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# Vol.11『[実践] 理念経営Labo』（2024 AUTUMN 10-12）

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人と組織の可能性を発見する研究誌理念経営実践2024AUTUMNVol.11Labo10-12［松下幸之助生誕130年記念特集］幸之助さんの教えに学んだこと個を生かす経営者として素直な心で自己観照を実践日本アイ・ビー・エム代表取締役社長山口明夫100年前の出会いから地方に息づく幸之助理念山陰パナソニック代表取締役会長渡部俊明代表取締役社長渡部幸太郎社員が主役の企業文化でお客様と地域を元気に！人の森代表取締役社長加藤政徳素直な心の初段を目指すＰＨＰ研究所客員岩井虔［松下幸之助経営塾志の実践］イリソ電子工業代表取締役社長鈴木仁

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『［実践］理念経営Labo』刊行にあたって現代の企業や組織において、経営理念を経営の軸に据えることの重要性はますます高まっています。一つには、資本主義社会のあり方が問い直され、企業の果たすべき責任がよりいっそう重視されつつあることが挙げられます。たとえば、行きすぎた株主重視の反省から、企業には社会的な課題解決が一段と強く求められるようになりました。ESG（環境、社会、ガバナンス）投資やSDGs（持続可能な開発目標）への関心の高まりからも、その傾向は明らかです。また、従来の経営理念に加えて新たに「パーパス」（存在意義）を掲げる企業も数多く出てきました。一方で、政府による働き方改革の推進、雇用慣行の変化、特に最近は新型コロナ感染症拡大をきっかけとしたリモートワーク導入促進の流れの中で、働く人々の価値観においても多様化が進み、組織を統合するための経営理念の役割も見直されています。私どもPHP理念経営研究センターは、複雑化する環境においても企業や組織が活力を持って高品質な商品やサービスを創出し、持続的な発展を遂げてゆくために、新たな理念経営のあり方を追求することを年に設立いたしました。この使命はパナソニックグループ創業者で弊社PHP研究所創設者でもある松下幸之助の「思い」から発しています。松下は、昭和7（1932）年5月5日、「人々の日常生活の必需品を充実豊富にして、その生こんしん活内容を改善拡充する。松下電器製作所はこの使命の達成を究極の目的とし、今後一層渾身の力を振るまいしんい、一路邁進せんことを期す」という趣旨の自社の「真使命」を宣言し、パナソニックグループを世界へと飛翔させました。また終戦後の世の乱れ、人心の荒廃を思い知らされたところから、「繁栄を通じて、平和と幸福を実現する」（PeaceandHappinessthroughProsperity）との思いに立ち、昭和21（1946）年11月3日にPHP研究所を設立いたしました。「初めに思いありき」の言葉通り、松下のいずれの事業活動もすべて「思い」を原点とした理念経営にほかなりません。こうした考えに立ち、PHP理念経営研究センターの情報発信の場として『［実践］理念経営Labo』をこのたび刊行いたします。誌名に「Labo」（ラボ）とつけたのは、本誌を生きた「理念経営の研究室」とし、より先端的な課題への取り組みに挑みたいとの思いがあってのことです。理念経営に挑戦している経営の現場を現代的見地にもとづいて取材し、理念実践の新たな指針を創出することを目指して誌面づくりに尽力していきたいと考えています。読者の皆様には、ぜひとも「Labo」の共同研究者として情報、ご感想を賜り、明日の「理念経営」のあり方に一石を投じるべくご支援、ご指導をお願いいたしたく存じます。2022年4月PHP理念経営研究センター代表渡邊祐介

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Contents──2024AUTUMN10-12（Vol.11）松下幸之助生誕130年記念特集幸之助さんの教えに学んだこと【Report】個を生かす経営者として素直な心で自己観照を実践グローバルリーダーが語る幸之助哲学の魅力とは【Interview】100年前の出会いから地方に息づく幸之助理念「先駆け」の精神で「山陰の星」を目指す【Interview】社員が主役の企業文化でお客様と地域を元気に！「幸之助さんならどうするか？」松下政経塾出身経営者の実践経営【Interview】素直な心の初段を目指すそばで仕えた28年間に受けた薫陶から【松下幸之助成功の金言】道は無限にひらかれている松下幸之助経営塾【志の実践】革新的な「コネクタ」で社会貢献に「つなげる」動きながら高速伝送をする接続部品に世界が注目【塾生通信】日に新たSeries【プロ・ファシリテーターが斬る!!組織づくり・人づくりのヒント】Ｚ世代を活かす人材マネジメント【特別動画案内】MOVIEGALLERY日本アイ・ビー・エム代表取締役社長山口明夫6山陰パナソニック代表取締役会長/代表取締役社長渡部俊明/渡部幸太郎10人の森代表取締役社長加藤政徳14ＰＨＰ研究所客員岩井虔1820イリソ電子工業代表取締役社長鈴木仁2630PHP研究所経営共創事業本部本部長的場正晃3234誌面内容がよりよくわかる特別動画を右のQRコードからご視聴いただけます。動画は随時追加予定。メルマガにてご案内します。（メルマガ登録はP35下をご参照ください）

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［松下幸之助生誕130年記念特集］幸之助さんの教えに学んだことうでっち1894年11月27日に生を享け、丁稚奉公から身を立てたパナソニックグループ創業者・松下幸之助。一代で世界的企業グループを築き上げただけでなく、繁栄・平和・幸福の実現を目指すPHP活動を展開し、日本のリー代半ばで設立した。「青春とは心の若さである」をモットーに、最晩年まで希望を抱いて歩み年余の生涯であったが、著書『人生心得帖』の中で、一つの目標として130年にわたってみずからの天分を生かしきりたいと、願いを述べている。「私自身の寿命も、これまで長生きできたことに感謝しつつさらに努めていけば、まだまだ伸ばすことができるのではないか、という感じがします。そこで、実は昨年、数え年で90歳になったのを機に、よし、ひとつ、自分は長寿の日本新記録に挑戦してみようと思い立ちました。そのためには、目歳ぐらいにおいて、常に自分で自分を励まし燃え立たせつつ、日々なすべきことに取り組まなければ、と考えて、自分なりに努めている昨こん今です。はたしてこの目標がどこまで達成できるかは、もちろん分かりません。しかし、分からないなりに、ともかくも一生懸命、希望と勇気をもって人生の歩みを続けることが、自分に恵まれたせっかくの寿命を生かしきる道であり、その道をとることが、私自身の務めでもあるのではないかと思うのです」さっ幸之助が希望と勇気をもって人生を歩み続ける中で抱いた思いや考え方は、生誕130年を迎える今、リーダーたちの中にどのように息づいているのか。本特集では、幸之助哲学の魅力と実践に迫る。

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Report個を生かす経営者として素直な心で自己観照を実践グローバルリーダーが語る幸之助哲学の魅力とは日本アイ・ビー・エム株式会社代表取締役社長執行役員山口明夫やまぐち・あきお＊1964年和歌山県生まれ。’87年大阪工業大学卒、日本アイ・ビー・エム入社。システム開発・保守や社長室・経営企画、テクニカルセールス本部長、米国IBM役員補佐などを経て、2009年執行役員、’17年取締役専務執行役員、米国IBM本社経営執行委員、’19年より現職。一般社団法人「企業アクセシビリティ・コンソーシアム（ACE）」代表理事、東京理科大学大学院経営学研究科上席特任教授、経済同友会副代表幹事、大阪工業大学客員教授、東京都立産業技術大学院大学運営諮問会議委員長などを歴任。日本アイ・ビー・エム株式会社本社：東京都港区／設立：1937年／事業内容：情報システムにかかわる製品、サービスの提供日本アイ・ビー・エム（以下、日本IBM）の経営トップを務め、米国本社の経営執行委員としてグローバルな戦略立案と実行を担う山口明夫氏。今でこそデジタル変革の旗手として多方面にわたる活躍ぶりだが、就職するまでは世間知らずの苦学生で、「外資系企業の仕事についていけず挫折するのでは」と、まわりから心配されるほどだったそうだ。実際に入社後はハードワークの日々を過ごすものの、それを苦とも思わず学びを重ねていき、次第に活躍の場を広げていった。その学びの大きな軸となっているのが、松下幸之助の考え方だという。幸之助の「大ファン」である山口氏が明かす、その魅力とビジネスでの実践とは。取材・文：平林謙治写真提供：日本IBM6［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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特集幸之助さんの教えに学んだこと「人っていいな」に目覚めた『PHP』誌との出合い2019年から日本IBMの社長を務める山口明夫氏は、松下幸之助と同じ和歌山県の出身。幸之助生誕の地にもほど近い、紀の川中流域ののどうかな田園地帯に生を享けた。幸之助がアメリカの『LIFE』誌に特集され、「日本の高度経済成長を牽引する最高の産業人」と紹介された1964年のことである。幸之助の「大ファン」を公言する山口氏だけに、「きっと幼少期から郷土の先人の立志伝に触れ、影響を受けることもあったのでは？」と水を向けると、意外にも「いやいや、それはありませんよ」と苦笑した。「田舎にいた頃はそもそも同郷の人だということさえ知らなかったんですから」幸之助の言葉や考え方に初めて出合ったのは、故郷を離れ、大阪で過ごした大学時代。企業経営者としての知恵や哲学よりも、まずは一人の人間として、社会人としてどう生きるか――その普遍的なメッセージに山口氏は強い共感を覚えたという。きっかけは、大学の友人に紹介された小さな雑誌だった。「月刊誌の『PHP』です。『これ、すごいよ』と勧められて読んでみたら、なるほど冒頭から面白くて読みやすい。なんだかホッとするなぁと心に染みたのをよく覚えています。『人にやさしく』とか『人は独りでは生きられない』とか、シンプルだけど大切なことに改めて気づかされましたし、それを説いておられる幸之助さんが同じ和歌山出身と知ってますます親近感がわきました。一般読者の方からのメッセージもたくさん載っているじゃないですか。あれを読んで、すごくポジティブな気持ちになれたんですよね。世の中っていいな、温かい人がこんなにいるんだと。以来、『PHP』の発売日が待ち遠しく、『人生心得帖』など幸之助さんの著書もすすんで読むようになりました」幸之助はその『人生心得帖』に「人間というものは、大きく見ればすばらしいもので、信頼すれば、必ずそれに応えてくれるもの」だと記している。人間の本質に対する根本的な肯定感、信頼感とでもいうべきまなざか。そうした深く、温かい眼差しが同郷の後輩を励まし、「人間っていいな、世の中っていいな」との希望を抱かせた。人を色眼鏡で見ない究極のダイバーシティ日本IBMに入社して37年。「多様性豊かな企業で仕事をするためには“人を色眼鏡で見てはならない”と学んだ」と山口氏は語る。「当社には様々なバックグラウンドを有する社員がいますが、むしろそういう環境にいるからこそ、より強く思うようになりました。性別や年齢、人種、国籍あるいは肩書や学歴・経歴といったものでその人の価値は測れない、肝心なのはやっぱり人と人との信頼関係なんだと。アメリカ人だから日本の市場はわからないだろうとか、日本人だからイノベーションは起こせないだろうとか、役員だから偉いとか、そういうのはバイアス（偏見）ですからね。究極のダイバーシティって、私は“一人ひとり”だと思うんですよ。くくり女性だから、外国人だからと一括にせず、その人その人の“中身”としっかり向き合い、互いを尊重し合うことで組織は強くなっていく。リーダーになればなおさら、曇りや偏見の入った色眼鏡は捨てなければなりません」周知の通り、松下幸之助も「色眼鏡で見ない、素直な心」の大切さを繰り返し説いている。そもそも人間というものに根本的な信頼を置けなければ、山口氏のように、それを実践するのは難しい。「レベルが違いすぎますよ」と山口氏自身は謙遜するが、幸之助の人生観に触れて、「人間っていいな」と気づかされた若き日の経験が、日本IBMという環境で働くうえで生かされたといえるだろう。もっとも、山口氏によれば、まるで違うキャリアを歩んでいた可能性もあった。「いや、むしろそちらのほうが大きかったかもしれません。もともと日本IBMなんて就職の選択肢として考えたこともなかったんですから。実家は果物づくりが中心の兼業農家。長男なので、子供の頃から後を継ぐんだろうなと何となく思っていました。公務員か、地元の企業に［実践］理念経営Labo2024AUTUMN7

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勤めながら農家をやる。親はそれを期待していたと思います」大阪の工業大学に進んだのも「単に理系が好きだったから」で、卒業後は地元へ戻るのが既定路線だった。「18歳までは和歌山県を出たこともほとんどなかったので、とにかく世間知らずでしたね。もちろん経営の“け”の字も知らず、『将来をどう考えているのか』と問われても何一つ答えられない。そんな大学生でした。雑誌の『PHP』を知り、幸之助さんの言葉と出合って初めて、自分も社会へ出たらこういうふうに考えて生きていかなきゃいけないんだと。おぼろげながら気づかせてもらったというのが正直なところです」ハードワークも苦とは思わなかったそんな山口氏が、選択肢にもなかった日本IBMに入社したのは、大学の恩師から強い勧めもあったからだった。同社は当時の理系大学生にとって超人気の就職先。「どうせダメだろう」と半ばあきらめながら面接に臨み、本人の手ごたえもはたかんばして芳しくはなかったというが、結果は採用だった。「とはいえ、内定をもらってからも悩みました。仕事は厳しそうだし、まわりはみんな優秀だろうし、やっていけるのかと。その頃、『ふぞろいの林檎たち』というテレビドラマが流行っていたんです。若者たちが大学は出たけれど社会についていけず、挫折を経験するというストーリー。友人たちから『明夫もあんなふうになるぞ。潰されるからやめとけ』『地元に帰ったほうがいい』と言われて、何度も下宿で話したのを思い出します。でも、先生がせっかく推薦してくれたんだからと、思案の末に入社を決めました」入社して最初は、お客様のシステム障害の連絡を受け付ける業務に従事。その後もシステム開発や保守などタフな現場を担当し、客先に泊まり込んで働くことも珍しくなかったが、ハードワーク自体をつらいと思うことはなかったという。「大学時代も親に迷惑をかけたくなかったので、アルバイトをかけ持ちして深夜までひたすら働きました。小学生の頃からずっと畑仕事の手伝いもしていたので、仕事そのものは苦ではなかったんですよ。しかも、家の手伝いと違って、バイトや会社で働くとお金までもらえるじゃないですか。最初は『こんなにもらえるの!?』と。あの驚きとうれしさは忘れられません。やるべきことをちゃんとやらなきゃいけないという責任感も、そこから育まれたように思います」でっち新入社員の頃の山口氏（右端）9歳で丁稚奉公に出た松下幸之助は、給料として初めて五銭白銅をもらった日の感激を生涯忘れなかったという。晩年になっても、「今までで一番うれしかったことは？」と問われて、その“初任給”の思い出を挙げている。幸之助と同じく、山口氏が初めて報酬を得た感激からますます仕事に対する意欲と責任感を高めたというところに、ハードワークを乗り越えて成長し続けることができた理由がうかがえる。迷ったときに助けられた幸之助流の「自己観照」日本IBMは言わずと知れた外資系企業だが、その歴史は古く、創業は戦前にまでさかのぼる。1937年、横浜・山下町に小さな事務所が開かれ、その正面入口に「THINK」の5文字が掲げられた。「考えよ」――IBMの社是である。「言い換えると、『あなたはどう考えますか？』ということ。私たち一人ひとりが日々の仕事の中で、常にそれを問われているわけです」と山口氏は言う。「一方で、IBMには“教え合う文化”も根づいています。IT業界ではよく自分の知識やスキルを独占して8［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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特集幸之助さんの教えに学んだこと人に教えない傾向があると言われますが、うちはそうじゃありません。みんなでどんどん教え合って成長していく。ただ、いろいろな人に話を聞いても、最後は自分がどう考えるか。みずから考えなければ、成長もやりがいも得られないでしょう」体系的な学問教育をほとんど受けられなかった幸之助が、それゆえに飽くなき探究心を生涯持ち続け、人どんよくの知恵や経験を貪欲に吸収し成長しようとしたことは有名だが、それは日本IBM入社以降の山口氏の歩みとも重なるところが大きい。「大学までは本当に何も知らなかった。もう少し勉強しておけばよかったなと思うこともありますが、幸之助さんの境遇を思えば、大した問題じゃない。実際、何も知らなかったからこそ、会社に入ってからのほうが勉強するようになりましたし、社長になっても学び続けています。当社が学ばざるをえない環境であることも大きいでしょう」では、トップに就いたことで、改めて幸之助の考えに学ぶところはあったのだろうか。職責が大きくなれば当然、判断に迷う場面も増える。考えれば考えるほど自分を見失い、人の意見に流されやすくもなる。そんなとき、山口氏は「幸之助じこかんしょうさん流の『自己観照』に助けられた」と振り返る。前出の『人生心得帖』によると、幸之助が勧める自己観照とは「自分で自分を、あたかも他人に接するような態度で外から冷静に観察してみる」という手法。そうすれば「自分てんぶんの天分、適性や力を、ある程度正しくつかむことができる」のだ。山口氏のようにみずから意識してそれを身につけられたら、リーダーにとって大きな支えとなるに違いない。「事業は人なり」の教えを改めて心に刻むこうした山口氏のリーダーシップのもとで、現在、日本IBMは「顧客との価値共創」に力を注いでいる。経営判断の軸になるのは、「世界をより良く変えていく“カタリスト（触媒）”になる」という同社のパーパス（社会的な存在意義）だ。どんな事業を行なうにせよ、なぜ、何のために行なうのか――そこに「正しさ」や「共感」がなければ価値共創は生まれない。「『企業は社会の公器』『商品の前に経営理念を売る』など、幸之助さんの金言は今も新しい。パーパスが求められる時代だからこそ、改めてその意味を心に刻み直すべきではないでしょうか」と、山口氏は力を込める。「これからの企業はお客様からだけでなく、働く個人からもパーパスで選ばれるようになると思います。リーダーはただ理念だけを伝えるのではなく、社員がそれを通じて社会貢献できる道筋を明示し、自分自身の働く意味ややりがいまで実感できるように繰り返し説明していかなければなりません。そこに共感が生まれるのですから」社員とのコミュニケーションに関しても、山口氏は社長就任以来、ビジネス対話アプリなどを活用し、定期的な発信を欠かさない。その際に幸之助の言葉や考え方を取り上げることもあるという。「先日も140名ほどの管理職に向けて『物をつくる前に人をつくる』『事業は人なり』といった幸之助さんのメッセージを紹介しました。お客様にITソリューションを提供してイノベーションを起こすのが当社のビジネスですが、つくっているのはそのための製品やサービスだけじゃない。本当につくらなければいけないのは、それを考え、実行する人材なんです。各リーダーにはそういう意識を持ってメンバーと接してほしいと伝えました」そして、人づくりの心構えをこのように明かす。「当社の人づくりの基本はコーチング。何かをできない人に『なぜできないのか』と問うのではなく、その人ができるようになるためにわれわれはどうサポートすればいいのかを問うという考え方です。できないのは本人ひとりの責任ではなく、サポートすべきチームや上司、役員の責任であり、最終的には全部トップである私の責任なんですよ。だからこそ、色眼鏡を捨てて、一人ひとりしんしの“本質”と真摯に向き合わなければいけません」終始穏やかな話しぶりながら、その言葉の端々には、幸之助にも通じる経営者としての強い覚悟がにじむ。L［実践］理念経営Labo2024AUTUMN9

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Interview100年前の出会いから地方に息づく幸之助理念「先駆け」の精神で「山陰の星」を目指す山陰パナソニック株式会社代表取締役会長渡部俊明（右）わたなべ・としあき＊1948年生まれ。松下電器産業での勤務を経て、’78年山陰ナショナル製品販売（現・山陰パナソニック）入社。’89年代表取締役社長に就任。2007年から代表取締役会長。代表取締役社長渡部幸太郎（左）わたなべ・こうたろう＊1978年生まれ。松下電器産業での勤務を経て、2003年山陰ナショナル（現・山陰パナソニック）入社。’18年代表取締役社長に就任。島根、鳥取両県に44の事業所を置き、「サンパナ」の愛称で親しまれる、世界で2社しかないパナソニック製品の総合販売会社・山陰パナソニック。地域に密着し、お客様の声にいち早く応える商売で、創業以来66年間黒字経営を続ける同社の歴史をひも解くと、折に触れて松下幸之助の姿があった――。幸之助から何を学び、今どのように生かされているのか。幸之助に頭をなでられたことがあるという渡部俊明会長と、そのご子息で、幸之助の理念を現代にわかりやすく伝える試みをする幸太郎社長に話を聞いた。山陰パナソニック株式会社本社：島根県出雲市／設立：1958年／事業内容：パナソニック製品を主とする卸売業、修理・設計・施工・管理及び保守業務、ドコモショップ代理店取材・構成：長尾梓写真提供：山陰パナソニック立ち飲み屋で意気投合!?幸之助との出会いが転機に――貴社の電気器具販売の始まりは松下幸之助との出会いにあったとうかがいました。渡部幸太郎社長（以下、社長）そうなんです。当社の前身は、1918年に私の曽祖父である渡部琢郎が始めた渡部商店という仏具商でした。当時は戦時中で、仏壇の需要が高まっていたのです。その後「これからは自転車の時代だ」と、少しずつ自転車商に切り替えていきます。琢郎が幸之助さんと出会ったのはそんなときでした。お酒好きだった琢郎は、毎日出雲市駅前の立ち飲み屋に通っていました。そこで偶然隣に居合わせたのが幸之助さんだったといいます。1歳違いでウマが合い、熱い会話が交わされたのでしょう。幸之助さんの熱意に打たれ、「次は電気の時代だ」と、電気器具販売に参入することになりました。今初代・琢郎氏のように信用調査をしてから取引をする時代ではないので、お互いに目を見て通じるものがあったのではな10［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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特集松下幸之助の教えに学んだこといかと想像します。もちろん聞いた話なので本当のところはわかりません。ただ当時、幸之助さんは砲弾型電池式自転車ランあんプを開発し、代理店探しで全国を行ぎゃ脚されていた頃。渡部商店は駅通りの一等地に店を構えていましたので、幸之助さんが事前に「ちょうどよさそうな自転車屋があるな」と目星を付け、琢郎と出くわすことを狙って立ち飲み屋に入られた可能性もあります。いずれにしても、当社にとってはこれが最初にして最大の出会いだったのは間違いありません。そこから徐々に事業を電気器具販売にシフトしていきました。――渡部商店との取引開始は幸之助の妻・むめのの人生を描いた『苦労と難儀はちがいます』（荒川進著、講談社）の中にも出てきますね。「家庭問題までも親身になり話し合うこととなった」とありますが、幸之助夫妻とはその後も親交があったのでしょうか。社長渡部家に残るアルバムを見ると、それからも家族ぐるみのお付き合いをしていたことがうかがえます。渡部俊明会長（以下、会長）琢郎とその妻・ツルは、松下家や松下電器の工場にもよくお邪魔していました。私も子供の頃、何度かお供したことがありますが、子供にとっては工場なんか見ても面白くなくて、早くその後の遊園地に行きたかったことを覚えています（笑）。幸之助さんがわが家に来られたときには「坊主、頑張れ」と頭をなでてもらったり、キャラメルをもらったりもしました。この家には小さい子供がいるということを調べたうえで、お菓子をポケットにしのばせておられたのでしょう。そうした配慮が並のおっちゃんとは違うなと思いましたね。社長ツルが病気で入院したときには、お見舞いのお手紙を頂戴しました。病弱だったご自身の経験をふまえた励ましの文面は何度読んでも心温まるもので、今も応接室に飾っています。応接室にはそのほか松下飛行機の株券なども展示しています。松下飛行機はご存じの通り、戦時中、軍の要請を受けて幸之助さんが松下造船に次いでつくられた会社です。資金調達のため、全国の親交の深い代理店に出資を求められたのでしょう。会長会社の売上にならずとも、企業として国の役に立つ製品をつくるべき。それが必ず日本人の幸せにつながるんだと、そんな話を琢郎にして説得したようです。「そういう視点で物事を考える経営者やから、やっぱり違うで」とよく言っていました。こうした考え方は、のちに商談においても現れていました。メーカーと問屋というのは通常、値段はいくらか、生産台数はどれくらいで何台こちらに回してくれるのか、商品は誰がどうやってつくるのか、どういう宣伝をしてくれるのか、といった話を先にしてしまいがちです。ところが幸之助さんは、その商品が誰のどんな役に立つのかというところから説明をされる。すべてにおいて「公」の視点をお持ちの方でした。熱海会談での進言で「山陰方式」が全国に展開――ご創業は琢郎氏のご子息の弘一郎氏の代になるのでしょうか。社長厳密に言うとそうなりますね。商売としては渡部商店からずっ琢郎氏が招待された松下家での集い（1940年頃、光雲荘〈兵庫県西宮市〉）とやっていましたが、山陰地方にあった渡部商店を含む7つの代理店を統合し、「山陰ナショナル製品販売」として法人化したのが1958年、弘一郎の代になってからになります。――1964年のいわゆる熱海会談（全国販売会社代理店社長懇談会）以降、販売会社や代理店の社長を集めた会議にたびたび弘一郎氏が出席されていますが、何か伝え聞かれていることはありますか。社長当時の記録や参加していた人の話によると、弘一郎がご意見番のような位置づけになっていたようです。何かあると幸之助さんから「山陰の渡部さん、ご意見ありませんか」と話を振られるという。なかなかみな、松下電器に対して意見が言いにくい面があったのでしょう。現場の声を直接届けられる人が貴重だったんだと思います。これは推測でしかありませんが、そこには信頼関係があったのかなと。当然ながらメーカーには製造責任があり、販売会社や代理店には販売責任があります。つまりメーカーである松下電器は世界最高のものをつくることが第一義、それを広くあまねく普及することがわれわれの第一義の役割だと思うので、その点で責任を果たし合っているという信頼があるからこそ進言できた。そしてまた意見を交わすことが、より信頼［実践］理念経営Labo2024AUTUMN11

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につながる。その関係が成立していたのかなと思っています。会議の場で幸之助さんから特によく聞かれたのが「月販」の仕組みについてでした。当時は市販会社と月販会社があり、前者は現在の当社のような卸売会社、後者は今でいうリース会社です。その両社がともに在庫を持って電気店に販売をしていたので顧客がバッティングし、それが一つの要因となってダンピングが起きていた。不況も相まって松下電器製品の売上が伸びなくなり、全国の販売会社や代理店の社長から不満が続出したわけです。一方で山陰では、創業時から市販と月販の役割を完全に分けていました。要するに、在庫はすべて市販が持ち、月販は金融面だけを担当する。だから皆さんがお困りになっているような事象は起きておらず黒字だったんですね。そうした話を弘一郎がしたところ、「それはいい」ということで次第に「山陰方式」と呼ばれ始め、熱海会談後に掲げられた本柱の1つ、「新月販制度」の参考にもされたようです。――山陰から全国に広がったわけですね。山陰というと“米子の仲居さん”のエピソードも有名ですね。1966年に鳥取県米子市で開催された会合の折、幸之助が泊まった旅館・東光園の仲居さんから「若い人が働く場を求めて都会に出て行ってしまうから、米子に工場をつくってほしい」とお願いされたと。これを機に、米子をはじめ全国に工場が建設されました。社長「1県1工場」構想の先駆けですよね。こうした歴史も山陰から生まれたというのは、やはり何かの縁を感じます。仲居さんの訴えは多くの地方の課題だととらえ、早急に対応すべきだと考えられたのでしょう。その数日後、幸之助さんから直接、山陰出張所の所長に電話があったそうです。さらにこれには後日談があり、1989年に幸之助さんが亡くなった際、松下電器体育館（現パナソニックアリーナ）で執り行なわれた社葬に、雨の中、ずぶ濡れの着物姿で献花をする高齢の女性がいらっしゃった。実はそれがそのときの仲居さんだったそうです。遠路はるばる献花にかけつけるほど、心から幸之助さんに感謝されていたんでしょうね。「変人」を育成し個の力を競争力に変える――貴社では松下電器の「遵奉すべき精神」（七精神）も早い段階から取り入れ、唱和されていたのでしょうか。会長やっていましたね。社長松下電器であまり唱和されなくなってからも、当社ではずっとやり続けていました。ただ、何となく形骸化してしまっている感もありました。私自身は七精神を非常に大切に思っており、日々の行動の拠り所にもしています。うまくいかないとき、失敗したときに照らし合わせてみると、必ず7つのうちのどれかが欠けているんですよ。「すべて意識してやり切った」と自信を持って言えるときは大抵うまくいっています。でも、われわれのように聞き慣れている者には違和感ないものの、昔の難しい言い回しも多いので、初めて触れた人や若い人には意味がスッと入ってこないんですね。社員全員に浸透させるためには、もうひと工夫必要だと感じました。そこで、社歌「未来へつなぐこころ七つの精神」や、考え方はそのままに表現を今の言葉に替えた「セブンスターバリュー」をつくりました。たとえば「産業報国の精神」なら「何ごとも経営理念に準じて判断する」、「公明正大の精神」なら「正面から、正々堂々と向き合う」というように、7つそれぞれを私なりにかみ砕いて表現しています。また、それらを実践した人を表彰する「セブンスター表彰制度」も設けています。毎月、事業場の責任者が、いずれかに該当する働きをしてくれた人に「キラキラ賞」を授け、年間で最も多くその賞を獲得した人を表彰するものです。仕事の実績としての華やかさはなくとも、ポリシーを持ってコツコツと取り組む人にもフォーカスを当てたいと思ってつくりました。受賞者は年に1度のプレジデントアワードに招待され、ほかの受賞者とともに表彰を受けます。副賞は国内視察で、過去には他県の工場やパナソニックミュージアム、松下資料館にも行きました。あるいは埼玉ワイルドナイツ（ラグビーチーム）の試合や舞台裏を見せてもらったこともあります。幸之助さんの言葉に「事業は人なり」がありますが、私は“個の力”を競争力に変えることだと考えています。つまり一人ひとりの個性、カラーを最大限に生かし、商売に結びつけることが大切ではないかと。そのために今、様々な試みをしています。たとえば、企業としては珍しいeスポーツ部を設けたところ、普段は控えめな社員たちが自主的に大会に出場したり、他社や他団体と交流12［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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特集松下幸之助の教えに学んだことするなど積極的に活動し、仕事においても生き生きと取り組み始めています。――新入社員には「青春18きっぷ」で5日間一人旅をしてもらうそうですね。社長ええ、新入社員研修として「サンパナジャーニー」を実施しています。サブタイトルは「Hi!mycolor!Hi!yourcolor!」。要するに人生経験も社会経験も乏しい新入社員が旅を通じて自分のカラーを発見し、また旅先でいろんな人と触れ合うことで他人のカラーも受け入れられるようになることを目的としています。どこに行って何をするかもすべて自分で決めるので、「行き先をルーレットで決める」とか「宿泊はすべて民泊する」といったユニークなテーマを掲げる社員もいました。面白いことに、帰ってくるとみな「行きと帰りの景色が違って見えた」と言います。自分で決めたことをやり遂げた達成感や満足感があるのでしょうね。旅で得たものを今後にどう生かすのかも考えてもらいます。対外的には、障がいのある方とプロのクリエイターがバディを組んで活動をする「バディアートプロジェクト」や、東京学芸大学の小西公大准教授が室長を務める変人類学研究所と松下政経塾との三者共同による「変人類学プロジェクト」もやっています。前者は、障がいも一つのカラーととらえ、最大限に生かして世の中に発信していこうというもの。後者は、偏差値ではなく“変差値”、つまり常識にとらわれない豊かな発想力や行動力を養い高め、イノベーションを生み出す「変人」を育成しようとするものです。本来人間はみな、変人で生まれているはずなのに「あれはダメ、これもダメ」と強制されるうちにどんどん凡人化していく。それを変人に戻していこうという試みで、幸之助さんの人間観や宇宙観、すなわち素直な心や自然の理法にもつながります。ローカルの強みを生かして未来のスタンダードを――幸之助の考え方を様々な形で実践されているんですね。今後についてはどのようにお考えでしょうか。社長幸之助さんの「日に新た」という言葉が私は好きで、日進月歩、変わり続けていかなければならないと考えています。そこで一昨年ぐらいからブランディングに力を入れ始め、「この会社は世の中に何をもたらしてきた会社なのか」を再定義することにしました。行き着いたキーワードは「先駆け」。世間の需要に先駆けて仏具商をスタートし、それ「サンパナジャーニー」（左）や「バディアートプロジェクト」（右）など、近年は一人ひとりの個性やカラーを最大限に生かす取り組みに力を入れているが自転車商になり、電気器具販売になり……この先駆けの精神が当社のDNAなのです。熱海会談にしてもそうです。メーカーから言われる前に新しい販売方式を取り入れていた。初めは異色でバッシングを受けたとしても、10年後にはそれが当たり前になっているような、未来のスタンダードをつくっていくのが当社の役割だと考えています。だから、ただのパナソニック製品の販売会社ではないんだ、自信と誇りを持ってやっていこうということを、社員にもしっかり伝えていきたいと思っています。目標は、2030年に「山陰の星」になること。卸売業に固執せず、社会的な課題解決のために当社ができることはどんどんやって、山陰の地から全国に展開し、パナソニックグループのブランドスローガンの通り、たくさんの人の「幸せの、チカラに。」なることです。たとえばタクシーの自動運転。交通手段が少ない、運転手がいないというのはローカルの切実な課題です。また、高齢化先進地域である山陰では、老健施設や独居高齢者宅における見守りサービスにも需要があり、すでに自社でクラウドサービスを開発し提供しています。さらには、最近よくメディアに取り上げていただく「カラス撃退レーザー」は、地元畜産農家の困りごとを解決するために開発したものでした。そうしたローカルならではの課題が身近にわかることが当社の強みだと思っていますので、そこを解決する策を生み出し、全国に波及させていきたい。パナソニックのような大企業だと簡単に動けないことも、当社なら実現できることが多い。熱海会談のときのように、当社が得たノウハウをパナソニックに還元できたらいいなと思っています。L［実践］理念経営Labo2024AUTUMN13

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Interview社員が主役の企業文化でお客様と地域を元気に！「幸之助さんならどうするか？」松下政経塾出身経営者の実践経営人の森株式会社代表取締役社長加藤政徳かとう・まさのり＊1965年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。’88年、慶應義塾大学卒業後、松下政経塾に第9期生として入塾。卒塾後、横浜銀行を経て、家業である相模興業に’93年入社。2004年、代表取締役社長に就任。’13年、「人の森」に社名変更し、現在に至る。人の森株式会社本社：神奈川県海老名市／創業：1940年／事業内容：フィットネス事業、骨材の生産販売、地下水膜ろ過システムの設計施工、植物工場研究開発事業など松下政経塾で研鑽を積み、現在は神奈川県を拠点にフィットネスなど多様な事業を展開している「人の森」の加藤じゃり政徳社長。もともとは砂利を販売する会社だったが、人々の心身の健康づくりや、地域、環境のために貢献する事業分野へ大きく転換し、社員が主体的に活躍する経営を実践している。数々の苦難に見舞われつつも、「幸之助さんならどうするか？」を問い続けて新境地をひらいてきた加藤社長に、その実践についてうかがった。取材・構成・写真撮影（P14、17下）：池口祥司写真提供：人の森政経塾で受けた「すさまじい研修」私が松下政経塾の門を叩いたのは、1988年。当時、幸之助さんはまだご存命で、私は運よく第9期生として入塾しました。政経塾もまだまだ試行錯誤段階だったとはいえ、「日本の変革待ったなし」という幸之助さんの思いが現場にも浸透していたように記憶しています。私が社長を務めている「人の森」は、今でこそフィットネス事業や新しいスタイルの農業などを幅広く手がけていますが、祖業は1941年に祖父が買い取った骨材の生産販売事業（コンクリートの材料になる砂利の販売）で、父の代には日本一大きい「砂利屋」となっていました。その後継ぎの「お坊ちゃん」として育てられるのが嫌だった私は、長じるにつれ、「政経塾で学べば、何か新たな可能性がひらけるのではないか」という期待を抱くようになったのです。入塾して最初に触れたのは、幸之助さんの基本理念で、「幸之助さんがどんなときに、どんな判断をしたか」といったケーススタディを通し14［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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特集幸之助さんの教えに学んだことて体系的に学びました。あわせて経済、政治、外交等の分野について学んでいくのですが、その一方で現場での実践体験も重視されており、労働体験研修が課されます。忘れもしない「すさまじい研修」です。私がお世話になったのは、岡山にふらんじょうある孵卵場でした。最初に担当したのが、鶏のフンの掃除。1ｍ以上積もっているフンをスコップですくい、手押し車で搬出する作業をひたすら繰り返しました。鶏舎の長さは100ｍくらいありましたから、1棟終えるのに10日以上かかったのではないでしょうか。夏場だったので、暑さも臭いも本当にすさまじいものでした。それから鶏を孵化させるために卵を拾ってきては孵卵器に入れる作業を繰り返したり、早朝からトラックに乗って鶏を販売しに行ったりもしました。今思い返してもかなり過酷な研修だったと思うのですが、幸之助さんもおっしゃっているように、本当に一生懸命やっていると不思議なことにいつの間にか楽しくなってくるんですね。3、4カ月経った頃には、「もうこのまま一生いてもいいんじゃないかな」と思ったりもしました。幸之助さんは政経塾で塾生を採用する際に、愛嬌があることを重視しておられました。私なんかは「愛嬌しかない」と塾頭によく言われたものですが、そんな取柄もあって孵卵場の方々にとても仲よくしていただき、すさまじい研修をなんとか無事に終えることができたのです。今日も心を整えいい状態を保つ私が実際に幸之助さんにお会いしたのは一度きりです。場所は幸之助さんが入院されていた松下記念病院。緊張している私に対して、次から次へといろいろなことを質問してくださいました。「聞いてやっていみじんる」という感じは微塵もなく、素直な心で興味を持って聞いてくださっていることが伝わってきて、こちらも嬉しくなり一生懸命お話ししたのを覚えています。それからというもの、折に触れて「幸之助さんならどう考えるだろうか」と自問自答するようになりました。2004年に家業を継いで経営者になってからはいっそう拍車がかかり、幸之助さんの著書を読むだけでかどまは飽き足らず、大阪の門真にあるパナソニックミュージアムの松下幸之助歴史館や京都の松下資料館にも毎年のように足を運んでいます。そうまでしているのは、何度も繰り返し行なわないと、つい慢心して自分の経験知だけに頼ってしまうからです。幸之助さんは毎日のように、PHP活動を行なった京都東山のしんしんあんやしろこんげんのやしろ真々庵に設けたお社（根源社）で手を合わせてお祈りをしておられたと聞きます。それによって、いつも自分の心を整えておられたのでしょう。普通なら十分な成功体験を積めば自分の経験知を信じて疑わなくなりそうなものですが、幸之助さんは成功に慢心せず、自分の経験知だけで判断しないように、日々心がけておられたのではないでしょうか。また、日頃から掃除を大切にされていたこともよく知られていますが、それもみずからの心をフラットに保つためだったのだと思います。ですから、私もこれまで社内のトイレ掃除や草むしりを継続的に行なってきました。仕事の都合もあっ松下政経塾の労働体験研修で、孵卵場の鶏舎清掃に励む加藤氏てさすがに毎日とはいきませんが、可能な限り取り組み続けています。当社は企業理念として「人の幸せをつくり人類に美しい貢献をしていくこと」を掲げています。その一方で、会社のまわりに雑草が生い茂っていたりゴミが落ちているようではどうしようもありません。それではあまりに格好がつかないと感じたので、最初は自分1人でやり始めました。すると、続けるうちに社員も少しずつ一緒にやってくれるようになりました。全員ではありませんが、それでいいと思っています。参加してくれている社員は嫌々ではなく、楽しみながら取り組んで、心を整えているようです。また、嬉しいことに地域の方も次第に協力してくださるようになりました。私たちが付近の掃除をしている姿を見られて、自宅のまわりや道路の掃除を行なう方が増えてきたのです。街全体を美しくしようとする意識が高まってきたように感じています。私は掃除に取り組むようになっ［実践］理念経営Labo2024AUTUMN15

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て、ちょっとやそっとのことでは怒らなくなりました。仕方なくやるのではなく、本気で徹底的にきれいにすると、「何かすごくいいことをした」という気持ちになれます。なるべくその気持ちのまま一日を終えたいと思うので、何かトラブルや嫌なことがあっても、以前より落ち着いて対処できるようになりました。経営判断をする場合でも、単に「こちらのほうが儲かる」ではなく、「世の中や地域のためにはこちらのほうがいい」と考えられるようになったと思います。今日も一日いい心の状態で過ごしたい――。私はお祈りをされていた幸之助さんの姿を思いつつ、毎朝そういうふうに強く念じて心を整えています。会社と人生の窮地を味わい「嫌な奴」から変貌今でこそ「人の幸せ」を大切に考えて経営に取り組むようになりましたが、かつての私は、政経塾で国家経営について見識を深めたこともあり、売上を大きくしてたくさん税金を納める会社になるべきだという考え方を強く持っていました。その考え方自体は間違っていないものの、実際の私は売上優先で社員のことをまったく考えていない「嫌な奴」にすぎなかったと思います。ところが、そんな中で妻が末期がんを患っていることがわかりました。それからの8年と5カ月のあいだ、妻の看病に加え、3人の幼子の世話に追われる毎日で、仕事に割ける時間は激減せざるをえなくなります。さらに、父が脳梗塞を発症したため社長職を譲り受けたものの、今度は自分自身が難病を患い、医者から「9カ月間絶対安静」の宣告を受けました。会社の経営においても、私の人生においても、これ以上ないというぐらいの危機的状況に陥ったのです。しかし、そんな窮地を救ってくれたのは、他でもない当社の社員たちでした。現場のみんなはそれぞれ頑張ってくれており、幹部も合議制のようなかたちで経営を担いつつ、私が入院していた東京の病院まで毎日のように報告や相談に来てくれました。できるだけ私に負担をかけないよう、社員が自分たちで深く考えて動いてくれている姿に、私は心の底から「ありがとう」と感謝を伝えられるようになっていました。思えば、幸之助さんも自分が病気がちだったため、社員たちにどんどん仕事を任せて、主体的に活躍する人材を育てておられました。私が社員の主人公意識や主体性をもっと大切にしなければならないと考えるようになったのも、この頃からです。現在、そのための仕かけをいろいろと導入しています。代表的なのが新人研修として行なっている「演劇」です。なぜ演劇かというと、演者は舞台に上がっていざ本番となったら、誰かが代わりに演じてくれるわけもなまっとく、自分の役割を全うするしかありません。また、裏方の人も含めてお互いのコミュニケーションが必須ですから、対話スキルや他者への理解、思いやる気持ちを育てることにもつながります。脚本や小道具、照明、音響も自分たちで用意し、最終的には公民館のホールを借りて、地域の方々、家族を招待して百数十人の観客の前で演じることになります。やり終えた舞台の裏では、感涙にむせぶ人もいるほど達成感に包まれ、みんないい経験になったと感じてくれているようです。心から元気になれるフィットネス事業を展開当社の祖業である骨材の生産販売事業は1990年代をピークに需要が低迷し、私の代では新たな事業を生み出していかなければ経営が立ち行かなくなる状況にありました。妻や私自身の病気によって、改めて健康の大切さを痛感したことから、2007年にフィットネス事業を立ち上げ、現在、神奈川県内4カ所の施設でフィットネスクラブを運営しています。一般のクラブでは体を鍛えることだけを目的としていますが、当社では心も健康になってほしいので、会員の皆さんでコミュニティをつくって活力を高め合えるような運営を心がけています。たとえば、日頃運動していない方や年配の方でも気兼ねなく取り組めるように、スペースも誰でも利用しやすいフィットネスクラブで、お客様の心身の健康づくりをサポート16［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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特集幸之助さんの教えに学んだことマシンも余裕を持って設けており、スタッフもホスピタリティを大切にして健康づくりのお手伝いをしています。他にも、球技で盛り上がって仲よくなれるように体育館を設けたり、なるべく出費を抑えられるようにお弁当の持ち込みを推奨したりと、皆さんで楽しく気軽に利用できることを第一に考えています。お陰様で、退会率は2％と極めて低い水準になっています。社員の「天分」を伸ばし「日に新た」な活動を目指すフィットネス事業以外にも、人工光栽培での新しい農業や深層地下水を処理して水資源として活用する研究開発事業などに取り組み、地球環境との調和を創造する産業への歩みを一歩ずつ進めています。これらの新事業はいずれも私が主導したのではなく、社員が「やりたい！」と主体的に始めたものなのです。私の代になって社名を「人の森」と変更した意図も、そこにあります。一人ひとりが多様な個性、専門性を生かしながら主体性を発揮することで、人を幸せにして社会に貢献していきたいという思いを強く持っていたからです。幸之助さんの言葉てんぶん」を借りれば、一人ひとりが「天分つまり、天与の力を生かすということになるでしょう。とはいえ、「天分」というのは、誰にでもすぐに自覚できるものでもありません。多くの人にとっては、何年かのあいだしばらく一生懸命取り組んでみて、だんだんわかってくるものではないでしょうか。であるならば、まず「天分」を伸ばす企業文化を育むことが不可欠になってきます。その取り組みの一環として、「人の森に集うメンバーのDNAは何か」を考えるための『DNABOOK』という冊子を2018年に制作しました。以後も更新し続けており、現在はチャットツールでの掲載に切り替えて、「素直」「感謝」「困難にどう立ち向かうか」「健康」「スピード」といった項目ごとに、それらに関する文章や写真をみんなが投稿するスタイルをとっています。あわせて、人の森のDNAについてもっと深掘りしていくための組織「DNA委員会」が発足し、社員みずから積極的に運営してくれています。たとえば、SDGsについて考えつむる「地球の未来を紡ぐ委員会」や、とにかくどこかに足を運んで汗をかいて経験を積む「学びの森委員会」などがあります。こうした委員会活動は人の森の企業文化を形づくるうえで欠かせないものだと私は考えていますので、「できるだけ仕事よりも優先させてほしい」と現場の責任者に伝えています。どの部署でも委員会活動をサポートする体制ができており、委員会のメンバーは平日に業務として活動を行なっています。また、当社ではオフィス内のそこかしこで、現代アートや工芸品に触れることができます。実はこれも、人の森らしい企業文化づくりに一役買っているといえるでしょう。時代の先端的な思想やアイデアが表現されたこれらの作品に親しむことで、社員たちが何かを感じたり、深く考えたりする機会が広がります。それによっ完全閉鎖型人工光栽培システムでイチゴの量産化に取り組むて、時代の向かう方向性や気配をつかみ、仕事や様々な活動に生かしていくことが期待されるのです。幸之助さんが遺された「日に新た」や「生成発展」といった言葉には、時代はよい方向に向かうものだという信念が込められていると思います。これからも人の森の活動を通して、時代がよい方向に向かうお手伝いをしていきたいと、幸之助さん生誕130年を迎える今、思いを新たにしています。ジムの体育館で行なった社内イベントにてL［実践］理念経営Labo2024AUTUMN17

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Interview素直な心の初段を目指すそばで仕えた28年間に受けた薫陶からPHP研究所客員岩井虔いわい・けん＊1936年生まれ。京都大学教育学部を卒業後、’59年に松下電器産業に入社。’61年からPHP研究所に出向し、編集や研究、研修部門などを担当。PHP研究所所長の松下幸之助のもとで28年間、直接薫陶を受けた。同社専務取締役、研修局長などを経て、現在は同社客員。松下幸之助はなぜ「素直な心」を生涯求め続けたのか。PHP研究所の研究員として幸之助のそばで仕え、著書『素直な心になるために』の刊行にも携わった岩井氏が、直接受けくんとうた薫陶を思い出とともに振り返る。構成：編集部写真撮影：長谷川博一「人生のモットー」とは「松下幸之助さんの人生のモットーは何だったのですか」こういう質問を受けることがよくあります。そのときは私なりに、「“素直な心”と“青春”の2つだったのではないでしょうか」と答えることにしています。幸之助さんは、「素直な心とは、私心にとらわれないこと」と言われ、特にリーダーには厳しく指導しておられましたが、ときには自分の弱さを披歴されました。「わし、80を超えても、私的欲望はあるし、それは止められない。抑えても、また出てくるんや」と。「しかし、できるだけその私的欲望を公的欲望に変え、私人幸之助を公人幸之助に変えたいと願っているんや」と心の内を周囲に訴えていました。逆に言えば、この発言こそが「素直」だと、私は思うのです。常にそういう反省心を持ち、心の内を飾らず、ありのままにお話しになるということが「素直」であり、また「素直」になるための大切な姿勢なのではないでしょうか。でも、幸之助さんはとても理想が高く、ずっと「素直な心の初段になりたい。初段になるには、30年はかかるやろう」と言い続けておられました。そしてPHP活動を始めて30年が経ったとき、朝食会である社員から「PHP活動も30年経ちましたね。日頃から、“素直”と言い続けていれば、30年経ったら、素直の初段になるとおっしゃっていましたが、もう初段になられましたか？」という質問が出ました。すると幸之助さんは、「そやな。ウーン、仮に初段になったとしても、二段、三段とあるし、名人からは、はるか遠いわ」と笑って答えられました。つまり、「素直な心に、本当は段位があるわけではなく、そういうステップを踏んで、前へ、前18［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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特集松下幸之助の教えに学んだことへと進み、人間的に成長する。常にそういう道の途上にいるのであって、もうこれでいいという段階は、はるかかなたにあるというのが、人間修業なのだ」と、私たちに教えておられたのだと思います。素直な心の教科書また、こんなこともありました。幸之助さんの本づくりのまとめも、PHPの研究部の仕事でした。私が研究部長のときのことです。幸之助さんが研究会の場で「素直な心の教科書を持ってきてくれ」と所望されました。「道徳の本や宗教書、文学書など、参考書ならたくさんありますが、素直な心の教科書はございません」と答えると、いささかご機嫌ななめです。「わしな、一流の人物にお会いするとな、ああ、なるほどと共通点を感じるんや。それはな、素直な心の持ち主であるということや」と言われました。それほど素直な心は大切なもので、だからPHP研究所は始まったときから素直な心を世に広める運動をしてきている。それなのに、素直な心の教科書がないなんてけしからん。でも本当にないのならば、しょうがない、つくろう、と即決されました。そして私たちにこう言われるのです。「実はわしな、最近、素直になれんのや。人の長所を見ようと言ってきたのに、幹部を見ても、あいつはなんでそんなこともわからんのか、と短所しか見えん。平常心を持てと言うてきたけど、気分がイライラして心が落ち着かん。自分自身、素直な心になれんから、助けてほしいのや。頼むわ。“素直な心になるための100カ条”をつくってくれんか」私たちにすれば、幸之助さんは素直な人に見えるのですが、本人は素直になれなくて、もがいていると言われる。今までやってきたこと、言ってきたこともできなくなった、という自分を反省しておられる。だから素直な心の教科書をつくりたいので、知恵を貸してほしい、と。そこで幸之助さんの指示で、まずはPHPの社員から、どうしたら素直になれたかという声を集めました。でも30項目くらいしかできません。そこで松下電器の各社にもお願いし、「素直な心になるための提言募集」を行ない、2～3カ月後に万件の提言が集まりました。集まった提言から128カ条を選び、研究会を開く座敷にずらりと筆で書いたものを貼り出したのを見て、幸之助さんはとても喜ばれたのです。そして、こうおっしゃった。「君、この中から100選んでな、解説書をつくろう。君ら解説を考えてくれるか」。研究員がまず解説文案を考えよと言われるのですから、私たちは慌てました。それでも皆で分担し、解説を書き始めました。それを幸之助さんに提出するのですが、なかなか気に入ってもらえません。「君、素直な心というのはな、心で悟るものや。心にスーッと入ってこないかん。君らの文章は理屈っぽくて心にスッと入らん。あかんな、これでは」と言われてしまう始末です。それからもいろいろありましたが、結局どうなったかと言うと、実は初めからやり直すことになりました。つまり、幸之助さんが日頃考え、実践したいと願っておられることを選び直して40項目にまとめ、昭和51（1976）年に『素直な心になるために』を発刊することになったのです。幸之助さんも「わしの教科書ができた」と喜んでおられました。ようやく発刊できたと思う間もなく、また新たな要望が幸之助さんから出てきました。「いつも身近に持っていたいから、ポケットに入るものをつくってくれんか」という指示でした。そこで、本の要約文をつくり、小さな短冊状の冊子にしたのですが、そのとき、幸之助さんから次のような新たな言葉をつけ加えるように言われました。「あなたの心が素直になるように、あなたの精神が落ち着くように、あなたに衆知が集まるように、ともどもに幸せになるように、この文章を読みましょう。」このように『素直な心になるために』という本の制作は、幸之助さん自身が素直になるための教科書がほしいという要望から始まり、日常持ち歩きできる小冊子をつくってようやく一段落したのです。後日、幸之助さんは小冊子がボロボロになったので、新しいものに取り換えてほしいと言われるほど、この冊子を読み込んでおられました。幸之助さんは、朝には「素直に生きよう」と心に誓い、夕には「素直であったか」と反省する機会を持つことを心がけておられたと思います。それが松下幸之助の人格をつくり、また、人生や経営の判断基準というものをシャープにしていかれたのではないでしょうか。素直な心というのは、幸之助さんの人間としての切り口であり、また経営者としての切り口であったと思います。L［実践］理念経営Labo2024AUTUMN19

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成功の金言道は無限にひらかれている～～仕事編～～仕事のやりがいは、自分のとらえ方ひとつうでっち1894年11月27日に生を享け、丁稚奉公から身を立て松下電器グループ（現パナソニックグループ）を一代で築き上げかんなんしんくた松下幸之助。艱難辛苦を通じて培われた人生観・経営観は、金言として多くの人たちの心の拠り所になっている。今回は「仕事」と「人生」に関する考え方に経営者や各界の識者がどのように共感し、仕事や人生の指針としてきたかを紹介する。今日のサラリーマンが会社の中にあってそれぞれの仕事につく場合、確かに一面では、自分の適性というものに立ち、求めてある職務を担当するとか、自分はこういう仕事が好きだからやらせてほしい、といってやるような場合もあるであろう。しかし、おそらくそういうケースは非常に少ないのではないだろうか。だいたいは、会社のほうから君この仕事をやりたまえということで、与えられるというのが現状であろう。その場合、ときには適性というものが勘案されているかもしれないし、あるいは別の配慮によって、仕事が与えられるのであろう。いずれにしても、そのように与えられた自分の仕事というものを、どのように受け取り、どのような考えをもってこれにあたっていくか、そこが私には非常に大事なところだと思われるのである。ただ与えられた仕事だからしかたがないということで、格別の興味もやりがいというものもないままに、なんとなくやっていくという人もあるであろうし、なかにはこんな仕事は自分には向かないから、ということでかえてもらいたいという人もあるかもしれない。しかし、私は基本的にはそういうことは、その人自身のためにならないのではないかと思うのである。与えられた仕事を自分なりにどう消化し、どのようにして自分のものとしていくか、そういうことに興味をもって取り組んでいく。そしてその中から自分の仕事の意義を見出し、やりがいを感じていく。そういう姿において与えられた仕事を行なっていくということが、やはり望ましいのではないだろうか。『その心意気やよし』ようてい成功の要諦は、成功するまで続けること成功するためには、成功するまで続けることである。途中であきらめて、やめてしまえば、それで失敗である。だから、いくら問題が起こってきても、次々と工夫を凝らしてそれを解決していけばよいのである。それを、くじけることなくくり返していく。決してあきらめない。成功するまで続けていく。そうすれば、やがて20［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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成功の金言必ず成功するわけである。商売というもの、経営というものは、もともとそういうものではないだろうか。それであってこそ、ほんとうの商売、経営といえるのではなかろうか。一度や二度うまくいかなかったからといって、あきらめて、他に道を求めていたのでは、それはほんとうの経営にはならない。いかなる事態が起ころうと、どのような苦しい状態に陥ろうと、くじけずにそれに対処し、解決の道を見出していく、そういう努力を重ねて、よりよい姿を実現していくのが経営というものではないだろうか。もちろん、それは口で言うほど簡単なものではない。そこにはほんとうに身を削るような努力といったものが必要であろう。そのようなむずかしさはある。けれども、それを乗り越えていくところに、また人生の一つの面白さというものも見出されるのではないか、という気もするのである。『人を活かす経営』真剣に向き合えば、商品が語りかけてくる会社で新しく発売する商品を開発するというような場合でも、試作品ができるとぼくは、できるかぎり自分でも実際に手に取り使ってみることにしていました。電気コタツでもラジオでもテレビでも、しばらくのあいだじっと眺めたり手でなでまわしたりしながら、それぞれの機能を試してみる。そうするともの言わぬはずのかどコタツやテレビがぼくに語りかけてくる。“この角をもう少し削って丸味をつけてくれないか”とか“スイッチをもう少し太くしてほしい”とかいう声が実際に聞こえてくるような気になるのです。あるときなど、こんなこともありました。それは乾電池の工場に行ったときのことです。たまたまつくった製品がもうひとつ調子がよくないということで、責任者をはじめ担当の人たちがあれこれその原因を調べていました。そこでぼくも、その乾電池をいくつか家に持って帰って、夕食をすませてから机の上にズラッと並べ、あれこれと思いをめぐらせつつ乾電池につけた豆球の明るさを調べたり、じっと眺めたりをくり返したのです。そうするうちにふと、乾電池が「一ぺん温めてみてくれないか」と言っているような気がしました。さっそく、鍋にお湯を沸かし、その中に入れて温めてから試してみると、明るさが正常の状態になっています。そこから原因がわかって、翌日さっそく、対策を講じることができたのです。そこでその責任者に、半ば冗談まじりに、「乾電池としばらくにらめっこしていると、乾電池がもの言いよるで。君も乾電池製造のプロであるならば、そんな乾電池の声を聞き取れるようにならなあかんな」といった話をしたこともありました。もの言わぬはずの商品が何ごとかを語りかけてくるというのはいったいどういうことなのか。ぼく自身もよくわからないのですが、結局、そのような声が聞こえるかどうかは、自分の側にどれだけの真剣さがあるかによるのではないかと思います。『ＰＨＰ』昭和59年４月号経営者や識者は、幸之助の考え方にどう共感しているか①2019年ノーベル化学賞を受賞した吉野彰博士は、徹底的に悩んで考え抜いた末に新たなアイデアをつかんだ研究経験から、幸之助の言葉に共感をよせる。難しい局面に直面した時、その問題点に徹底的に向き合わないといけないと思います。その時に、ふとある情報がキャッチできて、それがひらめきにつながっていく。徹底してその物事を考えている人にしか、その情報は受信されない。そういう情報、あるいは信号というのは、皆さんに共通に届けられているはずなのに、問題意識を持っている人でないと受け取ることができないのです。幸之助さんの「商品が語りかけてくる」という教訓には、そうした意味合いがあるように思われますね。『衆知』2020年5-6月号［実践］理念経営Labo2024AUTUMN21

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楽に働いて成果をあげる。そんな工夫がほしい人より1時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、今までよりも1時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのではなかろうか。それは創意がなくてはできない。工夫がなくてはできない。働くことは尊いが、その働きに工夫がほしいのである。創意がほしいのである。額に汗することを称えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。怠けろというのではない。楽をする工夫をしろというのである。楽々と働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方を、お互いにもっと工夫したいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくる。『道をひらく』指導者のあるべき姿は、“任せて任せず”「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、人に仕事を任せるという場合、原則としては、こういう仕事をやりたいと思っている人にその仕事を任せる、ということがいいのではないかと思います。そういうようにもっていったほうが、やはり結果がいい場合が多いような気がします。といっても、その人が、その立場を利用して何か自分のタメにするといったように、自分の都合中心で考えているのであれば、どんなに強く「やりたい」ということを言ってきても、「ああそうか」と言うわけにはいきません。しかし、そうではなくて、この仕事が自分はいちばん好きだからやってみたいというのであれば、そうさせたほうがうまくいくことが多いと思うのです。もちろん、任せてみたところ、その人の欠点が出るということもあります。その欠点については、やはり経営者が直してやるようにしなければならないと思います。直しても直らないようであれば、その人をかえるというところまでやらなければなりません。これはいいかえますと、“任せて任せず”ということになると思います。任せて任せずというのは、文字どおり“任せた”のであって、ほうり出したのではないということです。経営者というものは、どんな場合でも、最後の責任は自分のところにあるという自覚をもっていなければならないと思いますが、そのように腹をくくっていますと、仕事を任せた場合、どういうようにやっているかいつも気になっているというのが本当のところでしょう。任せてはいるけれども、絶えず頭の中で気になっている。そこでときに報告を求め、問題がある場合には、適切な助言や、指示をしていく。それが経営者のあるべき姿だと思います。『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』経営者や識者は、幸之助の考え方にどう共感しているか②元キリンビール副社長で100年プランニング代表の田村潤氏は、経営理念の共有とメンバーの自主性をもとに業績を劇的に向上させた経験から、その要諦を語る。大事なのは、メンバーをルールで縛らず、自由にして自己決定権を持たせることです。あれこれ細かく指示を与えてばかりいると、メンバーは指示待ちになり、自分たちで考えなくなります。かといって、丸投げにしてもいけません。企業理念にもとづくことが重要です。つまり、理念を実現するために、現場の実情に合わせて自分たちで考え、工夫を生み出させる。松下幸之助さんの言葉を借りれば、「任せて任せず」です。メンバーを信頼して任せるけれども、対等の目線でアドバイスを与え、理念の実現に向けた行動スタイルに変えてもらうのです。他社も行動スタイルは簡単に真似できないので、確立されれば圧倒的な競争優位に立てます。『衆知』2022年1-2月号22［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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成功の金言素直な心が高まれば、神のごとき聡明さ～～人生編～～素直な心とはどういう心であるのかといいますと、それは単に人に逆らわず、従順であるというようなことだけではありません。むしろほんとうの意味の素直さというものは、力強く、積極的な内容をもつものだと思います。つまり、素直な心とは、私心なくくもりのない心というか、一つのことにとらわれずに、物事をあるがままに見ようとする心といえるでしょう。そういう心からは、物事の実相をつかむ力も生まれてくるのではないかと思うのです。だから、素直な心というものは、真理をつかむ働きのある心だと思います。物事の真実を見極めて、それに適応していく心だと思うのです。したがって、お互いが素直な心になれば、していいこと、してならないことの区別も明らかとなり、また正邪の判別も誤ることなく、何をなすべきかもおのずとわかってくるというように、あらゆる物事に関して適時適切な判断のもとに力強い歩みができるようになってくるのではないかと思います。つまりお互いが素直な心になったならば、“強く正しく聡明になる”と思います。聡明になるということは賢くなるということです。素直な心が高まっていったならば、賢さがしだいに高まってきて、ついには神のごとく聡明に賢くなるというか、えいち神のような叡智をもつことができるようになるといえましょう。そこからは、常に判断を過たず、強く正しく行動できるようにもなってくると思うのです。『素直な心になるために』万物みなわが師発明王のエジソンは、小学校では先生から劣等生扱いにされ、たった3カ月で退学しています。だから、学校では勉強らしい勉強はしていなかったのですな。ただエジソンは、子どものころから、物事に対する研究意欲は非常に盛んだった。つまり、自然現象や世の中のことを、ただぼんやりと眺めてはいなかった。すべてに対し“なぜ”という疑問を発したのですね。ときには、鳥を捕まえてきて、なぜ空を飛べるのかと、羽の構造を熱心に調べた。またあるときは、止まっている蒸気機関車の下にもぐりこみ、油まみれになりながら、機械の仕組みを調べていて、運転士にひどく叱られたといいます。それほど熱心だったわけですな。そこに、多くの発明を生み出す根本があったのでしょうね。いわゆる学問上の先生はいなかったけれど、自然の事物の中に、自分の先生をみつけ出した。つまりね、みずから開拓していこうという熱意に満ちて、心して物事を見、そこから学び取ろうとするなら、道は無限にひらかれている。心がまえ次第で、立派な師は無数にあるということだと思うのです。『人生談義』人の心がどう動くか、よく考えてふるまう考えてみれば、人の心というものはまことに不思議なものです。“人情の機微”という言葉がありますが、ほんの些細なことで、うれしくなったり、悲しくなったり、あるいは怒りを感じたり、また、大きくふくらんだり、しぼんでしまったり、微妙に動くのが人の心です。ですから、共同生活の中で気持ちよく生活していくためには、お互いこのことをよく知って、他人の気持ちを考えながらふるまうということがきわめて大切なのではないでしょうか。『人生心得帖』［実践］理念経営Labo2024AUTUMN23

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経営者や識者は、幸之助の考え方にどう共感しているか③裏千家前家元の千玄室大宗匠は、父・淡々斎に師事した幸之助の茶をふるまう姿から、その道のあり方を感じたことを振り返る。松下さんは京都におられる時はよく、東山にある真しん々しんあん庵に朝から出向き、お茶の準備をしてお客様を招いておられました。てまえ「まあまあ、楽にどうぞ、私もあぐらでお点前します」と言って、さっとお茶を点られる。そして、お客様にお出しして、「どうですか。気持ちいいでしょう」と、みなさんの心をほぐされるのです。商談や仕事の話に入る前に、まずはお茶を一服。私は、これが松下さんのリーダーシップだったと思っています。リーダーシップは、ただ言葉にして示せばいいというものではありません。相手に「思い」を伝えることが大事なのです。松下さんはお茶を通じて、それを教えておられたのでしょう。かなあ利休の教えに、「叶うはよし。叶いたがるは悪しし」という言葉があります。自分の思い通りにしようとするのではなく、相手の意を汲み、気持ちが通じて自然に成就する。茶の心は、そこにあるのです。加減のいいお湯といいお茶。そして自分としての点て方。松下さん、お上手でしたよ。今でも目に浮かびます。どんな人にも謙虚に心を尽くしてお茶を差し上げる。これは何でもないようで、実はとてもすごいことなのです。「松下イズム」「松下哲学」とよく言われますが、松下さんの一つの道のあり方は、茶の心にあったのだと思いますよ。『衆知』2017年5-6月号たて千変万化に動く相手の心に、自分の思いをどう伝えるか人はさまざまです。短気な人もいれば気の長い人もいる、緻密な人もいればおおざっぱな人もいる、理論派もいれば人情家もいる、というように、それぞれの持ち味がみな異なります。しかも、それだけではありません。同じ人でもその心というものは刻々に動いていて、いわば千変万化の様相を呈しています。ですから、同じことを言っても、ある人は反発し、ある人は喜んで聞いてくれるといったことがあるでしょうし、同じ人でもそのときの心の状態のいかんによって、受け取り方はさまざまに変わってくると思うのです。ですから、自分の考えを伝えようとすれば相手の人がどのような人で、今どのような心の状態にあるのかをよく知った上で、あるときには簡単明瞭に、あるときは言葉を費やして丁寧に、その人にいちばん受け入れてもらいやすいような言い方を工夫する必要があると思います。こう言うと、そんな面倒なことができるか、という声が聞こえてきそうです。確かにこれはむずかしいことだと思います。しかし、だれかに自分の考えを伝えたいとき、常にこのことを考える癖をつけていくことが必要で、そこに1プラス1が3にも4にもなるという人間関係の妙味も生まれてくると思うのです。「人を見て法を説け」と言ったのはお釈迦様ですが、人間というものが変わらないかぎり、やはりこれは真理をついた言葉ではないでしょうか。“あの人は自分のことをわかってくれない”とか“せっかく、いい提案をしているのに、うちの上司は無理解だ”と思うようなことがあれば、一度とらわれず、人を見て法を説いているかどうか、静かに考えてみることも大切だと思います。『人生談義』24［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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成功の金言日に新た−毎日が新しい生まれ変わり生成発展とはひと言で申しますと、日に新たということであります。毎日毎日が新しい人生であり、一瞬一瞬が新しい“生”であるということであります。毎日毎日が新しい生まれ変わりであり、一瞬一瞬に新しい生命が躍動しているということであります。これをいいかえますと、古きものが滅び、新しきものが生まれるということであります。すべてのものは一瞬のあいだも静止しておりません。絶えず動き、絶えず変わりつつあります。古きものがやがて滅びゆき、これにかわって新しきものが次々に生まれてくるのであります。この姿、これが生成発展の姿であります。そして万物すべてがそれに従って動いている自然の理法であります。すなわち、古きものが滅んで新しきものが生まれてくるのは、すべて自然の理法に従って営まれている姿であり、これは動かすことのできない宇宙の摂理ではないかと思うのであります。このように考えますと、生あるものが死にいたるのも、実は生成発展の姿であるということがわかってくるのであります。死ぬということは滅びるということであります。しかしそれはつぎに新しい生の芽生えを生み出しているのであります。次々に死に次々に生まれていく──これは宇宙の摂理であり、生成発展の姿だと思うのであります。『松下幸之助の哲学』L経営者や識者は、幸之助の考え方にどう共感しているか④京セラ創業者の稲盛和夫氏は、幸之助が説いた“自然の理法”に則る考え方に感銘し、「京セラフィロソフィ」を生み出したとの言葉を遺している。幸之助さんは後年、次のようなことをいっておられました。「“自然の理法”は、生成発展の性質をもっているのだから、ものごとは自然の理法に則っているならば必ず成功する。成功しないのは自然の理法に則っていないからで、それは自分にとらわれたり、何かにこだわったりして、素直に自然の理法に従っていないからだ」幸之助さんのおっしゃる“自然の理法”とは、「何かということはよくわからないが、万物を万物たらしめている力、あるいは法則といったものだろう」というものです。自然の理法を具体的に表わしたものが松下の七精神であり、それをもっと平易に言い換えたことを、幸之助さんは講演や雑誌『ＰＨＰ』などで常々おっしゃっているのだと、私は理解しました。私は、それがわかったときに大変感銘を受け、幸之助さんの言葉や私自身の経験、過去に学んだことを参考に「京セラフィロソフィ」を書き上げたのです。そして、「京セラフィロソフィ」を松下の七精神のように、京セラの判断基準としようと思いました。（中略）幸之助さんが説いた自然の理法を、私は「万物を成長させる力」だと理解しています。仏教用語で言い換えるならば「利他の心」であり、キリストが説いている「愛の力」ともいえましょう。森羅万象あらゆるものをよかれかしと成長を進化させている力、つまり、すべてが成功するように、また幸せになるように働きかけている法則、それが自然の理法であると幸之助さんはいいたかったのだと思うのです。ひと握りの高温の素粒子のビッグバンによって生まれた宇宙は、現在もなお膨張の過程にあります。宇宙がとど始まった瞬間から今日まで、一瞬たりとも現状に止まることなく、生成発展させている宇宙の法則もまた自然の理法といえるでしょう。ですから私は、自然の理法に合致した判断基準であれば、人生であれ、仕事であれ、宇宙が味方をして成功させてくれるんだ、と思っています。そしてそれは、愛と誠と調和に満ちたものであると信じています。『THE21』1998年10月特別増刊号※松下幸之助の言葉は『松下幸之助成功の金言365』（PHP研究所刊）より転載［実践］理念経営Labo2024AUTUMN25

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【志の実践】革新的な「コネクタ」で社会貢献に「つなげる」動きながら高速伝送をする接続部品に世界が注目イリソ電子工業株式会社代表取締役社長鈴木仁すずき・ひとし＊1966年生まれ。’89年金沢工業大学工学部卒業後、イリソ電子工業入社。2006年執行役員技術部長、’14年取締役執行役員技術本部長、’20年取締役専務執行役員グローバルプロジェクトリーダーなどを経て、’21年4月より現職。「松下幸之助経営塾」第22期卒塾。イリソ電子工業株式会社本社：神奈川県横浜市／創立：1966年／事業内容：コネクタの開発、製造、販売現代社会の生活に欠かせないエレクトロニクス機器の内部で、電子基板同士を接続する役割を果たしているのが「BtoB（基板対基板）コネクタ」。イリソ電子工業は、そのBtoBの中でも革新的な製品を開発し、コネクタ業界におけるフロントランナーの一角を占めている。売上高が552億7100万円（2023年度）、10％超の営業利益率を維持し続けている東証プライム上場企業だ。4代目にして初の生え抜き社長である鈴木仁氏に、同社の特長や自身の考え方について話をうかがった。取材・構成：川上恒雄写真・資料提供：イリソ電子工業フローティングコネクタが世界の車載市場を席巻――イリソ電子工業の事業や強みについて教えてください。当社は「コネクタ」を開発、製造、販売する会社です。コネクタとは、電気や信号を接続する電子部品です。一般にはあまりなじみがないかもしれませんが、実に様々な機器で使われています。当社では特に、電子回路の基板（Board）同士を接続するBtoBコネクタを強みとしてきました。なかでも現在、好評いただいているのが、フローティングコネクタです。お客様の機器を組み立てる際、ズかんごうレが生じて正常に嵌合しない、あるいは嵌合できても、はんだ付け部に負荷がかかってクラック（ひび割れ・亀裂）が生じ、接触不良となることがあります。しかしズレが生じても、コネクタを可動させることでその誤差を吸収する「フローティング機構」を搭載すれば、きちんと嵌合でき、さらにはんだ付け部の負荷を軽減できるため、機器に対する長期の信頼性が向上します。当社のコネクタは、フローティング機能に高速伝送を実現26［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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革新的な「コネクタ」で社会貢献に「つなげる」した点で、世界的に高く評価されています。21世紀に入ると、処理すべき情報量が加速度的に増え、コネクタにも高速伝送が求められるようになりました。ただ、フローティング機能により動きながら伝送を高速化させることは、非常に難しい。接続する距離が延びるので、伝送がその分、遅くなってしまうのです。しかし2013年、この難題をクリアし、当社が業界で初めて、高速伝送BtoBコネクタを発表しました。現在ではさらに進化して、25Gbpsの高速伝送を実現しています。一方、フローティング機能の改善についても、力を入れてきました。従来のコネクタは（平面の）X軸Y軸へ動くフローティング構造だったのですが、当社のコネクタは（上下の）Z軸へのズレも吸収できます。その開発の大きなきっかけは、2014年、私が技術本部長の頃、トヨタ自動車のプリウスに当社製品の搭載が決まったことです。自動車では、振動や衝撃による大きな負荷に、コネクタが耐えることができなくてはなりません。そこでZ軸へも動くフローティング構造の開発に挑みました。自動車の不具合は人命にもかかわる可能性があるため、トヨタ側の要求水準は高かったものの、限られた開発期間の中で高品質のコネクタを開発することができました。このように当社の技術開発力は高く、特に自動車に搭載する車載の市場では、世界でトップ10に入るシェアを誇っています。取引の大半は、ドイツやアメリカ、中国をはじめとした外国資本の企業が占めるようになりました。当社では現在、売上の80％、生産の90％が海外であり、グローバルに事業を展開しています。――なぜコネクタに特化した事業を展開されているのですか。元からコネクタメーカーであったわけではありません。当社は会長の佐藤定雄によって、1966年、神奈川県川崎市で創立されました。当初はアパートの一室で、テレビチューナーやステレオ用の基板の組み立てなどで手間賃をもらう、工賃仕事をしていたそうです。ちなみに、社名にある「イリソ」とは、初めて注文をいただいたお客様が埼玉県入間郡の入曽村（現・狭山市）に所在していたことに由来しており、「当初の感謝の気持ちを忘れないように」という意味が込められています。社の創立当初は経営が苦しく、下請けから脱却して独立したメーカーになることが課題でした。佐藤は部品を組み立てているうち、コネクタに興味を持ったそうです。しかし、すぐにはコネクタ事業に参入できる資金力がなく、コネクタの一部品でもあるピンの開発、製造、販売に取り掛かりました。1973年に自社製品のピンを開発して以来、当社は独立したピンメーカーとして成長していきます。コネクタに本格的に取り組み始め年代に入ってからのことでした。87年にBtoBコネクタを開発し、カーオーディオメーカーへの販売を始めます。以来、当社はBtoBコネクタを強みとするメーカーへと発展し、国外にも販売拠点や製造拠点を広げていきました。世界的に評価の高いイリソの高速伝送フローティングBtoBコネクタ（10143シリーズ）。クルマの自動運転にも対応残業が“常識”の職場で5時に帰る残業ゼロ宣言――鈴木社長も、コネクタの魅力にひかれて入社されたのですか。私が当社に新卒で入ったのは1989年。当社はコネクタ事業に乗り出したばかりで、どちらかといえば、まだピンメーカーとして認識されていた頃です。実は就職活動を始めるまで、私は当社の名前すら知りませんでした。バブルの好景気で、売り手市場の時代。大手企業に就職を決めていく同級生がいる中、私も「そろそろ就活でもするか」と思って、金沢工業大学の就職課に行ったら、たまたま石川憲一先生に出くわしました。のちに若くして学長に就任し、同大学の大胆な改革を推進して全国的にも注目された工学者です。その石川先生が、「おい鈴木、イリソって会社が昨日来て、小さいけれどもすごくいい会社みたいだから、見に行ったらどうだ」と薦めるのです。私も真剣に就職先を考えていなかったうえ、単純に「初めて飛行機に乗れる」と思い、川崎にあった当時の本社を訪れました。3階建ての社屋ではあったものの、町工場の雰囲気を漂わせていたのを覚えて［実践］理念経営Labo2024AUTUMN27

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います。ちょっと戸惑いましたが、採用内定の通知をすぐにいただいたので、あまり深く考えず、そのまま入社を決めました。入ってみると、小さいからこそのよさがありました。最初の工程から最後の工程まで、自由に任せてやらせてもらえるのです。それが結構面白い。とはいえ、最初の1年は下積みの日々。先輩の請負仕事をさんざんやらされました。土日も働いて、月に100時間から150時間ぐらい残業していたのではないでしょうか。でも、振り返ってみれば、それがメリットにもなったと思っています。何かのプロフェッショナルやスペシャリストになるには、1万時間はかかるとよくいわれますよね。当時の労働時間で考えれば、3年程度で達成する。実際、入社してから早年ぐらいで、設計をはじめいろいろな仕事を任されるようになりました。若かったので失敗もありましたが、それも含めて自分の成長につながったと考えています。――休みなく働いたからこそ、3年で仕事が身についたのですね。でも、本当は長時間労働がとてもイヤでした。そこで3年ぐらいたってから、残業をゼロにすると宣言したのです。先輩から「ふざけるな」「今日中にすべき仕事がいっぱいある」と言われましたよ（笑）。私は、残業をしないと言っただけで、仕事をしないわけではありません。先輩に「それならば前日に、終えるべき仕事を教えてほしい」などとかけあって、残業をしなくても済むようにしていきました。独身だったので、その日の仕事を終えると、後輩を誘って、よく飲みに行きました。残業代は出ないし、飲み代もかかるので、あまりお金がたまらなかったですね（笑）。残業をしている後輩のほうが年収の高いことを知って、複雑な気持ちになったこともあります。「ワークライフバランス」「ウェルビーイング」といった言葉がまだ普及していなかった頃で、夜遅くまで働いている人ほど、評価されるような雰囲気がありました。けれども私は、だからといって残業するのもおかしいと思いました。1日8時間の労働で結果を出すほうが評価されるべきだという、自分自身の信念もあったのでしょう。仕事の必要性から徹夜をしたことも何度かありましたが、日常の習慣として残業するようなことはしませんでした。その後に役員になり、社長になり、ますます忙しくはなりましたが、基本的に働き方の姿勢は変わっていません。特に急な仕事がなければ、8時間働いて、午後5時ぐらいに帰ります。そういう日には今も社員に、「何時に終われる？飲みに行こうよ」と声をかけたりしています。社員も慣れてしまって、職場で私の姿が目に入ると、「また来たよ、鈴木さん。きっと飲みに行こうって誘われる」などと言っているようです（笑）。もっとも、私のように飲みに行くことはしなくとも、新入社員には、1日のうち8時間仕事、8時間遊び、8時間睡眠、といったように、時間をきちんと管理できる能力を身につけることが大事だと、話したりしています。仕事はもちろん大切だけれども、社会性を高めるには人と遊ぶことも、健康のためには十分な睡眠をとることも大切なのです。海外に売り込みに回り車載を中核事業に育てる――とはいえ鈴木社長ご自身は若い頃から、車載事業の発展に、相当力を尽くされたそうですね。当社は1990年代後半から2000年頃まで業績が赤字に陥り、経営の見直しを迫られたことがありました。そこで私は、車載の事業を拡大せよとの指示を受けました。当時の車載関係の売上は全体の3分の1の30億円程度。これを100億円規模にしろというのです。営業担当者とともに、国内のみならず海外にまで、コネクタの売り込みに回りました。最初はなかなかうまくいきません。お客様の声を聞きながら自分では売れるのではないかと思い、商品を勝手につくって、営業部門や当時の社長から怒られることもありました。それでもめげずに活動を続けていたら、2008年に目標の100億円を突破したのです。それから売上が何倍にも、驚くほど伸びていきました。結局、当社の売上の30％にすぎなかった車載事業が、80％を超えるほどに成長したのです。車載の分野では、一度導入実績を2000年代後半から車載市場で一気に売上（縦軸）を伸ばし、同市場のシェアでは世界トップ10に入った28［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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革新的な「コネクタ」で社会貢献に「つなげる」出せば、他社からも導入したいというお話をいただけるようになることが、事業成長の要因の一つであったと思われます。実績を重ねれば重ねるだけ、ますます取引先が広がっていくのです。さらに、自分自身が車載を担当するようになった時期もよかったと考えています。まだ2000年代の前半においては、たとえば当社のような部品サプライヤーがドイツの自動車関連企業を訪問すると、「こういうもの、つくれるか？」と聞かれたりするなど、いろいろ話に応じてくれたものです。だが今では「プリファードサプライヤー」（preferredsupplier）とよばれるサプライヤーとして認定されないと、見積もりを出すことができません。こうしたことが導入されるよりも前の時期に、当社の商品を海外でPRすることができて、運がよかったと思います。現在では取引にこぎつけるまで、普通に4年ぐらいはかかってしまいますからね。経営塾の受講後に理念の具体化に動く――松下幸之助経営塾での学びの中で、特に印象に残ったことを教えてください。松下幸之助経営塾には、ちょうど社長に就任した2021年4月から2022年2月まで通いました。経営理念の重要性についてよく理解できたことがよかったと思っています。当社では経営理念を、次のように定めています。【イリソ電子工業の経営理念】－未来に続く架け橋として－人の心を尊重し豊かな価値を創り社会貢献に努める自分だけではなく社員にとっても拠りどころになるものとして、こうした理念が大切であると、強く認識しています。自分の考えを伝えるためにも日頃から社員と接するようにはしているのですが、いつもすべての社員と交流できるわけではない。でも理念によって、社員と方向性や方針を共有することができるのです。ただ、経営理念をもう少し具体化する必要性を感じていました。そこで社員らと議論を重ねながら、2023年に、当社の目指すべき「ステートメント」、存在意義を表す「パーパス」、社会で実現したい「ドリーム」、守るべき「ビリーフ」を策定しました。【ステートメント】私たちは、社会やお客様の期待を超える「つなげる」を実現します【パーパス】私たちは、お客様の声と提案力で、電路をつなぐ、安心、安全、快適な接続を創造する【ドリーム】「つなげる」を深化させ、人と環境にやさしく、様々な機能を容易につなげる未来を創造する・高品質なコネクタ：法令遵守、品質第一、お客様からの信頼保持・省人化への貢献：自動組立を実現する、フローティング技術の深化・省資源への貢献：軽量化を実現する、小型化・複合化技術の深化【ビリーフ】お客様への感謝、そして感動を。“イリソ”はお客様への感謝から誕日本、中国、ベトナム、フィリピンの4カ国で生産を展開。全工場がマネジメントシステム規格（ISO・IATF）を認証取得。ベトナム工場で新入社員研修を実施している生しました。私たちは働ける喜びを技術に替え、製品を通じて、お客様に信頼と驚きをお返しします。これら策定したものを、中期経営計画にも盛り込みました。さらに今年から、「ステートメント」に込めた思いを、スローガンとして、「InterconnectwithReliableSolution」と英語で端的に表現し、私たちの活動の指針としています。もっとも、これらをいくら策定しても、きちんと社員の行動につなげなければ意味がありません。当社の理念を実現すべく、今後はその浸透に、もっと注力していこうと思っています。また、当社のいっそうの発展のためには、人材の育成に力を入れたいと考えています。当社では、多様な研修プログラムを提供していますが、なかでも、新入社員全員がベトナムの自社工場で1週間の実習をするのが特徴です。海外の従業員が、モチベーション高く働いている姿を目の当たりにし、大きな刺激を受けていると聞いています。当社ならではのこのような研修や教育を拡充することで、社員は単に知識を身につけるだけではなく、一人ひとりが主体的に、前向きな気持ちで働き、会社の未来を創造していってほしいと願っています。L［実践］理念経営Labo2024AUTUMN29

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塾生通信日に新た「松下幸之助経営塾」の情報と、卒塾生の近況をお伝えします第27期生が志を固め卒塾9月に第29期がスタート松下幸之助経営塾は、7月に第27期生が第6回を迎え、それぞれの志を固め卒塾されました。「自社のブランド牛を発信する」「株式上場して、母なる地球の健康改善に貢献する」「創業100年に向けて自然と共生する新しい暮らしをつくる」など、10カ月間、自社と自己と向き合って見出した新ビジョンが発表されました。8月は第28期第3回を開催。特別講話にユーグレナ代表取締役社長の出雲充氏が登壇し、「わが志の軌跡と真使命」と題して講話いただきました。同社は豊富な栄養成分を持つミドリムシの大量培養に世界で初めて成功し、ドリンクや機能性表示食品など多様な商品を展開しています。出雲社長はミドリムシ事業の成功の秘訣として、お金や才能、環境のせいにすることなく、泥臭く挑戦し続けてきたことを挙げられました。また、真使命は“一番にこだわ天理教教会本部神殿の前にて。神殿中央には人間創造の元の場所である聖地「ぢば」があり、24時間いつでもお参りができるり続ける”こと、との出雲氏の力強い言葉に、多くの受講生が仕事への向き合い方を考えさせられたと感想を述べました。そして、9月には新しく第29期がスタート。受講者12名のうち女性が5名と半数近く、さらに20代の後継経営者候補から、30年以上も会社経営をしてきた創業経営者まで、多様な経歴の方が集まりました。また、積極的に発言される方が多く、初日の討議から活発に意見が交わされました。ゆかりの地を訪ねて幸之助の思いを追体験松下幸之助経営塾の卒塾生から成る「同志会」は、地域ブロックイベントの第2弾として、松下幸之助ゆかりの地を2カ所訪問しました。まず、7月27日に関西ブロック勉強会として、神吉一寿氏（第1期）が経営するお菓子のデパートよしや天理店（奈良県天理市）を見学。同店は国内最大級のお菓子専門店で、驚異的な集客力を誇ります。神吉社長によると、開店初日の来客数が1000人、売上は400万円にも上ったとのこと。また、独自の在庫管理システムやインフルエンサーを起用したSNSでの発信など、新しいことに積極的に取り組んでいるといいます。参加者の皆様がレジに列をなして駄菓子を買っておられる姿も印象的でした。その後、天理教教会本部に移動し松下幸之助が中尊寺に寄贈した「松寿庵」で生菓子とお茶をいただく。設計は裏千家15世家元千宗室宗匠によるて、幸之助も訪れた神殿や教祖殿、祖霊殿を参拝。職員から各施設とその建設背景や、天理教の教えを解説いただきました。当日は年に一度の「こどもおぢばがえり」の行事が行なわれ、全国から多くの信者が子供を連れて集まり、「ひのきしん（天理教信者の積極的な神恩報謝の行為）」に励んでいる様子が見られました。幸之助が、奉仕する天理教信者と接して感銘を受けたことが偲ばれます。教会本部見学後は、天理教と松下幸之助に詳しい住原則也氏（天理大学教授）によって、「『命知』が何故、天理教本部訪問がきっかけなのか―『メタ理念』を一つの手がかりとして―」をテーマに、幸之助の経営哲学と天理教の類似点について講義が行なわれました。受講生からは、「それまで考える機会がなかった経営と宗教の関係性について学うろこび、目から鱗が落ちた」との感想がありました。なお、教会本部への訪問については、天理教の週刊新聞「天理時報」にも掲載されました。30［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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次いで、9月7日に北海道・東北ブロック勉強会として、岩手県平泉の中尊寺を訪問。当寺の中でも創建当初の面影を残す金色堂は、今年建立900年にあたり、平和な理想社会実現への願いが今に継承されています。また、松尾芭蕉が金色堂を見てつわもの詠んだ名句「夏草や兵どもが夢の跡」の紹介があり、栄華を誇る人間のはかなさについて考えさせられました。さらに、幸之助が寄贈したお茶室「松寿庵」を特別公開していただき、お茶によるおもてなしを頂戴しました。幸之助は、「茶の湯は日本人の心のふるさとである。多忙な日々を送り、騒がしい都会の中にいると、心静かなひとときを求めたくてもなかなか得られない。私にとって、ただひとつそれを得られるのが一服のお茶だ」と語っており、その思いに触れる貴重な機会となりました。『どん底からの復活人生』事業再生の絶対条件を明かすオーナー経営サポートコンサルティングを行なう喜望大地（大阪府大阪市）会長の喜多洲山氏（第14期）が著書『どん底からの復活人生―借金30億円からの起死回生』（ＰＨＰ研究所）を出版しました。人生かんなんしんくなの艱難辛苦を嘗め2024年、ＰＨＰ研究所刊定価：1,650円（10%税込）尽くし、1100件以上もの事業再生を導いてきた喜多氏は、どんな状況にあっても決してあきらめるな、とエールを送り続けます。本書から、ようてい事業再生・変革の要諦をつかむことができるはずです。なお今年、同社は創立20周年を迎えます。L経営者が“経営の志”を確立・再確認するための長期講座松下幸之助経営塾本セミナーの特徴松下幸之助の経営哲学を根本から学べる唯一の講座弊社で70年有余にわたり研究を重ねた“松下幸之助の経営哲学の真髄”を、経営者の皆様に分かりやすくお伝えするためのセミナー形式の講座です。人間観を養い高め、経営者としてのあり方を学ぶ本講座は、時代や環境の移り変わりの中で生まれる新しいマネジメント手法を学ぶものではありません。経営者のただ今、新規申込受付中詳しくはホームページで資料のご請求はホームページまたは下記窓口へお問い合わせください。https://www.php.co.jp/seminar/m-keieijuku/株式会社PHP研究所「松下幸之助経営塾」事務局〈京都〉TEL075（681）4442FAX075（681）5699「志」をキーワードとして、松下幸之助が最も大切にした“経営理念の確立と浸透・共感”を実現すべく、その基となる自然・宇宙観や人間観等を学び、より本質的な“経営者としての器量”を養い高めていただく講座です。「志」の確立に向けた、充実の10カ月10カ月の在籍期間中に１泊２日のセミナーを全６回、隔月で開催。学びと実践、検証をくり返しながら成果を高めていただけます。また、１クラスは最大でも12名の少人数制で、受講者間の討議・交流による相互啓発など受講者お一人おひとりに充実した環境を提供いたします。プログラム第１回『志から理念へ～経営の使命～』第２回『本質を考える～自然の理法～』第３回『原理原則を貫く～基本の徹底～』第４回『人を育てる～事業は人なり～』第５回『経営を革新する～日に新た～』第６回『志を伝える～私の命知発見～』開催要領◦受講資格：経営者ご本人、後継経営者（経営幹部）◦募集人数：12名⃝開講期間：10カ月1開催1泊2日、全6回（隔月開催）⃝受講料：148万5,000円（税込）⃝会場：株式会社PHP研究所京都本部（JR・近鉄「京都」駅八条口より徒歩５分）［実践］理念経営Labo2024AUTUMN31

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プロ・ファシリテーターが斬る!!組織づくり・人づくりのヒントＺ世代を活かす人材マネジメントPHP研究所経営共創事業本部本部長的場正晃PHPでの長年の現場経験をもとに、組織・人材開発に役立つ情報をわかりやすく解説Z世代を中心とした若い世代が社会の主役になろうとしている今、彼ら・彼女らをどのように活かすかが企業経営上の大きな課題となっています。本稿では、Z世代の特徴をふまえつつ、若い世代を活かす人材マネジメントのあり方を考察いたします。着実に進む世代交代とZ世代の特徴Ｚ世代という言葉は、すっかり一般用語化した感がありますが、Ｚ世代とは、1990年代半ば～2010年代半ば生まれの人のことを指します。2025年には労働力人口（15歳～64歳）に占めるZ世代とミレニアル世代（80年代～90年代半ば生まれ）の割合が上の世代を逆転し、社会を構成するマジョリティになると言われています。旧世代とは異なる価値観や思考・行動パターンを持つ若い世代が主流派になることで､社会活動全般に大きな変化が起きるのは間違いないでしょう。したがって、企業が事業を継続するためには、これまでの常識にとらわれない新しい発想で、活動のあり方、やり方を見直さなければなりません。人材マネジメントの視点からは、労働力としてのＺ世代人材をいかに採用・育成・定着させるかが、企業存続のための重要かつ喫緊の課題といえるでしょう。Z世代の若者たちの特徴として、「貢献感」と「成長実感」を求める傾向が強いという指摘があります。貢献感とは、自分の行動が誰かの役に立ち、その結果、「ありがとう」「助かりました」「あなたのおかげです」といった、感謝のメッセージを受け取る経験を通して得られる感覚のことです。一方の成長実感は、「できなかったことができるようになった」「精神的に強くなった」等、仕事を通じてみずからの専門性や人間性が高まったと認識することで強化される感覚を指します。これら「2つの感」が満たされるか否かが仕事を選ぶ基準となってい労働力人口全体に占めるミレニアル世代以降とそれより年配の世代の割合推移（％）80労働力人口（万人）ミレニアル世代以降の層（％）ミレニアル世代より年配の層（％）（万人）8,000707,000606,000505,000404,000303,000202,000101,00002017年2020年2025年2030年2035年2040年注：労働政策研究・研修機構「労働力需給の推計」より三菱総合研究所作成出所：瀬川秀俊「『ミレニアル世代』が変える働くことの意味」『ＭＲＩマンスリーレビュー』2020年1月号、P9032［実践］理念経営Labo2024AUTUMN

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組織づくり・人づくりのヒントて、そこに物足りなさを感じると、いとも簡単に離職する見切りの早さがこの世代の特徴といえます。これからの人材マネジメントＺ世代の特徴をふまえたうえで、若い世代を惹きつけ（採用）、つなぎとめる（リテンション）カギとして考えられるのが以下の４つです。①任せる規模の大きい企業や官僚的な組織ほど、「この仕事はまだ彼（彼女）には早い」という考え方を上司が持つ傾向があるようです。そうではなく、思い切って若手に責任ある仕事を任せることで、「この仕事は自分の仕事だ」という所有感が芽生え、責任意識や主体性が高まり、ワークエンゲージメント向上につながります。②Ｗｈｙを伝える組織や事業の存在意義を明確にし、それを伝えることで、Ｚ世代の求める「貢献感」の解像度が上がります。「なぜ、自社は存在するのか」「なぜ、この事業を存続させる必要があるのか」等々、Ｗｈｙを媒介としたコミュニケーションを図ることで、モチベーションが喚起されます。③衆知を集めるＺ世代の社員としっかり向き合い、相手の価値観や意見を傾聴・受容することで、「存在承認欲求」が満たされます。経験量で勝る上司や先輩の考え方が正しいという前提を捨て、Ｚ世代の斬新で多様な価値観をリスペクトできるか、現場の意識改革が重要になります。④多様なキャリアパスを用意する社内のキャリアパスの多様性を拡げると、様々な業務を経験できるので個々の成長が促進されます。逆に、キャリアパスの選択肢が少ないと、「〇〇の専門性を高めるためには他社に行くしかない」という転職動機を高めるリスクにつながりかねません。「選ばれる会社」を目指す既述の通り、人口構成比上のマジョリティが変わろうとしている今、私たちは社会の大きな変化に直面しています。そうした状況下、経営者や現場のリーダーが過去の成功体験や常識にとらわれていると、仕事上の成果を上げることは難しくなります。かつてのように企業が強大な影響力を持ち、プロダクトアウトの発想で商品を市場に供給したり、労働市場から人材を選別・採用していた時代は終焉しました。今や、企業・組織が消費者や労働者から選ばれる時代になったのです。したがって、今後の社会を支えるＺ世代を中心とした若い世代から選ばれるような経営の進め方、マネジメントのやり方を志向し実践することが、これからの競争を勝ち抜くＫＦＳ（重要成功要因）となるでしょう。＊PHP研究所では、よりよき人材を育成するための各種マネジメント研修を提供しています。ウェブサイトよりお気軽にお問い合わせください。まとば・まさあき1990年、（株）PHP研究所に入社し、研修局に配属される。以後、一貫して、PHPゼミナールの普及、および研修プログラムの開発に取り組む。2001年から2003年まで神戸大学大学院経営学研究科博士課程前期課程にてミッション経営の研究を行ない、MBAを取得する。中小企業診断士。著作に『“強い現場をつくるリーダー”になるための5つの原則』（PHP通信ゼミナール）。LPHPゼミナール課長研修マネジメント革新コース「与える」マネジメントから「引き出す」マネジメントへ本セミナーの特徴課長職（ミドルマネジメント・中級管理職）を対象とした公開型セミナー。「与える」から「引き出す」へ、マネジメントを革新します。新任課長の昇格時研修、既任課長のフォロー研修に好評です。研修のねらい部下と組織の力を「引き出す」マネジメントの3つの条件①他を頼るのではなく自らの責任で課題を達成しようとする「使命感」②部下や周りの人材の意見に耳を傾ける「素直な心」③部下の可能性を信じる「人間観」対象受講料定員期間肯定的な人間観使命感を共有し、素直な心で衆知（多くの意見・考え方）を集め、肯定的な人間観で人を見ることが「引き出す」マネジメントの要諦です。実施要項総学習時間課長職の方々※一つのまとまった組織を運営し、組織としての成果を最大化することが求められている方々88,000円（税込）※「社員研修VA+」会員は10％割引集合研修：24名オンライン開催：30名※1開催1社5名まで2日間詳しくはウェブサイトをご覧ください引き出すマネジメント使命感13時間素直な心※掲載情報は2024年9月末時点のもの［実践］理念経営Labo2024AUTUMN33

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特別動画案内MOVIEGALLERY経営理念を売ってほしい佐久間曻二（ぴあ社外取締役、パナソニック終身客員）『［実践］理念経営Labo』では、誌面内容がよりよくわかる特別動画をウェブサイトにてご視聴いただけます。今号の特集テーマ「幸之助さんの教えに学んだこと」をさらに深く知るには、以下の動画もオススメ！POINT「松下電器には、商品を売る前に売ってほしいものがある。それは松下の経営理念や」。旧西ドイツに駐在していた佐久間氏が、松下幸之助から学んだ経営哲学を語る視聴時間8分25秒現役経営者が経営について学ぶということ岩井虔（ＰＨＰ研究所客員）☞P18POINTPHPゼミナールで松下幸之助が飛び入り登壇したときの逸話を紹介。「“本読み”になったらあかん」と語った当時の貴重映像は必見！視聴時間8分55秒本人映像概要1978年1月26日PHPゼミナールでの話松下幸之助の自在なものの考え方渡邊祐介（ＰＨＰ理念経営研究センター代表）POINTマイナスをプラスに転換する松下幸之助のユニークな発想法とは？『松下幸之助感動のエピソード集』（ＰＨＰ理念経営研究センター編著）に収録されている実話をもとに解説34［実践］理念経営Labo2024AUTUMN視聴時間9分34秒書籍掲載ページ①「これ以上悪くならん」P36②「この土地、全部わしのもんや」P154

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好評発売中！いつもヘマばかりしている若手商社マン・松田太朗が異動になった先は、左遷部署と噂される「企画営業支援課」。やりがいのない仕事とやる気のないチームメンバーの間で日々、鬱々とする中、ネット上で「ビジネスの天使」を名乗る謎のＡＩ・ユキスケに出会う。ベストセラー『道をひらく』（松下幸之助著）の実践版コミック誕生！定価：1,650円（10％税込）2024AUTUMN10-12（Vol.11）2024年10月27日発行発行人渡邊祐介編集主幹川上恒雄編集長佐々木賢治発行所PHP理念経営研究センター［編集スタッフ］長尾梓／桐本真理［制作・普及協力］〒601-8411京都市南区西九条北ノ内町11番地TEL075-681-9166メールkenkyu1@php.co.jpURLhttps://www.php-management.com/池口祥司／的場正晃／時政和輝／瀬田成俊／西岡拓真／松田一馬動画順次公開＆メルマガ登録受付中誌面の内容がよりよくわかる特別動画をこちらのウェブサイトで順次公開しています。↓また、上記動画の公開時期および『［実践］理念経営Labo』の最新情報をメルマガ（無料）にてお届けします。ご希望の方はこちらのウェブサイトよりメールアドレスをご登録ください。↓［デザイン／制作］朝日メディアインターナショナル株式会社©PHPInstitute,Inc.2024Allrightsreserved

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2024AUTUMN10-12（Vol.11）2024年10月27日発行ＰＨＰ理念経営研究センター

