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# 【試し読み】目の眼2026年4・5月号

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骨董古美術誌2026No.5864・5美の仕事土井善晴しおげ塩笥のうたげ見立てて楽しむ万能のうつわ

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No.5864・5［表紙］塩笥盃２種月おか蔵［表紙デザイン］川島卓也（川島事務所）今回は、塩笥（しおげ）の特集をお送りしました。コロンとした姿がかわいく、骨董好き、やきもの好きな方なら一度は目にしたことがあると思います。なにぶんマイナーな存在で、専門の研究者もいないようですので、塩笥とはどういうものか、については、特集に登場した愛好家のみなさんが、いろいろな斬り口から解説してくださいました。是非この機会に目を通していただければと思います。それにしてもなんとも不思議な名前と響きです。「塩」はわかりますが、「笥」という字を調べてみると訓読で「ケ」、音読では「シ」と読んで、元々は食べ物をいれる容器を指し、転じて「箪笥（たんす）」などのように箱や容れ物を表した古い言葉のようです。塩笥は長らく「壺の一種」として分類されていますが、日本に渡ってきてから、姿かたちと景色のよいものは茶の湯の道具に採り上げられて、茶碗や茶入、香炉などに見立てられてその多様性を広げます。ただこれまでは、どうしても「冬のもの」というイメージがついてまわりました。しかし近年は、若い世代のあいだで酒器として注目され、また今特集では食のうつわとしての可能性も紹介していただいたことで、冬限定という制約からも次第に解放されていくのではないでしょうか。それは日本人の食生活の多様化とも連動しているようです。今特集を機に、あらためて塩笥を見直していただけるとうれしく思います。『目の眼』はこれからも骨董古美術の新しい動きを追いかけていきたいと思います。ようやく春のあたたかい空気を感じられるようになってきました。これからアートフェアや骨董市などイベント盛りだくさんのシーズンがやってきます。本誌だけでなくWEBサイトにも情報を紹介していますので、是非ご覧ください。3

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Contentsコラム7［煎茶ノート］佃梓央9［骨董片々録］勝見充男11［大英博物館］矢野明子特集14塩笥のうたげ見立てて楽しむ万能のうつわ16愛好家をたずねて宴のしおげ月おか26愛好家をたずねて“なにか”を秘めた粉引盃白洲信哉28愛好家をたずねて陶人のしおげ内田鋼一36愛好家をたずねて目利きが愛する塩笥盃宮島格三38古美術店でみつけた塩笥茶道具商ながさか／大塚美術／下井美術41愛好家をたずねて茶人のしおげ矢野謙堂48美の仕事自在屋勝見さん家の塩笥と酒器土井善晴連載58美の旋律安宅弥吉・英一の真実安宅英一を支えた人々森孝一62仏教美術逍遥廣瀬コレクション（2）瀨谷貴之66数寄者の眼差し息づく、侘びのこころ（3）三浦和子／宮武慶之拓本蒐集72菓子皿考黒胡麻のホットクと李朝白磁鉢内田風知75七つの海を渡る中国陶磁いわゆる「新渡」のやきものについて（4）金立言78寄り添うかたち少女（乙女）宇井浩一80ほっとけない仏たち大阪2八葉蓮華寺の阿弥陀如来像（交野市）青木淳142花ノ風物大塚美術池坊専宗トピックス&レポート84JoʼsAuction／東京飛鳥アートオークション85和器壹佰オークション／雅寳（ガベル）オークション87毎日オークション／お江戸レトロ市88北斎・英泉艶くらべ—歌舞伎町花盛り—新宿歌舞伎町春画展ＷＡ90刀座202693ザ・美術骨董ショー／老松古美術祭／樂のすべてが揃う即売会［下井美術］95無題UNTITLED［古美術今出川］96百万石！加賀前田家［東京国立博物館］98Meet美の交差点近代日本画と東洋陶磁［クヴェレ美術館］130六田知弘×橋本雅也二人展「現し」［ロンドンギャラリー白金］133汲古—平尾祐里菜—［101honogra］135袋師麻郷［稲村美術］／掌玩コレクターの愛蔵品展［骨董の店甲斐］136美との伴走—春—酒器コレクション入札会［壺中居］139東京アートアンティーク2026101書評104美術店案内マップ122骨董市・展覧会情報128次号予告5

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うた塩特集◎14しげ見立てて楽しむ万能のうつわ笥のおげげ塩

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塩しおげ笥とはもともと朝鮮半島において日常的に使用されていた小壺のこと。花の蕾のように胴が膨らみ、口縁がすぼんで先端が端反りにひらく姿が特徴で、主に塩や味噌、醬などの調味料の容器として用いられていたという。やがて日本に伝わり雑器としてさまざまな用途に使われたが、サイズが手頃で景色や姿の良いものは茶碗や香炉として採り上げられ、また近年は酒器としても注目度を上げている。これまで〝壺〟としてカテゴライズされてきた塩笥の、見立てを誘う魅力を愛好家の優品とともに紹介したい。撮影：津久井珠美、竹前朗、山畑俊樹、安藤博祥構成：井藤丈英（目の眼）15

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絵瀬戸の燗酒器は内部が左右で分かれ、左に炭を入れて肴を炙り、右にはお湯を入れて酒を温める。炙ったふぐひれは燗酒に入れてひれ酒に。めざしを載せた陶片は紅志野、へしこと赤大根を載せたのは黄瀬戸。箸置は織部の煙管。魚文の塩笥には蕗の薹の白和えをあわせた。22

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京都・青蓮院門前に店を構える「月おか」は、本誌５６６号（２０２３年11月号）の特集「骨董の多い料理店」でも紹介した人気店。実はそのコレクションのなかに塩笥の一群があり、いつか特集したいと温めておいたのだが、ようやく紹介できる。今回、約３年ぶりに取材に訪れると、待ってましたとばかりに主人の月岡さんが並べはじめた塩笥は十数点。それもただ塩笥の形をしているというだけでなく、姿、景色、サイズ、佇まいなど、厳選に厳選を重ねて吟味されていることがよくわかるコレクションだ。ここまでレベルの高い塩笥を集めるには相当な時間もかかったはずだ。「そうですねぇ、どれくらいかかったか憶えてませんが、年に１つか、運がよくて２つ。出逢える確率はそんなものです。最初はまったく知りませんでした。〝塩〟はわかるけど〝笥〟なんて言葉はいまではほとんど使わないでしょう。〝しおのはこ〟という意味だということもあとで調べて知りました。ただ「しおげ」という音の響きには惹かれましたね。実際に見てみると愛嬌があって可愛い姿をしています」と語る。月岡さんのコレクションは小さいもので４センチから大きいもので10センチ未満と、酒盃として、また小服茶碗として使い勝手のよいものに絞られている。「酒盃にするなら両手でも片手でも収まりがよくて口の立ち上がりの小さなものが呑みやすいでしょうね。小服茶碗サイズのものは、茶箱に仕込まれていたものもいくつかあります。昔から塩笥好きがいたんだな、とうれしくなります。この白黒２点で並べたもの（左頁）は別々に手に入れたのですが、形とサイズがほぼ一緒で、口縁部から３箇所に走ったニュウがまったく同じといっていいほどそっくりなので、勝手に夫婦盃としてよく一緒に使っています。とくに白い方は白磁とは一味違ったやわらかな白で気に入ってます。あと唐津（19頁）はまだ一点だけしか気に入ったものが見つかっていませんが、草文が１本２本３本と絵替わりになっているのがお洒落ですね。こうして並べてみると唐津はやはり、朝鮮のものとは異なる茶の美意識を感じますね。日本人の応用力の凄さを感じます」塩笥を選ぶポイントをうかがってみると、「姿形はもちろんですが、やはり手取りの良さ、伝世ならではのとろとろの肌ですね。発掘品とは立ち上がってくるものが違います。理想は本で見た、益田鈍翁旧蔵の可かわづ和津という銘の粉引茶碗で、強烈なインパクトを受けました。私の中で塩笥のナンバー１といえばいまでも可和津です」と教えてくれた。また見所として、「高台を高いままにせず、底面を磨ったような痕があるものが多いのも塩笥の特徴です。またよく見ると直火で炙ったような焦げも見られることから、単に塩や味噌だけでなく油分の多い液体や、薬なんかを煮出したこともあったのではないでしょうか。伝世だけではたどりつけない強い染みはそのせいだと感じます」との知見をいただいた。そして今回、月岡さんの計らいで塩笥を使った特別な燗酒セットをご用意くださった（22頁）。「塩笥で呑むなら、着飾った料理よりも肩肘張らずに愉しめる貧びんすき数寄好みがいいかと考えました。もしかしたら青山二郎や小林秀雄が、あの時代にこんなふうに呑んでいたんじゃないかという私の妄想です（笑）」。貧数寄と言いながらも珍しい絵瀬戸の燗酒器と、志野や織部の陶片に盛っためざし、へしこ、ふぐひれをアテに、とろとろの塩笥盃で呑む。これほど贅沢な酒宴があろうかという月岡さんの心尽くしの取り合わせだ。塩笥を熱く語る月岡正範さん24

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左：口径7.0cm高7.0cm右：口径7.0cm高6.6cm青蓮院門跡前月おか所在地：京都市東山区粟田口三条坊町16-2問合せ：075-366-4918https://hitosara.com/0004046557/Instagram@tsukioka_kyoto※完全予約制25

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26特集◎塩笥のうたげ◎愛好家をたずねて〝なにか〟を秘めた粉引盃粉引塩笥盃口径3.7cm高6.3cm塩笥にはさまざまなバリエーションがあるが酒盃として使える小さいものほど希少。なかでも片手に収まる粉引の塩笥盃となると現在のところこの一点くらいしか見たことがない。その持ち主が白洲信哉さんだ。「酒器は長年いろいろと手にしていますが、この盃は十年近く前に親しい古美術商から求めました。塩笥は以前、井戸釉の筒茶碗を持っていましたが、この盃は特別な存在感があります。ちょうど花の蕾のようなサイズとソフトな手取り感で気持ちよく使えます。日本酒も呑みますが、もっぱらウイスキーをショットで呑む時に愛用していますので、酒宴では後半戦に登場しますね。もちろん冬だけということはなく、年中使ってます。たとえば夏に、白磁とか白い酒器だけを揃えて呑むのも爽やかでいいものですよ。た26

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27白洲信哉さんだ酒が染みるのも早いので、使いすぎないよう、ときどき数日陰干しして酒を抜きます。僕は抜きませんけど」と笑う。実際、見込の内部は器面とくらべて一段黒くなっており、ほの青い釉垂れが一筋流れているのが印象的だ。「塩笥はたしかに雑器だったのでしょうが、粉引となると少し意味合いが異なってくると思います。李朝の時代は白が最上の色とされていましたし、薄造りながらふっくらと張った造形、口づくりや高台の繊細さ、その数の絶対的な少なさなど、他の塩笥と見比べていくと、これは庶民ではなく上層階級の人間、しかも女性が使った祭器なのかもしれないと思うようになりました。となると単なる調味料入れとは思えません。たとえば薬とか薬湯、またはなにか個人的に大切なものを入れてしまっていたのか……もちろん妄想ですが、そんな〝なにかを秘めた〟うつわだったのかな、と考えるようになりました」とのこと。箱も古い凝った作りで、誰のものか判別できないが蔵印も確認できる。塩笥を専門とする研究者はいないようだが、いつかその歴史と謎を明らかにしてほしいと思った。1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュースする。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。2013年から2018年まで『目の眼』編集長を務める。李朝の白磁（右奥）と日本の伊万里（左奥）と並べてみる。同じ白といってもここまで色合いや質感が違ってくる。箱の蓋裏にある蔵印は不明27

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陶人のしお特集◎塩笥のうたげ◎愛好家をたずねてげ28

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井戸手塩笥盃口径4.0cm高6.0cm29須恵器盃口径6.2cm高4.2cm

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新羅土器把杯左：口径7.0cm高9.0cm、中：口径7.5cm高9.8cm、右：口径8.0cm高7.0cm陶芸だけでなく造形作家として幅広く活躍する内田鋼一さんは古物の蒐集家としての一面もある。そのコレクションの一端は２０１９〜２０２１年の本誌連載「座右のかたち」で紹介しているが、その最終回を飾ったのが塩笥だ。今回あらためて取材にうかがうと30点近くもの塩笥が登場して驚いた。「主に刷毛目や堅手、黒高麗など朝鮮半島で焼かれたもので、あと日本の唐津とか、珍しいところでは須恵器（29頁下）とか磁州窯（33頁上段左）もあります。色絵デルフトもあったのですが手放してしまったり出てこないものがあって……」とのこと。鋼一さんは若い頃、世界各地の窯業地を巡って作陶してきたが、韓国には20歳頃から定期的に通っているという。「黒高麗の大きいもの（30頁）はその最初の頃に買い求めたものです。当時、日本から抹茶だけ持っていって寒い時はこれでお茶を点てて飲んでいました。最初はちょっと土臭がしましたけど30年以上使ってるとさすがに抜けましたね。朝鮮ものの塩笥は現地で買ったものが多いかな。向こうは当時市場がなくて、街々にある新旧とり混ぜて商う民具屋の一画に発掘ものだけを売ってるおじさんがいて、そこに並べられたものは結構地方色があっておもしろかったんですよ。そこで高麗青磁の小碗なんかと一緒に塩笥をちょくちょく買ってましたが、いまは姿を消しましたね」と教えてくれた。一群のなかに把手のついたもの（上段参照）があるで聞くと、「これは新羅土器の把杯です。塩笥の原型ともいえるものかなと紹介しました。僕の感覚では、小ぶりの塩笥は冬に燗酒とか焼酎のお湯割など温かい酒を呑むもので、夏はこうした把杯に氷を入れて焼酎なんかを呑むと涼しげでいいですよ。薄造りでカチッと焼けていますから口当たりもいい」と鋼一さんが言うと、「私はお酒も呑みますが、お茶でもコーヒーでもなんでも塩笥で飲んでます」と横にいた娘の風知さんが補足してくれた。なんでも内田家では家族一人一人に担当する塩笥があるという。塩笥の好みについて話す鋼一さんと風知さん34

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「うちの家族は全員酒が呑めるので、あるとき塩笥を並べて、それぞれ気に入ったものを選んで味をつけてくれ、と言ったことはあります（笑）。おもしろいものでみんな好みが違って、ふだん僕が手に取らないようなものを選ぶんです」今回紹介したなかで風知さんがとくに気に入っているのが井戸手のもの（33頁下段左）。「この塩笥は私が直接コレクターさんから買ったものです。前に茶入として使われていたようで、独特の匂いが残っているからいろいろ飲んで育てています」と風知さん。一方で鋼一さんはたっぷり呑める大きめのものをつい手に取るという。「塩笥はもともと味噌とか調味料をいれる容器・壺なんです。その視点で作り手からみると、ここに並べた塩笥は失敗作とまでは言わないまでも、口の締まりがゆるくて、すぐに染みてくる下手なものとも言えます。一方、白磁のキリッとしたものは位の高い人たちの家に収められたでしょう。ところが日本に入ってくると、口が広くてゆるく立ち上がっているもののほうが茶筅も振りやすく飲みやすいと喜ばれ、さらに染みが風情ある景色としてお茶の世界まで採り上げられて賞翫される。文化の違いによる完全な逆転現象なわけで、塩笥をつくっていた現地の人は想像もしなかったでしょうね。これが塩笥のおもしろいところだと思います」と最後に、塩笥というものの見方を教えてくれた。35

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36特集◎塩笥のうたげ◎愛好家をたずねて目利きが愛する塩笥盃井戸塩笥盃宮島格三さんは、老舗古美術店「壺中居」に16歳から勤務し、いまも現役の美術商として活躍する大ベテランで、日本陶磁協会の理事も務める古美術界の重鎮。本誌前々号の不孤斎特集の折に塩笥特集の話をしたところ「私も１つ持ってますよ」と連絡をくださった。「関西に友人がいましてね、彼とは青山二郎さんや白洲正子さんの関係で知り合って、よく遊んだ骨董仲間なんです。10年くらい前に〝買って欲しいものがある〟と電話があってこの塩笥を見せられたんです。なんでも〝子どもの進学のために資金が入り用になったので手放そうと思ったが、この塩笥盃のよさをわかってくれるのはあんたしかいない〟なんてうまいこと乗せられましてね（笑）、買いました。結構いい値段でしたよ」と教えてくださった。

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37宮島格三さん堅手か、井戸か、どちらにしてもよく染みた肌で、口縁部がすっと立った、いかにも酒を誘う姿。掌に収まるサイズも希少でうれしい。さすが目利きが選んだ塩笥盃だ。「私も好きで時代の酒器や朝鮮ものをいろいろ見てきましたが、たしかに盃となる塩笥は珍しく、見ないものです。取材のお話をいただいて一応店の在庫もあらためて見たけど、見当たりませんでした。この盃も前の持ち主が牙蓋をつけて茶入としても使っていたようです」と、よくみると更紗の仕覆や挽家など茶道具として調えられている。この盃でよく呑みましたか、とうかがうと、私は呑めないんですよ、と意外な答え。「親兄弟も呑めない体質でしてどうにもなりません。不思議なもので実家は酒屋で、祖父の時代は造り酒屋もやっていたのですが……。壺中居の２代社長だった廣田熙は酒豪で、呑めないやつが骨董屋なんかできるか！クビだクビだ！って、私は若い頃に何度もクビになってるんですよ（笑）。いまなら立派なパワハラですが、昔の店は夕方になるとどこかから酒が出てきて、社員もお客さんも一緒に呑む。そんな大らかな時代でした。おかげでいまは少し舐めるくらいなら呑めるようになりましたけどね」と笑う。そんな呑めない宮島さんは、実は酒器のコレクターとして一部に知られている。この４月の東京アートアンティークではこの塩笥盃をはじめ、これまで蒐集してきた酒器の売り立てを壺中居で開催するという。ぜひ入札に参加していただきたい（詳細は１３６頁）。1938年富山県八尾市生まれ。中学を卒業後、「壺中居」に入社。以降、現在まで勤務。1999年から2008年まで同社代表を務める。日本陶磁協会理事。

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茶人のしおげ特集◎塩笥のうたげ◎愛好家をたずねて

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京都を代表する寺院・相国寺の塔頭である大光明寺は、１３３９年に後伏見天皇女御の広義門院西園寺寧子を開基、夢窓国師を開山として、当初は現在の京都市伏見区にあった伏見離宮に隣接して創建された歴史ある禅寺で、慶長十六年に徳川家康によって相国寺に移された。現在は矢野謙堂さんが住職を務めている。矢野和尚は師である有馬賴底管長に倣い、数寄者としても活躍しており、今回茶碗としての塩笥はどういうものか取材にうかがった。「塩笥はもともと朝鮮半島において量産されたうつわで、主に塩や調味料を入れる壺（容器）として伝わったとされています。たしかに現地では台所道具としてよく使用されていたそうですが、その起源や詳細は明らかになっておらず、塩笥という言葉もふだん使わないので馴染みない方もいらっしゃるでしょう。その独特の呼称は日本で名付けられたものかもしれません」と教えてくださった。「そんな実態がよくわかっていない塩笥ですが、実は、相国寺には〝塩笥とは何たるものか〟を示す代表的な壺を収蔵しておりますので、最初にそれを紹介しましょう。これ（上写真）は唐津鉄斑文水指という名称で重要文化財に指定されている壺でかつて萬野美術館に収蔵されていたものです。斑唐津と呼ばれる手で、素地は唐津独特の鉄分のある堅い土、その上にやや青みを帯びた失透性の藁灰釉がかかり、腰から下は露胎となっています。器形は口が広く、腰が張っ重要文化財唐津鉄斑文水指高17.7cm口径12.7cm胴径20.6cm底径9.3cm相国寺蔵

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48料理人として長くうつわに接し、食文化から工芸や民藝に流れる美意識というものを探究し続けてこられた土井善晴さんに古美術の世界を探訪していただく「美の仕事」。今回は、塩笥特集との連動企画として自在屋・勝見充男さんのご自宅を訪ね、酒器と塩笥コレクションにふれていただきました。スペシャルバージョンでお送りします！土井善晴の美の仕事第１５１回自在屋（東京）勝見さん家の塩笥と酒器

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49●美術商にして蒐集家のコレクション「美の仕事」というこの連載は、ふだんの生活ではあまりふれることのない〝知らない世界〟を体験できる貴重な機会ですが、最初はいつもドキドキしながら扉を開けます。でも今回は、以前何度かご一緒したことのある勝見充男さんがお相手ということで安心してうかがいました。勝見さんは昭和の初めから続く「自在屋」という骨董店の４代目ですが、現在

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58【連載】森孝一（美術評論家）第三回安宅英一を支えた人々青花窓絵草花文面取壺朝鮮時代（18世紀前半）／高24.7cm大阪市立東洋陶磁美術館（安宅昭弥氏寄贈）写真：六田知弘美の旋律安宅弥吉・英一の真実大いなる美の遺産「安宅コレクション」はどのように生まれたのか？をたどる本格評伝

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59安宅弥吉と多田平五郎（1894年撮影）多田平五郎と住友林業多田平五郎は安宅弥吉の刎ふんけい頸の友である。一八八一（明治十四）年、多田左平の四男として石川県金沢市殿町三番地に生まれ、弥吉より八歳年下になる。この二人が何時出会ったかであるが、弥吉が上京する時、多田はまだ八歳であり、住んでいる場所も違うので、上京以前に知り合っていたとは考えにくい。安宅弥吉と多田平五郎が二人で九四（明治二十七）年十一月三日に撮った写真が残っている。弥吉が東京高等商業学校（現・一橋大学）の制服着用、多田は開成中学の生徒（一三歳）である。この写真から二人は石川県出身者の寄宿舎「久きゅうちょうかん徴館」で知り合ったものと考えられる。弥吉は久徴館時代に鈴木大拙と出会い生涯に渡る友情を育み、八歳年下の多田と出会い「刎頸の友」となった。弥吉は九五（明治二十八）年に大阪の貿易商・日下部商店に就職し香港支店の責任者となり、多田は九八（明治三十一）年に開成中学から石川県立中学に転校している。住友史料館の『人事記録』によると、多田は一九〇五（明治三十八）年七月に第四高等学校卒業、一〇（明治四十三）年九月に東京帝国大学法科大学政治学科卒業、住友本社に入社し別子鉱業所に勤務、一八（大正七）年に総本店勤務となり、一九（大正八）年に東京販売店支配人になる。二一（大正十）年に住友合資会社林業所の支配人となり朝鮮に赴任、三一（昭和六）年内地勤務、三三（昭和八）年に住友ビルディング常務取締役に転任し、三五（昭和十）年十二月二十八日に退職している。同郷で、大学の先輩でもある小倉正恒（一八七五～一九六一）に誘われて住友に入社したものと思われるが、小倉も大学の先輩で農商務省出身の鈴木馬左也（一八六一～一九二二）から誘われて、内務省（現・総務省）の土木監督署事務官を退官し住友に入社している。一八（大正七）年、小倉が住友本店理事長に就任すると、その翌年、林業課が設置される。二一（大正十）年に住友合資会社に改組されると林業課は林業所となり、小倉は住友合資会社常務理事に就任する。同年、多田は林業所支配人となり朝鮮の京城を訪れている。朝鮮の国有林（一九一〇年の韓国併合によって大日本帝国国有林となった）に植林を行うためで、そこで林業試験場に勤務していた浅川巧（一八九一～一九三一）と知り合い、伯教（一八八四～一九六四）・巧兄弟から朝鮮陶磁の魅力を教えられた。その多田に、弥吉は英一と吉田道子との結婚（二五（大正十四）年九月、「その二」に既述）の仲人を依頼する。恐らく親美の旋律｜安宅弥吉・英一の真実

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66数寄者の眼差し連載三浦和子宮武慶之息づく、侘びのこころ♯３数寄者・茶人の研究をし、自身も茶席をもつ稀有な研究者である宮武慶之さん。数寄を実践している先達の方々を訪ね、数寄について語らいつつ、過去の数寄者に学ぶべきこと、現代の数寄とは何か、未来への視点を伺います。今回は袋師の三浦和子さんと、貴重な円山応挙が写した裂帖と三井家旧蔵の名物裂帖を拝見しながら、名物裂への数寄者の視点を考えます。円山応挙写名物裂鑑三井家伝来安永８年（1779）個人蔵裂を写生した名物裂鑑。円山応挙が三井家に依頼され、一芳館が秘匿する切鑑（きれかがみ）を描いたと跋文に記されている。

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67三浦この円山応挙が描いたとされる裂帖は、ある方から私の友人が頂戴したのですが、もとは更紗を描いた屏風とセットでした。屏風があるということは、宮武さんはご存知でしたよね？宮武２０１４年に福岡市立美術館の「更紗の時代」展でこの裂帳とともに展示された応挙が原画を描いたとされる更紗の屏風（70頁図１）ですね。応挙が写した更紗文様を弟子の奥文鳴と長澤蘆雪が清書したという屏風は以前から知られていて、左隻の左下部分に貼ってある跋によると、応挙は更紗の文様に非常に興味を持ってたくさん書きためていて、それを清書したと書かれています。三浦先生から応挙の屏風とセットの裂帖があることを伺って非常に関心を持ちました。三浦この裂帳は、応挙が石畳や角龍の金襴など名物裂を描いた作品です。金襴の金糸も見事に表現されています。その制作背景が興味深く、跋文を見ますと、一芳館が所持している裂帖がとても良いものなので、それをお借りして応挙先生にこれを写していただいたと書かれており、安永八年、三井所蔵とあります。そして最後に「名物切鑑、三井主人の求めに応じて応挙写す」と書かれています。この三井主人が誰なのか、研究者の方に問合せましたが、こういった裂帖写しがあることも知らなかったというお返事でした。宮武こうしてつぶさに拝見しますと、まず非常に精密に描かれている。なにより裂地の風合い、褪せた色合いや沈んだ金の味わいなども忠実に写し取ろうとした姿が見られて、本当の裂地を見ているようです。三浦本当にすごいですね。繊維の一本までわか円山応挙が描いた名物裂宮武今日はよろしくお願いいたします。三浦先生は名物裂をたくさん修復されたり、数寄者の求めで袋を作ったりしてこられて、よくご存知と思いますので、裂を愛する人たち、豪商や数寄者の名物裂への関心についてお伺いしたいと思います。まず最初に円山応挙が三井家の求めに応じて描いたという裂帖があるということで、三井家の裂帖を中心に、三浦先生からご教示いただけたらと思います。円山応挙写名物裂鑑（P66）の跋文と署名名物裂鑑の表紙三浦和子（紫鳳）袋師。名物茶道具の仕覆の制作や修復を手掛ける。10代から裏千家茶道を学ぶ。名物裂・時代裂を多数所持している。著書『袋師が見る数寄の名脇役茶の裂』（淡交社）裂帖を鑑賞しながら対談する三浦和子さんと宮武慶之さん

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池坊専｜生け撮り語る花ノ風物宗◎連載

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長い取手に注ぎ口が二つ。中は、結構な量の酒が入るように見える。あっちに注ぎ、そっちに注ぎ、「こっちにも入れてくれ！」なんてにぎやかな笑い声が聞こえてきそうだ。ばらばらでひとりと同じでない人と人を、酒がつなぐ。枝と草、つぼみや球根まで知らないもの同士をつなぐのは、水。すべてが混ざって、夜は更けていく。時代を超えて、アートというものがあったのだろうか。天啓当時、思い切りよく梅を芥子色が掃き流していく。それから四百年、私たちも今を生きなければならない。当時の工人の手仕事に触れ、境を超える瞬間の楽しみを覚えて。卯月｜木瓜、矢車草、チューリップ今月のお店大塚美術［南青山］日本と朝鮮半島の古陶磁を中心に、螺鈿、漆器、木工品、絵画、仏教美術など東洋古美術を幅広く扱う大塚美術。また近年は近・現代アートと古美術を取り合わせたしつらいの紹介や、WEB上での企画展などにも力を注いでいる。所在地：東京都港区南青山5-14-4河合ビル1階電話：03-3486-7610交通：東京メトロ「表参道」駅徒歩10分www.otsuka-art.comもうひと花天啓赤絵四方壺柿右衛門八角盃古染付桃形向付万作メラレウカムスカリ根来両口銚子室町時代

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株式会社目の眼定価2420円本体2200円目の眼ISSN0386-1481雑誌08641-044・5月号通巻586令和8年3月15日発売（隔月15日発売）東洋古美術東京都中央区日本橋3-8-5Tel.03-3271-1835htt㎰://kochukyo.jp壺中居491208641046702200美との伴走−春−酒器コレクション入札会同コレクションの小山富士夫作品も出品されます｜下見［入札］｜4月15日（水）～25日（土）４月20日（月）・21日（火）休廊11時～18時最終日公開開札のため下見・入札は15時まで本紙136-137頁をご覧ください４月上旬より、壺中居特設頁にて出展全作品を公開。QRコードからアクセスしてください。

