE小林尚子（こばやしひさこ）さん。長野市出身。上田女子短期大学国文科在学中に二種教員免許（国語）と司書教諭資格を取得。卒業後、第一法規株式会社に入社。人事部、電算部門、営業部門、制作部門と異動し、東京勤務も経験。現在は制作部門の管理職として、品質管理部長を務める。小林尚子さん今ある環境の中で、メンバーも自分も楽しめるように！小林尚子さんのキャリア入社して25年目に品質管理部長に就任した小林さん。メンバーが楽しく働ける環境づくりを心がけているそうです。上司の指示を待たず、自身で考えて楽しいと思うこと、やってもらって嬉しいと感じることを行動に移してほしいと呼びかけます。メンバーに対してやり方や答えを示すのではなく、「どういう状態を期待しているか」を伝えます。困っていそうな人には「どんな感じ、調子はどう？」と声掛けをします。また、相談を受けたときには、迷わず早く決断をすることで、メンバーに不安を与えないように努めています。008volume上田女子短大を卒業第一法規株式会社入社人事部に配属社会人としての“いろは”を学びながら、給与計算や新人採用等を担当電算部門に異動社内向けシステムの開発と運用、ネットワーク構築を担当制作部門に異動となり、長野に帰郷東京に転勤（単身赴任）営業部門への異動とともに、東京に転勤長野に帰郷制作部門の課長(管理職)に就任品質管理部の部長に就任勤続26年総合文化学科

## 大学の特色
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## 就職までの流れ
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## 沿革１
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## 沿革２
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教えてくださる先生は、地元の先生、また東京からの外部講師の先生もいらっしゃいました。第一期生と言うこともあってか、学生と先生が一緒になって、大学を作り上げていきたいと言う雰囲気を感じていましたね。当時、卒業時に取得できる免許は幼稚園教諭の免許だけでしたので、保育士の資格取得のためには試験を受ける必要がありました。当時から、短大の先生方は親身になって指導をしてくださって、私は幸いなことに保母試験に合格することができました。友人の中には就職したのちに、保育士の資格を取得した人も多くいた時代でした。卒業と同時に「地元の短大から初めての卒業生」として上田市の公立保育園に勤務することになりました。就職した当初は、今の保育士さんたちと変わらず、子どもたちと向きあってみると、予期せぬことばかりで空回りの連続でした。変化を感じたのは、3年くらい経った頃。「子どもってこういうものなのか…」と腑に落ちた瞬間があったと思います。それから40年間の勤務の中で、主任、園長も経験させていただきました。その間には、時代の変化と共に、上田女子短期大学の前身、本州女子短期大学幼児教育科の第一期生であり、地元の大学から地元の公立保育園へ初めて就職された方でもある保屋野さん。定年退職された今、短大時代から、新人保育士、主任、園長としての経験を振り返っていただきました。私が高校から大学に進学をするタイミングで、本州女子短期大学幼児教育科（上田女子短大の前身）が開学することになりました。幼児教育を目指したかったこともあり、実家から通えるこの学校に進学してみようと思いました。同級生は60人程度でした。まだ校舎がしっかりと整備されておらず、本州大学の校舎を借りて授業をしていました。6月ころに校舎が完成し、引っ越しをしたことを覚えています。PROFILE保屋野文子（ほやのふみこ）さん、現上田女子短期大学同窓会会長。公立高校を卒業後、認可が下りたばかりの本州女子短期大学幼児教育科へ入学。昭和44年卒業。卒業と同時に上田市の公立保育園に就職。約40年間勤め上げたのち、上田市社会福祉協議会に児童センター長として3年間勤務され退職。上田市出身。001volume保屋野文子さん働くことのよろこびと、子どもたちの命の重さ197019751980198519901995200020052010保屋野文子さんのキャリア上田市公立保育園保育士として勤務産休後復帰産休後復帰結婚長男出産次男出産上田市公立保育園定年退職児童民生委員の任命を受ける上田市社会福祉協議会勤務上田市社会福祉協議会退職1969〜200915園勤務保育園のあり方も変わってきました。母親代わりとして、子どもを預かる立場である保育士は、気持ちを常に安定させ、子どもの目線で接することが大切と心がけてきました。私は主任としての時代が長かったのですが、現場の責任者として、いろいろなところに目を向け、保育園の要という大きな役目の一つだったと思います。「ほめること」を大切に園長時代には、子どもの命を預かることの重みを大変感じていました。特に、最後に勤務していた南部保育園は休日保育も行っていましたので、本当に気持ちが休まる時は無かったと思います。それは、保育園を退職後に勤務した上田市の児童センター長時代も同じでした。私は常日ごろ、子どもも先生方もよく褒めてあげることを意識していました。それは、褒められる経験からやる気が出たり、働くことに喜びが持てると思います。自分の役割に責任を持って、日々成長する子どもたちと接することを仕事としてやっていかれることは大きな喜びですね。児童センター長として市内児童館・児童センターと子育てひろばを統括幼児教育学科

## 保屋野文子さん
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めの体験日です。このような機会に、お母さん方の話を伺うと、子育ての悩みの大きさに気付かされます。また、長野県特別支援教育コーディネーターとして、佐久地区の幼稚園代表もさせていただいていますが、その活動を通して、発達障害や自閉症の子どもへの療育を含め、子ども時代をいかに豊かに過ごしてもらうかということを考えるようにもなりました。最近では、育児相談は年間１００件を超えることもあり、専門的な知識やノウハウを持って対応してあげられることの大切さを感じています。また、ここ数年間は国の施策や経済状況で、幼児教育の現場もだいぶ変わりました。若い先生への負担が増えている今、先生たちへのカウンセリングを通じて、幼児教育の意味やどのようにしていったらいいのかを、経験論だけでなく、新しい情報や知識を取り入れた上で伝えたり、教育力を落とさないように考え、実施することなども、大きな使命だと感じています。今後は次世代の地域を支える保育者を育てていきたいですね。長野県の幼児教育の第一線で活躍されている矢島さん。幼児教育の在り方を広い視野で考え、さまざまな研究や提言を常になさっています。短大卒業後に幼稚園教諭として働き始め、出産や子育てで現場を離れた時期もありましたが、16年前に幼児教育の現場に復帰するとともに、より深く幼児教育を学びたいと考え、幼稚園教諭一種免許を取得しました。また、子どもと保護者に向きあい心のケアができる専門的な知識をつけるため保育心理士の資格も取得し、現在は、小諸幼稚園で主幹として勤務しながら、地域や長野県の仕事をすることも多くなっています。今、保育者は子どもたちへの教育をするだけではなく、お母さんを支える立場にもなっています。「昔は家庭で子育てをしていた」とよく言われますが、時代の移り変わりとともに、保育の現場も変化を求められ続けています。お母さんの悩みの深さに触れて小諸幼稚園では、１９９９年に子育て支援の一環としてひよこの日を立ち上げました。入園前のお子さんとご家族のたPROFILE矢島克美（やじまかつみ）さん、小諸幼稚園主幹。上田東高校を卒業後、上田女子短期大学幼児教育学科へ入学。昭和59年卒業。卒業と同時に信学会の幼稚園に就職。結婚・出産・育児休暇を経て、職場に復帰され現在に至る。長野県特別支援教育コーディネーター。上田市丸子出身。多くの子どもに囲まれて、歌の指導をされていた矢島先生。事務仕事から先生方の心のケアまで、守備範囲はとても広く、頼りにされている存在です。大学時代は、自治会長を務められ、他大学との交流の中で、人を動かしていくこと、まとめることの難しさと魅力を大いに感じられたそうです。002volume矢島克美さん経験と新しい知識から幼児教育を支えていく198519901995200020052010矢島克美さんのキャリア学校法人信学会小諸野岸幼稚園勤務小諸野岸幼稚園退職川上第2小学校給食調理師として入る川上村の高校生を自宅へ下宿させる川上村土地改良事務所へ事務員として勤務結婚学校法人信濃キリスト教学園小諸幼稚園勤務幼稚園教諭一種免許取得保育心理士取得長女出産長男出産次女出産小諸市へ転居クラス担任を受けもつご主人の勤務地川上村に住む主任教諭幼児教育学科

## 矢島克美さん
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外保育を始める時、私は大きな決断をしました。それは、公立私立の大きな組織に守られる中で保育をしてきた私が母親たちと一緒とはいえ、子どもたちの命の重さの責任を負えるのかと考えたからです。しかし、保護者は、私が安心して保育に集中できるように、保険の手続きをはじめ、環境整備に努めてくれました。誠意ある信頼できる人たちのおかげで、私は一歩踏み出すことができました。理想としたのは3～5歳、15～20人の異年齢の集団。そして特別な参観日を設けるのではなく、親が参加したい時に参加でき、普段の子どもたちの姿に触れる形です。開始後すぐにそのような保育スタイルの良さを実感しました。3年目になると参加希望者が定員に達するようになり、安曇野にもう一つ野外保育の場が必要と考え、さらなる理想を求めて「くじら雲」を設立しました。くじら雲1年目は常勤の保育者は私一人で、運営も兼ねていたので、てんてこまいの毎日でした。そのような姿を見て、子どもたちの保護者が本当にさまざまに手助けしてくれました。多くの方々に応援していただき、現在に至っています。日本においてはまだまだ新しいスタイルである野外保育を行う安曇野市の幼児教育施設「くじら雲」。設立者である代表兼保育者の依田さんに、設立の経緯を聞きました。くじら雲は、一人ひとりがその人らしく輝き、人も自然の一部であることを感じ、人と人、人と自然の結びつきを幼児期の子どもと、その子らを取り巻く大人が共に学ぶ理想の環境を求め、設立しました。私がここを設立したのは平成18年。それまでは私・公立の保育園で13年間勤務していましたが、既存の保育が私の理想とは何か異なると悩んでいました。そんなある日、週に1回、穂高で未就園児を連れて森を散歩する母親たちに出会ったのです。森を抜け安曇野平や北アルプスの風景を眺めながら畑の中の道を歩いていた時「毎日このような場所で子どもたちと過ごせたらどんなに幸せだろう」と何となく思いました。その母親たちは「子どもたちが幼稚園に入る年になってもこのフィールドで育て続けたい」「森の幼稚園を設立したい」と考えていました。最初に母親たちによる自主運営で野PROFILE依田敬子（よだけいこ）さん。安曇野市出身。NPO法人響育の山里くじら雲代表。長野県野外保育連盟の理事兼事務局も務める。昭和62年、短大卒業後、13年間の保育士経験を経て、平成14年から3年間、安曇野市穂高の「野外保育森の子」で保育者として活動。平成18年「くじら雲」設立。里山生活の中で幼児期の発達を促す感覚を養ったり、自己肯定感を育む保育をめざす「くじら雲」。安曇野市明科の自然豊かな押野山の民家を拠点に、子も親も保育者も共に育ち合うことができる新しいスタイルの幼児教育の場を提供しています。子どもたちは朝夕の登山・下山や散歩、野外調理等を通じて、森に暮らす小動物の息づかいや木々、草花の変化を感じ、アイデア豊富にさまざまな遊び方を発見します。003volume依田敬子さん日常的に里山を体験する野外保育19901995200020052010依田敬子さんのキャリア善光寺保育園就職豊科保育園勤務明科町（現安曇野市明科）職員となり町立明科北保育園勤務飯田市立鼎中央保育園、鼎みつば保育園勤務野外保育森の子勤務くじら雲設立に向け準備ＮＰＯ法人響育の山里くじら雲設立私を含め大人たちを動かしているのは、くじら雲の子どもたちだと思います。私は、子どもたちの成長の変化を確実に感じています。4月当初、様々な背景を持って集った子どもたちが、次第に心を開放し、様々な発見をし、概念を築いていきます。保育者や友達と絆を結び、そこに集う人たちに信頼を寄せています。そして、仲間と力を合わせて一つの大きなものを作り上げる活動ができるまでにいたっています。私がこのような活動を始めて11年、この間に各地に野外保育団体が増えました。現在は認可外保育施設の枠に入る野外保育も保育のひとつのスタイルと広く社会に認めてもらい、一人ひとりにあった保育が受けられる当たり前の幸せな社会の実現を目指します。そして、さらに、野外保育先進国のスウェーデンのような野外小学校やオランダのような様々なスタイルの小学校もできていくといいと考えます。そのためには、より質の高い保育の実践を発信していけるよう研究していきたいと思います。幼児教育学科

## 依田敬子さん
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そこで出会った犬飼先生の影響が非常に大きいんです。社会に出て数年後にも、レクリエーションを専門とされる犬飼先生の講座には参加をさせていただき、改めて「運動あそびサポーター」の活動へのきっかけをいただいたと思っていて、その出会いに感謝しています。この活動の目的は、1歳から6歳までの子どもの運動機能向上をサポートすることです。オリジナルの指導法ですが、いまでは年間を通して、たくさんの親子が参加してくれるようになりました。親と子どもが密接に触れ合いながら、上手に体を動かすことで、コミュニケーション力が付くだけでなく、運動能力の向上、子どもに対する親の接し方が変わったり、子どもたちの日々の成長があったりと、有意義な毎日を送っています。また、一方で、最近話題になっている「笑いヨガ」教室の講師も務めています。笑いヨガは老若男女・障がい有無問わずできる笑いの健康体操です。子育ても保育も会社勤めも、他人とのコミュニケーションの毎日です。さまざまな方法で、これからも皆さんに「コミュニケーション」を通して多くのことを伝え、受講生の皆様には豊かな毎日を過ごしていただけたらと思っています。幼稚園教諭として勤めていた頃から気になっていたのは、子どもたちの運動能力の低下だったと、話してくれた佐藤さん。いまは子どもにも大人にも、体を動かすことの楽しさと大切さ、そして笑うことの素晴らしさを伝えています。人間の運動能力って生まれてから８歳までの環境で決まるって知っていましたか？しかし、最近の調査で昔の子どもが１５、０００歩も歩いていたのに対し、現代の子どもは約４、０００歩しか歩いていないと発表されたくらいに、子どもたちの運動量は低下しています。それは勉強意欲の低下など日常生活へも影響を及ぼしていると言われています。私は、いま「運動あそびサポーター」として、子どもたちが体を動かし、親子でコミュニケーションをとるための講座をメインに開いています。子どもたちと歌ったり、リズムに乗って行進したり、リズム感や即時反応を培うリトミックに跳び箱などを使う運動の要素を取り入れたオリジナルプログラムで、親子の絆を深める運動教室を主宰しています。そもそも、私が今のような職業に興味を持ったのは、上田女子短大に入学し、PROFILE佐藤志穂（さとうしほ）さん、運動あそびサポーター。笑いヨガ講師。平成10年上田女子短期大学幼児教育学科卒業。カトリック系の幼稚園に7年間勤務した後、結婚を機に退職。3人の子供の母親でもある。保育士として復職・退職後、現在はフリーランスで、市町村主催の運動教室講師などを務めている。佐久穂町出身。フィットネスクラブなどで運動遊びを教えている佐藤さん。レッスンの間中、子どもたちにも親御さんにも信頼されている様子が伝わってきます。一方、今話題の笑いヨガティーチャーとして企業などに出向き、大人を相手のレッスンも行っているそう。笑いヨガに出会ってからはご自身の考え方も変わったそうで、昨年にはインドに出向き、笑いヨガの創始者からレクチャーを受けていらっしゃったそうです。004volume佐藤志穂さんきっと今の仕事が天職だと思う200020052010佐藤志穂さんのキャリアカトリック幼稚園勤務カトリック幼稚園退社・運動あそびサポーター取得・リトミックde運動あそび教室開講・こどものためのリトミック指導者取得・笑いヨガティーチャー取得・小海保育所リトミックde運動あそび講師・身体障害者施設臼田学園レクダンス講師・保育士臨時職員・蓼科高校福祉科コース講師アクネス佐久平にて、週１で幼児クラス運動教室・アクネス佐久平にて、週１で笑いヨガ講師・運動保育士取得予定次男出産三男出産結婚長男出産勤務の傍ら、レクリエーション活動に参加幼児教育学科

## 佐藤志穂さん
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てくれないと実感しています。勤務数年目には多くの先輩が退職され、精神的余裕がない中で、子どもから「ここがいやだ」との指摘も受けました。悲しみをこらえて話を聞くと、確かにそうだと納得する部分もあり、以来、怒り方や話し方だけでなく自分の全行動を振り返るようになりました。今は子どもたちを誉める方向で指導しています。ここにいる子どもたちは経済的理由や虐待などの家庭の事情で入所しており、親から大切にされた思い出を持つ子は多くありません。だからこそ日常的に「大好きだよ」という素直な声をかけ、怒る時も、決して嫌いだからではなく「あなたが大切だから」という前置きをしています。こういった考えも自身を顧みる中で気づいていきました。年々、子どもも職員も社会も行政も変化します。しかし重要なのはどんな形であれ子どもたちが幸せであること。そしてここにいることが彼らの人生にとってプラスに働き、生きていて良かったと思えることです。私は自分の経験を積み上げることで、彼らの将来にとって何らかの橋渡しになるような存在になりたいと思っています。高校時代からめざしていた児童養護施設の保育士の職に就いて12年目を迎えた「三帰寮」主任保育士の宮入さん。これまでの苦労や今の気持ちを聞きました。ここでの仕事は掃除や洗濯、子どもの学習指導など、生活全般にあたる基本的な補助。入所しているのは3歳から高校3年生までの幅広い年代なので、年齢に合わせて指導内容を変えつつ、全ての子どもにまんべんなく対応をしています。私は高校時代に児童養護施設の存在を知り、それから保育士をめざすようになりました。短大在学中は偶然にもここで実習を行い、先輩保育士から多くを学び、やりがいや楽しさを肌で感じました。そして縁あって就職。実習のことを覚えている子もいて励みになりました。しかし実際に働き始めると、子どもとの付き合い方の難しさも痛感。勤務1年目には些細なことがきっかけで、半年間、無視をされたこともあります。今思い返すと全てが大変でしたが、自分が頑張った分だけ子どもは応えてくれますし、課題を乗り越えたことで子どもとの関係性も深まりました。自分が心からぶつからないと子どもたちもぶつかってきPROFILE宮入悠規子（みやいりゆきこ）さん。長野市出身。元々子どもに関する職に就きたいと考える中で、児童養護施設の存在を知り、県内で唯一の福祉科を設けている上田女子短大に進学。平成12年、希望勤務先である児童養護施設「三帰寮」に就職し、現在は12名いる保育士を統括する主任保育士を務める。掃除や洗濯、子どもの学習指導のほか、身体を動かして子どもと遊ぶことも多いという宮入さん。担当は「学童男子（小学生～高校生）」ですが、全ての子どもに対応し、子どもたちからは「みや」のニックネームで親しまれている。施設の仕事は24時間体制なので、勤務はローテーション。月7～8日の宿直もあり、日中、子どもたちが学校に行っている間には書類整理や雑務も行います。005volume宮入悠規子さん子どもたちが「ここにいて良かった」と思えるように20052010宮入悠規子さんのキャリア児童養護施設三帰寮入社児童養護施設三帰寮退社主任保育士連盟・支部保育士部会長結婚幼児教育学科

## 宮入悠規子さん
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卒業後は上田市の公立保育園の保育士として昭和45年に入所しました。当時は寿退職をする時代でしたが、私が結婚した頃には上田市にも育児休業制度ができ、気が付けば40年勤めておりました。勤務した保育園は14か所、その間主任を経、園長を務めさせていただき、退職後は、平成21年から母校の幼児教育学科で乳児保育の講師をさせていただいています。前任の乳児保育の先生が園長時代、私はその下で1年間一緒に働かせていただきました。堀内先生は決断力・包容力のあるとてもすばらしい方で、私はというと様々な失敗をしてきました。就任にあたり先生とお話する機会があり、失敗の中から、また先輩の姿から学びここまで来た、そのことをお話すればいいのでは、とご助言をいただきました。私は「乳児保育」の授業の中で、保育士は子どもの命を預かっているという自覚を持つことが一番大事なことであることを学生さんにお話ししています。そして乳児はとにかく抱きしめてあげること。さらに年齢にあわせ、自立に向けた子どもの成長を手助けする保育をすること。その後の保育の力というのは、実践の中で失敗したことを反省し、次に生かしながら身に付けていくものだと思います。ただ、最初から心得ていたほうがいいこと、例えば保護者の気持ちを傷つけないお便りの書き方など、その点はしっかりとお伝えしています。保育所保育指針が改定となり、保母から保育士という名称になりましたが、そのとき、保護者への支援が保育士の大きな役割として加わってきました。保護者への支援というのは、子どもを受け入れることと同じように保護者への共感の気持ちが大事です。保育には子どもと保護者、保育園の職員間の協調がとても大切になるのですが、その関係がぎくしゃくしてしまいますと最後は子どもに迷惑がかかります。私たちの仕事はやり直すことができますが、子どもの一年は取り返しがつきません。この一年は、再びこの子たちを保育する機会はないと思ってしっかりと丁寧な保育をしてほしいと、折に触れ学生さんたちにはお話をさせていただいています。保育の仕事はとても大変だと思います。学生さんたちが保育士になったとき、その一助になればと、私の40年の保育士の経験で得たものをしっかりとお伝えしていきたいと思っています。本州女子短期大学幼児教育科を卒業後、公立保育園の保育士として40年勤務。その間、主任・園長を経、現在、上田女子短期大学幼児教育学科の講師に就任されておられます塚田美津子さん。学生さんたちにどのようなことをお話していらっしゃるのか、お聞きしました。私が本学を受験するきっかけは、子どもがとても好きだったからということと、高校３年のとき、ちょうどこちらに幼児教育科ができ、保育士になれば子どもに関われると思ったからでした。当時はまだ校舎の建設工事をしている最中でしたが、どの学生も学ぶ気持ちがとても強かったと思います。私は自由を謳歌し、楽しい学生生活を送りました。創作ダンスの授業がとても印象的で、協調性と創作性を教えていただいたように思います。PROFILE塚田美津子（つかだみつこ）さん。現上田女子短期大学幼児教育学科「乳児保育Ⅰ・Ⅱ」講師。公立高校を卒業後、本州女子短期大学幼児教育科へ入学。昭和45年に卒業後、上田市の公立保育園の保育士として入所、14か所の保育園勤務を経、その間主任、園長を務める。勤続40年。平成21年4月から上田女子短期大学幼児教育学科の講師に就任。「乳児保育Ⅰ・Ⅱ」を担当される。上田出身・上田市在住。「園長の仕事は決断の連続」だったといいます。東塩田保育園長時代、メディアに頼らず家族と子どもとの触れ合う時間を大切にしようと保護者会と取り組んだ「東塩田保育園の取り組み」は、子どもにも意識してもらうためにぬり絵形式を採用。大きな評価を得たという。とても楽しい時期をすごさせていただけたと語られた。006volume塚田美津子さん子どもの命の重み、子どもの尊い１年を大切に幼児教育学科197019751980198519901995200020052010塚田美津子さんのキャリア上田女子短大を卒業育児休業ふたば保育園若葉保育園神科第一保育園神川第二保育園川辺保育園南部保育園塩田北保育園東塩田保育園川辺保育園さなだ保育園上田女子短期大学乳児保育の講師として就任結婚第一子誕生第二子誕生園長に就任定年退職保育主任となる神川第二保育園塩田中央保育園上田北保育園育児休業ときわ保育園

## 塚田美津子さん
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保育園の指導方針とは合わず、いつも楽しかった施設実習のことが頭の隅にありました。そのような中、縁あって上田ひもろ木園に再就職をすることになりました。偶然にもここは短大時代に私が実習を行った所だったのです。施設では結婚して一度退職したのですが、子育てが一段落したとき、お話をいただき、第三上田ひもろ木園に事務員として再就職をしました。その後、支援員を経て現在、施設長を務めさせていただいています。ここでの仕事はトータルして27年になります。これだけ長く続けてこられたのは利用者さんのおかげだと私は思っています。「明日は来る？」という利用者さんの思いにとても助けられてきました。利用者さんは自分から出かけていく機会が少なく、外から来る人を待っています。私たちが利用者さんを支援しているのですが、でも逆に利用者さんから、たくさんの力を頂いている気がします。必死さの中に楽しさがあります。共に楽しめる、大きな家族の中の一人という思いでやってきました。どのように利用者さんに接していたかは、いずれ利用者さんの行動に表われるのではないでしょうか。みなとてもピュアで、表情や言葉や行動に自然に現れてきます。だから私は職員に「本気で関わってください」と言っています。本気で関わることで、相手に気持ちが伝わり穏やかな人間関係が築けるのではと思っています。今、全国的にグループホーム化が進んでいますが、施設での集団生活の良い点もあります。例えば、利用者さんと相性がよくない職員がいたとすると、そのときの支援を誰かが代わってできます。利用者さんも職員も無理なくお互いに支え合うことができるのではないでしょうか。ドキドキしたりワクワクしたりしながら一生関わっていきたいと思っています。これからは時間をみつけて、ささやかですが趣味の時間を作りつつ、どんな形でも皆さんとずっと触れ合っていけたらステキだな、と思います。私は支えてくれる同僚や職員にも恵まれ、ここまでやってこれたと思っています。皆さんに心から感謝しています。手に職を持つことへの憧れと、幼稚園時代のやさしい先生に憧れて上田女子短期大学幼児教育科に進まれた深澤さん。学生時代、初めて経験した施設での実習がいつも頭の隅にあり、２年で保育士に区切りをつけ施設に飛び込んだといいます。27年間、深澤さんを虜にした施設のお仕事とは？いろいろお聞きしました。短大時代、私は学生生活を丸ごと楽しんでいました。授業では言語で学んだ方言がとても興味深く、音楽リズムで演じた生き物では声を出してはいけないのになりきるあまり声が出てしまったことなど、思い出は尽きません。また、２年間紫苑寮で過ごした仲間との生活は生涯忘れられない宝物になっています。そして、今の仕事に就いたきっかけも短大で行われた実習でした。私は実習で初めて知的障害者施設を知りました。そこでの実習がとても楽しく、利用者の方たちが一日一日をとても一生懸命に過ごされている姿に惹きつけられました。ただ当時は自分の中にまだ保育士へのこだわりがあり、卒業後、一旦県外の保育園に勤務したものの、そのPROFILE深澤康子（ふかさわやすこ）さん。佐久市出身。上田女子短大幼児教育科に入学。2年間の紫苑寮生活は毎日が楽しく、今でも寮の同級会で顔を合わせているという。昭和53年に卒業し、2年間保育士として勤務後、社会福祉法人りんどうの会「ひもろ木園」へ勤務。一旦退職後、平成4年に同法人「第三上田ひもろ木園」へ勤務。平成18年主任支援員、平成23年施設長に就任。現在、施設長を務める。青木村在住。「この仕事は終わりがない」という深澤さん。「毎日自分を待っていてくれる利用者さんの気持ちに応えられるよう、いつも明るく元気で、楽しいこと悲しいことも常に共感し、少しでも家族の気持ちに近づくことができたら」。そんな思いで日々頑張っていらっしゃいます。007volume深澤康子さん利用者さんがいつも待っていてくれる。幼児教育学科19751980198519901995200020052010深澤康子さんのキャリア上田女子短大を卒業埼玉県私立八潮保育園勤務埼玉県私立八潮保育園退職社会福祉法人りんどうの会ひもろ木園勤務3月同施設退職青木保育園社会福祉法人りんどうの会第三上田ひもろ木園勤務上田市ふれあい教室事務職員事務（主任）事務長代行第三上田ひもろ木園施設長支援員（主任）結婚長女出産長男出産

## 深澤康子さん
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## 紅林裕子さん
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## 神原久美子さん
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## 金井美智子さん
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## 加々井 美恵子さん
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すると、おとなしかった子どもたちの表情がいきいきと変わっていくのを感じるんです。私自身、人に教えるのは初めてで戸惑いや照れもありましたが、思い返せば飯田先生の授業の経験が生きたと思います。学生向け下宿組合を地域でスタート結婚してからは、上田で夫と家業の酒店を切り盛りしながら子どもを育て、忙しくも楽しい毎日を送ってきました。並行して35年ほど前から始めたのが、大学生の下宿サポートです。長野大学と地域が連携した組織「上田学生下宿組合」に参加して、学生向けのアパート経営と、アパートを探す学生の相談業務に夫婦で取り組んできました。不動産業は初めてでしたが、息子に意見を聞きながら使いやすい間取りを考えたり、最近では障がいのある方に向けてバリアフリーの部屋も整備したりと快適な住まいを提供しています。下宿生は北海道から沖縄まで全国から訪れます。夫自身も長野大学OBですので、親代わりの気持ちで学生の暮らしの相談に乗ったり、困ったときはサポートしたり。仲良くなって、卒業後も会いに来てくれる方もいるんですよ。息子たちの仕事を手伝うこともあり、最近は息子夫婦が開業したデイサービスセンターの食事を担当しました。接客業は長いですがデイサービスは初めてのことが多く、家族で試行錯誤しましたね。でも行き着く答えは今までの仕事と同じように「相手に喜んでもらうよう努力する」ということ。その原点さえ忘れなければ失敗することはないと感じています。ご夫婦で酒店を営む傍ら、上田の学生向けアパート経営や入居相談に取り組む金沢さん。「人に喜ばれること」を信条に、地域に根ざす仕事を続けています。子どもが大好きで、幼児教育を学びたいと上田女子短期大学に進学しました。印象に残っているのが、飯田（氏家）正江先生の「音楽リズム」の授業です。体を使った即興表現を通じて、固定観念にとらわれず物事を見る姿勢を学びました。卒業後は、軽井沢の養護施設「興望館」の職員に。事情で家族と一緒に暮らせない子どもや障がいのある子どもと一つ屋根の下で暮らし、信頼関係を築いていく経験はかけがえのないものでした。施設では学生時代から続けていた剣道を教えていたのですが、大声を出して練習PROFILE金沢由利子（かなざわゆりこ）さん、自営業。小諸で生まれ家庭の都合でしばらく東京で生活。その後、家族で小諸へ転居。昭和46年、本州女子短期大学幼児教育学科卒業。養護施設勤務後、結婚を機にご主人の家業「金沢酒店」経営に携わる。昭和55年から「上田学生下宿組合」に参加し、学生向けアパート経営や斡旋業務を行う。平成21年からデイサービスセンターも。金沢由利子さん酒店経営や下宿相談、「人の喜び」を信条に金沢由利子さんのキャリア週に何日かは長野大学近くの「上田学生下宿組合」事務所に出向き、下宿相談に乗っています。学生さんはもちろんご両親にも信頼していただけるよう、「安心して住めること」を大切に、スーパーや病院、交通事情、冬の寒さなども細やかに情報を提供するので、学生さんにとっては親のように心強い存在です。仲良くなった学生さんを食事に招いたり、卒業後も一緒にお酒を飲んだりと交流が続くこともあるそう。012volume養護施設「興望館」に就職学生向けアパート経営、下宿相談業務を開始息子経営のコンビニエンスストアのサポート息子経営のデイサービスセンターのサポート※注・酒店経営とアパート経営・下宿相談業務とデイサービスセンターサポートは現在も継続中でいらっしゃいます夫婦で「金沢酒店」経営結婚、上田に住む第1子出産第2子出産第3子出産19711973197419761978198019992009幼児教育学科

## 金沢由利子さん
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上田女子短期大学の実習指導室にて学生の実習指導にあたる佐藤さん。幼稚園勤務の経験を生かし、学生に寄り添った指導を心がけているそうです。私が幼稚園教諭として勤めていたのは、上田女子短期大学附属幼稚園です。幼稚園開園一年目に、私も新人幼稚園教諭になりました。当時、職員は３人で、特に主任の先生には、ときに厳しく、ときに優しく、多くのことを教えていただきました。教えていただける毎日は充実していて、楽しく、この先生との出会いがなければ、きっと今の私はなかっただろうと思います。働き始めた頃は、子どもたちと一緒に楽しく活動する毎日でした。年々保育に関する知識も自信もついてきましたが、25歳くらいになったときに「私のやりたいことを、園児たちに押し付けているのではないか？」と、気づきました。仕事ができるようになってきた「自信」を勘違いしていたんだと思います。たくさん悩んで、たくさん考えて、主任の先生にも助けていただいて…。「もっと子どもたちのことを考えないとダメだ」と気づいたんです。それからは、保育の仕方にもより多くのアイデアを出し、子どもたちのことを一番に考える保育を実践してきました。幼稚園が出来上がっていくのと一緒に自分も成長を重ねてきた印象があります。幼稚園の主任として、そして短大生の指導係として｜｜｜。幼稚園では、同僚の先生に本当に恵まれていたなと感じます。幼稚園の副園長時代には、先生方が家庭も大事にしながらしっかりと働けることを目標に、思っていることを声に出せる「輪」のある幼稚園を作りたいと考えていました。幼稚園全体を把握していくことは簡単ではありませんが、先生方の協力もあり、いい時間を過ごすことが出来たことに感謝しています。その後、平成18年から上田女子短期大学の実習指導室で、学生の実習指導に携わってきました。幼稚園での勤務経験から学生の相談に乗ったり、事前指導を行ったりしています。現場がわかるだけに、どこまで助言したらいいのかと考えることもありますが、それぞれの学生に合わせた指導を心がけ、学生一人ひとりと向き合い、寄り添いながら指導していけたらと考えています。PROFILE佐藤利佳子（さとうりかこ）さん。昭和53年上田女子短期大学幼児教育学科音楽コース卒業。同年開園された附属幼稚園に勤務し、28年間の間に主任・副園長を務める。平成18年より上田女子短大にて学生の実習指導を行っている。松本市出身。佐藤利佳子さん学生に寄り添い、一人ひとりに合わせた指導を。佐藤利佳子さんのキャリア大好きな子どもたちに囲まれて。幼稚園教諭時代には、短大で制作したオペレッタを子どもたち向けにアレンジし、みんなで演じたことも。013volume上田女子短期大学幼児教育学科音楽コース卒業上田女子短期大学附属幼稚園に就職結婚出産28年間の間に、主任、副園長を勤める上田女子短期大学にて、学生の実習指導を行なっている1978.341982.51983.112006.34幼児教育学科

## 佐藤利佳子さん
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提案、福祉用具選定など多岐にわたります。一人ひとりに合わせてサポートする仕事はやりがいがあり、楽しかったです。30代前半で子どもを二人出産しましたが、仕事が好きだったので辞めることは考えませんでした。とはいえ当時は、産後もフルタイムで働く人がまだまだ少ない時代。育児休暇も浸透していなかったので産後2カ月ほどで復帰し、病院内の託児所に預けて働きました。41歳のときに介護支援専門員（ケアマネジャー）の第一回試験を受験し、免許を取得しました。翌年から介護保険制度の施行が決まり、在宅治療で利用する患者さんのためにも知識が必要だと感じたからです。免許を持つ人は当時まだ少なく、病院の系列の福祉相談センターの依頼で新事業所の立ち上げに携わることになりました。障害のある方の一日の生活を組み立てサポートする、実践的な仕事。ここで現場を深く理解できたのは大きな収穫でした。患者さんの住宅に手すりをつけるときに専門的な話ができるなど、作業療法士の職域を生かすこともできました。3年後に病院へ戻り、50歳を超えるまで作業療法士の仕事に専念。この仕事は人生経験を積むほど色々なものが見えてきて、やりがいも大きくなると実感しました。そんなある日、恩師から専門学校の作業療法学科の講師に誘っていただきました。迷いつつも情熱に応えたいと転職を決意、52歳のときです。30年携わってきた分野ですが、教育はほぼ未経験。最初の2年はこれまでにないほど大変でした。でも教え子が作業療法士として活躍する姿はとてもうれしいですし、教育を通じて社会に貢献するやりがいも感じます。また現場に立ち続けなければ感覚が薄れると思い、週一度は訪問リハビリテーションに従事する生活を続けています。5年後に学校が大学を開設することが決まり、講師としてレベルアップするため、56歳で通信制の大学院に入学しました。学校での仕事、勉強、私生活では親の介護もあり寝る暇もない2年間でしたね。けれど大学院には同じように働きながら学ぶ仲間が多く、一緒に学ぶ時間は濃密でとてもおもしろかったです。40年間いろいろなチャレンジができたのは、夫や家族の支えがあったから。学生には、「人生は邂かいこう逅」という言葉を伝えています。人生で出会う人を大切に、興味が向く方へ素直に歩いていくこと。それが、今の私を作ってくれたと思います。仕事と育児を両立させながら複数の資格を取得。さらに大学講師へのキャリアチェンジを機に50代半ばで大学院に入学。力強くキャリアを切り拓き続けた40年について伺いました。上田女子短期大学では幼児教育学科に在籍していましたが、進路に迷い、考えた末に就職したのはリハビリに特化した地元の病院でした。体が動かなかった患者さんがリハビリで回復していく様子に大きなやりがいを感じましたが、「資格がないと理論も分からないし、長く働くのは難しいだろうな」とも感じていました。そんなとき、病院の奨学生として専門学校の作業療法科に通う話をいただいたんです。上京し、一人暮らしをしながら昼は病院や百貨店で働き、夜は学校に通う生活。子どもの発達障害についても学びましたが、短大時代に子どもの心身の発達について学んだ経験が役立ちました。4年後に免許を取得して病院に復帰し、作業療法士として働き始めました。仕事はケガや病気で身体機能が低下した患者さんのリハビリや日常生活をスムーズに送る応用的動作の支援、住居改修のPROFILE清水万紀子(しみずまきこ)さん。昭和53年上田女子短期大学幼児教育学科卒業後、「リハビリテーションセンター鹿教湯病院」勤務。同病院の奨学生として専門学校夜間部に通い、作業療法士の免許を取得。平成11年には介護支援専門員の免許を取得。翌年から3年間「JA信州うえだ福祉相談センター」に出向。平成22年より「長野医療技術専門学校（現・長野保健医療大学）」講師を務める。清水万紀子さん“人生は出会いの連続”働きながら学び続けた40年清水万紀子さんのキャリア長野保健医療大学で作業療法学専攻の講師としてクラス担任を受け持っている清水さん。実習や試験に向けて、生徒たちから熱心な質問が飛び交います。4年生で国家試験に合格し、立派に巣立っていく姿を見送るのがやりがいだそうです。014volume上田女子短大を卒業長野県厚生連リハビリテーションセンター鹿教湯病院勤務（作業療法科助手）JA信州うえだ福祉相談センターへ介護支援専門員として出向（3年間）長野県厚生連リハビリテーションセター鹿教湯病院に作業療法士として戻る第1子出産第2子出産19781980198419861687199019992000200320102014201520162018結婚幼児教育学科東京のリハビリテーション専門学校作業療法科に入学（夜間部）（昼間は総合病院リハビリテーション科助手として勤務）作業療法士免許取得介護支援専門員免許取得大学院に入学大学院卒業（心身健康科学修士）作業療法士として、リハビリテーションセンター鹿教湯病院へ勤務長野医療技術専門学校作業療法学科専任講師として勤務（週一訪問リハビリテーションに従事～現在まで）長野保健医療大学保健科学部リハビリテーション学科作業療法学専攻講師病院の奨学生となる

## 清水 万紀子さん
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雰囲気は異なるのですが、原峠保養園では自然の中で暮らす日々を通じて、畑仕事や多くの行事を子ども達と共に行います。就職したての頃は、同期の中では要領が悪く一番怒られたんです。当時の園長先生はとても厳しい方でした。先生からは子ども達の生活指導だけでなく畑仕事や機械・道具の使い方、野鳥、草花、この土地の歴史など全部教えていただき、必死で身につけていきました。子ども達と一緒に覚えたんですよ。その当時に身に付けたことすべてが今の私の「たからもの」です。生い立ちに様々な背景があり、本人の発達障害等もあり、特にコミュニケーションの面で大変な思いをしている子ども達も少なくありません。そんな子ども達と日々生活を共にし、どうすればうまくいくのか一緒に考えています。何十年経った今も子ども達と一緒に学んでいるんです。みんな優しくて笑顔が素敵な子どもばかり。私も子ども達に、そして職員の方々に助けられてここまで過ごしてきました。ありがたいです。これからもずっとこの場所で子ども達と向き合って自分も成長していきたいと思っています。上田市にある児童養護施設「原峠保養園」に務める永井先生は、上田女子短大を卒業してすぐにこの園に就職し、ときに先生として、ときに母親代わりとなって子どもたちに寄り添い過ごしてきました。私は、短大を卒業した直後から、ずーっと原峠保養園にいるんです。就職してからずっと子どもたちと過ごしてきて、気がついたら今に至っていたっていう感覚なんです（笑）。ここに就職をしたきっかけは、学校からの紹介でした。短大時代に保育を学ぶ中で障害者施設に就職したいと考えており、障害者施設にボランティアに行ったり、サークルで手話を勉強したりしていました。この園ができた当時は小児結核の療養所で、ベッドで寝ながら勉強している子どもさんがいて、小中学校の分室が併設されたと聞いています。私が就職した昭和58年頃は不登校のお子さんが多く来ていました。今は虐待や家の事情で来ているお子さんが多いのですが、いつの時代も子ども達は親元を離れ頑張って生活しています。時代時代によって子ども達の特性やPROFILE永井富枝(ながいとみえ)さん上田市出身、上田市在住。丸子実業高校卒業後、上田女子短期大学幼児教育学科に進学。卒業後、原峠保養園に就職。永井富枝さんすべてをここで学び、すべてに感謝自然豊な環境でヤギやにわとりも育てています。現代は自然を教える事が難しい。そんな時代に命の大切さや山や動植物を子どもと一緒に体験しながら学んでいます。サイトウキネンのプロミュージシャンと一緒に楽器を演奏させていただきました。近くでプロが奏でる楽器の響きが体に伝わって、鳥肌がたちました。永井富枝さんのキャリア上田女子短大を卒業原峠保養園に入所以降2020年現在まで勤務している19832020015volume幼児教育学科

## 永井富枝さん
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別所駅は観光拠点であると同時に、学生さんや車を持たないお年寄りなど、地元の人の日常の足としても欠かせない存在です。駅は地域の人の拠り所にもなっていて、近所の方がおしゃべりしに来たり、下校途中の小学生が遊びに立ち寄ったり。この空気感は、ローカル線ならではの魅力ですね。毎日ここから通学していた学生さんが、卒業後別所線に乗って東京へ巣立っていき、夏休みにまたこの改札へ帰ってきて「おかえり！」と再会を喜ぶことも。10年働いているとそんな経験もできるんです。嬉しいですね。私自身、ここで働くようになってから利用客の皆さんに育てられたなと実感しています。県外から来たお客様に「別所はいい所だね。時間がゆっくり流れているね」と言われると、見過ごしていた街の魅力を実感します。駅長として街のことを改めて学べたのも大切な財産です。観光客の方からは、別所温泉の歴史から電車の車両のこと、おいしいお蕎麦屋さん情報まで、本当にさまざまなことを質問されます。始めの頃はこの街で暮らす私でも知らないことが多く、答えられずに申し訳なく思うこともありました。そこで自分用の「虎の巻ノート」を作り、聞かれたことはもちろん、教えたら喜ばれそうなことも自分で調べて書き留め始めたんです。今では内容はすべて頭にインプットされていますが、大切に手元に残しています。住み手目線で見ると、地域のつながりの強さが別所温泉の魅力です。地元のおもてなし意識も高く、簡単な観光案内ができる子どもたちも多いんですよ。数年前から、母校・上田女子短大の学生たちによる電車内のボランティアガイドも始まりました。こうして街の魅力が継承されていくことが嬉しいですし、駅を拠点にもっと魅力を発信していきたいです。地域の人の思いが詰まった別所線だからこそ、2019年の台風19号で別所線の鉄橋が崩落したときは言葉になりませんでした。「別所線がなくなってしまうかもしれない」。当時の不安な気持ちは忘れられません。だからこそ2021年春の前線運転再開が決まったときは、本当に嬉しかったです。そんな折のコロナ禍、観光客が減り、別所温泉でも多くの旅館が苦境に立たされています。けれど「できるだけのことをやっていこう」と、上田電鉄と観光協会が一丸となって新しい企画を練るなど努力を重ね、春に向けて準備を進めています。レトロな木造建築の別所線・別所駅は、映画やドラマのロケ地にも使われる観光名所です。この街で暮らす宮田さんは、2010年から「観光駅長」の仕事をスタート。地域の魅力発信を通して、改めて地元の魅力を感じています。上田市のローカル線「別所線」の終点、別所駅。信州最古と言われる別所温泉の玄関口であり、国内はもちろん海外からも多くの観光客が訪れます。私は観光駅長としてトレードマークの袴姿で駅に立ち、日々の改札業務や駅に降り立った観光客の皆さんへの観光案内などを担当しています。駅の仕事は、まったくの未経験からのスタートでした。きっかけは2010年、子育てが一段落したタイミングで「駅長募集」の求人を見つけたこと。当時、上田電鉄が別所駅の無人駅化計画を進めていたのですが、「無人では観光客のおもてなしができない」と考えた別所観光協会が観光駅長を募集していたんです。別所駅は小学校の通学路沿い。「ここにいれば、毎日子どもたちに会えるな」。そんな気軽な気持ちで応募しました。PROFILE宮田恵里佳（みやたえりか）さん。上田市出身、在住。上田女子短期大学幼児教育学科卒業。シナノケンシや歯科医院での勤務を経て、2010年から別所観光協会観光駅長に就任。宮田恵里佳さん観光駅長として、別所温泉の魅力を受け継ぐ016volume宮田さんが3歳の時に廃線となった上田電鉄の前身「上田交通真田傍陽線の傍陽駅」での写真。バス路線に変わった後に宮田さんは高校生までこの駅を利用しており、愛着のある駅だそう。別所温泉の駅舎とよく似ていて想いが重なるそうです。上田女子短大を卒業シナノケンシに事務職で入社シナノケンシ退職小児歯科や障害者歯科に特化した医院で歯科助手として働く歯科医院退職別所観光協会観光駅長に就任1989199319941997199920012010結婚第一子誕生第三子誕生第二子誕生宮田恵里佳さんのキャリア幼児教育学科

## 西澤智恵子さん
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ました。そして、保育でも音楽が大事だと思うようになったのです。保育に関しては入園後にかなり勉強をしました。当時の教頭は非常に厳しい先生でしたが、努力した分だけ認められる実感がありました。そして園長先生はおおらかで先進的な考えをお持ちで、色々なことに挑戦できる機会を与えて下さいました。おかげで数年間県の研究員を務めたり、大規模な保育の全国大会で発表する機会も得て、次第にやりがいを感じるようになったのです。当時はまさに幼児教育が変わりつつある時代。私も勤務3年目あたりからは、何をしたら子どもたちが楽しめるかを考えるようになり、保育に関するアイデアが次々と湧いて来ました。当園の自慢は、園児が素直なこと。若い先生方が明るく一生懸命なこと。豊かな心を育てる「まことの保育」を心がけ、身の周りの全てのおかげに気づくように、教師も共につとめています。今まで多くの方々と出会って、たくさんのことを学ばせて頂きました。様々な経験ができた事に心から感謝しています。そして今、やりがいを感じた20代と同じく「幼稚園は楽しい！」と実感しています。音楽好きが高じて保育士をめざし、上越市内の幼稚園に勤めて37年の草間さん。教頭を務める現在の思いをうかがいました。教頭の仕事は多岐に亘っており、教育課程を考えたり保育の内容や方向性を検討するほか、子どもたちと直接関わることも多く、主には年中の学年の補佐をしています。一人一人が伸び伸びと自分を表現できるようになる大事な幼児期。子どもたちのさまざまな話を聞き、自分を確立させていくことが大切だと思っています。そもそも私が短大をめざしたのは、音楽が好きだったから。小学5年時の担任の先生との出会いを通じて音楽の楽しさを知り、中学で入部した吹奏楽部でも素敵な先生と出会えて、高校でも合奏部に所属。その後何とか音楽の道に進みたいと声楽も習い、音楽の力を生かせる職場はないかと探したところ、高校の担任の先生が助言してくれたのが上田女子短大でした。短大でも素晴らしい声楽の先生との出会いがあり、2年時には授業でミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」を発表し、自分の新たな一面を発見できPROFILE草間妙子（くさまたえこ）さん。上越市出身。小学5年時に音楽に目覚め、才能を生かせる保育士をめざし上田女子短大に入学。部活は茶道部に所属。昭和51年、卒業と同時に上越市内の幼稚園で勤め始め、平成12年に教頭に就任。今でも茶道を続け、園内活動でも茶道を行う現在の幼稚園に縁を感じてるそう。園内活動では「運動、リズム、食育」を重視し、リトミックや体育教室、冬はスケート等を行うほか、年長は1年を通して近隣の金谷山で遊ぶ。また食育の一環として栽培活動にも力を入れ、種植え、栽培、収穫、食す一連の流れを学習している。地域に出かけることも多く、消防署の見学や電車の乗車体験、水族館見学など多彩な活動を行っています。001volume新潟草間妙子さんやりたいことをやって来られた充実感19751980198519901995200020052010草間妙子さんのキャリア新潟県上越市いずみ幼稚園に入園教育課程に関する研究の県の研究員となる（2年間）再び同研究員となる（2年間）「まことの保育」全国大会（九州）で研究発表文部省教員海外派遣員（2週間）となる幼稚園教諭一種免許状取得免許状更新教頭の役職につく結婚出産・二児の子育て（産休後復帰）アメリカ・メキシコを視察幼児教育学科

## 小林成子さん
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あったできごとを聞く機会があり、未来像がより明確になったことを覚えています。また、学生時代は学園祭「学海祭」の実行委員長に就任。就職活動のまっただ中であり、大変だったことも多々ありましたが、最高の仲間とともにこの上ない思い出をつくることができ、本当に充実した日々を過ごすことができたと実感しています。当時のスタッフジャンパーは今でも大事な宝物です。卒業後は、より多くの人に出会いたいという思いから東京の保育園に就職。4歳児の担任を務めました。しかし、次第に自分が生まれ育った地元の子どもたちの保育に興味を感じ、2年後に帰郷。当初は臨時職員でしたが、2年後に無事、保育士採用試験に合格でき、翌年から正規職員として働いています。臨時職員時代から未満児の保育を担任し、先輩や同僚たちと協力し合いながら、子どもたちがのびのびと過ごせることを心がけています。今後の目標は、さまざまな知識を身につけ、保護者の方が安心して子どもを預けられる保育士になること。そして、子どもたちにとっては、愛情と笑顔溢れる保育士になりたいと思っています。0～1歳児の担当保育士として、上越市内の保育園で日々忙しく働く杉田さん。1人ひとりの子どもに目配りし、ていねいに接するその姿から、子どもが好きなようすが伝わってきます。そんな杉田さんに、この仕事をめざしたきっかけや今後の目標をうかがいました。正規採用になってから5年が経ちましたが、ずっと未満児の担任・副任を務めています。小さな子どもたちの保育は、トイレトレーニングや食事の手助けといった細かい世話が必要ですが、子どもたちの笑顔には日々元気をもらっています。もともとこの仕事をめざしたきっかけは、子どもが大好きだったことと合わせて、習っていたピアノの先生が幼稚園教諭だった影響があります。ピアノの指導だけでなく、さまざまな経験や世の中のできごとを教えてくれた素敵な先生で、「私もそんな先生になりたい」との憧れから、保育士の道を志すようになりました。上田女子短大は、高校の指定校だったことから推薦で入学。授業では、先生や先輩方から実習の実体験や現場で実際にPROFILE杉田綾子（すぎたあやこ）さん。新潟県上越市出身。子どもが好きだったこととピアノの先生の影響から保育士をめざし、平成14年に指定校推薦で上田女子短大に入学。卒業後は東京の私立保育園に就職。平成18年上越市に戻り、市内保育園で臨時職員として勤き、平成20年保育士採用試験合格。翌年より正規職員に。自然体験や生活経験を通し、感性豊かな心を育むことを大切にしているこちらの保育園。子どもたちは家庭的な雰囲気のなかで年齢を問わず関わりを持ち、明るく健やかに過ごしています。0～1歳児クラスは全8人。3人の保育士が専任で担当しています。お昼は子どもたちのようすを見ながら、1人ずつさっと昼食をとります。先生同士の息の合った連携プレーが見事です。杉田綾子さん頼られる保育士を目指して──20052010杉田綾子さんのキャリア東京の私立保育園就職結婚出産復帰保育士採用試験に合格5年目に入る新潟県上越市に戻り、臨時職員をする正規職員として働く※東京での4歳児の担任以外は現在まで未満児を担任・副任幼児教育学科002volume新潟

## 土屋裕子さん
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2005.32005.4私が上田女子短期大学に入ったきっかけは、保育士になりたかったということと、学校推薦を受けられたこと、そして私が見学に訪れたとき、学校内が改装工事中だったにもかかわらず、親切に案内してくださったのが本当にうれしかったからでした。授業で行った体育やピアノ・歌・手遊び、サークル活動でエプロンシアターや壁面を作ったことは楽しかっただけでなく今の仕事に活きています。寮生活は毎日が本当に楽しくて、さみしいと思ったことはありませんでした。短大卒業後は社会福祉法人浄英会恵和保育園に勤務し、今年で勤続10年目になります。保育士１年目のときは、子どもたちにどう声をかけていいのかもわからず、先輩の先生方の保育する姿を見たり聞いたりして学んでいきました。10年目の今になっても、子どもたちへの接し方はこれでいいのかと思うときがあります。現在、年長（バラ）組の園児72名を私と２人の先生が担当していますが、周りの皆さんに助けていただきながら、みんなで楽しく過ごしています。虹が出ればみんなで外に出て見たり、裏の田んぼに一面に凍み渡り（霜柱）ができたときは、その上を子どもたちと一緒に渡って歩いてみたり。それは先輩の先生方がされていたことですが、子どもたちが自然に触れ合うことができるよう、私も積極的に行うようにしています。ここには毎日何かがあります。信濃川に架かる橋をみんなで歩いて渡りましたが、ちょうど台風の後だったため、子どもたちの絵には渦と流木が描かれていました。仕事は大変なこともありますが、やりがいや達成感もあります。子どもたちは本当によく私を見ています。髪型を変えたときなど最初に気づいてくれるのは子どもたちで、指に絆創膏を貼っていれば、それを見つけて「どうしたの？」と声をかけてくれるのも子どもたちです。子どもたちから元気と勇気を日々もらっているのは私の方です。おうちの方、先輩の先生方、そして園長先生や理事長先生からの心遣いなどとても嬉しく、今私がこうしていられるのは人との巡り合いがあったからと思っています。一人だったらできなかったと思います。ですので、これからも精一杯保育していきたいと思っています。「保育の職場は社会と違い家庭生活の延長だから、そこが大変なところ」と話される恵和保育園の園長先生。現在、保育士として10年目を迎えるという岡村さんの夢は、お世話になった短大の先生方に、「私、頑張ってますよ!!」と、毎年年賀状で報告し続けることといいます。元気な子どもたちと関わる岡村さんに園のお話を聞いてみました。PROFILE岡村千尋（おかむらちひろ）さん。新潟県長岡市出身。平成17年上田女子短期大学卒業後、社会福祉法人浄英会恵和保育園入社。保育士として勤務し、今年で10年目を迎える。現在、年長組を担当。長岡市在住。「雪遊びのとき、子どもたちと雪の上に寝転がり空を見ていたら、『明日は晴れる』という歌を子どもたちが歌いだしました。この曲は演奏会のときに歌った曲です」と話してくれた岡村さん。岡村さんと子どもたちを見ていると、「彼女は人柄が温かいから人が受け入れてくれる。保育士になるべくして生まれてきた子です」との園長先生のお言葉が思い出されました。写真は同じ職場で働く、先輩の飯塚先生。003volume新潟岡村千尋さん子どもたちがみんな幸せになることが願いです幼児教育学科岡村千尋さんのキャリア上田女子短大を卒業社会福祉法人浄英会恵和保育園入社現在勤続10年

## 長川原みつ子さん
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## 大塚白実さん
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見えたんですね。学校の雰囲気にもときめくものがあって、「ここに進学したい」という気持ちが一気に強まりました。学生生活は、とにかく楽しかったです。私が在籍していた当時は「スポーツレクリエーションコース」というコースがあって。７名しかいない少人数のコースだったので、みんなでイベントに参加したり、スノーボードやカヌーといったスポーツにもチャレンジしたり。いろいろなところに出かけましたね。卒業してから10年以上が経ちますが、当時の仲間は、いまも連絡を取り合う大切な友達です。授業や実習では、子どもと接することの難しさを知り、保育士という仕事の大変さを痛感しました。「ただ遊べばいいわけでもないし、ただ手をかけてあげればいいわけでもない。じゃあ、子どもの自立のために、一体どこまで手助けをすればいいんだろう？」。――こういったことを真剣に考えるうちに「保育士になりたい」という漠然とした気持ちが本気の思いへと変わっていったのを覚えています。幼稚園教諭と保育士、両方の資格を取得しましたが、家庭の延長のようなほんわかとした雰囲気の中で働きたいという思いがあったので、最終的に保育士という職業を選びました。短大を卒業してからずっと働いていたなかよし保育園は、１年生の時の自主実習、２年生の時の本実習でお世話になった保育園です。元々は未満児保育に興味があってこちらの園を実習先に選んだのですが、先生と子どもというよりも、„第二のお母さん＂のような距離感の近い保育スタイルが気に入って、そのまま就職してしまいました。小さな子どもたちがだんだん言葉を覚えていく成長の過程が見られるのも楽しいですし、子どもの純粋な言動に日々癒しをもらっています。12年という年月の中で、０歳児から年長まで、一通りの学年を経験させてもらったのですが、初めて子どもたちを送り出した時は感慨深いものがありましたね。行事の度にクラスのまとまりだったり、子どもとの信頼関係が深まっていくのを感じて。なかなか練習ではうまくいかなかったことを本番でバシッと決めてくれた時は「この仕事を続けてきてよかった」と感動の涙がこぼれました。その時の子どもたちも、今年の春からもう中学生。「みんなで制服姿を見せにいくからね」と言ってくれていて、今から楽しみにしています。卒園してからの子どもたちとのつながりも楽しみの１つ。私の頑張る力になっています。地元の柏崎市で、保育士として忙しく働く柴野さん。子どもたちと楽しそうにふれ合う姿が印象的ですが、実は、高校３年生の夏まで、„保育士＂という職業を意識したことはなかったといいます。そんな彼女が、なぜ上田女子短期大学に進学を決めたのか？なぜこの職業を選んだのか？仕事のやりがいも含めて、お話をお聞きしました。中学・高校時代はバレーボールに打ち込んでいて、部活に明け暮れる日々でした。自分の将来のことを初めて考えたのは高校３年の夏。部活を引退して、「さあ、進路はどうする？」となった時に、「手に職をつけるのであれば、美容師、保育士、看護士、いろいろな道があるけど、興味があるのは何？」と担任の先生に聞かれたんです。子どもと遊ぶのは好きだったので、その時から、なんとなく保育士という仕事を意識するようになりました。上田女子短期大学には指定校推薦の枠があったのですが、近々オープンキャンパスがあると聞き、勧められるがまま訪ねてみたんです。その時に案内してくれた方がとても感じよくて。キラキラしてPROFILE柴野萌（しばのもえ）さん。新潟県柏崎市出身。平成17年に上田女子短期大学幼児教育学科を卒業後、社会福祉法人なかよし福祉会に入職。実習先だったなかよし保育園で保育士として12年間勤務する。今年から、より人数の多い、系列の半田保育園に異動となり、保育士として新たなステージへ。私生活では1児の母。柴野萌さん保育士という仕事が、やっぱり好き。健やかな身体づくりのため、毎日乾布摩擦を行ったり、戸外での運動や散歩も力を入れているなかよし保育園。年中・年長にもなると往復8㎞の道のりも自力で歩けるほどの体力がつくといいます。長時間保育の子どものために、雑炊やおにぎりといった軽食をおやつに出しているのも特徴的。家庭の延長のようなアットホームな雰囲気の保育園です。柴野萌さんのキャリア幼児教育学科に入学上田女子短期大学を卒業なかよし保育園に就職ボランティアとしてなかよし保育園で自主実習を行う本実習でなかよし保育園を再訪問2003.4夏休み20042005.342012.82015.52016.52017.4005volume新潟幼児教育学科結婚第一子出産育休が明けて現場に復帰異動により、系列の半田保育園へ

## 前川 令さん
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学生時代には、ボランティア活動に積極的に参加し、たくさんの施設にお手伝いに行きました。また、ワンダーフォゲル部への参加、そしてバスケットボール部の立ち上げも行い、毎日毎日とにかくアクティブに動き回っていた学生時代でした。短大時代の学びでは、心理学の授業がとても印象に残っており「青年心理学」は保護者の皆さんとのコミュニケ―ションに役に立ちました。また、もう一つ、当時の学長先生の授業で出会った「盲児の為の絵本」という点字の絵本は忘れることができません。それをきっかけに点字の絵本を卒業研究で扱ったのですが、点字が難しく、間違いも多々指摘されて…それが悔しくて、完璧になるまで何度も作り直しました。それもいい思い出です。就職してからは、ずっと上越市の職員として働いています。途中、保育の現場を離れたことが少しだけありますが、それ以外はずっと保育園に勤務しています。上越市内で転勤があるので、自分の職場が変わったり上司が変わったりする中で、さまざまな先生のやり方を見て学ぶことができました。また、私は働き始めてからも、山登り、バドミントン、バイクと、毎日クラブ活動に参加し、動き回っていたんです。何でも経験して、どんどん動き回ってというスタイルは、保育においても同じ。子どもたちと精一杯走り回って、一緒に笑って泣いて、子どもたちと一緒に走れなくなるまで、ずっと現場で働いていたいと思います。６人兄弟の末っ子として、上越市に生まれた清水さん。幼い頃から『お姉さんぶりたかった』そうで、保育園ごっこが大好きな幼少時代を経て、中学３年生になる頃から幼稚園の先生を目指すようになりました。母から「女は資格を取得しなさい。そうしないと職につくことはできないから」という教えを受けていました。小学校や中学校のときに、小さな子どもたちを相手に保育園ごっこのような遊びをしていたことがきっかけとなり、資格を取るなら保育園の先生だなと考えていました。高校で保育士の資格を取ることに決め、勉学に励んでいましたが、卒業時に足りない単位があり、短大か専門学校への進学を検討したのが上田女子短大への進学のきっかけです。当時、上越には保育士の養成校がなかったので、幼稚園教諭2種も免許が取得できる新潟市か上田市にある短大に通おうと決め、上田女子短大を見学に行きました。上田女子短大の周辺は環境が良く雰囲気が気に入って、進学を決めました。PROFILE清水睦子(しみずむつこ)さん。上越市出身、上越市在住。上越市内の高校卒業後、上田女子短期大学に進学。卒業後は上越市職員に。体調不良を期に一昨年正規職員を退職、現在は臨時職員として市内の保育園に勤務している。清水睦子さん清水睦子さんのキャリア「子どもたちの前に出るときには明るい服を着ることにしているんです」と話す清水先生。就職したての頃に、当時の園長先生に、子どもたちに多くの色を見せて接してあげてと言われたことがきっかけになっているそう。006新潟volume上田女子短大を卒業上越市役所採用大和保育園南新町保育園勤務保倉保育園勤務有田保育園勤務有間川保育園勤務市役所総合防災課交通安全係共済事務など課付保育士として勤務戸野目保育園勤務たんぽぽ保育園勤務北本町保育園勤務子安保育園勤務きよさと保育園勤務北本町保育園勤務退職つちはし保育園非常勤として現在も勤務している19781983198419871991199820022003200420082012201620172019幼児教育学科走れなくなるまで、現役でいたい！

## 宮田恵里佳さん
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治会長として秋の学海祭や卒業生を送る会などイベントの企画運営を経験したこと。正直最初はあまり乗り気ではなかったのですが、仲間の支えもあって積極的に参加してみると楽しく充実した時間を過ごすことができました。意識を変えてくれた友達には今でも感謝しています。卒業後は地元上越に戻り、市立保育園で念願の保育の道へ。働き始めた頃は、子どもたちと過ごす毎日がとにかく楽しかったですね。責任をあまり意識せず先輩の保育士からひたすら吸収する日々でした。けれど、頼ってばかりいられない場面も増えてきます。例えば自分のクラスがまとまらない時は保育に中身がないのではないかと自信を失いかけたこともあり、自分の保育を見つめ直さなくてはなりませんでした。そんな時、支えになったのが、考え方や姿勢に憧れる先輩保育士の方々との出会いです。さまざまなことを相談する中で、私自身、子どもとの向き合い方や保育への姿勢が変化していきました。さらに20代後半、自分自身が結婚・出産したことで保護者の方の気持ちがより理解できるようになり、保育の取り組み方が大きく変わったのを覚えています。振り返ると、それまでは「クラスをまとめよう」と必死で、子どもたち一人ひとりに寄り添えていなかったのだと思います。とにかく遊び、目の前の子どもの好きな遊び、発する言葉の背景など、その子の関心に目を向ける事から始めると、一対一で少しずつ信頼が築けるようになりました。それが遠回りのように見えても、最終的に子ども達がまとまっていくような気がしました。そもそも、まとめようとすること自体間違っていたのかもしれません。保育士16年となった今では主任としてこれまでの経験を活かし若い保育士のサポートや相談に乗ることも大切な仕事の一つとなっています。卒園間近になると、年長の子ども達と思い出を語り合います。楽しかったこと、出来るようになったこと、そして応援してくれた家族への想い。子ども達から溢れ出た言葉を並べ、メロディーと伴奏をつけると世界で一つの歌が完成。卒園式では卒園の歌として披露することもありました。この上田女子短期大学で音楽と保育を学んできた全てを活かせる私の楽しみでもあります。そして職員同士、互いの得意分野で力を発揮しながら支え合える職場環境も保育園の魅力ですね。今後は研修にも参加してよりスキルアップを目指したいです。高校時代に「保育者として、子どもに関わる仕事をしたい」と思いを決めた金勝さん。４歳から続けているピアノを深めたいとの思いもあり、本学の幼児教育学科音楽コースに進学しました。本学に進む決め手になったのは、ある合同学校説明会に参加した時、幼児教育学科の関口信雄先生に出会ったことでした。先生と直接お話をして、「この先生のもとで学生生活を送りたい」と強く思い、志望を決めたのです。音楽コースは保育を軸に、ピアノをより専門的に学べる恵まれた環境です。子どもの歌の伴奏だけでなく専門的な演奏指導、コード進行や作曲方法、音楽史、声楽まで深く学ぶことができました。先生方にはプロで活躍されている方も多く、貴重な経験でしたね。音楽コースの同級生にも大きな刺激をもらいました。高校時代までは練習嫌いだったのですが、高い技術を持ちながら常に熱意を持って練習する仲間の姿に感化され、「このままじゃいけない」と奮起したからこそ、今の私があると思います。もう一つ在学中の大切な思い出が、自PROFILE金勝咲子さん（かねかつさきこ）さん。上越市在住。３歳からピアノを始める。新潟県立高田北城高等学校生活文化科福祉コース卒業後、上田女子短期大学幼児教育学科音楽コースでピアノを専攻。現在は上越市の職員として市立有田保育園で主任として勤務。３児の母。金勝咲子さん金勝咲子さんのキャリア子どもたちに囲まれ頼りにされている姿からは、とても充実した毎日を過ごされている様子が伝わってきました。仕事と子育てを両立し、さらなるキャリアアップを目指していらっしゃいます。007新潟volume上田女子短大を卒業上越市職員として東本町保育園勤務大和保育園勤務女性救急隊員任命(任期2年)第一子誕生産休と育休を取得有間川保育園勤務有田保育園勤務第二子誕生、産休と育休を取得第三子誕生、産休と育休を取得20022006200720092010201120142016幼児教育学科ピアノの道を追求し、憧れの保育の道へ結婚第一子誕生第二子誕生第三子誕生

## 草間妙子さん
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つれて自分のやりたいことが明確になっていった気がしますね。その後、結婚を機に米国ハワイ州へ移住することになり、日系企業のＩＴ現地法人のハワイ支社新設時にオフィスマネージャーとして就職しました。カスタマーサービスが主な仕事内容だったので、相手の立場に立って状況を把握・判断できる人になれるよう意識付けをするのが大変でした。また自分ひとりだけで仕事をしているのではなく周りのスタッフとの協力なしではプロジェクトも成功しないということも学びました。今振り返ると「新しい事へのチャレンジ」が、大きなテーマだったと思います。海外で生活することも含め未体験の事だらけでしたが、恐れずチャレンジすることで発見したこと、出会えた人々、すべてが私の財産になっています。最後になりましたが、短大時代の友人とは今でも交流があり、それぞれが家庭を持ったりキャリアを伸ばしたりしている姿に刺激を受けています。「生涯の友」と言える仲間達に出会えた上田女子短大に感謝しています。国文科（現総合文化学科）を卒業後、営業職を経験したいと飛び込んだ自動車販売の会社、その後、独学でパソコンの知識を習得し外資系企業に転職…とバリバリと働いていた小林さん、結婚を機に移住したハワイでの10年間も充実の毎日を送っています。上田女子短大を卒業する際に魅力を感じていたのは、営業職という未体験の職種でした。人と接する職業に不安はありましたが、短大で学んだ知識や経験をベースに新車販売の世界へ飛び込みました。勤務しながら、みっちりと営業の基礎を叩き込まれながら、一方で当時は個人所有が少なかった携帯電話やパソコンをいち早く購入し、興味があったコンピュータやインターネット知識を独自に学びました。そして、その知識を基に、ゼネラルモーターズ・ジャパン株式会社のｅマーケティング部にシニアアドバイザーとして転職したんです。好奇心旺盛な性格からか転職して新しい環境に入ることにもあまり躊躇は無く、むしろ何か新しい事にチャレンジできることが楽しかったと記憶しています。また、経験を重ねるにPROFILE小林圭子（こばやしけいこ）さん、DFSグループL.P.ワイキキギャラリアフレグランスブランド担当アドバイザー。上田女子短期大学国文科卒業後、自動車販売の営業、IT企業のマネージャーを経て、結婚を機に米国ハワイ州へ移住。日系企業のIT現地法人勤務を経て、現在に至る。中野市出身。今の夢は、まだまだ新しい事へのチャレンジ！子どもの成長を見守りつつ、自分も成長していきたいと言う小林さん。学生時代には、松田幸子前校長先生のようなバリバリ働く女性にあこがれていたのだとか。5歳になる娘さんと。001volume小林圭子さん新しいことへのチャレンジが永遠のテーマ19901995200020052010小林圭子さんのキャリア長野トヨタ自動車株式会社に入社ゼネラルモーターズ・ジャパン株式会社に入社イーズマインドクリエーション株式会社に入社DFSグループに入社日系企業の支社に入社結婚、ハワイ移住出産出産後も4ヶ月で仕事復帰しばらく子育て営業部で新車販売にたずさわるＩＴの知識を生かして転職総合文化学科

## 杉田綾子さん
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ました。生徒の国籍がバラバラゆえに教え方が難しくもありましたが、毎日が楽しく充実していました。しかし結婚を機に退職。その後出産し、子育てが一段落した時に、今の仕事の話をいただきました。最初は「学生時代に心理学を専門に勉強した訳ではない私に何ができるのだろう」と不安ばかりでした。今でも「あのような対応で良かったのか」と悩むことは多々ありますが、日々にとてもやりがいを感じています。それに話をしなかった生徒が次第に心を開いてくれたり、笑顔を見ることができた時はとても嬉しいですね。この仕事を通じて、今の中学生がいかに悩み苦しんでいるかを知りました。でも誰もが皆と同じように学校に通いたい気持ちは持っています。だからこそ私は生徒の安定的な登校をめざしながら、クラスに戻れるよう応援していきたいですね。そして彼らにとってほっと一息つけるような、陰で支える存在になりたいと思っています。上田市内の中学校で、非常勤講師として不登校生徒の支援をしている竹下さん。勤務5年目の今、仕事のやりがいや今後の展望を話してくださいました。中学校でなかなか教室に入れない生徒と一緒に学習したり話をすることで、安心して通える場所作りをするのが私の仕事です。非常勤講師といえどもほぼ毎日学校に通い、彼らが「来て良かった」「明日も来たい」と思えるような心の安定をめざしています。そして新たな不登校の生徒が生まれないためにも多くの生徒に声をかけ、信頼関係を築くことを心がけています。この仕事を始めて5年。それまでは諏訪市の日本語学校で、外国人のための日本語教師をしていました。元々上田女子短大に入学した理由も、国語が好きで日本語教師や海外での仕事にも興味があり、教員免許を取得したかったから。在学中は国文科で勉強すると共に、今も同校で活躍されている大橋敦夫先生のサークルに所属し、地元の方言など多様な言葉について学びました。卒業後も、研究生として1年在籍。その間、更に日本語を学び、希望の就職先に就くことができPROFILE竹下（たけした）ゆかりさん。岡谷市出身。平成4年、上田女子短大国文科入学。在学中に中学校教員（国語）の免許を取得。卒業後は研究生として1年間勉強し、平成7年、日本語教師として諏訪市の日本語学校に就職。その後、結婚・育児を経て平成20年から上田市内の中学校で不登校生徒のための支援員として働く。竹下さんが勤める中学校は不登校生徒に対するサポートシステムとして、支援員以外にもスクールカウンセラーや「心の相談室」の相談員、保健室の養護教諭がいるほか、校内の中間教室があります。独自の取り組みとしては、定年退職した地域内の元教員によるボランティア支援もあり、担任をはじめとした各教職員が連携を取りながら地域全体で学校を支えています。「その中で生徒に寄り添った支援を常に心がけています。」と竹下さんは話します。002volume竹下ゆかりさん日本語を通じて、人の心にふれる1995200020052010竹下ゆかりさんのキャリア上田女子短大研究生修了日本語学校に就職一般企業に就職産休、育休を取りながら勤務中学校に非常勤講師として勤務退職し結婚上田市に住む第１子出産、子育て第２子出産、子育て第３子出産、子育て総合文化学科

## 岡村千尋さん
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20052010して市町村に勤めることができれば、いつか司書になれるのではないかと考えて、まずは公務員就職を目指しました。上田市内の専門学校の夏期講習に行ったり、いろいろな努力もしましたが、卒業と同時に東御市役所に就職することができ、最初は会計課に配属となりました、５年半、税金などの収入の集計などを行っていました。図書館でいつか司書として働きたいという気持ちは、前々から伝えていたこともあって、１年半前に図書館へ異動になりました。実際、こんなに早く希望の職業に就くことができるとは、考えてもみませんでした。ちょうどその時期に、東御市では図書館を新築し最新のシステムを利用した図書館に移転するという大きな事業も行われていました。蔵書や資料の引越しという貴重な経験をさせていただきました。いまは、図書の発注や予算管理、館内掲示用のポスターの制作や、市の生涯学習事業に携わるなど、さまざまな担当を通して、学んでいるところです。もともと、本に囲まれているだけで幸せな私ですが、できるだけ長く勤務し、経験豊かな先輩方から多くを学んでいきたいと考えています。本が好きで、司書を目指したという天野さん。短大の入学から司書資格取得、そして社会に出て7年目の今をお話してくださいました。もともと図書館で司書として働きたいという思いがあったので、司書資格が取得できる地元の大学に進学したいと考えていました。上田女子短大に入学した当時は、履修科目を選択することをはじめ、高校にはなかったフラワーアレンジメントの授業、司書科目の講義など一つひとつが新鮮で毎日が楽しかったです。２年間の学習の中で、印象に残っているのはやはり図書館実習です。２回の必須の実習に加え、夏休みを利用して単位外の実習にも行きました。「司書の仕事っていいな」と、単純に思っただけでなく、対面でお客さんの対応をしたり、書庫一面に並んでいる本を見たりという毎日の中で、得るものは大きいと実感しました。司書になりたいという思いが大きかったこともあり、早め早めの就職活動をこころがけていました。司書としての採用は非常に狭き門だとわかっていましたから、公務員試験に合格して、正規雇用とPROFILE天野恵（あまのめぐみ）さん、東御市役所生涯学習部生涯学習課図書館係主任。上田染谷丘高校を卒業後、上田女子短期大学総合文化学科へ進学。平成17年度卒業。卒業と同時に、東御市役所に就職し、会計課などで5年半勤務した後、同東御市立図書館へ異動。上田市出身。生涯学習の一環として、東御市が月に一回開催する読み聞かせ講座。天野さんも企画や実施に携わっています。天野さんの一番好きな本「モモ」も、いつも天野さんのそばに。親切に接客する姿には、彼女の人柄がにじみ出ています。働いている中で辛いことはありますか？という質問に「本に囲まれているだけで幸せです」と話してくれた天野さん。司書の仕事は彼女にとって天職なのでしょう。003volume天野恵さん自分自身のレベルアップが楽しみです天野恵さんのキャリア東御市役所に入社会計課に配属生涯学習課生涯学習係に異動課内異動により図書館係に異動東御市立図書館勤務総合文化学科

## 岩﨑千恵子
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私が役場に就職した理由は、とにかく図書館で働きたい一心でした。私は事務職で入ったため様々な部署への異動があります。どの部署に就いても町民の方の暮らしを守ることが役場の仕事です。私は最初に税務課に配属となりましたが、その後、幸せなことに坂城町立図書館へ異動となり、10年間も勤めさせていただきました。大変ありがたいことでした。私が図書館に異動したときから図書館の蔵書のコンピュータ化と広域ネットワークの導入が行われ、その移行作業に携わりました。また、私の所属していたボランティアグループの方にも協力していただき、子育て支援センターで大型絵本の読み聞かせやパネルシアター、町内や近隣の市町村の保育園や小学校・児童館に出向き「語り」や「手遊び」などを行うなど、自分がやりたいことを存分にさせていただき、私にとって大変充実した時期でもありました。その後、都市・下水道課へ異動となりバラ公園の運営に携わったり、現在は福祉健康課福祉係で児童手当や福祉医療費の受給者証の発行や手当を支給する支給業務を行っています。私は図書館勤務時代にはじめて「語り」に出合いました。「語り」の先駆者で、東京子ども図書館の運営をされている松岡享子さんの「語り」をたまたま聞かせていただく機会がありました。松岡さんの「語り」は昔話に特化するわけでもなく、新しいお話や創作などジャンルも様々で、お話を聞くだけなのですが頭の中にお話の世界の情景が広がり、語り手の思いが伝わってきました。自分もぜひやってみたいと感銘を受けたと同時に、「語り」の世界を多くの子どもたちに知ってもらいたいと思ったのです。絵本だと読み手が絵本を見て読んでしまうので子どもたちの反応がわかりませんが、「語り」は真っ直ぐに子どもたちと向き合うので、ダイレクトに反応が伝わってきます。楽しいお話のときは本当にうれしそうに笑ってくれ、それを見てしまうと、ああ、一緒になって楽しめているなと、その共有感にとてもやりがいを感じます。今は仕事と子育てに追われていますが、少しでも自分の自由になる時間が持てるようになったら、多くの子どもたちと「語り」の世界を楽しみたいと思っています。小さい頃から読書が好きで、本に囲まれた仕事がしたかったという清水さん。高校時代、司書の先生に強く憧れ、司書課程のある上田女子短大に入学されました。図書館司書の仕事がしたくて坂城町役場に入庁。ひたむきに司書の仕事を目指した清水さんにお話を伺いました。PROFILE坂城町出身※。上田市在住。とにかく本が好きで図書館司書の資格を取るため上田女子短大に入学。平成２年に短大を卒業し坂城町役場へ入庁。税務課、坂城町立図書館、都市・下水道課都市公園係、住民環境課住民係を経て現在福祉健康課福祉係主任。図書館勤務時代に出合った「語り」の世界を子どもたちと楽しむのが夢という。※生まれは東京都、小学校のときに坂城町へ転居される。短大時代のレファレンス（参考業務）や目録作成の授業など実務に関係した授業、在学中に付属図書館の蔵書がコンピュータ化されることになり、本の移動やバーコード張りなどを経験したことがとても役立ったといいます。「町民の皆さまが幸せに暮らしていただけるよう、そのお手伝いができれば」という思いで、日々、お仕事をされています。004volume清水絹子さん司書資格を取ってよかった。これがすべての始まり。総合文化学科19901995200020052010清水絹子さんのキャリア上田女子短大を卒業町立図書館へ司書として異動結婚第１子出産子育て（育休取得）5年8か月ぶりに復帰第２子出産坂城町役場に入庁、税務課へ配属庁内に戻り、都市・下水道課へ配属住民環境課へ配属福祉健康課へ配属

## 柴野 萌さん
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私が上田女子短期大学に進学を決めたのは、図書館司書の資格や童話などの創作の勉強がしたかったことと、いろいろなことを学び、視野を広げたいと思ったからです。実際の講義では児童文学や短歌を作る授業がとても興味深く、また茶道の授業が楽しかったのでサークルにも入りました。趣味の近い子たちが集まるので友達もたくさんできました。就活セミナーで受付の手伝いをさせていただいたこともあり、とてもよい経験になりました。それが今の仕事にもつながっていると思います。生島足島神社に勤めるきっかけは、年末年始に巫女奉仕のアルバイトをしたことでした。そのときに巫女の募集をしていることを伺い、応募をしました。ご縁があったのだと思います。巫女は15年ぶりで先輩がいなかったこともあり、お仕事を神主さんに教えていただいたり、自分で本を読んだりして学んでいます。奉職一年目の七五三の時期に痛感したのですが、この期間は御祈禱に来られる方が多くなります。そこで私が急いで事務的に受付をしてしまうと、相手の方にもそれが伝わってしまうのです。そういう時こそ笑顔で落ち着いた対応をし、参拝者の方に安心して参拝していただけるよう心掛けなければいけないと思いました。忙しいときはずっと笑顔でいるということがなかなかできないので、それが常にできるようになるのが今の私の目標です。毎年11月23日に「新穀感謝祭（新嘗祭）」というお祭りがあり、そこで毎年「浦安の舞」という舞を奉納させていただいています。巫女が舞うのは11月なのですが、小学生の女の子に祗園祭と新嘗祭に同じ舞を奉納させないといけないのです。私が入ってすぐの大きな仕事はその女の子たちに舞を教えることでした。周りに舞をする方がいないので、長野県神社庁や穂高神社に研修に行かせていただいたり、舞の教室に行って勉強させていただいています。私は舞を舞うのが大好きです。私はまだ「浦安の舞」しか舞えないのですが、できれば他の舞も覚えて奉納させていただく機会があればと思います。巫女の仕事は長くできるものではありませんが、知らないことをたくさん学ぶことができます。また他では経験できないことが多くあるので、ご縁をいただけたことに感謝しています。生島足島神社では15年ぶりに巫女という職に就いた横山実早紀さん。現在は同級生の蒲原さんと二人で生島足島神社の巫女として、多忙な日々を送られています。横山さんの巫女になられたいきさつと、どのようなお仕事をされているか、聞いてみました。PROFILE横山実早紀（よこやまみさき）さん。上田市出身、市内在住。上田市内の高校を卒業後、平成21年上田女子短期大学総合文化学科に入学。図書館司書資格・児童文学などの授業を中心に学ぶ。平成23年４月、生島足島神社に奉職。現在、巫女職を務める。お祭り・結婚式の奉仕、舞の奉納や御祈禱の受付、お札・お守りの授与、事務と多用な巫女の仕事をこなしながらも、参拝者の方に安心して参拝していただけるように、笑顔で落ち着いて接するよう常に心がけているという横山さん。005volume横山実早紀さん安心してお参りしていただける、そんな巫女を目指して。20112012横山実早紀さんのキャリア上田女子短大を卒業穂高神社へ研修に行く(一週間)「浦安の舞」の練習を始める生島足島神社に奉職小学生(6年生)に「浦安の舞」を教える7月新嘗祭で「浦安の舞」の一人舞を奉納11月「巫女のための神宮研修会」に参加新嘗祭で「浦安の舞」の二人舞を奉納総合文化学科

## 清水睦子さん
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高校のとき、図書関係や小説関係の仕事をしたいと思い、それを学ぶことのできる上田女子短期大学へ進学しました。短大の授業では、ゼミ担当だった佐藤先生の演劇の授業やコミュニケーション論の授業がとても楽しく、今でも覚えています。特にコミュニケーション論とボランティア論はディスカッション形式の授業で、普段話すことのない同級生とも意見を交わすことができました。そこで会話の重要性を知るとともに、それがきっかけで友達もたくさんできました。私は在学中に、演劇の脚本と公演、小説の創作の二つを卒業研究として取り組みました。二つとも友達や先生に手伝っていただき、納得のいく仕上がりとなりました。佐藤先生や演劇サークルの同級生の協力もあり、創作した脚本も無事上演できました。そのことに私はとても感謝しています。本当にいい思い出になりました。生島足島神社への奉職のきっかけは、卒業後、就活の相談に短大の進路サポート室の久保田先生を訪ねたとき、在学当時同じ学科だった横山さんから声をかけていただき、今に至っています。今年で奉職３年目となりましたが、ここに至るまではいろいろ大変なこともありました。ですが、両親や進路サポート室の先生方、神社の職員の方々のご指導、お力添えもあってここまで来れたことに感謝していますし、自分が奉仕することで少しでも恩返しができればと毎日勤めさせていただいています。私は人前で話すことがあまり得意ではありません。巫女のお勤めの中に、結婚式の典儀（司会）や祭典の所役として奉仕する機会があります。まだ緊張することもあるので、もう少し精神的に強くならなければと思っています。また、お正月などにアルバイトで奉仕する巫女さんが入ったときに、きちんと指導できるようになっていたいと思います。緋袴（朱色の袴）は未婚の女性しか着られないという習わしなので、期限は限られています。ですが、この期間にしかできない仕事でもあり、まためったにできる仕事ではないので、逆に面白い経験ができているとも思っています。今は、今を全力で頑張りたいと思います。生島足島神社の巫女として日々務めている蒲原麻衣子さん。どのようなご縁があって巫女のお仕事に就いたのか、また、巫女のお仕事はどんなことがあるのか、いろいろとお聞きしました。PROFILE蒲原麻衣子（かんばらまいこ）さん。御代田町出身、上田市在住。高校時代、いろいろな本に出会ったことがきっかけで図書館司書を目指し、上田女子短期大学総合文化学科に進学。演劇やコミュニケーション論などを学ぶ。平成24年生島足島神社に奉職。現在、巫女職を務める。生島足島神社には二年参り・初詣にはじまり、お祭り、結婚式やお宮参り・七五三など、日々参拝される方がたくさんいらっしゃることに驚いているといいます。「こちらに奉仕して、生島足島神社が改めて有名な神社であることがわかりました」と蒲原さん。参拝者の方にいつも気持ちよくお参りしていただけるよう心掛けていますと話された。006volume蒲原麻衣子さんたくさんの方に支えられていることに感謝総合文化学科20112012蒲原麻衣子さんのキャリア一人暮らしを始める上田へ移住職業訓練を受講上田女子短大を卒業生島足島神社に奉職「浦安の舞」の練習を始める小学生（6年生）に「浦安の舞」を教える7月新嘗祭で「浦安の舞」の二人舞を奉納

## 金勝 咲子さん
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## 小林圭子さん
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## 竹下ゆかりさん
![竹下ゆかりさんの画像](https://img01.ebook5.net/uedawjc1/2013/contents/image/book/medium/image-000036.jpg)

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が、そんな折に一人暮らしだった祖母が亡くなって。「もっと話し相手になってあげれば」と悔やむ気持ちがあり、お年寄りとふれあって気持ちを理解したいと、この世界に飛び込むことを決めました。家族のように接し、尊敬の念も抱く関係当苑は、ある程度身の回りのことはできる方が対象の「軽費老人ホーム」。私は配膳や清掃、着替えの介助やトイレ誘導などを行っています。30代でヘルパーと介護福祉士の資格も取得し、仕事の幅を広げてきました。行事やクラブ活動も盛んで、河川敷でマレットゴルフを楽しんだり、遠足や大忘年会を企画したりと、和気あいあいと楽しんでいます。毎日一緒に過ごす利用者さんとは、家族のような関係です。仲良く接する一方、距離が近いので時には厳しい意見を言われたり、不安をぶつけられることも。私は比較的サバサバした性格なのですが、職員でうまく役割分担しながら気持ちに沿った対応を心がけています。軽費老人ホームは簡単な仕事だと思われがちですが、中には認知症を発症する方もいらっしゃいます。元気だった方が認知症になる、その入り口のケアは一人ずつ違うため難しく、悩むこともしばしば。柔軟な判断ときめ細かい対応を大切にしています。日々、趣味に没頭したり体力づくりをしたりと生き生き過ごす利用者さんを見ていると「私も老後はこんな風に生きたいな」と感じます。施設の菜園で野菜や花を育てている96歳の利用者さんに触発され、私も10年前から畑の一角で野菜を育て始めました。自然に触れ合って体を動かし、気持ちをリフレッシュしています。福祉の世界で20年以上のキャリアを重ねてきた坂井さん。「人が相手」の仕事ゆえの喜びと努力について伺いました。私が在籍していたのは国文科（現総合文化学科）の書道コースです。書道の課題は自宅で一人黙々と取り組むことが多かったですが、大学で大好きだった場所は仲間と集まる図書館。お世話になった長張和子先生、久保田ゆかり先生も交え、色々な話をしたことが思い出深いですね。卒業後はシステム会社を経て、長野市の老人ホーム「豊寿苑」で介護の仕事をしています。母が老人ホームで働いていて仕事の大変さは知っていたので、最初は自分には難しいかと思っていたのですPROFILE坂井美穂（さかいみほ）さん、軽費老人ホーム「豊寿苑」勤務の介護福祉士。上田女子短期大学国文科卒業後、システム会社勤務を経て現在の仕事に。勤務しながらヘルパーと介護福祉士の資格を取得。信州新町出身。坂井美穂さん利用者の気持ちに寄り添う家族のような職員に利用者さんと家族のように気さくに接する坂井さん。日常の仕事は食事の配膳や共用部分の掃除、クラブ活動のサポートや事務仕事など。約50名の利用者さんは自分で身の回りのことができる方が大半ですが、介助が必要な方には部屋の掃除や着替えなどの介助を行っています。いつもきびきびと動き回り、誰かが困っていればさっと柔軟に対応。年に数回、バスで遠出する遠足（写真上）や、みんなで鍋を囲む節分イベント（写真右下）などの行事を楽しみ、親睦を深めています。坂井美穂さんのキャリアシステム会社に就職軽費老人ホーム「豊寿苑」の職員にヘルパー資格取得介護福祉士資格取得職場内の異動で事務職を経験199219931995199720002004総合文化学科009volume

## 天野　恵さん
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と興味のあった「観光」をメインに学んだ２年間は充実しており、今の業務において役立っていることが色々あります。また、茶道やフラワーアレンジメントなどの上田女子ならではの授業も楽しかった思い出があり、先生と学生の関係も非常に良かったため、上田女子で学べたことは良かったと考えています。もっと電車を好きになっていただけるような接客を目指して今、私は主任駅務掛として、切符販売、改札業務、発車合図など駅での業務の全般を行なっています。就職してから10年が経ち、最初は苦労した上田の観光案内もしっかりとできるようになり、ご案内したお客様が帰りに「良かったよ」とか「行ってきたよ」と声をかけてくださるとうれしいですね。また、上田駅に勤務している女性職員は私だけなんですが、入社当時から、私自身よりも先輩職員の皆さんが気にしてくださって……大変良い職場です。女性目線で、気になるところは上司に相談するようにしていて、会社のためにできることはしっかりとしていきたいと考えています。よりいっそう、お客様との接点・コミュニケーションを大切にしながら、駅や駅員が皆様の身近な存在となり、電車を利用したいと思っていただけるように、一生懸命、自分自身の業務にあたっていきたいと思います。上田電鉄上田駅に勤務する職員の中で、ただ一人の女性職員である髙橋文香さん。女性目線のやわらかな接客は、お客様にも人気があります。短大時代に就職先を考える中で、「私は事務職に向いている」と思っていました。それまで、アルバイトでも接客の仕事はしたことがなかったんです。でも、上田電鉄の就職試験を受け、実際に駅に勤務するようになって、接客の楽しさを知りました。毎日、通勤や通学で利用される方、観光のお客様、ときには外国人のお客様もおられ、身振り手振りでご案内することもあります（笑）。上田での思い出が良いものになって欲しいので、上田の入り口である駅に勤務するものとして、私も一生懸命ご案内しています。上田女子短期大学に進学したのは、佐久市にある実家から通うことができ、また、将来の進路について学校に通いながら考えることができると考えたから。毎日電車を３本乗り継いで短大に通っていました。別所線にも２年間しっかりとお世話になっていたんです。また、もともPROFILE髙橋文香（たかはしあやか）さん、上田電鉄別所線上田駅勤務。佐久市出身。佐久市内の高校を卒業し、上田女子短期大学総合文化学科に進学。観光を中心に学ぶ。平成20年4月に上田電鉄株式会社に入社、上田駅に勤務している。髙橋文香さん地域に根付いた、上田電鉄別所線。接客の楽しさを知りました髙橋さんの出発確認の合図で電車が出発。安全管理のために責任ある業務です。髙橋文香さんのキャリア2008.342017.102018.3総合文化学科010volume現在、勤続10年運輸部運輸区主任駅務掛に昇進上田女子短期大学を卒業運輸部駅務掛として上田駅勤務上田電鉄株式会社に就職

## 清水　絹子さん
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短大への入学当初は、不安なことばかりでしたが、同じ学科の友だちと語らい、一緒に授業を受けるうちに、不安は楽しみに変わっていきました。また、課外活動で参加したボランティア活動を通じて、多くのことを学び、たくさんの人と出会うこともでき、多くの経験をとおして、自分自身の成長に繋がったと思います。就職して3年目の現在、ようやくどのように司書として仕事をしていくべきか、少し分かり始めたように思います。これからはもっと経験を重ね、常に学ぶ姿勢でいることを忘れず、利用者の学びや生活の助けになれるような司書になりたいと思います。現在、学校司書として働いている髙山さん。小さい頃から本が好きで、よく学校や地元の図書館に行っていたことから自然と図書館司書を目指すようになったのだそうです。高校時代に進学を考えた際に司書という仕事が自然と頭に浮びました。長野県内で司書資格が取れる短大を探し、二度ほどオープンキャンパスに参加する中で、興味を惹かれたのが上田女子短期大学でした。自分に合いそうだと感じたことが、入学を決めたきっかけです。上田女子短期大学には附属図書館があり、いくつかの演習授業を行いました。実際に図書を使いながら学ぶことで、少しずつ身に付いていることを実感でき、実際の書架の整理の授業は楽しいものでした。この演習授業は働いてからとてもためになっていて、自分でも知らず知らずのうちに、目的の本を探す力が付き、就職した際に役に立ちました。また、パソコンを使って情報検索することも業務上多いのですが、データベースの検索方法なども短大の授業で習っていたので、実務に活かすことができました。PROFILE髙山さつき(たかやまさつき)さん。上田女子短期大学総合文化学科卒業後、学校法人長野家政学園長野女子短期大学に図書館司書として勤務。おもにカウンター業務（貸出・返却など）、選書・発注作業などを担当している。髙山さつきさん学びや生活の助けになる司書をめざして返却などのカウンター業務、書架整理・点検などを通して、司書の業務を学び、実力を積み重ねている高山さん。学生時代に読んだ「海の上のピアニスト」が思い出の書籍なのだそうです。総合文化学科011volume上田女子短大を卒業長野女子短期大学に図書館司書として勤務以降2020年現在まで勤務している20182020髙山さつきさんのキャリア

## 横山実早紀さん
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入社後は予約対応やお客様のお迎え・お見送りなどのフロント業務と、客室でサービスするルーム係を兼任しました。結婚し、第一子を授かったのが入社10年目のこと。当時は社内で産休・育休を取得した前例がなく、女性社員は出産を機に退職する方がほとんどでした。でも私は出産後も仕事を続けたい気持ちがあったので、社長からも背中を押していただいて社内初の産休・育休を取得。それ以降、産休・育休を取りやすい社内環境ができました。育休明けの復帰は週2〜3日勤務から少しずつスタートし、仕事もフロント業務中心に絞りました。それまで子どもの世話に追われて自分の時間がない生活だったので、仕事に戻ったことで１日の中で気持ちが切り替わり、心のバランスが取れるのを実感しましたね。徐々に勤務時間を増やしつつ、保育園の送迎に合わせて時短勤務を続けました。今は子どもたちが大きくなったので平日の朝9時から夕方5時まで勤務し、土日はお休みをいただいています。子どもを産んでから、自分の仕事に対する価値観の変化を感じます。出産前は、若さもあったから常にアクセル全開。全力で働き続けることに充実感を感じていましたが、今は全体を見て、力を抜くところは抜くようにしています。そうしてバランスを取らないと、育児と両立していけないですから。後輩を指導する立場でもあるので、全体を俯瞰する視点も大切にしています。こうした働きやすい環境を整えてくれる会社に恩返ししたい気持ちがあり、子どもがもう少し大きくなったら、忙しい夜の時間帯もフルで勤務できるように体制を戻すことも計画中です。とはいえコロナ禍の今は、宿泊業界にとって苦難の連続です。2020年春は予約キャンセルが相次ぎ、やむなく１カ月休業を決めました。その間も社内で幾度も相談し、感染対策をどこまで行うか、ウィズコロナ時代にどのようなサービスを提供すべきかなど、試行錯誤を繰り返しました。営業を再開した時は、嬉しい反面「お客様はどんな気持ちで来られるのだろう」と不安が大きかったですね。そんな中で一番嬉しいと感じるのは、お客様が帰られる時の「良かったよ」という言葉。私たちスタッフも本当に「良かった！」と思いますし、「いつかまた来ていただきたい」と心から思います。別所温泉の人気旅館に16年勤務する木藤さん。社内初の産休育休取得、時短勤務でライフスタイルに合う仕事環境を整え、好きな仕事に邁進しています。実を言うと私、高校卒業後は就職しようと考えていたんです。けれど担任の先生に「学べるのは今だけだよ」と言われたことが心に響き、奨学金を使って進学しようと決めました。高校時代から好きだった小説について学びたいと、上田女子短期大学の日本文化学科（現・総合文化学科）に進学。ゼミで小説を創作して先生に添削していただいたり、小説を読み込む演習をしたりと、好きな世界をより深めることができました。現在の自分に生きていると感じるのが、短大で上田の郷土史や方言について学んだ経験です。学生時代から旅行が好きだったので、「将来は上田で観光業に携わりたい」と考えるようになったのですが、自分の地元ながら歴史や文化のことは意外と知らないもの。大学でじっくりと学んだからこそ、念願の旅館で働くようになった今、お客様にしっかりお話ができていると思います。PROFILE木藤由佳（きとうゆか）さん。上田市出身、在住。上田女子短期大学日本文化学科（現・総合文化学科）卒業後、「信州別所温泉旅館上松や」入社。現在は宿泊管理部の予約係長を務め、フロント業務を中心に担当。二人の育児と仕事を両立している。木藤由佳さんお客様の笑顔を励みに、旅館業務と育児を両立012volumeお客様お一人おひとりの気持ちを大切にされている木藤さん。すべてはお客様のために、女性として母として、できる限りのことを笑顔でハキハキと精一杯頑張っていらっしゃるその姿は、とても輝いていました。総合文化学科上田女子短大を卒業信州別所温泉旅館上松や入社。フロント業務とルーム係を兼務１年間の育児休暇１年間の育児休暇20042012201320142018入籍挙式第一子誕生第二子誕生木藤由佳さんのキャリア

## 蒲原麻衣子さん
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定した地域の発展をグループ別に考察するワークショップ形式のこの講義を通じて、「地元と関わり貢献できる仕事をしたい」と強く思うようになり、妙高市役所に入庁しました。現在は市民税係の窓口を担当していますが、ブライダルの授業で学んだ「おもてなしの心を大切にする」というホスピタリティの精神は活かされており、短大時代に学んだことは決して無駄になっていないと実感しています。ただ学生時代は納税とは無縁だったため、税金の成り立ちや使い道など学ぶべきことも多く、また訪れる市民の方にわかりやすく説明するためには幅広い知識も必要なので、本を読んだり先輩たちの姿を見て勉強する毎日です。特に税務課の業務は多岐に亘っているため、電話対応や窓口対応が良い先輩を観察して真似ることで積極的に仕事に慣れ、業務範囲を広げることに努めました。市役所というとどうしても堅苦しいイメージがありますが、これからもずっと市民と携わっていくこの職場で名前を覚えていただき、「この人がいるから訪ねたい、話したい」と気軽に立ち寄ってもらえる職員になりたいと思っています。妙高市役所市民税務課市民税係の職員として、税金の賦課徴収に従事する久保埜さん。もともとめざしていたウェディングプランナーから現在の仕事へと進路変更をした転機、そして将来の夢をお聞きしました。中高生の頃、親戚や兄弟の結婚式に参列する機会が多く、初めてウェディングプランナーという仕事を知りました。「一生に一度のイベントであるブライダルのお手伝いができるなんて本当に素敵で格好いい」と憧れて専門科目がある学校を探し、本校への入学を決意。入学後は授業だけでなく「ＭＩＰ」というブライダルサークルにも入り、学園祭や老人福祉施設でファッションショーをやったり、オープンキャンパスで高校生に模擬挙式を披露したりと、どっぷりとブライダルの世界にはまっていました。衣装やプランなど1から作り上げるのは大変でしたが、短大生活で一番の思い出となっています。しかし、それらの日々の中でブライダル関係とは異なる授業も多く受けました。そのひとつが、現在の仕事をめざすきっかけとなった地域活性化の授業。仮PROFILE久保埜優（くぼのゆう）さん。上越市出身、妙高市在住。上越市内の高校を卒業し、平成21年上田女子短期大学総合文化学科に入学。ウェディングプランナーをめざしブライダル関係の授業を中心に学ぶ。平成23年4月妙高市役所に入庁。現在、市民税務課市民税係の窓口を主に担当。確定申告の準備が始まる年末から住民税の賦課が始まる6月までが繁忙期。市役所では確定申告の臨時窓口の役割も果たしており、1日200人もの市民が来庁するため、その対応に追われます。また過納税額の確認に訪れる人も多く、中には公務員に対して反感を抱いている人も。その際の対応には短大で勉強した「人と対応する際の接し方」が役立っていると言います。※一緒に写っているのは、短大の先輩である望月映里（もちづきはゆり）さん。久保埜優さん市民に身近に感じてもらえる職員になりたい201120122013久保埜優さんのキャリア妙高市役所市民税務課市民税係入庁総合文化学科001volume新潟

## 小泉藍香さん
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スペシャリスト育成ということで、いろいろな資格を取っているのですが、今のほうが学生の頃より勉強していることに驚いています。正社員として女性が勤め続けるには避けては通れないことなので、社会はきびしいなとも思っています。でも、資格を取ることは励みにもなります。辞めてしまえば何にもならないものなのですが、資格の欄がどんどん増えていくと預金通帳の残高が増えるのがうれしいみたいな感じがするのですね。前に、「この資格を取っても、実際に生かせないこともありますよね」と上司の方に言ったことがあるのですが、「でも知識を持っているという目安にはなるよ」と言われ、「ああ、そうですよね」と、納得したことがありました。夫の義母はずっと勤めていた方なので、私を応援してくれます。私が仕事をしやすいようにしてくれ、息子の面倒もとてもよく見てくれます。女性が仕事を続けるというのは本当に難しいと思います。支えがないと長い間勤め切るというのは無理だと実感しています。義母に大変感謝しています。これからも一日一日を頑張っていきたいと思います。私が入庫した頃は信用金庫といえば女性は結婚したら退職で、職場は20代の若い女性ばかりでした。私も漠然と4、5年したら辞めるんだろうなと思っていたのですが、それが私の25、6歳の頃から結婚しても辞めない方が職場で増えてきたのです。私は出産を機に辞めようと思い、10歳年上のとても頑張っている女性の先輩に相談してみたところ、「辞めるのはいつでもできるのだから、とりあえず続けてみたら」と言ってくださいました。その時、「こうして引き留めていただいたのだから、甘えて続けてみようかな」と初めて思ったのです。先輩方が結婚して出産しても勤めるという道を作ってくれたので、私はその後ろをついて、一緒に道を歩ませていただいたという感じです。私がもっと早くに入っていたら辞めざるを得ない環境だったろうと思います。気がつけば勤続22年になっていました。事務の仕事は好きですし、窓口も楽しいときもあります。ただ、時代の流れで今は営業もしなければなりませんので、その日のノルマをこなしていくのに精一杯です。正職員だったらもっと積極的に！と日々叱咤激励されています。国文科（現総合文化学科）卒業後、金融機関に就職。結婚退職という時代から女性が社会進出していく過渡期を、同僚の女性たちとともに開拓しながら働き続ける井部さんの凛とした姿に22年のキャリアを感じました。私は小さい頃から国語がとても好きだったので、上田女子短期大学の教職課程で国語の先生を目指していました。ところが、教育実習で実際に授業をさせていただいたとき、現実を突き付けられたのです。自分の実力のなさに本当に情けなく、自分は教職には向かないとそのとき実感してしまいました。教育実習をきっかけに進路をもう一度考え直し、そして、金融機関の高田信用金庫に就職しました。PROFILE井部和子（いべかずこ）さん。上越市出身。上田女子短期大学卒業後、高田信用金庫に入庫。2004年合併、上越信用金庫となる。現在、勤続22年目。短大時代、寮での生活がとても楽しかったそうで、寝食をともにした寮の友達とは就職後も行き来があったとのこと。そのときにできた人の縁は宝物だという。上越市在住。趣味の社交ダンスは、窓口にその教室の先生が口座を作りにきてくれたことがきっかけで始めたそうです。やってみたら本当に楽しくて、まるで部活のように励んだといいます。試合にも出場し、県で３位になったこともあるとか。得意なのはスタンダード。「今は少しお休みです。子育てが終わって、少し自分の時間が持てるようになったら、またやりたいです」と話してくれました。002volume新潟井部和子さん22年間勤め切れたのは支えてくれた義母のおかげ。総合文化学科19901995200020052010井部和子さんのキャリア上田女子短大を卒業結婚長男出産。1年間育児休暇高田信用金庫に入庫職場が合併し、上越信用金庫となる職場に復帰現在勤続22年

## 小林 尚子さん
![小林 尚子さんの画像](https://img01.ebook5.net/uedawjc1/2013/contents/image/book/medium/image-000042.jpg)

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## 坂井 美穂さん
![坂井 美穂さんの画像](https://img01.ebook5.net/uedawjc1/2013/contents/image/book/medium/image-000043.jpg)

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## 髙橋文香さん
![髙橋文香さんの画像](https://img01.ebook5.net/uedawjc1/2013/contents/image/book/medium/image-000044.jpg)

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## 高山さつきさん
![高山さつきさんの画像](https://img01.ebook5.net/uedawjc1/2013/contents/image/book/medium/image-000045.jpg)

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## 木藤由佳さん
![木藤由佳さんの画像](https://img01.ebook5.net/uedawjc1/2013/contents/image/book/medium/image-000046.jpg)

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## 池田有沙さん
![池田有沙さんの画像](https://img01.ebook5.net/uedawjc1/2013/contents/image/book/medium/image-000047.jpg)

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## 平沢明香さん
![平沢明香さんの画像](https://img01.ebook5.net/uedawjc1/2013/contents/image/book/medium/image-000048.jpg)

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## 久保埜　優さん
![久保埜　優さんの画像](https://img01.ebook5.net/uedawjc1/2013/contents/image/book/medium/image-000049.jpg)

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## 井部和子さん
![井部和子さんの画像](https://img01.ebook5.net/uedawjc1/2013/contents/image/book/medium/image-000050.jpg)

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## 川村 多香子さん
![川村 多香子さんの画像](https://img01.ebook5.net/uedawjc1/2013/contents/image/book/medium/image-000051.jpg)

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