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# トンボ鉛筆100年史

## 表紙
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【ページ内のテキスト情報】

The100YearHistoryofTombowPencilトンボ鉛筆100年史

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## 2_Tombowの使命=経営理念
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【ページ内のテキスト情報】

Tombowの使命＝経営理念トンボ鉛筆は、製品を通じて常識や習慣を革新することで、心躍る発見や喜びをお届けします。

## 3_発行にあたって
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【ページ内のテキスト情報】

発行にあたってごあいさつトンボ鉛筆は、2013年、創立100周年を迎えました。私たちを支え、応援してくださった皆様に、厚くお礼を申しあげます。本書は、鉛筆産業の黎明期から、モノづくり一筋に歩んできたトンボ鉛筆の歴史を振り返り、お世話になったたくさんの方々にあらためて感謝の意を捧げたいとの思いから発行いたしました。そして、トンボ鉛筆の物語を社員みんなで共有し、「企業が100年間にわたって継続してきたエッセンスは何だったのか」を考える年にしたいと思っています。歴史は、決して過去のものではありません。歴史が積み重なって、いまの私たちがあります。100周年を機会に、トンボ鉛筆が歩んできた100年を訪ね、その歴史のなかから新たな発見を学び取りたいと思います。ところで、100周年は節目であると同時に、通過点でもあります。これからの「100年」を展望するとき、私は、トンボ鉛筆の使命である「開発型メーカー」でありつづけるために、何をおいてもまず、愚直に励むことが大切であると考えています。日々の一生懸命な積み重ねのなかから、トンボ鉛筆ならではの技術が開発され、その技術が、「書く」「消す」「貼る」の事業領域をいっそう深耕し、また拡大する──そのような確かな技術を通じて、お客様に真に喜んでいただける製品をお届けしたいと思っています。トンボ鉛筆は、2013年、新しいトンボのマークとともに、大空を翔けます。トンボの製品は、「手にするのが楽しい」「この感覚、好き」「新発見にちょっとびっくり」「安心して使える」──そのように思っていただけたら、最高の幸せです。新しいトンボマークとともに、これからも皆様のご期待にこたえてまいります。皆様のいっそうのご支援とご愛顧を、心よりお願い申しあげます。2013年2月株式会社トンボ鉛筆代表取締役社長小川晃弘

## 4_目次
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目次発行にあたってごあいさつ代表取締役社長小川晃弘第1章創立・草創期“進取の気風”が鉛筆を近代筆記具にした1913–19451913–1915小川春之助商店開業──トンボ鉛筆の創立10春之助の進取の気風が生み出した「銘柄鉛筆」が人気を呼ぶ映画など流行を取り入れた鉛筆がブームに第一次世界大戦と鉛筆業界1916–1922新しい文化に敏感な人たちに歓迎された「H.O.Pencil」12大問屋・福井商店との取引開始──関西へ商圏を拡大初荷と戦後不況──大正の光と影戦後不況から学んだ知恵──良質な鉛筆づくりを志す1923–1925関東大震災──罹災を免れた鉛筆工場14大震災により全焼した本店の復興良質な鉛筆づくりをめざして、TOSHIMAFACTORY建設へ始動1926–1930TOSHIMAFACTORYの建設、そして集約16「スワン芯に追いつけ、追い越せ」を目標に「トンボ印」がハウスマークに14硬度の最高級鉛筆が完成──鉛筆の品種が一気に拡大1931–1938手頃な価格の試験用鉛筆“雄飛トンボ”が大ヒット18「トンボ印」を核とした宣伝活動自社製の高級製図用芯の完成から生まれた「TOMBOWNo.8800」宮様のご見学1939–1945株式会社トンボ鉛筆製作所＆トンボ鉛筆商事株式会社が誕生20戦争と鉛筆戦時下の創立30周年、そして八郎の出征八郎がもたらした希望の光Theme前史トンボの軌跡──杉江家と小川家の絆22

## 5_目次
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【ページ内のテキスト情報】

第2章戦後復興と事業多角化1945–19661945–1947戦後復興へ──事業を再構築28業界各社の協力による事業の拡大国産最高峰の高級鉛筆「8900」誕生アマチュア写真家・八郎の着眼──「すらすら」から「光線遮断」へ1948–1951皇太子殿下の工場見学と柳橋本店の再建30産学協同──東大教授を迎えて「鉛筆の芯を科学する」鉛筆JIS認定工場となる1952–1954国産最高級鉛筆「HOMO」の発売32第1回新製品発表会本社は日本橋人形町1丁目1番地1955–1957トンボ・ユニオンズ34総合筆記具メーカーへシャープペンシル「HOMOホルダー」／マーキングペンの製品化小川春之助の死去／八郎が社長に就任1958–1962ボールペンの発売36新城工場の開設＆ボールペンの社内生産開始アートディレクターのいる会社業界初、「通商産業大臣賞」受賞1963–1966「MONO」発売38小川八郎社長の急逝浩平専務、第3代社長に就任さようなら、とわ会長Theme国産最高級鉛筆「HOMO」の開発と「MONO」の成長40

## 6_目次
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第3章栄光と挫折奇跡の転換点1967–19861967–1968創立55周年記念「MONO100」発売44創立55周年記念「ボールペン不良問題」と本社移転1969–1971新分野に進出──「ピット」誕生46奮起するトンボ──筆記具メーカーからステーショナリー・メーカーへ1972–1973創立60周年記念式典を挙行48キャンペーン「トンボが住める街づくり」オイルショックの震撼1974–1979大ヒット続々──〈蛍光〉マーカー、MONO消しゴム50売上高100億円を突破新学期はつらつセール文房具全類で「トンボ印」の商標権を獲得1980–1986新世代の経営参加とドイツトンボの設立52アメリカントンボの設立筆記具にして筆記具の枠を超えた「ZOOM」Theme「ZOOM」シリーズと国際デザイン賞作品54第4章組織改革と企業インフラの整備1987–20021987–1990小川隆司社長就任58企業インフラの抜本改革初の海外生産工場、タイ工場さらなる市場競争に備える1991–1994事業環境の急変60選択と集中が発掘した「修正テープ」文具に環境の波──「木物語」誕生「消えいろピット」、発売1995–1997阪神・淡路大震災と被災者支援62事業領域を「書く・消す・貼る」へ

## 7_目次
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1998–2002テープのり、ブレイク64品質保証の国際規格、「ISO9001」取得新城LCの機能強化ThemeAwardWinnersTombowProducts──デザイン賞受賞の文具66第5章創立100周年、そしてグローバル企業へ2003–20132003–2004社長交代──サプライズのあるメーカーへ70トンボの“モノづくり宣言”──ベトナム工場の稼働消す・貼る分野のコア技術の確立を急ぐ史上最高益を記録2005–2006提案制度の創設と国内販売の成長72成果をみた“選択と集中”元日のサプライズ「トンボが飛び立つ日」2007–2008本社ビル完成74小川隆司第4代社長他界3期連続の増収を果たすベトナム鉛筆工場の建設2009–2013グローバル企業を宣言76テーププロダクツで一貫生産体制文房具ニーズが鮮明にトンボマークの復活Theme新生トンボへの道──トンボ鉛筆広告キャンペーン78資料歴代社長／歴代会長84従業員数の推移／商品群別売上構成比の推移GlobalizationofTombowProduction──製造・販売・物流拠点86新城工場の沿革88主要商品年表90

## 8_第1章_創立・草創期
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第1章創立・草創期“進取の気風”が鉛筆を近代筆記具にした1913–1945明治時代（1868～1912）は、日本が近代国家に生まれ変わり、世界の列強国の一員に加わった時代であった。欧米先進国の諸制度や文化を積極的に取り入れ、欧米製品の輸入を開放・促進し、殖産興業を図ったのである。明治維新により、文明開化の世になったことが、鉛筆の製造を促す基礎となった。明治政府は1872（明治5）年、教育令を発し、皆が平等に学ぶ学校制度の確立・普及に力を入れた。それまで使われていた半紙、筆、硯から、ノート、鉛筆、ペンへと、新しく便利な筆記用文房具は、急速な発展を遂げる。そして1913（大正2）年、トンボ鉛筆の前身である小川春之助商店が開業する。明治から大正（1912～1926）に改まって半年後であった。その翌年、第一次世界大戦（1914～1918）が勃発した。戦火に揺れるヨーロッパに代わり、物資の生産拠点となったのが、日本とアメリカの両国だった。世界的に品不足となった影響で、造船業や繊維業、製鉄業などが飛躍的に発展し、日本経済は急成長を遂げた。鉛筆製造業においても、主要生産国・ドイツの参戦により同国鉛筆の輸出が途絶したため、その空白を埋める戦争特需がわき起こり、一転、日本は鉛筆輸出国となった。小川春之助商店にとって、戦争特需は鉛筆メーカーとしての基礎を固める機会となったのは事実である。しかし、輸出景気にあおられることなく、国内需要を重視した春之助は、自由闊達な大正デモクラシーの時流に乗って、数々の鉛筆をヒットさせ、その普及に努めた。しかし、戦争が終わると、過剰な設備投資と在庫の滞留を原因とした戦後恐慌に襲われる。さらに、1923年9月1日に起こった関東大震災により、日本経済は、景気回復の見通しが立たないまま、昭和時代（1926～1989）を迎えることになった。春之助が、事業理念として「品質」を掲げたのは、このような厳しい経済環境のさなかであった。以降、良質な鉛筆づくりをめざして全資源を集中、一貫生産体制を整えて、近代国家建設に資する鉛筆づくりに没頭する。しかし、1937（昭和12）年に日中戦争、1941年には太平洋戦争開戦と、日本は戦時体制に突入、国民にとっても鉛筆業界にとっても苦難の時代へ突入する。9トンボ鉛筆100年史

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第1章創立・草創期1913–1915小川春之助商店（大正中期）1913[大正2]2小川春之助が東京市浅草区瓦町（現東京都台東区柳橋）に「小川春之助商店」開業（11日トンボ鉛筆創立）2月11日は紀元節杉江鉦三郎の子息・政明も創立に参加6森永製菓、ミルクキャラメル発売8岩波書店開業―小川作太郎、東京市本郷区駒込坂下町（現東京都文京区千駄木）に工場設立、鉛筆生産を再開―「H.O.Pencil」（HarunosukeOgawaPencil）と刻印した鉛筆を発売1914[大正3]4日本初の“着色劇”映画公開7第一次世界大戦勃発、鉛筆業界は空前の活況を呈する8日本、ドイツに宣戦布告11日本、青島占領12東京駅開業鉛筆「MASON（メーソン）」発売―問屋の池上商店を販売元に「メリー優良鉛筆」生産―小売店の銀座「伊東屋」との取引開始―戦争のため連合国側へのドイツ製鉛筆輸出が途絶―文部省、鉛筆を「内国製代用品」に指定―洋紙生産高、和紙生産高を超える1915[大正4]11天皇即位の礼に合わせ「御大典記念鉛筆」発売―「ステッキ鉛筆」発売、都市部でヒット―潜航艇マーク入り「SUBMARINE（潜航艇）」発売、大正末期までメインブランドとして販売―戦争特需で鉛筆の輸出、急拡大―国内の鉛筆生産高が戦争前の約8倍、工場数が約7倍（約180カ所）に小川春之助商店開業──トンボ鉛筆の創立大正という新しい時代を迎えて約半年後の1913（大正2）年2月11日、東京市浅草区瓦町（現東京都台東区柳橋）に、トンボ鉛筆の前身、小川春之助商店が開業する。数え28歳の若き店主、小川春之助（1885～1957）は、日本橋の文具問屋にて、いわゆる「四宝文具」（墨、筆、硯、半紙）と呼ばれる文房具の流通を基盤とした商いを習得したのち、父、作太郎が心血を注ぐ国産鉛筆づくりを支える。その一方で、和洋両文房具に精通した文具仲買業として信用を築き、独立を果たした。当初は筆や半紙、鉛筆や鋼ペンなどの文房具類全般を扱っていたが、しだいに鉛筆の製造販売に経営の主軸を移していく。鉛筆産業が一大産業へと発展していくなかで、春之助はメーカーへの転換を図った。春之助の進取の気風が生み出した「銘柄鉛筆」が人気を呼ぶ開業した翌年、第一次世界大戦が起こる。戦争特需による好景気のなか、小川春之助商店は、「銘柄鉛筆」と呼ぶ独自の路線を開拓し、次々と企画・商品化していった。1914年12月、最初の銘柄鉛筆「MASON（メーソン）」を発いしく売、好調な売れ行きだった。MASONとは石工の意味。石MASON228ステッキ鉛筆H.O.Stickメリー優良鉛筆（販売元池上商店）福井商店のカタログに掲載されたステッキ鉛筆10

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春之助（中央）、前列左より妻とわ、長男八郎、長女綾子、作太郎夫人寿々（1922年撮影）積みによる建築は中世ヨーロッパでは「王者の技術」とされ、MASONは高い地位にあった。春之助は、近代日本を建設する筆記具として「MASON」を企画したのだった。また、1915年には爆発的な人気を博した「ステッキ鉛筆／H.O.Stick」を送り出している。春之助の進取の気風が生み出した銘柄鉛筆は、顧客へ喜びを届ける商品として、広く親しまれていくことになる。その点で、春之助は、いまでいう「マーケティング」の名手であった。春之助はそれら銘柄鉛筆に発売元の証として「H.O.Pencil」というシンボルマークを必ず刻印した。HarunosukeOgawaPencilの略である。こうして種々のヒットは、春之助の個性として束ねられ、ゆくゆくトンボ鉛筆の基礎を築いていく。映画など流行を取り入れた鉛筆がブームに「ステッキ鉛筆」は、チャップリンの短編喜劇映画の流行ともあいまって、一大ブームを巻き起こしたが、外国映画にヒントを得て命名された銘柄鉛筆として、「快漢ロロー」と「SUBMARINE（潜航艇）」がある。1915年に封切られた劇場映画「ザ・サブマリーン（原題TheSubmarine）」にちなんで発売したのが鉛筆「SUBMARINE」である。このシリーズはロングセラーとなり、また、軍関係の納品鉛筆としても数多く受注した。1916年には、劇場映画「快漢ロロー（原題Liberty）」のヒットから、鉛筆「快漢ロロー」が誕生。尖りゴムつきの細軸鉛筆は、映画人気との相乗効果で好調な売れ行きだった。時代のトレンドを商品の意匠に取り入れた、いわゆる“銘柄鉛筆”は、この時点ですでに完成していたといってよいだろう。こうして木筆と呼ばれていた鉛筆は、国民的な筆記具として定着していくのだった。第一次世界大戦と鉛筆業界第一次世界大戦（1914～1918）を契機に、日本はにわかに鉛筆輸出国となった。主要生産国だったドイツの参戦により輸出が途絶え、海外各国から日本への注文が殺到したためである。鉛筆工場は1914年当初の25カ所から、大戦をはさんで約180カ所にもなったと伝えられる。空前の鉛筆ブームだった。大正初期の鉛筆製造業は、三つに分類できる。店舗で売られた個人向けの鉛筆をつくる事業者、官公庁などで使用される用度品としての納品鉛筆をつくる事業者、主に国外に向けられた輸出鉛筆をつくる事業者だ。輸出景気にわくなかで、春之助は、鉛筆が舶来の新しい筆記具として普及途上だった国内需要を重視し、文房具店で売られる個人向け鉛筆製造に事業を絞り込んでいく。お客様本位でモノづくりする春之助の才覚が、のちに訪れる厳しい戦後恐慌を乗り切る大きな力となった。SUBMARINE2224（上）SUBMARINE（下）SUBMARINE2224潜航艇マークが入っている11トンボ鉛筆100年史

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第1章創立・草創期1916–19221916［大正5］―鉛筆「快漢ロロー」発売―「ゴルフ型セット」「CABINET」「METROPOLIS」「クリスマス用鉛筆セット」発売1917［大正6］―大阪の大問屋・福井商店（現ライオン事務器）との取引を開始、その後、メーカー会「興福会」加入1918［大正7］1大八車30台による初荷開始パイロット萬年筆発売8富山県で米騒動、各地に波及11第一次世界大戦終わる―スペイン風邪大流行1919［大正8］6ベルサイユ条約調印（日本、赤道以北南洋諸島を統治）―このころセルロイド人形を取り付けた人形つき鉛筆「FunnyFace」発売―戦争特需がなくなり、鉛筆工場や輸出向け問屋の倒産相次ぐ1920［大正9］1国際連盟成立3東京、大阪で株価暴落（戦後恐慌）10第1回国勢調査（内地人口5596万人）―三軒長屋全軒を買い取り、本店の広さ3倍に―鉛筆工場数、20～30に―「H.O.Pencil」改め、「H.O.P.」とする―「H.O.P.」を図案化、商標登録新しい文化に敏感な人たちに歓迎された「H.O.Pencil」1916（大正5）年、「ゴルフ型セット」「CABINET（キャビネット）」「METROPOLIS（メトロポリス）」「クリスマス用鉛筆セット」などの銘柄鉛筆を相次いで発売する。なかでも「ゴルフ型セット」は、キャディーバッグになぞらえた円筒ケースの中にクラブ・パター型の鉛筆を入れたセット品で、その趣向によって話題を集めた。折しも上流階級の遊びとして、ゴルフが紹介されはじめたころでもある。これを発展させて、ひとそろいの文房具を筆箱や靴下の形の袋にパッケージしたのが「クリスマス用鉛筆セット」だった。これらは流行やファッションに敏感な人たちに歓迎され、百貨店や銀座・伊東屋で飛ぶように売れた。次々にヒット商品を送り出す「H.O.Pencil」ブランドの名は高まっていった。大問屋・福井商店との取引開始──関西へ商圏を拡大1916年の暮れ、小川春之助商店は、取引先が増えてきたこともあり、いっそうの宣伝効果を期待して、色刷りの年賀状を多くの文具関係者に発送している。その熱意が縁となり、当時、国内最大手の文具問屋「福井商1921［大正10］4度量衡法改正公布、メートル法が基本に（1924年7月施行）―福井商店銘柄の「コッピー鉛筆」を受注生産、細軸1本7銭CABINET1801922［大正11］12文部省、小学校教育費の整理・節約の訓令発出―博覧会、見本市に鉛筆「SouvenirofTokyo（スーベニア・オブ・トーキョー：東京みやげ）」などを出展（好評ながら、不況のなか受注拡大には至らず）―鉛筆「REPORTER」発売年賀状創立当初春之助は「春之輔」の字を使用していた12

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鉛筆ゴルフ型セット興福会の会合（昭和初期）東日本橋の料亭「生稲」前店」（現ライオン事務器）の“若旦那”、福井正太郎氏が大阪より来訪、ただちに取引が始まった。ここから、春之助の銘柄鉛筆は関西でも広く販売されることになる。その後、福井商店を中心としたメーカーの会である「興福会」に加盟し、文房具製造事業者として大きな信用を得ることになった。同会の主なメンバーは、「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」の考案者・早川徳次氏、ゼブラ・ペンの石川徳松氏、開明墨汁の田口精爾氏など。パイロット萬年筆の創始者・並木良輔氏も、その後、加わっている。初荷と戦後不況──大正の光と影1918年は、小川春之助商店にとって、喜びの年明けとなった。1月2日、開業以来、初めての行事「初荷」が行われる。この行事は、新年の初商いの荷を美しく飾って送り出し、お得意先に挨拶をしながら練り歩くめでたい行事で、威勢のよさと事業規模を示すものであった。父、作太郎の鉛筆工場（旧駒込坂下町）を出発した30台もの大八車は、「初荷」と染め抜かれた紅白ののぼりをはためかせながら、上野、浅草の電車道（路面電車の走る道）を練り歩いた。開業から5年目の快挙であった。しかし、世情はしだいに厳しさを増していった。第一次世界大戦の終結により、深刻な戦後恐慌が襲ったのである。鉛筆製造業も例外ではなかった。180カ所にものぼっていた鉛筆工場は、1920年に20～30カ所にまで激減し、問屋の倒産も相次いだ。小川春之助商店は、内需を重視し、お客様本位の鉛筆の企画・製造に主力を置いてきたため、大事には至らず、内部留保で恐慌を乗り切っている。戦後不況から学んだ知恵──良質な鉛筆づくりを志す長引く不況のなかで、春之助は、時勢を逆手にとった、三つの投資を決意する。一つは、店舗の拡張だった。1920年、柳橋の店に連なる1棟3軒を買い取り、新たな本拠地とした。二つ目は、銘柄鉛筆に刻印してきた「H.O.P.」を登録商標とし、小川春之助商店の鉛筆のトレードマークとしたことである。三つ目が、「品質の追求」だった。国内経済の萎縮によって、意匠を凝らした銘柄鉛筆の売れ行きが鈍り、福井商店から「常時均等に売れる品を」との助言を受けた春之助は、筆記具の普遍的な魅力とは何かを追求する。こうして、「第一に良質であること」をこれからの事業理念として導き出したのである。そして、春之助は高い品質の鉛筆を製造する新工場の構想をあたためはじめる。戦後恐慌から学び取った知恵であった。SouvenirofTokyoFunnyFaceREPORTER22513トンボ鉛筆100年史

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第1章創立・草創期1923–19251923［大正12］2東洋一のオフィスビル「丸の内ビルヂング」完成9関東大震災発生、本店焼失（1日）本郷の工場で商いを再開（11日）生活必需品を中心に物価高騰10柳橋の本店再建を開始12本店完成1924［大正13］1摂政裕仁親王（昭和天皇）ご成婚7メートル法施行8甲子園球場オープン10荒川放水路・岩淵水門完成―製造部門の強化に着手―関東大震災復興記念鉛筆「NewTokyo」発売―年間輸入超過額が過去最高に1925［大正14］1大日本雄辯會講談社、『キング』創刊、売上77万部3東京放送局、試験放送を開始普通選挙法成立（衆議院議員選挙法改正）、25歳以上男子に選挙権を付与治安維持法成立4メートル法採用の「算術書」尋常小学校1～2学年用使用開始7東京放送局、ラジオ本放送を開始11東京環状線（山手線）全線開通―小川作太郎、鉛筆の一貫生産工場建設用地を調査関東大震災──罹災を免れた鉛筆工場1923（大正12）年9月1日、関東大震災が発生する。神奈川県相模湾北西沖を震源としたマグニチュード7.9の地震は、東京、神奈川、千葉、静岡の広い範囲で、被災者約190万人、死亡・行方不明者約10万5000人という、日本災害史上最大級の被害を引き起こした。小川春之助商店も焼失したが、従業員、家族ともに無事で、父、作太郎の鉛筆工場が罹災を免れたことは、不幸中の幸いであった。しかし、大震災によって、東京の中央問屋としての流通機能はマヒし、各地の小売店への製品供給は完全に断たれた。作太郎の鉛筆工場（旧駒込坂下町）には、問屋や小売店が全国から押し寄せた。小川春之助商店は現金売りを唯一の条件として、工場の在庫品を、物価高騰にもかかわらず元のままの値段で販売している。一方、大阪と名古屋の問屋組合は義援金を取りまとめるなど、援助の手をさしのべた。そののち、関西の製品が東京と、東京以北に大量に流通するようになり、品不足を救った。大正期に製造されたGOLFGOLF14

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小川作太郎TOSHIMAFACTORY正門前にて（昭和初期）大震災により全焼した本店の復興震災から10日後の9月11日、小川春之助商店は商いを再開する。第一次大戦終結後の恐慌によって過剰気味になっていた在庫は飛ぶような売れ行きで、親族の鉛筆製造業者が力を合わせ、製造も再開した。柳橋の小川春之助商店本店が復興したのは、1923年の暮れであった。1棟3軒をひとつにしたが、震災直後ということもあり、簡易な建物だった。本建築に建て替えたのは、4年後の1927（昭和2）年のことである。1954年に人形町に移転するまで、柳橋のこの店が、小川春之助商店の本拠地となった。良質な鉛筆づくりをめざして、TOSHIMAFACTORY建設へ始動震災前から、春之助は鉛筆に求められているものが、目新しさから「書く」品質に移行していることを感じ取っていた。常時均等に売れる良質な鉛筆づくりの構想をあたためてきた春之助は、鉛筆の一貫生産体制を整えるため、新たな工場建設を決意する。きっかけはいくつか重なった。福井商店の福井正太郎氏が震災直後に大阪からお見舞いに来てくれて、「これからは質の向上を」と助言してくれたこと。百貨店大手の松坂屋から「大きな取引契約を結びたいので、直接、製造工場を見たい」という申し出があったこと。また、景気の悪化で諸々の価格が下落していたことも新規投資には有利に働いた。鉛筆は芯の窯業から木工・塗装と多様な専門工程を総合化した特殊な商品である。そのため伝統的に工程別に工場が散在する形で発展した。しかし良質な鉛筆づくりのためには、このような形では限界があることを痛感していた春之助は、お得意先の申し出も手伝って一貫生産工場建設へと動き出す。1925年、作太郎を中心に工場用地の調査に入り、東京府北豊島郡王子町中豊島（現東京都北区豊島6丁目）に約2500平方㍍（約750坪）の土地を借りることにした。TOSHIMAFACTORY建設の第一歩だった。建て替え後の本店（柳橋）浅草（柳橋）本店写真入り広告（1929年）15トンボ鉛筆100年史

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第1章創立・草創期1926–19301926［大正15／昭和元］8日本放送協会（NHK）設立12大正天皇崩御、昭和に改元（25日）1927［昭和2］1「トンボ印」をハウスマークに採用、出願公告（鉛筆限定で商標登録）2ロゴタイプ「TOMBOW」を商標登録3昭和金融恐慌勃発5東京府北豊島郡王子町中豊島（現東京都北区豊島）に「芯工場」完成10「挽臼工場」完成12初の地下鉄が東京・上野－浅草間に開通―初の宣伝広告を雑誌『キング』に掲載1928［昭和3］2初の男子普通選挙実施5御大典記念国産振興東京博覧会開催（上野公園）6日本初の本格的製図用鉛筆「TOMBOWDRAWINGPENCILS」を発売（ドイツ・スワン社の墨芯を使用）、1本10銭キャッチフレーズ「最高の質トンボ鉛筆」11昭和天皇即位礼挙行―王子工場建設を記念して鉛筆に「ToshimaFactory」と刻印―トンボ印鉛筆硬度充実（6H～6Bの14種）、用途を記した「使用説明カード」が評判に1929［昭和4］10ニューヨーク株式市場大暴落（世界恐慌始まる）―8月のドイツの飛行船「ツェッペリン伯号」来航を記念して「ツェッペリン鉛筆」発売―翌年にかけて、木工・塗装・木口切り・金物付け・刻印・仕上げの各工場を、王子工場に順次集約TOSHIMAFACTORYの建設、そして集約芯製造も木工も塗装もすべてをそろえた理想的な工場をつくろうという方針のもと、新工場建設は1927（昭和2）年に始まった。そして同年5月、東京の隅田川沿いの豊かな河川敷に、約350平方㍍（約100坪）の「芯工場」が竣工する。1927年といえば、銀行の取り付け騒ぎから、金融恐慌が起こった年である。厳しい経済環境のなか、塗装、木工、仕上げなど、一つひとつを集約していき、数年後、計画どおりの一貫生産工場が完成する。鉛筆製造における、わが国初の近代工場TOSHIMAFACTORY（王子工場）の誕生であった。また、工場用地も、当初は約2500平方㍍（約750坪）の借地だったが、事業の順調な発展により、周辺の土地を順次取得し、最終的に1万5000平方㍍（約4500坪）の用地を確保し、10年がかりで完成をみる。「スワン芯に追いつけ、追い越せ」を目標に工場建設に着手する1年前、春之助は鉛筆の生命線である芯の改良に取り組むため、思い切った行動に出る。輸入商社のアイザック商会（現エス・アイザックス商会）に1930［昭和5］3関東大震災からの復興を記念して「帝都復興祭」挙行昭和恐慌発生4上野駅地下道に商店街オープン14硬度の製図用鉛筆と使用説明カード16

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芯工場上棟式当日右端が春之助相談し、複数のサンプルを取り寄せて検討した結果、ドイツのスワン社製の芯を調達することを決める。そして、5万グロス（720万本）もの墨芯を発注したのである。スワン芯の一部は竣工したばかりの芯工場に送られ、残りは作太郎の工場に搬送された。春之助と作太郎は、スワン芯の分析など研究を重ね、「スワン芯に追いつけ、追い越せ」を目標に、一から芯づくりを見直した。国内最上の芯をつくる工場、それが、TOSHIMAFACTORYの使命でもあった。「トンボ印」がハウスマークに新工場建設に着手する一方、春之助は、これまでトレードマークとしていた「H.O.P.」に代わる力強いシンボルマークの創設に取り組む。候補は三つあった。一つは明治20年代に東京・上野で開催された内国勧業博覧会で、国産として評判を呼んだ杉江鉦三郎の鉛筆に刻印された「トンボ印」。一つは自社工場を整備したことをシンボライズした「ノコギリ屋根の工場印」。そして、橋を架ける「ブリッジ」である。春之助たちは「トンボ印」を選んだ。小川春之助商店でともに働く杉江鉦三郎の子、政明もこれを歓迎した。わが国の鉛筆産業の発展に尽力した杉江鉦三郎のトンボがよみがえるのだった。それは明治期に開催された内国勧業博覧会の会場で「国産の旗」となったシンボルマークである。図案は「やんま」を象った。同時に、英字のロゴタイプ「TOMBOW」も考案し、トンボ印とともに、1927年、商標登録している。14硬度の最高級鉛筆が完成──鉛筆の品種が一気に拡大1928年、6Hから6Bまで14硬度をそろえて発売した最高級製図用鉛筆「TOMBOWDRAWINGPENCILS」は大きな反響を呼んだ。当時、国産鉛筆は1本8銭が最高だったが、これを上回る1本10銭、ダースで1円20銭という最も高価な鉛筆となったのである。「最高の質トンボ鉛筆」というキャッチフレーズはこのとき生まれている。また、鉛筆に多様な芯硬度があることを知る人が少なかったこの時代に、ダース缶の中に使用説明カードを入れ、商品知識の普及に努めたことは評判となった。鉛筆の深い表現力が、日本文化と調和して定着したのは春之助ら先人の啓蒙活動が実を結んだものである。「TOMBOWDRAWINGPENCILS」以降、鉛筆の品種は一気に拡大する。芯工場捺印機17トンボ鉛筆100年史

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第1章創立・草創期1931–19381931［昭和6］9満州事変起こる―試験用鉛筆「No.570」発売、“雄飛トンボ”の名で宣伝1932［昭和7］3満州国、建国を宣言1933［昭和8］3米穀統制法公布―トンボ印普及―「三菱トンボ」などの偽ブランド横行1934［昭和9］3宣伝活動に注力した結果、売上が3倍に―画家のゼン平田氏にトンボ鉛筆の筆文字ロゴタイプデザインを依頼―東北地方大凶作手頃な価格の試験用鉛筆“雄飛トンボ”が大ヒット「TOMBOWDRAWINGPENCILS」で、欧米メーカーに伍する鉛筆メーカーの誕生を国内外に知らしめた春之助は、次々に多くの鉛筆を企画・発売していった。製図用はもとより、事務用、学習用、ゴムつき、朱色・藍色というように、使用状況や目的に合わせて工夫し、多品種化を図ったのである。なかでも、1931（昭和6）年、学生層向けに発売した硬度Hの鉛筆は、“雄飛トンボ”の愛称で大ヒットとなった。学生が購入しやすい手頃な価格で高品質な試験用鉛筆の成功は、TOSHIMAFACTORYの一貫生産体制によって実現した。「トンボ印」を核とした宣伝活動1935［昭和10］―世界的スター・崔承喜をイメージキャラクターに採用―日劇に「トンボ鉛筆」名入りの緞帳を寄付1936［昭和11］2二・二六事件（高橋是清蔵相暗殺）10久邇宮家4殿下、当社工場をご見学―このころ自社製芯高級製図用鉛筆「TOMBOWNo.8800」発売、1本10銭―第三者が「トンボ」の商標権を鉛筆以外の全文具類で取得するという事件が起こる「トンボ印」をハウスマークとして以降、春之助は、宣伝を戦略と位置づけ、積極的な宣伝活動を展開する。1927年、人気漫画家・谷脇素文氏に依頼し、雑誌『キング』（大日本雄辯會講談社／現講談社）に掲載した宣伝広告には「鉛筆がトンボで答案楽に書き」の文字が躍る。このほか、朝鮮の舞姫と呼ばれた崔承喜をイメージキャラクターに起用したり、漫画の人気キャラクターを登場させるなど、宣1937［昭和12］4講堂完成（TOSHIMAFACTORY第1期工事完了）7中国・盧溝橋で日中両軍衝突、日中戦争始まる1938［昭和13］1高級製図用鉛筆「TOMBOWNo.8000」発売、1本20銭2創立25周年記念式典挙行5国家総動員法施行7物品販売価格取締規則公布・施行（公定価格制度確立、「マル公」時代始まる）崔承喜をイメージキャラクターに起用した広告試験用鉛筆No.57018

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久邇宮家4殿下工場見学記念の葉書25周年式典（TOSHIMAFACTORY正門）伝においても数々のヒットを放っていった。1935年には、春之助の妻、とわ（1895～1964）の人脈により、「陸の竜宮」と称された日劇に、珊瑚とエンゼルフィッシュをあしらった緞帳を寄付する。こうした宣伝活動を通じて、トンボ鉛筆の知名度は大いに高められた。だが、日中戦争（1937）を契機に輸入資材の不足と高騰にあう。さらに価格等統制令によって高級製図用鉛筆の上限小売価格が20銭と規定される。トンボ鉛筆は20銭の価格帯で「TOMBOWNo.8000」を企画、ロングセラーとなった。自社製の高級製図用芯の完成から生まれた「TOMBOWNo.8800」1927年に始まった、国内最高の芯づくりは、約10年にも及ぶ試行錯誤を経て、1936年、「TOMBOWNo.8800」の発売をもって結実した。ダース箱内のしおりには、こう記載している──「トンボ製図用鉛筆は弊社研究部の生命とも云うべき優良品で、弊社の最も誇りとするものであります」。春之助の大胆な投資によって完成した自社製の高級製図用芯を用いた「No.8800」は、今日、わが国の鉛筆の代名詞となっている「8900（ハチ・キュー）」の前身である。春之助は、最高峰エベレストの標高が一般に8800㍍といわれていたことから、「No.8800」に鉛筆の最高峰の意味を託したと思われる。宮様のご見学1936年10月、久邇宮家の4殿下をTOSHIMAFACTORYにお迎えする。久邇宮家は昭和天皇の皇后の香淳皇后が出られた家柄。当主であった朝融王殿下のお子さまのひとりが「鉛筆をつくっているところを見たい」とおっしゃったのがきっかけだった。宮内省（現宮内庁）が視察先を調査している際、銀座・伊東屋の社主、伊藤勝太郎氏の口添えで、当社の工場を見学されることが決まった。久邇宮妃殿下の知子女王殿下、邦昭王殿下、正子女王殿下、朝子女王殿下がご来訪された。鉛筆業界が宮家をお迎えするのは初めてのこと。また、工場がある旧王子区に宮家がお入りになったのも初めてだった。宮家の工場見学は、つつがなく執り行われた。TOMBOWNo.8000TOMBOWNo.8800TOMBOWNo.8800広告19トンボ鉛筆100年史

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第1章創立・草創期1939–1945トンボ鉛筆産業報国会（左）八郎出征の日（1938年・右）1939［昭和14］7国民徴用令施行9第二次世界大戦始まる（イギリス、フランス対ドイツ宣戦布告）10価格等統制令公布・施行（9月18日の水準に価格等を釘付けするストップ令発令）12小川春之助商店を法人化、営業部門をトンボ鉛筆商事（株）、製造部門を（株）トンボ鉛筆製作所とする初代社長、小川春之助（両社とも）―鉄兜字消製造（株）設立―「鉄兜字消し」発売のちにゴム不足のためゴムを使用せず油脂により製造1940［昭和15］9日独伊三国同盟調印11大日本産業報国会創立―鉛筆の公定価格が決まる―鉛筆の輸入、ゼロに1941［昭和16］4国民学校発足12日本軍、ハワイ真珠湾攻撃（太平洋戦争勃発）―準軍需工場に指定（製品の3分の2を軍関係に納入）―鉛材輸入、途絶1942［昭和17］5企業整備令公布・施行―トンボ鉛筆・真崎大和鉛筆・日本鉛筆の3社で朝鮮・大田市に鉛筆工場建設株式会社トンボ鉛筆製作所&トンボ鉛筆商事株式会社が誕生1939（昭和14）年、小川春之助商店は法人化し、株式会社となる。社名は、これまでトレードマークとして利用していた「トンボ」を採用し、製造部門を「株式会社トンボ鉛筆製作所」、営業部門を「トンボ鉛筆商事株式会社」として2社を設立。春之助が両社の初代社長に就任し、作太郎は会長、春之助の長男、八郎（1917～1963）が専務となる。そのころ、わが国は、1938年に国家総動員法が公布されるなど、戦時体制下であった。1939年には価格等統制令の施行があり、翌年、鉛筆の公定価格が決まる。独立独歩の鉛筆業界にも国の方針が深くかかわりを持つようになっていった。戦争と鉛筆1941年、わが国は太平洋戦争に突入し、トンボ鉛筆製作所は準軍需工場の指定工場となる。製品の3分の2は軍関係に納入することとなった。鉛筆は、戦地に赴いている兵士への慰問品として、また、占1943［昭和18］2創立30周年記念式典―マレーシア・クアラルンプールに進出、現地で鉛筆製造開始―アルファベットの使用が禁止になり、鉛筆硬度を漢字で刻印（HBは「中庸」に）1944［昭和19］―アメリカ人のM.レイノルズ、ボールペンを初めて商品化1945［昭和20］3東京大空襲本社、爆撃により焼失4工場、爆撃により焼失7月産3000グロス（43万2000本）生産の工場を再建8終戦（15日）鉄兜字消しと鉄兜字消し広告20

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せんぶひん領地政策のための宣撫品として利用された。日本軍の勢力が拡大するのに伴って、民間企業の誘致がさかんになると、大切な軍需品となっていた鉛筆でも国外進出の話が持ち上がった。1942年、当社と真崎大和鉛筆、日本鉛筆の3社が協同で「大東亜鉛筆」を設立、朝鮮・大田市に工場を建設する。2年後の1943年、トンボ鉛筆は単独でマレーシアに鉛筆工場を建設し、春之助の次男、浩平（1921～1987）が支配人に就く。工場は150人の現地雇用を創出し、ゴム園中心の農村地帯に近代的な機械生産設備を備えた工場を根づかせたのだった。戦時下の創立30周年、そして八郎の出征1943年、小川春之助商店の開業から30年目を迎え、春之助は数え59歳になっていた。記念式典は、内々でささやかに行われ、従業員たちからは春之助・とわ夫妻の胸像が贈られた。このころ、春之助は本社のある柳橋2丁目の町会長に就任している。多くの出征兵士を見送り、戦火から町会を守りながら、鉛筆増産という銃後の生活に尽くした。春之助の長男、八郎は、1938年からの約2年間の出征に続き、1944年春、神奈川県座間の陸軍病院に衛生兵として二度目の召集を受ける。27歳の青年専務として、実質的に事業を切り盛りしていた八郎の召集は、事業に大きな痛手だった。八郎がもたらした希望の光1945年、3月10日の東京大空襲により、柳橋のトンボ鉛筆商事株式会社本社は焼失。続く4月13日の空襲で、王子の株式会社トンボ鉛筆製作所の工場は1棟の倉庫を残して、すべて焼き尽くされた。打撃はあまりにも決定的だった。会社の解散を思いつめる春之助を励まし、工場再建へ希望の光を照らし続けたのは、座間から任務の合間を縫っては駆けつける八郎であった。八郎という精神的な支柱を得た春之助は解散を思いとどまった。トンボ鉛筆は、工場焼失に伴って働く場を失った従業員らを手厚く処遇した。そして、焼けただれた機械設備を修復し、工場復興に取りかかる。TOSHIMAFACTORYは、月産3000グロス（43万2000本）を生産する工場として、焦土のなかからよみがえったのだった。困難に遭遇して決して後戻りしないトンボ鉛筆の精神が、戦後の新時代を拓いていく。公定価格の「8000番」公定価格の「8800番」HBも「中庸」に変更21トンボ鉛筆100年史

## 22_Theme_前史 トンボの軌跡
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Theme前史トンボの軌跡杉江家と小川家の絆ふたりの創始者と「蜻蛉」130年の起源トンボ鉛筆にはふたりの創始者がいる。鉛筆が珍しい舶来品として紹介されたころ、その製法を解明し、工業化を追求した小川作太郎と、質量ともに欧米に伍す鉛筆を完成させ、自社ブランドを確立した小川春之助。ふたりは父子だった。このため、トンボ鉛筆では、作太郎を創業者、春之助を創立者と呼んでいる。春之助が「小川春之助商店」を開業したのは1913（大正2）年のことで、これをもってトンボ鉛筆の創立とするならば、2013（平成25）年は100周年を迎える年となる。しかし、鉛筆は一朝一夕にしてつくれるものではなかった。春之助が創意に富んだ鉛筆を次々に発売できたのは、これをつくる土壌がすでにあったからにほかならない。それを培ってきたのが、1891（明治24）年から鉛筆づくり一筋に生きた作太郎であり、最初に「トンボ（蜻蛉）」印を鉛筆に刻印した、春之助にとっては叔父にあたる杉江鉦三郎（～1903）であった。せいれい鉦三郎は、1884年、鉛筆製造会社「蜻蛉社」を設立する。社名のトンボを図案化し、1896年に商標登録した。トンボと鉛筆を結んだ人物が鉦三郎であり、春之助がこれを眠りから覚まし、継承する。鉦三郎の実子、政明は「小川春之助商店」の創立時から春之助とともに歩み、トンボ印を鉛筆のハウスマークにすること、社名をトンボ鉛筆にすることを春之助に勧めた。また、昭和初期、「小川春之助商店」は、鉦三郎亡き後も細々とではあるが続いていた杉江工場をTOSHIMAFACTORYに招き、吸収している。これらを鑑みれば、トンボ鉛筆の起源は100年よりさらに遡ることがわかる。「蜻蛉社」の設立から起算すると、トンボ鉛筆は創業130年を数えるのである。鉛筆産業の黎明期ひと口に130年というが、そこには、明治時代という近代日本の夜明けにあって、鉛筆の製造と普及に夢を託した、小川作太郎、杉江鉦三郎らをはじめ、夢の実現と発展に努めてきた多くの先達の姿22

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内国勧業博覧会開場御式の図（国立国会図書館蔵）があった。はじめに鉛筆の製造技術を日本に伝えたのは、1873年、政府伝習生としてウィーンで開催された万国博覧会に派遣された井口直樹と藤山種広だった。井口は木工加工機械などの生産設備を、藤山は芯の技術を調査・研究し、民間に伝授したのである。翌年の1874年には、日本初の鉛筆工場が興る。井口、藤山の両名から教えを受けた小池卯八郎が東京・銀座に、輸入鉛筆を試料として独学で鉛筆製造法を確立した河原徳右衛門が小石川に、相前後して鉛筆製造業を開業した。1877年、小池は「第1回内国勧業博覧会」に教育の器具として鉛筆を出展。河原は、1881年の「第2回内国勧業博覧会」にて有功賞牌二等を受けた。しかし、のちに両者とも廃業する。背景には、1881年に起きた「明治14年の政変」があった。維新から始まった殖産興業によるインフレから、「松方財政」と呼ばれた極端なデフレ政策に急転換したことにより、多くの中小企業が倒産したのだった。小池工場と河原工場も、不況の影響で行き詰まった。杉江鉦三郎は、多くの優れた技術者を輩出した河原徳右衛門のもとで鉛筆製造法を学び、河原工場が廃業した2年後の1884年、東京市下谷区竹町（現東京都台東区台東）に「蜻蛉社」を興すことになる。明治も半ばとなる1886年には小学校令が新たに公布され、高等小学校では英語が選択科目に加わるなど、鉛筆需要は急速に高まっていた。しかし、その多くは輸入に頼っていたことから、文房具流通は国産鉛筆を待望した。杉江は1890年に開催された「第3回内国勧業博覧会」で早くも二等有功賞を受けるまでの鉛筆をつくり、以後、栄誉を重ねる。杉江鉦三郎が「蜻蛉」に託した思い杉江鉦三郎（左）と小川作太郎（右）トンボと鉛筆を結んだ最初の人である杉江鉦三郎は、佐竹藩の祐筆（武家の秘書役を担う文官）だった。維新前夜まで、勝ち虫と伝わる縁起のよい「蜻蛉」が刻印された武具を守り続けた。また、祐筆という立場から、西洋の科学技術や文化文明に明るく、いずれ、大きく時代が変わることを予23トンボ鉛筆100年史

## 24
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見していたひとりでもあった。維新によって、鉦三郎も多くの士族と同様、失職した知識層となったが、工業に新天地を求め、河原徳右衛門の鉛筆工場で多くを学ぶ。1884年、「蜻蛉社」を興し、鉛筆製造業者として独立した際、鉦三郎は、“後ずさりしない不退転の虫”である「蜻蛉」に、先祖から受け継いだ士族としての誇りを託したのだった。小川作太郎と文明開化トンボ鉛筆の、もうひとりの創始者である作太郎は石川県七尾の出身で、1872年に生まれた。その年には近代教育制度の原型となる学制が頒布されている。先進国にならった初等教育が始まった年であるとともに、新しい筆記具である鉛筆が普及していくきっかけとなった年でもあったのだ。1889年、「江戸に出なきゃ、人間になれない」と、近代教育を受けた1期生ともいえる作太郎は、17歳にして上京、独立独歩の道を歩みはじめる。「江戸に～」は、当時の流行語だった。文明開化の世になり、四民平等の社会が到来し、すべての人に等しく“出世”の機会が与えられたと、若者たちの夢はふくらんだ。上京してまもないころは、染物屋（浦山家）で働くが、当主が亡くなり、幼いころから指導を受けていた指物師としての道を求めはじめたとき、衝撃の出会いがあった。「鉛筆工場へ行ってみると、何から何まで違う」──作太郎が見たものは、鉛筆の木口切りをする「ガラ」という工作機だった。このときの感動が、作太郎を鉛筆づくりへと向かわせた。1891年のことである。作太郎は、鉛筆の製造機製作の第一人者である佐藤藤次郎のもとで木製工作機の製造を始めた。足踏動力を応用して、木口切り装置、溝彫り装置、塗装装置などをつくっていった。藤次郎と作太郎がつくり出す鉛筆製造装置の評判は国じゅうを走り、同年暮れには仙台随一の毛筆問屋「鈴木玉光軒」から声がかかる。作太郎は仙台へ出向いて鉛筆工場をつくることになったが、結局、「玉光鉛筆」は幻に終わった。背景には、筆墨硯紙業界と唐物屋で扱われた硬筆（鉛筆）の対立があった。四宝文具と西洋文具がひとつの店舗で扱われるようになるまでには長い時間を要したのである。1893年、東京に戻った作太郎は、本所で鉛筆づくりを始める。その噂が、片腕を求めていた杉江鉦三郎の耳に入り、ふたりは意気投合。作太郎は「蜻蛉社」で鉛筆づくりに励むのだった。作太郎の通った七尾町尋常小学校小川作太郎（明治末期ごろ）24

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杉江家と小川家、そして浦山家の深い縁蜻蛉社の登録商標「トンボ印」春之助の出願した商標「トンボ印」鉦三郎と作太郎の出会いは、もうひとつの出会い、再会をもたらしている。奇しくも、鉦三郎の妻は、作太郎が上京した当初に世話になった染物屋、浦山家の次女だった。その縁から、1895年、作太郎もまた浦山家の長女と結婚、その末弟である春之助を養子に迎えた。浦山家の姉妹が、杉江家と小川家に嫁いだことで、作太郎は鉦三郎の義兄となり、春之助にとって、鉦三郎は叔父という深い縁で結ばれることになる。翌1896年、「蜻蛉社」は優良な国産鉛筆であることを表示するために、トンボをマークにした「トンボ印」を商標登録した。国産鉛筆の商標化は、業界初のことだった。1898年、作太郎は「蜻蛉社」から独立し、同じ下谷区の上根岸町に自分の鉛筆工場を設立する。芯の生産も取り込んで、順次、用地を広げ、工場を新設していった。一方の「蜻蛉社」は、1899年に組織変更して、「日本鉛筆株式会社」としたが、1903年、鉦三郎の死とともに個人企業に戻った。杉江家の残された家族は、鉦三郎の遺志を継いで鉛筆づくりを続ける。小川家も鉦三郎の創生の遺志を重んじて、残された者との絆を深めていった。しかし、明治も後期になってなお、鉛筆は約70%が輸入品で占められていた。また、日清戦争（1894～1895）と日露戦争（1904～1905）という二つの戦争によって、日本の対外債務が膨張し、戦後恐慌（1907～1914）が起こる。このようななか、一時は隆盛を誇った作太郎の工場も、大変な消費不振から火の車となっていた。1912年、鉛筆の製造・販売事業は、若き春之助、とわの夫婦に託された。1913年、｢小川春之助商店｣が開業する。春之助は、鉛筆の製造に汗する父を支えながら、文具商として「堅い人」との評判を得るまでになっていた。かたわらには、とわとともに、蜻蛉社の社主だった杉江鉦三郎の後継者、政明の姿があった。春之助は、まもなくしゃれた銘柄鉛筆をヒットさせる。作太郎は経営からは身を引いたが、意匠に工夫を凝らした鉛筆づくりに情熱を燃やした。1927（昭和2）年、若き日に鉦三郎と汗した「トンボ印」の復活を大いに喜び、渾身の力を込めて鉛筆製造に励む。1949年、春之助ととわの子どもたちによって、戦災から力強く立ち直っていくトンボ鉛筆王子工場を見届けながら、作太郎は世を去った。77歳であった。25トンボ鉛筆100年史

## 26_第2章_戦後復興と事業多角化
![26_第2章_戦後復興と事業多角化の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0028.jpg)

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第2章戦後復興と事業多角化1945–19661945（昭和20）年、終戦を迎え、日本は一面の焼け野が原から、奇跡的なスピードをもって立ち上がる。空襲で倉庫1棟を残すのみとなっていたトンボ鉛筆だが、「終わりのない戦争はない」との経営判断から、すでに生産を開始していた。終戦とともに事業再建は一気に加速、戦時中に発令された価格等統制令が続くなか、この年のうちに高級鉛筆を発売し、大ヒットとなった。1950年ごろには同業者の多くも復興を遂げ、品質競争の時代に入るが、折しも朝鮮戦争（1950～1953）が勃発。戦争特需が、日本経済復興の契機となる。1955年ごろには戦前の経済水準にまで持ち直し、さらなる経済成長が始まった。「神武景気」（1955～1957）にわく1956年には、「経済白書」で謳われた「もはや戦後ではない」が流行語となる。好景気の影響から、耐久消費財ブームが起こり、三種の神器（冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ）が大衆のあこがれの的となった。消費経済が社会を牽引していく時代になった。トンボ鉛筆は、このころから鉛筆専業メーカーから総合筆記具メーカーへ、事業の多角化を図る。シャープペンシル、ボールペン、マーキングペンなどを次々に発売し、「『書く』を提供するメーカー」に変貌を遂げるのだった。「神武景気」ののち、民間設備投資が景気を牽引し、技術革新による産業構造の変革期となった「岩戸景気」（1958～1961）、東海道新幹線や高速道路などインフラ整備が進んだ「オリンピック景気」（1962～1964）、国際競争力が強化された「いざなぎ景気」（1965～1970）と続き、日本は驚異的な高度経済成長を遂げる。所得水準の向上により、三種の神器は、車（car）、クーラー、カラーテレビの「3C」に取って代わる。戦後の復興期から成長期へと、時代が転換していく間に、トンボ鉛筆を担う世代も交代、さらに事業領域を拡大させていく。27トンボ鉛筆100年史

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第2章戦後復興と事業多角化1945–19471945［昭和20］9『日米会話手帳』発行、360万部の売れ行き10GHQ、経済民主化など5大改革を指令11写真修整鉛筆「8900」発売（黒軸）、1本30銭12GHQ、国家と神道の分離を指令1946［昭和21］2金融緊急措置令公布施行（新円を発行、旧円預貯金は封鎖）天皇巡幸始まる3物価統制令公布施行、価格等統制令廃止5文部省が「新教育指針」を教師と生徒に配布飯米獲得人民大会（食糧メーデー）挙行7NHKラジオ、「尋ね人」放送開始9文部省、国民学校の歴史教科書『くにのあゆみ』を発行11政府が当用漢字表と現代かなづかいを告示―青軸の「8900」発売、1本50銭1947［昭和22］2東京鉛筆工業協同組合設立3教育基本法・学校教育法公布、義務教育の9年制と男女共学などを規定4新学制始まる6・3制小学校・中学校発足労働基準法公布（9月施行）5日本国憲法施行―第1期工場復旧工事完了―M.レイノルズ来日、ボールペンの販売促進を図る戦後復興へ――事業を再構築1945（昭和20）年8月15日、戦争は終わった。混乱と不安が渦巻くなか、トンボ鉛筆はいち早く事業再建へと動き出す。このとき、すでに王子工場の生産高は、月産3000グロス（43万2000本）まで回復していた。8月15日以降、復興は加速し、翌年春までに第1期工事として墨芯工場が竣工する。次いで、木工工場や塗装工場、従業員宿舎などを整備する第2期工事が1948年に完了し、柳橋の本社や工場事務所を含めた第3期工事は1950年に完成をみる。トンボ鉛筆は、春之助と八郎が両輪となって、戦後社会に挑んでいく。事業再建において、春之助と八郎が示した優先着手の経営判断はみごとであった。製造現場、製造設備、そして最後が本社だった。製造業の経営哲学が伝わる。業界各社の協力による事業の拡大事業再建には多額の資金が必要だった。剣をペンに持ち替えた新たな国家は、筆記具メーカーの資金調達を支援した。復興金融金庫をはじめ、多くの金融機関と文具流通各位が再建を支えた。写真修整鉛筆8900（1946年発売）写真修整鉛筆8900（1945年発売）28

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焼け跡で再建始まる墨芯工場の上棟（左）春之助と八郎完成した木工工場前にて（右）トンボ鉛筆の資本金は1946年の100万円から、1948年に300万円、1950年には1000万円と飛躍的に拡大し、その復興ぶりは業界の範とされた。トンボ鉛筆の増資に際して、藤井商店（現レイメイ藤井）の藤井利七社長や伊藤商事（のちのアイティーオー）の伊藤仙十社長をはじめ、多くの流通各社が進んでこれを引き受けてくれたことが、戦後復興の原動力になったことはいうまでもない。でつくることができず、そこで、販売許諾枠を得ていた写真修整鉛筆の国産化が急がれた。1943年に特許を取得した粘土の微粒子加工を実現することで、「8800」の上を行く「8900」が完成したのだった。アマチュア写真家・八郎の着眼──「すらすら」から「光線遮断」へ国産最高峰の高級鉛筆「8900」誕生終戦から3カ月後の1945年11月、1本30銭の高級鉛筆「超微粒子写真修整鉛筆8900」を発売するや、トンボ鉛筆には注文が殺到した。その開発の背景には価格等統制令があった。価格等統制令により、メーカーの価格決定権が失われることに危機感を抱いた春之助と八郎は、統制令施行直前、国産化には至っていなかった写真修整鉛筆の販売許諾枠を、1本30銭の価格で得ていた。戦後、価格等統制令は廃止されたが代わって物価統制令が施行され、統制が解かれることはなかった。このため、国産鉛筆の象徴とされた1本10銭の「製図用鉛筆8800」は価格面「8900」は、鉛筆に新たな境地を拓いた。ダース箱の正面に「写真修整鉛筆」、横に「青写真・製図用」と記され、それまでの「なめらか、すらすら」な書き心地から、鉛筆の使命が大きく変化したことがわかる。背景には光学（写真）技術の進歩があり、機械・建築設計の原図を複写する青写真の急速な普及があった。鉛筆による写真修整は光のムラを取り除き、透明感のある仕上がりを得る目的で施された。青写真の作成には均質で光線遮断に優れ、変色がなく、堅牢な筆記線の鉛筆が求められた。鉛筆が持つ光線遮断性と写真技術・青写真を結びつけたのは、日本に数台しかなかったライカやコンタフレックスを操るアマチュア写真家、八郎であった。「写真修整鉛筆8900」の成功が、トンボ鉛筆の戦後復興の大きな原動力になった。現在の黄色のダース箱の8900（1948年9月～現在）皇太子殿下（今上天皇）のご来訪に合わせてリニューアル発売オリーブグリーン軸の8900（1948年4～8月）29トンボ鉛筆100年史

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第2章戦後復興と事業多角化1948–1951皇太子殿下の工場見学（左）復興した柳橋本店（中）トンボ講堂（右）1948［昭和23］2文部省が義務教育漢字を発表（881字）3義宮殿下、工場見学4新制高校発足9皇太子殿下、工場見学「8900」、現在のオリーブグリーンの軸色・黄色のダース箱で発売、1本80銭朝鮮民主主義人民共和国（北朝鮮）成立10第2期工場復旧工事完了―実業団野球チーム結成―鉛材輸入、再開1949［昭和24］2文部省が教科書検定基準を制定3財政金融引き締め政策（ドッジライン）実施6工業標準化法公布（日本工業規格JISを制定）7小川作太郎死去10孝宮殿下、順宮殿下、清宮殿下、工場見学11湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞、日本人初プロ野球パシフィック・リーグ結成12プロ野球セントラル・リーグ結成―デフレ（ドッジ不況）1950［昭和25］1「満年齢」制度施行聖徳太子像の千円札発行6小川八郎、先進設備導入のため渡米（6日）朝鮮戦争勃発、特需景気起こる7「日本綴方の会」発足（1951年9月「日本作文の会」に改称）第3期工場復旧工事完了、トンボ講堂完成（8日）9小学校のパン給食が都市部でスタート（1952年4月全国に拡大）10文部省が学校の祝日行事での国旗掲揚と国歌斉唱を通達資本金1000万円に増資12「岩波少年文庫」刊行スタート―柳橋本店、再建―ゴムつき高級鉛筆「482」の普及版「2558」発売（2分の1の価格）、爆発的売れ行き皇太子殿下の工場見学と柳橋本店の再建王子工場の施設が一応の完成をみた1948（昭和23）年から翌年にかけて、昭和天皇のお子様たちが三度にわたってご来訪されている。1948年3月に義宮殿下を、9月には皇太子殿下（今上天皇）をお迎えし、翌年10月に孝宮殿下、順宮殿下、清宮殿下の内親王がご見学された。学習院初等科が社会科の実習として「鉛筆をつくる工場」を見ることになったとき、戦争の打撃からいち早く立ち直った王子工場が選ばれたのだった。以降、同校では社会科の見学コースに当社の王子工場を組み込むのが慣例となった。また、1950年には、柳橋の本店が再建されている。木造モルタル壁、瓦屋根の2階建ての建物となった。産学協同──東大教授を迎えて「鉛筆の芯を科学する」終戦から数年を経て、鉛筆業界においても多くの同業者が復旧し、品質を競い合う時代が到来する。折しも、社内では芯の「ブツ折れ」が問題となっていた。事業の再建を急ぐあまり、品質をおろそかにしてはならないと、春之助は「最高の質トンボ鉛筆」という昭和初期に掲げた事1951［昭和26］1第1回紅白歌合戦開催4新500円札発行5小川春之助、緑綬褒章受章7改正商法施行9初の民間ラジオ局が開局サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約調印10王子工場、鉛筆（黒芯）JIS認定工場となる―このころ「ヘクト鉛筆」発売、1本50円戦後も販売された800030

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業理念を、再度、高々と掲げたのである。これを受け、八郎は芯改良プロジェクト「鉛筆の芯を科学する」と題した産学協同の取り組みに着手する。1949年、八郎は東京大学理学部に分析化学の権威、木村健二郎教授を訪ねる。木村教授の尽力により、有機半導体の研究が専門の赤松秀雄助教授（のち東京大学教授）と、窯業研究の第一人者、永井彰一郎教授を研究室に招聘する。赤松助教授は、同じ研究室の高橋浩助手（のち東京大学教授、「炭素と粘土に関する研究」に生涯を捧げた）を伴って参加し、技術研究の中心となった。なお、赤松氏の回想によると、この研究はとりわけ高橋氏の知識と能力が存分に活かされる分野であって、この後に積み重ねられていく氏の重要な業績のいしずえとなったという（赤松秀雄『文集視点』1986年）。いわば、産業協同の理想郷であった。国立大学の教授が民間企業の研究を受託する産学協同には、「業界、ひいては国のため」という大義が求められた。王子工場発の研究成果は学会で発表され、多くのライバル社がこれを参照し、日本の鉛筆の芯の品質が世界で比類ないものに発展していくきっかけとなった。一方、教授らの研究所見を読んだ八郎は、生産設備の近代化の要を痛感し、ただちに渡米を決意する。1950年に渡米し、石臼に代わる「スピードライン・ミル」や「製軸機」「溝付け機」「全自動鉛筆ゴム付け機」など、近代生産設備の導入を決める。優良品の生産力向上と経営の合理化をめざしてのことだった。八郎の進取の精神により、わが国鉛筆生産技術は世界標準へと進化する。鉛筆JIS認定工場となる1951年10月、王子工場＝TOSHIMAFACTORYは、工業標準化法の規定に基づく「鉛筆（黒芯）JISZ6605」の認定工場になった。日本が工業標準化法を制定し、JISマーク表示制度をスタートさせたのは1949年。鉛筆規格の制定は1951年のことだった。鉛筆規格の制定に際して、「鉛筆の芯を科学する」プロジェクトにおける、木村健二郎教授による「鉛筆の芯に関する化学的研究」（1949）、赤松秀雄教授による「鉛筆の改良に関する試験研究報告」（1949）などの研究成果が、大いに役立てられたことはいうまでもない。身近な商品である鉛筆にJISマークが刻印されることで、JIS規格の認知度は飛躍的に高まった。現在も、日本規格協会のハンドブックの「鉛筆及び色鉛筆」には、「鉛筆は、JISマーク表示（承認）の品目に指定され、JISマーク商品の一般への普及に対して非常に大きな貢献をした」とある。ゴムつき鉛筆482（1928年ごろ発売）ヘクト鉛筆31トンボ鉛筆100年史

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第2章戦後復興と事業多角化1952–19541952［昭和27］4臨時物資需給調整法廃止GHQ廃止7夏季オリンピックヘルシンキ大会開催、日本は戦後初の参加8最高級鉛筆「HOMO」を完成し、発売、1本30円米国製CHICAGOタイプ（APSCO社製）鉛筆削り器をヒントに「408」を商品化、発売ラジオの受信契約数が1000万を突破11東京・丸の内に新丸ビルが完成1953［昭和28］2NHKテレビ、放送開始3中国からの引き揚げが始まる5小売店との懇親会、第1回さつき会（のちの「HOMO会」「MONO会」）開催7朝鮮戦争休戦協定調印8日本テレビ、放送開始（初の民間テレビ放送）10東京都内に「赤電話」（公衆電話）登場11うたごえ運動始まる1954［昭和29］1地下鉄丸ノ内線池袋－御茶ノ水間開業、戦後初の地下鉄開業3ビキニ水爆実験で第五福竜丸被災4カラヤンがN響を指揮第1回日本国際見本市開催（大阪）10資本金2500万円に増資事業の拡張に伴い、本社を東京都台東区柳橋より東京都中央区日本橋人形町に移転―原水爆禁止運動さかん―街頭テレビによりプロレス人気過熱国産最高級鉛筆「HOMO」の発売「鉛筆の芯を科学する」一大プロジェクトが始動して3年目の1952（昭和27）年8月、品質・価格ともに最高級を誇る鉛筆「HOMO」が完成する。「HOMO／ホモ」は、英語のhomogeneousに由来し、「均一、同質」という意味を持つ。精密製図用また写真修整用の鉛筆に最も求められることは、その芯が超微粒子として均質にできていること。この均質性を高めた鉛筆であることの証として、「HOMO」と名づけたのだった。赤松教授らの芯の研究を基盤に、八郎が米国から導入した近代生産設備をもって、芯の抜本改良がなされた「HOMO」は、9Hから6Bまで17硬度がそろえられた。とりわけ高硬度芯において、細線でシャープな筆跡が得られるのが特徴で、専門家はもとより、広く小中学生たちにも好評を博した。「HOMO」は、また、常識破りの鉛筆でもあった。国産鉛筆の価格が1本5円、10円が一般的だった時代に、1本30円、1ダース360円と、国産では破格のプライス・ゾーンを形成した。HOMOディスプレイとHOMO発売当初のHOMOHOMO32

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日本橋人形町の旧本社高価格にふさわしく、軸木にはファーストクラスのインセンスシダーを厳選し、その美しい木目を生かすために、透明なラッカー塗装を施すなど、丁寧なつくりも話題となった。さらに、ダース箱には当時の新しい素材、ポリスチレン樹脂を用いている。最新素材を鉛筆のケースに利用するという発想は、きわめて斬新なものだった。鉛筆メーカーとしての良心と決意が生み出した傑作、それが「HOMO」だった。第1回新製品発表会1952年夏、第1回「トンボ鉛筆新製品発表会」を東京會舘（千代田区）にて開催する。主役はもちろん国産最高級鉛筆「HOMO」であった。国内最高価格で、最高の性能を持つ「HOMO」をひと目見ようと、東京地区を中心に、多くの文具卸、業界団体、業界新聞などの関係者が会場をぎっしりと埋め尽くした。発表会はお披露目にとどまらず、受注会を兼ねたが、この日だけで約5000グロス（72万本）を販売。これを受け、八郎は、「HOMO」生産体制の大幅な強化を指示するのだった。良質な鉛筆づくりに半生を捧げてきた春之助にとって、「HOMO」の完成、そして発表会の成功は、まさに夢の結晶であった。本社は日本橋人形町1丁目1番地1954年10月、トンボ鉛筆は、“商業の聖地”ともいうべき東京都中央区日本橋人形町1丁目1番地に本社を構える。元は精糖会社が所有していた鉄筋コンクリート造・地上5階建てのビルを新社屋としたのである。このビルは、近代社会の基盤をつくった食と健康を支える精糖業界を経て、戦後の文化国家の基礎となる鉛筆メーカーへと受け継がれ、つねに時代の花形産業の中枢を担うことになる。「日本橋人形町1丁目1番地」は、信用を厚くしただけではなく、人材の採用にも有利に働いた。この年から定期採用を開始したが、第1期の技術者募集に際しては50人もの大卒者が応募し、うち10人が入社している。特約店用ディスプレイ鉛筆削り器40833トンボ鉛筆100年史

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第2章戦後復興と事業多角化1955–1957トンボ・ユニオンズスタルヒンと常務時代の小川浩平1955［昭和30］2NHK、テレビでの衆議院議員総選挙開票速報を初めて実施3プロ野球チーム、トンボ・ユニオンズのスポンサーに平凡社『世界大百科事典』刊行スタート4王子工場、色芯JIS認定工場となる5岩波書店『広辞苑』刊行8東京通信工業（現ソニー）、初のトランジスタラジオを発売森永粉ミルク（砒素中毒）事件発生9日本、GATT（関税および貿易に関する一般協定）に加盟12王子工場、品質管理優良工場として「工業技術院長賞」を受賞小川春之助社長、紺綬褒章受章―紙巻きワックス芯を開発、「マーキンググラフ2287」として発売―家庭電化ブーム―神武景気始まる1956［昭和31］1小川春之助社長、東京鉛筆工業協同組合理事長に就任2『週刊新潮』創刊、週刊誌ブーム5日ソ漁業条約調印（12月発効）7「経済白書」、「もはや戦後ではない」と宣言9文部省が初の全国学力調査を実施11南極予備観測隊の観測船「宗谷」出航12国連総会、日本の国際連合加盟を全会一致で可決最後の集団引き揚げ船「興安丸」がソ連から舞鶴に帰港1957［昭和32］2小川春之助死去小川八郎社長就任6国際収支改善緊急対策発表、緊縮でなべ底不況へ10ソ連、世界最初の人工衛星スプートニク打ち上げ成功（宇宙時代の幕開け）12日ソ通商条約調印100円硬貨発行―デザインの近代化始まる（河野鷹思氏を迎え、コーポレートロゴタイプを定める）―小売店を組織化した全国統一販売組織「HOMO会」発足―初のシャープペンシル「HOMOホルダー」発売、1本200円―東京都荒川区西日暮里に鉛筆会館完成トンボ・ユニオンズ1955（昭和30）年、大映の名物社長、永田雅一氏の橋渡しで、球団「高橋ユニオンズ」の年間スポンサーとなり、「トンボ・ユニオンズ」が誕生する。プロ野球は多くのファンを持つ国民的スポーツであり、トンボ鉛筆は、1948年、実業団野球チームを結成し、球界で名を馳せていた。「高橋ユニオンズ」のオーナーである高橋龍太郎氏は、戦前、大日本麦酒の社長を務め、ビールを日本に根づかせた人物だが、プロ野球の振興にも熱心で、私財を投じて高橋ユニオンズを結成した。日本商工会議所の会頭を務め、春之助とは旧知の仲でもあったことなどから、1年間のスポンサー契約を結ぶことになったのだった。このシーズン中、ロシア生まれのスタルヒン投手がプロ野球史上初（当時）の通算300勝を達成するなど、「トンボ・ユニオンズ」は球界に話題を提供し、また、トンボ鉛筆の名を高め、社員の士気高揚にも貢献した。総合筆記具メーカーへ1956年に発表された「経済白書──日本経済の成長と近代化」は、結びの言葉で「もはや戦後ではない」と、戦後の復興第１号シャープペンシル「HOMOホルダー」平型芯と平型芯ホルダー（製図セット）34

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鉛筆会館起工式前列中央が春之助（左）社長就任当時の八郎（右）期が終わったことを告げた。前年、1人当たりの実質国民総生産が戦前の水準を超えたという朗報であった。文具筆記具業界においても、復興期から成長期へと大きく変化していく。それぞれに秀でた専門事業分野でブランドを確立した文具メーカーは、1950年代半ばからいっせいに事業の多角化を図る。やがて、品質と開発力に優れる「madeinJapan」製品が世界を席巻するようになっていく。トンボ鉛筆においても、新分野へ進出する準備は始まっていた。渡米した際（1950年）、ボールペンを入手した八郎は、すでに「トンボ鉛筆製ボールペン」の構想を固めていたのである。本格的にボールペン、マーキングペンの開発に着手したのは1957年だった。シャープペンシル「HOMOホルダー」／マーキングペンの製品化事業の多角化は、また鉛筆の多角化をも促した。1957年にはシャープペンシル第1号として直径2㍉の丸芯を用いる「HOMOホルダー」を発売する。翌年には八郎の発案から製図用の「平型芯（0.2㍉厚&0.4㍉厚）」「平型芯ホルダー」を日本で初めて開発し、発売した。同じく1958年、組織内組織として、ケミカル部門の多角化を図る目的で株式会社小川工業（現小川化工株式会社）を設立し、同社からマーキングペン第1号「ドライインク」が誕生する。油性インクを使用した速乾性のマーキングペンは、王子工場で完全内製した。トンボ鉛筆は、もはや鉛筆専業メーカーではなかった。「『書く』を提供するメーカー」へと鮮やかに変貌したのである。小川春之助の死去／八郎が社長に就任1957年2月15日、トンボ鉛筆の創立者、小川春之助がその生涯を閉じる。71歳であった。2月18日、青山斎場にて執り行われた葬儀では、芦田均氏（第47代内閣総理大臣）が葬儀委員長を務め、足立正氏（日本商工会議所名誉会頭）や、友人代表の早川徳次氏（早川電機工業／シャープ創業者）ら、各界の著名人から弔辞、花輪が送られた。6000人もの参列者が、鉛筆産業の育成・発展に尽力し、筆記様式の西洋化・国際化に貢献した第一人者であった春之助との別れを惜しんだのだった。春之助の死去に伴い、長く専務として春之助を支えてきた八郎が取締役社長に就任する。同時に、とわが会長となった。名実ともに、八郎が経営者として手腕を発揮する時代が始まる。第１号油性マーキングペン「ドライインク」マーキンググラフ35トンボ鉛筆100年史

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第2章戦後復興と事業多角化1958–19621958［昭和33］1アメリカ、人工衛星1号打ち上げ成功3製図用筆記具の新製品平型芯および平型芯ホルダーを日本で初めて完成、発売、1本300円東京・北区志茂1丁目に（株）小川工業を設立、油性マーキングペン「ドライインク50FD」（速乾性筆記具）発売関門隧道（関門国道トンネル）開通121万円札発行東京タワー完成―ボールペン「クラウントンボ」発売―総合筆記具メーカーとして事業を拡大―国際収支の実質黒字5億7800万ドルで過去最高1959［昭和34］1計量法施行（尺貫法廃止、メートル法に移行）4皇太子ご成婚11貿易自由化開始12東京都北区豊島に小川工業の工場を新設―鉛筆型の化粧石鹸（ミツワ石鹸製）を販売促進に利用―岩戸景気にわく1960［昭和35］9所得倍増、高度経済成長政策発表カラーテレビ放送開始ボールペンの発売1958（昭和33）年、トンボ鉛筆初の多角化事業により誕生した油性ボールペン、「クラウントンボ」を発売する。鉛筆専業メーカーとして著名なトンボ鉛筆が異分野の筆記具を製造・販売したことは、ライバル社に衝撃を与えた。当時、ボールペンは「オート」「ローレル」「シグマ」の3社が保有する権利により、その製造を阻まれていたからだった。障害にあっても不退転の決意で挑む八郎は、これを突破する。しかし、商標登録時（1927年）の不備から、鉛筆以外の文具類一切に、トンボ印が使えない事態が発覚する。商標問題が完全に解決するのは21年後の1979年のことだった。このような生みの苦しみを経て誕生したトンボのボールペンは、広く親しまれていく。新城工場の開設&ボールペンの社内生産開始事業の多角化、業容の拡大に伴い、八郎は、TOSHIMAFACTORYに次ぐ、第二の生産拠点を求める。愛知県新城市に工場設置を決めたのは、新城市が日本の真1961［昭和36］1王子工場、シャープペンシル芯JIS認定工場となる4ソ連、有人宇宙船ボストーク1号打ち上げ成功11世界初の鉛筆型水性マーキングペン「ドライW」を香港向けに発売、1本30円（国内発売は1962年2月）1962［昭和37］2日米関税引き下げ協定調印4スイス・アルベ社よりボールペンチップ加工機導入10東京工場、品質管理優良工場として「通商産業大臣賞」受賞12電動鉛筆削り器「ピコ」発売、5000円―鉛筆「8900V」「8900VP」「8900P」発売―ペンスタンドつきバンカースボールペン「BB-200A」発売―東京都常住人口1000万人突破河野鷹思デザインのトンボ印とTombowロゴのカタログ36

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新城工場の新設始まる（左）通商産業大臣賞受賞式（右）ん中に位置し、物流の要となる立地であったことと、市が誘致に熱心だったことが大きい。当時の小野田辰雄市長には、市の発展のため、トンボ鉛筆の知名度もさることながら、平和・文化・教育のイメージを高めたいとの強い思いがあった。1961年に新城市と用地買収の契約を結び、1963年、「トンボ鉛筆新城工場」の看板が掲げられる。新城市誘致工場第1号となった新城工場は、ボールペン専門工場として生産を開始し、順次、設備を増強していった。なお、新城工場の新設に伴って、王子工場＝TOSHIMAFACTORYを「東京工場」と呼ぶようになっていった。アートディレクターのいる会社鉛筆からボールペン、シャープペンシル、マーキングペンと製品が拡大していくなか、「トンボらしさ」の統一が焦眉の急となっていた。八郎は“企業の顔の統一”を図るため、デザイン界の重鎮、河野鷹思氏をアートディレクターとして招聘する。デザイナーはもちろん、ブランドやコーポレートアイデンティティといった用語が一般的ではなかった時代である。筆記具メーカーとして、また消費財メーカーとしても稀有な試みだった。河野氏を招き、月例の「デザイン会議」を行うようになったのは1957年初夏からで、ロゴタイプ使用のルールづくりから始まっている。また、河野氏は英文字「Tombow」をコーポレートシンボルとしてデザインし、1958年からパッケージデザインに導入。これは1995（平成7）年までトンボ鉛筆の“顔”となった。業界初、「通商産業大臣賞」受賞「東京工場」は、1951年、鉛筆業界のトップを切って鉛筆JIS認定工場となって以来、良質な鉛筆づくりを続けてきた。また八郎は、東京鉛筆工業協同組合に協力してJIS規格のレベルアップや運用の拡大に努めてきた。このような業界思いの努力、実績が認められ、1962年10月、「東京工場」は品質管理優良工場として、通商産業大臣賞を受賞する。トンボ鉛筆は、1955年に工業技術院長賞を受賞しているが、通商産業大臣賞はこのうえない最高の栄誉となった。鉛筆業界では初めての快挙を祝し、受賞報告を兼ねたパーティをホテル・ニュージャパンで開催した。第1号ボールペン「クラウントンボ」平型芯ホルダークラウントンボ（2代目）水性マーキングペン「ドライW」37トンボ鉛筆100年史

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第2章戦後復興と事業多角化1963–1966MONO1963［昭和38］4愛知県新城市に新城工場開設、ボールペンの社内生産開始小川八郎急逝小川浩平社長就任6（株）小川工業を小川化工（株）に社名変更7資本取引の自由化実施8最高級鉛筆「MONO」発売、1本60円（のち、50円に改定）11ケネディ米国大統領、テキサス州ダラスで暗殺12教科書無償措置法公布、義務教育教科書が無償配布に―吸盤スタンドつき卓上ボールペン「BQ-200A」発売―万年筆型ノック式ボールペン「BC-50D」発売、ミリオンセラーになる1964［昭和39］3新城工場がボールペンJIS認定工場となる4海外旅行の自由化スタート5小川とわ会長死去6社名を（株）トンボ鉛筆製作所から（株）トンボ鉛筆に変更資本金1億円に増資9名神高速道路一部開通10東海道新幹線開通夏季オリンピック東京大会開催―細書きサインペン「30-SP」発売、欧米への輸出が中心―オートマティックローラー式（自動くわえ込み式）鉛筆削り器「SR1500」発売1965［昭和40］10朝永振一郎、ノーベル物理学賞受賞決定11戦後初の赤字国債発行―スライドノック式2色ボールペン「BC-100D」発売、ベストセラーになる―販売網の強化拡大のため、営業所出店を加速―オートマティックローラー式鉛筆削り器「SR1300」発売―企業倒産過去最高を記録―いざなぎ景気（～1970）「MONO」発売1963（昭和38）年8月、最高級鉛筆「MONO」を発売する。硬度は「HOMO」と同様、9Hから6Bまで17硬度がそろい、1本60円、1ダース720円という価格だった。高級鉛筆路線を拓いたのは「HOMO」（1952年発売）だが、そのネーミングは予期せぬ壁にぶつかった。発売後しばらくして、欧米から「ホモセクシャル」という言葉が伝わった。そのため、新製品から東京大学の赤松教授の命名で「MONO」と改めたのである。「MONO」はギリシャ語の［MONOS］に由来し、「唯一の、無類の」という意味を持つ。文字どおり、「MONO」は比類ない優れた鉛筆であった。技術的な革新性は「1㍉立方に80億個の粒子を持つ」というキャッチフレーズに象徴される。芯を科学することで良質を求め続ける企業姿勢を貫いた八郎にとって、「MONO」はその集大成であった。小川八郎社長の急逝「MONO」の発売より4カ月前の1963年4月3日、八郎がすい臓がんにより他界する。45歳の若さだった。創立50周年とい1966［昭和41］3法務省住民登録集計による日本の総人口、1億人を突破6ビートルズ来日、日本武道館で公演―鉛筆削り器「SR1300」、グッドデザイン賞受賞―高級鉛筆「ハイゴールド8900」発売―AS樹脂透明軸で尾部L型ノックのボールペン「BC-50L」発売ボールペン「BC-50D」サインペン「30-SP」38

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MONOディスプレイう節目になる年を迎え、その記念となる最高級鉛筆「MONO」の完成間近の春であった。父、春之助の遺志を受け継いだ八郎は、社長就任からわずか6年で世を去ったのである。しかし、たった6年のうちに、トンボ鉛筆を鉛筆専業メーカーから総合筆記具メーカー、さらにはステーショナリー・メーカーへと育てあげたその功績、存在はあまりにも大きかった。4月7日、青山斎場で営まれた葬儀では、早川電機工業社長の早川徳次氏が葬儀委員長を務め、大勢の参列者が八郎との別れを惜しんだ。浩平専務、第3代社長に就任1963年4月、八郎に代わって社長に就任した浩平は、1921（大正10）年2月10日に春之助の次男として生まれた。法政大学専門部商科に在籍のころ家業を担う志を固めている。入社して最初の仕事は、倉庫での荷造りだった。春之助、とわの厳しい姿勢がうかがわれる。その後、営業畑で実績をあげ、販売網を点から線へ、線から面へ発展させた。戦時下の1943年、マレーシアのクアラルンプールに鉛筆分工場を建設。現地の資材を活用して軍納入品の鉛筆を生産し、陸軍から表彰される。終戦を迎え、抑留生活を余儀なくされるが、1946年に本土へ帰還し、八郎とともに右腕左腕として春之助を支えた。浩平にとっても兄、八郎の突然の死は断腸の思いだった。それから20年もの歳月を経た80年代の初め、戦後復興のころを回想して、「この時期、八郎が存在していなかったら、トンボ鉛筆のありようは変わっていたかもしれない」と述べている。さようなら、とわ会長1964年5月25日、トンボ鉛筆の生みの母、とわ会長が亡くなる。68歳だった。夫、春之助を看取って7年、長男、八郎に先立たれて1年あまりのちのことであった。17歳で春之助に嫁ぎ、三男四女をもうけたとわは、春之助と二人三脚で小川春之助商店を盛り立て、トンボ鉛筆の成長をわが子のように見守ってきた。また、とわは、メディアの力に業界で最も早く目覚めた人で、あまねく知られたトンボ鉛筆の母であった。せいれい同年10月、死の直前まで綴られた『蜻蛉日記』が、朝日書院より発行。そこには、春之助と、鉛筆という小さな文化財とともに歩んだ半世紀が物語られている。当時、女性の叙位叙勲はまれであったが、同年、従六位勲五等瑞宝章を追授された。鉛筆削り器SR1500鉛筆削り器SR130039トンボ鉛筆100年史

## 40_Theme_国産最高級鉛筆「HOMO」の開発と「MONO」の成長
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Theme国産最高級鉛筆「HOMO」の開発と「MONO」の成長鉛筆業界の革命児、「HOMO」誕生「精密製図用・写真修整用」の最高級鉛筆「HOMO」が完成したのは、1952（昭和27）年8月だった。戦後、初めて「国産高級鉛筆」という商品カテゴリーを開拓し、国産初の1本30円と、当時としては破格のプライス・ゾーンを形成した「HOMO」は、まさに、鉛筆業界の革命児であった。「HOMO」の特徴は、何といっても、その芯にあった。硬度が9Hから6Bまで17種そろい、各硬度間の芯の硬度と濃度が均一に変化していくという、従来の鉛筆では得られなかった性能を獲得していたのである。すなわち、均質な超微粒子を結合させる技術を開発し、その生産を可能にして初めて、完成をみた鉛筆といえる。これは1949年から取り組んできた産学協同の一大プロジェクト「鉛筆の芯を科学する」における東京大学の赤松秀雄教授、高橋浩先生らが中心となった技術研究室＝「赤松研」による成果だった。生産にあたって威力を発揮したのが、この研究の成果を活かし、米国から導入したスピードライン・ミルである。原料の粘土と黒鉛を、超微粒子にして均一に分散し、均一に混合することに成功した結果、「HOMO」が誕生する。商品名「HOMO」は、「鉛筆芯の場合、粘土と黒鉛の粒子をこまかく均一に加工し、ミックスすることで良質な芯が得られる」という赤松教授の研究報告書に基づいて、「均一、同質」を意味するhomogeneousから名づけられた。HOMO上昇志向に乗った「HOMO」鉛筆メーカーとしての威信をかけて生み出された「HOMO」だが、発売当初は常識破りともいえる高価格であったことから、流通からいろいろな声があがった時期もあった。しかし、「HOMO」だけが持つ正確な硬度分けや描線のシャープさは、精密製図用に力を発揮し、設計・施工の専門家たちの必需品として浸透していった。また、発売当時、朝鮮戦争による特需で、日本は好景気にわき立っていた。やがて高度経済成長期を迎えることになるが、この時期、とりわけ工業系スピードライン・ミル40

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への進学熱が高まっていた。親たちは、よい工業高校へ、著名大学の理工学部合格の祈りを込めて、わが子に「HOMO」を買い与えたのである。鉛筆は、戦後まもないころのように、もはや、書けさえすればいいというものではなかった。何よりも書き味のよさ、品質が求められるようになっていたのである。終戦から10年近くが経ち、「HOMO」は、よりよいものを求めはじめた国民的な要求、高揚感を、よくとらえた鉛筆に育ったのだった。「MONO」ブランドのはじまりMONOオグレスビー社製溝付け機1963年8月、最高級鉛筆「MONO」が登場した。本来であれば、「HOMO」ブランドの新製品となるはずだったが、とくに海外市場で、「HOMO」というネーミングが“ホモセクシャル”を連想させるとの指摘を多く受けていた。悩んだ末、新製品から、「MONO」に改めたのである。命名したのは、技術顧問、東京大学の赤松教授だった。「MONO」は、「唯一の、無類の」といった意味のギリシャ語［MONOS］に由来する。「HOMO」の語感を残しながら、アルファベット4文字で、先進的で個性的、かつ誠実さがイメージされることから、この名前に決まった。商標「MONO」の文具における権利は、時間を経て、完全にトンボ鉛筆が取得しているが、自動車やファッション、TV・雑誌などでも盛んに使われるようになっている。その点でも、「MONO」は、ネーミングの名作といえよう。書き味がなめらか、芯強度が高く折れにくい、筆記線が濃い、筆跡が拡散しない、消しゴムできれいに消える、など、あらゆる点で、「MONO」は従来品を凌駕していた。その進歩の技術的背景は、「1㍉立方に80億個の粒子を持つ」というキャッチフレーズどおり、「粒子が細かく、密度が高い」ためだった。原料は世界の最高級原料を厳選して用い、加工においても独自の精密装置を開発したのである。鉛筆「MONO」は、その後、鉛筆「MONO100」（1967年発売）に進化する。鉛筆から始まった「MONO」ブランドは、消しゴムや修正テープ、ボールペン、シャープ芯などに翼を広げ、数々のヒットを量産している。41トンボ鉛筆100年史

## 42_第3章_栄光と挫折
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第3章栄光と挫折奇跡の転換点1967–19861967（昭和42）年、「いざなぎ景気」が続くなか、トンボ鉛筆は創立55周年を迎えた。経済企画庁（現内閣府）は、1968年の国民総生産（GNP）が米国に次ぐ世界第2位になったと発表、終戦直後から続いた日本の経済成長は、「東洋の奇跡」と称されるまでになった。1960年代の高度経済成長は日本を豊かにしたが、そのひずみとして、環境破壊や公害病、ゴミ問題、交通戦争などが深刻化していた。日本社会は転換を迫られていたのだ。1968年、トンボ鉛筆もまた、転換を迫られた。きっかけは、ボールペンで製品不良を出したことだった。トンボ鉛筆は、直後に対策チームを立ち上げ、製品回収を徹底し、ユーザーと流通へ誠心誠意の対応を行う。そして、「最高の質トンボ鉛筆」との原点を見つめ直し、新しい商品開発に邁進。文具メーカーとしての信用回復を期して奮起し、起死回生の新商品を生み出した。ここから、事業領域は「書く」から「貼る」へと飛躍的に拡大していくのだった。1970年代に入ると、世界経済にも急激な変化が訪れる。1971年、米国のニクソン大統領は、金ドル交換停止を盛り込んだ新経済政策を発表し、国際社会に大きな影響を与えた。「ニクソンショック」とも「ドルショック」とも呼ばれるが、以降、主要国は固定為替相場制から変動為替相場制へと移行する。また1973年には、第4次中東戦争をきっかけに原油価格が高騰し、第1次オイルショックが発生する。消費の低迷や大型公共事業の凍結・縮小などにより、翌年、日本は戦後初めてのマイナス成長を経験する。これをもって、高度経済成長は終わりを告げた。その後、日本経済は安定成長期を迎える。1979年、イラン革命により、第2次オイルショックが起こるが、日本経済への影響は第1次オイルショックほど深刻なものではなかった。しかし、高度経済成長の終焉は、第2次ベビーブームをも終わらせ、1980年代以降、日本は少子化の道をたどることとなる。少子化に歩を合わせるように、鉛筆の生産量は減少に転じていくのだった。トンボ鉛筆は、事業領域を大きく広げ、ステーショナリー・メーカーとして飛躍する。グローバル化への第一歩を踏み出していく。43トンボ鉛筆100年史

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第3章栄光と挫折奇跡の転換点1967–19681967［昭和42］4鉛筆型オリーブグリーン軸0.5㍉ノック式シャープペンシル「H300K」発売6自動車保有台数1000万台を突破7欧州共同体（EC）発足8公害対策基本法公布施行9創立55周年記念式典をホテルニューオータニで開催創立55周年を記念し、最高級鉛筆「MONO100」を発売最高級鉛筆「MONO100」1ダースのサービス品として新素材消しゴム「MONO消しゴム」を開発「HOMO会」を「MONO会」に改称、全国統一組織「全国モノ会連合会」結成世界初の白板用サインペン「ビニールカラーT-40-VC」発売（翌68年発売の「プロジェクターペン」へ発展）10透明軸鉛筆型ボールペン「BC-30R」発売、大ヒット―テレビ受信契約数が2000万を突破、普及率約83%1968［昭和43］4ボールペン不良問題発生5サインペンの改良品「デルポイントペン50SPD」発売消費者保護基本法公布施行大塚食品工業、初のレトルト食品「ボンカレー」発売6安全な水性インクマーカー「ロケッタン」発売小笠原諸島返還、東京都に編入騒音規制法・大気汚染防止法公布（12月施行）7郵便番号制度実施9細書きサインペン「油性F-1」発売10川端康成、ノーベル文学賞受賞決定11本店を東京都北区豊島（現本社所在地）に移転12東京・府中市で3億円強奪事件発生―世界初のオーバーヘッドプロジェクター（OHP）用「プロジェクターペン」発売―GNP、世界第2位―『少年ジャンプ』『ビッグコミック』創刊創立55周年記念「MONO100」発売1967（昭和42）年9月、創立55周年を記念して、最高級鉛筆「MONO100」を発売する。「MONO」が「1㍉立方に80億個の粒子を持つ」をキャッチフレーズにしたのに対し、「MONO100」の粒子の細かさは、「1㍉立方に100億個」のレベルにまで高められた。原材料の徹底的な微粉化と精選により書き味はさらになめらかに、芯もより強く、筆記線はいっそう濃くなった。製品、パッケージともに、河野鷹思氏による斬新かつ高級感あふれるデザインにしている。「MONO100」の価格は1本100円、1ダース1200円と、三菱鉛筆の「ハイ・ユニ」と肩を並べたのであった。三菱鉛筆とトンボ鉛筆は、よきライバルとして、鉛筆の性能向上を競い合ってきた。1952年、当社が画期的な最高級鉛筆「HOMO」を発表し、当時としては常識破りの1本30円という高価格帯市場を開拓するや、三菱鉛筆も6年後の1958年に1本50円の「ユニ」を発売する。これに対して、1963年、当社は1本60円の「MONO」を完成させ、世に問うたのである。1966年、三菱鉛筆から、今度は一気に1本100円の「ハイ・ユMONO100MONO100ディスプレイMONO100サービス品のMONO消しゴム44

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全国モノ会連合会設立総会（左）55周年記念式典で挨拶する小川浩平社長（右）ニ」が発売となり、その翌年、「MONO100」は満を持しての登場となった。また、「MONO100」は「MONO」同様、消しゴムできれいに消える特徴があり、1ダースに1個、「MONO消しゴム」をサービスとして添えていた。天然ゴム製ではなく、新開発のプラスチック製の「MONO消しゴム」はよく消えると評判が高まり、1969年、単独の製品として発売するに至る。創立55周年記念トンボ鉛筆が創立55周年を迎える1967年、各種の記念行事が行われた。小川春之助商店が開業した2月11日の創立記念日には、全従業員向けに、新橋演舞場を借り切っての「創立55周年記念観劇の会」を催行した。9月13日には、「MONO100」の発表に先立ち、ホテルニューオータニにて、「全国モノ会連合会」の設立総会を開催する。これは、1957年に全国の小売店が参加して発足した「HOMO会」を「MONO会」に改め、全国統一組織としたもの。販売網のいっそうの充実・増強に努めるためだった。このころから1970年代半ばにかけて、毎年のように営業店を開設し、その頂点となる1974年には39支店に達している。また、翌日、同ホテルにて、多くの著名人、業界関係者を招待しての創立55周年記念式典を行った。「ボールペン不良問題」と本社移転創立55周年を祝った当時、ボールペン「クラウントンボ」は業界第3位のシェアを誇り、鉛筆に次ぐ第二の主力商品と嘱望されていた。その年、1本のボールペンがトンボ鉛筆の信用を揺るがせた。「ボールペン不良問題」である。このころ、ボールペンは新城工場で製造していたが、先端ボールは外部調達だった。そこへ、大阪の同業者を介して代替ボールの提案があり、これを採用してしまった。この先端ボールが錆びて、筆記不良を起こしてしまったのだ。本社営業部に矢のようなクレームの電話が入った。トンボ鉛筆は、直後に対策チームを立ち上げ、製品回収を徹底し、ユーザーと流通へ誠心誠意の対応を行う一方、原因究明にあたったが、この問題によって、日本橋人形町1丁目の本店閉鎖を余儀なくされ、東京工場に本店機能を統合することになったのだった。細書きサインペン「油性F-1」ビニールカラー45トンボ鉛筆100年史

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第3章栄光と挫折奇跡の転換点1969–19711969［昭和44］1東京大学安田講堂事件発生5厚生省、初の「公害白書」発表東名高速道路全通7米国の宇宙船アポロ11号、人類初の月面着陸に成功8鉛筆の一部価格を値上げ11「MONO消しゴム」を製品として発売12小川化工で固形のりの開発を開始―鉛筆の出荷検査用「自動曲がり選別器」を開発、実用化―シンナーを使わない水性エナメル塗料「工作カラー」発売―1世帯あたりの平均年収が100万円を突破―テレビ受像機生産台数が世界第1位に―大学紛争激化1970［昭和45］2初の国産人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功3日本万国博覧会EXPO'70開催（大阪、～9月）日航機「よど号」ハイジャック事件発生8東京の銀座・新宿・池袋・浅草で歩行者天国が始まる10国勢調査、沖縄を含め総人口1億466万人（世界第7位）11トンボ鉛筆主催「全国工業高等学校製図コンテスト」第1回全国大会開催（後援全国工業高等学校長協会、1980年まで11回にわたり継続）12新城工場にシャープペンシルの専門工場を建設、同工場で製造したシャープペンシル「SH-300KS」発売―光化学スモッグ、ヘドロ公害、カドミウム汚染米など多様な公害が社会問題化1971［昭和46］5国産初のスティックのり「ピット」発売、100円携帯用細書きサインペン「セミデルポ」発売、50円6印刷軸のセットペン「マンガサインペン」発売7環境庁発足9かきかた学習用「かきかたフェルトペン細」「かきかたフェルトペン太」発売細芯シャープペンシル「トンボクリエート」発売―ヘンケルと知的財産権を争う―三脱時代（脱サラ、脱家族、脱日本）新分野に進出──「ピット」誕生1971（昭和46）年、国産初の口紅型固形のり「PIT／ピット」を発売する。「ピッと塗って、ピッと貼る」ことからの命名だったが、ネーミングとしては「MONO」に次ぐ名作となった。その開発は、1969年に始まる。ドイツ・ハノーバーの文具メッセ視察の報告会議で、副社長の隆司（春之助の三男）は、感動的な商品に出あう。口紅型ののりだった。当時は、手が汚れる、乾くまで待つといったやっかいさを持つ、でんぷんのりが主流だったからだ。ボールペンショックの痛手をはね飛ばす起死回生の一手として、口紅型のりの国産化に向けたプロジェクトは開始されたのである。トンボ鉛筆は無我夢中だった。ピット（左）ピットパンフレット（中）ピットディスプレイ（右）46

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セミデルポ商品として発売されたMONO消しゴムトンボクリエート奮起するトンボ──筆記具メーカーからステーショナリー・メーカーへスティックのり「ピット」と並び、トンボ鉛筆は筆記具や消しゴムなどで果敢に新製品を企画・開発、失った売上を取り戻していく。のちに、「書く・消す・貼る・育む」という四つの事業分野でトップブランドを育て、業界にあって独特の経営形態を確立することになるが、その発端には1960年代末期のボールペンショックに奮起する浩平社長の攻めの経営があった。負けないトンボ鉛筆は、筆記具メーカーをステーショナリー・メーカーへと導いた。●世界初のオーバーヘッドプロジェクター（OHP）用「プロジェクターペン」（1968年発売）油性と水性の2種類で、鮮明な色調と描線が投影でき、消去も可能という画期的なもの。ボーリング場や自衛隊などに採用された。●「デルポイントペン」（1968年発売）極細書きの水性サインペンで、「プレイカラー2」の基礎となる。●初めての幼児用画材「ロケッタン」（1968年発売）安全性に配慮した特殊水性マーカー。●「工作カラー」（1969年発売）シンナーを使わない水性エナメル塗料の画材。●「MONO消しゴム」（1969年発売）1967年に「MONO100」を発売したとき、ダース箱の中にサービス品として同梱した新開発のプラスチック製消しゴムの性能が抜群であったため、商品化を求める声が高まり、1969年、単独製品として発売。発売時から青・白・黒のストライプは変わらない。ロケッタンプロジェクターペンパンフレット（左）ボーリング用プロジェクターペン（下）工作カラー47トンボ鉛筆100年史

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第3章栄光と挫折奇跡の転換点1972–197360周年記念式典取引先代表の祝辞（左）記念観劇会パンフレット（右）1972［昭和47］2冬季オリンピック札幌大会開催連合赤軍浅間山荘事件5資本金1億5000万円に増資沖縄、日本復帰（15日）6田中角栄通産相、「日本列島改造論」発表7徳用スティックのり「ピットグレート」発売情報誌『ぴあ』創刊9日中国交回復、共同声明調印10創立60周年記念式典、明治座で挙行11荒川線のみ残し、都電5系統廃止―東京工場に立体自動倉庫を新設―定期入れ「パスメイト」発売―携帯用くし「ヤングボーイ」発売―60周年記念キャンペーン「トンボが住める街づくり」実施―地価高騰―ボーリングブーム1973［昭和48］1ベトナム戦争終結（和平協定調印）2円、変動相場制へ本格移行4トンボボールペン（株）設立10第4次中東戦争勃発、第1次オイルショック発生江崎玲於奈、ノーベル物理学賞受賞決定―速乾性インキ筆の通気孔に関する実用新案権を取得―商標「MONO」をクロスライセンスで入手―カランダッシュ社の国内販売代理店となり「マジソン」ボールペン・シャープペンシルを輸入販売―鉛筆・ボールペン両用の下敷き、硬筆筆箱を発売―狂乱物価―このころからコンビニエンスストアが次々とオープン―国際収支、総合収支134億ドル強の赤字（6年ぶりの赤字）創立60周年記念式典を挙行1972（昭和47）年、経済界は、前年夏に米国が打ち出した金とドルの交換停止、10％の輸入課徴金実施などのドル防衛策、いわゆる「ニクソンショック」に呆然と立ちすくんでいた。わが国の巨額の対米貿易黒字は、これを境に、貿易摩擦問題となっていく。この年、トンボ鉛筆は創立60周年を迎える。不透明感の強い経済環境であったが、浩平社長は強い意志で55周年式典をはるかに上回る記念行事を企画した。5月、記念増資を行って、資本金を1億5000万円とした。また、東京工場に新規設備投資を行い、コンピュータ制御の自動倉庫が完成した。これは幅43㍍、奥行き16.65㍍、高さ16.82㍍という巨大な完成品倉庫で、オートメーションで出庫できる近代設備である。10月、創立60周年記念観劇会の美空ひばりショーを東京・日本橋浜町の明治座で開催。お世話になっている流通・同業・協力企業各位を来賓として上座に招待し、全国34の支店・支社、本社工場、新城工場などから全従業員が参集、総勢800人の規模になった。社長は、「トンボ鉛筆を世界に通用する企業へ」と挨拶し、多くの来賓から祝辞をいただいた。ピットグレート48

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立体自動倉庫キャンペーン「トンボが住める街づくり」オイルショックの震撼トンボ鉛筆は創立60周年記念事業の一環として、1972年、環境保全賛助活動「グリーン・キャンペーン」を実施。お客様への感謝を贈った。大気汚染や水質汚濁が社会問題化していた当時、「トンボの住める街づくり」、「WeWantGreen」というトンボ鉛筆のメッセージは衆目を集める。スタートは多くの若者が集うTBSラジオ主催の「東京バザール」だった。4月29日、東京バザールが開催された外苑並木通り、新宿、渋谷、銀座の歩行者天国では、トンボ鉛筆の「GreenGirls」100名がデモンストレーションを行い、道行く人々に花の種を配布し、緑を取り戻す運動を呼びかけた。同時に全国規模でトンボをテーマとした童謡の歌詞募集を行ったところ、全国から1万4500通もの応募があった。最優秀作品「みどりのトンボ」は、小室等氏の作曲によりキングレコードから発売された。また、「大銀座祭」に協賛し、10月1日、“赤トンボ”の愛称を持つ複葉機に「トンボの住める街にしよう」の吹流しをつけて銀座や上野の上空を旋回。日本国内はもちろん海外各紙でも紹介された。1973年、第4次中東戦争をきっかけに、世界経済を揺るがせる第1次オイルショックに見舞われる。原油価格の高騰は、ニクソンショック（1971年）から立ち直りかけていた日本経済を直撃し、「狂乱物価」と、戦後初の「マイナス成長」を経験することになる。高度経済成長の終焉であった。原油価格とは直接関係のないトイレットペーパーや洗剤などの生活物資で、品不足への不安から買い占め騒動が起こった。文房具業界においても買い占め・買いだめによる異常な需要増があった。一方で、原油価格の高騰に起因する資材の高騰は、すさまじいコストインフレを誘発し、メーカーを苦しめた。プラスチック成型品や石油製品を多く使用する文具メーカー各社は、到底内部吸収できなくなったコスト増に嘆き、価格改定をもくろんだ。しかし、価格のエリートとされてきた文房具の値上げには保守的な考えもあって、議論百出だった。もちろん、値上げのトップを切ることに各メーカーは二の足を踏んだ。第1次オイルショックは、暗雲となって産業界を覆った。この時期を境に、少子化が進みはじめたのだった。銀座上空を旋回する“赤トンボ”（1972年10月1日朝日新聞社撮影）両面下敷き49トンボ鉛筆100年史

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第3章栄光と挫折奇跡の転換点1974–19791974［昭和49］1民放テレビ各社、深夜放送中止3大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律（大店法）施行9日本初の蛍光マーカー「暗記ペン〈蛍光〉」発売―実質経済成長率が戦後初めてマイナスとなる1975［昭和50］2失業者が100万人を突破3山陽新幹線、岡山－博多間開業（東京－博多間全通）7沖縄国際海洋博覧会開催（～1976年1月）8マーキングペン「かくべえ」発売、キシレン、トルエンを使用しない安全な油性ペン12シャープ芯「ウルトラ〈金〉」発売1976［昭和51］―労働争議多発―戦後生まれが総人口の半数を突破1977［昭和52］4大手製薬会社の靴下止め「キティ」を楕円形状ピット容器で販売9手動鉛筆削り器「るん」発売王貞治が米大リーグハンク・アーロンの記録を破る通算756本塁打を記録―中綿式、金属クリップ採用の水性極細マーキングペンをドイツの大手筆記具メーカースワン・スタビロ社へOEM供給―企業倒産1万8471件、負債総額2兆9781億円を記録、トンネル不況へ―カラオケブーム大ヒット続々──〈蛍光〉マーカー、MONO消しゴム1971（昭和46）年に誕生した大ヒット商品「ピット」に続いて、1974年には、日本初の蛍光マーカー「暗記ペン〈蛍光〉」（4色セット）を発売する。蛍光インクを使用したこのマーカーは、初年度から圧倒的な売れ行きをみせ、発売から1年で1000万本を突破する大ヒット商品になった。とくに、小中学生の間で一気に広まったため、その人気ぶりに、「光るから、目に悪いのでは？」と心配の声があがるほどだった。従来の朱・藍によるアンダーラインに加えて、オーバーラインというマーキング方式が定着することになる。さらに、1969年に単独商品として発売した新開発消しゴム「MONO消しゴム」が70年代半ばごろからぐんぐんシェアを高めていく。株式会社シードの協力で追求した優れた消字力と安定した品質の新開発消しゴムは、世界に例がないといわれるまでに評価されるようになる。書き味と同じく、消し味もある。用紙の種類、芯の種類や濃度、室内環境などの変化とともに消し味も移り変わる。「MONO消しゴム」はユーザーのニーズを先取りして、新しい消し味を提案しつづける。暗記ペン〈蛍光〉1978［昭和53］3「蛍光鉛筆」発売水性サインペン「メモペン」発売（マーキングペン「プレイカラー」の前身）8日中平和友好条約調印10トータルデザインステーショナリー「AUDEE（アウディ）」シリーズ発売12OPEC、1979年の原油価格14.5%引き上げ決定、第2次オイルショック発生へ―売上高100億円を突破―円高不況1979［昭和54］4「トンボでスタートはつらつ新入生」キャンペーン5「香料入り合成軸鉛筆」発売（日欧同時発売）6主要先進国首脳会議（東京サミット）開催11「トンボ印」商標、文房具全類での権利獲得70年代後半ごろのMONO消しゴム現在のMONO消しゴム50

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香料入り合成軸鉛筆手動鉛筆削り器「るん」そして、「MONO」ブランドは、トンボ鉛筆の「消す」事業分野の柱となり、その後、修正テープという巨大なマーケットを発掘することになる。売上高100億円を突破1975年の売上高は、前年より数パーセント減少する。景気後退による法人需要の低迷が要因であった。わずかな減少であったが、毎年2ケタに近い成長を遂げてきたトンボ鉛筆は苛立った。だが、1978年の営業報告書は、売上高が8%増の103億円と、初めて100億円を突破したことを告げる。浩平が社長に就任した1963年は年商20億円であった。15カ年にして企業規模は5倍に拡大した。決算報告書は、新シリーズ文具「AUDEE」と新学期セール「はつらつ」の売上貢献を評価していた。新学期はつらつセール年明けから3月末までの売上が1年を制するとあって、新1年生、また進級・進学に向けての商品企画には知恵が絞られた。1979年、「トンボでスタートはつらつ新入生」と題した季節キャンペーンカタログが登場する。第2次ベビーブーマー（団塊ジュニア）世代を狙って発行したものだが、これは、その後、約20年間、売上の大黒柱となった。商品カテゴリー別に紹介するカタログとは異なり、新カタログは新1年生の親の目線で編集され、子どもが喜ぶキャラクターをふんだんにあしらっている。さらに新カタログは、ディスプレイの理想形を示すものだった。メーカーが店舗づくりに情報を発信する、マーチャンダイジングのはじまりでもあった。文房具全類で「トンボ印」の商標権を獲得トンボ鉛筆は1979年、文房具全類で「トンボ印」の商標権を獲得した。じつは、それまでトンボ鉛筆の商標は「鉛筆類」に限られていた。ボールペンやシャープペンシルにこれを使用することはできず、苦肉の策を講じていたのだった。それまで権利を持っていた第三者から、トンボ鉛筆に権利を里帰りさせてくれた人物は、株式会社岩崎の岩崎英雄社長だった。岩崎社長の献身的な努力をトンボ鉛筆は永久に忘れない。新学期はつらつセールカタログ新学期はつらつセールディスプレイ51トンボ鉛筆100年史

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第3章栄光と挫折奇跡の転換点1980–1986ドイツトンボ（1980年当時・左）フランクフルトメッセに出展したトンボのブース（中）1980［昭和55］―旧西ドイツ・ケルン市に販売会社TombowPen&PencilGmbH設立（のちにフランクフルト近郊に移転）1981［昭和56］3神戸ポートアイランド博覧会ポートピア'81開催（～9月）7水性マーキングペン「プレイカラー」24色を開発・発売1982［昭和57］4500円硬貨発行6東北新幹線（大宮－盛岡間）開業7製図用精密マーキングペン「PROGRAPH」発売11液体式水性ボールペン「ロールペン」発売上越新幹線（大宮－新潟間）開業―「PROGRAPH」、グッドデザイン賞受賞1983［昭和58］4東京ディズニーランド開園5米国カリフォルニア州ウエストレイクビレッジに、販売会社AmericanTombow,Inc.設立（のちにジョージア州アトランタに移転）―「ロールペン」、グッドデザイン賞受賞新世代の経営参加とドイツトンボの設立1978（昭和53）年、取締役の一員に留学を経験した戦後生まれ世代が加わった。国際感覚を持った役員は以降も増えた。これら新世代経営陣を中心に、海外進出計画が進展していく。1980年、販売会社、TombowPen&PencilGmbHを旧西ドイツのケルン市に設立する。欧州に投入した第1号商品は「香料入り合成軸鉛筆」だった。木軸の代わりに発泡樹脂を用い、削るたびに香りが新たになる鉛筆は、とくにフランスで人気を博した。販社の売上が倍増するきっかけとなったのは、1982年、日独同時発売した製図用の精密マーキングペン「PROGRAPH」であった。精緻な書き味を安価に得られる画期的な製品として、欧州でも広く受け入れられたのである。1984［昭和59］4手塚プロダクションと提携、キャラクター文具の開発強化5油処理剤「オイルイーター」開発6厚生省、日本人の平均寿命を発表、世界一の長寿国へ（男74.20歳、女79.78歳）8水性ボールペン「MONOBALL」発売9接着・仮止め両用のり「ピットマルチ」発売水性マーカー「デュアルブラッシュペン」72色発売（89年144色に）1985［昭和60］3科学万博「つくば’85」開催（～9月）つくば科学万博東芝館に巨大プロッター専用「エキスポマーカー」供給4東京工場内に流通センターを建設8日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落香料入り合成軸鉛筆米国向けディスプレイ1986［昭和61］1「ZOOM」シリーズ（シャープペンシル、油性・水性ボールペン）発売4消しくずがまとまる消しゴム「MONONONDUST」発売男女雇用機会均等法施行7自動芯繰り出し式シャープペンシル「ランナー」発売東北自動車道全面開通10三角軸ボールペン「オブジェクト」発売―大都市で地価高騰始まるPROGRAPH52

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アメリカントンボ（1983年当時・右）アメリカントンボの設立筆記具にして筆記具の枠を超えた「ZOOM」AmericanTombowInc.がロサンゼルス郊外のウエストレイクビレッジに設立されたのは、1983年だった。販社は苦戦を強いられる。唯一、米国では想像もつかない高品質が評価され、アニメやアートの世界で「MONO100」の活路を見いだしたのが成果だった。1990（平成2）年に就任した米国人社長は、翌年、アトランタへの移転を決める。それからまもなく、修正テープ「MONOホワイトテープ」が登場し、快進撃が始まった。メガ・オフィスサプライヤーのOfficeDepot、Staples、OfficeMaxに口座を設け、ビジネスは拡大していったのである。海外進出計画において学んだこと。それは、「優位商品」をつくるため、開発に資源を集中すること。それが、グローバル化への近道であるということだった。日本メーカーが海外進出で後塵を拝した理由は、技術開発に遅れがあったからにほかならない。1986年、「労働筆記から創造筆記」とのコンセプトがまとまった。オフィスオートメーション（OA）の普及で、あて名を書く、請求書を書くといった労働型筆記が減少し、筆記はより創造的な方向に向かう──その創造型筆記具のシンボルが「ZOOM」だ。MaterialofOriginalZoneのイニシャルの合成語である。第一弾は、「ZOOM606sh」。ボディは世界一薄い2.7㍉の平面形をした、カード型シャープペンシルである。第二弾は、「ZOOM505bw“HAVANNA”」。ボディの太さが直径13.8㍉という極太軸の水性ボールペンである。奇抜な造形と丁寧な造り込みは、筆記具にして筆記具の枠を超え、デザイン感度の高いユーザー、ショップ、メディアへと受け入れられていく。「ZOOM」シリーズは以降、数々の国際デザイン賞を受賞。そして、「TombowDesignCollection」（2003年）へと発展する。ロールペンZOOMシリーズ53トンボ鉛筆100年史

## 54_Theme_「ZOOM」シリーズと国際デザイン賞作品
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Theme「ZOOM」シリーズと国際デザイン賞作品1980年代後半期の景気拡大を背景に、「創造」をキーワードにしたZOOMはファン層を広めた。しかし、1991（平成3）年以降の不況は人の創造力もしぼませた。ZOOMも「失われた10年」を耐えることになる。2003年、ZOOMなどの創造型筆記具をシリーズ化し、さらに斬新で先端的なアイデアに富んだ新製品を加えた「TombowDesignCollection」を発表。景気の浮揚と創造力の復活を願った。最先端の素材を厳選し、塗装や加工を重ねて、困難な曲線加工などをあえて多用したこの創造型筆記具シリーズは、いま再びZOOMブランドに集約され、文具の価値を高めるトンボのフラッグシップとなった。そして、モノづくり感度の高い人と、文具をこよなく愛するファンの、創造の翼を広げる。ZOOMOCEANIC（1993DESIGNPLUS）LUCCA（1997DesignInnovation）ZOOM707（1988DesignInnovation/1989DESIGNPLUS/1990TheBarden-WüttembergInternationalDesignAward）ZOOM505/515“HAVANNA”（1989DesignInnovation/1990iFdesignawards）54

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ZOOM808/828“EGG”（1989DesignInnovation）ZOOM414（2006iFdesignawards/reddotdesignaward）ZOOM727（2004iFdesignawards）ZOOMV472“TITAN”（1994DESIGNPLUS）ZOOMESPANA（1994iFdesignawards/DESIGNPLUS/TheBarden-WüttembergInternationalDesignAward）55トンボ鉛筆100年史

## 56_第4章_組織改革と企業インフラの整備
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第4章組織改革と企業インフラの整備1987–20021985（昭和60）年、先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議は為替レート安定化に関する「プラザ合意」を発表した。実質的には円高ドル安に誘導する内容で、その後、急激な円高が進行する。「円高不況」を懸念した政府・日銀は、低金利政策を継続的に採用するが、これが、やがて「バブル経済」（1987～1990）をもたらすことになった。バブル経済は、文具業界をも大いに潤わせた。こうしたなか、昭和が幕をおろし、平成（1989～）という新しい時代が始まった。国内マーケットの主役は戦中派から戦後派に移行し、トンボ鉛筆においても、同業者でも、戦後生まれ世代がリーダーとなっていった。1989（平成元）年から1990年代は、世界情勢が大きく揺れ動いた時期でもあった。1989年、ベルリンの壁崩壊は、東ヨーロッパ全域での民主化革命に波及する。これを受けて米国とソ連の両首脳会談（マルタ会談）が行われ、米ソ冷戦の終結が宣言された。1991年、ソ連が崩壊し、日本ではバブル経済が崩壊、失われた10年とも20年とも呼ばれる長期不況が到来した。これ以降、内需の縮小とデフレ経済が続く一方で、円高が進行し、生産拠点のグローバル化も進む。トンボ鉛筆はこうした長期不況のさなかにあって、営業改革と物流改革を断行して時代対応を図っていった。あわせて、“選択と集中”を通じて、新カテゴリーの開発に力を注ぎ、「消す」と「貼る」の分野に新たなマーケットを拓いた。57トンボ鉛筆100年史

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第4章組織改革と企業インフラの整備1987–19901987［昭和62］3小川浩平社長急逝、従五位勲四等瑞宝章受章小川隆司社長就任9業界に先立ってOAクリーナー「クリーンギア」発売10ニューヨーク株式市場、史上最大の暴落（ブラックマンデー）12「地層探検消しゴム」発売、「学遊文具」市場を先取り1988［昭和63］3世界最長の青函トンネル（53.85km）開通4瀬戸大橋開通（世界最長の道路・鉄道併用橋）「IROJITEN（色辞典）」新30色の色鉛筆発売65本組セットペン「OUTPUT」発売122色ボールペン「オブジェクトX2」発売―「オブジェクト500/300AO・KO」発売―「ZOOM707」、DesignInnovation受賞「オブジェクト500/300AO・KO」、グッドデザイン賞受賞1989［昭和64／平成元］1昭和天皇崩御、平成に改元（7日）2エコマーク制度スタート3「プレイカラー」に新色12色を加え36色で展開4消費税創設（3%）7水性マーカー「デュアルブラッシュペンAB-T」144色に拡大11ベルリンの壁崩壊12東証平均株価、史上最高値の3万8915円を記録―「オブジェクト500AO・KO」「OUTPUT」「ZOOM“EGG”」「ZOOM“HAVANNA”」、DesignInnovation受賞「ZOOM707」、デザイン・プラス賞受賞「オブジェクトX2」、グッドデザイン賞受賞小川隆司社長就任1987（昭和62）年3月6日、小川浩平が永眠する。1963年、兄、八郎を継いで42歳の若さで社長になって、高度成長期を走り続けてきた。最期となった24年目の春は、のちにバブル経済と呼ばれるようになった好況のはじまりのころだった。第4代社長には、創立者・小川春之助の三男で、浩平の弟、隆司が就任した。隆司は、立教大学卒業後、1948年にトンボ鉛筆に入社、総務部、営業部を経て工場長、常務、副社長を歴任。なかでも営業部門での采配に優れ、浩平社長の影を踏まぬ副社長として長くトンボ鉛筆を支えてきた。就任直後、隆司は「在任3年」を宣言する。これは、4年後には戦後生まれを企業のリーダーにするという世代交代宣言でもあった。そして、1990（平成2）年、宣言どおり、社長を辞して会長職に退いたのだった。企業インフラの抜本改革1990年の夏、トンボ鉛筆は経営企画室を新設し、外部コンサルタントを招いて、経営改革に着手した。1960～70年代1990［平成2］2「ピット事務用」を「ピットハイパワー」にリニューアルシャープペンシル「オブジェクトEO」発売3小川隆司会長就任小川洋平社長就任5「イレーシャ」（極細消しゴム&シャープペンシル）、修正液「MONOホワイト」発売7タイ・バンコクに海外生産工場Tombow（Thailand）Co.,Ltd.設立8ひもつきボールペン「フィールドワーカー」発売10「オブジェクトEO」、グッドデザイン賞受賞東西ドイツ統一11天皇即位の礼「キディハンズ」シリーズ発売―経営改革、経営企画室を新設、第1次中期経営計画策定―「ZOOM“HAVANNA”」、iFデザイン賞受賞「ZOOM707」、バーデン・ヴュルテンベルク州国際デザイン賞受賞IROJITEN（色辞典）58

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タイ工場の拡大期に膨らんだヒト・モノ・カネの最適化を図ることが目的だった。隆司から経営を継いだのは、第三世代の年長者だった浩平の長男、洋平だった。それは、痛みを伴う抜本的構造改革だったが、隆司会長も黙認する。大きな変化を遂げたのが、営業と物流だった。それまでの営業業務は商流と物流が一体になっていたが、これを分離したのだった。これに伴って、納品業務を担う物流管理本部を新設し、「ロジスティクスセンター」（LC）を開設する。在庫管理、納品業務、配送などをLCで一元管理した。さらに、新社長はマーケティング本部を新設し、小川晃弘を本部長に任命。選択と集中を通じて戦略商品づくりを行った。そして、選ばれた優位商品を積極的に販売するための戦略的営業体制を構築する。初の海外生産工場、タイ工場同時期、生産体制のグローバル化が計画された。1990年7月、戦後初の海外生産工場、Tombow（Thailand）Co.,Ltd.を設立する。当初はボールペンとシャープペンシルの組立工場として操業を開始した。その後、1994年には修正テープのヒットに伴い、大幅増強に踏み切る。敷地面積を約4倍、床面積も2倍に拡大して、生産能力を倍増させるのだった。Tombow（Thailand）Co.,Ltd.は修正テープ生産のメッカとなり、世界の修正様式を変えていく。さらなる市場競争に備える1990年、昭和初期から鉛筆製造の拠点として名を馳せ、品質管理優良工場として数々の賞を受けてきた東京・豊島の鉛筆木工工場を、新城工場に移転する計画が実行に移され、翌年完了する。経営改革の一環だった。鉛筆製造ラインを移設するという経験は、以降のトンボ鉛筆の経営選択の幅を広げることになる。このころ日本はまだ大型景気のなかにあったが、文具事務用品業界にはまもなく流通サービス分野の開放の波が押し寄せる。トンボ鉛筆はひたむきに経営改革に取り組み、そして、生産の刷新と多国籍化に着手して、市場競争の激化に備えた。それは結果的に、やがて訪れる不況と、長期デフレ経済への備えとなった。キディハンズシリーズセットペン「OUTPUT」イレーシャオブジェクトX259トンボ鉛筆100年史

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第4章組織改革と企業インフラの整備1991–19941991［平成3］3アルコールベースのスティックのり「ピットアート」発売6マウス型修正テープ「MONOホワイトテープMS」発売「ZOOMV472“TITAN”」「ZOOMOCEANIC」「ZOOMESPANA」発売9新城工場に鉛筆の製造設備を新設、全工程を集約12ソビエト連邦消滅―バブル経済崩壊1992［平成4］3横引き修正テープ「MONOホワイトテープYK」発売5国連、地球温暖化防止条約採択6リサイクルした木と黒鉛でつくった鉛筆「木物語」「木ものがたり」発売、鉛筆初の「エコマーク商品」透明ボディの修正テープ「MONOホワイトテープYKT」発売7小売店・卸店向けセールスカタログ「まいど」を創刊―「OUTPUT」、iFデザイン賞/デザイン・プラス賞受賞「MONO蛍光ツインマーカー」「MONOSGⅡ」、グッドデザイン賞受賞1993［平成5］1「木物語」「木ものがたり」、日本経済新聞社主催「日経流通新聞賞」受賞5新城ロジスティクスセンター開設、トンボ戦略的物流システムを構築日本プロサッカーリーグ「Jリーグ」初開幕6ネックレスタイプの2色ボールペン「フィールドワーカーⅡ」発売皇太子ご成婚9「MONOホワイトテープYN・YT」発売「消えいろピット」発売10「フィールドワーカーⅡ」、グッドデザイン賞受賞11環境基本法施行12ダース箱に再生紙を使用した新入学生用鉛筆を発売―「ZOOMOCEANIC」、デザイン・プラス賞受賞事業環境の急変1990年代初頭の、地価高騰を背景とした好景気（バブル経済）の崩壊は、日本経済に深刻な打撃をもたらした。急速な景気の冷え込みを背景に価格破壊が広がりはじめ、日本経済は20年を超える長期停滞に陥っていく。文具業界も例外ではなかった。1993（平成5）年、翌日配送の事務用品通信販売会社がサービスを開始。数量をまとめて事業所へ納入することで弾力的に運用してきた納品価格が、この新しい流通システムによって公のものとなった。以降、文具納品事業は価格競争時代へ突入する。さらに、通販による価格破壊は、店舗販売にも影響を及ぼした。文房具店の経営を厳しいものにし、ひいては文具卸の経営をも揺るがせ、中間流通の統廃合や合併が加速する。選択と集中が発掘した「修正テープ」1991年にマウス型修正テープ「MONOホワイトテープMS」を発売して以来、修正テープの国内市場は毎年140～160％の伸びを記録した。それは、修正液のように乾燥を待つ必要がなく、臭いや汚れの心配もない、「待ちに1994［平成6］4タイ工場、生産能力を2倍に増強7製造物責任法（PL法）公布10「MONOホワイトテープYN・YT」、グッドデザイン賞受賞太・細ペン先ツインタイプの「プレイカラー2」発売製品安全対策室新設「ZOOMESPANA」、iFデザイン賞/デザイン・プラス賞/バーデン・ヴュルテンベルク州国際デザイン賞受賞「ZOOMV472“TITAN”」、デザイン・プラス賞受賞MONOホワイトテープMSピットアートMONOホワイトテープYK60

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フィールドワーカーⅡ待った修正具」だったからだ。トンボ鉛筆は廃番会議を続けて商品数を絞る一方、この修正テープを戦略商品に選び、資源を集中した。1992年3月、横引き修正テープ「MONOホワイトテープYK」を発売する。“横引き”の革新性は、国内のみならず、海外市場でも絶賛され、予想をはるかに超える成長を果たす。その後、タイ工場での内製化も軌道に乗り、改良と原価低減が重ねられた修正テープは、世界を舞台に新たな市場を拓いていった。この間、専門メーカーの︵株︶シード、ユニオンケミカー︵株︶、フジコピアン︵株︶ほかから多大な支援と協力をいただいている。文具に環境の波──「木物語」誕生1992年、使用できなかった木材をリサイクルしたスラットと、リサイクルした黒鉛でつくった鉛筆「木物語（一般事務用）」「木ものがたり（学習用）」を発売する。国内で初めて「エコマーク商品」（1989年制定）の認定を受けた鉛筆となった。その後、リサイクル鉛筆は新たな定番鉛筆となっていく。トンボ鉛筆の「地球環境への取り組み」は、環境保護意識の高まりを背景として1990年代早々に始まった。1980年代の終わりに紙・文具・事務機の総合商社、︵株︶レイメイ藤井の藤井輝彰社長から「環境はこれから重大なテーマになっていきます」とアドバイスされたことも、いち早い取り組みにつながった。1993年、「木物語」「木ものがたり」は、森林資源の有効活用という環境対応が認められ、「日経流通新聞賞」を受賞する。「消えいろピット」、発売スティックのり「ピット」の誕生から22年が経った1993年、塗って青色、貼ると透明になる新製品、「消えいろピット」を発売する。これは、塗り残しや塗りムラ、塗り過ぎ、はみ出しなどを防げるスティックのりが求められているとのユーザー調査から生まれた改良品だった。色が消えるのは、指示薬の作用と同じで、のりに練り込まれた試薬が、紙に含まれる水分や空気中の炭酸ガスによって中和されるため。「消えいろピット」はスティックのりの主力商品に成長する。このようにしてマーケティング本部は優位商品の開発と育成に集中する。そして商品の優位は、営業組織を提案型に変えていくのだった。消えいろピットMONOホワイトテープYN木物語61トンボ鉛筆100年史

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第4章組織改革と企業インフラの整備1995–19971995［平成7］1阪神・淡路大震災（M7.3、死者6000人超）阪神・淡路大震災での被災者支援として鉛筆などを提供3世界で最も細い2.5㍉幅の修正テープ「MONOホワイトテープPX」発売地下鉄サリン事件4新社名商標導入、「いつも知的冒険心」を標語に決定東京外国為替市場、円相場1ドル79円台の最高値を記録11目づまりしない液体のり「アクアピット」発売12総務庁、完全失業率3.4%と発表（1953年以来最悪）1996［平成8］3リサイクル鉛筆「木物語」が「緑の募金」に採用4小川隆司会長、日本工業規格の制定普及の功績により勲五等旭日双光章受章7初の「海の日」8「MONOもっとかる～く消せる消しゴム」「MONOもっとあつまる消しゴム」発売10定規を汚さない蛍光マーカー「蛍コート」発売―「MONOホワイトテープYT4」、レッドドットデザイン賞/iFデザイン賞受賞―インターネットの普及加速阪神・淡路大震災と被災者支援1995（平成7）年1月17日朝、淡路島北部を震源としたマグニチュード7.3の直下型地震、阪神・淡路大震災が起こる。死者・行方不明者は6437人、全壊・半壊した家屋は約24万9000棟に及び、神戸市を中心とした阪神地域と淡路島北部の被害は甚大であった。トンボ鉛筆では、ただちに支援策の検討に入った。24日、文部省（現文部科学省）より、東京・晴海を出航する救援船に教育関連用品を受け入れる用意があるとの報を受ける。さっそく、日本鉛筆工業協同組合の理事長だった小川隆司トンボ鉛筆会長を通じて加盟各社に呼びかけ、組合の支援活動として、救援物資の提供を決めたのだった。28日、鉛筆約10万本、ミニ鉛筆削り器約1500個、消しゴム1997［平成9］1「ピットテープAS貼るタイプ」「ピットテープAK貼ってはがせるタイプ」を発売3秋田新幹線開業4消費税率5%に引き上げ、外税表示に5再資源化材料ボールペン・シャープ芯「エコネット」発売7詰め替えできるペン型スティックのり「ほそみピット」発売イギリス、香港を中国に返還10長野新幹線開業11北海道拓殖銀行経営破綻、都市銀行初12地球温暖化防止京都会議で、京都議定書採択―「LUCCA」発売（海外向け）、DesignInnovation受賞―「蛍コート」「消えいろピット」、グッドデザイン賞受賞MONOもっとかる～く消せる消しゴムMONOもっとあつまる消しゴム蛍コート62

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文部省救援船「汐路丸」への物資積み込み（左）タイ工場のアッセンブリー作業（右）800個が神戸市教育委員会あてに送られた。水・食に次ぐ、文房具による復興支援活動はこれ以降、定着する。事業領域を「書く・消す・貼る」へ1990年代、企業インフラの改革が進行するなか、商品の「選択と集中」は加速する。利益貢献戦略商品を選定するため、血のにじむような廃番会議は継続した。そのなかで「消す」カテゴリーの収益貢献は際立っていた。創立以来の事業領域である「書く」に加えて、「MONOホワイトテープ」が拡大させた「消す」カテゴリーは事業の大きな柱に成長した。それだけではない。タイに設置した生産工場によって、高品質・低価格のグローバルスタンダードを達成した修正テープ生産技術は、新しいビジネスチャンスをもたらした。1997年、修正テープの送り機構を活用し、ベーステープの上に薄膜化した粘着材を塗布した「テープのり」を発売する。紙をスチール家具やガラスにも貼れる「ピットテープAS貼るタイプ」と「ピットテープAK貼ってはがせるタイプ」の2種類だった。この「ピットテープ」の成功が、1971（昭和46）年に初めて国産化したスティックのり「ピット」とともに、「貼る」事業を、トンボ鉛筆のもうひとつの大きな柱にしたのである。「ピットテープ」は、旧来の液体のりとは成分、用法ともに異なっていたが、あえて、幼時から親しまれてきた「のり」の分類に入れたことで、事務用品として浸透していく。「書く」ことを通じて「消す」動機が掘り起こされ、「書く・消す」を通じて「貼る」動機もまた発生する。トンボ鉛筆はこの好循環を、低経済成長下でものにした。ピットテープAS貼るタイプAK貼ってはがせるタイプアクアピット63トンボ鉛筆100年史

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第4章組織改革と企業インフラの整備1998–20021998［平成10］2冬季オリンピック長野大会開催11視覚障害者向け「紙幣識別兼用ボールペン」の開発に協力1999［平成11］1欧州通貨統合、単一通貨ユーロ誕生5液体インク蛍光ペン「蛍コートα」発売本州四国連絡橋「尾道－今治ルート」（しまなみ海道）開通6完全失業率4.9%で過去最悪を記録―コンピューターの「2000年問題」注視のまま越年2000［平成12］3ISO（国際標準化機構）プロジェクト新設4テープのり「ピットテープS」発売容器包装リサイクル法施行7新紙幣2千円札発行9ISO9001運用開始12海外製造工場Tombow（Thailand）Co.,Ltd.がISO9002認証取得BSデジタル本放送開始テープのり、ブレイクすぐ貼れて、すぐつく簡便性が特徴のテープのりだが、製造コストの低減が難しいため、1990年代前半、メーカー各社は様子見の状態だった。トンボ鉛筆では、修正テープのコストダウンに一応のめどがついた1994（平成6）年から、テープのりの開発に取り組む。1997年、ランニングコストを考慮して、カセットタイプのテープのり「ピットテープAS」を発売。2000年に、お客様が手にしやすい価格設定で、使いきりタイプのテープのり「ピットテープS」を発売した。2002年には、環境に配慮した詰め替えタイプの「ピットテープM」シリーズを投入する。「貼る」領域に革新をもたらしたことで、テープのり市場は一気にブレイクしていく。この間に、トンボ鉛筆の薄膜を塗布するコーティング技術も2001［平成13］1中央省庁再編、1府12省庁に「ピットテープS」、デザイン・プラス賞受賞3修正テープ「MONOCF」発売政府、戦後初めてデフレを認定4国内の全事業所においてISO9001を一括取得7失業率初の5%台8毛筆が苦手な人も筆文字が上手に書ける「筆之助」発売9アメリカ同時多発テロ発生10子供地球基金の活動を応援するため、世界の子どもたちの絵をパッケージに使用したかきかた鉛筆・色鉛筆発売―「MONOCF」、グッドデザイン賞受賞ピットテープS2002［平成14］1EU圏内、単一通貨ユーロ流通開始2ポリ塩化ビニルを使用しない消しゴム「MONONP（NONPVC）」発売4テープのり「ピットテープM」発売世界自然保護基金（WWF）協賛「ハローネイチャー」シリーズ（かきかた鉛筆、色鉛筆）発売5経団連と日経連が統合、日本経済団体連合会（日本経団連）発足8「ピットテープM」、ISOT（国際文具・紙製品展）ステーショナリー・オブ・ザ・イヤー2002受賞9横引きカセット式修正テープ「MONOYX」発売日朝国交正常化交渉、日朝首脳会談（ピョンヤン宣言）ピットテープM64

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新城工場とロジスティクスセンター高度な発展を遂げ、量産化も進む。新城LCの機能強化品質保証の国際規格、「ISO9001」取得2001年、トンボ鉛筆は品質管理および品質保証に関する国際規格である「ISO9001」認証を、全14事業所で取得する。グローバル化への一歩だった。認証範囲は8商品群（鉛筆、のり類、シャープペンシル、シャープ芯、ボールペン、マーキングペン、消しゴム、修正テープ）の約450品種の文房具の設計・開発、製造、販売、付帯サービスである。約450品種というのは、一部のOEM商品を除く全主力製品にあたっていた。トンボ鉛筆では2000年に「ISOプロジェクト」を立ち上げ、全社をあげて、ISO認証取得へ向けての取り組みを強化してきた。2002年、自社物流機能を強化するため、東京ロジスティクスセンター（LC）の業務を新城LCに集約するなど、新城LCの機能増強を決める。配送サービスの質向上と、価格競争の激化に伴う物流の効率化を図るものだった。1993年に開設された新城LCは、中部・北陸・関西・中国・四国の5ブロックの配送を担ってきたが、東京LCの業務を引き継ぎ、東海・関東・東北の3ブロックが加わった。新城LCの「翌日配送」サービスは、本州全域と四国をカバーしている。回復の兆しが見えない構造的不況のなかで、トンボ鉛筆は、軽量経営をめざす文具専門店等へ、スピーディに、任意のロットで、正確に商品納入できるよう、システムを更新した。こうして、高度化する民間物流インフラを活用したトンボ鉛筆の戦略的物流システムは完成するのだった。子供地球基金WWF「ハローネイチャー」シリーズ65トンボ鉛筆100年史

## 66_Theme_デザイン賞受賞の文具
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ThemeAwardWinnersTombowProductsデザイン賞受賞の文具トンボ鉛筆は100年、使う人にとって最適なステーショナリーの形を考えつづけてきた。使い手に奉仕する形を求めるトンボの姿勢は国内外で評価され、数々のデザイン賞を受賞している。そして近年、「文具は、美しくなければならない。目にうるわしく、手に心地よく、所有することで深い充足を与えてくれるもの」との企業姿勢を鮮明にした。これからもトンボ鉛筆は、美しく、楽しく、愛される新しいステーショナリーの形を追求していく。1989ZOOM“EGG”1990ZOOM“HAVANNA”レッドドット・デザイン賞2012ピットスライドOLNO2010AirPressZOOM“HAVANNA”1988ZOOM707デザイン・プラス賞2001ピットテープSMONOzero1994ZOOMV472“TITAN”2009PFit2006ZOOM4141996MONOホワイトテープYT4iFデザイン賞2011ONBOOKMONOYS2010MONOzeroZOOMESPANA1993ZOOMOCEANIC1992OUTPUTDesignInnovation（2000年レッドドット・デザイン賞に統合）1997LUCCAPFit2006ZOOM4141989ZOOM7072004ZOOM7271989オブジェクト500AO・KO1996MONOホワイトテープYT4OUTPUT1994ZOOMESPANA1992OUTPUTバーデン・ヴュルテンベルク州国際デザイン賞1994ZOOMESPANA1990ZOOM70766

## 67
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GOODDESIGNAWARDグッドデザイン賞2012ペタッツハンディ2005REPORTER2・3・41983ロールペン1982PROGRAPH2003蛍コートチャージャーREPORTERスマート1966SR1300ピットスライドMONOYX2011OLNO2010AirPressaproMONOPSippo!スライド缶入り色鉛筆MONOPLセレクターンオブジェクトタッチGOODDESIGNLONGLIFEDESIGNAWARDグッドデザイン・ロングライフデザイン賞2012「ピット」シリーズ2001MONOCF2011MONO消しゴム2008AirPress1997蛍コート鉛筆8900MONOzero消えいろピット2007PFit1994MONOホワイトテープYN・YT2006KODOMONOおけいこえんぴつ・いろえんぴつ1993フィールドワーカーⅡキッズデザイン賞2012ippo!つなげるキャップ1992MONO蛍光ツインマーカーYo-iおけいこえんぴつピットテープGMONOSGⅡYo-i水性クレヨン2005MONOYS1990オブジェクトEO2010ippo!スライド缶入り色鉛筆1989オブジェクトX2ippo!入学専用かきかたえんぴつ黒赤鉛筆木物語1988オブジェクト500/300AO・KOippo!丸付け用赤えんぴつ67トンボ鉛筆100年史

## 68_第5章_創立100周年、そしてグローバル企業へ
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第5章創立100周年、そしてグローバル企業へ2003–201321世紀という新たな時代の幕があがった。2001（平成13）年、国は｢聖域なき構造改革｣を掲げ、景気は外需主導の回復局面に入る。しかし、｢いざなみ景気｣と呼んだ2002年からの好況は、生活実感の乏しいものだった。2008年、｢100年に一度｣という世界同時不況「リーマン・ショック」が日本を襲う。それまで世界経済を主導してきた日米欧の経済的地位は揺らぎ、中国をはじめとする新興大国が存在感を増した。その後、世界各国でも政権交代が相次ぎ、日本でも歴史的な政権交代を経験した。2010年に表面化した欧州債務危機は、いまだ解決のめどが立たず、欧州不安が世界に拡大している。日本経済が世界同時不況から脱しつつあった2011年3月11日、日本観測史上最大規模のマグニチュード9.0という巨大地震「東日本大震災」が発生する。津波による被害は甚大で、福島第一原子力発電所事故とともに、戦後最大の国難となった。平穏な暮らしを揺さぶったこの危機は、人々の心に、そして暮らしに大きな変化をもたらした。トンボ鉛筆では、新世紀に入ってまもない2003年3月、社長交代があった。就任した小川晃弘社長は、10年後の100周年をめざしてトンボ鉛筆のグローバル化を図るべく、メーカーが担うべき社会使命を熟考する。21世紀初頭の消費シーンは猛烈なデフレ圧力のもとにあった。国産では到底太刀打ちできない、外国産品との価格競争を強いられ、国内のモノづくりには焦燥感と脱力感がにじんでいた。しかし、トンボ鉛筆はメーカーとしての理念を明確にし、この時代に立ち向かい、コアコンピタンスの確立に拍車をかけていく。2013年2月、トンボ鉛筆は、満を持して創立100周年を迎える。そしてトンボ鉛筆は、創業の精神に立ち返る。69トンボ鉛筆100年史

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第5章創立100周年、そしてグローバル企業へ2003–20042003［平成15］1ノック形状を色別に変え感触でも色選びのできる多色ボールペン「オブジェクトタッチ」発売3小川晃弘社長就任米国事務用品卸組合（OPWA）、トンボ鉛筆を年間優秀製造業筆記具部門第2位に選出4日本郵政公社発足7「蛍コートチャージャー」、ISOT（国際文具・紙製品展）ステーショナリー・オブ・ザ・イヤー2003のグランプリ受賞10ベトナム・ホーチミン市郊外にTombowVietnamLtd.設立、工場の稼働を開始修正テープ「MONOYX」「MONOPL」、シャープ芯「セレクターン」、「蛍コートチャージャー」「オブジェクトタッチ」、グッドデザイン賞受賞12デザイン性の高い中・高級筆記具シリーズ「TombowDesignCollection」発売Tombow(Thailand)Co.,Ltd.ISO9001認証取得地上デジタル放送開始2004［平成16］1「ZOOM727」、iFデザイン賞受賞2「MONO消しゴム」35周年記念キャンペーン実施黒芯HBと朱色を1本にした「黒赤鉛筆木物語」発売7「LADIES」、ISOTステーショナリー・オブ・ザ・イヤー受賞自分で鉛筆を作れる「手作りえんぴつ屋さん」発売9製品加工部門を本社から新城工場に移転ペン感覚の横引き修正テープ「MONOYS」発売11スリムなボディで強力クリップの多色ボールペン「REPORTER」発売新紙幣（1万円札、5千円札、千円札）発行12水性ボールペン「ZOOM535」日欧同時発売「もちかたくんユビックス」右手用と左手用発売―市町村の「平成の大合併」本格化社長交代──サプライズのあるメーカーへ2003（平成15）年3月25日、第2代社長小川八郎の子息・小川晃弘が第6代社長に就任する。組織は若返った。就任の挨拶で新社長はこう語った。「私はかねがね、『これ、便利！すてき！』という驚きや感動をお届けするメーカーになりたいと思っているのです。サプライズのあるメーカーであるためには、開発力がなにより大切です。（中略）次に必要なことは、そのサプライズがつながって一つの企業イメージを形づくっていくことです。そのためには、統一感があって、わかりやすくて、どこから見ても同じビジュアルの統一感がぜひとも必要です。開発力と企業イメージの統一を、前社長が残してくれた、効率のよい物流システムや戦略情報システム、良質で安定感のある生産システムと融合させて、トンボ鉛筆のグローバル化を当面の事業目標にして、創立100周年を祝う10年後を目指してこれを実現できるよう努力していきたいと考えています。トンボが世界にはばたく創立100周年を目指して、きょうから力強い一歩を一緒に歩み出していきましょう」。6割増量のMONOYTC蛍コートチャージャーオブジェクトタッチMONOPLZOOM72770

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ベトナム第一工場正門（左）と修正テープの検査工程（右）トンボの“モノづくり宣言”──ベトナム工場の稼働長引く不況で消費が低迷する一方、アジア製の廉価文具が大量に流入。メーカー悲観論が広がるなか、トンボ鉛筆は“モノづくり宣言”ともいえる策を打った。2003年10月、ベトナム・ホーチミン市郊外にトンボ鉛筆100％出資の現地法人TombowVietnamLtd.を稼働させ、新城工場、Tombow（Thailand）Co.,Ltd.との3拠点生産体制を確立し、生産におけるグローバル化を図る。同じ年、修正テープの代名詞になった「MONOYTC」のテープ内蔵量を6割増量。希望小売価格は据え置いた。こうしてユーザー満足を獲得すると同時に、業界へ「テーププロダクトでは譲らない」トンボ鉛筆の意地をアピールする。消す・貼る分野のコア技術の確立を急ぐトンボ鉛筆は2003年から研究開発部門をいっそう強化した。なかでも重視したのは「消す・貼る」分野のコア技術となるカプセル技術とコーティング技術である。カプセル技術は、力や温度、化学反応などの条件を設定して作用させる技術だ。すでに、多くの「貼る」製品群でお客様にサプライズを提供している。コーティング技術は性質の違うミクロンオーダーの機能膜を多層コーティングしていく先端的技術である。この技術が「消す・貼る」の様式を変えてきた。トンボ鉛筆は製品のコア技術にこだわる。ResearchandDevelopmentこそ、サプライズのパワーであり、グローバル化へのエネルギーであるからだ。史上最高益を記録2004年春、史上最高益を記録する。戦略商品の育成、原価低減への全社的取り組みなどが実を結んだ成果だった。この財務体質をもって、トンボ鉛筆は、企業イメージの統一に着手。創業時の「トンボ印」をシンボルに据えた。そして、MONO、ピット（PiT）など、事業領域の拡大に伴って設定し、著名ブランドに成長した種々の製品ブランドとの整理統合をスタートさせた。加えて、トンボ鉛筆がめざすもの、つまり、ユーザーにサプライズを与える開発型メーカーとしての企業姿勢、「トンボの使命」と「私たちの姿勢」を明文化する作業に着手する。LADIESMONOYSREPORTERZOOM53571トンボ鉛筆100年史

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第5章創立100周年、そしてグローバル企業へ2005–20062005［平成17］2端材をつなげて生まれた色鉛筆「木物語色鉛筆」発売「MONO消しゴム」のスリーブをUカット（紙ケースの角をカットし食い込みを防止）地球温暖化防止のための京都議定書発効3アメリカントンボ、OPWAのThe2005LeadershipAward受賞「ピットテープU強力貼るタイプ」「ピットテープU貼るタイプ」発売日本国際博覧会（愛知万国博覧会）「愛・地球博」開催（～9月）4ISO14001：2004認証取得個人情報保護法全面施行8水性ボールペン「IN＋PUT（インプット）」発売つくばエクスプレス開業9ビジネス向け多機能ペン「ZOOM414」発売10「MONOYS」「黒赤鉛筆木物語」「REPORTER2・3・4」、グッドデザイン賞受賞小型修正テープ「MONOCC」発売12「ZOOM414」、iFデザイン賞2006受賞―クールビズ始まる2006［平成18］1トンボ・ブランディング・プロジェクト新設日本郵政（株）発足2「ZOOM414」、レッドドット・デザイン賞受賞3「TombowDesignCollection」発売20周年記念フェアを伊東屋銀座本店、デルフォニックス渋谷を皮切りに開催4テープのり「ピットテープGS8.4（貼るタイプ）」「ピットテープGK8.4（貼ってはがせるタイプ）」発売UNIQLOの企業コラボレーション企画に参加障害者自立支援法施行地上デジタルワンセグ放送開始7携帯型ボールペン「PFit（ピーフィット）」発売9最高級筆記具「ZOOM101」シリーズ発売10「KODOMONOおけいこえんぴつ・いろえんぴつ」「ピットテープG」、グッドデザイン賞受賞12地上デジタル全国放送開始提案制度の創設と国内販売の成長2005（平成17）年、新製品効果から国内販売における“忘れられた成長”がよみがえった。研究、企画、生産技術、生産、営業など、全部署の商品を育てる心が成果になった。その背景には2004年に創設した「提案制度」がある。開発型メーカーを自覚し、全員参加による開発を鼓舞する制度だった。この制度には製品提案部門と一般提案部門があり、製品提案は月200件を超えた。1カ年の提案のなかから商品化された優秀な提案には「社長賞」を授与。これらの製品提案は、企画立案のコアアイデアとしてマスターバンクに保存され、新製品開発のヒントとして役立てられている。成果をみた“選択と集中”トンボ鉛筆の構造改革は1990年の半ばにスタートした。成MONOCCシリーズピットテープG黒赤鉛筆木物語ZOOM41472

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DVD「トンボが飛び立つ日」長率が見込まれる商品を選び出し、45品目とする。1995年の段階でこの主要製品45品目の売上高に占める構成比は45%だったが、これに対して、10年を経た2006年には90%に達した。経営資源の“選択と集中”が図られ、収益が向上し、財務体質も健全化した。リーマン・ショック後は、トンボ鉛筆も大幅な減収・減益を余儀なくされたが、「新製品開発強化」「ブランド構築」「企業インフラ強化」を柱に愚直に事業計画を実行した。元日のサプライズ2006年1月1日、「トンボが飛び立つ日」というタイトルの青空色のDVDが晃弘社長から全従業員の自宅へ届いた。社長からの年賀状だった。2004年にスタートした「トンボの使命」「私たちの姿勢」を問い直す社員全員参加によるプロジェクトが、「TVCM」という形をもって表現され、まず社員へ発信されたのだった。「トンボが飛び立つ日」文房具が好きでたまらない。トンボという会社は、そんな人間の集まりだと、私は思っています。だからこそ私たちは、鉛筆や消しゴムやボールペンの品質をここまで向上させ、修正テープやスティックのりを他社にさきがけ世に送り出し、それになにより、1世紀近くもの長い歳月を生き抜くことができた。そう思うのです。開発型メーカーになろう。私は3年前、みなさんにそう呼びかけました。実用品としてすぐれた文房具だけでなく、これからは、見て美しいモノ、さわって楽しいモノ、持つだけで人をときめかせるモノなど、独創性にあふれた文房具を作りたい。私たちの技術をいかせるものであれば、文房具の枠を超え、知らない世界へもどんどん飛び立っていきたい。（以下略）（DVD「トンボが飛び立つ日」より）PFitZOOM10173トンボ鉛筆100年史

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第5章創立100周年、そしてグローバル企業へ2007–20082007［平成19］1新本社ビル完成東京・国立新美術館オープン（一般公開）2コンパクトホルダー消しゴム「MONOone」発売3戦後初の人口自然減発表（2006年10月人口推計）9JR東日本商品化許諾「電車鉛筆」発売日本の月探査衛星「かぐや」、打ち上げ成功10「PFit」、グッドデザイン賞受賞11企業広告、TCC賞受賞高精度ホルダー消しゴム「MONOzero」発売12ZOOMシリーズ、経済産業省の生活関連産業ブランド育成事業・第1回「sozo_comm」に選定―映画「ALWAYS続・三丁目の夕日」の小道具として24色の色鉛筆「TOMBOWCOLORPENCIL」を復刻して提供―ケータイ小説流行2008［平成20］3ノック加圧式ボールペン「AirPress」発売5ニューヨーク近代美術館の「MoMADesignStore」で「PFit」を展示販売企業広告、読売広告大賞読者賞受賞7液体のり「アクアピット強力ペンタイプ」発売主要国首脳会議（北海道洞爺湖サミット）開催、地球温暖化・世界経済などが議題8新城工場の鉛筆生産工程、「森林認証PEFC-CoC認証」取得9米大手証券会社リーマンブラザーズ経営破綻10「AirPress」「MONOzero」、グッドデザイン賞受賞広告「AirPress」、消費者のためになった広告コンクール金賞受賞（TVCM：金賞、新聞広告：銀賞）―金融危機が世界的に拡大―『現代』『読売ウイークリー』など休刊相次ぐ本社ビル完成トンボ鉛筆は2007（平成19）年1月、鉛筆づくりゆかりの地、東京都北区豊島に新本社ビルを建設し、業務を開始した。行政が推進する北区画街路5号線とまちづくり計画への協力という背景もあった。「一体感と円滑なコミュニケーション」づくりのために、透明ガラスとメタルを内外装の基材に用いることとし、16×26㍍のオフィス空間を、柱と仕切りのないワンルームタイプとした。ファサードには緑豊かな芝と植栽を取り入れ、周辺地域の人たちにも親しまれている。トンボ鉛筆本社ビルの設計は、オフィス設計で著名な久米設計による。2008年、グッドデザイン賞を受賞した。小川隆司第4代社長他界2007年７月10日、小川隆司取締役名誉会長が他界した。82アクアピット強力ペンタイプMONOone74

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現本社ビル年の生涯だった。親族による葬儀の後、8月6日に東京會舘ローズルームでお別れの会が執り行われた。隆司第4代社長は1948（昭和23）年、立教大学の経済学部経営学科を卒業、大学では相撲部に所属、頭角を現した。同年春トンボ鉛筆に入社、59年の長きにわたって重責を担い、トンボ鉛筆の飛躍的成長に貢献した。3カ年で社長を後進に譲って会長に就任したのちは日本鉛筆工業協同組合の第15代理事長に推挙、1996年、その業界での功績により勲五等旭日双光章を授与された。また、警視総監賞を2回受賞、逝去後、内閣総理大臣から正六位が追授された。3期連続の増収を果たす2007年の日本は不況のさなかにあり、業界も前年割れの状況にあった。そうしたなか、トンボ鉛筆は3期連続の増収を達成した。年央に身を震わせる出来事があったが、好決算を収めることができたのは、ひとえにお得意先、お客様をはじめとする皆様の支えのおかげであった。トンボ鉛筆は、さらなる信頼確保のために、事業と業界への精励を誓った。ベトナム鉛筆工場の建設TombowVietnamLtd.に自社設計の鉛筆生産ラインを導入する構想は2007年春に立ち上がった。翌2008年夏には建屋が完成し、秋から操業を開始、鉛筆生産の2拠点化を図った。それまでの生産基地だった新城工場から多くの専門技術者がベトナム工場に出向いて、100年余の歴史が育んだトンボ鉛筆の仕様と品質観を伝授し、ベトナム工場はそれに意欲と情熱をもってこたえた。従業員たちの丁寧な仕事ぶりと豊かな感性によって、ベトナム工場が新城工場と並ぶ、優れた鉛筆の産地として世界に名を馳せる日も近い。MONOzeroAirPress75トンボ鉛筆100年史

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第5章創立100周年、そしてグローバル企業へ2009–20132009［平成21］3「PFit」、レッドドット・デザイン賞受賞8ベトナム・ホーチミン市郊外の現地法人を取得、TombowStationeryVietnamCo.,Ltd.設立（ベトナム第二工場）10手帳用ペン「ONBOOK」発売12新学童向け文具シリーズ「ippo!」発売「PFit」「MONOzero」、iFデザイン賞2010受賞2010［平成22］3修正テープ一貫生産体制の整備について発表、第一弾は「MONOPGX」（4月発売）4「AirPress」「MONOzero」、レッドドット・デザイン賞受賞粘着グミ「ペタッツ」発売8「ippo!スライド缶入り色鉛筆」「入学専用かきかたえんぴつ」「丸付け用赤えんぴつ」、キッズデザイン賞受賞9「ippo!スライド缶入り色鉛筆」「MONOPS」「AirPressapro」、グッドデザイン賞受賞民主党政権発足10主力修正テープを増量12修正テープ「MONOYS」と手帳用ペン「ONBOOK」、iFデザイン賞2011受賞グローバル企業を宣言2009（平成21）年、リーマン・ショックの余震で先進国経済が停滞し、デフレ経済が長期化するなか、文具業界も激しく冷え込んだ。経済ショックはこれまで経験したことのない出口の見えない全産業停滞だった。トンボ鉛筆が“選択と集中”を繰り返して育てあげた法人部門の需要が急速にしぼんだ。それに、値下げ圧力が追い打ちをかけた。トンボ鉛筆は、流通の要求を満たし、かつマーケットの維持拡大を図る方策として「真のグローバル化」を図る。まず、生産管理部門の在庫低減に着手する。そして、海外拠点生産比率を高めるべく計画を早める。同時に、海外営業を強化してリージョナルマーケティングに本腰を入れる。加えて、中国の代理店をサポートして、2011年に中国東北部をカバーする「蜻蜒文具商貿有限公司」を大連に新設する。トンボ鉛筆は、不況をバネに、「真のグローバル企業」へと船出する。2011［平成23］3ボディノックシャープペンシル「OLNO（オルノ）」発売東日本大震災発生（M9.0）震災義援金として1000万円と社内募金48万円を日本赤十字社を通じて寄付7新トンボマークの導入を決定・公表、製品への導入始まる中国・大連に販売会社「蜻蜒文具商貿（大連）有限公司」設立11「OLNO」、グッドデザイン賞受賞「MONO消しゴム」「No.8900」、グッドデザイン・ロングライフデザイン賞受賞テーププロダクツで一貫生産体制2009年8月、トンボ鉛筆はベトナムに第二の生産拠点を設ける。樹脂成形加工組立工場である現地法人を取得し、2012［平成24］3「OLNO」、携帯テープのり「ピットスライド」、レッドドット・デザイン賞受賞4未就学児向けブランド「Yo-i」発売8「ippo!つなげるキャップ」「Yo-i水性クレヨン・おけいこえんぴつ」、キッズデザイン賞受賞9「AirPressbouquet（ブーケ）」発売10「ペタッツハンディ」「REPORTERスマート」、グッドデザイン賞受賞「ピット」シリーズ、グッドデザイン・ロングライフデザイン賞受賞ONBOOKippo!AirPressbouquet2013［平成25］2創立100周年76

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MONOPSピットスライドTombowStationeryVietnamCo.,Ltd.（左）TombowStationeryVietnamCo.,Ltd.とした。事務用品や家庭用品の成形とアッセンブルで現地の信用が厚い、ISO9001：2008認証工場である。従業員数は380名だった。ベトナム第二工場は、第一工場のTombowVietnamLtd.が主力にしていた修正テープの組み立てに成形品等を供給し「一貫生産体制」を確立した。修正テープを原反から最終製品まで完全内製化したのは、世界でトンボ鉛筆をおいて例がない。文房具ニーズが鮮明に2011年3月11日、東日本大震災が襲う。トンボ鉛筆は直後に支援募金を開始、日本赤十字社を通じて義援金を寄付した。社員への直接的な被害は軽微だったが、大震災の影響は広範囲に及ぶ。当然のことながら、文房具の消費シーンでも、その影響は大きかった。リーマン・ショック以降に起きた用度品削減の動きが加速、オフィスへの納品は減少する。しかし、ビジネスマンたちはそれを超えて自ら愛用品を買い求めた。オフィス周辺の小売店がこの動向を機敏にキャッチし、マーケットを形成。メーカーは、新たな消費シーンに付加価値品を投入した。トンボ鉛筆は、オフィスサプライで培った高品質・高機能の生産基地をプラットフォームに、信頼ある使用感と目に美しいモノづくりに拍車をかける。トンボマークの復活2011年、2年後の創立100周年に向けて、新しいトンボマークを制定した。新製品から導入し、2013年の創立100周年を期して全製品にトンボマークが復活する。そして、これを世界統一のコーポレート・マークとする。トンボマークの羽は、無限大の形だ。無限の領域へ、無限の成長を求めて飛び立とうという思いが込められている。トンボ印は、昭和初期に創立者の小川春之助が鉛筆のトレードマークに採用、高品質と広告宣伝があいまってトンボ印の鉛筆は評判を高め、のちにこれを社名に採用した。1958（昭和33）年ごろから製品が多角化し、トンボ印は鉛筆類に限定的に使用されてきたが、経済のグローバル化が統一的マークを希求、トンボマークは復活する。トンボ鉛筆は2013年、新たな100年の入り口に立つ。「トンボのこころ」を胸に秘め、変化の波を恐れず、｢開発型メーカー｣として邁進することを誓う。それがトンボ鉛筆の不変不朽の理念であり、社会的使命だと考えているからだ。OLNO新トンボマークVIマニュアル77トンボ鉛筆100年史

## 78_Theme_トンボ鉛筆広告キャンペーン
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Theme新生トンボへの道トンボ鉛筆広告キャンペーン高い知名度と長い歴史を持つ企業ブランドは懐古的なイメージに陥りやすい。トンボ鉛筆もそれを危惧していた。2004（平成16）年、外部クリエーターを招き、全社員参加のプロジェクトを設置。トンボ鉛筆が提供している製品群と、めざす未来像にふさわしい企業イメージを議論し、時代とのマッチングを図った。これを踏まえ、2006年から全国紙とTVを通じて企業広告をスタート。「書く・消す・貼る」の製品群に託したトンボのこころを表現した。広告を通じて得た多数の評価と意見をベースに、さらに議論を深め、2008年、トンボ鉛筆の企業姿勢「トンボのこころ」を新聞紙上で発表する。そして、100周年を2年後に控えた2011年、新たに制定した企業使命・姿勢をシンボライズした、新しいトンボマークを紙上で発表。100周年を機に、全面的に新トンボマークに切り替えることを宣言する。2013年、新トンボマークは、「常識や習慣を革新することで、心躍る発見や喜びをお届けします」のメッセージを抱いて飛び立つ。78

## 79
![79の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0081.jpg)

【ページ内のテキスト情報】

2006年79トンボ鉛筆100年史

## 80
![80の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0082.jpg)

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2006年2006年2007年2007年80

## 81
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【ページ内のテキスト情報】

2008年81トンボ鉛筆100年史

## 82
![82の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0084.jpg)

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2008年2008年2011年2012年82

## 83
![83の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0085.jpg)

【ページ内のテキスト情報】

2011年83トンボ鉛筆100年史

## 84_歴代社長・会長、従業員数の推移
![84_歴代社長・会長、従業員数の推移の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0086.jpg)

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歴代社長初代小川春之助第2代小川八郎第3代小川浩平第4代小川隆司在任期間1913年2月～1957年2月在任期間1957年2月～1963年4月在任期間1963年4月～1987年3月在任期間1987年3月～1990年3月資料（人）1,8001,600海外計国内計従業員数の推移1,4001,2001,00080060040020002011201020092008200720062005200420032002200120001990198019701960年代1950年代1940年代1930年代1920年代191384

## 85_商品群別売上構成比の推移
![85_商品群別売上構成比の推移の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0087.jpg)

【ページ内のテキスト情報】

歴代会長第5代小川洋平第6代小川晃弘初代小川作太郎第2代小川とわ在任期間1990年3月～2003年3月在任期間2003年3月～在任期間1939～1949年在任期間1957～1964年第3代坂本喜代志第4代小川隆司在任期間1976～1980年会長在任期間1990～1993年名誉会長在任期間1993～2007年第5代小川洋平第6代小川晃弘在任期間2003～2007年在任期間2008年3月～（％）10090807060504030商品群別売上構成比の推移その他文具テープのりのり修正テープ消しゴムマーキングペンボールペンシャープペンシル芯鉛筆201002010年代2000年代1990年代1980年代1970年代1960年代1950年代1940年代85トンボ鉛筆100年史

## 86_製造・販売・物流拠点
![86_製造・販売・物流拠点の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0088.jpg)

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GlobalizationofTombowProduction製造・販売・物流拠点製造拠点トンボ鉛筆新城工場TombowShinshiroFactoryTombow（Thailand）Co.,Ltd.〈TTC〉資料愛知県新城市川田字本宮道68番地2工場長岸野保彦従業員数約220名工場敷地面積約63,000m2工場床面積約20,000m2創設年月日1963年4月主要生産品目鉛筆、修正テープ、ボールペン主要生産設備鉛筆用木工機、鉛筆用塗装機、ボールペン中芯製造装置ほか研究開発部員、生産技術部員が常駐し、開発技術と量産化技術が連携する開発型工場。ボールペンとテーププロダクツの先端的生産拠点として、品質向上と付加価値生産をめざす。あわせて国内物流拠点として飛躍。LatKrabangIndustrialEstate,335ChalongkrungRoad,LatKrabang,Bangkok10520,Thailand工場長松岡茂従業員数約270名工場敷地面積13,035m2工場床面積6,480m2創業年月日1990年7月主要生産品目スティックのり、テープのり、ボールペン、液体のり主要生産設備のり製造設備（ミキシング釜、シュリンク機ほか）、テープのり設備（テープ加工機ほか）、印刷・包装設備（PAD印刷、転写機、ブリスター包装機ほか）ISO9001:2008認証取得工場を設立して23年。従業員定着率が良好で、品質保持、技術継承、安定した製造を達成している。工業インフラに恵まれ資材や設備が国内で調達できるため、リードタイムの短縮、生産調整、設備の保守点検に優位。国のさらなる発展に伴ってオートメーション化を推進し、品質とコストで国際優位をめざす。販売会社TombowPen&PencilGmbH〈TPP〉AmericanTombow,Inc.〈ATI〉1980年設立WaldeckerStrasse10,64546Moerfelden-Walldorf,GermanyTEL49-6105-30964-0FAX49-6105-30964-711983年設立355SatelliteBoulevardN.E.,Suite300Suwanee,GA30024,U.S.A.TEL1-678-318-3344FAX1-678-318-334786

## 87
![87の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0089.jpg)

【ページ内のテキスト情報】

TombowVietnamLtd.〈TVL〉21DaiLoDocLap,VietnamSingaporeIndustrialParkThuanAnDistrict,BinhDuongProvince,VietnamTombowStationeryVietnamCo.,Ltd.〈TSV〉Road15,TanThuanEPZ,TanThuanDongWard,District7,HCMC,Vietnam工場長大隈幸司従業員数約500名工場敷地面積14,000m2工場床面積10,000m2創業年月日2003年10月主要生産品目修正テープ、鉛筆主要生産設備鉛筆製造ラインほかジャパン・テイストの高品質鉛筆を生産する主要鉛筆工場。若く勤勉な従業員による活気あふれる工場。規模的拡大、質的充実をめざす。工場長HuynhHuyenChau従業員数約350名工場敷地面積8,450m2工場床面積5,640m2創業年月日2009年9月主要生産品目修正テープ、テープのり、樹脂部品成型主要生産設備射出成型機、樹脂ブレンド設備ほかISO9001:2008認証取得トンボ製品のプラスチック部品の主要生産拠点として規模的拡大、質的充実をめざす。国内拠点一覧本社・営業所本社・東京店・量販CS部東京都北区豊島6-10-12札幌店北海道札幌市豊平区平岸2条6-1-14三慶ビル7F中部店愛知県名古屋市中区新栄2-42-20大阪店大阪府東大阪市長田中4-6-47大阪紙文具流通センター内福岡店福岡県福岡市博多区東那珂3-2-8蜻蜒文具商貿（大連）有限公司〈TDC〉2011年設立中国遼寧省大連市中山区人民路23号虹源大厦2601BTEL86-411-8284-1088FAX86-411-8284-0041物流拠点新城ロジスティクスセンター愛知県新城市川田字本宮道68-2新城ストックポイント愛知県新城市川田字本宮道68-2福岡ロジスティクスセンター福岡県福岡市東区二又瀬15-3＊製造拠点を除く87トンボ鉛筆100年史

## 88_新城工場の沿革
![88_新城工場の沿革の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0090.jpg)

【ページ内のテキスト情報】

新城工場の沿革資料1962［昭和37］－新城市誘致工場第1号「トンボ鉛筆新城工場」竣工1963［昭和38］4スイス製ボールペンチップ加工機SPM-183台でボールペン生産開始男子寮完成1964［昭和39］3ボールペン中芯JIS認定工場となる油性ボールペンのインキ製造を開始1965［昭和40］－女子寮完成1967［昭和42］10名古屋通産局長賞受賞（ボールペン）1970［昭和45］11シャープペンシル生産開始削り刃（シャープナー）製造開始12シャープペンシル組立専門工場建設1971［昭和46］5スティックのり「ピット」生産開始1974［昭和49］4鉛筆色芯の製造を開始9ボールペンチップ加工機SPM4号機購入12ボールペンBC-J自動組立機稼働1975［昭和50］1ステンレス製ボールペンチップ加工機INOX導入10カラースティック「ピコ」生産開始1978［昭和53］5ボールペンBC-GO自動組立機稼働9配色による黒および緑インキ製造開始10ボールペンBC-100KP自動組立機稼働蛍光ボールペンのインキ製造を開始1979［昭和54］6多色ボールペンのインキ製造を開始1980［昭和55］4鉛筆黒芯の製造を開始シャープ芯の製造を開始香料蛍光ボールペン（1.6mm）生産開始6「香りピット」PT-K生産開始1981［昭和56］2ピットPT-Sキャップはめ機稼働1982［昭和57］10「ロールペン」生産開始ロールペン注入機稼働11ピットPT-S本体さし機稼働ピットPT-Sキャップはめ2号機稼働1984［昭和59］7水性ボールペン「MONOボール」生産開始（顔料インキ使用）MONOボールインキ注入機稼働12プロテクマ社ボールペンチップ加工機PAS-16導入1985［昭和60］3MONOボールインキ注入2号機稼働MONOボールキャップはめ機2台稼働MONOボール先端組立機2台稼働1986［昭和61］12徳用スティックのり「ピットグレート」組立機（ロボット式）稼働1987［昭和62］5ロールペン注入2号機稼働6ボールペンBC-70RM（1.0mm）、BC-100RE（0.5mm）生産開始88

## 89
![89の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0091.jpg)

【ページ内のテキスト情報】

12「IROJITEN/色辞典」（30色）生産開始1988［昭和63］1資生堂向けネイルグロスペン生産開始〃注入機稼働〃接着機稼働4ピットグレート組立2号機稼働10プロテクマ社ボールペンチップ加工機PAS-162号機稼働12ボールペン芯BC-NF生産開始1989［昭和64／平成元］1プラスチック製軸合成鉛筆の生産を開始6シャープ芯成形室設置2台増設（計6台）12プロテクマ社ボールペンチップ加工機PAS-163号機導入1990［平成2］2プロテクマ社ボールペンチップ加工機PAS-164号機導入（水性ボールペン用）製品倉庫新築稼働8包装センター開設IROJITEN第2集包装開始12仕上工場増築モノプラザ（多目的ホール）約495m2竣工1991［平成3］4鉛筆工場約3960m2新築稼働1992［平成4］12材料倉庫増築1993［平成5］5新城ロジスティクスセンター（LC）約1190m2開設9「消えいろピット」生産開始1994［平成6］6ボールペンタイプ修正ペン生産開始1996［平成8］－「アクアピット」「ピットマルチ」生産開始－ゲルインキボールペン「Jボール」生産開始1997［平成9］6ミクロン社ボールペンチップ加工機LX241号機導入1998［平成10］5シャープ芯工場増設1999［平成11］6ミクロン社ボールペンチップ加工機LX242号機導入2000［平成12］6ミクロン社ボールペンチップ加工機LX243号機導入2001［平成13］4蛍光ペンWA-TC組立充填開始、パック機稼働ISO9001取得2002［平成14］9新城LC増設2003［平成15］3鉛筆工場2系列増設12修正テープコーター工場新築稼働2004［平成16］9材料倉庫増築2005［平成17］4ISO14001取得（27日）2010［平成22］9テープのり工場新築稼働12ミクロン社ボールペンチップ加工機LX244号機導入2011［平成23］12ミクロン社ボールペンチップ加工機LX245号機導入鉛筆工場モノプラザ89トンボ鉛筆100年史

## 90_主要商品年表
![90_主要商品年表の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0092.jpg)

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主要商品年表1914［大正3］－鉛筆「MASON」発売－（発売年推定）ゴムつき高級鉛筆「No.482」発売－「メリー優良鉛筆」を受注生産1915［大正4］－鉛筆「SUBMARINE（潜航艇）」発売－「ステッキ鉛筆」発売11大正天皇即位記念の「御大典記念鉛筆」発売1916［大正5］－鉛筆セット「ゴルフ型セット」発売－（発売年推定）木製ワックス芯の「No.2288」発売1929［昭和4］－「ツェッペリン鉛筆」発売1931［昭和6］－硬度Hの試験用鉛筆「No.570」愛称“雄飛トンボ”発売1936［昭和11］－（発売年推定）高級製図用鉛筆「No.8800」発売、自社製芯を採用主要商品年表－鉛筆「CABINET」「METROPOLIS」発売1938［昭和13］－高級製図用鉛筆「No.8000」発売－「クリスマス用鉛筆セット」発売－尖りゴムつき鉛筆「快漢ロロー」発売1919［大正8］－人形つき鉛筆「FunnyFace」発売1921［大正10］－福井商店銘柄の「コッピー鉛筆」（ニッケル鞘つき）を受注生産1939［昭和14］－「鉄兜字消し」発売1945［昭和20］11高級写真修整鉛筆「No.8900」発売1922［大正11］－鉛筆「SouvenirofTokyo（東京みやげ）」発売－鉛筆「REPORTER」発売1924［大正13］－関東大震災復興記念鉛筆「NewTokyo」発売1928［昭和3］6最高級製図用鉛筆「TOMBOWDRAWINGPENCILS」発売、ドイツ・スワン社製芯を採用（ダース缶・箱とカードは凸版印刷製）1946［昭和21］－青軸鉛筆「No.8900」発売、三本線のトンボ柄ダース箱1948［昭和23］4オリーブグリーン軸の「No.8900」発売90

## 91
![91の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0093.jpg)

【ページ内のテキスト情報】

書く消す貼るその他9現行オリーブグリーンの軸色、黄色のダース箱の鉛筆「No.8900」発売1963［昭和38］8最高級鉛筆「MONO」発売1950［昭和25］－（発売年推定）ゴムつき高級鉛筆「No.482」の普及版「No.2558」発売1951［昭和26］－（発売年推定）「コッピー鉛筆」の高級品「ヘクト鉛筆」発売1952［昭和27］8最高級鉛筆「HOMO」発売－吸盤スタンドつき卓上ボールペン「BQ-200A」発売手まわし式鉛筆削り器「408」発売1955［昭和30］－（発売年推定）紙巻きワックス芯の「マーキンググラフ2287」発売1957［昭和32］－シャープペンシル「HOMOホルダー」発売1958［昭和33］3製図用「平型芯」と「平型芯ホルダー」を開発、発売－万年筆型ノック式ボールペン「BC-50D」発売1964［昭和39］－細書きサインペン「30-SP」発売－オートマティックローラー式（自動くわえ込み式）鉛筆削り器「SR1500」発売1965［昭和40］－スライドノック式2色ボールペン「BC-100D」発売油性マーキングペン「ドライインク50FD」を開発、発売－ボールペン「クラウントンボ」発売－高級ボールペン「ルビーボール」、普及品「超硬ボール」発売－万年筆タイプのクリップつきサインペン「50-SP」発売－カートリッジ式サインペン「SC-100」発売－オートマティックローラー式（自動くわえ込み式）鉛筆削り器「SR1300」発売1966［昭和41］－高級鉛筆「ハイゴールド8900」発売－ホルダー式マーキンググラフ「H-DM」発売－透明軸でL型ノックのボールペン「BC-50L」発売1961［昭和36］11世界初の鉛筆型水性マーキングペン「ドライW」を開発、香港向けに発売（国内発売は62年2月）1967［昭和42］40.5mmノック式シャープペンシル「H300K」発売、鉛筆型オリーブグリーン軸－ボールペン“セミ”シリーズ発売（「セミ500」「セミ300」「セミ50」）1962［昭和37］－鉛筆「8900V」「8900VP」「8900P」発売－ペンスタンドつきバンカースボールペン「BB-200A」発売12電動鉛筆削り器「ピコ」発売9白板用サインペン「ビニールカラーT-40-VC」発売創立55周年記念の最高級鉛筆「MONO100」発売91トンボ鉛筆100年史

## 92
![92の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0094.jpg)

【ページ内のテキスト情報】

10透明軸鉛筆型ボールペン「BC-30R」発売逆テーパー型デザインの0.5mmノック式シャープペンシル「H300KS」発売－アルミ管の油性大型ドライインクペン「50FDM」発売－手動鉛筆削り器「SR-1000P」発売－シャープ芯「プラしんR-105P」発売1973［昭和48］－カランダッシュ社の最高級ブランド「マジソン」ボールペン・シャープペンシル輸入販売－鉛筆・ボールペン両用の下敷き、硬質筆箱発売－射出成形透明軸ボールペン「BC-J」発売1974［昭和49］2「暗記ペン」発売1968［昭和43］5樹脂製ペン先の「デルポイントペン50SPD」発売6幼児用水性マーカー「ロケッタン」12色発売9細書きサインペン「油性F-1」発売－光沢アクリル材質の中級ボールペン「パルⅡ世」発売9日本初の蛍光マーカー「暗記ペン〈蛍光〉」発売主要商品年表－世界初のOHP用「プロジェクターペン」発売1969［昭和44］－シャープペンシル「SH-300K」発売（新城工場で内製化した初のシャープペンシル）－ボーリング投影シート採点用サインペン「80VCB」発売メタルクリップつき細書携帯サインペン「ハイデルポイントW-HD」発売1975［昭和50］8アルコール系油性マーキングペン「かくべえ」発売－カートリッジ交換式プラペン「高級デルポ」発売11「MONO100」のサービス品として製造した「MONO消しゴム」を商品として発売12金コーティングのシャープ芯「ウルトラ〈金〉」発売－（発売年推定）「合成鉛筆」発売－水性エナメル塗料「工作カラー」発売1970［昭和45］－0.9mm芯のシャープペンシル「メイト9」発売－シャープペンシル「SH-300」「SH-300KS」発売1971［昭和46］5携帯用細書きサインペン「セミデルポ」発売国産初のスティックのり「ピット」発売－カラースティック「ピコ」発売1976［昭和51］7アルコール系油性マーキングペン「ドライインクO-FDR」発売1977［昭和52］4大手製薬会社の靴下止め「キティ」をOEM供給5油性ボールペン「ゴルフ」発売90.8mm極細水性サインペン「ミクロペン」発売6印刷軸のセットペン「マンガサインペン」発売9かきかた学習用「かきかたフェルトペン細」「かきかたフェルトペン太」発売手動鉛筆削り器「るん」発売1978［昭和53］3「蛍光鉛筆」発売細芯シャープペンシル「トンボクリエート」発売1972［昭和47］7徳用スティックのり「ピットグレート」発売－射出成形透明軸ボールペン「BC-R」発売水性サインペン「メモペンHB」発売92

## 93
![93の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0095.jpg)

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書く消す貼るその他10トータルデザインステーショナリー「AUDEE（アウディ）」シリーズサインペン、ボールペン発売12「名前ペン極細O-NE」「名前ペン細O-NF」発売1979［昭和54］3「蛍光ボールペン」「油性蛍光マーカー」発売9水性マーカー「デュアルブラッシュペン」72色発売5「香料入り合成軸鉛筆」発売9普及版鉛筆削り器「DM-5」発売11鉛筆「MONO30」（紙箱）発売「筆ペンBF」発売接着・仮止め両用のり「ピットマルチ」発売1980［昭和55］7「香料入りシリーズ」書くと香るボールペン、マークすると香る暗記ペン発売「香料入りシリーズ」塗ると香るスティックのり「香りピット」発売12「携帯筆ペンFK」発売学童用折畳みナイフ「ナイフィ」発売－「液体ピット」発売－鉛筆キャップ兼用ミニ削り器「トムボーイ」発売1981［昭和56］7水性マーキングペン「プレイカラー」24色発売1985［昭和60］3つくば科学万博東芝館用超極太「エキスポマーカー」を武藤工業と共同開発、提供－芯の出る本数を選べるシャープ芯「MONOGX」発売1986［昭和61］1デザイン筆記具「ZOOM」シリーズ発売第一弾カード型シャープペンシル「ZOOM606sh」3極太水性ボールペン「ZOOM505bw“HAVANNA”」発売9サインペン「シュガーエクスプレス」14色発売4消しゴム「MONONONDUST」発売5カード型ボールペン「ZOOM606bc」発売－シャープ芯「剛」発売1982［昭和57］7製図用精密マーキングペン「PROGRAPH」発売6OA用紙対応の蛍光マーカー「OAツイン」6色発売7自動芯繰り出し式シャープペンシル「ランナー」発売9蛍光ペン「OAマーカー」発売11液体式カートリッジ水性ボールペン「ロールペン」発売太・細書きの「筆ぺんついん」発売－ボールペン・シャープペンシル「ディンプル」発売1983［昭和58］9水性顔料化で耐水・耐光性を高めた「PROGRAPHSX」発売－ノック量可変シャープペンシル「バリアブルピッチシャープ」発売1984［昭和59］8水性ボールペン「MONOBALL」発売8仮止め専用のり「ピットポスト」発売9消しゴム「MONOLIGHT」発売トータルデザイン文具「ミケロッティ」シリーズ発売10三角軸ボールペン「オブジェクト」発売11「本造り筆ペン」発売－シャープペンシル「MONOシャープ」発売1987［昭和62］1米国AM社の多目的修正用消しゴム「マルチリスイレーザー」発売2スプレータイプのり「エアーピット」発売44種の線が引ける「リボンジック1-2-3」発売4トータルデザイン文具「AT-EASE」シリーズ発売7極細シャープペンシル「ZOOM707」発売93トンボ鉛筆100年史

## 94
![94の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0096.jpg)

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9カード型2色ボールペン「ZOOM626」発売タマゴ型極太水性ボールペン「ZOOM808bw“EGG”」発売業界初のOAクリーナー「クリーンギア」シリーズ発売7水性マーカー「デュアルブラッシュペンAB-T」144色に拡大9アルミ素材ボールペン・シャープペンシル「オブジェクトCD」発売「クリーンギア」シリーズからウェットワイパー発売10プリンター用OAリボン「ニュアンス」発売1990［平成2］1製図用シャープペンシル・ホルダー「MONOテック」発売2シャープペンシル「オブジェクトEO」発売主要商品年表汎用性サーマルリボン「トンボOAリボン」発売12「地層探検消しゴム」発売－ボールペン「MONOポイント」発売－水性ボールペン「ZOOM909bw」発売1988［昭和63］2極細ホルダー消しゴム「ZOOM636」発売3セット文具「カセッティ」発売、ボールペン、はさみ、カッター、パンチ、ドライバーなど9種をセット4「IROJITEN（色辞典）」第1集30色発売波型キャップの高級水性ボールペン「ZOOMサージ」発売「ピット事務用」を「ピットハイパワー」にリニューアル5極細消しゴム&シャープペンシル「イレーシャ」発売修正液「MONOホワイト」（刷毛タイプ、ペンタイプ、目薬タイプ）発売5組み立て式カードペン「パズカ」発売65本組セットペン「OUTPUT」発売8ひもつきボールペン「フィールドワーカー」発売電磁波カットの取付け型VDTフィルター「RVフィルター」発売人工観葉植物「アーバングリーン」発売（のち「ヴェルデリア」と改称）10全方位蛍光ペン「クイッピー」（傘型芯）発売122色ボールペン「オブジェクトX2」発売11幼児向け「キディハンズ」シリーズ、はしのおけいこ・えんぴつのけずりかた・はさみのつかいかた・デスクマット発売－ノック式消しゴム「MONOノックF」発売1991［平成3］3アルコールベースのスティックのり「ピットアート」発売5米国製ラバーグリップ「グラブオン」発売6マウス型修正テープ「MONOホワイトテープMS」発売スウィング式シャープペンシル「オブジェクトSF」発売－「オブジェクト500/300AO・KO」発売－「もちかたくん」（右手用）発売1989［平成元］2ボールペン・シャープペンシル「ZOOM404“キャロット”」発売4「ZOOM」シリーズ万年筆「ZOOM828fp」発売欧州デザイナープロデュースの「ZOOMラ・ナーベ」シリーズ発売（「ZOOMV472“TITAN”」「ZOOMOCEANIC」「ZOOMESPANA」「ZOOMMANO」）94

## 95
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【ページ内のテキスト情報】

書く消す貼るその他6スーパーグリップシリーズのボールペンとシャープペンシル、「MONOSG」「MONOSGⅡ」発売11食品添加物使用インクの「まんがサインペン」発売（のち「学童サインペン」と改称）12「ミラ・ショーン」ブランドのシャープペンシル、水性ボールペン、油性ボールペン、小物発売1992［平成4］3横引き修正テープ「MONOホワイトテープYK」発売11ボールペン・シャープペンシル「トラッド1000」発売12デザイナー西野行彦デザインによる「ムッシュ・ユキ」ボールペン・シャープペンシル発売1995［平成7］2シリコングリップ・金属軸「ディンプルⅡ」ボールペン・シャープペンシル発売3ディンプルの普及版（プラ軸）「ディンプルⅢ」ボールペン・シャープペンシル発売世界で最も細い2.5mm幅の修正テープ「MONOホワイトテープPX」発売OA用紙対応の「MONO蛍光ツインマーカー」発売6リサイクル鉛筆「木物語」「木ものがたり」発売（鉛筆初のエコマーク商品）透明ボディの横引き修正テープ「MONOホワイトテープYKＴ」発売1993［平成5］1シャープ芯「MONO-SX」発売ペングリップ「カラフルにぎりゃんせ」発売5金属クリップ・金属リングつきノック式2色ボールペン「PS2」発売11塗り口太・細ツインタイプ液体のり「アクアピット」発売3.8mm極細棒状ノック式消しゴム「MONOノック消しゴム3.8」発売MONOマークシート用鉛筆、同ペンポーチ入りセット（鉛筆3本・ミニ鉛筆削り器・MONO消しゴム）発売1996［平成8］1塗り口太・細ツインタイプ、はがせる強力液体のり「ピットマルチ2」発売6ひもつき2色ボールペン「フィールドワーカーⅡ」発売9横引きタイプ改良版「MONOホワイトテープYN・YT」、世界初の4、5、6mmのフルラインで発売スティックのり「消えいろピットS」発売（G、Nタイプは94年2月発売）8「MONOもっとあつまる消しゴム」「MONOもっとかる～く消せる消しゴム」発売10高級万年筆「MODENA」発売ポリマコート芯の蛍光マーカー「蛍コート」発売11二層樹脂ボディのボールペン・シャープペンシル「コーティーズ」発売11水性ジェリーインクボールペン「JBALL」発売1997［平成9］1紙以外にも貼れるテープのり「ピットテープAS貼るタイプ」「ピットテープAK貼ってはがせるタイプ」発売12シャープペンシル「プロテクト」発売1994［平成6］1新入生向け「おなまえシール」発売3ペングリップ「にぎりゃんせ」5色発売ボールペン・シャープペンシル「Gタイプ」発売7「リサイクル消しゴム」発売9抗菌多色ボールペン「クリンディ2・3」発売3コンパクト使いきり修正テープ「CT-CTU」発売5再資源化材料「エコネット」シリーズ第一弾、ボールペン・シャープ芯発売7詰め替えできるペン型スティックのり「ほそみピット」発売9シングルヘッドの蛍光マーカー「蛍コート80」発売10一体成形グリップの2色ボールペン「オブジェクトK2」発売10通気性安全キャップの太・細ペン先ツインタイプ「プレイカラー2」発売低粘度「ゼロGインク」採用の油性ボールペン「カルノ」発売95トンボ鉛筆100年史

## 96
![96の画像](https://img01.ebook5.net/tombow/tL6UMg/contents/image/book/medium/image-0098.jpg)

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10スティックのり「シワなしピット」発売11シャープ芯「セレクターン」発売－名前書きペン「なまえ専科」発売1998［平成10］9HHB、HB、HBBの3種類のHBが選べるシャープ芯「MONO-FX」発売蛍コート専用補充用インク「蛍コートチャージャー」発売11視覚障害者向け「紙幣識別兼用ボールペン」開発に協力詰め替え式修正テープ「MONOCX」発売2003［平成15］1多色ボールペン「オブジェクトタッチ」発売主要商品年表1999［平成11］5液体インクの蛍光ペン「蛍コートα」発売12スティックのり「ピットハイパワー」増量発売2000［平成12］3ペンタイプスティックのり「消えいろほそみピット」発売4使いきりテープのり「ピットテープS貼るタイプ」「ピットテープS貼ってはがせるタイプ」発売10サイドノック式シャープペンシル・ボールペン「スピノ」発売11低粘性油性ボールペン「カルノス」発売9“墨”と“うす墨”が1本で書ける筆文字サインペン「筆之助慶弔ツイン」発売12デザイン性の高い中高級筆記具シリーズ「TombowDesignCollection」発売（水性ボールペン「ZOOM“HAVANNA”」「ZOOM2000」、油性ボールペン「ZOOM727」、シャープペンシル・ボールペン「ZOOM707」「ZOOM707deLuxe」、水性ボールペン「オブジェクト202」、油性ボールペン「LADIES」「XPA」）2001［平成13］3修正テープ「MONOCF」発売2004［平成16］2黒芯HBと朱色を1本（7：3）にした「黒赤鉛筆木物語」発売7手作り鉛筆キット「手作りえんぴつ屋さん」発売9修正テープ「MONOYS」発売8筆文字サインペン「筆之助」発売11多色ボールペン「REPORTER2・3・4」発売10「子供地球基金かきかた鉛筆・色鉛筆」発売2002［平成14］3ノック式シャープペンシル・ボールペン「ビズノ」発売業界初の左利き用「左手用もちかたくん」発売4世界自然保護基金（WWF）協賛「ハローネイチャー」シリーズ（かきかた鉛筆・色鉛筆）発売12水性ボールペン「ZOOM535」発売「もちかたくんユビックス」右手用と左手用発売2005［平成17］2「木物語色鉛筆」発売3「ピットテープU強力貼るタイプ」「ピットテープU貼るタイプ」発売詰め替えタイプのテープのり「ピットテープM」シリーズ発売9横引きカセット式修正テープ「MONOYX」発売ペンタイプ修正テープ「MONOPL」発売8水性ボールペン「IN＋PUT（インプット）」発売96

## 97
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書く消す貼るその他9多機能ペン「ZOOM414」発売7油性ボールペン「ZOOM717」発売「プレイカラー2」リニューアル発売10小型修正テープ「MONOCC」発売液体のり「アクアピット強力ペンタイプ」発売11多色ボールペン「REPORTER2コンパクト」「REPORTER3コンパクト」発売12水性ボールペン・万年筆「オブジェクト」発売2006［平成18］1水性ボールペン「MONOBALLⅡ」発売オフィスクリーナー「クリーンギア徳用」発売2名前書きペン「なまえ専科細字」発売キウイミントの香りの「ピットハイパワーTフレッシュ」とクラリセージの香りの「ピットハイパワーTリラックス」発売3太三角軸の「KODOMONOおけいこえんぴつ・いろえんぴつ」、練習シートつきで発売4テープのり「ピットテープGS8.4（貼るタイプ）」「ピットテープGK8.4（貼ってはがせるタイプ）」発売7携帯型ボールペン「PFit（ピーフィット）」発売2009［平成21］2女性向け極細ノック式シャープペンシル「ZOOM717」発売7修正テープ「MONOPS」発売10手帳用ボールペン・シャープペンシル「ONBOOK」発売12幼児～学童文具の新ブランド「ippo!」発売2010［平成22］3ノック加圧式ボールペン「AirPressapro（エプロ）」発売ラバーグリップつき修正テープ「MONOPXN」発売80.5mmシャープ芯「MONOWX」発売9最高級筆記具「ZOOM101」シリーズ（万年筆、油性・水性ボールペン）発売2007［平成19］1テープのり「ピットテープMフラット」発売2コンパクトホルダー消しゴム「MONOone」発売スティックのり「つめ替え消えいろピット」発売「ミニ色鉛筆12色削り器付パック」発売9テープのり「ピットテープMメッシュカット」発売4修正テープ「MONOPGX」発売粘着グミ「ペタッツ」発売2011［平成23］3ボディノックシャープペンシル「OLNO（オルノ）」発売10消しゴム「MONOエアタッチ」「MONOダストキャッチ」発売11超低粘スマートインク搭載の多色ボールペン「REPORTERスマート」発売2012［平成24］2テープのり「ピットスライド」発売「電車鉛筆」発売10コンパクトスティックのり「消えいろピットXS」発売11高精度ホルダー消しゴム「MONOzero」発売2008［平成20］2多色ボールペン「REPORTER4コンパクト」発売3ノック加圧式ボールペン「AirPress」発売テープのり「ピットテープGフラット」発売ippo!シリーズ「うずまきグリップ」「つまんでポイシャープナー」「つなげるキャップ」発売3ディスペンサー入り粘着グミ「接着ペタッツハンディ」「ペタッツハンディ」発売4未就学児向けブランド「Yo-i（ヨーイ）」発売8ノートA/B罫用消しゴム「MONOスマート」発売消しゴム×修正テープ「MONO2way」発売9「AirPressbouquet（ブーケ）」発売10転がりにくいシャープペンシル「ユラシャ」発売11森林認証材を使用した鉛筆・色鉛筆「木物語森林認証鉛筆」発売多機能ペン「ZOOML102」発売97トンボ鉛筆100年史

## 98_編集後記
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## 裏表紙
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