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# 【試し読み】目の眼2026年2・3月号

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須恵器骨董古美術誌2026No.5852・3美の仕事茂木健一郎ChangetheWorld世界を変えたやきもの

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No.5852・3［表紙］長頸壺古墳時代長谷雄堂明けましておめでとうございます。［表紙デザイン］川島卓也（川島事務所）今年、愛知県陶磁美術館を皮切りに30年ぶりという大規模な須恵器の展覧会が開催されています。須恵器だけの展覧会というと地味な印象を持つ方が多いようですが、須恵器は古代日本にとってはじめてろくろで成形し、窯を用いて高温で焼き締める技法で作られた画期的なやきものでした。水が浸みにくく、貯蔵に適していたため、須恵器を使うことで生活スタイル、食生活も大きく変わったと考えられます。昭和時代に洗濯機やガスレンジができた時のようなものだったでしょう。須恵器の技法が伝わったのは古墳時代。それまでも土師器を用いて古墳の上で祭祀が行われたりしていましたが、それに最新海外ブランドである須恵器が加わります。そのかたちは朝鮮半島のスタイルに日本の伝統も加えられたものへとなっていきます。こうした文化の融合は、いつの時代も変わらず、続いていくのだと思います。ふたつきそうして生まれた須恵器は、甕・蓋杯などの実用品がたくさん作られましたが、ゴージャスな装飾の儀礼用・副葬品から、現代の目でみてもスタイリッシュなもの、今では何に使ったのかわからない謎なうつわまで、多種多様です。ぜひ古代日本の人々に新しい世界をもたらした須恵器をご覧いただきたいと思います。特集では展覧会のご紹介はもちろん、コレクター、古美術店にご協力いただいて、鑑賞できる須恵器、花を引き立てる須恵器、興味や憧憬をかき立てる須恵器をご紹介していただきました。ぜひ「渋い」魅力をご堪能ください。3

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Contentsコラム7［煎茶ノート］佃梓央9［骨董片々録］勝見充男11［大英博物館］矢野明子特集14須恵器ChangetheWorld世界を変えたやきもの18大西遼さんとあるく特別展ThisisSUEKI——古代のカタチ、無限大！愛知県陶磁美術館29須恵器のススメ古美術長谷雄堂34手に取る須恵器傍らで愉しむ古美術陣屋36須恵器のルーツ韓国の土器に魅せられて川口美術42須恵器と花Ⅰ花がなくとも古美術山法師44須恵器と花Ⅱ須恵花あそび48須恵器コレクション𤭯のかたち連載54美の旋律安宅弥吉・英一の真実【新連載】「安宅ファミリー」の形成森孝一58数寄者の眼差し【新連載】息づく、侘びのこころ（2）藪本俊一／宮武慶之62菓子皿考小菓子と石の皿内田風知65七つの海を渡る中国陶磁いわゆる「新渡」のやきものについて（3）金立言68寄り添うかたちお面宇井浩一70ほっとけない仏たち大阪１金剛寺の金堂三尊（河内長野市）青木淳117美の仕事林田画廊茂木健一郎126花ノ風物上原永山堂池坊専宗寄稿80武州金沢に残された藤原盆飯塚玲子49須恵器のはにわ浜松市地域遺産センター50須恵器と花Ⅲ静かな須恵器草友舎52須恵器と花Ⅳ花を生かすうつわ綵花堂トピックス&レポート75オークション情報JoʼsAuction／大酒器展［しぶや黒田陶苑］76一杉コレクション展―魅惑のインドネシア染織―［福岡市美術館］78カタリウム［アーティゾン美術館］82サムライ展［大英博物館］84CURATION⇄FAIRTokyo85オークション情報和器競売オークション74書評92美術店案内マップ110骨董市・展覧会情報116次号予告5

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大甕古墳時代（5世紀前葉〜中葉）猿投窯個人蔵特別展「ThisisSUEKI須su恵e器ki世界を変えたやきも14特集◎−古代のカタチ、無限大！」出展六田知弘氏撮影のWorld

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Change須恵器は、古墳時代中期の４世紀末に、朝鮮半島から新しい技術が伝わったことで作られはじめました。新技術とは、ろくろで成形し、窯を築いて焼くことです。硬く、水が浸みこみにくい須恵器は、水甕や貯蔵用の壺に最適で、人々のくらしを大きく変えたことでしょう。the取材協力：愛知県陶磁美術館／京都国立博物館／浜松市地域遺産センター／長谷雄堂／陣屋／山法師／草友舎／綵花堂撮影：石黒惇／小林后子（目の眼）企画・構成：小林后子（目の眼）三重県指定有形文化財高杯形器台古墳時代（5世紀前半）高24.5㎝三重県津市六大Ａ遺跡出土三重県埋蔵文化財センター蔵特別展「ThisisSUEKI−古代のカタチ、無限大！」出展中野耕司氏撮影

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別︱︱古代のカタチ、無限大！あるく特展ThisisSUEKI愛知県陶磁美術館学芸員大西遼さんと18特集◎

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19２０２５年12月13日から始まった特別展「ThisisSUEKI︱古代のカタチ、無限大！」は、全国から２００点以上の須恵器と朝鮮半島の陶質土器を集めた展覧会です。これほど須恵器を一堂にした展覧会は約30年ぶり。愛知県陶磁美術館から始まり、兵庫、山口、東京と全国４箇所を巡回します。須恵器とはどんなやきものなのか!?この展覧会を観たら、須恵器の全貌がわかること間違いなし！展覧会を担当された愛知県陶磁美術館学芸員の大西遼さんに会場を案内していただきました。愛知県陶磁美術館特別展「ThisisSUEKI︱古代のカタチ、無限大！」展示風景手前右から円窓付台付壺古墳時代（５世紀前葉〜中葉）猿投窯愛知県埋蔵文化財調査センター／長頸瓶奈良時代（８世紀前葉）湖西窯ＭＯＡ美術館蔵／装飾付台付壺古墳時代（６世紀）京都国立博物館蔵

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愛知県陶磁美術館特集展示もThis,Too,isSUEKI特別展「ThisisSUEKI−古代のカタチ、無限大！」の開催に合わせ、愛知県陶磁美術館では特集展示でも須恵器をより深掘りする展示を行っている。“BeforeSUEKI”、“SUEKIAGE”、“AfterSUEKI”、“AnotherSUEKI”の４つに分け、館蔵の名品で構成されている。特別展のあとは階も廻ろう。BeforeSUEKIでは紀元前の中国の灰陶から横瓶古墳時代後期（７世紀）伝・三重県答志島出土SUEKIAGE愛知県陶磁美術館蔵重要文化財灰釉多口瓶猿投窯愛知県みよし市・黒笹36号窯跡出土平安時代初期（8世紀末）本多静雄氏寄贈愛知県陶磁美術館蔵世紀に灰釉陶器を完成させる直前の作例。「新たなやきものの夜明け」と解説に書かれている。有名な名品に再会して、改めて須恵器からのやきものの流れに思いを馳せよう愛知県陶磁美術館の敷地はとても広い。ここはかつて猿投窯と瀬戸窯があった丘陵地で、古窯跡が展示公開され、復元窯もある。国内外の陶磁器が収蔵される一大施設であり、数々の陶磁コレクションが収集され、現在は８千点以上の館蔵品を有し、愛陶コレクション展「世界はやきものでできている」などで世界中のやきものを観覧できる。1月には南館が「デザインあいち」としてリニューアル！AfterSUEKI須恵器を受け継ぐ中世の珠洲焼AnotherSUEKIバラエティに富む須恵器の世界！28

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29須恵器のススメ長谷雄堂特集◎長谷雄堂の店主長谷川雄一郎さんは神道美術や縄文土器が得意なことで知られていますが、古代美術がお好きで、須恵器にも力を入れています。古美術としての須恵器の魅力を伺いました。把手付碗３点中央が高７・４㎝

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特集◎手に取る須恵器台付長頸壺高13.0㎝傍らで愉しむ陣屋34

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35「須恵器は落としなしで使えるものが多いので、日常使いにいいですよ」と陣屋店主の田中恵子さん。仏像や古瓦、漆椀、陶磁器などが並ぶその傍らに、棚に置いたりするのにいい、小ぶりな須恵器が数点置いてあった。花入れの敷板や垂撥として欠かせないお寺の古材もたくさんある。そのうちの一枚を壁に立てかけ、隣に堤瓶を掛けると、ずっと昔からそこにあるかのようだった。「ミニチュアといえるほどではないけど、小さくて姿の良い須恵器は得難いものです」人の手に馴染んだかのように丸みを帯びた須恵器から、ぬくもりが伝わってくるようだ。古美術陣屋住所東京都杉並区西荻北3-3-6センチュリー西荻窪電話03-3394-0789営業時間不定休要予約アクセスJR西荻窪駅から徒歩5分https://jinya.infoart_jinya耳付提瓶高11.5㎝

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36韓国の土器に魅せられて川口美術特集◎須恵器のルーツ京都にある川口美術の店主川口慈郎さんは、長年韓国の骨董を専門に扱われています。なかでも古代朝鮮半島のやきものがお好きで、実物を見ることでその歴史や文化の特徴を感じられるといいます。須恵器のルーツである韓国の土器についてお話を伺いました。器台と長頸壺伽耶高40㎝（合わせて）窯の中で長時間焼成されたため、灰釉が厚くかかり、壺と器台がくっついてしまったと考えられる

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37︱︱川口さんは韓国の土器をみて古美術商になろうと思われたと伺いましたが。川口実は私は伽耶土器が一番好きなんです。伽耶というのは朝鮮半島の南、今の釜山市から大テグ邱市にかけて洛東江沿いにあった国家群です。３世紀から６世紀くらいまで存続したようですが、新羅、百済、高句麗の三国時代に新羅に吸収されました。伽耶というのは、西アジアからきた騎馬民族で、高度な鉄文化を持っていたと言われています。高温で焼ける窯の技術を持っていて、その技術で硬くてうすい金属器のような硬質土器を焼くことができたんですね。私はその土器を見て、こういう素晴らしい土器が古代にあって手に入れることができるのなら、私はこれで商売をさせてもらいたいなと思ったんです。私が伽耶土器を見たのは１９９３年頃なんですが、今から思うと、その頃の韓国は高速道路をどんどん作っていて、工事で地面を掘るので土器が大量に出土して、市場に出回ってい川口美術の２階に取材のため、硬質土器をたくさん展示していただいた国立金海博物館の図録を見ながら教えてくださる川口慈郎さん内側にも釉が大量にかかり大きな火ぶくれがある

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42花がなくとも古美術山法師特集◎須恵器と花Ⅰ山法師の関口めぐみさんが須恵器が好きなことは以前から知られている。店が花の名だからお花も好きに違いない。そこで、花を生けた須恵器を撮影させてくださいとお願いした。お店に伺うと、花どころではない模様を描いて流れる自然釉の大きな樽形𤭯はそうが。釉の下には波状文がびっしり。両側のカキメもまだ回転しているような迫力だ。樽形𤭯高17.7㎝

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43樽型𤭯にめぐみさんのお母様が紅葉した葉とバラの実を生けてくださった。これが不思議と合う。さすがの腕前だ。「須恵器は花が映えるのは確かですけど、私にとってそれは重要じゃないですね」と関口さん。好きな理由はやはりかたち。樽形𤭯もその大きさと均整のとれた姿がポイント高い。そして小壺を４点出していただいた。「今まで見た崇すうふくじ福寺形で一番かたちがいいんですよ」と嬉しそうに見せてくれたもの（上掲中央）は、胴部がふくらんでいて、写真でみたら大壺かと思いそうだ。一つは𤭯と一瞬思ったが、穴がない。小さな長頸壺だ。「こんな小さいのは珍しいですよ」。しかも小さいながら肩が張ってとても丁寧なつくり。須恵器好きの関口さんチョイスはかたちが決め手だった。古美術山法師住所東京都新宿区下落合3-21-61F電話03-6908-0355開廊時間不定休※開店日はインスタグラムでお知らせしますアクセスJR目白駅から徒歩10分yamaboushi_mejiro長頸壺高11.8㎝崇福寺形華瓶左から高10.4㎝高11.0㎝高10.4㎝上：崇福寺形とは、滋賀県大津市にある天智天皇創建と伝わる崇福寺跡から大量に出土したことから呼ばれる通称左：樽形𤭯の両端に刻まれたカキメ

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須恵花あそび特集◎須恵器と花Ⅱやきもの好きなコレクター氏に須恵器はお持ちですかと伺ったところ、いくつかありますよとお返事いただいた。植物もお好きで、お庭で様々な草木を育てられている。古陶に山野草の鉢を入れ、お部屋に飾られたりと楽しまれているので、ぜひ撮影させてくださいとお願いすると「須恵器には鉢が入りそうなかたちはないですね。花が得意な方といらしたら。お庭の花はいくらでも摘んでいいですよ」と言ってくださった。撮影に伺ったのは気持ちのよい秋晴れの日。即興的でぜいたくな須恵器と花の撮影会をさせていただいた。花（44〜46頁）：瀬尾真奈（綵花堂）広口長頸壺に侘助と末枯れの葉を入れて

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45お庭のさざれ石のような岩に様々な紅葉葉が降り落ちていた。自然と増えているという季節知らずの蛇苺を蓋杯に。移り変わる昔と今を感じてしまう

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48𤭯はそうのかたち特集◎須恵器コレクション十数年前、骨董店で𤭯を見た。面白いかたちだとそそられていたら、「それならあげますよ」と言われ驚いた。口縁が割れているとはいえ、古墳時代のものがもらえるとは。その後、目白コレクションに10㎝ほどのかわいい𤭯があった。緑の自然釉がかかっていた。30万円以上と聞いて驚いた。𤭯にもいろいろあることがわかってきた。頸が短いもの、細く長いもの、下からすぐにラッパ状になるもの、色も厚みも違う。樽形や子持のものもある。孔に竹筒を挿し、祭祀に使ったのだとか。古墳時代、色々な土地で作られた不思議なかたちだ。はそう好きコレクターＹ氏のつぶやき

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画像提供：浜松市文化財課49𤭯はそうを捧げもつ巫女と壺のような男子像特集◎須恵器のはにわ静岡県浜松市郷ヶ平６号古墳須恵器が作られるようになった５世紀以降、同じ技法で作られた埴輪も登場した。特に猿投窯のある愛知県では須恵器質の円筒埴輪が数多く作られ、尾張型（猿投型）と呼ぶそうだ。２０１３年に発掘調査が行われた浜松の郷ヶ平６号墳からは胴部が壺状に膨らんだ須恵器質の埴輪が全国ではじめて出土した。本来、埴輪を作る工人と須恵器を作る工人は分かれていたが、須恵器の工人が埴輪を作ることになり、壺を作る要領で制作したのではないかという。𤭯を捧げもつ巫女の埴輪も須恵器質で、昭和20年代に胴部が郷ヶ平６号墳から出土し、近年類例を参考に復元された。𤭯の使われ方がわかる貴重な埴輪だ。郷ヶ平６号墳出土人物埴輪6世紀前半須恵器質上：𤭯を捧げもつ巫女下：胴部が壺形に膨らんだ鎧をまとった武人（左）と男子像２体浜松市地域遺産センター蔵所在地：静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷616-5開館時間：9時～17時（最終入館16時30分）休館日：月曜日祝日の場合は翌平日休館問合せ：053-542-3660アクセス：浜松駅バスターミナル15番のりば遠鉄バス「45奥山行」に乗り、「神宮寺」停留所下車徒歩５分古代のはままつと須恵器2月21日（土）～5月6日（水）浜松市地域遺産センター

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50静かな須恵器草友舎特集◎須恵器と花Ⅲ須恵器のかたちは定形があって、色もみんな灰色だから面白みがないと思われるかもしれない。しかし、これは古美術全般に言えることだが、一つひとつを見ると、全く同じものはない。草友舎の五十嵐真理子さんは、古いもののささやかな違いを感じとり、それを大切に愛でている。お店に入ったとたん、飾られている高坏がとても背が高く見えてハッとさせられた。「見かける多くの高杯は上部が碗形になってますけど、これは脚の長さと相まって、ちょっと未来の形みたいで面白いなと思って」と五十嵐さん。高坏は6世紀から7世紀にかけて、主に祭礼や儀式で使われたと言われている。ほっそりとした姿の笹を生けた高杯に、淡い色調の表装を施した良寬の掛軸が合わせられ、高坏高16・8㎝

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51書に捧げるような空気が室内に広がっていて清々しい。小ぶりな平瓶は、背のラインと肩のエッジが際立っており、こういう特徴のあるものも、探してみると意外と出会えないものだ。須恵器は伝わっている数が多いので、比較もたくさんでき、自分の好みが見つけやすい世界。崇福寺形水瓶も口が欠け、穴があき、ひっつきや釉のはがれがあって超個性的だが、高温で焼けたつややかな肌と残る緑色の自然釉で短所を帳消しにしている。自分草友舎住所東京都千代田区九段北3-2-2BRロジェA-1電話03-3561-7605開廊時間不定休※開廊日はインスタグラムでお知らせしますアクセスJR・地下鉄市ケ谷駅から徒歩5分程度https://www.so-yu-sya.com/so_yu_sya平瓶高7.0㎝崇福寺形花瓶高11.1㎝装飾須恵器残欠牛では気付かなかった良さを見せてもらった気がした。装飾須恵器に付いていた牛も見せていただいた。残欠でもめったに出ないもので、嬉しい出会いだった。

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綵花堂特集◎須恵器と花Ⅳ花を生かすうつわ52猿投長頸壺21・5㎝二月堂焼経高

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須恵器𤭯高7.5cm53綵花堂住所東京都千代田区三番町7-13三番町パークマンション204号室電話03-6261-3501開廊時間不定休※開廊日はHP、インスタグラムでご確認くださいアクセスJR・地下鉄市ケ谷駅から徒歩5分程度https://www.saikado-artgallery.com/saikado_artgallery年２回お店で花をテーマにした「花と古美術」展を開催している綵さいかどう花堂の店主瀬尾真奈さんは、古美術商になったのもお花がきっかけと伺った。展示会では色々な花に合う古美術の提案をされているが、必ず須恵器、猿投は何点か展示されているように思う。ちょうど４回目の展示会直前に取材をお願いすると、ご自分ではじめて表具組みをしたという二月堂焼経に合わせて、釉色とつやが美しい長頸壺に花を生けてくださった。須恵器の長頸壺は仏教法具として用いられる水瓶のかたち。金属器を模したものだ。当然ながらふさわしい取り合わせだが、表装に使われた古裂の色と須恵器の色もよく合って、品がいい。瀬尾さんがお好きという蔓や末すが枯れの稲系の長い葉は、須恵器と実に相性がいいようだ。砧形須恵器高20.5cm白瓷灰釉壺高9.5cm

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54【新連載】森孝一（美術評論家）第二回「安宅ファミリー」の形成国宝／青花蓮池魚藻文壺元時代（14世紀）／景徳鎮窯／高28.2cm大阪市立東洋陶磁美術館（住友グループ寄贈／安宅コレクション）写真：六田知弘美の旋律安宅弥吉・英一の真実大いなる美の遺産「安宅コレクション」はどのように生まれたのか？をたどる本格評伝

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55官営八幡製鉄所との取引で信用を築く一九一一（明治四十四）年、次男・重雄が誕生する。一九一四（大正三）年四月、英一は兵庫県立第一神戸中学（現・兵庫県立神戸高等学校）に入学。一中時代の同級生に有馬大五郎（後にＮＨＫ交響楽団副理事長、国立音楽大学学長）がおり、親友として晩年まで往来する。妹・登美子の「兄の思い出―音楽のことなど」（椎木輝實・宗施月子編『美を追い求めた九十年―安宅英一氏追想録』中央公論事業出版）には「兄は私が練習するビアノに惹かれて、母静子に頼んで練習を始め、十六歳の頃には月一回上京、高折（宮次）先生のレッスンを受けるようになりました」とある。英一は幼少の頃から普通のおもちゃには目もくれず、音の出る玩具に夢中になる子供だったという。住吉にあった弥吉の自宅の庭園は小川治兵衛の作庭であり、英一は当時その一角の洋館に住んでいた。弥吉の妻・静子（戸籍名は奈良江）は、安宅光雄（弥吉の孫）の文章（『甲南女子学園一〇〇年史』収録甲南女子学園創立者安宅彌吉）を読むと「関西で事業をしていた薩摩（鹿児島）商人の系統」だという。さらに「静子は邦楽にのめり込んでいて、とりわけ箏ことの名手であり練習や演奏を生涯欠かしませんでした。また和服にも高度な見識と趣味を有していました。（中略）英一が齢五〇歳に達して満を持して陶磁器収集を開始したとき、彼には母親が邦楽や着道楽で涵かんよう養した美意識と美への感性が受け継がれ、父親が与えたピアノの学習と六年間ものロンドン滞在経験があり、そこに多田平五郎（後述）から教わった朝鮮陶磁器に関する具体的実務的知識も加わっていました。これに更に一定の地位と財力がつけ加わり、次の四半世紀に英一が執念を燃やし品格・品性という指標に照らしつつコレクションを完成させていったものと理解できます」と、安宅家の家庭環境に触れた興味深い文章を書いている。一九一四年七月、第一次世界大戦が始まると、世界的に物資不足になり、戦禍を逃れた日本の商社がグローバルな取引を拡大する。安宅商会も大戦による好景気の恩恵を受けて業績を拡大した。国内の販売先は「鉛」が住友電線、藤倉電線、日本ペイント、「亜鉛」が日本ペイント、堺化学、住友伸銅所、「錫」が川崎造船所、八幡製鉄所、「銅」が住友電線、藤倉電線である。特に官営八幡製鉄所に食い込み、産出される鉄鋼を取り扱うことになったことは大きい。日清戦争の賠償金で築かれ、日本の産業の牽引車となった八幡製鉄所との取引は、なによりも「官営」であるがゆえに、安宅商会の取引先の信用を得ることができた。そして、弥吉の提唱により、この年「大阪貿易協会」が設立された。一九一七年（大正六年）四月、英一は大阪高等商業学校に進学するが、音楽部がないので中退、神戸高等商業学校（現・神戸大学）に入学する。この年、弥吉は大阪商工会議所議員に当選し、常任理事となる。一九一九（大正八）年に安宅商会を株式会社に改組し、「経営者と社員は運命共同体でなけ美の旋律｜安宅弥吉・英一の真実

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58数寄者の眼差し新連載藪本俊一宮武慶之息づく、侘びのこころ♯２数寄者・茶人の研究をし、自身も茶席をもつ稀有な研究者である宮武慶之さん。数寄を実践している先達の方々を訪ね、数寄について語らいつつ、過去の数寄者に学ぶべきこと、現代の数寄とは何か、未来への視点を伺います。今回は古美術藪本の藪本俊一さんと、古美術を深く愛したことで知られる作家の川端康成のものを見る眼を通じて、数寄のこころを語り合っていただきました。

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59遅れている言い訳なんです（笑）。お金がないのに超一級のものを買われるので、父は「川端先生は（金銭的には）分不相応な品を買われた」と言ってました。朝日新聞に新聞小説を書くからと原稿料の前借りをしていたんです。だから父は川端先生の新聞小説は借金の埋め合わせだなんて冗談で言ってましたよ。川端先生の手紙には「空襲で焼けたと言われていたものが、実は焼け残っているそうです」といった内容のものもあります。やはり何かネットワークがあって、好きな人のところにはそういう情報が集まったんですね。終戦後、財産税というのができて高価な美術品には重い税がかかるというので、焼けましたと届けを出した人も多かったんです。ところが大方の名品は秘蔵されていたわけです。よく知られた話ですが、浦上玉堂の「凍とううんしせつず雲篩雪図」もそうです。川端先生が所蔵していた小浜の旧家を訪ねて、拝見したいと頼んだら「届け出の通り、焼けました」と言われたそうです。その数ヶ月後に父に見せられて値段も聞かずに買われました。昭和25年の春のことで値段は27万円。代金は朝日新聞の小切手で頂戴したそうです。結局多くの名品が焼けずに残っているのは、戦争中、コレクターがみんな大事に持って逃げてくれているからです。ものの方が持ち手を選んで生き延びているように思えます。今残っているものよりいいものもあったでしょうが、間違ったところに行ったものは消えてしまった。そのように思いますな。こと、川端先生が茶会で観阿の箱書がある茶杓を使われていたことで、ご縁があると思い、茶席の掛け物にいたしました。藪本丁寧に書かれていて、いい字ですね。私の父が川端先生は最初、墨跡のような字を書いていたと言っていました。晩年にはだいぶ書風が変わられましたが。宮武鳩居堂の和紙の便箋に筆で書かれています。昭和16年から同17年頃のことで、川端先生が42、43歳の頃の字です。藪本さんのお父上宗四郎さんと川端先生もだいぶ手紙のやり取りがあったと思いますが、やはり筆に巻紙ですか？藪本いえ、うちにある手紙はペンで書かれた宮武本日はありがとう存じます。川端康成先生のお話を伺いたいと存じまして、私の祖母・久子（通称は萩子）が川端先生からいただいたお手紙を２通お持ちしました。この手紙は、祖母の兄・谷本寛が文学への志があったのですが、北京大学留学中に病気で亡くなりまして、祖母がそのご報告をと川端先生にお手紙を出したところ、お悔やみとお返事をいただいたものです。藪本きれいに残っていますね。宮武仏壇の下にしまわれていました。保存のためにと表具しまして、以前に福岡市立美術館で開催しました吉村観阿の展覧会に合わせて観阿の茶会をした際に、兄が福岡の病院で亡くなっているものでしたね。10数通ありましたが、川端康成記念会に寄贈しました。宮武昭和25年から26年にかけてに頻繁にやり取りされていますね。藪本よく買っていただいた時ですね。手紙の内容は「九州に行きました」とかで、父に報告する必要は全くないんですが、要するに支払いの宮武さんの祖母・久子さん（通称は萩子）宛の川端康成書簡11月13日付

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次号予告２０２６年４・５月号３月16日発売※タイトルは、変更になる場合もあります。４・５目の眼通巻585号２・３月号／2026年２月１日発行定価2420円［本体2200円］発行人井藤明子編集部井藤丈英小林后子益子梨恵安藤博祥社主櫻井恵発行所株式会社目の眼東京都中央区京橋2－12－2－3Finfo@menomeonline.com電話03－6897－9422FAX03－6721－1153印刷所株式会社シナノグラフィックス目の眼倶楽部限定配信目の眼電子増刊号予告©byMenoMeCo.,Ltd.2024法律で認められた場合を除き、本誌の全部または一部を無断でコピーすることは禁じられています。塩しおげ笥とは朝鮮半島において日常的に使用されていた小壺のこと。花の蕾のように胴が膨らみ、口縁がすぼんで先端が端反りにひらく姿が特徴で、主に塩や醬などの調味料の容器として用いられていたという。やがて日本に伝わり雑器としてさまざまな用途に使われたが、サイズが手頃で景色や姿の良いものは茶碗として採り上げられ、また近年は酒器としても注目されている。これまで〝壺〞として認識されてきた塩笥の、見立てを誘う魅力を優品とともに紹介したい。（紙版は奇数月発行、電子増刊号は偶数月発行）。『目の眼』デジタル月額読み放題サービスにて、偶数月は電子増刊号を配信中。本誌のクオリティを大切にしながら、改めて初心者向けにも骨董・古美術の楽しみ方を紹介しています。次号は東京随一の骨董街、京橋・日本橋の最新事情と春のイベントを特集します。デジタル読み放題サービスは月額880円でご利用いただけます。menomeonline.com特集塩笥（しおげ）独り楽しむ見立ての小壺＊目の眼倶楽部会員の詳細・申込方法は公式サイトをご覧ください。＊目の眼倶楽部オンラインストアでは、雑誌『目の眼』や刊行書籍をご購入いただけます。目の眼倶楽部オンラインストアclub.menomeonline.com個人蔵日本橋の風景116

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117第１５０回林田画廊（東京）２０１３年にスタートしたこの連載も１５０回を迎えました。今回は脳科学者・茂木健一郎さんと東京・京橋の「林田画廊」さんを訪ね、絵画をめぐる世界、そして画商、画廊主とはどのような仕事なのかについてもいろいろと教えていただきました。全身画商茂木健一郎の美の仕事〜脳科学者、骨董街を奔る！

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鈴木大拙書「無事」日本の仏教学者で、禅についての著作の多くを英語で著し、日本の禅文化を海外に紹介したことで知られる。林田家は鈴木家と姻戚関係で、泰尚さんからみて大拙は大叔父にあたるという。118

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119上：鈴木大拙書「無」／下：奥村土牛「薔薇」気持ちのよい空間の画廊を訪ねる編集部の井藤さんが、「茂木さん、今度は絵画をゆっくり見ていただきます」と言う。これまでの取材の中で、私が比較的絵画に惹きつけられやすいということを見抜いていたのだろう。そこで、京橋の林田画廊にお邪魔した。井藤さんが、絵画ならば、ということでアレンジしてくださったのである。『目の眼』で画廊さんを取材するのは初めてである。迎えてくださったご主人の林田泰尚さんは、穏やかで、名前からの連想ではないが「泰然」とされた方だった。林田画廊は設いの整った気持ちの良い空間で、まず目についたのは鈴木大拙の軸だった。縁があって伝わる一品で、今日のために奥から出してきてくださったのだという。「無事」とある。鈴木大拙は言うまでもなく海外に禅を広げた大家で、伝わるものが深く響く。大拙が書く「無事」の二字は、もはやその人の生き方と一体化しているように感じる。軸の下には、河井寛次郎による器が置かれていた（１２７頁下）。柳宗悦が持って来たものだという。河井寛次郎の作風は、柳宗悦との出会いで変わったことは良く知られている。だから、一つの「文化的記念物」である。「匂いがしますかね」と林田さん。つい最近まで、家で梅干しを入れていたのだという。そのような普段使いの伝世品は本当に尊い。古代の日本でも、伝世品を改めて埋葬した事例があるらしい。人の近くにあってこそ、増していく意味と、風合いがある。奥村土牛の薔薇の絵。「土牛先生はとても仲良かったので、小学校の頃、お家に遊びにいって、版画のハンコを押すお手伝いをしていたことがあります。」と林田さん。

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