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# 株式会社UCHIDA 55周年記念誌

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55!を抱き、明日に向かって進むＵＣＨＩＤＡ挑戦の歴史夢ＵＣＨＩＤＡ挑戦の歴史GO!GO!55thAnniversary

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沿革1968■埼玉県入間郡大井町にて造形物製造を個人創業（内田工芸）■複合材による試作業務開始1974■大型部品・造形物及び量産に伴い川越市下赤坂新工場へ移転1984■２輪レース部品の試作取引基本契約締結1987■大型車両部品の量産を開始1993■エアロパーツ開発及び製造開始1998■工場拡大のため、大井武蔵野へ移転1999■中型オートクレーブ導入（２輪関連ACM成形開発開始）200220032004■各車種各成型によるモーターショーモデルに着手2005■航空機関連部品開発着手■２輪・４輪・航空機にわたる事業部制によるシステム開始■次世代自動車及び防衛航空機の各国家プロジェクトに参画2006■株式会社UCHIDAに社名を変更し複合材料によるOneStop企業として営業開始■製造会社として有限会社内田工芸を新たに設立■内田敏一が株式会社UCHIDAと有限会社内田工芸の社長に就任2007■第２工場を三芳町に設立（現：本社工場）■【航空宇宙部門】JISQ9100／JISＱ9001認証取得2008■経済産業省より「元気なものづくり300社」受賞2009■埼玉県上田知事とことん訪問■宇宙部品国内最大級の成形加工に着手2010■複合材設計解析導入・産業労働企業委員会視察訪問2011■ＨＲＣオフィシャルスポンサーとしてサポート契約■経営革新計画承認■海外ヘリコプターメーカーに試作部品初納入2012■有限会社内田工芸を株式会社UCHIDAに統合201320142015■「COMPAMED2015」国際医療機器展技術・部材展出展2016■代表内田、大学院卒業・博士号（学術）取得■フランス・パリ開催の複合材料業界で世界最大の展示会JECWorld2016「BetterLiving」部門AWARD受賞■ホンダ・レーシング社より開発協力賞品質の部において優秀賞表彰2017■埼玉県より「世界への挑戦」部門埼玉グローバル賞受賞■埼玉県親善大使に任命■医療機器等試作品コンテスト「技術賞」受賞2018■埼玉県より「彩の国経営革新モデル企業」に指定■埼玉ちゃれんじ企業経営者表彰「埼玉産業人クラブ会長賞」受賞■創立５０周年を迎える■経済産業省より「地域未来牽引企業」に選定201920202021■ダイモン社「月面探査車：YAOKI」プロジェクト業務提携契約締結■東京2020オリンピック聖火リレー「二足歩行アシスト装具」装着歩行で世界へ発信■teTraaviation社【Mk-5】EAAAirVentureOshkosh2021に出展2022■４輪試作・開発部品取引基本契約締結によりＦ１試作開発着手■ＮＣ加工機に伴う設備及び測定機器導入のため第２工場を拡張■大型・小型オートクレーブ設備導入及び第２クリーンルーム開設■ＳＵＰＥＲＧＴ及び国内外レース用部品開発着手■創立４５周年を迎える■国際パリエアショー初出展■先端複合材料のプレス成形システム導入■VolkswagenGroup監査合格■世界に向けてAgustaWestland社のローターブレードを発表■ＩＨＩエアロスペース社より優良企業として表彰■代表内田、博士号取得に向けて大学院入学■AgustaWestland社のProjectZeroTeamがGroverE.Bell賞を受賞（UCHIDAは16サプライヤーの一社として参加）■米Lamborghini研究所（ACSL）と共同研究開始■子会社【UCHIDAUS】をワシントンに設立■全国健康保険協会埼玉支部より「健康優良企業」に認定■teTraaviation社「空飛ぶクルマ」プロジェクト業務提携契約締結■埼玉県より「シニア活躍推進宣言企業」に認定■teTraaviation社「GoFly」にてPratt＆WhitneyDisruptorAward受賞■経済産業省より「健康経営優良法人2020」（中小規模法人部門）に認定■経済産業大臣より「事業継続力強化計画」に認定■埼玉県より「埼玉県健康経営実践事業所」に認定■埼玉県より「埼玉県SDGsパートナー」に登録■ＩＨＩ社より年間サプライヤー賞として表彰■埼玉県より「多様な働き方実践企業」に認定2023■経済産業省より「健康経営優良法人2023」（中小規模法人部門）に認定■オリジナルブランド「iR9」の立上げ。自社開発カーボン製インソール「BAKUSOLE」販売開始■創立55周年を迎える2024■経済産業省より「健康経営優良法人2024」（中小規模法人部門）に認定［敬称略］※機密保持のため一部イメージ写真を使用しております

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Prologue株式会社UCHIDAは1968年の創業以来、扱う主素材を繊維強化プラスチック（FRP）から炭素繊維強化プラスチック（CFRP）へと変えながら、「高精度・高耐熱・高品質」を提供することにこだわり続けてまいりました。そして2023年10月1日、創業55周年を迎えることができました。多くの皆様の喜びと感動に携われたことを嬉しく思い、これまでたくさんのご縁を頂戴しましたこと心より感謝申し上げます。UCHIDAには個性豊かな仲間が集まり、だからこそイノベーションを創出できるのが強みです。「複合材料の技術革新を起こし、世界に感動の輪を広げる」というパーパスを実現すべく、その根底にあるのが企業理念の「共存在企業」です。すべてのステークホルダーと手を取り合って新価値を創造していく。そのためにワークエンゲージメントの向上にも取り組んでいます。また、UCHIDAの開発テーマである「新素材・新設計・新技術」やサスティナブルな取り組みなどを通じ、陸・海・空、そして宇宙へ、世界に感動の輪を広げたい。そのゴールがどこに何年先にあるのかはまだ分かりませんが、更に前へ歩みを進め、そのようにありたいという強い思いを55周年記念ロゴに込めました。「月へ！55（Go!Go!）」株式会社UCHIDA代表取締役社長内田敏一01

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恐怖のマネキン!?敏一の幼少期02

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飲み屋街の帝王・俊雄の奇跡＜うっちゃんのターニングポイント＞04

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UCHIDA55年の軌跡05

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敏一の野望!オートクレーブを手に入れたい!06

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UCHIDA55年の軌跡07

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ピンチがチャンス!大チャンス!08

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UCHIDA55年の軌跡09

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敏一、海外へ挑戦!10

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盆栽!花開く!12

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UCHIDA55年の軌跡13

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止まらない挑戦!未来への想い!14

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なんとJECWorld2016INNOVATIONAWARD受賞！16

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UCHIDA55thSince1968~父、内田俊雄（以下、会長）は、元々デパートの装飾や洋服を陳列する棚などを扱う会社で営業を担当していました。その仕事の中でマネキン人形増加の一途を目の当たりにし、一念発起。退社して２～３年修行を積み独立すると、1968年にマネキン人形の製作を主体とした内田工芸を創業しました。その翌年、内田家の長兄として私、敏一が誕生。今思えば、創業初期の一番苦しい状況にある中で生まれたのは、両親にとって“誤算”だったかもしれません。しかし、もちろん裕福ではありませんでしたが、私にはそれほど「苦労した」という記憶がありません。そこには、会長が本当の苦労を経験してきた人だったから、「自分の息子には……」という思いもあったのでしょう。会長は三男坊で、父を戦争で早くに亡くしています。経済的な問題もあり、長男は大学、次男は高校へと進学できましたが、三男である会長は昼間働きながら夜間の高校に通っていました。幼少期はリアカーを引いて肥やしになるものを運んだり、牛乳や新聞配達をしながら学費を稼いだと聞いています。私は幼少の頃、自宅の庭にある青空工場でマネキン人形を作る会長の背中を見て育ちました。マネキン人形はガラス繊維などの複合材（FiberReinforcedPlastics＝FRP）で作られています。当時の私はFRPの破片をミニカーに見立てて遊んでいたりしました。ある日のエピソードとしては、FRPのお菓子サンプルを会長から渡されて「チョコレートだよ」と言われて受け取り、喜んでかじりついたことも……。当然、噛めるはずはなく、そんな私の姿を見て両親は笑っていた記憶が今でも鮮明に残っています。チョコレートだと思ってかじりついた私は、相当痛かったんですけどね（笑）。創業期マネキン人形の製作が株式会社UCHIDAの原点苦労人だった尊敬すべき父創業開始当時の会長幼少期はマネキンが恐怖の存在当時の私は、FRPを削る粉塵がキラキラと宙に舞う環境の中に育ち、薄暗い倉庫に並んだ出荷前のお化粧したマネキン人形を見ては恐怖を感じ、「絶対、この仕事は継がないな」と思っていました。それも今となっては、良い思い出です。Since1980~２輪レース部品の試作品製作を開始炭素繊維（カーボン）との出会い機密性が高い、メーカー系の仕事内田工芸はその後、マネキン人形に加えてデパート屋上の乗り物、店頭前に飾られるキャラクターなどの造形物製作へと業務を拡大していきます。1974年にはそれまでのアトリエから、借金をして川越市下赤坂に30坪の自社工場を築きました。当時はボーリングブームということもあり、看板代わりの大きなボーリングピンも製作していました。これらの造形物製作は、1998年まで続いていきます。内田工芸に転機が訪れたのは1980年。会長はお酒が大好きで、夜遅くまで残業をした後、毎日のように街へ飲みに行っていました。すっかり地元では有名人。繁華街の人が私を見て、「内田さんのところのせがれかい？」なんて、よく声をかけられたものでした。その血は少し、私も引き継いでいるようです（笑）。そして、会長が飲み屋でいつも顔を合わせる人が、偶然にも某Ｈ社の２輪レース関係の方でした。そこで仕事の話になり、「カウルをアルミ製からFRP製に換えようと思う。一度、工場を見せてくれませんか」と。工場を見たＨ社の方は、驚いたそうです。FRPを削った粉が白く舞う工場、シャッターは開けっ放しで外から丸見え。とくに機密性についてが問題でした。メーカー系、レース系の仕事は、ライバル社に情報が漏れないようにする必要があります。そのためには、外から見えないようにしなければならない。それらの指摘を少しずつ改善していきました。そして1980年から、２輪レース部品の試作品製作を開始します。試行錯誤だった初めてのカーボン製作その後1983年、Ｈ社から「カーボンでカウルを造って欲しい」という打診を受けます。当時はカーボンが出始めの頃で、まだ日本では取り扱いがほとんどない時代でした。会長は都内の商社にお願いし、なんとかカーボン繊維を入手。当時は50ｍ巻き１本で約100万円もしたそうです。それで手始めに、試行錯誤しつつも１台分を必死になって製作して納品しましたが、２ヶ月ほど連絡がありませんでした。半ば受注を諦め、残った高価なカーボン繊維の使い道に困惑していたところ、一本の電話……。そして、受話器の向こうから「是非ともよろしく頼む」という声が!!これが、同社が現在扱う主素材である炭素繊維との出会いです。なお、Ｈ社とはこの翌年に２輪レース部品の試作取引基本契約を締結、2011年にはHRC（ホンダ・レーシング・コーポレーション）のオフィシャルパートナーとなり、弊社の最大の顧客先基盤として現在に至っております。*p1アルミ製カウルからCFRP製カウルへ～炭素繊維との出会い機密を意識した新社屋18※p1:日本中で有名な看板を大型受注

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Since1993~エアロパーツ開発及び製造開始エアロパーツ製作で学んだ技術と品質へのこだわりカーボン製のNSX用リアウイングを製作家出、そして１ヶ月遅れの専門学校卒業さて、当時の私についてですが、1988年に地元の高校を卒業後、専門学校の東京デザイナー学院・工芸工業デザイン科に進学しました。私は小さい頃から図工、美術、技術の成績は良く、絵を描いたりモノを作ったりというのが好きでした。他の教科の成績は……聞かないでください（笑）。高校時代はバイクに明け暮れ、会社を継ぐのか悩みつつ、とにかく好きなデザインを学ぼうと思っての進路でした。そして東京デザイナー学院の卒業を間近に控えた1990年２月、その時に知り合った妻との間に子どもができ、当然のことながら両親に猛反対されて勘当同然で家を出ます。洋服だけを詰め込み、手持ちは１銭もなし。知り合いのつてをたどり、住み込みで働ける横浜へ。こんな状態でしたから、卒業式には出られませんでした。それどころか、卒業制作を提出したものの、論文発表の修正を残したままの状況。友人から先生が心配していることを聞かされ、仕事先から先生に学校に行けない理由を話すと、「紙と鉛筆ぐらいは買えるか？それで作文を10枚書けば、卒業扱いにしてやるから頑張って卒業しろ！」と。同級生から１ヶ月遅れの４月、先生のご好意により卒業証書と手紙が送られてきました。建築現場で修行した社会人の心得一にも二にも大好きだったバイク少年時代週末は奥多摩にツーリングへ家を出てからは、日夜を問わず働き詰め。仕事は建築関係、当時はバブル時代ですから仕事は余るほどにありました。ひょこっと入社した若造を、懇切丁寧に育てていただいたことに感謝。今の私があるのも、あの時に根性を叩き直してもらえたおかげなのではないかと振り返ります。早朝の礼儀、段取りに技術、果ては世渡りまで、社会人として生き抜く修行をさせてもらいました。その後は晴れてひとり請け負いとして、あっという間に何百万円と稼げた時代です。そして1992年、ちょうど横浜のランドマークタワーを現場にしていた頃、両親から「戻ってこないか」と連絡がありました。その理由は、会社を息子に継がせたいからではなく、「可愛い孫に毎日会いたいから」（笑）。２輪だけでなく、４輪の仕事もしたい！そんなことがあり1992年４月、内田工芸に入社します。親子とはいえ新入社員、初任給は14万5000円から始まりました。それまでの贅沢癖が抜けず、週末に寿司や焼き肉を食べ続けていたら貯金も底をつき、新聞配達のバイトを掛け持ったこともありました。でも、新聞配達中に事故に遭ったのを機会に、それからは本職１本で行こうと誓います。私は乗り物が好きでしたから、２輪だけではなく、４輪の仕事もしたいと考えていました。偶然にも当時は４輪のエアロパーツブーム。私から会長に「エアロパーツの製作をやりたい」と申し入れました。しかし、エアロパーツの製作は利益が少ない。会長としては渋々だったようですが、それでも了承を得ることができ、1993年よりエアロパーツ開発及び製造を開始します。衝撃を受けた“見えない部分”の美エアロパーツの製作を請け負う中で、チューニングカーやドレスアップカーの総合展示会である東京オートサロンを訪れた時、後に私の師匠となるＣ社のＮ社長と出会いました。Ｃ社の手がけたエアロパーツは、とにかく美しい！当時のエアロパーツは、裏側なんて切った貼ったで汚らしいのが通常。ところが、Ｃ社の製品はどれをとっても裏側まで綺麗なのです。初めて見た時は正直、私が今までやってきたことに恥じらいを覚えるほどのカルチャーショックを受けました。その技術を勉強したいと思い、Ｃ社からもお仕事をいただけるようにお願いしました。仕事を請けられるようになった当初は、ダメだしの連続です。そう簡単にはいきません。たとえば５つの製品を納品して、その中の１箇所でもNGが出れば、すべてを持って帰らなければならない。それを幾度も繰り返しました。クオリティの高さで有名なＣ社には、全国から仕事をくださいと同業者が列をなすのですが、皆その求められる厳しさについていくことができないほどです。最後まで続けられたのは、Ｃ社から独立された数社と弊社だけ。この時に学んだ技術、品質へのこだわりは、今なお弊社に受け継がれています。会長の事業量を少しずつ上回る頃、専務に昇格無我夢中にエアロパーツ製造に打ち込む、小生それまでの３倍の広さとなる新社屋を親子ローンで購入

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UCHIDA55th20Since1999~中型オートクレーブ導入２輪レース用CFRPパーツへの着手良い時こそ立ち止まらず、その先へ！1998年には、将来性を見越した決断で第二工場を旧本社工場（現倉庫）脇に拡張しました。マネキンの製作からスタートした弊社ですが、1980年からの２輪レース部品試作品製作、1993年からのエアロパーツ製造を経て、この時には２輪・４輪パーツ製作が主体となっていきます。しかし、エアロパーツブームがいつまで続くのかは、誰にもわかりません。「良い時こそ次のことをやりたい」と考えた私は、会長に新たな提案をします。それがオートクレーブの導入です。オートクレーブとは圧力釡のような装置で、炭素繊維と樹脂を加圧と加熱して硬化させることで、鉄よりも強くて軽い、炭素繊維強化プラスチック（CarbonFiberReinforcedPlastics＝CFRP）を高精度で成形できます。弊社ではそれまでにも炭素繊維（以下、カーボン）を扱っていましたが、オートクレーブ成形のものとはまったくの別物。オートクレーブで成形しないカーボン製品は俗にウェットカーボンと呼ばれ、成形方法はFRPと同様であり、FRPよりも強度の高い製品を作れますが、一般的にドライカーボンとも呼ばれるCFRPに比べると、性能差は歴然としています。CFRPの特性が優れていることはわかっていても、経営責任者である会長にとって、会社・社員のことを考えれば、導入に躊躇するのは当然です。しかも当時、弊社が使用する繊維はFRPが９割、カーボンはまだまだ少なく１割程度の時でした。そのような状況下で、何千万円もする設備を導入できるはずがない。そして1999年、肩書きこそ専務取締役となっていた息子の提案に、会長は聞く耳を持たず。それでも諦めきれず、直談判がダメなら、会長が最も信頼する当時の工場長（現、シニア技術指導員）をくどくことに……。そしてついに、「工場長まで敏一に感化されたか」と、会長からしぶしぶOKを取り付けました。営業、成形、製造に邁進オートクレーブ１号機の導入風景徹夜明け、自慢の完成品オートクレーブの日夜３回転運転は当たり前目的を掴んだ喜びは、果てしなく大きい当時、弊社の売上が１億8000万円だった頃、オートク万円を投資しました。現在、経営に携わる身となって思えば、会長の思い切った決断を尊敬するとともに、今の私にその勇気があるかも問われるところです。オートクレーブについては教科書も参考書もない素人同然からのスタートですから、同業他社から心配の声を浴びることもありました。それだけの投資ですから、会長には毎日のようにプレッシャーをかけられ、こちらも寝ずに私と従業員の３人で黙々と取り組んで挑みました。試行錯誤に創意工夫、諦めない気持ちで闘い続け、トライ＆エラーを何度も繰り返すことでノウハウを蓄積できた頃、モーターショーへ足を運びました。ステージに飾られた世界を代表する日本のバイクメーカーがひしめく中、ちょっとマニアックな角度でカウル裏側の構成を見比べてみると、やはりＨ社のクオリティが際立って高いことに気が付きます。これはＨ社から合格をもらえれば、どこからでも仕事をもらえるなと確信しました。最初はステー類などの小さな部品から始まり、少しずつ形状が大きくなる部品にOKサインをいただけるようになり、晴れて１年以内で夢のカウル受注もできるまでに成長しました。自分たちが造る最初の目的を掴んだ喜びは、今でも深く記憶に刻まれています。Since2003~大型オートクレーブ導入GT、F1、４輪レースの世界へCFRPボディのNSXが夢への架け橋に中型オートクレーブ（１号機）の導入後は、１年目で２輪の仕事を獲得。翌年の2000年には私の野望が過熱し、誰も成輪分野での偉業に挑戦したくなりました。バイクもクルマも無性に大好きなものですから（笑）。そこで、自分が乗りたかったというのもあり、日本を代表するスーパーカー、ホンダNSXの中古車をマイカーローンを組んでの購入を前提に、会長に恐る恐る直談判の作戦開始。材料と場所の提供をなんとかお願いし、条件として会社の負担にならないよう、就業時間後に有志の従業員と一緒にCFRP製ボディの製作を始めました。最初は会長にとって半信半疑だったのでしょうが、いつの日か「仕事としてやってみろ」と天の声がかかり、明け方まで作業が続く日々を送ります。それから２ヵ月が過ぎてカタチになりつつある頃、会長がＨ社の方とコーヒーを片手に談笑の中、「またバカ息子が何か始めちゃったよ」と話をする。それを聞いたＨ社の方が、「面白いね。できたら是非持っておいでよ」と。

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早速会長の後に続き、ボディをCFRP化したNSXを乗って行くと、予想もできないようなことが起き始めました。白い上下の作業服を着た研究所の方々の群れがだんだん大きくなり、興味津津に質問ラッシュ……。その中で一番高い地位にある方からは、「明日、これを栃木研究所（栃研）に持って行ってごらん」とのこと。初めて栃研へと向かうハンドルを握る手は、いつもにないほど汗ばみました。とても大きな門をくぐり、ガチガチになって覚束ない足取りで担当者のところへ。NSXを見てもらうと、「これはスゴイ！みんな来てみろ!!」。次々と案内を受けていくつもの部署を巡り、最後にたどりついた先が夢のモータースポーツ部門。「これが世界最高峰のF1開発者の方々……」。あの時は緊張が最高潮に達し、詳しいことは覚えていません。記憶にあるのは、その中のおひとりからかけられた「内田工芸さんでしょ。お父さんには２輪の時にお世話になりました。どれどれ……。よし、明日からF1をやりませんか？」という言葉でした。「夢をカタチに」好きなことに打ち込むのがただ好きだった何事も前向きに“継続は、チカラなり”気がつけば2002年、弊社はＨ社と４輪試作・開発部品取引基本契約を締結し、F1の試作開発に着手します。初めて試作サンプルのオーダーが入った時は、無我夢中で取り組んだことを鮮明に覚えています。会長からは「一度話した手前、Ｈ社も悪いと思って試してくれているけど、そう簡単にF1に携われるものではないぞ」と。当たり前のことです。是正こそあったものの、「ここを改善できれば合格だよ」という、助言と応援の声を忠実に守り、評価をいただいた時には嬉しくて、すぐにＨ社のF1バッグとブルゾンを買いに行きました（笑）。そして１号機導入から４年後となる2003年には、大型オートクレーブも導入。これには少し裏話があるのですが、会長が病床に臥して翌日が手術という時に、「おい、敏一！一番大きいオートクレーブを買ってこい」と言うのです。オートクレーブの導入に、あれほど反対していた会長が……。そオートクレーブ3号機の時は病人の戯言かと思いましたが、その後、私が経営に携わるようになって聞いたところ、「実は、１号機は３年で償却できた」と会長。その事実には少し戸惑う気持ちもありますが、つくれる喜びで昼も夜も関係なく我武者羅になって取り組む毎日が楽しく、それを続けてきたからこそ、今があるのだと思います。何事も前向きに“継続は、チカラなり”ということですね。GTの場で身に付いた品質とスピードの両立2003年には、SUPERGTをはじめとした国内外のレース用部品開発にも着手。GT車両は当初Ｈ社のみでしたが、Ｔ社、Ｎ社ともお付き合いさせていただきました。そのきっかけとなったのが、弊社元部長とエアロパーツ製作の繋がりにより、レーシングチームＫの社長をご紹介いただいたこと。無口で強面の方でしたが（笑）、通い続けると「今度Ｔ社にその（CFRPボディの）NSXを持ってきてよ」と。Ｔ社へ行くと今度はカーキ色の作業服の方々に囲まれ、戸惑いを隠せぬまま早速打ち合わせへ。その時、レーシングチームＫの社長に一本の電話がありました。「どこかにカーボン屋はいないかな？」。「ちょうど目の前にいますよ」。……私のこと!?電話が終わると、打ち合わせを途中に奥の大きな会議室へと場所を移します。中に入ると、何となく重い空気。電話の内容は、主要取引先である複合材の造形会社に、通常の半分の納期でお願いしたところを断られてしまい困っているとのこと。「内田君のところでは、できる？」。あの時の、喉が渇く緊張感をいまだに忘れられません。願ってもいないチャンスではあったものの、私の一存では早々答えられません。「すぐに、社に確認いたします！」。頼れる従業員に電話すると、「いいじゃないですか、やりましょう！」という力強い返答。会議室に戻り、話を進めました。というより、即刻進めないとできるわけがない。半分の納期ということは、寝ずの１ヶ月半でやらなければならないのです。そこまでの短期間はお互いに経験がないことから、「できるはずがない」という声も聞こえてきました。しかし、それはいつしか応援の言葉へと変わりました。何が何でもカタチにする！という負けん気が、若さでもあったような気がします。そして従業員と共に奮闘し、なんとか無事に間に合わせ、次戦の舞台となったスポーツランドSUGOのグリッドにマシンを並べることができました。その年、優勝という偉業も達成。チームやＴ社をはじめ、チャンスをいただいた方々からの祝福の言葉に感動しました。その後、幾度かピットを訪れているうちに、ライバルチー社から、「短納期で難しいことをやり遂げたというのは、貴方？」と声をかけていただいたのです。いつの間にか、私は弊社への窓口として看板になっていました（笑）。品質を落とさないスピードも、この時のような勉強を重ねたことが、現在の弊社のこだわりのひとつとなっています。UCHIDA55年の軌跡21

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UCHIDA55th次世代自動車NEDO完成した製品は、レーザートラッカーで寸法を精密測定弊社にも及んだリーマンショックの影響以降、２輪・４輪のレース部品だけではなく、近年では次世代自動車のシャーシはもとより、燃料電池の重要部品や電気自動車の各部位へと業務展開を拡張していきます。しかし2008年９月、世界を震撼させたリーマンショックが起きました。そして12月、それを起因としたＨ社のF1撤退というニュースを目にした瞬間、「これからが本番だったのに、残念……」。夜も眠れない日々が始まりました。あの時はどうすればいいのか、気持ちを切り替えるのは容易なことではありませんでした。当時、弊社の仕事率はF1に占める割合が大きくなっていたのです。早急に身のまわりの整理を始め、年明けすぐには愛車を下取りにも出しました。まずは経費削減を優先する日々。業務の方向性も180度転換する必要が生じ、営業回りもしました。しかし、世の中はどこへ行っても暗い話ばかり。どうなるのか、何をすべきなのか……。会長はじめ諸先生・諸先輩方に聞いても経験がないことなので、方向が定まりませんでした。日々が新しい発見と関心の連続航空機分野において動き出したのは、遡ること2002年。当時、まだアナログ式だった弊社ではパソコンの導入が遅れており、業務用のパソコンをやっと与えられたような時期でした。そのパソコンを使い、各重工メーカーはじめ有名企業のホームページにある問い合わせコーナーから、「うちでは大型オートクレーブを主要設備とし、こんなことができます」と、慣れないキーボードを人差し指で一文字ずつ打ち込んでいたのを覚えています。すると、「一度詳しい話を聞かせてほしい」という返事を数社からいただき、会社案内のようなものをあわてて手作りし、手土産を持ってひとりでプレゼンにまわりました。某大手企業を訪ねた時には、取締役の方々を目の前に恥をかいたこともありますが、今では度胸を身につけることに繋がったと感謝しております。目にするもの聞くものが初めてのことばかりで、最初は『OJT』や『9100』なども知らない状況。勉強不足により戸惑うこともありましたが、それ以上に日々が新しい発見と関心の連続だったことに心が躍りました。さらに、従業員たちの気持ちがひとつになったことも、弊社の財産に繋がりました。それが実を結び、実際に航空機関連部品の開発に着手したのが2005年からです。Since2004~航空機関連部品開発着手リーマンショックからの回復経営者として問われた、責任という重圧2008年のリーマンショック、そしてF1撤退は、弊社にとって最大の打撃となりました。リーマンショック直前、2008年８月の決算売上高は６億円あったものが、翌年には３億6000万円まで下がります。2006年から代表取締役に就いていた私にとって、経営者としての責任という、とてつもない重圧がのしかかりました。その後の売上高は2010年が４億2000万円、2011年が４億円、2012年が４億8000万円、そして2013年には、なんとか６億円まで回復。従業員数も45名となり、2008年時より若干増えています。このＶ字というか、Ｗ字のような回復を果たせたのは、２輪の基盤はもとより航空機関連部品と次世代開発全般によるところが最大の要因です。それも振り返ってみれば、F1に携われた経験なくしては、乗り越えられなかったことだと深く感謝しています。全長５ｍを超える初の大型成形特殊工程が続くエンジンブレード製作2007年には、航空機産業市場へと本格的に参入するべく、JISQ9100／JISQ9001の認証を取得しました。初めての仕事は防衛関連。以降、当時の国内最大級となる大きさの型製作に携わるまでの信用を得て、ヘリコプターや民間大型機試作、内装関連にも着手することができました。国家事業では、供試体をはじめ各プロジェクトにも深く関われるようになり、このことは現在でも「困った時のUCHIDA」として、相談をいただく信頼に繋がっています。機体の型製作からスタートした航空機部品は、2008年にはジェットエンジンのブレード製作にまで広がります。機体側にももちろん精度の高さが求められますが、エンジンブレードの要求値はそれ以上。カーボンをチタンと融合させる技術が必要で、接着、後加工、塗装までという特殊工程が続きます。当時、国内の中小企業でエンジンブレードに携わっているのは弊社のみでした。苦労もありましたが、そのぶんだけ次への挑戦に声をかけてもらえる幸せも、大切な財産です。この分野の仕事量が増えたことこそ、リーマンショックからの回復の足がかりとなったひとつです。22

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Since2011~海外ヘリコプターメーカーに試作部品初納入未来に向けて動く開発プロペラ用ブレードに求められること航空機関連で新たな展開があったのは、2009年から動き出したプロペラのブレード製作。この時のパートナーは、弊社の技術顧問である板東氏の素晴らしい指導と計らいによって巡り会った、世界第３位のヘリコプターメーカーであるアグスタ・ウェストランド社です。同じブレードとは言っても、ジェットエンジン用とプロペラ用では求められる特性が違います。ジェットエンジン用はカーボンとチタンを組み合わせて高圧、高熱に対応できる強度や耐熱性が求められますが、プロペラ用は浮力を生み出すための“しなり”も必要になる。止まっているヘリコプターのプロペラがダランと垂れているのに対し、回転すると遠心力で広がるあれです。プロペラ用は発泡剤を芯にしてカーボンで包むことで、軽さと剛性を出しています。このプロペラ用ブレードは、最初の試作品を２ヶ月で作りました。寝ずの作業だったので、実質４ヶ月ほどに値する仕事です。その後も少しずつ改良を加えて、最終品を納入した年。そのブレードを装着した世界初の電動無人ヘリコプターが初披露されたのは、2013年のパリエアショーです。このように新製品の開発などに携わる大きなプロジェクトは、動き出しから披露されるまでに時間を要します。開発というのは、すぐ先ではなく、未来に向けて動いていますからね。なお、この機体は世界中で注目を集め、JETRO（経済産業省所管の独立行政法人・日本貿易振興機構）のインターネットテレビでも取りあげていただきました。世界のトップに認められた技術アグスタ社副社長ワン氏と握手！そして、そのパリエアショー2013では、JETROのＢtoＢで世界最大規模の航空機関連メーカーからもアプローチをいただきました。そのときのコメントが、「UCHIDAはイノベーションが目覚ましい企業で、将来のパートナーに繋がるか見ていきたい」という内容。私たちの技術を世界のトップに認めてもらえたのは嬉しいことです。その２ヶ月後、正式なプレゼンの場に出席いただいたのは、なんと親会社の取締役の方々。私が緊張したのは当然ですが、それが周囲にも伝わったのか？プレゼンで使うために持ち込んだパソコンが、まさかのフリーズ……。急遽、資料用に用意しておいたプリントを使っての紙芝居に切り替えました。これが却って奏功し、手応えを感じられるプレゼンに。仕事での出張は、いつも観光できないようなスケジュールですが、この時はプレゼンの後に少し時間が作れたので、南フランスの海岸へ。本場の美味しいブイヤベースにありつけたのは、思いがけない自分へのご褒美となりました（笑）。先方とは、引き続き情報交換を欠かすことなく、良好なコミュニケーションを築けています。業界初、例のない挑戦明け方、組み立て完成を祝うJETRO番組撮影の様子ParisAirShow出展3mJECシンガポール展示ブースは大盛況！UCHIDA55年の軌跡23

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UCHIDA55thSince2013~フォルクスワーゲン・グループの監査合格憧れのクルマ開発に携われる夢を現実に海外の方に好評なCFRP製の盆栽自動車業界でのカーボン繊維導入は、一部のスーパースポーツを始めとした超ハイエンドモデルへの採用から、近年ではエントリーモデルへの採用も進んでいます。その先陣を切ったのが欧州自動車メーカー。2009年の米国学会でそれを視聴、2013年７月にカーボンセルとアルミ製シャシーを組み合わせた新車が発表されました。重量面で不利な大容量バッテリーを搭載する電気自動車やハイブリッドカーにとって、ボディを軽量化できるカーボンは大きなメリット。次世代カーにおけるカーボン化は、加速していくものと想像できます。このような時代背景の中で、2013年、弊社も自動車分野を強化する素晴らしい機会を得ることができました。それがフォルクスワーゲン社の監査に合格したことです。監査を受けるきっかけとなったのは、弊社の技術顧問である山口氏が、ランボルギーニ社を紹介してくれたことでした。ランボルギーニ研究所の所長であるＰ氏が企業調査のためにたまたま来日していて、「土曜日だったら夕食の時間に会えるよ」という連絡があったのです。「焼き鳥が食べたい」というご希望だったので、かつて小泉首相がブッシュ大統領をお連れしたという、西麻布のお店を選びました。その場でタブレットPCを使ってショートプレゼンすると、会社案内を見たＰ氏が、「Wooooow!!CARBONSAI!!」と。Ｐ氏は親日家なんです。この盆栽というのは、切削工作機メーカーが開催した2011年のコンテストに出展したもの。弊社の加工技術をアピールするべく、CFRP特有の繊維方向性を活かしつつ、自然界にある形を再現した作品です。幹の力強さと針葉という繊細さを表現するのは、大変な作業でした。残念ながらコンテストで入賞することはできませんでしたが、海外の方にはいつも好評をいただいていて、それを見たＰ氏にも、「こんなものをつくれるなんて、ただ者じゃない！」と言っていただいたんです。「Wooooow!!CARBONSAI!!」フォルクスワーゲン・グループの厳しい監査を終えた後の記念写真ランボルギーニ社と共同研究へそして翌週の金曜日の早朝、米国JETROから突然電話がありました。「ランボルギーニさん、本気みたいですよ！」と。その後は話が急加速し、Ｐ氏と直接連絡を取り合うようになり、2012年の７月にはランボルギーニ本社でのプレゼンに。本場のボロネーゼとワインをいただきながら、辞書とスマートフォンのアプリを駆使してお互いのコミュニケーションを深めました。また、９月にはホームパーティにも呼んでもらい、同行した弊社の技術者共々、「みんな凄い人ばかり……」と茫然自失。JETROの方にお聞きすると、外国人がホームパーティに呼ぶのは、本当に仲の良い大切な人だけとのこと。その後、Ｐ氏から「一緒に研究をしたい。そのためにも、（ランボルギーニ社の親会社である）フォルクスワーゲン社の監査を受けてみませんか？」となり、ダメもとで受けてみることになりました。監査が行われたのは2013年７月。さすがは世界トップクラスの自動車メーカー、非常に厳しい内容でした。そして結果は、首の皮１枚での合格。後からＰ氏にお聞きしたところ、これまでにフォルクスワーゲン社の監査に合格した日本企業は、弊社以外に２社のみとのこと。その２社は誰もが知るような大企業です。私は幼少の頃からランボルギーニ・ミウラが大好きで、憧れのスーパーカーでした。モーターショーでシートに座れるチャンスもあったのですが、あの時はじゃんけんに負けてしまい、運転席ではなく助手席にしか座れなかった。その思い出をランボルギーニ社の技術の重鎮に話すと、「その夢は実現できましたか？」と問われ、「まだです」と答えると、「それはもうすぐですよ！」と。金額を考えれば簡単に手を出せるクルマではないですが、憧れ続けていたクルマの開発に携われることは、その夢に一歩近づけた瞬間でした。ランボルギーニ研究所所長のＰ氏との再会初ランボルギーニは助手席！CFRP盆栽と基になった盆栽マシニングセンタDMG（５軸加工機）にてCFPR盆栽を切削加工24

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Since2014~複合材料で取り組む社会貢献“UCHIDAだから”できること巧みな技術を必要とする賦形性の追求河島先生と初ミーティング国立障害者リハビリテーションセンター研究所にて初歩行テストな利益で何か社会貢献できることはないか……。と考えてお来イドルCFRP製の盆栽は、2012り、カズ選手にとって役立つもの、欲しいものを尋ねました。年のJECWorldに出展しましすると、カズ選手は定期的に国立障害者リハビリテーショた。これは毎年３月にフランンセンターで二足歩行装具を使ったトレーニングを受けておスのパリで開催される、複合り、「担当の河島則天先生がいつも関越自動車道を使ってい材料業界の世界最大見本市て、そこから見える『UCHIDACARBONCOMPOSITEです。展示のみならず、アカデミックな部TECHNOLOGY』の看板が気になると。今度こちらに連れて分でのカンファレンスも兼ねており、きていいですか？」と話してくれたのです。『CARBONSAI』は多くの高評価をいた河島先生は運動機能系障害における権威ある研究者であだくことができました。り、身体機能回復（維持／向上）のための新しいリハビリそしてJECWorld2014に出展したのテーション（トレーニング）方法の構築に取り組んでいましが『カールボンヌ未来』です。マネキン屋た。熱心に今後の取り組みについてお話をする先生と、厳しから始まった弊社ですから、日本の文化いリハビリを経てプロとして活躍するカズ選手。そしてをPRすることも含めて、２次元の女の子UCHIDAが貢献できること。それが二足歩行装具を３次元で作り上げました。これは弊社『C-FREX』の共同開発のきっかけでした。UCHIDAの新の創業45周年を記念して製作したものでもあり、衣装を塗たな挑戦がスタートしたのです。装するなどUCHIDAの技術が詰まっています。特に展示場で注目を集めたのが、炭素繊維が行き届いた「身体を鍛える」革新的な二足歩行装具髪の毛の先端。樹脂が含浸された炭素繊維を編み込むと、折目を付けた部分は繊維の復元力によって時間の経過とともに起き上がりやすくなります。しかし、それがない。賦形性の追求には巧みな技術が必要です。設計プロセスの映像を流していたこともあり、そこに関心の目が向いたのだと思います。JECWorldには毎年違う従業員と一緒に行き、世界の最先端の技術を一日かけて見学してもらいます。そして会場をひと回りして帰ってくると、「うちはブースが小さいのに、なぜこんなに人が集まるのか」と、みんなが口を揃え45周年記念製作ていたのを嬉しく聞いていました。プレート新たな挑戦への出会い年、京都工芸繊維大学の大学院を無事に（笑）卒業し、博士号を取得しました。その学院生時代の研究を通二足歩行装具は、脊髄の損傷などによって車椅子生活となった方が歩行リハビリで使うもので、動力式と無動力式があります。動力式はモーターを使ったロボット技術によって、装着すれば多くの方が歩ける素晴らしいものですが、非常に高価で、安全上一人で使うことができません。それに比べて無動力式は安価で、練習をすれば歩けるようになりますが金属製なので重く、すぐに疲れてしまいます。自転車にたとえると、動力式は坂道もラクに登れる電動自転車で、無動力式はペダルが重い街乗り自転車でしょうか。私たちが開発するC-FREXは、CFRPを主材料とした無動力式です。軽くて高強度、さらに弾性があるカーボンの特性を利用することで、着地したときにバネのようにしなり、その跳ね返りによって次の一歩を踏み出しやすくなる。残存する体の機能を最大限に引き出し、高い運動効率での歩行が可能になるのです。アーチェリーの弓のようなデザインも相まって、自転車に例えるとロードバイクのようなスポーツ性を備えていますので、C-FREXを使うことによって更なる生きる喜びを感じてもらえればと思います。して、パラアイスホッケーの日本代表として活躍されている高橋和廣選手（以下、カズ選手）との出会いがありました。カズ選手は小学生のときにアイスホッケーを始め、高校では３年連続でインターハイに出場。大学でも競技生活を継続していましたが、３年生の冬にスノーボードプレー中の事故で脊髄を損傷してしまい、いまは車椅子で生活されています。弊社は２輪・４輪・航空・宇宙・アート等で、さまざまな試作品を小ロットで製作、世界初、ONLYONEといわれる仕事に資料提供：国立障害者リハビリテー博士論文完成の瞬間携わってきました。当時の私は、これまで得た技術と、わずかションセンター研究所河島則天氏UCHIDA55年の軌跡25カールボンヌ未パリ展示会のア

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UCHIDA55thSince2016~技術開発室を設置初のオリジナルブランド確立に向けてC-FREXがINNOVATIONAWARD受賞！C-FREXはJECWorld2016において、BetterLiving部AWARDを受賞することができました。アワードは航空宇宙や医療、コンシューマー製品まで、24部門から構成されていますが、日本の中小企業としては初めての受賞だったと思います。じつはこの受賞には裏話があるのです。各部門のアワード選考は前年の秋頃から受け入れており、河島先生の研究論文や設計データ、完成CGなどを事務局に送っていました。しかし年明け早々に「落選」のメールが届いたのです。ところ月初旬、ランボルギーニ研究所・所長のＰ氏から「Congratulations,JEC!!」というメールが届きました。勘違いしていると思い、「いいところまでいったと思うけど、努力不足で落ちてしまいました。」と返信すると添付シートが送られてきて、『Automobile：Lamborghini』の下に『BetterLiving：UCHIDA』と記されていたのです。JEC事務局に問い合わせると「間違いありません。最終選考で選ばれました。C-FREXを展示して欲しい」と。C-FREXはCFRP製というのももちろんですが、車椅子とのセットになっているのも特徴で、いままでに類似性がなく革新的だったことが受賞の要因であったと思います。INNOVATIONAWARD授賞式ただ、そこからが大変でした。C-FREXは、まだ完成品ができていなかったのです。パリへの輸送のことも考えると、製作期間は約２週間しかない。日ごろ客先からのご依頼で短納期、高精度、高耐熱などいろいろな要求をお受けしてきましたが、これほどに短納期だったことはありません。２月～３月は通常業務も忙しい時期で、かなり厳しい状況でした。しかし、アワードの受賞は世界中のエンジニアが夢見ることであり、悔し涙を飲む姿を多く見てきました。周囲からのお褒めと励ましの言葉に背中を押され、従業員みんなの協力も得て、発送前日に完成したのです。ちょうどその頃は、パリでテロが起きたという痛ましいニュースが流れていた時期でもあります。シャルル・ド・ゴール空港に降り立つと、軍隊の方たちが等間隔に並ぶ異様な光景でした。保安検査も当然厳しく、C-FREXが届いたのは開催日前日の夕方。そこから急いでブースを設営しました。授賞式には河島先生、弊社従業員と出席したのですが、私と従業員は日本の印象を残したく着物で壇上に上がりました。背後には大きなモニターに20秒のカウンターがあって、カウントダウンとともに英語でスピーチします。とても緊張しましたが、なんとかうまく説明できたと思っています。C-FREXJECINNOVATIONAWARD表彰状CFRPの特性を生かした二足歩行アシスト装具JECに向かう朝JEC会長との記念ショット26

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先端複合材料の可能性に挑む2015年１月には630tプレス機を導入、プレス成形の部隊を技術開発室に設けました。プレス成形は、精度が高いものをハイサイクルで量産できるのが魅力です。金型も社内で作り、ランボルギーニ社のコネクティングロッドの共同開発にまで至りましたが、多くの試作品を作るなかで、同じものを繰り返して作る難しさを経験しています。金型屋が存在するように、その道の専門家にはすごいこだわりを感じています。プレス機を使えば、その優れた金型をより活かすことができる。量産可能な将来を見据えた体制を整えることで、試作品から製品化までの案件見積にも対応できるようになりました。また、JECWorld2016では世界三大樹脂メーカーのHUNTSMAN社が、１分成形の樹脂を発表。そしてアジアの拠点となる取引先を探されていたとき、その協力企業として弊社が選ばれたのです。C-FREXは新たに設置した技術開発室が中心となり、弊社のオリジナルブランドとするべく日々、研究・開発を進めています。技術開発室は、売り上げを成り立たせようという部署ではありません。たくさん失敗してくれていい。C-FREXとプレス成形で技術を積み重ね、先端複合材料の可能性に挑んでもらいたいと考えています。これまでは２～３ヶ月のペースで改良・テストを繰り返していましたが、2018年の3Dプリンター導入によって部品製作時間を大幅に短縮し、開発速度は飛躍的に高まりました。現在は2019年９月のREHACAREへの出展、そして発売に向けて取り組んでいます。Since2018~UCHIDAが目指す“家族のカタチ”新たなロゴに思いを込めて─節目の50年これからのUCHIDAプレス機と3Dプリンターの導入は残業時間を削減し、働き方改革にもつながりました。近年、中小企業でもM&Aの活用が進んでいますが、弊社はファミリー企業であるため、臨機応変に対応し、様々な挑戦ができました。大きな企業のなかでは、プレス機や3Dプリンターをいち早く導入できなかったかもしれません。また、海外では一貫性があるファミリー企業に注目が集まることも少なくないと聞きます。HUNTSMAN社が弊社を選んでくれたのも、それが理由のひとつにあるように感じます。利益が出た分はみんなに還元しています。利益は従業員みんなが勝ち取ったものですからね。健康促進として、毎週水曜日には栄養満点の昼ご飯を提供する『水メシ』を開催しています。また、疲労を回復できるように酸素カプセルも導入しました。社員旅行には家族も一緒に来てもらいます。UCHIDAは社員とその家族も含めたファミリー企業です。50周年を機に、弊社のロゴマークをリニューアルしました。UCHIDAとしてのカーボンのイメージカラーは『Salute＝敬意』、青色はUCHIDAが目指す姿『BlueBird＝社員の幸せ・社会に対しての誠実さ』を表しています。試作屋でもある弊社は一期一会を大事にします。そこで様々な人々が支え合い、鳥が右上に羽ばたくようなデザインとしました。UCHIDAはこれからも、常に上を向いて進んでいきたいと思います。3Dプリンタによる開発先端設備によるオートメーション化1分成形成功の瞬間UCHIDA55年の軌跡27

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あれから５年ー変わり続けるUCHIDA!28UCHIDA55年の軌跡

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UCHIDA55th2019~世界に認められた『空飛ぶクルマ』唯一の受賞、ディスラプター賞を獲得軽く、強く、美しく！2019年にはテトラ・アビエーション（teTraaviation）社（以下、テトラ社）との『空飛ぶクルマ』プロジェクトがスタートしました。航空機関連のお仕事を通じて知り合った重工メーカーの方から「紹介したい人がいる」と。それが東京大学発のスタートアップ企業、テトラ・アビエーションを設立した中井佑氏（以下、中井氏）。中井氏は当時、まだ大学院博士課程の学生でした。テトラ社は2020年２月に米国で開催される、ボーイ（イーブイトール）の国際航空機開発コンペ『GoFly』にエントリー。eVTOLとは、ヘリコプターやドローンのように垂直離着陸できる電動航空機で、移動をより便利で快適にすることが期待されている新しい乗り物です。このGoFlyには103カ国から854チームが参加し、最終飛行審査に進めたのはわずか24チーム。テトラ社は最終審査に残った日本で唯一のチームでした。「最終審査では実機に近いものを飛ばさないといけない。興味があれば一緒にどうですか？」というお話でした。「軽くて強くて美しい」ものづくりを通じて社会に貢献したいと考えているUCHIDAとして、是非一緒にやっていきたい！と、業務提携に関する契約を締結し、技術・資金協力の両面で参画することにしました。しかし、このお話をいただいたのが2019年５月。GoFlyの開催は2020年２月28～29日。厳しいスケジュールでしたが、UCHIDAには乗り物好き、芸術作品好き、そしてものづくりが大好きな社員が集まっています。機体づくりの原則も知っている社員が自ら手を挙げ、様々なアイデアを持ち合い、意欲的に作業は進んでいきました。働き方改革に取り組むなかではありましたが、休日返上で作業してくれて間に合わせることができました。teTraaviation社「空飛ぶクルマ」プロジェクト業務提携契約を締結Mk-32019～2020年というと、新型コロナウイルス感染症が世界的に流行し始めた時期です。GoFlyに行くのに躊躇いはありましたが、「一生に一度の機会ですよ」という社員の声に背中を押され、マスク対策などをして開催地のサンフランシスコに到着。開催の２日間は強風でコンディションが良いとはいえない状況でしたが、テトラ社のMk-3が飛行する２日目の早朝は風が止み、見事に離陸！私たちは遠くからの観覧で見えなかったのですが（苦笑）、大きな歓声で飛び上がったのを知ることができました。強風の影響で残念ながら飛行できたチームがほとんどなく、グランプリの表彰はありませんでしたが、テトラ社のMk-3は優れたデザインと性能を評価され、唯一の賞金獲得チームとしてPratt&WhitneyDisruptorAwardを獲得。いまでは新たな機体を開発し、米国空域で安全に飛行させることができる研究開発用航空機等を対象とした『特別耐空証明証』と、米国空域で運用する際に必要となる『飛行許可証』を取得しました。提供：テトラ・アビエーション株式会社また、航空機関連としては、2022年にIHI社の年間サプライヤー賞受賞企業として表彰されました。試作会社としては稀な受賞とのことで、高い仕様要求と短納期への対応力を評価していただけたと思っています。IHI社より年間サプライヤー賞として表彰Pratt＆WhitneyDisruptorAward受賞後の記念撮影32

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2021~アルテミス計画を加速させる月面探査車『YAOKI』宇宙への挑戦、夢をかけたプロジェクト被災地、教育素材、広がる展開UCHIDAが宇宙関連の技術開発に携わるようになっ年から。そして2021年、新たな展開がありました。株式会社ダイモン（以下、ダイモン社）と月面探査車『YAOKI』プロジェクトの業務提携契約を締結。YAOKIはNASAの月面探査プログラム『アルテミス計画』において、月面開発の最前線で活躍するロボット（月面ローバー）です。ダイモン社の創業者である中島紳一郎氏（以下、中島氏）は、かつて自動車エンジニアとして活躍されていました。アウディの四輪駆動システム『quattoro』の開発も手掛けた方です。中島氏は東日本大震災が起きた2011年３月11日、都内にいらっしゃったそうです。帰宅難民として震災に遭遇したことで、「このまま好きなクルマをつくっていくだけでいいのか？夢はロボットクリエーターだった。困っている人たちの役に立つロボットをつくりたかったはずだ」と自問自答され、究極のモビリティ開発を目指して独立されたとお聞きしました。【月面探査車YAOKI】YAOKIは、超小型、超軽量、高強度を兼ね備えた月面探査車です。圧倒的にコストを抑えて月面に送り込むことができます。いよいよ2024年に月面探査を実現し、人類の月面開発を加速させます。超小型超軽量高強度確実走行1.月面探査事業【事業内容】2.地上ロボット事業3.教育エンタメ事業貴社の技術をYAOKIに実装配管、廃炉、被災地等での本物の宇宙技術に触れる機会し、誰よりも早く・安く・頻点検ロボットとして、独自のを提供し、挑戦とワクワクの繁に、月面での実績を獲得強みを活かした活用が可能社会実現に貢献します。できます。です。株式会社ダイモン東京都大田区大森南4-10-20https://dymon.co.jp/提供：株式会社ダイモンダイモン社「月面探査車：YAOKI」プロジェクト業務提携契約締結中島氏とは、過去にロボット製作でご一緒していました。高圧電線を点検するロボットで、送電線に引っかけるカーボン製のアームを私たちが担当していたのです。「あの時の対応力が忘れられない」と、声をかけていただきました。「月への輸送は１kg＝１億円かかります。月面探査車は超小型、超軽量でありながら高強度で、そのためには精密な成形加工が必要です。メカニズムは任せてください。だけど、それに伴う複合材技術が必要なんです。仲間になってくれませんか？」宇宙への挑戦、夢をかけたプロジェクトに、私たちも協力したいと思いました。UCHIDAが担当したのはCFRP製の筐体。手のひらに乗るほど小さく（15×15×10cm）、498ｇという超軽量設計でありながら100Ｇの衝撃にも耐える。そして転んでも倒れても走り続ける七転八起から『YAOKI』と名付けられました。アルテミス計画では2025年に有人月面着陸を目指し、2028年までに月面基地の建設を開始することを目標に掲げています。YAOKIが月面を撮影しながらコロコロと走るのは、近い将来の出来事になるでしょう。そしてYAOKIの月面探査が、月面開発を加速させるはずです。YAOKIは配管や廃炉、被災地等での点検ロボットとして、また本物の宇宙技術に触れられる教育素材としても事業を展開しています。UCHIDAも複合素材、設計、技術で貢献し、共に取り組んでいきたいと考えています。UCHIDA55年の軌跡33

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UCHIDA55th2023~C-FREXの技術で誕生したインソール＆短下肢装具世界中の子供たちに、走る、歩ける喜びをオリジナルブランド『iR9』始動内田敏一：実は、空飛ぶクルマも月面探査車も最初の窓口となったのは弊社取締役の落合（隼平）なんです。そして彼からの発案で新事業を始めました。それについては私より説明上手な落合がお話します（笑）。落合隼平：二足歩行装具の『C-FREX』は、2021年に開催された東京2020オリンピック・パラリンピックの聖火リレーで使っていただきました。重度下肢機能障害の患者さんのリハビリ装具として、社会に貢献できたと自負しています。しかし、無動力式にこだわってやってきたこともありますが、「もう一度歩きたい」という高いモチベーションを持っていらっしゃる方じゃないと使いこなすのは難しい。開発費を惜しまないプロダクトアウト型であり、コストの面で難しいところもありました。新しい事業として、会社に貢献できる商品をつくりたいという思いもあり、C-FREXはプロトタイプとして全ての要求機能を満たしたことを最後にUCHIDAとしての開発を終了しました。その時期はコロナ禍で、子供たちは自粛生活を余儀なくされ、公園にも行けないような状況が続いていました。「試作開発で培った自分たちの技術で、子供たちを笑顔にできないか」。そこで提案したのが、カーボンのしなりを利用して子供の可能性を広げ、自分の限界に挑戦する勇気を後押しするインソールの『BAKUSOLE』です。開発には埼玉県立大学理学療法学科の国分貴徳准教授に協力していただき、しっかりとデータとエビデンスを取りました。お子さんの成長を阻害しないインソールにしないといけないですからね。大学での検証では、同じ速度で走った際に使用する筋肉量を低減できることも確認されています。BAKUSOLEはUCHIDA初のオリジナルブランドとなる商品で、販路がないこともありクラウドファンディングでテストマーケティングしました。すると初日で目標金額を大きく上回る1211％を達成！ちなみに、ブランド名の『iR9』には、小文字の『ｉ』で「人」を表現し、『R9』は「歩く」という思いも込めています。BAKUSOLEは21.0～28.5cmまでのサイズ展開をしているので、子供から大人までお使いいただけます。また、それと並行して進めたのがカーボン製の短下肢装具です。長下肢装具のC-FREXに対し、短下肢装具は下腿部に装着し、足首の関節の動きを制限することで歩き方を改善する装具。義肢装具メーカーさんとマッチングしていたこともあり、お話をいただきました。「従来の短下肢装具はプラスチック製がほとんどで、厚みがあるため装具のせいで大きな靴を履かないといけない。それが嫌で装具をつけたくないというお子さんも多く、親御さんは悩みを抱えられているんです」カーボンなら薄くて強度を高くできる。多くのユーザーさんに喜んでもらえるように、3Dプリンターで型をつくり、成形方法も変えてコストを抑えました。カラーラインアップも揃えているので、お子さんに好きな色を選んでいただくこともできます。BAKUSOLEとカーボン短下肢装具はC-FREXの技術を応用した派生モデルです。そしてBAKUSOLEと短下肢装具の開発を通じて、設計のデジタル化やアルゴリズムをつくってのAI化といった新価値を創造することもできました。これらの技術を「人の身近で役立つ」商品開発に展開していきたいですね。UCHIDA自社開発インソール『BAKUSOLE』低コストカーボン短下肢装具開発取締役落合隼平BAKUSOLE販売開始と自社ブランド『iR9』立上げ34

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働きやすい環境へ、働き方改革への取り組み「企業は人づくり」。喜びと感動を共感したい失敗は恐れなくていい落合：50周年からの５年間で、一番変化したのは社長だと思います。社長が背中を見せて歩き続けるのではなく、こちらを向いて「みんなで考えよう」という雰囲気になりました。内田：そうだね。新型コロナウイルスの感染拡大という危機感も影響しました。それまでは「さあ行くぞ！ついてこい！」とやっていたけど、今後の方向性が見えない世の中にあって、みんなで永続的に進んでいける組織をつくっていきたいと思いました。コロナ禍にあり、ご家族の都合とか、私の至らないところがあってUCHIDAを離れていってしまった方もいました。そこで会社を強くするためにも、賃金や福利厚生などを見直して働きやすい環境へと改善すべく、働き方改革に取り組みました。そこには専門家である先生方の助言もありました。「企業は人なり」。ES＝社員満足度を高めて、そのご家族も含めてみんながハッピーになれる会社にしたい。ESが高いと価値創造が生まれて、CS＝お客様の満足に繋がるよねと。それが高収益に繋がれば会社を存続できるし、社員にも還元できる。この５年間は１on１のミーティングを年２回やってきました。悩みのすべてを解決できたとは言えませんが、苦手改善というところではみんなコミュニケーションをすごく考えていて、どういうところを評価してもらうとやりがいを感じるのかということが分かりました。コロナも落ち着いて、2023年からはバーベキューなどの会社イベントを復活させて社内のモチベーションアップに繋がる取り組みに力を注ぎましたね。落合：50周年記念誌を読んだ若い社員は、「こんな社長知らない！」って言います（笑）。内田：世代交代していかないとね。でも、誰もが最初は失敗を恐れてしまう。うちは試作会社として、怖くても試さないと分からないことを扱っている。UCHIDAでは失敗していいんです。熟練者でも失敗することはあります。その失敗を共有することで注意を促すことができますから。落合が役員になったのは2018年からで、そのときも「責任は全部俺が取る。この会社で一番失敗してるのは俺なんだから。中途半端なことはせず、思いきってやってくれ」と託しました。オリジナルブランド『iR9』の立ち上げはもちろん、空飛ぶクルマや月面探査車というところでも、社長という立場の私より落合のほうが最初の相談窓口になっていました。いまでは我が社のエースです。個性豊かな仲間と一緒に新価値創造による喜びと感動を共感したい。そして、健全な体で素敵な人生を楽しんでもらいたい。UCHIDAとしてありたい姿を社員に宣言して、廊下に掲示もしています。それを実現するためのロジックを落合と話しながら立てて、会社の基盤づくりと人づくりに取り組んでいます。久々に開催されたBBQの風景セミナー受講中の風景国内展示会の風景世界に役立つものづくりを創造する企業として強固な基盤づくりに取り組んでいます35

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UCHIDA55th2024~UCHIDAのSDGs活動地球にとってよりよい未来へ地球環境、社会課題に技術で立ち向かう内田：働き方改革のほかにも、会社としての目標があります。2024年の年初に社員に向けて発表した『UCHIDAサスティナブル宣言』について。大事なことですね。落合：SDGs（持続可能な開発目標）には、より良い世界をつくるために設定された世界共通の17の目標があります。もちろん、そのすべてが重要な課題であり、ひとつひとつ会社として活動していますが、社員ひとりひとりがもっと意識を高められるように、重点テーマを３つ選んで会社としての目標を設定しました。ひとつめはSDGsの８番、「働きがいも経済成長も」。社員が高い志を持ってやりがいに繋がるような働きやすい環境をつくり、ES＝社員満足度の向上を推進してお客様に選ばれ続ける事業発展の基盤を構築していく。有給休暇の取得率を上げたり、コミュニケーションを高めるためのイベントを開催したり、社員教育などに注力していきます。内田：弊社もようやく、年間休日120日、週休２日をしっかりとれるようになりました。落合：ふたつめは、９番の「産業と技術革新の基盤をつくろう」。UCHIDAとしてパーパスに掲げている「私たち個性豊かな仲間と、複合材料の技術革新を起こし、陸・海・空、そして宇宙へ、世界に感動の輪を広げる」ことを実現するための選択です。ロボット活用による業務効率化、業務のデジタル化、研究開発の実用化を推し進めていきます。そして３つめは12番の「つくる責任つかう責任」。製造を通じて使用するエネルギーや素材、発生する中間廃材・産業廃棄物の削減・資源循環に取り組み、作り手としての責任を果たす。試作開発では廃棄する端材も多く出ます。天然エネルギーや環境配慮素材を採用するなど、製造業としての向き合い方を考えていきます。内田：落合らしいのが、社長は「共に」というのが好きですよねと。そこで「未来を共に育む」という意味で「ForEarth」宣言をつくってくれました。落合：「共存在企業」という企業理念に基づいた宣言です。もともとは「ForUS」というのを考えていて、「自分たちにとっての働きがい、やりがいを追求し続ける組織風土を醸成する」ことをベースにして、それが「今日よりも少し良い明日をつくる」「For明日」へ、そして「ForEarth」として「地球にとってよりよい未来に繋がる」ことを信じて活動すれば、感動の輪を広げるきっかけになるんじゃないかなという思いを込めています。内田：これからのUCHIDAというところでは、落合が担当してくれたコンテンツマーケティングもあります。業務案内だけではなく、「そもそもCFRPとはどういうものか」というようなことを、使い手に近い距離で分かりやすい言葉で表現してくれました。2022年の８月に始めて、１年間週２本を配信。我々の業界のなかでのホームページアクセス数は、日本一になったんですよ！お役立ちコンテンツUCHIDAサスティナブル宣言未来を共に育む-ForEarth-UCHIDAは、“共存在企業”という企業理念に基づき地球環境、社会課題などに技術で立ち向かいステークホルダーの皆さまと共にForUSFor明日ForEarth私たちにとって働き甲斐・やりがいを追求し続ける組織風土を醸成することが今日よりも少し良い明日をつくり地球にとってよりよい未来に繋がることを信じて笑顔あふれる未来のために持続可能な社会を目指します36UCHIDGs

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Epilogue創業50周年からの５年間も、UCHIDAは挑戦の日々でした。複合材料で革新を起こしたいと、失敗を恐れることなく、新素材や新技術、新設計に挑み、それは会社の財産として次の世代へと受け継がれています。この５年間で、分野を問わず、デジタル化やAI（人工知能）の実用化も加速しました。かつては高額だった3Dプリンターも手が届くようになり、オートクレーブ成形用の型をつくることができる3Dプリンターも登場しました。これは型を使ったあとに粉砕して、また型をつくることが可能で、素材を循環させることができます。それを導入すれば、サスティナブル目線でのご依頼も請けられるようになる。私たちが得意とする手作業でのカーボン積層も、遠くない未来に熟練者に代わってロボットが担当する時代がくるかもしれません。私たちはいま、先進的な技術を学びながら構築に向けて取り組んでいます。しかし、スマートファクトリーを目指しながらも、人がつくる創造性、カンやコツといったさじ加減の部分は大切にしていきたいと私は考えています。定量的な生産はロボットに任せても、やはり人の力が必要です。UCHIDAには、頼もしい仲間が集まっています。55周年は通過点。世界初、オンリーワンへ。UCHIDAは世界へ挑む町工場として、これからも邁進していきます。今後とも変わらぬご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。原材料circulareconomy粉砕/再ペレット化3Dプリンター型塗装レス熱可塑性プラスチック成形

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株式会社UCHIDA〒354-0045埼玉県入間郡三芳町大字上富2048-1TEL.049-274-3030FAX.049-274-3031ホームページhttps://uchida-k.co.jp会社案内https://my.ebook5.net/uchida/profile/55周年記念誌ーUCHIDA55年の軌跡ーhttps://my.ebook5.net/uchida/55thAnniversary/

