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# sful 成城だより vol.19

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エスフル成城だよりVol.192024特集成城学園砧移転100周年学園まち「成城」の誕生対談thecrossing諦めずにチャレンジすることそれが夢をかなえる第一歩中山雄一×笹間俊彦レーシングドライバー成城学園初等学校副校長MADEInSEIJOオーダーワイシャツ

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Vol.19成城だより2024contentsp.02特集成城学園砧移転100周年学園まち「成城」の誕生p.10対談thecrossing初等学校副校長笹間俊彦×レーシングドライバー中山雄一「諦めずにチャレンジすることそれが夢をかなえる第一歩」p.14sfulcolumn鶴見良次文芸学部英文学科教授工藤尋大初等学校教諭p.16SCENE成城キャンパスの風景p.18成城生file井上天凱さん高等学校2年p.20ワザあり!inSeijoGakuen成城大学萬葉歌プレートp.22Go！Go！課外活動凛とした剣士の気迫が道場にみなぎる!p.24MADEINSEIJOオーダーワイシャツp.26CAMPUSNEWS＆TOPICSp.30てくてく成城PARKHOSEKILABp.32一枚の写真成城100年祭開祭式の誕生表紙写真＝佐藤克秋『えすふるsful』とは「seijo」（成城学園）と「ful」（～に満ちた、～の多い）を合わせた造語です。成城学園の魅力がつまったこの冊子を通じて、成城学園の「過去・現在・未来」を感じてほしい、という思いを込めています。02

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特集成城学園砧移転100周年学園まち「成城」2025年は学園の砧移転と成城幼稚園創立の100周年に当たる。東京23区最多の人口を誇る世田谷区だが、100年前はのどかな田園地帯。現在、成城学園のある地も雑木林の広がる農村だった。校地移転の経緯を振り返り、今も続く学校とまちのつながりをひもとく。構成=編集部写真=成城学園03

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04切望した。1922年、校地内に成城第二中学校が新設されると、保護者は次の進学先・高校の設立を支援するため、後援会を発足させる。当時の学制では男女別学が原則であったため、後援会は高校だけでなく高等女学校の設立も目指していた。牛込の校地はすでに手狭で、校地の移転が検討される。1923年9月の関東大震災を機に郊外への移転計画が本格化し、学園主事・小原國芳を中心に移転先探しがスタート。条件としたのは、見晴らしがよく健康にもよいとされる高台であることと、一括買収がしやすい大地主の所有地であるという点であった。当初候補地となったのは、青山の御料地、京王線や中央線の沿線の土地だったが、いずれも条件が合わなかったり、価格交渉が難航したりで、話がまとまらない。その後、砧村の喜多見御料地（現・成城三丁目緑地一帯）が候補に挙がる。ちょうど小田原急行鉄道（現・小田急電鉄）が新宿と小田原を結ぶ路鉄道敷設や関東大震災を背景に東京郊外の人口が急増した。東京市に隣接する農村であった北多摩郡砧村も、1925（大正14）年に成城学園が移転してきたことで、緑豊かな学園まちの一歩を踏み出す。東京市牛込区（現・新宿区）にあった成城学園の郊外移転は、学園の原点である成城小学校の児童保護者の熱意によって実現したといっても過言ではない。創立者・澤柳政太郎も「小學校は私共の發意でありましたが、高等學校や高等女學校は全く親達の力で設けられ、唯私共がその教育を引受けたといふ次第に外なりません」と記している（表記は原文の通り）。澤柳が理想の初等教育を実現する場として1917年に創立した成城小学校は、個性を尊重し、芸術教育や自然に親しむ教育を重視する独自のカリキュラムを展開。保護者たちは、卒業後も引き続き子どもに同様の教育を受けさせたいとして、中学校の設置を大正末期、東京都市部の人口は飽和状態となり、左／上の赤い桜模様は、牛込時代の成城小学校で使用された校章。下は砧移転後の1929年に制定された学園の校章で、写真は戦前に使用されたもの右／東京市牛込区原町3丁目には財団法人成城学校の成城中学校があり、成城小学校はその校地内に開校した下／砧村の雑木林を切り拓いて建てられた校舎。写真は成城第二中学校に併設された成城玉川小学校（後に成城小学校に併合）の正門

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05時期に財団法人成城学園が設立され、牛込の財団法人成城学校から分離独立している。1927年に成城高等女学校が加わり、その翌年に牛込の成城小学校が成城玉川小学校と合併。砧への移転から4年目の1928年には学園に幼稚園から高校までがそろった。この郊外移転と並行して、土地取得と校舎建設の資金捻出、関係者の住居確保のために住宅地の開発とインフラ整備が進められた。そこで中心的役割を果たしたのが、後援会地所部である。短期間で学園まちの基盤を整えられたのは、土地の宅地分譲や区画整理を業者ではなく地所部が担ったためといえる。学園関係者以外からの分譲希望も多く、学園と地所部は隣接区域の土地取得にも乗り出した。1930年に学園一帯の町名は、大字喜多見から分離して大字喜多見成城となり、1936年に一帯が東京市に併合された際、「世田谷区成城町」が誕生した。以来、成城学園とともに街は発展し、今に至っている。線を計画中で、小原たちは状況を聞くために同社を訪問。そこで偶然、砧村の地権者・鈴木久彌に出会ったことで、動きは急展開する。鈴木は2つの条件を満たす広大な土地を所有し、砧村への駅設置を希望していたのだ。こうして新校地が砧村に決定する。1924年7月に新校地で起工祭が行われた。小原は一番高い木に登り、「仲よく亭々と聳える赤松黒松」の立つ場所を正門と決めたという。そのうち2本のクロマツは、100年たった今も学園の正門にあり園児、児童、生徒、学生を出迎えている。翌1925年4月、まず成城第二中学校が砧に移転し、成城玉川小学校が併設された。小田急線が開通し、成城学園前駅ができたのはその2年後。その間、電車通学者は京王線の烏山駅から約4キロの道のりを歩くしかなく、数人乗りの自動車を使った「スクールバス」が運行された。移転の翌年、成城第二中学校を統合する形で、7年制の成城高等学校が開校。ほぼ同上／小田急線開業当時の初代の成城学園前駅。駅前には人力車が並んでいる下／移転間もない昭和初期の学園正門。当時はクロマツが4本並んでいた。今も残る2本のクロマツは当時よりも葉が生い茂り、2019年に世田谷名木百選に選ばれている上／後援会地所部による宅地の分譲広告。学園西側の区画「イ」（格子状の斜線部分）は分譲済みで、その西側の区画「ニ」には地主所有の貸地（白部分）と追加分譲地（斜線部分）が混在する下／開発当初の住宅地。洋風の家屋が建ち並び、生垣も確認できる

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06雰囲気や風致を維持するための自主ルールが設けられた。学園西側の住宅地には、開発当初から教育的な特別総集編住宅の周囲は板塀やれんが塀ではなく、大谷石などを土台にした生け垣にする、敷地の4分の1以上の建物を建てないなどがその一例だ。交差点の角を落とした「隅切り」は、今もいくつか姿を残している。駅から北に延びる通りは、在校生と家族、教員が少しずつ苗を植え、立派な桜並木となった。正門から西へ延びるいちょう並木とともに「せたがや百景」に選定され、春は満開の桜、夏の日差しを遮る木陰、秋の黄金色の紅葉と季節を彩り、成城の象徴的な存在となっている。戦後は急速な人口増加もあって敷地が次第に細分化され、生け垣や樹木が少しずつ姿を消し、景観が変わっていく。そうした変化に歯止めをかけたのが、2002年に法人格成Vol.1「成城アルプス」AVol.2「林華苑」BVol.3「成城コルティ」CVol.4「カリス成城」DVol.5「成城凮月堂」EVol.6「成城の桜」FVol.8「成城櫻子」GVol.11「シュベール成城店」IVol.13「とんかつ椿」JVol.14「中国料理桂花」KVol.15「成城村田永楽園」LVol.16「成城パン」MVol.17「GyoZaBrothers」NVol.18「HANATOTOGE」OVol.10「CAFEBEULMANS」H本誌『sful成城だより』では、毎号「てくてく成城」で地域のお店や名所を紹介。過去に登場したスポットを振り返ってみると、成城生が日常的に訪れているお店が多く、学校と街のつながりが見えてくる。主な「てくてく成城」リストMDEGAOCNIKBHJFL

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07で、樹林や湧水が生き物の生息空間となっている国分寺崖線を保全するための配慮も含まれる。成城学園も2009年から大学の全学共通教育科目として「成城学園を知る」を開講し、講義とフィールドワークを通じて今に残る風景や建物、街の歴史を学生に伝えている。2020年に開館した歴史記念館のエントランスホールには、街が学園とともに発展してきた様子を紹介する「成城町ゾーン」を設置した。学園のビジョンに掲げる通り、成城学園はこれからも「街」とともに歩んでいく。城自治会が制定した「成城憲章」だ。同自治会は、発起人に小原國芳や柳田國男など学園関係「みどりとゆとりに包まれた公園のような環境」長男が成城小学校（牛込時代）に入学し、学園移転に伴い砧村に移り住む。郷土生活研究所と名付けて解放した自宅は、故郷・長野県飯田市に移築され柳田國男館となっている日本民俗学の創始者柳田國男100年を歩んできた。成城憲章が目指すのは者が名を連ねた「草分会」を母体として、1928年に発足。学園が起工祭を行った1924年7月6日を成城の起点として、学園とともにこの長女と長男が成城小学校（牛込時代）に入学。パートナーの画家・奥村博史が学園の美術教師となり、小田急線開通時に砧村に移り住む思想家・作家平塚らいてう生け垣｜成城憲章も推奨敷地の囲いは、大谷石の土台に竹垣を並べた、風と光の通る生け垣に。成城の住宅街の特徴となっている大谷石｜成城の風景の一つ栃木県宇都宮市大谷町で採掘される堆積岩。石質が柔らかいため加工しやすく、耐火性に優れるため、塀や蔵に使われる。写真は学園の正門隅切り｜安全・景観への配慮交差点などに面した敷地の角を空地にして、見通しをよくすること。出合いがしらの衝突を防ぐ工夫

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08だ」「子供は先生の計画にはめてはいけない。自然の中へ放りだしておけ。先生の計画より子供の夢の方がよっぽど大きいよ」小林は欧州留学中に、リズムによる教育「リトミック」を考案したエミール・ジャック＝ダルクローズに教えを受け、日本のリトミックの第一人者として知られる。現在は全国の幼稚園や保育園で広く取り入れられている教育法だが、日本で最初にそれを実践したのは成城幼稚園というわけだ。現在も、音楽を自分の体を使って表現するリズム表現をはじめ、成城幼稚園の教育や活動のさまざまなシーンにリトミックの要素が見受けられる。元音楽教師であった小林は、昼食時に歌う「よくかめよ」や帰宅時の「おかえりのうた」などの作詞・作曲も手掛けた。園歌「成城成城」もその一つだ。小林は1937年に退職したが、時代が大正から昭和、平成、令和へと変わっても、園歌の「ぼくらは（わたしも）せいじらが気付き、自ら学んでいく力、今でいうアクティブラーニングを重視し、それを実践してきたのだ。園児や教師は入れ替わり、園舎も初代の面影を残す2代目（戦災で焼失）、戦後の3代目（現在の軽井沢第2白樺荘）と4代目、そして2005年に完成した現在の5代目と姿を変えてきた。それでも、木々に囲まれた、手作りの秘密基地を思わせる園庭で大声を出して走り回り、はじけるような笑顔で友達と遊ぶ園児ののびのびとした様子は、100年前と何ら変わりない。おそらく100年後も。に創設された。ちょうど1カ月前に現在の地で小学校と中学校からなる学園がスタートを切ったばかりで、幼稚園の第1期生となったのは学園の教職員の子ども6人だった。幼稚園の設立を強く希望したのは学園主事の小原國芳で、当初は学園の敷地内にあった小原の自宅の応接間と庭が仮園舎として使われた。その後、小学校の教室を間借りしていたが、1927（昭和2）年10月に幼稚園令による設立認可を受け、現在とほぼ同じ場所に初代園舎が完成する。幼稚園教育について小原と意気投合し、幼稚園の初代主任となったのは小林宗作。黒柳徹子著『窓ぎわのトットちゃん』に登場するトモエ学園の「校長先生」である。小林が幼稚園で目指した「のびのび」教育は、次の言葉に表れている（いずれも表記は当時の資料のまま）。「子供等は実によくのびのびと育って行く、教師さへよければ、いくらでものびるもの成城幼稚園は1925（大正14）年5月5日幼稚園創立100周年脈々と続く「のびのび」教育成城幼稚園は2025年5月に創立100周年を迎える。日本の幼稚園の黎れい明めい期きに、創立メンバーの小原國芳と小林宗作が目指したのは、「自然の中に放り出す」のびのび教育。100年たった今も脈々と続く、成城幼稚園の教育の原点をたどってみよう。構成＝坂下明子写真＝佐藤克秋、成城学園1927年完成の初代園舎（右）。小林の設計で、八角形のホール（遊戯室）の四方に保育室を配置。その後、美術室やピアノ室などが追加された（左）園庭（上）や散歩途中（下）の園児たちの様子（1927年頃）ょうのこどもです♪」というメロディーは歌い継がれている。小林が重視した自由遊びや自然に親しむ散歩は、成城学園創立者・澤柳政太郎の言う「自学自習」の活動にも通じる。成城幼稚園は100年にわたり、遊びや生活の中で子ども自

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09園児たちは友達と一緒に、先生と一緒に、ときには一人でのびのび過ごしながら、日々成長していくいしいひろゆき／1957年生まれ。1980年から成城学園中学校の国語教諭として勤務。1991年から9年間、アルザス成城学園にて勤務。その後、成城学園中学校高等学校校長を経て2024年4月より現職石井弘之成城幼稚園園長インターネットなどなかった七〇年代にイリイチは、いずれ「学校というシステムでの教育」には限界がきて、それに代わるのは「ネットワークによる教育」だと示していた。今、それが現実のものになりつつある。ほとんどの知識や技術はネット上の動画で習得することが可能だ。いつでも・どこでも・何度でも、分かるまで見ることができる。大規模通信制のＮ高等学校の人気がそれを証明している。毎日通う教室などいらないヴァーチャルな教育の拡大である。ある年齢以上の子どもを扱う学校にとって大変革の時が迫っている。しかし同時に私は気がついた。年齢が低い子どもたちの、特に幼稚園での教育は簡単に変わるべきではない、ということに。幼稚園での教育の基本はリアルとアナログである。園児と園児、園児と教員。生身の触れ合いの中でしか、この年齢の人間は成長していけない。砂場でドロドロになってお城を作った。運動会の体操を初等学校生がマンツーマンで教えてくれた。守衛さんが捕まえてくれた蛇を撫でてみた。椅子取りゲームで泣いた。お店屋さんごっこで手裏剣を百個作った。転んで膝を擦りむいた。一二〇人が心を合わせネットを通して学んだり、働いたりすることが身近になった。リモートワークで出勤せずに仕事をすることが当たり前になった。かつて私が在籍していた中学校高等学校でも、iPadを利用したリモート授業や動画配信が導入されていった。その経験を通して私は恐ろしいことに気づいてしまった。若いころ読んだイヴァン・イリイチが予言した世界「脱学校の社会」がついにやってくる、と。新型コロナの流行によって、私たちはインターて歌った。さよならの時に園長のまたの下をくぐった。蝉の抜け殻をたくさん拾った。そして友達と手をつないだ。先生に抱きついた。成城幼稚園は素晴らしい自然の中に園庭園舎がある。自由遊びの中で発見し、疑問を持ち、考え、妄想し、みんなと共有する。初等学校から大学までの、お兄さんやお姉さんや先生たちがいっぱい助けてくれる。わざわざ来るからこそ価値がある。みんなが集まるからこそ意味がある。平仮名を覚えるとか足し算の練習をするとか、プログラム化された教育を主として実施している園も多いと聞く。その方が楽だろう。偶発的なことが起きにくいからだ。でもそれはわざわざ幼稚園に来なくてもできる「ネットにとって代わられる教育」なんじゃないか。やっぱり成城幼稚園は、何が起きるかわからない、リアルでアナログなワクワクを大切にしていく場所でありたい。わざわざ来なくちゃ始まらない。

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教員成城学園初等学校副校長笹間俊彦crossing諦めずにチャレンジすることそれが夢をかなえる第一歩中山雄一さんは5歳でカートに出会ってからレースの道を一筋に走り、日本を代表するレーサーとして活躍し続けている。学業とレースの両立に悩んだこともあるという中山さんを支えたのは初等学校時代の担任である笹間俊彦先生。通称「サッサマン」。チャレンジする人と応援する人、2人が熱く語り合った。取材・文＝牛島美笛写真＝佐藤克秋10対談the

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レーシングドライバー卒業生中山雄一11

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12中山サッサマンは3年生からの担任で、毎日一緒にサッカーをやって仲良くなりましたよね。でも、普段は優しいサッサマンが、泊まりがけの校外学習になるとすごく厳しくなる。校外学習でサッサマンに言われたことで一番印象に残っているのは、「立つ鳥跡を濁さず」という言葉。僕は遠征でホテル滞在になることが多いんですが、ホテルで過ごすたびにこの言葉を思い出します。部屋を出る時にベッドが乱れていたりすると、サッと直しただけでいいことをした気分になって、一日を気持ちよく過ごせます。笹間それはうれしいな。成城学園は自由奔放な校風だけど、一歩外に出たら許されないこともありますよね。それを知らないで出ると将来児童たちが困るので、校外学習では意識して厳しくしていたんです。スキー教室の時などは、寝不足はケガにつながるから、特に睡眠にはうるさかったでしょ？中山厳しかった！朝方に騒いですごく怒られましたねー。中山国語の先生の前で申し訳ないんですけれど、僕は本当に日本語がささまとしひこ／1993年都留文科大学卒業後、都留市立旭小学校教諭を経て、96年成城学園初等学校に教諭として着任。教科研究部は、主に国語・体育・特別研究部（主任）に所属。小学校3年生から夢中になったサッカーの経験を生かし、成城フットボールクラブ（SFC）でサッカーの一貫指導の研究を中学・高校の教員やOBらの有志と定期的に行っていた。2024年4月より現職笹間俊彦学業との両立に悩んでもこの道で頑張ろうと決意ースで頑張っていた先輩がいて、やるべきこともちゃんとやっていたよ」と言っているんだから。本人は覚えていないかもしれないけれど、本当に頑張っていました。中山そういえば、僕は作文が大嫌いだったのに、カートの試合で学校を休むたびにカートの試合でのことを作文に書かされましたね。たぶん僕は人一倍作文を書いたはずです。笹間文才はあったし、なにより負けず嫌いだから、きちんと取り組んでいたんだと思う。中山レースを続けてきたのも、ライバルたちに負けたくないという思いが強かったからです。でも、4年生の時に学業とレース活動の両立に苦しんだことがあって、サッサマンに面談をしてもらいましたね。その時に自分でもこれまでのことを振り返って考えたんです。それで5歳から打ち込んできたレースをここでやめるわけにはいかないと認識できて、改めてこの道でやっていく決心がつきました。笹間その頃の雄一は、放課後みんなと一緒にサッカーをしたい、でもカートの練習があるから帰らなければいけないという葛藤に苦しんでいて、友だちとトラブルになることもあったんだよね。クラスの子たちも苦手で。今でもサッサマンが教えてくれた「立つ鳥跡を濁さず」は色濃く残っているけれど、学校で勉強した記憶があまりないんです（笑）。笹間そんなことないよ。成城学園初等学校では、君が学外活動で活躍する児童のモデルケースになっていて、同じように学外活動をしている後輩たちには「君たちの先輩にはレ

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13してきたと思うのです。最近は特に、この言葉を思い返して、レース以外のことにもチャレンジしようという気持ちになっています。笹間どんなことにチャレンジしようと思っているの？中山僕は長年レースの世界で生きてきましたが、自分が身に付けてきた技術は交通安全に生かせると思っているんです。自動車のレースでは、スタート地点からゴール地点まで誰よりも安全に速く車を届けるという、究極の安全運転をしないと1位になれません。この技術を生かして、子どものうちから運転について学ぶような機会が作れないかと思っています。水泳教室に通っていれば川で溺れた時に命が助かるのと同じように、ケガをしない、ケガをさせないための運転教室があってもいいんじゃないかと。笹間それは面白いね。私は副校長になって初等学校の良さを改めて感じることが増えたので、この学校の存在意義や素晴らしさを世の中に広げていかなければと思うようになりました。これはやりたいことというより使命感ですよね。中山分かります。僕も成城学園に通った日々が本当に楽しかったです。週末のレースでライバルに負けてすごく落ち込んでいても、月曜日に学校に行けば楽しくて、そこでマイナスの気持ちをプラスに切り替えて、また頑張れました。しかも、学校ではダメだと言われることはほとんどなく、僕たちがやりたいと言えば「じゃあやってみよう」と返してくれます。後輩たちにも、たくさんチャレンジしてほしいです。心配してくれていたので、本人と話して、意志を確認したかったんです。そうしたら本人がきちんと自分の思いや決意を伝えてくれたので、君が頑張るならいくらでも応援するとこちらからも伝えたよね。中山それまでは自分が一番ならいいというところがあったんですが、5、6年生の頃から一歩引くことができて、みんなに優しくなれたような気がしていました。笹間そう！本当に変わった。そんな雄一の頑張りを学校も認めてくれたから、レースがあって卒業式に出られない雄一のために、別日に卒業式をしたでしょう？もちろん親御さんの協力もあったし、学校全体で応援しようという体制があって特別な卒業式ができた。雄一の前例があるお陰で、今同じような立場の児童も全力で応援できるんだよ。中山大人になってからも大事にしている言葉がもう一つあります。それが初等学校1、2年生の時の担任の先生に言われた「何事にもチャレンジ」という言葉です。振り返れば、この言葉がずっと心の中にあって、今までもいろんなことにチャレンジなかやまゆういち／幼稚園より成城学園で学ぶ。5歳でレオンキッズレーシングスクール入門スクールに参加。翌年キッズカートでレース初挑戦。2006年にフォーミュラトヨタ・レーシングスクール（FTRS）を受講。TDP（現TGRDC）のスカラシップを得て、08年にフォーミュラチャレンジ・ジャパン（FCJ）に参戦。10年はFCJで12戦全戦ポールポジション、10勝をあげて王者となる。18年にニュルブルクリンク24時間レースでクラス優勝。24年10月20日、SUPERGT第7戦GT500クラスにて優勝中山雄一今までも、これからも「何事にもチャレンジ」

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14下層階級の子供たちとその読書という研究対象の、何とちっぽけでみすぼらしいことか。もちろんイタリア美術の碩せき学がくと、その遥か後方をよちよち歩く自分とを比較することは烏お滸こがましいと言うべきでしょう。とは言え、石鍋先生にローマやフィレンツェの華麗なるイタリア美術のお話をうかがうたびに、いつもその落差に驚き入ることも事実なのです。私がなぜイギリス近代という煤煙に煙けぶる時代の貧しい子供たちに関心を持つに至ったかについては、何か精神分析学的な検討も可能なのかもしれません。しかし、そのような研究を長く続けてきて思うのは、それらのみすぼらしくちっぽけな子供たちの想像力は、実はイタリア絵画の巨匠たちの想像力に決して負けることのない広大なものでもありえるのではないかということです。少なくともそれはブルネレスキのサンタ・マリア大聖堂の大円蓋よりずっと大きいことは確かなのです。も大学に勤めていることの大きな喜びです。たとえばイタリア美術史がご専門の名誉教授の石鍋真澄先生は、私が専任講師として成城短大に職を得て以来の尊敬する年上の同僚です。石鍋先生が生涯の研究対象とされる教皇やメディチ家などの大富豪をパトロンとする壮麗なイタリア・ルネサンスやバロック絵画の世界は、まさしくヨーロッパ文化の精華です。石鍋先生の研究対象に比べて、私がこれまでに学んできたイギリスのつるみりょうじ／専門は英語・英語文化。筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科単位取得満期退学。ケンブリッジ大学客員研究員、成城大学短期大学部教授などを経て、現職。博士（文学）。著書に『マザー・グースとイギリス近代』（岩波書店、日本児童文学学会特別賞）、『イギリス近代の英語教科書』（開拓社）、『イギリスの忘れられた子供の本』（朝日出版社）など鶴見良次成城大学文芸学部英文学科教授イラスト＝北村人写真＝成城学園と、児童文学ですね、とよく言われます。しかし、私が関心を持っているのは文学作品というより、子供がそれらの本を手にして読んだ体験や、あるいはその体験をする子供たち自身です。特に18、19世紀の社会改革期に、これまで学校とは無縁であった貧しい階層の子供たちが、庶民の子供たちのために開かれた慈善学校や日曜学校などで初めて読み書きを覚えたり、本を手にした体験そのものが私の研究対象なのです。現在私が所属している文芸学部には6つの学科があり、さまざまな分野の専門家がおります。英語や英文学以外の他の分野の先生方との交流大学でイギリスの子供の読書の歴史の研究をしていると言う

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15数学部が研究をしているのは、分かりやすく教える方法ではありません。むしろその逆で、どうすれば子どもたち自身の「!」と「?」で算数・数学の世界を創っていくことができるのかという、答えのない大きな目標を追いかけています。物語です。そして、その物語の感動が大きいほど、鍵となった「!」や「?」が、数学的な見方や考え方として子どもたちに強く刻まれ、別の場面で生かすことのできる力になるのではないかと考えています。このような考えから、私や本校のをする必要はありません。そうではなく、皆で問題を解決していくプロセスにこそ学校に来て学ぶ意味がある、というのが私の考えです。広さは何によって決まるのか、どうすれば能率的に比べられるのかを真剣に考え、「縦×横」という公式を自分たちで見いだしていった子どもたちは、実に生き生きとしていました。考え方も、分かり方も、気付くことも、疑問に思うことも違う仲間がいるからこそ紡がれた、白樺組だけの工藤尋大成城学園初等学校教諭くどうのりひろ／1986年生まれ。東京都の杉並区と西東京市の公立小学校を経て、2021年より成城学園初等学校に着任。現在、5年白樺組の担任で、担当教科は数学。子どもたちの言葉で算数・数学の世界を創っていけるような授業を目指して、実践研究を重ねている。2017年に、算数・数学・授業の達人大賞（東京理科大学教育支援機構理数教育研究センター）優秀賞、2020年に、第69回読売教育賞優秀賞を受賞私をしたときのことです。導入では、学級園を作るために、ガーデンフレーム（板を杭で接続することで簡易的な花壇や畑を作るための道具）の板を12枚使って、どのような形の畑ができるかを考えていました。しだいに、「野菜を植えるんだったら、広い方がいいよね?」と、その広さが話題になります。そこで、「板の数はどれも12枚なんだから、広さは同じじゃないの?」とつぶやいた子がいました。そこから、子どもたちの「!」と「?」の連鎖が始まります。「図を重ねてみると、明らかに広さが違うよ」「本当だ!板を動かすと広さが変わるんだ」「マスの数を数えれば、比べるのが楽じゃない?」「マスを1㎝の正方形にすれば、どが担任をしている白樺組が4年生のころ、『面積』の学習の形でもぴったり測れるよ」「マスを数えるのに、かけ算が使える!」もちろん実際には、このように整った発言ばかりが続いたわけではありません。山登りをしているように、誰かの「!」で美しい景色が開けることもありますが、誰かの「?」が急斜面となって立ちはだかり、途方にくれることもあります。しかし、皆で言葉をつないで山頂にたどり着いたときは、一人で味わうことのできないような大きな感動があります。何のために学校に来て学ぶのか。コロナ禍で何度も自問しました。「縦×横」の公式を知って適用できるようにすることを目指すなら、わざわざ学校に来て、これほど遠回り

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SCENE成城キャンパスの風景写真＝佐藤克秋16

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18｜｜。2024年5月、そんな内容の記事がいくつかの全国紙に掲載された。この記事は、東京圏と福島県内の高校生計913人を対象に行った認識調査の結果を紹介したものだ。調査をしたのは高校2年の井上天たか凱ときさん。福島県双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館が主催する、中高生対象の「福島学カレッジ」という研究体験プログラムを通して取り組んだ研究だ。高校生に特化した認識調査はこれが初めて。「震災が起きた時は3歳だったので、地震のことはうっすらと記憶していますが、原発事故のことをきちんと理解していませんでした。ですので、機会があれば福島県のことを深く知りたいと思っていました」と、福島学カレッジに参加した理由をそのように話す。福島学カレッジに参加した中高生は、見学ツアーやワークショップを通して研究テーマを見つけ、自ら研究を進める。井上さんは除染土の処分が今も進んでいない実態を知り、「何十年もかかる問題だからこそ、若い世代が知っておく必要がある」と考えた。時間がたつにつれて記憶が薄れ、震災を知らない世代が増え018018file()成城生成城生取材・文＝牛島美笛写真＝佐藤克秋井上天凱さん成城学園高等学校2年中学では科学部に所属。福島学カレッジで研究の面白さを知ったので、大学では理系学部への進学を希望。社会問題の解決に役立つような研究をしたい今の高校生たちは福島第一原発事故についての認知度が低い研究成果を「日本災害情報学会第28回学会大会」「東日本大震災・原子力災害第2回学術研究集会」で発表研究テーマの立て方や進め方などを丁寧に指導してくれた東京大学大学院の開沼博准教授と福島学カレッジの会場となった東日本大震災・原子力災害伝承館は、福島第一原発事故の被害の実態を伝えるため福島県双葉町に作られた施設

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1919ていくことにも危機感を抱いた。調査では原発事故や除染土の認知度について質問。「事故が起きた福島第一原子力発電所の経営母体はどこか」という質問に対して、「東京電力」と正しく答えられたのは約50％。「東北電力」「福島電力」といった間違った答えも目立った。また、「福島第一原発で作られた電気は首都圏に送られていた」ということを正解できたのは、福島が約37％、東京が約27％だけだった。「東京に住む自分たちが使っていた電気を作っていた原発の事故なのに、7割が認識していなかったということは衝撃でした」まだ道半ばの除染土の問題などを引き継ぐのは自分たちの世代。震災を体験していない15歳以下も自分たちの問題として考えられるように、「教育を通じて、この意識を引き継いでいかなければいけない」という思いを強くした。このプロジェクトでは、東京大学大学院准教授である開沼博さんから直接指導を受けて、研究の醍醐味も体験できた。「自分も研究をしてその成果を社会に還元したいという意識が生まれました」と語る。福島での学びは、研究者としての第一歩を踏み出すきっかけにもなったようだ。

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植物について知ってほしくて作りました萬葉歌プレートの発案者、文芸学部の小林真由美教授学園構内の萬葉歌プレートを巡って、五感で文学を深めてみよう成城学園構内15カ所の植物に取り付けられた萬葉歌プレート。学生たちがより萬葉歌に親しみやすくなれば…という想いで制作された。ただ本を開いて頭の中で読むだけの萬葉歌ではなく、体験的に萬葉歌を楽しむきっかけとなっている。文＝おおいしまや写真＝佐藤克秋成城大学萬葉歌プレート冬から春の初めに咲く椿は構内の数カ所にある。椿は神聖な樹木として古事記や日本書紀にも登場し、庭木としてだけでなく、化粧品や椿油としても用いられ、古くから日本人に親しまれてきた澤柳先生と並ぶまつ3号館の教室から見える桜卒業生の記念樹として植えられた欅。つき古名は槻。「池の辺の小槻の下の篠な刈りそねそれをだに君が形見に見つつきしのつ偲はむ」（池のそばの槻の下の小竹を刈らないで。それだけでも、あなたかたみしのの形見として見て偲びましょう）桜を詠んだ歌は40首以上あるといわれ、春の盛りを彩る花として萬葉の時代から、日本人に愛されていた20

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21500首もの歌の中から、構内にある植物と照らし合わせ、学生に知ってほしい歌を選んで設置されている。小林真由美教授が授業をする中で、萬葉集に出てくる花のことを知らない学生が多いと感じ、植物に詳しい職員と共に発案から約1年の準備期間を経て、2018年に設置した。元々構内にあった植物以外にも、当時国文学科にいた小島孝之教授がご自宅で育てていた萬葉植物を寄付してくださり、成城池のほとりに植えられた。環境が合わず育たなかった草花もあるが、萩や日本固有種の紫陽花（七段花）はしっかり根ざし、毎年きれいな花を咲かせている。大学祭の名称「柳祭」は成城学園の創立者、澤柳政太郎氏の名にちなんだものだが、樹齢100年ともいわれる成城池のほとりの柳にもプレートが付けられた。残念ながら老朽化で倒木の恐れがあるため、近いうちに伐採される予定だ。萬葉歌プレートを巡ることで、束の間ではあるが1300年前の萬葉歌人と同じ心緒を共有できるかもしれない。身近な文学散歩を楽しめるツールとして、萬葉歌プレートの前で少し足を止めてみてほしい。成城学園構内の植物に付けられている萬葉歌プレートは、4子どもたちを見守り続けた柳成城池の周辺は萬葉歌プレートの集中スポット！成城池に彩りを添える萬葉の時代の梅は白梅のみだった。「わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」（私の庭に梅の花が散っている。あたかも天から雪が流れ来るかのようだ）「春の日に張れる柳を取り持ちて見れば都の大路し思ほゆ」（春の陽に芽をふくらませた柳の枝を手にとって見ると、奈良の都の大路が思われることだ）

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22取材・文＝中城邦子写真＝佐藤克秋凛とした剣士の気迫が道場にみなぎる!剣道といえば、他のスポーツと同じように心身を鍛え集中力や精神力が養えることに加え礼節や美しい所作が身に付くことや生涯にわたって続けられることも大きな魅力。中学生から1967年卒のOBまで年齢を超えて共に剣を交え稽古に励む剣道部を紹介しよう。まると、武道場はそれまでのワイワイとした和やかな空気から一変した。剣道部の土曜日の稽古は、大学生だけでなく最高齢は81歳（!）の大先輩も交じって行われる。これだけの剣士が一斉に竹刀を振る姿は圧巻だ。素振りの後は、2人1組で相手の面の左右を打ち前に進みながら4本、後退しながら5本打つ「切り返し」など基本の稽古。後半、自由に技をしく背筋の伸びた立礼、そして揺るぎない蹲そん踞きょ。稽古が始沖津夏澄文芸学部国文学科3年女子主将部員同士でお互いの試合の反省点などを指摘し合える仲間がいて、素晴らしい先生方と環境に恵まれている部活動です。剣道には駆け引きの面白さがあります。道場に来ると、心配事や悩んでいたことも忘れて集中できる。リフレッシュする時間です。背筋を伸ばし「黙想」稽古前に心を整える。自然体でありながらきれいな姿勢がすがすがしい原有佑樹法学部法律学科2年主将良い姿勢は意識すれば誰でも明日からできる!武道場内には神棚も!「剣道経験者なら誰もが畏敬する香田師範のような方に指導していただくようになって、学生たちの意識が変わりました」と木ノ内雅章大学監督

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出し合う実戦さながらの「地稽古」では、全員と対戦する。幅広い年齢層に加え、年に数回は中高生も交えた合同稽古も行われている。中学生は入学してから剣道を始めたという初心者が中心。一方、OBは六段、七段など高段位者がズラリと並ぶ。他の競技であれば、中学生が大人と対戦することは、まず考えられないだろう。しかし「体格も実力の差も超えながら、気持ちを同じにして剣を交えて交流できるのは、剣道ならではです」と木ノ内雅章大学監督。大学生にとっては、「師範を始めOBの方々が、年齢やレベルに合った形で稽古をつけてくださいます。現役部員が多いわけではないので、ありがたい機会です」（主将の原さん）、「剣道のキャリアをお持ちの方と稽古をする中で自分自身も成長できているかなと感じます」（女子主将の沖津さん）。特に中高生にとっては、本人たちの祖父と同じくらい年長のOBもいる。「そうした大先輩がこんなに強いと肌で感じられる機会は貴重で、成長につながります」と長尾繁樹中高監督。そして剣を交えることは双方に学びがある。学生コーチとして中高生の指導をしている長尾錬磨さんは「初心者の指導をすることで、基本などあまり振り返らなくなっていたことを、もう一度学ばなければと思えます」と話してくれた。参加OBからは、「各世代にとって精神面、技術面の交流に大きな意味がある」「学生たちの真剣な眼差しが印象的で、稽古への臨み方、剣道との向き合い方は初心者も経験者も関係ないと感じます」との感想も聞かれた。この日、2時間の稽古の後は、みな頬を紅潮させ、息が上がっていた。暑い真夏も重い防具をまとい、寒い真冬も裸足。まさに心身の鍛錬が求められるが、剣道では「十年一剣を磨く」といわれる。それだけの歳月をかけて鍛錬を積み、身に付けていく競技だからこそ、生涯続けられるのだろう。剣道範士八段という最上位の段位を持ち、1985年世界剣道選手権大会のチャンピオンでもある香田先生が、昨年、成城学園剣道部師範に就任した。剣道界の誰もが仰ぎ見る存在から直接指導を受ける誇らしさが、学生たちの真剣さを引き出しOBたちの参加率まで高めている。「木ノ内さんとのご縁で毎月指導に来ていますが、関東大会でも周囲の先生たちから褒められるほど、基本が良くなって剣道の質も良くなってきました。剣道では理合、理にかなった剣道であることが大切です。個性を伸ばしながら、基礎がしっかりとした剣道を指導していきます」。学生とOBの意識を変えた師範の存在成城学園剣道部師範筑波大学名誉教授長尾錬磨経済学部経営学科1年中高生には自分がこれまで教えてもらって良かったことを還元していきたいです。そして自分もしっかり成長していきたいです。香田郡秀範士八段香田師範による「成城学びの森」オープンカレッジの動画が左記のサイトからご覧いただけます。「日本の伝統文化～剣道が世界に伝える精神とは～」せたがやeカレッジ

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24取材・文＝牛島美笛写真＝佐藤克秋vol.19オーダーワイシャツシャツ店」が開業した。当時の顧客は横浜港に寄港中の西洋人たちがメインで、ラフカディオ・ハーン（小泉八雲）や、後に32代米国大統領となるフランクリン・ルーズベルトにも愛されたという。日本人顧客がほとんどいない頃、明治天皇、大正天皇のワイシャツも仕立てた。横浜大空襲により横浜の店と工場を失ったが、1957年に東京・銀座に本店を構え、2026年には創業150周年を迎える。その伝統を受け継ぐ石川成実さんは、「ワイシャツは戦闘服であり鎧」と語る。「スーツやネクタイと合わせた時のトータルバランスも大切ですが、ご自身のサイズに合ったワイシャツを身に付けているだけで気品が違います」。大学4年まで家業を継ぐつもりはまったくなく、サーフィンに熱中していたという石川さん。一度は既製シャツの会社に就職したが、実は子どもの頃からオーダーシャツの仕事はとても身近だったと振り返る。「父親は根っから生地が好きな人で、休みの日には機はた場ばと呼ばれる生地を織る現場などに連れていかれました。跡を継げと言われたことはありませ1150年の伝統を受け継ぐオーダーワイシャツ店日本最古のオーダーワイシャツ店である大和屋シャツ店は、明治天皇、大正天皇のワイシャツも仕立てた歴史のある名店。6代目社長として伝統を受け継いできた石川成実さんに、オーダーワイシャツの魅力を語ってもらった。876（明治9）年の横浜に、日本最古のシャツ屋「大和屋

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25さなどを変えます。長く通っていただいているお客さまなら、健康診断ができるレベルでサイズの変化が分かります」。そうして採寸したら、膨大な生地ストックから生地を選び、用途や好みに合わせてデザインを決め、職人の手によって仕立てる。ここまで1カ月近くの時間を要するが、長く着用できる特別な一着になる。「縫製がいいのは当たり前で、生地の種類がそろっていて、プロの営業マンが丁寧に対応するのが当店の良さです。ワイシャツは腕時計をしている袖口が傷みやすいですが、袖だけ、襟だけ付け替えることもできます。その時袖や襟を白い生地にするのもオシャレですよ」コロナ禍で苦しい時期もあったが、どんな時もお客さまに支えられてきた。間もなく創業150周年を迎え、その先も伝統を引き継いでいくことにプレッシャーを感じている一方で、大和屋シャツ店の良さをもっと強く打ち出していきたいと語る。「今は既製品のジャケットやブルゾンなども扱っていますが、いずれはオーダーシャツだけでやっていきたいという気持ちでいます。シャツ屋として原点回帰することで、この伝統を守っていこうと思うのです」んが、勉強させたかったのかもしれません。そうやって生地作りの現場を身近に感じて、ワイシャツの基本や色彩感覚などが養われたのだと思います」当時から成城学園中学校、高等学校には、紺のスーツとネクタイ、白いワイシャツという制服があったが、石川さんだけは父親から渡されたシャツを着て登校していた。「ボタンダウンやタブカラー（左右の襟をつなぐタブがあるタイプ）のシャツ、薄いブルーやピンクのシャツなんかを渡すんです。僕は『校則違反だからマズいよ』と言うんですが、父は『大丈夫だ』って。実際、それで怒られたことはなくて、そんなところが成城らしいですよね（笑）」。オーダーシャツを仕立てる工程は、お客さまのサイズを測ることから始まる。採寸箇所は十数カ所に及ぶが、胸の張り、肩の落ち具合など、メジャーで測れないところもたくさんある。「採寸できないところも含めて体形を把握します。大抵の人は左右で腕の長さが違いますが、有名な力士のお客さまは技を決める左腕が右腕より3センチも長かったということもありました。また、着方の好みもあり、ゆったり着たいか、かっちり着たいかによって首回りや襟の高学園全体の教育環境整備ならびに教育研究事業のための教育研究振興資金として、2024年9月から始まった返礼品付き寄付「成城GIFT」。返礼品は、卒業生が経営する企業の商品や学園オリジナルグッズの中から、金額に応じて選べる。商品カテゴリーは、食品、お茶・飲料、雑貨・日用品、衣類などと幅広い。大和屋シャツ店の御仕立券は、寄付金額ごとに3万円相当、5万円相当、10万円相当があり、それぞれ店頭で金額相当のフルオーダーが可能。「御仕立券は、入学や就職のお祝い、クリスマスや誕生日などの記念日のプレゼントにされる方が多いようです。初めてシャツを仕立てる方にぜひご利用いただきたいです」（石川さん）「成城GIFT」の返礼品にフルオーダーの御仕立券が!「成城GIFT」サイトはこちらいしかわなるみ／成城学園初等学校、中学校、高等学校を経て、1979年に成城大学経済学部経営学科を卒業。大学卒業後は当時大人気だったシャツメーカーに就職して営業マンとして実績を積み、23歳の時に父が経営する大和屋シャツ店に入社。その後6代目社長に就任。趣味はサッカーやサーフィンというスポーツマン石川成実さん大和屋シャツ店代表取締役社長121.シャツ生地の最高峰「CARLORIVA」をはじめ、世界各国の生地を取りそろえている。2.創業当時1876年から掲げられてきたプレート。3.銀座の街並みの中、伝統と洗練された気品を感じさせる店舗。4.「日本人の男性はあまり冒険されませんが、このブルーなどとてもきれいでオススメです」と話す石川さん自身さすがの着こなし34

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CampusNews&Topics01第3次中期計画「成城学園第2世紀プラン2030」を策定第3次中期計画（2024～2029年度）を策定しました。成城学園が伝統とする「個性尊重の教育」は「しなやかな知性・挑戦する意欲・共感する心」をいっそう大切にする教育へと進化・深化します。▲詳細はこちら0302成城学園砧移転100周年事業-これからも街とともに-成城学園が現在の地に移転して2025年で100周年を迎えることを記念し、地域住民の方々への感謝の気持ちを込めて関連行事を実施しています。「成城学園砧移転100周年特設サイト」では、関連行事のニュースとともに、本学園と街に関するトリビアを紹介しています。ぜひご覧ください。関連行事▶7/18｜ナイトミュージアム10/19｜きょうりゅう写生会11/9｜SEIJOシネマデーほか04100周年特設サイト▶小澤征爾氏お別れの会を開催世界的指揮者で本学園の卒業生でもある小澤征爾氏のお別れの会を、4月14日（日）に澤柳記念講堂にて開催し、1350人もの方々に参列いただきました。小澤征爾氏は本学園で中学校から学び、高等学校在学中に転校して音楽の道へ進まれました。卒業後もご父母として学園評議員、理事をお務めいただき、長きにわたり成城学園を愛してくださいました。ご冥福をお祈り申し上げます。恐竜・化石ギャラリー来場者累計1万人突破!杉の森館月20日（土）～24日（水）までの期間限定で一般公開し、3000人を超える方々にご来場いただきました。常設展示のほか、今年は国語の教科書を通して親しまれている『とりになったきょうりゅうのはなし』の著者、大島英太郎氏による新刊絵本『恐竜のあたまの中をのぞいたら』の原画展示とサイン会「恐、竜博士」としても知られる国立科学博物館副館長の真鍋真氏のサイン会を開催しました。「恐竜のお面作り」ワークショップの様子恐竜をかたどったお面に色を塗るワークショップ、真鍋氏監修の『きょうりゅうのわかっていること・わかっていないこと』の発売にちなみ、来場者に恐竜の謎についての質問に回答いただくイベント、フォトスポットの設置など、お子さまが楽しめる企画で好評をいただきました。一般公開期間中に累計来場者数が1万人を突破し、来場者に記念シールが配られました。成城学園恐竜・化石ギャラリーデジタルフォトブック『IMAGINEBOOK』ギャラリーに展示されている化石・標本など131点を掲載したデジタルフォトブックを販売中です電子書籍（Kindle）本体価格：1250円（税込み）ページ数：384ページ26

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父母の会活動報告安心・安全な環境づくりのお手伝いを父母の会では、幼稚園から大学までの各校において部会を組織し、それぞれの活動を運営しながら連携する形での活動も行っています。運動会や文化祭では募金応援活動を行い、各校、また学年間の枠組みを超えた保護者同士のつながりも大切にしています。各校の父母の会が連携して実施する活動として、今年度は『はじめまして、SEIJOくまたろです♪』と題」ポスターの募集を行いました。幼稚園の園児たち、初等学校の児童たちからたくさんの作品が集まり、文化祭には各校で、その後は正門で掲示いたしました。子どもたちの素敵な作品は学園ホームページにも掲載しておりますので、是非ご覧ください。これからも父母の会では、それぞれの部会で学校とも連携を取りながら、人と人とのつながりを大切に、またそのつながりを活かしつつ、学園に通うすべての子どもたちが「安心・安全」な学園生活を送れるよう、今後もより良い環境づくりのお手伝いをさせていただきたいと考えております。（2024年度父母の会部会長一同）0605返礼品付き寄付「成城GIFT」を開始9月から寄付額に応じて寄付者が自由に返礼品を選べる寄付事業「成城GIFT」を始めました。返礼品は卒業生が経営する企業の商品のほか、学園オリジナルグッズを取りそろえています。学園の現在を伝える「成城学園note」大学教員のコラムを中心に運用していた「成城大学note」。「成城学園note」と名を改め、幼稚園・初等学校・中学校高等学校それぞれのページで連載を始めました。学校の日常生活や卒業生の活躍など総合学園としての成城学園の現在を伝えていきます。また、砧移転100周年を記念して成城の街と自然をテーマにしたコラム「SEIJOnature」、成城学園のニュースをまとめた「オープン学園報」も月1回掲載しています。幼初中高SEIJOnature▲「成城学園note」トップページ2024年こんな番組に登場しました!2/13｜ABEMAPrime（ABEMA）大学文芸学部野口亜弥専任講師2/26｜おはよう日本（NHK）大学法学部指宿信教授3/4｜グレーテルのかまど（NHKEテレ）大学文芸学部木村建哉教授4/14｜4/15各社報道番組（NHK、日本テレビ、テレビ朝日、フジテレビ）学園小澤征爾氏お別れの会5/3｜北野誠のズバリ（CBCラジオ）大学文芸学部及川祥平准教授7/10｜キキとカンリ（NHKEテレ）中高保健体育科松本貴行教諭8/6｜開運!なんでも鑑定団（テレビ東京）学園澤柳記念講堂（収録会場として）8/7｜newsFLAG（TOKYOMX）初等大槻俊也教諭9/24｜おはよう日本（NHK）大学法学部打越綾子教授11/13｜世界の何だこれ!?ミステリー（フジテレビ）大学文芸学部及川祥平准教授ほかSNSで学園の最新情報を発信中！学園SNS一覧▶大学SNS一覧▶幼稚園から大学まで、イベントから日常の風景まで、成城学園の最新情報を配信しています。27

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CampusNews&Topicsデータサイエンスと萬葉歌で文理融合の学びを実践文芸学部国文学科小林ゼミ（小林真由美教授）は、データサイエンス教育研究センターと協力して、文理融合の課題解決型授業を行いました。小林ゼミの3、4年生8人が、キャンパスの3次元デジタル空間（メタバース空間）の制作に取り組みました。空間内をアバターで散歩しながら、キャンパス内の樹木に設置された「萬葉歌プレート」と対応する和歌の解説文が見られるコンテンツを作成。完成作品はオープンキャンパスで来場者に披露されました。大学女子タッチフットボール部「成城大学BROOKS」日本一2連覇!大学女子タッチフットボール部「成城大学BROOKS」が、1月13日（土）、MKタクシーフィールドエキスポ（大阪府吹田市）で行われた女子タッチフットボール日本一を決める『第29回さくらボウル』に学生代表として出場しました。一般代表チーム「HAILMARY」と対戦し、26-26の同点で両チーム優勝、2年連続の日本一を達成しました。社会イノベーション学部開設20周年紀伊國屋書店にて連続講座を開催2025年に開設20周年を迎える社会イノベーション学部が、紀伊國屋書店新宿本店にて「英語教育×イノベーション×辞書」と題した連続講座（全3回）を開催しました。パリオリンピック銅メダリスト尾﨑野乃香さんが来校初等学校と中学校の卒業生である尾﨑選手が、6月とパリオリンピック出場後の9月に来校くださいました。児童・生徒・教職員と交流し、たくさんの祝福の拍手が贈られました。尾﨑選手、銅メダル獲得おめでとうございます!高大連携コラボレーション授業を実施昨年度から高校で開始した探究学習「ゼミナール」は高校2年生の約8割が受講しています。自ら課題を設定して探究するという学習方法にまだ慣れていない生徒たちのために、2024年度は社会イノベーション学部の青山征彦教授と大学生が4週にわたるコラボレーション授業を実施。グループワークを通して課題設定の仕方を学びました。高校生とサポートする大学生が、お互い刺激を受け合い成長する機会となりました。中高高校ラグビー部3年連続決勝進出！全国高等学校ラグビーフットボール大会・東京都予選で3年連続4回目の決勝戦進出を果たしました。中学合唱部が初の快挙!Nコンで優良賞受賞中学合唱部が「第91回NHK全国学校音楽コンクール」中学校の部東京都本選に出場し、優良賞を受賞しました。28

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CampusNews&Topics初等学校合唱部がNコンで優良賞受賞!8月9日（金）、初等学校合唱部が「第91回NHK全国学校音楽コンクール」小学校の部東京都本選に出場し、優良賞を受賞しました。緊張感に包まれながらもこれまで積み重ねてきた自分たちの音楽を出し切ることができました。ハイレベルな他校の素晴らしい演奏に刺激を受け、貴重な経験となりました。レーシングドライバー中山雄一さんの特別授業初6月19日（水）、2年生橙組、柊組、真弓組でレーシングドライバー中山雄一さんによるキャリア教育の授業が行われました。初等学校の卒業生である中山さんは、5歳でカーレースに魅了され、現在はトヨタに所属するプロのレーシングドライバーとして活躍されています。子どもたちからは次々と質問が飛び、思い出深い一日となりました。初等学校6年欅組と捜真小学校6年生が化石を使った合同授業を行いました初等学校6年生は学園内にある「恐竜・化石ギャラリー」の化石を教材として、化石を選び、調べて下級生に解説するという学習を行っています。5月30日（木）には、捜真小学校の6年生60人が来校し、初等学校の6年欅組が恐竜・化石ギャラリー内に展示された化石を解説する合同授業を実施。他校の児童をお迎えして行う交流授業は初めての試みでした。幼初合同運動会を開催10月6日（日）、「第31回秋の運動会」を初等学校の小グラウンドにて行いました。幼稚園・初等学校の子どもたち、保護者の皆様、教職員が全員で体を動かす伝統行事です。最後の大玉リレーでは年中組から6年生まで一緒になって懸命にグラウンドを駆け抜けました。幼年長組のデジタル・シティズンシップ教育2023年12月11日（月）、デジタル・シティズンシップを専門に研究されている今度珠美氏（一般社団法人メディア教育研究室代表理事・国際大学GLOCOM客員研究員）をお招きして、幼稚園年長組の児童を対象にした教育活動を行いました。「インターネットはどんなところで使えるかな?」といった問いかけをしながら、インターネットの便利さとともに、安心安全に使うためのルールも勉強しました。サイエンス教室を開催1月25日（木）、成城学園中高で理科を担当している小谷野公美子先生によるサイエンス教室を、年少組から年長組まで全員で行いました。今回のテーマは「紫キャベツの色のひみつ」。紫キャベツをしぼった汁に色々なものを混ぜて、どのような変化があるかを観察しました。29

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第18回成城学園前駅から880歩カウンター上にはハングル文字で「宝石」。天井が高く一面ガラス窓で、明るく開放的な店内PARKHOSEKILAB「彩りHOSEKI」コース（4500円、税込み）の一例。器や盛り付けも楽しみの一つどこか和菓子に似た素朴な味で美味韓国の伝統的なお菓子を楽しめる貴重なお店です開放的な空間で韓菓子を見て、食べて、知る私たちが案内します3駅の南口から徒歩5分、桜の木が目印のスタイリッシュな建物が2023年12月に開店した韓国宮廷茶室「HOSEKI」だ。「景色は韓国の宮廷茶室に欠かせない要素。この緑に囲まれた空間は申し分ない」と妻の石盛友佳理さん。提供されるのは、韓国宮廷料理の伝統を重んじつつも、シェフのパク・スヒョンさんが作る革新をハン重ねた宮廷韓菓子と伝統茶のコースだ。リポーターは、法学部の大山祐依さんと社会イノベーション学部の長谷川理左さん。2人は、学内で国際交流を促進するイベントの企画・運営を手掛ける国際4交流サポーター仲間で、K-POP好きが高じて韓国の食文化やスイーツにも法学部法律学科2年大山祐依さん興味があるそう。「彩りHOSEKI」コースには約70種類もの食材が使われ、滋味たっぷり。さまざまな色や形の菓子が並ぶメインの膳に、食欲と好奇心がそそられる。一つずつ丁寧に説明をしてもらえるため、韓菓子が初めての人も安心だ。8月に初めて韓国を訪れたという長谷川さんは、「このケソンチュアクはマッコリの代わりにシャンパンを使っているそうで、以前食べたものとは違う風味」と満足げ。「知らないものを食べるのって、海外旅行のようなドキドキ、ワクワク感がある」と大山さんも目を輝かせる。伝統と新しさが融合した韓菓子で心と体が整いそうだ。3.ガラス窓越しに緑がのぞく。4.体の調子を整えるアペリティフ（ノンアルコール）と雷おこしに似た「カンジョン」。5.永遠を象徴するはちみつつぼに載せて出される「宝珠」。ひと口で35種類の食材を体に取り込める12社会イノベーション学部政策イノベーション学科2年長谷川理左さん1.伝統的な韓菓子が並ぶメインの膳。中央が「ケソンチュアク」、手前左はシェフが3日かけて作る「ケらでんソンヤッカ」。2.螺鈿細工を施したピンクの宝石箱がレジ代わり左から石盛さん、パクさん5Data小田急線成城学園前駅徒歩5分営業：11：00～18：00（最終受付16：00）定休日：火曜日世田谷区成城2-15-1TEL：03-6761-9386（完全予約制）Instagram：@hoseki.tokyo文＝坂下明子写真＝佐藤克秋30

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成城学園noteもご覧ください！成城学園note内で『sful取材ノートより』と題し、誌面には収まりきらなかったエピソード、取材時の裏話的なコンテンツなどを紹介しています。ぜひご覧ください！こちらの二次元コードから『sful取材ノートより』にアクセスできます住所変更はWEBで卒業生の方は「成城学園同窓会ホームページ」で住所変更を受け付けています。サイト内の「会員情報変更」というページでお手続きください。トップページからは、上部右側の「事務局へのご連絡」の中に「会員情報変更」があります。在校生の保証人の方は、各校事務室へご連絡ください。成城学園住所変更検索お電話でのお問い合わせ：成城学園企画広報部03-3482-1092卒業生の方は、こちらの二次元コードから会員情報変更ページにアクセスできます編集後記2025年は成城学園が現在の校地に移転して100周年ということで、街と学園のつながりについて特集しました。さらに幼稚園も創立100周年を迎えます。時代を経ても変わらぬリアルとアナログを大切にした教育の現在を石井園長のことばで紹介しています。MADEINSEIJOでは日本最古のオーダーワイシャツ店「大和屋シャツ店」が登場。今年9月にスタートした返礼品付き寄付事業「成城GIFT」にもご協力いただいているお店です。老舗ならではの興味深いお話を聞くことができました。ぜひご一読ください。『sful成城だより』Vol.192024年12月9日編集・発行学校法人成城学園企画広報部〒157-8511東京都世田谷区成城6-1-20https://www.seijogakuen.ed.jpTEL03-3482-1092本誌掲載記事・写真の無断転載、複写を禁止します。AllRightsReserved.PrintedinJapan©SeijoGakuen202431

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2024年12月9日発行編集・発行学校法人成城学園企画広報部〒157-8511東京都世田谷区成城6-1-20URLhttps://www.seijogakuen.ed.jpE-mailkikaku@seijo.jpVol.192024エスフル成城だよりadiscoveryinthepicture9号館前広場に集う来場者たち。元気いっぱいな子どもたちの声が響く2024年7月6・7日『成城100年祭開祭式』現在の成城学園の母体となった成城第二中学校の起工祭から100年目に当たる2024年7月6・7日、真夏の日差しの下、成城学園にて「成城100年祭開祭式」が開催された。企画・運営を行ったのは住民が立ち上げた成城100年祭実行委員会。子どもたちが中心となり盛り上げたセレモニーで幕を開けた開祭式では「出張！なんでも鑑定団in成城」やフリーマーケットなど、世代を問わず楽しめる催しが行われ、2日間で約5700人もの来場があった。会場にはボランティアスタッフとして参加した成城大学生の姿もあり、学校と街が一体となった2日間だった。成城100年祭実行委員会は成城自治会設立から100年となる2028年までさまざまな関連行事を計画している。

