Bookmark
Bookmark

福島県政150周年記念誌

ごあいさつ福島県政150周年記念誌の発刊に当たり、御挨拶を申し上げます。いわさき明治9年(1876年)8月21日、旧福島県、磐前県、若松県の合併により、ほぼ現在の福島県の形が誕生しました。そして、令和8年(2026年)8月21日、福島県は、県政150周年を迎えました。この150年の歩みは、正に、「挑戦」の歴史そのものであります。先人たちは、どんな困難に直面しようとも、郷土の発展を願いながら努力を積み重ね、起き上がり小法師のように幾度も立ち上がり、それらを一つ一つ、乗り越えてきました。そして今、私たちは、東日本大震災と原発事故からの復興・創生や、急激に進む人口減少、度重なる自然災害への対応など、様々な課題に向き合いながら、福島の未来を信じて挑戦を続けています。そうした挑戦の歴史の中で、福島県人が共に励まし合い、支え合いながら、守り育ててきた郷土への熱い思いと誇りこそが、「ふくしまプライド。」です。この「ふくしまプライド。」を、次の世代につないでいくことは、今を生きる私たちの大切な使命です。今日の福島県の礎を築いてくださった先人たちと、福島を応援してくださる国内外の皆様に、改めて深い敬意と感謝の意を表しますとともに、これからも、県民の皆様、そして、本県に心を寄せてくださる多くの方々と力を合わせ、笑顔と希望に満ちあふれた福島県を創造するため挑戦を続けてまいります。本記念誌では、150年にわたる福島県の歩みと、分野ごとの主な出来事などをまとめています。是非、多くの方々に御覧いただき、福島県の挑戦の歴史と誇り、「ふくしまプライド。」が未来へとつながっていくことを心から願っております。2福島県政150周年記念誌

福島県人への敬意をこめて監修者福島大学名誉教授吉村仁作プロフィール1944年生まれ、広島県出身1978年、一橋大学大学院社会学科研究科博士課程満期退学。福島大学人間発達文化学類(旧教育学部)で教授、学類長(教育学部長)を務められた後、現在、同大学名誉教授福島県は、大別して、会津、中通り、浜通りの三つの地域から成っています。江戸時代までは、それぞれの地域のつながりは希薄でしたが、県として成立してからは、地域の特性を生かしながらも、一つの大きなまとまりとして発展してきました。また、様々な分野で多くの優秀な人々が活躍しています。豊かな自然環境や豊富な資源、農工業をはじめとするバランスの取れた経済発展、多彩な文化活動等県民の誇りとするところです。福島県は、成立の当初から戊辰戦争での敗戦という苦難に満ちた出発でした。その後の道のりも決して平坦ではありませんでした。この記念誌を見ても、災害、凶作、貧困、戦争など様々な困難に遭遇したことがわかります。しかし、福島県人はそれらに決して屈することなく、誇りをもって挑戦してきました。その人々の足跡を振り返り、先人の志を受け継ぎ、将来に向けて進んでいくためにこの記念誌が一助となることを祈念いたします。福島県政150周年記念事業ロゴマークについて福島県政150周年記念事業の基本理念をテーマに作成。海・山・湖…自然とともに四季がめぐる、ふくしまの風景。150年の歩みと多彩な風土をかたちにし、過去と未来をつなぐシンボルとして図案化。土地の記憶を胸に、新しい時代へと踏み出す想いを込めています。──「ふくしまクリエイターズバンク」に登録福島市の井上淳さん作成福島県政150周年記念事業基本理念について先人たちが、郷土の発展のために、様々な困難を乗り越え、積み重ねてきた150年の歴史を振り返り、それらを礎とした新たな時代の福島県の創造に挑戦する。福島県政150周年記念誌3


福島県59の市町村の皆さまから、メッセージが届いています。2026年、福島県は誕生から150年の節目を迎えます。この記念すべき節目にあたり、県内59の市町村が、地域に息づく魅力や誇り、そして次の時代への願いを届けてくれました。自然の恵み、人の絆、受け継がれる文化─。そのすべてが、福島県の力であり、誇りです。「オールふくしま」で、ともに手を取り合い、挑戦し、未来へ歩んでいきましょう。

150福島市福島県59の市町村の皆さまから、メッセージが届いています。み実・湧わくまんさい・満・彩福島市豊かな自然、歴史、そして豊富な温泉や果物などの「福島らしさ」をさらに輝かせながら、新しい魅力があふれるまちを市民とともに創っていきます。会津若松市きりりいにしえ・今輝いて未来発信会津若松市は歴史と自然が豊かな城下町。鶴ヶ城や武家屋敷が往時を偲ばせ、「宝の山」磐梯山の雄大な景色も魅力です。美味しい日本酒や郷土料理も楽しめますよ!郡山市東北の鼓動未来を奏でる選ばれるまち郡山脈々と受け継がれる開拓者精神のもと、次の100年を見据え「選ばれるまち」を合言葉に、笑顔があふれ誰もが夢を抱ける未来を福島県とともに創りあげていきます。いわき市いつでもわくわくきらきらIWAKI当市も本年、市制施行60周年を迎えます。100周年も若者たちが輝く「Well-Beingなまち」であり続けられるよう取り組んでまいります。白河市星がある。城がある。君がいる。白河~Well-beingCityShirakawa~歌枕として名高い「白河関跡」、松平定信により築造された「南湖公園」、国指定史跡「小峰城跡」など、豊かな自然や歴史・文化が息づく魅力的なまちです。須賀川市共につくる住み続けたいまちすかがわ国指定名勝「須賀川の牡丹園」などを有する緑豊かな町です。県内でも最大規模の「須賀川市釈迦堂川花火大会」や430年余の伝統を誇る「松明あかし」が開催されます。喜多方市力強い産業人が輝く活力満ちる安心・快適なまち雄大な自然環境、歴史を感じさせる建造物、喜多方ラーメンや多彩な農林産物、豊富な観光資源に恵まれ、暮らしと観光、産業が調和し、笑顔があふれる住みよいまちです。相馬市民謡と野馬追の里相馬市は、心に響く伝統の民謡や甲冑をまとった騎馬武者が集結する勇壮な相馬野馬追、美しい松川浦や新鮮な海の幸など、自然と文化に癒される街です。国見町コシヒカリとくだものの里豊かな自然で育った美味しいお米と果物が味わえます。古くから交通の要衝として発展し、国史跡の阿津賀志山防塁などの歴史遺産が活きる町です。川俣町みどりの中に光る絹のまち川俣豊かな自然に囲まれ、歴史と文化が息づく魅力的なまち。県認証ブランド「川俣シャモ」やフォルクローレ音楽祭「コスキン・エン・ハポン」など魅力満載です。大玉村小さくても輝く大いなる田舎美しい村安達太良山に抱かれた美しい景観と田園風景が広がる美しい村・大玉村。豊かな自然と人の温かさに触れられる魅力あふれる「大いなる田舎」です。ススム鏡石町未来へ「安心」「元気」、ともに“進”かがみいし唱歌「牧場の朝」のモデルとなった岩瀬牧場や、かがみいし田んぼアートで知られる緑豊かな町です。鏡石駅を中心にコンパクトなまちづくりに取り組んでいます。天栄村自然と共に人・未来を創造する村てんえい自然豊かな天栄村は、羽鳥湖や温泉、四季を通して楽しめるリゾート施設が魅力です。原生林からの豊富な湧水、果物や野菜、天栄米などの食材も存分に楽しめます。下郷町魅力あふれる未来へつなぐまち下郷歴史を感じさせる大内宿と四季折々の絶景を魅せる塔のへつりや観音沼、湯量豊富な湯野上温泉、歴史と文化、豊かな自然が訪れる人の心を和ます下郷町檜枝岐村村民一人ひとりが幸せな村づくり日本一人口密度の低い小さな村ですが、私たち村民は尾瀬の美しい自然と、280年以上続く檜枝岐歌舞伎や独自の食文化を守り、次の世代に継承していきます。只見町日本の自然の中心地「自然首都・只見」~つなぐ未来へ人と、町と、自然とともに「ともに生き、ともに想い、ともに創る自然首都・只見」~誰もが心豊かに安心して住み続けられるまちを目指します。南会津町自然と人が笑顔を育むまち~ともに生きるみんなのふるさと~本町は、3月20日に合併20周年を迎えました。ぜひ、本町へお越しいただき、豊かな自然や旬の野菜、おいしい地酒、クラフトビールなどをご堪能ください。二本松市ほんとの空が見えるまち智恵子抄に詠われた「ほんとの空」がある自然と文化が調和する二本松市。100年後の未来へ、ここに生まれ、育って、住んで、良かったと思えるまちを築きます。田村市ワクワクがとまらない自然とチャレンジがいきるまち田村市田村市は昨年市制20年を迎え、次の20年に向け昆虫の聖地田村市として、市民と昆虫が共生できる社会を目指し、福島県と市の豊かな自然を後世に繋いでまいります。南相馬市100年のまちづくり~家族や友人とともに暮らすまち~歴史ある相馬野馬追と、海と山の豊かな自然が息づく南相馬市。震災からの復興を力強く進め、未来を拓く新たな挑戦にも積極的に取り組んでいます。北塩原村輝け未来みんなの五色プロジェクト北塩原日本の湖水地方“裏磐梯”の豊かな自然と、そこに育まれた人々とともに、行きたい村から住みたい村へ次世代につながるふるさとづくりを進めています。西会津町未来を編む。幸せひろがる日本の田舎、西会津町。日常の忙しさから少し離れ、心を満たす時間を過ごせる場所、それが西会津です。これからも、どこか懐かしさや安心感を抱ける「日本の田舎」を目指してまいります。磐梯町自分たちの子や孫たちが暮らし続けたい魅力あるまちづくり名水と里山の価値を高めつつ、教育改革やDXを体系的に進め、持続可能な地域経営を追求する先進自治体として挑戦を続けています。伊達市人と緑と歴史が結び合うひかり輝く田園空間・伊達市戦国大名・伊達氏発祥の地であり、国の史跡・名勝である名峰霊山、特産のあんぽ柿や桃、伊達鶏など、自然と歴史・文化が豊かな魅力あふれるまちです。猪苗代町~笑顔・つむぐ・未来~猪苗代町は、磐梯山や猪苗代湖など豊かな自然に囲まれた町です。先人から受け継がれてきた歴史や文化、そして町民の皆さんと共に笑顔を未来へつなげていきます。本宮市「笑顔」あふれる「人」と「地域」が輝くまち福島のへそのまちもとみや自然と都市の魅力が調和し、内陸型物流工業都市としての活力が息づく本宮市。誰もが安心して暮らし・学び・働き「住んでよかった」と笑顔になれるまちです。会津坂下町やっぱり“ばんげ”がいい!~住み続けたい、やりたい事があふれるまち~人口が減少しても活力があり、町民一人ひとりが生きがいを持てる持続可能なまちを目指し、受け継いできた豊かな自然と歴史、そして美味しい食を伝えていきます。桑折町献上桃の郷こおり豊かな自然と熟練の技が育む献上桃の郷。仙台伊達氏ゆかりの史跡や伊達郡の行政・経済を担った旧伊達郡役所などが残る、自然と歴史と文化を味わえる町。湯川村米と文化の里湯川村県内一小さい当村はコシヒカリで高い評価をいただいています。道の駅あいづ湯川・会津坂下を核に交流人口を拡大し将来像をしっかりと描き希望ある村を築きます。

柳津町三島町桐の里「会津桐」の産業や、雪国の手仕事「編み組細工」、小正月の行事「サイノカミ」などを次世代へ継承し、文化の豊かな町を未来へつないでいきます。金山町赤べこ伝説発祥の地伝統文化、絆、そして温かさが詰まった赤べこのルーツ――柳津があなたを待っています。さあ、赤べこの郷で忘れられない旅を始めましょう。自然の恵みと笑顔あふれるかねやま金山町は只見川沿いの美しい風景や県内唯一の天然炭酸温泉など魅力がいっぱいの町です。JR只見線や霧幻峡を見るため多くの人が観光に訪れています。平田村芝桜とアジサイが彩る「日本一辛い村」標高約500mの高原に位置する、農業や畜産がさかんな自然豊かな村。春は芝桜、初夏にはアジサイの絶景を眺め、「激辛」で地域を熱くしているHOTな村です。浅川町みんなでつくる、安心と希望の浅川町浅川町は、令和7年8月1日に町制施行90周年を迎えました。福島県とともに「笑顔あふれる住みよいまち浅川」の実現に向けて邁進します。古殿町みんながいつも元気でいられる活気あふれる町壮麗な越代のサクラと、古殿八幡神社で受け継がれる流鏑馬。雄大な鎌倉岳のもと、歴史と自然が調和する町です。昭和村「令和、なのに昭和」からむし織とかすみ草の里国の伝統工芸品に指定されている「からむし織」、夏秋期日本一の「カスミソウ」の産地、豊かな自然、変わらぬ風景が自慢ですが、積極的にDXを推進している村です。会津美里町もっとつながるほっとやすらぐずっと住みたい美しきふる里会津美里町令和7年度に合併20周年を迎えた本町は、令和8年度から第4次総合計画のもと、持続可能な地域と住民の幸福度の向上を目指したまちづくりを推進します。西郷村~人と自然が輝き笑顔を未来へつなぐ~「さわやか高原公園都市」にしごう日光国立公園の自然に抱かれた西郷村は、新幹線で東京から6駅の好立地。甲子温泉や阿武隈川の源流を有するさわやか高原公園都市です。泉崎村活力あふれ、人が輝く「住んでよし、誇れる村づくり」首都圏からのアクセスも良好で、豊かな自然に囲まれた泉崎村では、四季折々の美しい景色や清らかな川の流れを楽しむことができます。中島村きみんなが輝らめく豊かななかじまむら福島県で2番目に面積が小さい自治体ですが、子育てや教育に力をいれており年少人口率は県内トップクラス!良質な水源と肥沃な土壌に恵まれていて農業が盛んです。矢吹町さわやかな田園のまち・やぶき矢吹町は県南に位置し、東北自動車道、東北本線など主要な交通網が整備された豊かな農地が広がる田園の町です。新鮮な野菜やお米、美味しいお酒もあります。棚倉町人と緑と歴史が結び合う幸住空間躍動たなぐら『戦の天才』立花宗茂公が大名に復活するなど、歴代藩主が物語る歴史が認めたアガる町『復活・出世のパワースポット』棚倉町。三春町いつまでも“ゆかしい”まち三春三春町は、滝桜に象徴される自然美と歴史文化が調和するゆかしいまち。県政150周年を機に、その魅力を未来へとつなげていきます。小野町笑顔とがんばりの町th町制施行70周年を迎え、今後も町民の皆さんと力を合わせ、一人ひとりが将来に夢と希望を持ち、生きがいに満ちた人生が送れるまちづくりに取り組んでいきます。広野町復興・創生東北に春を告げるまち「東北に春を告げるまち」広野町。バナナやミカンが育つ温暖な気候と、太平洋から昇る絶景の朝日が自慢です。心温まる暮らしがここにはあります。楢葉町こころ、つなぐ、ならは、明日へ!!復興のフロントランナーとして歩みを重ね、安心・安全な暮らしの確立と産業・観光の再生に挑み続ける楢葉町。人と地域の力で新たな未来を切り拓きます。富岡町未来へとつながれひろがれ富岡町満開の桜、青く広がる海、四季折々の山並み、そして着実に進む復興。富岡町は町民の笑顔があふれる輝かしい未来に向け、町に関わる皆様とともに、歩み続けます。川内村つながり、思いやり、支えあう。川内村では現在、ワインやクラフトジンの製造、古民家カフェ、花屋さんやパン屋さんなど起業の動きが出てきており、今後も新たなチャレンジを応援していきます。大熊町「創る巡る贈る」るるるおおくま。多くのご支援を受け、一歩ずつ復興を進めています。町には前例のないまちづくりを楽しむチャレンジャーが集結。持続可能な町をともに目指していきます。矢祭町すてきな未来をみんなでつくるやまつりまち一級河川久慈川や滝川渓谷など、風光明媚な場所がいっぱい!行けばきっと好きになります!『知らないなんて、もったいない』東北最南端の町です!塙町豊かな自然と和のこころ未来につなぐにぎわいの里はなわダリアと山つつじが彩る「花の町」塙町。「未来につなぐにぎわいの里」として、豊かな自然と歴史を礎に、輝く福島の未来を共に創ります。鮫川村まめな暮らしが息づくふれあいの村づくり先人から受け継いだ里山景観や農地を守り、次世代へつなぐため、オーガニックビレッジ宣言を礎に、持続可能な農業の創出に挑戦していきます。石川町共に創る幸せ実現のまち桜並木や温泉、美しい自然と歴史が息づく石川町。人々が支えあう温かで幸せな暮らしを未来へ繋ぎ、子どもたちが笑顔で育つ誇りある故郷を共に創り守り続けます。玉川村あ未す来への挑戦!明るく元気なたまかわ自然と人の温かさに満ちた玉川村は、交流施設を中心ににぎわいが広がり、新しい魅力が日々生まれています。誰もが安心して暮らせる、活気ある住みよい村です。双葉町“町民一人一人の復興”と”町の復興”をめざして東日本大震災と原子力災害からの復興に向けて邁進する町。これまで前例のない復興に取り組みながら、町民の皆さんと共に少しずつ着実に歩みを進めています。浪江町夢と希望があふれ住んでいたいまち住んでみたいまち伝統と挑戦が出会う町、浪江。地域の文化を未来へ繋ぎ、誰もが挑戦できるこの地で、夢と希望を胸に、共に輝く未来を紡ぎませんか。葛尾村自然人温もりをむすぶ結いのむらかつらお県立自然公園日山・五十人山に囲まれ、緑が多く空気の澄んだ自然あふれる村。不便さもありながら、「いい」ものがたくさんある「いい田舎」です。新地町人と自然が共に輝き笑顔あふれるまちづくり一度訪れたら忘れられない、また何度も訪れたくなる町です。ぜひ足を運んで、空と風、太陽、海、山、おいしいものを五感で感じてください。うる飯舘村美わしく清らかな村いいたて全ての「ふるさとの担い手」の皆様とともに、村を愛する喜びとつきることのない開拓者精神を胸に、村の力強い「再生と発展」へ全力を尽くしてまいります。


福島県政150周年を祝し、しゃくなげ大使から応援メッセージが届いています。しゃくなげ大使制度は平成3年度から始まり、本県との関係が深く、各界で活躍されている方々を「しゃくなげ大使」に任命しています。様々な分野で活躍されるしゃくなげ大使の応援メッセージには、福島への深い愛情と未来への期待が込められています。私たちの、ふくしまの誇りを胸にこれからも挑戦を続け、ふるさと「福島県」がさらに輝くよう、たゆまず努力し、進化し続けます。

福島県政150周年を祝し、しゃくなげ大使から応援メッセージが届いています。㈱セブン銀行特別顧問安斎隆外国人夫妻と郡山駅で鈍行列車へ乗換えをご一緒した。どちらまでと尋ねたら、福島までと言うではないか。「鈍行からの景色が良いと友人に勧められた」由。その通り!(公財)日本サッカー協会相談役川淵三郎Jヴィレッジはサッカー少年少女の夢の受け皿です。ここで薫陶を受けた子供達が日本代表として活躍しています。サッカー界になくてはならない施設です。©JFA(公財)日本スポーツ協会特別顧問(公財)日本ゴルフ協会名誉特別顧問安西孝之日本体育協会会長として初めの国体で訪れた福島。その思い出を胸に、県政150周年の歩みに敬意を表し、挑戦を力に変えて未来を切り拓く福島を応援しています。城南信用金庫相談役川本恭治福島県政150周年誠におめでとうございます。大変微力ですが、“福島県の輝ける未来”のお役に立てるよう、全力で取組んでまいります。素晴らしきご縁に感謝です!カルビー㈱シニアアドバイザー伊藤秀二祝150周年。50年前、高校の卒業アルバムを西庁舎で撮影した思い出がよみがえります。これからも福島の未来に向け、皆さまとの共創活動を続けてまいります。ボーカルグループGRe4NBOYZGRe4NBOYZです。福島で出逢い、想いを言葉とメロディに乗せ全国へ届けてきました。しゃくなげ大使として、福島の魅力をさらに広げてまいります。俳優梅沢富美男福島県県政150周年おめでとうございます。山に海、温泉、美食、温かい人々。ないものは何もない!すべてがある故郷福島がこれからも末永く続きますように。東京農業大学名誉教授(農学博士)小泉武夫県民とともに150年も頑張ってきた福島県の底力に乾杯さあこれからは200年に向かって前進、前進、また前進発酵王国福島県はこれからも発酵パワーで躍進醸すぞ箏曲演奏家遠藤千晶四季にうつろう山の緑の濃淡、鳥の声、風の薫り、星の煌めき…ふるさと福島から感受してきた自然の豊かな彩りが、演奏家として音楽を表現する礎になっています。デザイナーコシノジュンコ県政150周年おめでとうございます。素晴らしい伝統と革新。今後も進化していく福島の力を応援しています。常に新しい風が吹く島。スポーツキャスター・俳優・歌手大林素子福島に魅せられて、二拠点生活6年目。私に出来る事を探し歩んでおります。思い合う仲間の輪を広げ、大きな力に変え、明るい未来を創っていきましょう!国立歴史民俗博物館名誉教授小島美子福島は、縄文以来独自の文化を発展させてきた東北の入口。東北のゆたかな遺産文化を見直し、その根の上に新たな力強い文化をつくり上げましょう。フリーアナウンサー唐橋ユミ福島を旅した方のリピート率は、わたしの知るかぎり100%!また来るよ、また来たよ、と言ってくださる笑顔の輪を、もっと広げていきたいと思っています。(一社)日本女子プロゴルフ協会会長小林浩美福島県は浜通り、中通り、会津地方とそれぞれに特徴と歴史に富み、自然、海の幸、山の幸など多方面から県内の素晴らしさが世界中に轟くことを祈っております。

俳優佐藤B作県政150周年おめでとうございます!!しゃくなげ大使の一員として、県民が大喜びするような、大いに刺激を受けるような演劇創りに邁進する所存です。日本民藝館顧問松方峰雄広大な県土、豊富な観光資源に恵まれた福島はまだまだ発展の可能性を秘めています。いろいろな分野での更なる飛躍発展を福島応援団の一人として期待してやみません。(公財)日本サッカー協会名誉会長田嶋幸三スポーツ、サッカーを愛する人々が集うJヴィレッジは、復興の象徴。スポーツのレガシーを未来につなぎ、スポーツの力で福島の明るい未来を築いていきましょう。俳優三田佳子映画「遠き落日」で偉人・野口英世の母シカを演じ、しゃくなげ大使のご縁を頂きました。以来、福島の方々との交流も深まりました。県政150年を共に祝えて、とても嬉しいです。作曲家元国立音楽大学教授中村隆一県政150周年、おめでとうございます。この節目を迎えることができたのは、歴代の県知事をはじめ、県庁職員皆様のご努力があったからだとお慶び申し上げます。関西学院大学教授村尾信尚福島には毎年学生と訪れます。来て見て食べて語るうち、福島に惹かれる学生が増えるのはうれしいこと。いつか若者と福島の未来が重なり合うことを望みつつ。和食料理人野﨑洋光常に激動の150年。計り知れない目標数値を実現可能としてきた先人たちの聖地は、これからも守り続け、学び、繁栄し続け、世界の平和の礎となる福島県魂です。博覧会プロデューサー、地域経済開発プロデューサー㈱Landa代表取締役宮本倫明「うつくしま未来博」から早や四半世紀。麗しい山河とともに、この先150年先も穏やかな人々、明るい笑顔の子どもたちが溢れる福島県でありますように!プロゴルファー樋口久子福島県政150周年おめでとうございます。県知事様を中心に、ここまで復興なされたことに敬意を表します。これからの益々のご発展をお祈りしております。ぴあ㈱代表取締役社長矢内廣東日本大震災直後から、心の復興支援活動「チームスマイル」を12年間続け、被災地の子どもたちの夢の実現を後押ししました。これからも福島県の未来を応援していきます。俳優藤田朋子母の故郷、福島を声高に自慢できるようになり、喜びを禁じ得ないのと同時に、福島への想いを語る「言葉」が「私」から「公」となり、更に責任を伴い応援に熱と情がたぎっております。クリエイティブディレクター、東京芸術大学美術学部教授箭内道彦福島県の150年を支えてくださったすべての力に、心から感謝をいたします。思いを重ね、次の新たな150年を創ってまいりましょう。同時通訳者、「ハリー・ポッター」シリーズ翻訳者㈱静山社代表取締役社長松岡佑子菜の花畑、サケの遡上する川、真っ赤な夕焼け空。私の故郷福島県の思い出は、色鮮やかです。智恵子抄にある「本当の空」が、いつまでも続きますように。デザインプランナー山本祐輔福の都…150年の紋(あかし)。色も模様も温かい。自由でおおらかだ。しかし使う規則もしっかりある。福と「縞=筋」とを巧みに織りなす…それが福島だ。令和8年2月現在、しゃくなげ大使は60名・グループの皆さまにご就任いただいております。本誌には、そのうちご寄稿をお寄せいただいたメッセージを掲載いたしました。皆さまのご厚意に深く感謝申し上げます。


福島県政150周年記念誌

目次Contentsごあいさつ福島県知事内堀雅雄福島県人への敬意をこめて5監修者福島大学名誉教授吉村仁作福島県政150周年記念事業ロゴマークについて/福島県政150周年記念事業基本理念について福島県挑戦と誇りの歴史150年の歩みFeatureofFukushima福島県の重点施策殖産興業期…………………16挙国一致期…………………17高度成長期…………………18グローバル期…………………19復興・再生期…………………20…………………64福島県政150周年記念誌

福島県の成り立ち……………………………………………2301復興・再生いくつもの災禍を乗り越えて磐梯山噴火戦災水害地震・津波原子力災害………………………………………………26………………………………………………………28………………………………………………………32………………………………………………34………………………………………………3602生活基盤暮らしやすいまちに向かって一歩ずつ利水・治水・水環境の保全……………………………38JR磐越西線・常磐線・只見線…………………………40東北新幹線・福島空港・重要港湾……………………42…44東北自動車道・常磐自動車道・東北中央自動車道土地利用…………………………………………………46エネルギー………………………………………………4803新しい価値を生み出す力農業・畜産業0th0405060708産業学校教育医療・福祉スポーツ文化・芸能自然景観水産業林業商業工業観光・物産学び舎に笑顔の花咲くだれもが健やかに暮らせる未来へ限界のその先に挑戦……………………………………………50……………………………………………………52………………………………………………………54………………………………………………………56………………………………………………………58………………………………………………60人と地域のおもいをつなぐ…………………………62………66……………………………70…………………74ふくしまの自然守り続けてきた景色…78未来に語り継ぎたい福島県ゆかりの人物………………………82資料編福島県DATA…………………………………………………85福島県政150周年記念誌5

福島県挑戦と誇りの歴史150年の歩みFeatureofFukushima福島県の軌跡──。そこには常に福島県民の「挑戦」するスピリットと「誇り」が息づいています。どんな困難にも負けずに前を向き、何度も立ち上がってきた不屈の闘志の歴史。戊辰戦争後の荒廃したまちから復興を成し遂げた団結力、東北の自由民権運動を先導した行動力、近代日本の勃興を粘り強く勤勉な労働で支えた剛毅な精神、さらに戦争の混乱から立ち上がる日本の高度成長の変革を知恵と技術で支えた創造力。こうした力が、福島県をかたちづくり、県民の暮らしを豊かにしてきました。そして東日本大震災と原子力災害という未曽有の複合災害にも復興・創生を目指して諦めずに挑戦を重ね、今の福島県の姿を共に築いてきました。歴史を越えて県民一丸となって歩んできた福島県のあゆみのどれもが、次の未来に伝えていきたい私たちの誇りであり宝です。6福島県政150周年記念誌

PhotobyTokyo2020福島県政150周年記念誌7

福島県挑戦と誇りの歴史150年の歩み2026年、福島県は誕生から150年の節目の年を迎えました。豊かな自然とともに歩み、時代の変化を乗り越えながら築かれてきた福島の「挑戦」と「誇り」の歴史を振り返ります。誕1868年戊辰戦争1882年生福の1871年1875年奥羽越列藩同盟が結成され、旧会津藩・桑名藩・庄内藩などが新政府軍と対立。廃藩置県石川町で石陽社がつくられる河野広中らが東日本最初の民権結社「石陽社」を創設。また、明治11年には三春町で政治結社「三師社」を創設。福の明治元年島鼓明治4年明治8年島鼓県動県動戊辰戦争後、新しい時代が始まると多くの人々が力を合わせ「福島県民」として団結し、目覚ましいスピードで復興・発展を遂げました。損傷した会津戦争後の若松城(提供/会津若松市)いわさき旧福島県・磐前県・若松県の3県が設置。【福島県150年の主な歩み1868-1919】石陽社記念碑河野広中らの活動により、石川町は「自由民権運動発祥の地」として知られるようになり、ここから日本の民主主義実現への挑戦が始まりました。1869年(明治2年)・版籍奉還により各藩が所有していた土地と人民を朝廷に返還。・磐城平藩、三春藩、二本松藩などの大名も領地を認められる。1872年(明治5年)・学制発布。1874年(明治7年)・若松城取り壊し。・旧会津藩の復興に向けた動きが始まる。・福島裁判所の設置。福島県の1890年(明治23年)・第1回衆議院選挙施行。1876年明治9年明治15年磐城炭礦社設立福の島鼓県動1887年明治20年福島県の成り立ちいわさき8月21日に、旧福島県、磐前県、若松県が合併し、ほぼ現在の福島県の範囲が誕生。安積疏水完成総延長130㎞、延べ85万人の労働力により、3年の歳月をかけて完成。さく安積疏水開削当時の十六橋水門(提供/郡山市)渋沢史料館所蔵東北本線開業1884年明治17年浅野総一郎、渋沢栄一らが発起人となり磐城炭礦社設立。本州最大の埋蔵量を誇る豊富で安価な石炭が日本の工業に貢献。磐城炭礦社は後に日本初のリゾート施設「常磐ハワイアンセンター」を立ち上げる礎となり、当時の憧れだった「ハワイ観光」を東北の地で実現しました。日本鉄道(現在のJR東北本線)が仙台駅・塩竈駅まで延伸し、福島駅が開業。明治36年に完成した福島停車場(提供/福島市)1878年(明治11年)・大区小区制の廃止、郡町村制の発布。1879年(明治12年)・第1回県議会。1882年(明治15年)・福島事件(自由民権運動の弾圧)が発生。1884年(明治17年)・会津三方道路完成。1888年(明治21年)・市制・町村制施行。8福島県政150周年記念誌

1868▶1919FeatureofFukushima1888年明治21年磐梯山噴火磐梯山が噴火し、北塩原村・猪苗代町・磐梯町で多大な被害が発生。死亡者477人、負傷者28人。1902年明治35年明治最大級の暴風雨発生大型台風の襲来により県内各地で被害。郡山・安積郡内では死傷者26人。善導寺墓地の惨状(1902年)(提供/郡山市)1913年大正2年噴火3週間後の北麓から見た磐梯山(SekiyaandKikuchi1899東京大学地震研究所所蔵)県内各地で大洪水発生福の島鼓県動噴火後は会津若松市の商人が私財を投じて植林活動に乗り出すなど、多くの人の努力と長い時間をかけて復興を遂げ、現在は大自然が創り出した風光明媚な観光地へと発展しました。県内各地で大規模な洪水が発生し、阿賀川沿いなどでは甚大な被害。現在の阿賀川(西会津町)1893年明治26年吾妻山噴火燕沢火口付近を調査していた技師2人が噴石により死亡。1919年大正8年野口英世博士黄熱病原体の研究論文を発表黄熱病などの病原体について世界各地で研究を続け、医学を通して人類に貢献。翌年、ノーベル賞候補。吾妻山噴火状況見取図(福島県立図書館蔵)三浦技師の慰霊碑と大穴火口の噴気1900年明治33年安達太良山噴火火口で3回の大きな噴火が発生。噴火口の近くにあった硫黄採掘所が全壊し、避難途中の作業員72人が死亡。噴火した沼ノ平火口黄熱病やワクチン開発等の研究を続けた野口英世博士(提供/公益財団法人野口英世記念会)1894年(明治27年)・日清戦争勃発。1896年(明治29年)・福島商業銀行設立。1898年(明治31年)・常磐線全線開通。1899年(明治32年)・若松市制施行。福島県最初の市。・奥羽鉄道、福島─米沢間開通。1904年(明治37年)・日露戦争勃発。1905年(明治38年)・天候不順による大凶作で減収し、出稼ぎが増える。1907年(明治40年)・福島市制施行。1914年(大正3年)・第一次世界大戦が始まる(1918年終戦)。・岩越鉄道、郡山─新津間全線開通。1916年(大正5年)・白棚鉄道、白河─棚倉間開通。1917年(大正6年)・平郡線(磐越東線)、郡山─平間全線開通。これにより平─新津間を磐越線、郡山以西を磐越西線、郡山以東を磐越東線と称する。1918年(大正7年)・県内各地で米騒動が起こる。福島県政150周年記念誌9

福島県挑戦と誇りの歴史150年の歩み1924年飯坂電車開業1934年大正13年福島駅─飯坂温泉駅間に福島県初の電車、福島交通飯坂線が誕生。昭和9年水郡線開通明治時代に始まった太田線(茨城県)が元となる水郡線(水戸─郡山間)が全線開通。摺上川沿いの飯坂温泉駅。後方に十綱橋(提供/福島市)1925年大正14年県内初メーデー集会福島県初のメーデー集会・デモ行進が、5月1日郡山駅前で実施。1935年昭和10年昭和9年当時の石川駅県内初の修道院完成福島市にノートルダム修道院が落成。戦後、戦災孤児の受け入れ養育が基となり「桜の聖母学院」が誕生。郡山駅前での集会風景(提供/郡山市)福の島鼓県動郡山労働組合が中心となり総勢200人余が集まるデモ行進は、普通選挙法実施に向け無産政党結成に動き始めるきっかけになりました。竣工間もない頃の修道院(提供/ノートルダム修道院)福島市杉妻町に県立図書館開館1929年昭和4年1937年昭和12年ヘレン・ケラー女史来福東京国立博物館のドームを模した重厚な建物(提供/福島市)県立図書館(旧)が、県物産陳列館(明治44年完成)の移転後に入り設立。ノートルダム修道院訪問後、福島市立第一小学校で2,500人の聴衆のもと講演。ノートルダム修道院を訪れたヘレン・ケラー女史(提供/ノートルダム修道院)【福島県150年の主な歩み1920-1959】1920年(大正9年)・生糸価格の大暴落により県内経済界が大混乱。・第1回国勢調査。1934年(昭和9年)・会津線(会津若松─田島間)全線開通。・東北地方、大凶作。1937年(昭和12年)・平市制施行。1922年(大正11年)・官立福島高等商業学校開校(後の福島大学)。1924年(大正13年)・郡山市制施行。1926年(大正15年)・川俣鉄道(松川─川俣)開通。1939年(昭和14年)・第二次世界大戦が始まる。昭和20年に終結。1944年(昭和19年)・第二次世界大戦時における勤労動員始まる。・福島県立女子医学専門学校が開校(昭和22年、福島県立医科大学予科「旧制」設置許可)。10福島県政150周年記念誌

1920▶1959FeatureofFukushima1941年昭和16年双葉郡川内村平伏沼が天然記念物指定蛙の詩人とよばれた草野心平(いわき市出身)も訪れた平伏沼が、モリアオガエルの繁殖地として、天然記念物指定。1950年昭和25年磐梯朝日国立公園指定磐梯山、吾妻山、安達太良山、猪苗代湖、飯豊山地が磐梯朝日国立公園に指定。1941年1951年小名浜港重要港湾に指定昭和16年東邦銀行開業昭和26年重要港湾指定により港湾整備が本格化し、商業港としての発展の基礎が構築。5年後開港指定、その翌年1号ふ頭1万t岸壁完成。モリアオガエル草野心平撮影/小林正昭福島県・山形県・新潟県にまたがる飯豊山郡山商業・会津・白河瀬谷の3銀行が合併し「東邦銀行」が開業。設立当時の本店(旧郡山商業銀行本店)福の島鼓県動金融恐慌を経て銀行再編。「1県1行」達成のため、昭和18年には県内に残る普通銀行はすべて東邦銀行に吸収。県内唯一の普通銀行になりました。1945年昭和20年郡山空襲・第二次世界大戦終戦4月12日、大規模な郡山空襲で軍需関連工場が標的。中・浜通りにも連日空襲。1959年昭和34年小名浜港(提供/小名浜港湾事務所)観光有料道路開通「磐梯吾妻スカイライン」開通。平成25年から無料開放。爆撃を受ける日東紡績富久山工場(提供/郡山市)吾妻八景のひとつ「つばくろ谷」1946年(昭和21年)・郡山市、いわき市特別都市計画法適用。戦災復興都市に指定。1948年(昭和23年)・第1回県総合体育大会夏季・秋季大会開催。1949年(昭和24年)・白河市制施行。・法律第150号国立学校設置法により、福島師範学校・福島青年師範学校・福島経済専門学校の3校を包括、学芸学部と経済学部からなる福島大学を設置。・東北本線松川−金谷川間で列車脱線転覆(松川事件)。1951年(昭和26年)・会津短期大学(商科)設置認可(昭和32年、福島県立会津短期大学と名称変更)。1952年(昭和27年)・第7回国民体育大会、県営信夫ヶ丘競技場で開催。1954年(昭和29年)・原町・磐城・常磐・相馬・須賀川・喜多方が市制施行。1955年(昭和30年)・勿来市制施行。1959年(昭和34年)・田子倉ダム完成。福島県政150周年記念誌11

福島県挑戦と誇りの歴史150年の歩み1964年昭和39年東京オリンピック開幕円谷幸吉(須賀川市出身)がマラソンで銅メダル、10,000mで6位入賞。1970年昭和45年第21回植樹祭猪苗代町で開催された第21回全国植樹祭に昭和天皇皇后両陛下がご臨席。1972年昭和47年1965年昭和40年鶴ヶ城天守閣再建円谷幸吉選手会津若松市の鶴ヶ城天守閣が、取り壊しから90年を経て再建完工。廃線を惜しむ人々に見送られる列車(提供/福島市)川俣線廃止絹織物や羽二重輸送を担った川俣線(松川─岩代川俣)が営業終了。相馬港重要港湾に指定1974年昭和49年再建された当時の鶴ヶ城天守閣エネルギー港湾としての発展の基盤となり、以降、火力発電所関連施設が整備されるなど、工業港としての機能が強化。南東北の海の玄関口・相馬港1966年昭和41年「常磐ハワイアンセンター」オープン温泉プールやフラダンスのショーを主力に、いわき地方のレジャー産業を牽引。1975年昭和50年東北自動車道県域全線開通東北自動車道の郡山―白石間が開通し、県域全線開通。県内115.7km。(提供/福島民報社)【福島県150年の主な歩み1960-1989】1962年(昭和37年)・平工業高等専門学校が開校。(昭和42年に福島工業高等専門学校に改称)・国鉄の福島駅ビル完成。1963年(昭和38年)・常磐・郡山両地区新産業都市に指定。1964年(昭和39年)・国道4号県内全線85.66kmの舗装完成。着工から12年、工費約51億円。1966年(昭和41年)・平、磐城、勿来、常磐、内郷の5市と旧石城郡の四倉、遠野、小川の3町、好間、三和、田人、川前の4村、そして双葉郡の久之浜町と大久村の14市町村が対等合併し、日本一広い(当時)面積を誇る「いわき市」が誕生。1971年(昭和46年)・国道49号、いわき─郡山─新潟間全線開通。総延長242.3km。・東京電力福島第一原子力発電所1号機運転開始。・県庁西庁舎完成。12福島県政150周年記念誌

1960▶1989FeatureofFukushima1975年エベレスト女性初登頂昭和50年田部井淳子(三春町出身)が世界最高峰エベレスト(8,848m)に女性で世界初の登頂。大内宿が重要伝統的建造物群保存地区に選定1981年昭和56年旅の要所として栄えた大内宿会津西街道の宿場町で茅葺の町並みが残る「大内宿」(下郷町)が、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。1982年昭和57年エベレストで日の丸を掲げる田部井淳子さん(提供/一般社団法人田部井淳子基金)1978年昭和53年相馬野馬追国重要無形民俗文化財に指定平将門を祖とする相馬氏の軍事訓練が起源。甲冑をまとった騎馬武者が疾走する甲冑競馬や神旗争奪戦で武家文化を今に伝える祭礼。東北新幹線開業東北新幹線が大宮駅―盛岡駅間で先行開業。ビジネスや観光面で首都圏との交流が促進。台風10号、集中豪雨発生ボートで救出される住民(福島市)(提供/福島河川国道事務所)1986年昭和61年中通り・浜通りで被害甚大。7市町村に災害救助法適用。被害総額1,084億8,739万円。1988年昭和63年古関裕而記念館完成「古関メロディー」の継承と音楽文化の拡大を目的に古関裕而記念館開館。1980年昭和55年冷夏により農作物被害戦後最悪の冷害。県内全域で農作物大打撃、661億円を超す被害。甲冑競馬古関裕而記念館と古関裕而(提供/福島市古関裕而記念館)1972年(昭和47年)・猪苗代湖ハクチョウ、国天然記念物指定。1973年(昭和48年)・60年ぶりの干ばつで県全域に農作物被害。1976年(昭和51年)・異常低温と多雨で稲作戦後2番目の不作。・常磐炭鉱西部鉱業所、93年の幕を閉じる。・福島県立県100周年記念式典開催。1981年(昭和56年)・前年末の大雪で森林・農作物の被害が446億円に上る。49市町村に激甚災害法適用。1983年(昭和58年)・「福島市小鳥の森」開園。1986年(昭和61年)・会津鬼怒川線(会津高原─栃木県藤原間)着工以来20年を経て開業。1987年(昭和62年)・会津鉄道(西若松─会津高原間)開業。1988年(昭和63年)・相馬港開港指定。1989年(平成元年)・台風13号本県直撃。被害総額599億円。福島県政150周年記念誌13

福島県挑戦と誇りの歴史150年の歩み1993年福の平成5年福島空港開港県内産業・経済の活性化を目指し、須賀川市と玉川村にまたがる阿武隈山系の丘陵地に開港。島鼓県動「ふくしま国体」開催1995年平成7年第50回国民体育大会が完全国体(冬、夏、秋)として「友よほんとうの空にとべ!」をスローガンに開催。本県が男女総合優勝。福島空港は県管理の第3種空港(滑走路2,000m)として開港。平成12年に2,500mに滑走路が延長。就航範囲が拡大し利便性が向上しました。Jヴィレッジ楢葉町・広野町にオープン国内最高レベルのピッチが広がるJヴィレッジ1999年1997年阿武隈川の「平成の大改修」が始まる平成11年県営あづま陸上競技場(福島市)での開会式平成9年日本初のサッカーのナショナルトレーニングセンターとしてオープン。ふくしま海洋科学館(アクアマリンふくしま)開館2000年平成12年潮目の海をテーマに、海の生き物や海洋環境について楽しみながら学べる施設として開館。「うつくしま未来博」開催連日体験プログラムやイベントを開催新千円札に「野口英世」2004年平成16年新千円札発行。図柄に野口英世(猪苗代町出身)の肖像が採用。2011年平成23年小名浜港のふ頭にあり目の前は太平洋2001年平成13年須賀川市で「美しい空間美しい時間」をメインテーマに開催。「森」と共生するライフスタイルを発信。86日間で入場者は約166万人。3.11東日本大震災・原子力災害発生3月11日にマグニチュード9.0の地震と巨大津波、原子力災害が発生。宮城県境から須賀川市までの約129kmを対象に洪水被害軽減を図る大規模治水事業を約2年の短期集中的に実施。郡山地区、逢瀬川との合流地点の阿武隈川(提供/福島河川国道事務所)直接死、災害関連死合わせて4,181人(令和7年11月1日現在)【福島県150年の主な歩み1990-2026】1991年(平成3年)・東北新幹線東京駅乗り入れ開業。1993年(平成5年)・会津大学が開学。1997年(平成9年)・県民の日(8月21日)制定。・郡山市中核市に指定。1999年(平成11年)・いわき市中核市に指定。2004年(平成16年)・新潟・福島豪雨発生。2005年(平成17年)・尾瀬がラムサール条約湿地に正式登録。2007年(平成19年)・尾瀬、日光国立公園から分離し「尾瀬国立公園」指定。2008年(平成20年)・福島市音楽堂を会場に、2〜16人の少人数合唱の声楽アンサンブル全国大会を開催。2011年(平成23年)・台風15号被害発生。・新潟・福島豪雨発生、只見線一部不通。2014年(平成26年)・福島再生可能エネルギー研究所(FREA)開所。・「日本橋ふくしま館MIDETTE」開館。・ふくしま国際医療科学センター設置。2015年(平成27年)・台風18号の影響で大雨。・福島県環境創造センター本館開所。14福島県政150周年記念誌

1990▶2026FeatureofFukushima常磐自動車道全線開通全国新酒鑑評会金賞受賞数9回連続日本一第69回全国植樹祭に平成の天皇皇后両陛下ご臨席2018年平成30年6月10日、南相馬市において「第69回全国植樹祭ふくしま2018」が開催。福島県では48年ぶり2回目。2015年平成27年常磐自動車道の最後の未開通区間であった常磐富岡IC〜浪江ICが開通し、全線開通。「東日本大震災・原子力災害伝承館」開館全町避難を余儀なくされた双葉町に開館2020年令和2年未曾有の複合災害の記録と教訓を国や世代を超えて伝え、防災・減災につながる資料等を展示。復興五輪東京2020オリンピックの聖火リレースタート2022年2026年令和8年2022年令和3酒造年度では17銘柄が金賞を受賞し、9回連続受賞数日本一(通算11回)達成。JR只見線が11年ぶりに全線で運転再開令和4年2011年の豪雨被害を乗り越え、JR只見線が全線運転再開。日本一を喜ぶ蔵元や酒米生産者令和4年東京2025デフリンピックサッカー競技開催2025年令和7年日本初開催のきこえない・きこえにくい人のオリンピックで、サッカー競技(男女)がJヴィレッジで開催。復興祈念公園開園東日本大震災と原発事故の記憶を伝え、犠牲者を追悼する「復興祈念公園」が双葉町・浪江町に完成。2021年令和3年3月25日、Jヴィレッジから聖火リレーがグランドスタート。第1聖火ランナーのなでしこジャパンPhotobyTokyo2020国営追悼・祈念施設の献花台(イメージ)復興祈念公園全体のイメージパース2017年(平成29年)・小名浜マリンブリッジ完成。・福島イノベーション・コースト構想推進機構設立。2018年(平成30年)・福島市中核市に指定。2019年ヴィレッジ全面再開。(平成31年・令和元年)・台風19号の記録的な大雨。関連死含め死者40人、土砂崩れ・河川氾濫で県内全域に被害。2020年(令和2年)・JR常磐線が9年ぶりに全線再開。・新型コロナウイルス感染症が県内に広がる。2021年(令和3年)・福島県沖地震被害発生。・東北中央自動車道(相馬福島道路)開通。・請戸漁港の復旧により、県内全漁港の復旧完了。2022年(令和4年)・福島県沖地震被害発生。・双葉町特定復興再生拠点区域の避難指示を解除、県内全自治体での居住可能。2023年(令和5年)・福島国際研究教育機構(F-REI)設立。2025年(令和7年)・猪苗代湖、ラムサール条約湿地に登録。2026年(令和8年)・県政150周年。福島県政150周年記念誌15

福島県の重点施策殖産興業期1868〜1912年日本政府は、産業や資本主義の育成による国家の近代化のため、富国強兵・殖産興業政策を推し進めます。古来、福島県に根付いていた蚕業が、日本の産業発展の底力として成長。また安積開拓事業により猪苗代湖の東側地域が水利を獲得。現在の福島県の経済力発展につながっています。繭の標本(明治期)(国重要有形民俗文化財/伊達市所蔵)明治の発展を支えた“お蚕さま”県北地方は信達地方とも呼ばれ、その発展の基礎は、江戸時代からの養蚕による繭や蚕種(蚕の卵)生産、生糸生産、さらに絹織物生産等による活発な地域産業にありました。明治20年代、製糸業が輸出産業として成長し信達地方の繭生産高は急速に伸びました。また養蚕農家の増大とともに蚕種の市場も拡大。信達の蚕種業が生糸輸出、ひいては官営軍需工業を支え日本経済を牽引していきました。福島県の絹織物生産高は明治21年(26万円)から明治40年(500万円)に、約19倍の伸びを見せています。その中の約70%(明治38年/482万円)を占めていたのが、伊達郡川俣町を中心とする輸出羽二重です。川俣シルクは現在でも海外から認められる、福島を代表するブランドです。また二本松では、明治19年(1886)に日本最初の株式会社方式による民間器械製糸工場「双松館」が山田脩などにより創始され、卓越した経営手腕により品質向上・生産増を通して地域に貢献しました。蚕の品種改良の研究でも日本は世界に先駆けています。福島県蚕業学校(現県立福島明成高校)初代校長であった外山亀太郎は、後に蚕の遺伝学的研究により優良品種を開発。実用化された蚕種(一代雑種品種)は日本の製糸業を世界に知らしめました。福島県の重要物産である蚕種―絹織物業は、地域の中で地域の担い手により発展を続け、明治政府の富国強兵・殖産興業を支えました。郡山発展の礎安積開拓明治時代が始まったものの、旧武士たち士族の生活は困窮を極めていました。政府要人らは殖産興業と士族授産が不可欠と考え、士族救済を決断。猪苗代湖から水を安積原野に引く安積疏水の開削事業、そして士族移住と開墾が行われます。そこで地元の協力者として商家を営む実力者・阿部茂兵衛が中心となり「開成社」を結成。事業を推進して安積開拓に貢献しました。国営事業第一号として9つの藩(久留米・鳥取・岡山・松山・土佐・米沢・二本松・会津・棚倉)の士族など全国各地から約500戸、2,000人余の人々が移住。安積疏水年をかけ明治15年(1882)8月に完成しました。広域交通の要、道路開発明治14年(1881)、当時の県令三島通庸は福島県・山形県境に位置する栗子峠に876mの栗子隧道を含む新道を開削。明治天皇にご臨席を賜り開通式を行い「萬世大路」の名を賜りました。当時は奥羽山脈越えの厳しい自然の中でしたが、歴史の変遷によりルートを変え、現在は国道13号さらに令和4年(2022)には東北中央自動車道も開通。福島から山形、秋田に至る広域主要幹線となりました。また会津でも三島通庸主導で、「会津三方道路」の整備が明治17年に始まりました。会津若松から南の日光方面(会津西街道)、西の新潟方面(越後街道)、北の山形方面(米沢街道)の道路が開かれ、山あいの会津地方の発展に大きくつながりました。外山亀太郎銅像(県立福島明成高校)明治42年創立の大内弥惣兵衛機業工場(提供/川俣町川俣町史第3巻)いまに残る二ツ小屋隧道(萬世大路)16福島県政150周年記念誌

福島県の重点施策挙国一致期1912〜1945年日本政府が国内4大工業地帯をはじめ北海道、朝鮮、台湾などの開発を優先したこの時期は、東北地方では重工業化が遅れをとります。福島県も例外ではなく、産業・経済の発展そのものより県内のインフラ整備を重視。太平洋戦争という試練のときに、福島県の力を充実させました。会津鉄道会津線第五大川橋梁産業振興を叶える鉄道網県内を走る地域間鉄道として、大正5年(1916)に白棚線(白河駅〜磐城棚倉駅:昭和19年廃止)、大正15年に川俣線(松川駅〜岩代川俣駅:昭和47年廃止)、昭和9年(1934)に水郡線(安積永盛駅〜水戸駅)、昭和13年に日中線(喜多方駅昭和59年廃止)、昭和28年に会津線(西若松駅〜会津滝ノ原駅/現会津高原尾瀬口駅)が開通。地域を巡る鉄道は住民の足であるとともに、地域の産業開発と振興を目的にしており、鉄路が県内各地を結びました。なかでも会津線は、現在は第3セクター鉄道に転換されており、通勤・通学に日常の移動手段として生活に密着しています。さらに会津地方と首都圏を結ぶ路線であり、地域経済の活発化・観光振興等も支えています。れます。昭和43年(1968)に鉱山が閉山となると観光輸送に活路を見いだし、沿線のリゾート開発を目指して「急行電鉄」と改称。しかし電化はされず、急行列車の運転もないままに、小型のディーゼル機関車が客車を牽引していました。この当時の車窓風景が、歌謡曲「高原列車は行く」(作詞:丘灯至夫、作曲:古関裕而)のモデルになったと伝わります。昭和44年、廃線になりました。旧沼尻駅舎沼尻軽便鉄道大正・昭和の産業を支えて浪江森林鉄道地元振興を担った沼尻軽便鉄道会津鉄道会津線湯野上温泉駅大正2年(1913)、耶麻郡猪苗代町の川桁駅と沼尻駅を結ぶ全長15.6kmの路線で、軽便鉄道が営業を開始しました。沼尻鉱山から採掘した硫黄鉱石を輸送するために付設された貨物輸送主体の鉄道でしたが、地元住民の足としても利用されました。湯治客や観光客も運び、この地方でただ一つの交通機関として親しまれました。沼尻軽便鉄道は昭和初期に最盛期を迎え、沼尻鉱山だけでも約1,200人が働いていたといわ明治31年(1898)に現在のJR常磐線久ノ浜駅〜小高駅間が開通し、浪江駅が開業。地域の主要産業である林業で切り出した木材の輸送が、海上輸送から鉄道輸送へと変わっていきます。それにともない、浪江駅に近い貯木場に周辺山林から木材を効率よく集めるために森林鉄道を敷設。昭和2年(1927)に浪江〜葛尾間27.9kmが全通し、支線16路線を含めると総延長58.6kmに及ぶ福島県内最大規模の「浪江森林鉄道」が完成しました。ガソリン機関車やディーゼル機関車、モーターカーが運用されており、森林鉄道として昭和37年まで運行を続けました。現在は、跡地が県道落合浪江線として利用されています。浪江森林鉄道(ディーゼル機関車)福島県政150周年記念誌17

福島県の重点施策高度成長期1945〜1980年代戦後の状況から立ち上がり、日本の活力を取り戻す時代がやってきました。都市集中型の経済発展の陰で地方経済が停滞を見せるなか、地域社会の再生を目指すアプローチが生まれた時代でもあります。福島県でも、生き抜くための技術が産業活動の中で養われ、新たな発展を生み出しました。常磐ハワイアンセンター(いわき市)モータリゼーションの波、到来日本では明治維新とともに始まった鉄道建設政策に押されて、道路技術の近代化は遅れがちであり、第二次世界大戦前は鉄道が交通の中心になっていました。しかし戦後の経済復興のなかで自動車産業は発展し、昭和40年(1965)頃から急速に乗用車が一般家庭にも普及。この現象はモータリゼーションと呼ばれ、大都市から始まり日本全国に浸透しました。モータリゼーションの波に乗り、昭和41年から61年にかけての福島県の乗用車保有台数は2万5,267台から50万8,966台へと伸びました。なかでも昭和45年からの5年間では年間3万5,000台に迫る割合で増加しています。昭和40年代は高度成長期で第4次道路整備5カ年計画のもと、県内も道路整備が進展した時期にあたります。昭和41年当時は、福島県%(実延長947.4km)、県道7.5%(実延長4,438.9km)ほどでしたが、国県道・主要地方道では道路改良や舗装等の整備が進み、現在の舗装率はほぼ100%です。令和7年(2025)3月末現在、福島県の乗用車保有台数(軽自動車含む)は121万2,075台。世帯あたりの乗用車保有台数は約1.6台(世帯数は令和7年9月1日現在)となっています。リゾート開発が本格化地域経済活性化の切り札となったリゾート開発。昭和62年(1987)、総合保養地域整備法(通称「リゾート法」)が制定され、翌年の昭和63年に「会津フレッシュリゾート構想」が承認されました。山と湖の国・スイスに習い、夏のマリンスポーツ、冬のスキーと四季を通して楽しめることを目的に開発が進められます。この時期、首都圏から会津への交通は飛躍的に向上。東北新幹線は昭和57年に大宮駅─盛岡駅間が開通し、3年後には上野駅まで乗り入れています。昭和61年には日光─南会津間に会津鬼怒川線が開通。磐越自動車道の整備や福島空港の開港も控えていました。スキーリゾートをはじめ表磐梯にはホテルやリゾートマンション、裏磐梯の北塩原村にはペンションなども次々オープン。1990年代には国内外から観光客が押し寄せました。会津の歴史的・文化的財産を含め、会津一帯は国際的な観光地として広く知られるようになりました。多くの人が訪れたスキー場福島県の歩み昭和41年(1966)1月15日炭鉱からフラダンスへの転換鹿島街道・昭和51年(1976)11月(提供/いわき市)日本経済が高度成長期にあった昭和30年(1955)には日本のエネルギー供給を担ってきた常磐炭田はピークを過ぎ、石油の台頭により常磐炭の生産は停滞から減少へと向かいます。常磐炭田全体では、昭和30年から13年間で87の炭鉱が閉山となりましたが、この時期に誕生したのが常磐ハワイアンセンターでした。坑内から湧出する高温の温泉水の開発・利用という経営の多角化により資本転換を図ります。昭和41年1月15日、営業開始。温泉プールやフラダンスのショーを看板に、石炭からレジャー産業へ大きな転換を遂げ、昭和45年度には年間約150万人が訪れるなど、いわき市の観光産業を牽引しました。18福島県政150周年記念誌

福島県の重点施策グローバル期1990〜2000年代国内の経済活動や産業構造が拡大するなか、安心・安全な食、快適な住まい、地域への愛着など、それぞれのニーズが産業のあり方に影響を与えました。福島県でもきめ細やかな価値の創造により、日本の未来を支える産業の始動など、これまでの知恵や経験の集積を新しい時代に開花させています。黄金色に染まる稲田と磐梯山持続的な農林水産業への展開20世紀末の社会情勢は、経済の発展に伴い暮らしの豊かさを求める傾向が高まり、「個」が重視されるようになってきました。また、少子・高齢化が急速に進み、人口減少の兆しも見え始めていました。こうした中、農林水産業では進行する担い手の減少や高齢化、多様化した生活者のニーズへの対応、農山漁村のコミュニティ機能の維持が求められていた時代でもあります。さらに従来、輸入は全面禁止としていた米は、平成5年(1993)の大冷害をきっかけとして、平成11年に関税措置に移行しました。世界に目を向けると、開発途上国等の人口増加から世界的な食料不足が危惧され始めるとともに、温室効果ガス排出量の増加など地球規模での環境問題が顕在化しつつあり、自給率で示されるような国内食料の安定確保や環境負荷を軽減する生産方式の導入への機運が高まりました。福島県では、21世紀の持続的な農林水産業の発展に向けて、意欲的な担い手が魅力的な経営を展開していけるよう施策を展開。新技術の導入による生産性の向上や特色ある地域の気候等を生かした産地の形成の推進、効率的な流通体制の整備、全国の消費地における良質な生産物のPRなどの販売戦略の展開を進めました。郷土愛&県の魅力発揮「地産地消」「地元で生産されたものを、地元で消費する」ことは、食の安全・安心とともに消費者と生産者をつなぐ取組です。福島県では地域の資源や環境にも着目。人・もの・情報等の交流と経済の循環を活性化することで、さらに県全体の魅力を高めていくことを目指しています。学校給食においては、地域産の農産物を活用した献立を用意するなど、より効果的な食農教育を実施しています。「学校給食における地場産物の活用状況調査※」(令和7年度)では、地場産品活用の割合として豆類73.5%、果実類74.6%、鳥獣肉類(卵類)72.0%、穀物65.3%、鳥獣肉類(肉類)62.5%と続きます。学校給食での地場産物活用割合(令和7年度)は平均52.2%で、令和6年度の50.5%に対し1.7%の上昇。これは令和4年3月策定の「第四次福島県食育推進計画」の目標値50%を達成しています。福島県の歩み※調査対象施設県内において完全給食を実施している53市町村(給食委託の6町村を除く)立小・中・特別支援学校の単独調理場174施設、共同調理場68施設及び学校19校地産地消シンボルマーク福島県では、毎年10月・11月を地産地消月間として地産地消を広める活動をしています平成13年(2001)7月7日〜86日間うつくしま未来博ドローンによる生育確認「美しい空間美しい時間」をテーマにした博覧会「うつくしま未来博」が須賀川市で開催されました。日本で初めて森の中で開催された博覧会であり、「森と共生するくらし」の実験場として広く注目を集めました。また参加・体験プログラムが充実している「プログラムEXPO」となりました。3D映像により地球創造の物語を展開する「水の惑星・ジアース」、巨大模型等で昆虫の生態を紹介する「なぜだろうのミュージアムムシテックワールド」などのほか、県内市町村参加のイベントも連日開催。入場者数は165万7,002人を数えました。東京青果㈱トップセールス福島県政150周年記念誌19

福島県の重点施策復興・再生期2011~2011年3月、東日本大震災と原発事故により、福島県はかつてない試練に直面しました。しかし県民一人ひとりのたゆまぬ努力と、全国・世界からの支援によって、未来に向かって着実に歩みを進めています。県土を守り育て、持続可能なまちづくりへ。あらゆる分野の挑戦の成果が見え始めています。富岡産業団地敷地面積約33.7㏊。13社が進出(令和7年2月現在)東日本大震災・原子力災害からの復興平成23年(2011)3月11日、地震と大津波、そして原子力災害により県全土に被害が及びました。地震と津波による家万棟を超え、原子力災害により、16万人を超える県民が避難しました。東日本大震災と原子力災害の発生から、福島県は復興の道を歩んでいます。放射性物質に汚染された土地や建物は帰還困難区域を除き、除染実施計画に基づき、平成30年3月までに面的除染が完了しました。帰還困難区域では、6町村(富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村)に設定された特定復興再生拠点区域の全てで除染がおおむね完了し、令和4年(2022)6月から令和5年11月にかけて、避難指示が解除されました。また、令和5年12月から特定帰還居住区域の除染に着手しました。現在、避難指示区域の面積は県土の約12%から約2.2%まで約8割縮小(令和7年12月)していますが、いまだ県内外の避難者数は約2万3,700人(令和7年11月)となっており、避難者の生活再建が課題の一つです。住まいにおいては、平成31年までに計画戸数4,767戸の長期避難者向け復興公営住宅が完成しました。また、帰還者や移住者に対する医療施設の開設、小中学校の開校・再開、買い物施設の開業、企業・工場の稼働、交通機関の開通等、復興公営住宅いわき市:磐崎団地生活に必要な環境整備が浜通り地方を中心に進行しています。東日本大震災と原子力災害から15年が経過する中、復興は着実に前進しています。しかし、廃炉に向けた取組や除去土壌等の県外最終処分、風評・風化対策などの福島県特有の課題も残されています。これからも様々な方面から復興・再生をひとつ、ひとつ、実現していきます。東京電力福島第一・福島第二原子力発電所の廃炉に向けた取組東京電力福島第一原発及び福島第二原発については、令和元年(2019)9月までに、全基廃炉が決定しています。福島第一原発においては、令和13年(2031)末までに1~6号機の使用済燃料プールからの燃料取り出しや、令和19年(2037)からの燃料デブリの本格的取り出し開始が予定されるなど、令和33年(2051)までの廃止措置終了を目指し取組が進められています。福島第二原発においては、廃止措置の全工程を4段階に区分した廃止措置計画を策定し、令和47年(2065)までの廃止措置終了を目指し取組が進められています。処理水タンク解体に着手する様子[多核種除去設備(ALPS)]を確認する様子(提供:東京電力)福島県の歩み令和2年(2020)9月20日東日本大震災・原子力災害伝承館(双葉町)未曽有の複合災害及び復興に向けた歩みについて、約300点の資料や解説映像・パネル等で伝えます。語り部講話や団体向け研修プログラムも提供しています。20福島県政150周年記念誌

復興理念の実現へ再生可能エネルギーの推進福島県は、「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」を復興の基本理念に掲げ、再生可能エネルギー先駆けの地となることを目指し、再生可能エネルギーの導入拡大、再生可能エネルギー関連産業集積、持続可能なエネルギー社会の構築、水素社会の実現に向けて、様々な取組を進めています。また、平成26年(2014)には、再生可能エネルギーの研究拠点として、郡山市に福島再生可能エネルギー研究所(FREA)が開所しました。新たな産業基盤の構築を目指す福島イノベーション・コースト構想浜通り地域等の産業回復、新たな産業基盤の構築を目指し、「廃炉」「ロボット・ドローン」「エネルギー・環境・リサイクル」「農林水産業」「医療関連」「航空宇宙」の6つを重点分野として位置付け、産業集積や人材育成などの取組を進めています。今後の成長が期待される「航空宇宙」分野では、実績や技術を有する企業が地域に多数立地し、次世代航空モビリティの開発や関連産業の競争力強化など、次世代への挑戦が続いています。郡山布引高原風力発電所2050年、カーボンニュートラルの実現に向けて2050年度までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロとすることを目指し、令和3年(2021)2月に「福島県2050年カーボンニュートラル」を宣言しました。令和5年6月には、「ふくしまカーボンニュートラル実現会議」を設立し、あらゆる主体が連携して、オール福島で気候変動対策を推進しています。気候変動による影響が懸念される中、省エネの徹底や再生可能エネルギーの導入拡大、森林吸収源対策などの「緩和策」と、熱中症対策などの「適応策」を両輪として取組を進めています。温室効果ガス排出量(千t-CO2)25,00020,00015,00010,0005,00017,0342013年度比▲21.3%13,401福島県復興祈念公園の整備2013年度比▲50%2013年度比▲75%総排出量実排出量2013年度比▲100%019902005201320142016201820202022203020402050基準の年出典/福島県生活環境部環境共生課双葉・浪江両町にまたがるエリアに、国と県との連携のもと整備した復興祈念公園が令和8年(2026)4月に供用開始されました。原発事故による避難が継続しているなか、地域との連携により、震災等の記憶と教訓を後世に伝承するとともに、ふるさとを離れた地域の人々をつなぐ心の拠り所となるものです。震災遺構、360度一望できる丘、復興イベント等に利用できる芝生の多目的広場などが約46haの公園内に広がっています。福島県の歩み令和2年(2020)3月7日世界有数規模の水素製造拠点が浪江町に誕生福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)インターステラテクノロジズ太陽光発電を利用した世界の水素製造装置を備えた施設が令和2年2月末に完成し、稼働を開始しました。クリーンで低コストな水素製造技術の確立を目指しています。南相馬市に拠点を置く企業が開発中の小型人工衛星打ち上げロケットZERO(イメージ)福島の未来を切り拓くF-REI福島国際研究教育機関(略称F-REIエフレイ)は、令和5年(2023)4月1日に設立。研究開発、産業化、人材育成、司令塔という4つの機能により「創造的復興の中核拠点」を目指しています。ロボット・エネルギーをはじめとする福島ならではの5つの分野で、世界トップ水準の研究開発を実施。その一つである「原子力災害に関するデータや知見の集積・発信」分野では、原子力災害の被災地として調査研究を今後の災害への対策に役立たせるとともに、未来のまちづくりに貢献していきます。未来へシンカチャレンジするふくしま!陸・海・空のフィールドロボットの一大開発実証拠点です。インフラや災害現場など実際の使用環境を再現しており、ロボットの性能評価や操縦訓練等ができる世界に類を見ない施設です。南相馬市復興工業団地内に「無人航空機エリア」、「インフラ点検・災害対応エリア」、「水中・水上ロボットエリア」、「開発基盤エリア」を設けるとともに、浪江町・棚塩産業団地内には、長距離飛行試験のための滑走路が整備されています。世界に誇るロボットの一大開発実証拠点福島ロボットテストフィールド福島県政150周年記念誌21

22福島県政150周年記念誌福島第二原子力発電所20km福島第一原子力発電所国道6号JR常磐線常磐道旧緊急時避難準備区域(平成23年9月30日解除)凡例避難指示が継続している帰還困難区域中間貯蔵施設避難指示解除区域(葛尾村、大熊町、双葉町、浪江町、富岡町、飯舘村)特定復興再生拠点区域(解除済み)南相馬市飯舘村相馬市伊達市二本松市川俣町葛尾村田村市浪江町双葉町大熊町富岡町楢葉町広野町川内村避難指示区域の概念図令和7年3月31日時点飯舘村及び葛尾村の土地活用に向けた避難指示解除後東日本大震災・原子力災害15年「ふくしま復興のあゆみ」平成23年(2011)~平成31年(2019)令和元年(2019)~令和7年(2025)田村市H26.4.1避難指示解除準備区域の避難指示解除楢葉町H27.9.5避難指示解除準備区域の避難指示解除葛尾村H28.6.12避難指示解除準備区域及び居住制限区域の避難指示解除R4.6.12特定復興再生拠点区域の避難指示解除R7.3.31風力発電事業用地の避難指示解除川内村H26.10.1避難指示解除準備区域の避難指示解除居住制限区域を避難指示解除準備区域に再編H28.6.14避難指示解除準備区域の避難指示解除南相馬市H28.7.12避難指示解除準備区域及び居住制限区域の避難指示解除川俣町H29.3.31避難指示解除準備区域及び居住制限区域の避難指示解除浪江町H29.3.31避難指示解除準備区域及び居住制限区域の避難指示解除R5.3.31特定復興再生拠点区域の避難指示解除飯舘村H29.3.31避難指示解除準備区域及び居住制限区域の避難指示解除R5.5.1特定復興再生拠点区域及び長泥曲田公園の避難指示解除R7.3.31堆肥製造施設用地等の避難指示解除富岡町H29.4.1避難指示解除準備区域及び居住制限区域の避難指示解除R2.3.10特定復興再生拠点区域の一部の避難指示解除R5.4.1特定復興再生拠点区域(点・線拠点区域除く)の避難指示解除R5.11.30特定復興再生拠点区域(点・線拠点区域)の避難指示解除大熊町H31.4.10避難指示解除準備区域及び居住制限区域の避難指示解除R2.3.5特定復興再生拠点区域の一部の避難指示解除R4.6.30特定復興再生拠点区域の避難指示解除双葉町R2.3.4避難指示解除準備区域及び特定復興再生拠点区域の一部の避難指示解除R4.8.30特定復興再生拠点区域の避難指示解除11/14東京2025デフリンピックサッカー競技本県開催令和7年8/7小名浜道路開通9/10東京電力が福島第一原発2号機で燃料デブリの試験的取り出しに着手11/30富岡町特定復興再生拠点区域避難指示解除(6町村全て避難指示解除)8/24東京電力が福島第一原発ALPS処理水の海洋放出開始6/9特定帰還居住区域の制度創設(特措法の改正)4/10大熊町立学び舎ゆめの森開校令和5年4/1福島国際研究教育機構(F-REI)設立10/1JR只見線全線運転再開8/30双葉町特定復興再生拠点区域避難指示解除(県内全自治体での居住可能)5/25全国新酒鑑評会金賞受賞数9回連続日本一令和4年3/16福島県沖地震発生7/21東京2020オリパラ開催県営あづま球場にて野球・ソフトボール開幕4/24相馬福島道路全線開通3/31沿岸漁業・底びき網漁業試験操業終了(4月から本格操業に向けた移行期間へ)令和3年2/13福島県沖地震発生9/20東日本大震災・原子力災害伝承館開館3/31福島ロボットテストフィールド(RTF)全面開所3/14JR常磐線全線開通3/7福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)開所3/4避難指示解除準備区域の全てで避難指示が解除1/16新型コロナウイルス感染症国内で感染者初確認10/12令和元年東日本台風(台風第19号)被害発生9/30東京電力が福島第二原発1~4号機を廃止7/26富岡漁港再開(県内10カ所の漁港全て再開)令和元年令和6年4/20Jヴィレッジ全面再開4/10居住制限区域の全てで避難指示が解除平成31年4/8ふたば未来学園中学校開校6/10第六十九回全国植樹祭開催(平成の天皇皇后両陛下ご臨席)6/1福島県水産資源研究所新設平成30年3/19県内面的除染全て終了(帰還困難区域を除く)7/25福島イノベーション・コースト構想推進機構設立5/19特定復興再生拠点区域の制度創設、福島イノベーション・コースト構想推進の法定化(特措法の改正)11/7ふくしま医療機器開発支援センター開所平成28年7/12南相馬・楢葉原子力災害対策センター開所11/16環境放射線センター開所10/27福島県環境創造センター本館開所5/22第七回太平洋・島サミットいわき市で本県初開催4/8ふたば未来学園高等学校開校3/13中間貯蔵施設への搬入開始3/1常磐自動車道全線開通2/25中間貯蔵施設への搬入受け入れ容認(県・大熊町・双葉町)9/15国道6号全線開通9/1中間貯蔵施設の建設受け入れ容認(県)(12/16大熊町・1/14双葉町)4/1福島再生可能エネルギー研究所(FREA)開所平成26年1/31東京電力が福島第一原発5・6号機を廃止平成25年10/18いわき沖試験操業開始4/19東京電力が福島第一原発1~4号機を廃止4/1避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域が設定平成24年3/31福島復興再生特別措置法公布9/20平成23年台風第15号被害発生7/27新潟・福島豪雨発生、JR只見線一部不通7/15アクアマリンふくしま営業再開4/22計画的避難区域、緊急時避難準備区域、警戒区域が設定平成23年3/11東日本大震災・原子力災害発生平成27年平成29年令和2年

Introduction福島県の成り立ち明治元年(1868)9月、会津藩主松平容保は若松城を明け渡し、福島の戊辰戦争は終わりました。そして新しい時代の扉が開き、明治9年(1876)8月21日に福島県が成立。自由民権運動、特色ある産業の創出、戦災や災害からの復興、豊かな自然の活用、文化の発展などを通して、150年にわたり県民一人ひとりが、現在の福島県をつくり上げました。提供/一般社団法人福島市観光コンベンション協会廃藩置県と福島県明治4年(1871)7月、政府は廃藩置県を決行し、全府302県が設置されました。11月にはこれを整府72県としました。福島県では廃藩置県によって、福島・白河・若松の3県のほかに、二本松・棚倉・県が成立しました。そ月の改置府県によって二本松・若松・平の3県いわさきに統合。次いで直ちに二本松県は福島県に、平県は磐前県に改称されました。その5年後、明治9年8月に政府は府県統廃合を断行。全国の3府59県は3府39県(以後の分県により県数はいわさき増加)になりました。福島・磐前・若松3県は合併して現在の県域がほぼ確定し、福島県が誕生しました(合併により磐前県直轄であった亘理・伊具・刈田郡は宮城県へ移管。若松県直轄であった東蒲原郡は明治19年に新潟県へ移管)。さらに福島県誕生と同時に、福島城跡地であった福島市に県庁が設置されました。明治15年、県庁郡山移転運動が郡山市を中心に発生。明治18年に県議会で県庁の郡山移転を決議しますが、内務省は県庁移転の上申書を却下し、現在に至ります。福島・若松・磐前3県の合併を命じる岩倉具視から福島県への通達。「明治九年八月廾一日右大臣岩倉具視」と読み取れます。(福島県歴史資料館収蔵)行政の要福島県庁舎の歴史福島県庁は、江戸時代の「福島城」の城跡にあり、その南側には阿武隈川が流れています。春のサクラや夏・秋の木々の色づきなど、河岸わいはん(隈畔)の様々な風景は四季の移ろいを感じさせてくれます。明治13年福島県誕生当時は、旧福島城の本丸御殿を県庁舎として使用していましたが、火事で焼失。明治13年(1880)に新しい庁舎が建設され、明治40年まで使用されました。(提供/福島市)明治40年明治40年(1907)に、翌年の奥羽六県連合共進会に合わせて、モルタル洋風2階建の庁舎が造られました。奥羽六県連合共進会には全国から大勢が訪れ福島は大いに賑わいました。(提供/福島市)昭和10〜20年代昭和46年平成28年昭和13年(1938)に工事に着手した庁舎は、1階部分だけ鉄筋コンクリート造で建てられ、開戦により中断。昭和27年に階から上階を設計し直し、昭和29年に5階建ての庁舎となりました。(提供/福島市)昭和46年(1971)に12階建ての西庁舎が完成し、当時としては福島市内で最も高い建物となりました。写真の上部には福島県立医科大学附属病院が見えています。(提供/福島市)平成28年(2016)に7階建ての北庁舎が完成しました。災害発生時に迅速な対応が可能な災害対策本部等の危機管理拠点を新たに整備しました。福島県政150周年記念誌23

Introduction市町村合併の歴史日本での市町村合併は「明治期」「昭和期」、そして「平成期」の3時代において行われています。福島県においても、住民の利便性向上、行財政の基盤整備の促進、広域的視点でのまちづくり、行財政の効率化など、総合的な活力の強化と質の高い行政運営の確立を目指して、市町村合併が行われました。明治の合併(明治22年)明治期の合併では、近代国家建設のために中央集権化を図る目的で行われ、1町村の規模は300〜500戸程度にまとめられました。県内の市町村は、明治19年(1886)12月31日現在では、江戸時代からの自然発生的な「93町・1,638村」でしたが、明治21〜22年に町村大合併が行われ、その結果、明治22年4月1日現在では「21町392村」に減少。町は福島・飯坂・桑折・梁川・保原・川俣・二本松・本宮・郡山・三春・須賀川・白河・棚倉・若松・喜多方・猪苗代・坂下・平・小名浜・四ツ倉・中村の21になりました。また明治22年には市町村制が施行され、福島県においては明治32年になって初めて若松に市制が施行。福島県で最初の市となりました。その後、明治40年には福島が、大正13年には郡山がそれぞれ市制施行しています。市町村数の変遷(明治)福島県全国年年市町村計市町村計明治19年12月31日0931,6381,731明治21年—71,31471,314明治22年4月1日021392413明治22年3915,82015,859減少率76.1%減少率77.8%(資料:福島県広域行政HP・総務省HP)昭和の合併(昭和28年〜昭和40年)第二次世界大戦後の合併では、「市町村優先」に基づき、組織を合理化して財政基盤の強化を目指しました。昭和28年(1953)の町村合併促進法(3年計画)では、8,000人以上程度の住民を有する規模が標準とされました。福島県では同年10月に合併第1号・浪江町が発足。昭和30年、若松市を中心に1市7町村が合併し会津若松市が誕生しました。昭和31年の町村合併促進法失効時点で、県内の市町村は以前の5市65町309村から13市52町58村に整理されています。その後、常磐・郡山地区が新産業都市に指定され、昭和40年に郡山市が安積地方10町村を合併し20万都市に、翌年には常磐地区14市町村合併による広域都市いわき市が誕生。県内は10市50町30村となりました。福島市は信夫郡の飯坂町(昭和39年)・松川町と信夫村(昭和41年)・吾妻町(昭和43年)と続いて合併し、22万都市が誕生。さらに、昭和後期から平成にかけて新地町・河東町が誕生し、古殿町が東白川郡から石川郡に編入しています。これらの合併により安積郡・石城郡・信夫郡は消滅しました。市町村数の変遷(昭和)福島県全国年年市町村計市町村計昭和28年9月30日565309379昭和28年10月2861,9667,6169,868昭和41年10月1日10503090昭和40年4月5602,0058273,392減少率76.3%減少率65.6%(資料:福島県広域行政HP・総務省HP)24福島県政150周年記念誌

会津町三島津町会津美里町柳福島県内の市町村合併の状況(平成20年7月1日現在)桑折町国見町新地町福島市伊達市相馬市町金山町坂下町西北塩原村飯舘村川俣町会津湯川村磐梯町津若松郡山市会南相馬市市喜多方市猪苗代町大玉村二本松市本宮市葛尾村浪江町三春町田村市双葉町大熊町只見町昭和村南会津町下郷町西郷村白河市須賀川市泉崎村鏡石町矢吹町中島村天栄村玉川村石川町浅川町平田村小野町古殿町川内村いわき市富岡町楢葉町広野町檜枝岐村棚倉町鮫川村塙町矢祭町平成の合併(平成16年〜平成18年)平成期には、地方分権の推進や生活圏の広域化等への取組を目的に合併が行われました。平成16年(2004)11月に北会津村が会津若松市に合併し北会津郡は廃止。平成17年3月には、田村郡の滝根町・大越町・都路村・常葉町・船引町が合併して田村市が誕生。同年4月には長沼町と岩瀬村が須賀川市と合併、同年10月には会津高田町・会津本郷町・新鶴村が合併して会津美里町が誕生しました。同年11月には河東町が会津若松市と合併、さらに表郷村・大信村・東村が白河市と合併等、平成17〜18年にかけて市町村合併が続き、県域内の様相は変わりました。合併を促進させていた「市町村の合併の特例に関する法律」の経過措置が平成18年3月20日に終了し、それ市33町16村となりました。その後の平成19年には本宮町と白沢村が合併し本宮市が誕生。平成20年には飯野町が福島市に合併し、現在の福島県の姿「13市31町15村」の59市町村になりました。これら3時代の合併を通して、住民の利便性向上、基盤整備の促進、広域的視点でのまちづくり、行財政の効率化等、総合的な活力の強化が図られています。平成の市町村合併状況合併期日新市町村名合併した市町村16.11.1会津若松市会津若松市、北会津村17.3.1田村市滝根町、大越町、都路村、常葉町、船引町17.4.1須賀川市須賀川市、長沼町、岩瀬村17.10.1会津美里町会津高田町、会津本郷町、新鶴村17.11.1会津若松市会津若松市、河東町17.11.7白河市白河市、表郷村、大信村、東村17.12.1二本松市二本松市、安達町、岩代町、東和町18.1.1南相馬市原町市、鹿島町、小高町18.1.1伊達市18.1.4喜多方市伊達町、梁川町、保原町、霊山町、月舘町喜多方市、熱塩加納村、塩川町、山都町、高郷村18.3.20南会津町田島町、舘岩村、伊南村、南郷村19.1.1本宮市本宮町、白沢村20.7.1福島市福島市、飯野町市町村数の変遷(平成)福島県全国年年市町村計市町村計平成7年4月1日10522890平成7年4月1日6691,9965693,234平成20年7月1日13311559平成18年3月31日7778461981,821減少率34.4%減少率43.7%(資料:福島県広域行政HP・総務省HP)福島県政150周年記念誌25

01復興・再生/磐梯山噴火いくつもの災禍を乗り越えて西方向から見た磐梯山全景(1980年代撮影)(提供/アジア航測株式会社)(提供/竹内写真館)「見祢の大石」は岩なだれとともに流れ着いた巨大な岩㊧。現在はその自重により半分ほど埋まっています(国の天然記念物)㊨山の形が変わる一瞬の出来事被害状況と調査明治21年(1888)7月15日午前7時45分、猪苗代湖の北に位置する磐梯山が突然の大噴火を起こしました。その日の朝は快晴、7時頃から地震が発生しましたが、誰もが特に気に留めず、いつも通りの朝を送っていました。その時、地中からの強烈なエネルギーによって、主峰である大磐梯山の北側にあった小磐梯山が吹き飛ばされました。一気に多量の岩塊が蒸気の働きで細かくされ、火山灰となって磐梯山の2倍もの高さに投げ出されたといわれます。また高熱で濃縮された蒸気に混じって熱い雨や泥流となり、主に北側と東側に向かって伸びていきました。直接の原因は「水蒸気爆発」であり、溶岩の噴出は見られなかったということです。磐梯山噴火による被害範囲は、現在の耶麻郡猪苗代町(346.59㎢)、耶麻郡北塩原村(234.899㎢)、耶麻郡磐梯町(59.52㎢)の3町村にまたがります。埋没した家屋45戸、倒壊家屋約1,000戸、死者477人(内温泉客33人含む)、負傷者28人、被害面積約1万haを超える事態になりました。28億8,000t以上の重量のある噴出物が撒き散らされたことになり、噴火の威力の大きさを物語ります。これらの調査は、噴火後直ちに出張を命じられた帝国大学(現東京大学)教授ら2人と工学士の3人が危険を顧みずに行い、「磐梯山破裂実況取調報告」が、文部大臣に提出されています。26福島県政150周年記念誌

興・再生01生活基盤02産磐梯山噴火後、地元住民らはすぐに近所の人々の救援や不明者の捜索を行いました。役場職員と警察官、医師らも付近の集落を巡回し、当日のうちに福島県庁から内務省へ電報が打たれると翌日の官報に掲載。新聞を通して全国に被害の状況が知らされ、各地から救援の手が差し伸べられました。被害地域の応急対策において、天皇陛下からの恩賜金と義援金の意義は大きいものがあり、義援金は主に新聞社が窓口となり、次々に現地に送られました。また海外からも数多く寄せられて罹災者救済にあてられています。後の“災害支援”の一典型となりました。新たな観光の創出磐梯山の噴火で飛散した岩石や土砂により長瀬川が堰き止められ、桧原湖・小野川湖・秋元湖が生まれました。また、泥流でできた窪地が流水や湧水で満たされ五色沼湖沼群となり、今の裏磐梯の景観をつくりあげました。現在では、五色沼はコバルトブルーやエメラルドグリーンなどの鮮やかな色を見せ、点在する沼に沿い全長4kmの探勝路が整備されています。裏磐梯の沼や湖は、130年以上の時を経て歴史と人々と自然をつないでいます。未来へシンカチャレンジするふくしま!小野川湖中瀬沼雄大な自然界の魅力発信秋元湖五色沼自然探勝路「毘沙門沼」の近くに位置する「裏磐梯ビジターセンター」は、令和7年(2025)4月にリニューアルオープンしました。館内では、磐梯山の噴火によって形づくられた地形の成り立ちを、ジオラマを通して分かりやすく学ぶことができます。また、五感を通して自然の魅力を体感できるよう、様々な展示の工夫が施されており、まるで森の中にいるかのような感覚を味わえます。同館には自然解説員が常駐しており、トレッキングのアドバイスや展示の解説を受けることができます。裏磐梯ビジターセンター●開館時間は午前9時〜午後5時(冬季は午後4時)。火曜・年末年始は休館銅沼教訓未来へ向かって、新たな環境の息吹岩屑なだれで荒廃した磐梯山北麓では、明治43年(1910)、会津若松市の遠藤十次郎が私財を投じて付近一帯の植林事業を始めました。林学博士の中村弥六の指導を受けながら、10年をかけアカマツを中心に1,339万2,000㎡に及ぶ植林地を完成させました。また、付近の湖沼の一つを中村弥六の名前にちなみ「弥六沼」と名付けました。その後長い年月をかけ、徐々に磐梯山北側一帯は落ち着きを取り戻し、新たな自然環境が作られていきました。遠藤十次郎の事業は、地域の人々の自然に対する保護意識を育みました。火山災害に学ぶ明治21年(1888)の磐梯山噴火は、天明3年(1783)の浅復政府や社会の関心03遠藤十次郎学編救援活動福島県政150周年記念誌27自然美がよみがえった桧原湖と磐梯山間山の大噴火以来の近代稀に見る大規模な災害となりました。観測体制がない状況で予知情報や予備知識もないままに、前もって避難することなく、磐梯山北麓の住民全員が犠牲になりました。そのような水蒸気爆発型の火山災害は、十分な観測体制による噴火予知(時期・場所・規模・推移など)、そして適切なタイミングで避難することが重要です。そのためのハザードマップ作成、地域防災計画、防災体制の整備が効果的であることから、火山を擁する国々で制度が設計されています。業04校教育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料

01復興・再生/戦災①②③④⑧⑤⑥⑦⑨①スズラン通りのアーチ(昭和20年代)②郡山駅前(昭和14年頃)③郡山駅前アーケード街(昭和30年)④アメリカ軍爆撃機B29⑤B29から爆撃を受けた建物⑥勤労奉仕の様子⑦終戦直後のスズラン通り(昭和20年代)⑧買い出し列車⑨国民学校の体錬科授業風景①⑦(提供/福島市)②③④⑤⑥⑧⑨(提供/郡山市)福島県とアジア太平洋戦争昭和16年(1941)10月に戦時動員令が下り、会津若松市を拠点とする歩兵第29連隊は12月に冬の会津から南方ジャワ島の攻略戦に参加。さらにガダルカナル島奪還作戦の主力として戦い、ほぼ全滅の様相となります。上陸兵2,453人中、戦死者2,153人、撤退者はわずか300人でした。以後はフィリピンやシンガポール、ビルマ(現ミャンマー)などを転戦、戦闘や防御・警備にあたり、昭和20年に仏領インドシナ(カンボジア、ベトナム、ラオス)各地で終戦を迎えました。昭和12年以来、このように福島県人が動員された部隊はのべ350部隊、兵役に就いた人は13万人を超え、戦没者は6万人を超えると伝わります。昭和20年(1945)8月15日、終戦を迎える真夏の太陽が照りつける正午、「玉音放送」により敗戦の事実が国民に届けられました。その日の夕方には「今日から燈火管制をしなくてよい」という指示があり、覆いを取った電燈の下で明るい夜を迎えることになりました。終戦を迎えてからも苦難は続きます。戦時中からの食糧事情がさらに悪化し、加えて凶作に見舞われます。配給は滞り、ヤミ物資を扱う市場に人々が集中。また貨物列車は「買い出し列車」と化し、輸送人員300%を超える混雑に。戦争終了の喜びから日々の生活の苦難までを味わいながら、人々は戦後をたくましく生きていきます。歴史の中の日本〈アジア太平洋戦争〉昭和に入り満州事変、日中戦争の後、中国・東南アジアでの勢力拡大を目指す日本は、昭和14年(1939)9月に第二次世界大戦が始まると日独伊三国同盟を締結。日本のアジア侵攻を望まない米国・英国との対立が深まります。昭和16年12月8日、日本軍が英領マレー半島とアメリカ海軍の基地があるハワイの真珠湾を奇襲し、アジア太平洋戦争が始まりました。開戦当初はマニラ・シンガポール占領など日本軍が優勢でしたが、昭和17年6月にミッドウェー海戦で日本海軍の空母4隻が撃沈。その後、アジア各地の戦闘で大勢の日本軍兵士が戦死しました。昭和19年6月には日本の国防圏マリアナ諸島を守るため、マリアナ沖海戦に突入。日本は空母艦載機400機のほとんどを失い、守備部隊も全滅。10月にはレイテ沖海戦において海軍神風特攻隊が初出撃しました。国外で戦闘が続くなか日本国内への空爆も行われ、学徒出陣や学徒勤労動員、学童疎開など国内各地でも大変な苦難の時を送りました。昭和20年に入ると、米軍のルソン島・硫黄島上陸、マニラ占領と続きます。そして3月、沖縄への上陸戦が開始。空襲が全国各地を連日襲うなか、広島・長崎へ原爆が投下されます。8月14日、「ポツダム宣言」の受諾を決定。翌日15日に「終戦」が国内外に伝えられました。28福島県政150周年記念誌

活基盤02産校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編ふくしまの戊辰戦争〈空襲〉新たな戦場アジア太平洋戦争末期、日本の生産力を潰すため、米軍は激しい空襲を行います。福島県では軍需関連工場が集積している郡山市が標的になり、昭和20年(1945)4月12日の昼、爆撃機が8回、延べ136機で波状攻撃をかけてきました。軍需関連工場や中心街が焼かれ、400人以上の犠牲者を出しました。郡山市度あり、約500戸の家が焼かれました。福島県で空襲の被害が最も大きかったのは郡山市で、次いで平市(現いわき市)、原町(現南相馬市)も爆弾や機銃掃射・焼夷弾などによる空襲の被害がありました。空襲の記録〔郡山市〕■4月12日犠牲者460人負傷者約2,500人標的の中心になった保土谷化学工場郡山工場で人が命を落としました。その内には、勤労動員生の白河高等女学校(現白河旭高校)の生徒14人、安積中学校の生徒5人、郡山商業学校の生徒6人、安積高等女学校(現安積黎明高校)の生徒1人の合計26人が含まれています。■7月29日犠牲者14人負傷者31人郡山駅及び紡績工場付近に爆弾の投下及び機銃による銃撃の被害を受けました。■8月9〜10日負傷者34人金屋にあった海軍航空隊が目標とされ、周辺地域に小型爆弾の投下及び機銃による銃撃が連日ありました。※犠牲者数・負傷者数については諸説あり戊辰戦争は慶応4年(1868)1月3日、鳥羽伏見において勃発しました。そこから若松城落城までは約9カ月。県内だけでなく、日本全体を覆う戦争となりました。幕府は鳥羽伏見で敗戦、徳川幕府は崩壊しました。江戸開城後も政府軍は、幕末に京都守護職として尽力した会津藩主松平容保と会津藩に敵対し、引き続き会津討伐に向かいます。東北諸藩に越後も加わった「奥羽越列藩同盟」は会津救命に加わり、戊辰戦争は本格的な戦いに突入。これにより全県下に拡がる全面戦争になりました。戦闘は白河城攻防戦からはじまり、政府軍は棚倉藩、泉藩、湯長谷藩、平藩、相馬藩を次々と制圧。三春藩は無血開城、二本松藩は激戦ののち落ちました。8月23日、政府軍は若松城下に突入。城下を巻き込んだものとなりました。若松城には老幼婦女子1,000人人余りが立てこもり、砲弾を受けながらも抵抗を続けました。9月14日の総攻撃では、50門発ずつの砲弾を城内に打ち込んだといわれます。会津軍は若松城での1カ月の籠城戦の末、ついに9月22日、開城。ふくしまの戊辰戦争は終結しました。福島県の歩みふくしまの戊辰戦争終結慶応4年(1868)9月22日の若松城開城──この日から会津は新たな歴史を作ります。会津戊辰戦争は、これまでになく少年兵や婦女子が戦闘に参加した点が特徴的でした。出陣を志願した12〜17歳の二本松少年隊の激闘、16〜17歳の白虎隊の飯盛山での自刃、後に新島襄の妻となる山本八重は自ら銃をとり戦うなど、会津藩の団結力や心意気が示されました。福島県政150周年記念誌29復興・再爆撃を受ける日東紡績富久山工場(提供/郡山市)火災時の備え、バケツリレーによる消火訓練(提供/郡山市)慶応4年(1868)9月22日その後の日本において、会津藩出身者は様々な局面で国政を助け、事業を創出するなどの活躍を見せています。元会津藩家老の山川大蔵は陸軍少将に、その弟で元白虎隊士の山川健次郎は東京帝国大学総長の後、晩年には枢密顧問官を務めました。新島八重は同志社女子大学開学の基礎を築いています。会津の人々は地域を守り、復興に努め、政治の場で活躍してきました。会津戊辰戦争に流れている一人ひとりの想いが、その後の史実に織り込まれています。山川健次郎(提供/会津武家屋敷)03学生01生業

01復興・再生/戦災昭和27年、完成前年の平和通り風景(提供/福島市)挙国一致の後方支援戦時中の全国各地域を覆う国民統制は、あらゆる場面で浸透。県・郡・町村などの組織が中心となり、町内会・隣組・青年団・少年会・婦人会・文化団体・産業報国会など多方面にわたり確立されました。それらは、戦う人を支える後方支援体制ともなりました。少年会は学校ごとに結成し、福島市では700人が組織され、皇居遥拝から神社参拝・慰問袋の発送・清掃・勉強まで、行事として実施されました。町内会でも戦時下の地域生活を組織の秩序のもと行っています。現在の町内会の起源といわれる昭和15年(1940)の「部落会町内会等整備に関する訓令」に基づき、町内会でも戦時下における共助に基づく地域生活を組織の秩序のもと行っていました。当時から回覧板での情報伝達が行われており、現代に受け継がれているものがあります。昭和32年の平和通り。中央分離帯と「少女の像」(提供/福島市)福島・郡山・平3市の建物疎開(提供/福島市)慰問袋戦時中、出征兵士を慰めるために、手紙や娯楽物、日常品などを戦地に送りました。慰問袋はそれらを入れる袋です。当時の小学生も作文や絵などを入れて励ましました。太平洋戦争中の昭和20年(1945)7月、防空法に基づき福島市、郡山市、平市の中心部に空地帯を設けるため、建物の強制疎開が指示されました。終戦後、福島市においてはその土地を都市計画の一環として街路にすることが決議され、現在の平和通りが建設されます。昭和28年、福島駅から舟場町まで舗装された歩車道分離の大通りが開通。完成当初の中央分離帯には花壇が設けられ、太田良平(伊達市出身)作の「少女の像」が飾られましたが、昭和30年代に交通量の増加にともなう車線拡張工事のため撤去。現在「少女の像」は、福島市児童公園で見ることができます。また昭和48年には「あづま陸橋」が接続され、福島駅東西の交流が便利になりました。30福島県政150周年記念誌

昭和17年(1942)から、徴兵による労働力不足で、軍需工場の人材確保の問題が深刻化してきました。それを補うため、生徒の勤労動員が本格化します。県内で対象になった生徒数は男子20校2,765人、女子18校1,950人(昭和19年動員)にのぼりました。県内の軍需工場をはじめ炭鉱、鉄道の駅や土木作業場への動員、県外の川崎や横須賀、日立などの工場・施設へも多くの生徒が出向いて働きました。郡山市は軍都として指定されており、軍需工場の数が多かったので多くの学徒が動員されています。学徒動員により学校の授業は停止され、生徒の通わない学校は軍の兵舎や、軍需工場に利用されることもありました。軍需工場から復興都市へ戦争中の経済政策は軍需生産第一であり、郡山市では日東紡績富久山工場、保土谷化学、松葉製糸、三菱電機郡山工場などが軍需工場へ転換。また都市の空襲を避けて地方へと工場の疎開も行われ、福島地域には東洋精機、東芝松川工場、沖電気、中島飛行機製作所などが疎開してきました。多くの工場は戦後も疎開先に残り、発動機・電気製品・製糸機械などの生産に転換。地域経済の発展に寄与しました。郡山市は戦後、戦災復興都市の指定を受けて工場地帯の整備を進めるとともに、国道4号の整備、工業用水の確保、工場用地の造成などを目指しました。郡山市の戦後の工業生産額では昭和23年(1948)は総額13億円、昭和28年には総額63億円と5年間で50億円の増加となり、製造業が勢いを盛り返しました。女性警察官の活躍戦後の婦人参政権や男女同権等の世相の変化を反映し、警察民主化の試みとして女性警察官の採用が行われました。昭和21年(1946)3月に初めて警視庁で採用。福島県も続いて婦人警察官採用要項を策定。福島、郡山、若松、平の4警察署への配置を決定しました。130人の志願者に対し、筆記試験・口述試験・身体検人が、翌22年1月に婦人警察官第1期生となりました。県内各地で期待と歓迎のムードで迎えられた婦人警察官でしたが、採用は1年限りとなり、福島県で婦人警察官の採用が再開したのは平成5年(1993)で、46年後に復活となりました。中島飛行機製作所の軍需工場となった旧福島商業学校(提供/福島民友新聞社)街頭で交通整理をする婦人警察官(提供/福島市)農地改革、農民の解放復興・再学徒勤労動員編労働力を補う福島県政150周年記念誌31作業服姿で麓山公園(郡山市)にて日東工鉱業郡山工場猪苗代実科高等女学校生昭和20年(1945)、連合国軍総司令部による「日本の農民を苦しめてきた封建的圧迫、経済的束縛を打破し、労働の成果を享受する均等な機会を得させる措置」の司令により、農地改革が実施されました。当時、県内の農地は17万7,700ha、小作地は7万2,600haありました。このうち6万4,300haが解放されました。昭和21年4月26日の統計で自作経営は4万7,000戸(30%)から、昭和25年2月1日では10万5,600戸(63.4%)へ増加。地主制度の崩壊のなか、地主から解放された農民の自立化が際立ちました。農業を取り巻く構造が大きく変化し、自作経営となった層が戦後の農業生産の中核を担うことになりました。農作業風景(昭和45年頃南相馬市)福島県の歩み労働運動メーデーの復活昭和21年(1946)5月1日昭和21年(1946)5月、郡山地区で第17回メーデーが開催され、約1万人が参加しました。これは昭和10年の第16回メーデーを最後に禁止されて以来、11年ぶりのことになり、全国各地で盛大に行われました。この日を前に、郡山では20を超す労働組合が生まれ、生活を守るために賃金引き上げや労働条件の改善を求めて、デモ行進が行われました。郡山市のメーデーの様子(昭和32年)(提供/郡山市)03業学校教01生02生活基盤産04育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料

01復興・再生/水害令和元年東日本台風による郡山市徳定・御代田地区の浸水被害(国土地理院撮影/令和元年10月13日)令和3年5月、御代田地区下流工区の整備が完成洪水の歴史阿武隈川の流路と台風阿武隈川の洪水の歴史は平安時代にさかのぼり、江戸時代の洪水も多数記録されています。明治に入ると明治23年(1890)と明治43年の洪水で大きな被害が発生し、それを契機に大正8年(1919)阿武隈川・阿賀川の大規模な河川改修工事が着手されました。昭和以後も洪水は頻繁に起こり、中でも昭和61年(1986)8月5日は戦後最大の出水を記録。犠牲者4人、被災家屋20,216戸、浸水面積15,117haという甚大な被害を受けました。郡山市では中央工業団地や卸売市場等が浸水し、精密機械工場などに膨大な被害をもたらしました。阿武隈川は福島県の旭岳を源流とし、釈迦堂川、大滝根川、荒川、摺上川、白石川等の支流を合わせて太平洋に注ぐ、幹川流路延長239km、流域面積5,400㎢の一級河川です。流域が南北に長く南から北に流下するのが特徴で、上流域の白河盆地を過ぎた付近から北向きに流れが変わり、台風の進路と同じ方向になります。そのため洪水の発生、そして甚大な被害をもたらしやすい傾向があります。昭和16年7月19日台風8号による洪水本宮町役場の冠水状況。家屋は軒下まで浸かり、交通はすべて木舟による(提供/福島河川国道事務所)昭和23年9月13日台風21号による洪水流失寸前の電車の鉄橋(路面電車福島・長岡[伊達市]間の松川鉄橋)(提供/福島民報社)旭岳宮城県山形県七ヶ宿ダム白石川岩沼市白石市摺上川ダム摺上川福島市二本松市阿武隈川福島県大滝根川郡山市三春ダム角田市白河市32福島県政150周年記念誌

興・再生01生活基盤02産平成10年(1998)8月30日、停滞前線と台風による大雨の影響で、阿武隈川周辺地域(福島市・郡山市・須賀川市)は甚大な被害に見舞われました。福島県で犠牲者11人、被災家屋3,659戸、浸水面積3,631haの被害が生じ、地域社会・経済に大きな損害を与えました。この洪水に対する改修事業は「平成の大改修」と称され、集中的に築堤、掘削、護岸工事、排水ポンプ等の設置等が行われました。平成14年7月には、阿武隈川で平成10年8月末豪雨と同規模の洪水が発生。阿武隈川においては観測史上最大の規模でした。県内で多くの浸水被害がありましたが、「平成の大改修」により、南川(郡県土全域で、歴史的大洪水〈東日本台風〉令和元年(2019)10月12日20時、福島県に大雨特別警報が発令。東日本台風(台風19号)が上陸し、阿武隈川流域では福島地点において平均253mm(2日雨量)の雨が短時間に激しく降り、戦後最大であった昭和61年(8.5洪水)や平成の大改修の契機となった平成10年(8.27洪水)を上回る雨量が観測され、記録的な降雨となりました。過去の水害と比較して水位の上がり方が非常に早かったのが特徴です。そのため、上流部の須賀川市浜尾地先では堤防が決壊し19カ所以上で越水。福島県管理区間では30カ所の河川決壊のほか、数多くの越水・溢水が発生しました。ほかにも夏井川流域6カ所、宇多川・小高川流域で各3カ所等、県内全域で合計49カ所の堤防決壊が生じました。また、本宮・郡山・須賀川・いわき等を中心に約1万3,000戸の全壊・半壊の住家被害が発生しました。洪水・土砂災害等により県内で40人が犠牲となっています。過去の出水との比較ソフト面で防災対策を強化令和元年(2019)の東日本台風被害を受けて、「阿武隈川緊急治水対策プロジェクト」を策定。国・県・関係機関が連携しハード整備・ソフト対策が一体となった事業を行いました。県では「福島県緊急水災害対策プロジェクト」として、ソフト面での対策も強化。地域住民の避難支援のため危機管理型水位計の設置拡大、はん濫の危険性が高い場所への簡易型河川監視カメラの設置拡大、洪水浸水想定区域の早期作成・公表などにより、安全対策を強化し、一層の防災対策、住民の安全確保を目指しました。簡易型河川監視カメラ(濁川・福島市)復平面図洪水時ネックの区間を掘削する水位上昇横断図洪水時水位洪水時堤防掘削により水位を下げる水位上昇浸水しなくなる無堤地区の解消(築堤)ボトルネックの解消(掘削)03ダムや遊水地による「治水」効果学須賀川市浜尾地区緊急復旧工事状況(堤防決壊から一月以内の11月8日に完了)(提供/福島河川国道事務所)市の浜尾遊水地では約260万㎥の水を溜め、須賀川水位観測所で約30cm水位を低下させています。※計画高水位河川管理上の基準とする水位の一つ。この水位以下で計画高水流量を安全に流下させることができるように、河川整備や橋梁などの許可工作物設置に際して考慮すべき基準の一つとなる。未来の水害対策グリーンインフラの整備21世紀記念公園と地下の麓山調整池(提供/郡山市)編阿武隈川の「平成の大改修」福島県政150周年記念誌33堤防が無いために浸水堤防により浸水を防ぐ雨量須賀川(mm/24h)郡山(mm/24h)福島(mm/24h)東日本台風以前の各地の最大雨量平成10年8月出水(平成の大改修の契機となった出水)233平成23年9月出水184昭和61年8.5洪水東日本台風での出水時の水位は、阿武隈川上流・荒川において基準観測所すべてで、はん濫危険水位を超過。本宮・阿久津(郡山市)・須賀川地点では計画高水位※も超過しました。各地で排水ポンプ車の出動、排水機場の稼働、水門調整等の内水排除が行われ、阿武隈川支流・大滝根川の三春ダム、支流・摺上川の摺上川ダムでは防災操作が実施されました。それにより三春ダムでは下流の阿久津地点で約84cm、摺上川ダムも下流河川で約34cm水位を低減させたと推定され、越水時間の短縮や破堤を防ぐことにつながったと見られます。また須賀川236平成14年7月出水1501.2倍1471.1倍1681.3倍令和元年東日本台風271(1位)211(1位)213(2位)山市)・釈迦堂川(須賀川市)・隈戸川(白河市・矢吹町)で浸水被害が軽減されました。堀川・谷津田川でも堀川ダム(西郷村)完成もあり浸水被害は軽減されました。未来へシンカチャレンジするふくしま!気候変動に伴い頻発・激甚化する水災害等に対し、流域のあらゆる関係者が連携した「流域治水」対策を実施。見直しされた「気候変動による降雨量の増加を考慮した計画」では、はん濫をできるだけ防ぐ・減らす対策、被害対象を減少させる対策、被害の軽減・早期復旧のための対策を多層的に進めています。また災害リスクの軽減として、自然環境のもつ多様な機能を利用するグリーンインフラの整備等も推進。郡山市では21世紀記念公園の地下に雨水を貯留できる調整池を整備しています。業04校教育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料

01復興・再生/地震・津波請戸海岸上空より。中央右側に請戸小学校平成23年(2011)3月11日14時46分三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生し、宮城県栗原市で震度7を観測したほか、福島、茨城、栃木で震度6強を観測するなど、北海道から九州までの45都道府県で震度7~1の地震を観測しました。気象庁はこの地震を「平成23年東北地方太平洋沖地震」と命名しました。政府は、この地震による災害を「東日本大震災」と呼ぶことを決定しました。福島県内では浜通り、中通りの11市町村で震度6強を観測したほか、県内全域で震度3以上の揺れを観測。震度6弱を観測した小名浜では震度4以上の揺れが約190秒継続するなど、強い揺れが長時間続き、その後も大きな余震が連続しました。地震発生3分後に津波警報(大津波)が発表され、地震からおよそ1時間後、9.3m以上(相馬・気象庁発表)の津波が沿岸地域を襲いました。この津波はアメリカやチリなど太平洋に面した国々まで到達し、アメリカのクレセントシティでは2.47mの高さを観測しています。この大津波は、東京電力福島第一原子力発電所及び福島第二原子力発電所にも到達し、第一原子力発電所では、国際基準で最も深刻とされるレベル7の放射能漏れを伴う事故につながりました。複合災害から県民の命を守りながら復旧・復興を進める福島県は、自然災害である東日本大震災に加え原子力発電所の事故が発生したため、各自治体は通常の自然災害とは異なる対応を迫られました。負傷者の救助や行方不明者の捜索など昼夜を問わず緊急対策が進められましたが、原子力災害により立ち入りが震災後初の請戸漁港「出初式」(平成30年)被害の概況(令和7年12月8日/被害状況即報より)死者4,181人うち震災関連死2,350人行方不明者0人避難者23,701人重傷者20人軽傷者163人住家被害全壊16,084棟、半壊87,310棟沿岸部集中捜索患者搬送(平成23年3月13日)(平成23年6月16日南相馬市)制限されたことでこれらの活動が困難を極めました。原子力災害による避難指示が出された市町村は役所も含めた避難を余儀なくされたため、県外も含めた他の市町村に避難所を開設せざるを得なくなりました。避難指示が出された住民だけでなく放射線の影響を懸念し自主的に避難する住民も含めた広域的な避難が発生し、受け入れる側の市町村は、自らの住民だけでなく34福島県政150周年記念誌

原子力災害による避難者の受け入れにも対応しなければなりませんでした。さらに、避難指示が出されなかった市町村においても、原子力災害に伴う放射性物質の飛散による農業等への東日本大震災直後の小名浜・太平橋(平成23年4月23日)(提供/いわき市)影響は福島県産であることによる風評被害も含め甚大であり、また、放射線の影響についての住民説明などにも苦慮しました。県も市町村も自然災害と原子力災害の両方に同時に対応するという前例のない取組を余儀なくされました。その後、長期避難に対応するため、二次避難所として旅館やホテルの活用を行いながら応急仮設住宅の整備を進めました。また、医療機関・介護施設の再開など医療提供体制の確保に取り組みました。原子力災害は教育にも大きな影響を与え、放射線に配慮しながら市町村においては小中学校の再開を進め、県においては避難指示区域内の高校のサテライト校による再開を進めました。このように、複合災害の初期段階において、極めて困難な状況にあっても、住民の生命と生活を守る取組が継続して行われてきました。また、まずは避難指示が出されなかった地域において復旧・復興が進められ、避難指示が出された地域は放射性物質の除染を伴いながら避難指示の解除に向けて、被災した様々な施設で復旧・再建が行われ、商業施設や行政施設、道路、河川、橋梁、港湾、漁港、鉄道等の再生が進められています。このような取組により、避難指示が出された地域は最大で県土%に相当しましたが、現在は2.2%に縮小しています。大震災と原発事故から15年、国内外からの支援や応援を受けて歩みを進めてきた福島県。複合災害からの再生のその先の復興を見据えながら力強く歩もうとする福島県の姿に希望を感じるとして、ホープツーリズムを体験する人も増えています。令和4年に発生した福島県沖地震令和4年(2022)3月16日23時36分、福島県沖を震源とすの地震が発生。相馬市・南相馬市・国見町で震度6強を記録、宮城・福島両県で大きな被害となりました。福島県は犠牲者1人、負傷者101人、全壊165戸を含む住家被害万4,000戸以上。ライフラインへの被害もあり、相双地方の2万5,000戸以上で停電及び水道管の損壊による断水がありました。鉄道や道路など交通への影響も大きく、東北新幹線「東京発―仙台行」では脱線事故が発生。また道路、橋梁、河川、港湾、漁港、海岸など復旧事業箇所は141に上りました。令和7年3月31日現在で97.8%が復旧を完了しています。令和4年3月被災3号ふ頭先端護岸令和6年2月末竣工(新地町)復興・再〈会津地方〉小名浜魚市場前では引き波で海底が露出(昭和35年5月24日)(資料:「写真でつづる実伝・いわきの漁民」)復興への道筋自治体間連携による支援体制編内陸型地震災害対策本部事務局の様子福島県政150周年記念誌35福島県においては、内陸型地震として、会津地域での地震が歴史の中に散見されます。慶長16年(1611)9月の会津地震は直下型地震で、若松城下及びその近辺で被害が大きく、寺社仏寺の堂塔倒壊・大破が多かったといわれます。民家被害2万戸余、死者3,700余人、河川では山崩れで流路が塞がれ湖ができたという記録もあります。他にも万治2年(1659)・昭和18年(1943)の田島(現南会津町)地震などが知られ、只見川周辺や山間の集落を揺るがしました。海外の地震から、津波が来襲昭和8年(1933)3月の三陸地震では久之浜(いわき市)で1.5mの津波を記録。昭和13年(1938)5月の塩屋埼沖地震、同11月の福島県東方沖地震でも1m前後の津波が記録されています。昭和35年(1960)5月23日には、南米チリで発生した地震による津波が22〜23時間後に日本へ押し寄せ、太平洋沿岸に到達。全国で死者・行方不明者139人となりました。いわき市小名浜測候所の観測では、最高潮位3.75m、最低潮位マイナス1.29m。魚市場まで波が流れ込み、マグロなど約1tが海中にさらわれました。いわきの海岸では3人死亡と記録されています。地震は太平洋に面している国々に影響を及ぼします。未来へシンカチャレンジするふくしま!平成25年(2013)6月、災害対策基本法が一部改正され、東日本大震災のような大規模広域災害について即戦力の強化が図られました。災害への対応業務に習熟した人材が必要とされるなか、東日本大震災からの復興において全国の自治体から被災地へ職員派遣が行われ、一般事務・土木・建築等の業務に就いています。他にも被災自治体(県や市町村)での任期付職員採用等で必要な人材を確保しています。派遣を終えた職員は、被災地の復興事業に関するノウハウの蓄積により、今後の災害発生時はもちろんのこと、自治体連携の要としての活躍が期待されています。03業学校教01生02生活基盤産04育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料

01復興・再生/原子力災害東京電力福島第一原子力発電所3号機への放水作業(大熊町)平成23年3月11日東日本大震災、そのとき原子力発電所では──大熊町と双葉町に位置する東京電力福島第一原子力発電所(第一原発)と、富岡町と楢葉町に位置する同第二原子力発電所で、地震発生の直後、原子炉が自動停止。さらに第一原発においては外部電源を喪失しました。津波により第一原発(6号機を除く)・第二原発とも非常用電源が使用できない状況となりました。その後、第一原発6号機の非常用電源を使い5号機が、また、第二原発1号機から4号機は電線を9kmにわたって敷設して電源を確保し、冷温停止させることができました。しかし、運転中だった第一原発1~3号機は原子炉を冷却する機能を失い、その後、炉心の損傷(融解)が進み、発生した大量の水素が原子炉建屋内に漏えいしました。地震翌日の3月12日に1号機原子炉建屋で、14日には3号機原子炉建屋で水素爆発が発生。15日には定期点検中で燃料が原子炉内に無かった4号機において3号機との共用配管から漏れた水素によって原子炉建屋が水素爆発しました。2号機は、原子炉内の圧力を下げる操作に失敗し、格納容器から大量の放射性物質を漏えいさせました。内を「警戒区域」に設定し、また20km圏外でも「計画的避難区域」では、すべての住民等の退去を命じました。避難指示区域は状況により見直しが続けられ、震災14年後の令和7年(2025)3月31日時点で7市町村(南相馬市、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村)の一部が「帰還困難区域」に設定されており、それ以外の避難指示はすべて解除されています。また、帰還困難区域においても、令和4年6月から令和5年11月にかけて、6町村(富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村)に設定された特定復興再生拠点区域の全てで避難指示が解除されました。平成23年10月22日〜11月5日に実施された第4次モニタリングの結果(東日本全域の地表面におけるセシウム134、137の沈着量の合計)凡例Cs-134及びCs-137の合計の沈着量(Bq/㎡)[11月5日現在の値に換算]3000k<1000k-3000k600k-1000k300k-600k100k-300k60k-100k30k-60k10k-30k≦10k測定結果が得られていない範囲050100km背景地図:電子国土国内外からの支援が、ふくしま復興の礎放射性物質の放出と避難指示第一原発の事故に伴い、放射性物質が放出。原子力安全・保万テラベクレル(セシウム137)という量は、INES(国際原子力・放射線事象評価尺度)評価の中で最も重いレベル7という評価となりました。事態の深刻さから避難指示は次々と拡大。平成23年4月22日に第一原発から半径20km圏東日本大震災に対し、個人から170を超える国・地域まで、被災直後から様々なカタチで支援が届きました。寄付金や物資、支援チームやボランティアなど、さらに原発事故の対処に対して海外から多くの専門家や技術者が訪れ、専門的な助言を行っています。世界中からの支援に感謝し復興を重ねる年月は、「災害」に対する意識を新たにさせるとともに、「人と人、人と地域、人と環境」への思いを強固にさせる絆となりました。36福島県政150周年記念誌

福島県が平成23年(2011)度から14年間、出荷・販売用の農林水産物に行った緊急時モニタリング検査は、28万8,724件。基準値の超過件数の割合は確実に低下しており、特に玄米は平成27年産米から、野菜・果物・内水面養殖魚は平成25年度から、基準値の超過はありません。県の検査に加え、産地が主体となった放射性物質の検査が「ふくしまの恵み安全対策協議会」(平成24年5月設立)で行われており、消費者と産地をつなぐ安全確保に取り組んでいます。※産地が行う自主検査は厚生労働省「食品中の放射性セシウムスクリーニング法」に基づき行われ、スクリーニング検査と呼ばれます。輸入規制平成23年(2011)の原発事故に伴い諸外国・地域において、日本から輸入する食品等の規制が行われ、日本政府は様々な機会や情報発信等を通して撤廃に向けた働きかけを行ってきました。日本で流通する主要産品は放射性物質濃度の徹底した検査を行い、基準値を超えるものは市場には流通しないなど、日本産食品の安全性について説明。その結果、規制を設けている国・地域は事故後最大の55から5に減っています。令和5年(2023)8月、ALPS処理水の海洋放出に伴い、中国・ロシアが全都道府県の水産物の輸入を、香港・マカオが10都県の水産物等の輸入を停止しました。原発事故、試験操業から本格操業へ福島県の沿岸漁業及び底びき網漁業は、原発事故後、操業自粛を余儀なくされました。その中、福島県によるモニタリング検査を経て安全性が確認された魚種において、小規模な操業と販売を試験的に行う「試験操業」を実施。令和3年(2021)3月末、原発年が経ち、「試験操業」が終了しました。現在、すべての魚種が出荷できるようになり、本格的な水揚げ量の増加を目指し操業が続けられています。未来を描く環境創造センター放射性物質によって汚染された環境の回復と創造に向けた取組を行う総合的な拠点として、平成27年(2015)10月に環境創造センターが開所。県民が将来にわたり安心して生活できる環境づくりに取り組んでいます。交流棟「コミュタン福島」は、原子力災害後の環境回復の状況や放射線についての正確な理解を促進するための学習施設です。それぞれの立場でふくしまの未来を創造し、発信するきっかけとなる場を目指しています。環境創造センター本館(田村郡三春町)復興・再原子力被災12市町村の農業13区営農組合が耕作する飼料用米の水田の一部(飯舘村)福島のきずなの維持・再生ふるさと・きずな維持・再生支援事業編県産農林水産物のモニタリング検査福島県政150周年記念誌37福島県産品の安全を確保緊急時モニタリング検査(ゲルマニウム半導体検出器による測定)福島県では被災した農業者への支援として、除染後農地の保全管理をはじめ農業用機械・施設の導入支援等を展開し、営農再開に向けた条件整備等を実施。必要に応じた人的支援も行っています。また基盤整備による農地集積、農地バンクの活用、先端技術の実証研究等も促進しています。飯舘村では、令和元年(2019)に有志で「農事組合法人13区営農組合」を設立し、飼料作物や大豆を生産。飼料作物は村内や福島市の畜産事業者に供給しています。令和6年には農地の利用・集積面積を143haまで拡大し、令和6年度第65回福島県農業賞「復興・創生特別賞」を受賞しました。今後は200ha程度の経営面積を目指しています。未来へシンカチャレンジするふくしま!ふるさと・きずな維持・再生支援事業は、東日本大震災及び原子力災害からの復興等に向け、内閣府の「NPO等※の[絆力(きずなりょく)]を活かした復興・被災者支援事業交付金」を活用し、NPO等が行う復興・被災者支援活動等を支援しています。被災者の心のケアやコミュニティ形成、風評払拭を含む原子力災害からの復興、復興に取り組むNPO等への中間支援など、NPO等により、行政では手の行き届きにくいきめ細かな復興支援活動等の継続的な実施を通じて、本県のきずなの維持・再生を図っています。※NPO等とは、特定非営利活動法人、ボランティア団体、公益法人、一般社団(財団)法人、社会福祉法人、学校法人、地縁組織、協同組合等の民間非営利組織又は当該NPO等が主体となった協議体(地方公共団体を構成員に含む)03業学校教01生02生活基盤産04育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料

02生活基盤/利水・治水・水環境の保全暮らしやすいまちに向かって一歩ずつ現在の安積疏水麓山の飛瀑(提供/郡山市)猪苗代湖の水が安積原野を潤す国家プロジェクト〈安積疏水〉会津若松市・猪苗代町・郡山市にまたがる猪苗代湖は日本第4位の面積を有する湖です。その水は明治初期まで西に広がる会津地方をのみ潤し、東の安積原野では水利が不十分で干ばつも度々起こっていました。そこで猪苗代湖の水を引き入れて安積開拓の要にする国主導の事業が始まりました。オランダ人技術者ファン・ドールンによる実地調査を経て、明治12年(1879)、会津若松市と猪苗代町の境界にある日橋川上流に、疏水(用水路)の要所となる「十六橋水門」の築造を開始。この水門は会津盆地と安積原野への水量を調整する役割を果たします。明治15年10月、延べ85万人の労働力を注ぎ、奥羽山脈を貫く37のトンネルを持つ、幹線水路52km・分水路78kmという安積疏水が完成しました。この事業を通して、ファン・ドールンの基本計画書をもとに実際に疏水の細かい実施計画、測量、施工等を実施した内務省勧農局福島出張官、県派遣の職員、そして現場で働く作業員等、疏水工事と敢闘する日本人技術者の姿がありました。明治15年(1882)安積疏水の完成を祝って造られた麓山の飛瀑(提供/郡山市)猪苗代湖奥羽山脈中通りを巡る水路日本遺産にも認定安積疏水は明治政府の殖産興業政策の一つとして実施され、3年の歳月と現在の約400億円に相当する国費を投じて完成しました。令和8年(2026)で144年を迎えます。受益面積は約9,000haで郡山市、須賀川市、本宮市、猪苗代町にまたがっています。開通以来、猪苗代湖の水は農業用水のみならず、発電や飲料水、水のある景観の形成など多方面で利用されています。平成28年(2016)には、100年以上の歴史があり技術的・社会的に価値のある灌漑施設を国際的に認定する「世界かんがい施設遺産」に、県内施設で初めて登録されました。同年、「一本の水路」として日本遺産にも認定。歴史的・文化的価値が広く知られるようになりました。阿武隈山地阿武隈川第五分水路水路略図安積疏山安積疏水水路第一分水路第二分水路第三分水路第四分水路第五分水路第六分水路第七分水路郡38福島県政150周年記念誌

活基盤02産校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編福島県の水道普及率戦後の復興を支えた水資源只見川電源開発標高1,665mの尾瀬ヶ原を源流とする只見川は、伊南川・野尻川などを合わせて会津盆地に入り、阿賀川と合流する延長約140kmの河川です。急峻な山あいを流れ、雨や雪なども多く水量が豊富なため、水力発電所建設の有力な候補地になりました。昭和25年(1950)に戦後の復興政策として国土総合開発法が制定。翌年、奥只見が特定地域に指定され、田子倉ダム、奥只見ダムなど国内有数のダムと水力発電所が建設されます。中でも奥只見ダム(発電所)は総出力56万kWで、一般水力発電所の最大出力として日本一を誇ります。これらの電気は関東・東北地方及び新潟県に送られ日々の暮らしを支えています。現在、只見川にあるダムの中から9基が只見川ダム施設群として土木遺産に認定されています。「流域治水」により災害を軽減近年の気候変動により令和元年(2019)の東日本台風などで甚大な災害が発生しており、福島県では「流域治水」の観点で対策が進められています。これは雨水が河川に流入する集水域から氾濫域までを一つの流域と捉え、関係者が協働し水害を軽減する考え方です。河道掘削や堤防整備から森林整備・治山対策、さらに防災教育の実施など多岐にわたる事業が行われています。福島県の総人口は177万5,060人、そのうち給水人口は166万5,961人であり、水道普及率は93.9%(令和5年3月時点)。昭和35年(1960)の普及率32.3%から大きく上昇しました。一方、人口減少に伴い水道料金収入の減少が進んでおり、持続可能な水道事業の実現に向けて、水道事業者や水道用水供給事業者では広域連携や業務効率化の取組を進めています。※東日本大震災以降の給水人口等のデータには、震災の影響で算出ができなかった双葉町・大熊町・富岡町・楢葉町・広野町のデータは含まれていません。水道普及率・給水人口の推移水100水道普及率給水人口の推移2,500802,000水との良好な関係を求めて地域とともに親水事業福島県政150周年記念誌39復興・再福島県の河川や水辺では親水空間の創出、美化清掃作業、食農教育、水生生物による水質調査などを地域一体となって取り組んでいます。これらの取組を通して、水に触れ、水から学ぶとともに、健全な水環境を守っています。未来へシンカチャレンジするふくしま!出典/国土交通省HP次代に残そう紺碧の猪苗代湖田子倉ダム(提供/J-POWER田子倉電力所)猪苗代湖の水環境を守る活動食農教育(田んぼの学校)猪苗代湖の水質を守り未来に繋げるために、平成14年(2002)に「福島県猪苗代湖及び裏磐梯湖沼群の水環境の保全に関する条例」を制定。改定を加えながら水環境保全推進計画を進め、様々な水環境保全対策が行われています。猪苗代湖では生活排水や農業排水の適切な処理・「猪苗代湖クリーンアクション」等でボランティアによる湖岸の清掃や水草回収・環境と共生する農業従事者を認定する「エコファーマー」制度などが多岐にわたり実施されています。03学給道普水人口(千人)60及率(%)40200S35S45S55H2H12H22R2年度1,5001,0005000生01生業

福島県政150周年記念誌40生活基盤/JR磐越西線・常磐線・只見線02暮らしと観光をささえる磐越西線山間を越え、延伸する鉄道磐梯山を背景に、現在の磐越西線磐越西線の歴史は、郡山から新津を結ぶ私設の鉄道として明治29年(1896)に設立された岩越鉄道に始まります。岩越鉄道は明治32年に若松駅まで延び、明治37年には喜多方駅まで開業しました。明治39年に鉄道国有法により官設鉄道岩越線になり、大正3年(1914)には郡山駅〜新津駅間が全線開通。大正6年に平郡鉄道の郡山駅〜平(現・いわき)駅間が全線開通して磐越東線となったのを機に、磐越西線と改称されています。JR磐越西線は郡山駅から会津若松駅を経由して新潟県の新津駅までを結ぶ全長175.6kmの鉄道です。福島県内には休止中の駅を含めて28駅。会津地方と関東方面・仙台方面を結ぶ路線として、開業以来、地域の交流と発展を担ってきました。車窓には磐梯山や阿賀川の雄大な景色が広がり、猪苗代湖、喜多方、会津若松などの観光地が沿線に並んでいます。明治43年(1910)完成の「一の戸橋梁」は長さ445m、高さ24mの鉄橋。近代化産業遺産に選ばれており、列車の撮影スポットとしても人気です。また磐越西線はSLが走ることでも知られ、平成11年(1999)に復元デビューした「SLばんえつ物語」は新津駅〜会津若松駅間を走り多くの鉄道ファンを惹きつけています。一の戸橋梁とSLばんえつ物語磐越西線路線図磐越西線磐東北自動車道越自動車道野沢駅野沢駅上野尻駅上野尻駅徳沢駅徳沢駅磐梯町駅磐梯町駅安子ケ島駅安子ケ島駅東長原駅東長原駅山都駅山都駅荻野駅荻野駅尾登駅尾登駅猪苗代駅猪苗代駅川桁駅川桁駅上戸駅上戸駅関都駅関都駅猪苗代湖畔駅(休止中)猪苗代湖畔駅(休止中)中山宿駅中山宿駅翁島駅翁島駅喜多方駅喜多方駅会津豊川駅会津豊川駅姥堂駅姥堂駅塩川駅塩川駅笈川駅笈川駅堂島駅堂島駅会津若松駅会津若松駅広田駅広田駅磐梯熱海駅磐梯熱海駅郡山駅郡山駅郡山富田駅郡山富田駅喜久田駅喜久田駅猪苗代湖磐越西線(提供/福島民報社)

福島県政150周年記念誌41復興・再生01生活基盤02産業03学校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編全国屈指の秘境路線、只見線地元の強い思いが実を結んだ全線運転再開常磐線、9年ぶりに全線運転再開石炭とともに鉄道が開かれ街を形成JR只見線は福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶ全長約135kmの路線です。沿線は国内でも有数の豪雪地帯であり、地域にとって大切な生活の足となっています。また奥会津の絶景が見られる秘境路線として人気が高く、近年は海外からの観光客が多く見られます。平成23年(2011)7月27〜30日、新潟・福島豪雨が発生し、只見線では3つの橋梁が流失、土砂崩れによる線路の崩壊などの甚大な被害を受けました。会津川口駅~只見駅間は最後まで不通となっていましたが、地元の全線復旧への強い思いが実を結び、令和4年(2022)10月1日、只見線は11年ぶりに全線で運転再開となりました。JR常磐線は、東京都内の日暮里駅から千葉県北西部・茨城県を通り、福島県の太平洋沿岸を経由して宮城県岩沼駅まで(列車運行上は上野駅〜仙台駅)を結ぶJR東日本の鉄道路線です。全長343.7kmに及ぶ鉄路のうち、福島県内には勿来駅(いわき市)から新地駅(新地町)まで28の駅があります。そのなかで東日本大震災の影響により運転を見合わせていた富岡駅(富岡町)~浪江駅(浪江町)間は、令和2年(2020)3月14日に運転を再開し、約9年ぶりに常磐線全線で運転再開となりました。いわき市一帯の浜通りには、かつて常磐炭田が広がっていました。産出する石炭を首都圏及び京浜方面に輸送するため、日本鉄道海岸線(現常磐線)の建設が国を挙げて行われます。明治30年(1897)、水戸駅(茨城県)〜平駅(いわき市)間が開通。翌年の明治31年には上野駅〜岩沼駅(宮城県)までが開通しました。明治42年には常磐線と名称を変更。常磐炭田は発展を続け、常磐線開通によって駅の整備や街の形成も進み賑わいをみせましたが、昭和30年(1955)代になると石油の普及により石炭が衰退。いわき市最後の炭鉱が昭和51年に閉山となります。その後、常磐線は観光産業に道を開くことになりました。線磐常自磐常動車道泉駅泉駅勿来駅勿来駅竜田駅竜田駅新地駅内郷駅内郷駅四ツ倉駅四ツ倉駅いわき駅いわき駅湯本駅湯本駅植田駅植田駅木戸駅木戸駅相馬駅相馬駅日立木駅日立木駅小高駅小高駅桃内駅桃内駅原ノ町駅原ノ町駅磐城太田駅磐城太田駅双葉駅双葉駅浪江駅浪江駅富岡駅富岡駅Jヴィレッジ駅大野駅大野駅夜ノ森駅夜ノ森駅広野駅広野駅駒ヶ嶺駅鹿島駅鹿島駅末続駅末続駅久ノ浜駅久ノ浜駅草野駅草野駅地元の熱い思いが後押ししたJR只見線の全線運転再開雄大な奥会津の自然に囲まれて走るJR只見線夜ノ森駅に停車する常磐線の車両昭和35年の内郷駅(当時は綴駅)の様子(提供/いわきデジタルミュージアム)新生・JR常磐線常磐線の被災と復旧により、日々の生活から緊急時まで、鉄道の重要性が改めて認識されました。常磐線では津波に流された旧ルートなどを内陸に移設し、加えて耐久性の高い軌道を採用。富岡駅〜浪江駅間でも一部の橋を鋼橋化し、安全性に配慮するとともに災害に強い鉄道へ進化させています。また、全線運転再開を機に一部駅舎もリニューアルされ、IC乗車カードの利用エリアを拡大。新しい駅には対話型券売機を導入しています。新生・常磐線は地域の人々の利便性向上が見込めるほか、首都圏から浜通りに訪れやすくなり、これまで以上に賑わい、復興につながることが期待されます。未来へ向けて、災害に強い鉄道を未来へシンカチャレンジするふくしま!移設された新地駅とその周辺

02生活基盤/東北新幹線・福島空港・重要港湾昭和57年(1982)、東北新幹線開業を祝って(提供/福島民報社)福島駅東口付近から東北新幹線を望む着工以来10年半、東北新幹線開業昭和57年(1982)6月23日、東北新幹線が大宮駅(埼玉県)〜盛岡駅(岩手県)間で開業しました。その朝の上り一番列車はあおば200号、下り一番列車はやまびこ11号。着工以来10年半を経て新幹線が初めて福島の地を疾走しました。その後、昭和60年に上野駅〜大宮駅間、平成3年(1991)に東京駅〜上野駅間が開業と順次延伸し、平成22年12月4日に当初の計画通り、東京駅〜新青森駅間674.9kmの全線開業を果たしました。新幹線では最長距離の線路になります。平成23年3月には東日本大震災が発生し、東北新幹線は運休を余儀なくされますが、段階的に復旧を遂げ、約半年後の9月23日に震災前のダイヤに復帰しました。昭和45年(1970)昭和46年(1971)昭和52年(1977)昭和57年(1982)昭和60年(1985)昭和62年(1987)平成3年(1991)平成14年(2002)平成22年(2010)東北新幹線年表全国新幹線鉄道整備法の公布。新幹線の建設が決定基本計画が策定。東京駅〜盛岡駅間着工上野駅設置決定大宮駅〜盛岡駅間開業。最高速度210km/h上野駅〜大宮駅間開業。「やまびこ」最高速度240km/h国鉄分割民営化。東北新幹線はJR東日本へ上野駅〜東京駅間開業。盛岡駅〜青森駅間着工盛岡駅〜八戸駅間開業八戸駅〜新青森駅間開業。〈東北新幹線全線開業〉平成25年(2013)「はやぶさ」最高速度320km/h平成28年(2016)北海道新幹線・新青森駅〜新函館北斗駅間開業東北新幹線直通福島県の新幹線駅■福島駅東北本線・福島交通飯坂線・阿武隈急行線が接続、山形新幹線・奥羽本線が分岐。山形新幹線との「連結・切り離し」が見られます。所在地・福島市開業日・明治20年12月15日■郡山駅東北本線・磐越西線・磐越東線が接続し、水郡線(分岐は安積永盛駅)が乗り入れます。所在地・郡山市開業日・明治20年7月16日■新白河駅新幹線開業時に磐城西郷駅から改称。古来みちのくの玄関口として知られる「白河の関跡」(国指定史跡)から近い。所在地・西白河郡西郷村開業日・昭和34年4月7日42福島県政150周年記念誌

興・再生01生活基盤02産未来に向けた福島空港福島空港は、平成5年(1993)3月20日、須賀川市と石川郡玉川村にまたがる阿武隈山系の丘陵地に開港、平成12年7月13日に滑走路長2,500mを実現しました。開港当初は札幌便、名古屋便、大阪便の3路線で運航し、平成11年6月に上海とソウルの間に国際定期路線が開設され、国際化が進展しました。ピー万人を超えましたが、東日本大震災と原発事故、新型コロナウイルス感染症の影響を受け国際線が運休。現日あたり大阪便が4往復8便、札幌便が1往復2便運航しています。近年、チャーター便の運航が増加しており、台湾や九州、沖縄との交流拡大につながっています。日本初のエネルギー港湾相馬港福島空港ターミナルビル相馬港は、相双地方はじめ県北地方、さらに宮城県南部、山形県南部を含む広域経済エリアの玄関口として重要な使命を担っています。昭和35年(1960)に地方港湾「相馬港」の指定を受け、港湾修築工事後の昭和45年に供用開始。背後地域の重要性が認められ昭和49年に重要港湾に指定されました。そして昭和56年に全国初のエネルギー港湾として指定。エネルギー需要の変化に対応したエネルギー基地となります。昭和63年6月には関税法による開港指定、平成2年(1990)1月には無線検疫対象港の指定により外航船舶が直接入港できる国際港になりました。平成23年の東日本大震災により港の施設や設備はほぼ壊滅。段階的に復旧事業を続け平成30年3月に完了しました。平成29年には特定港として、喫水の深い船舶が出入りできる港または外国船舶が常時出入りする港に。現在1号〜5号ふ頭には15の公共岸壁があり、重要港湾・エネルギー港湾として様々な役割を果たしています。相馬港江戸時代に幕府上納米の積出港として基礎が築かれた小名浜港。明治以降は、常磐炭礦から石炭を首都圏方面へ輸送する基地としての役割を担いました。戦後は臨海工業地帯の物流拠点港湾として整備が進み、昭和26年(1951)に重要港湾の指定を受けました。また昭和39年の「常磐・郡山地区」新産業都市指定を契機に、国際貿易港として拡大。平成23年(2011)には、東日本で唯一の国際バルク戦略港湾の石炭部門に選定。平成25年には全国初となる特定貨物輸入拠点港湾の石炭部門に指復小名浜港03学輸出811,137トン(5%)外貿9,413,862トン令和6年(63%)総取扱量15,041,808トン輸入8,602,725トン(58%)出典/令和6年小名浜港統計年報脱炭素に配慮した港湾を目指してカーボンニュートラルポート(CNP)の取組編エネルギーの供給拠点出典/国土交通省港湾局HP福島県政150周年記念誌43定されました。周囲には石炭火力発電所等が立地しており、年間約700万tの石炭を輸入しています。また、平成23年の東日本大震災からの復旧を平成29年に完了しており、現在は福島県の産業を支える物流の拠点であるとともに、東日本地域の安定的なエネルギー供給の拠点として重要な役割を担っています。令和6年(2024)の総取扱貨物量は約1,504万tとなっており、石炭はその約65%を占めています。未来へシンカチャレンジするふくしま!貨物の輸移出入構成移入1,998,147トン(13%)内貿5,627,946トン(37%)移出3,629,799トン(24%)福島県は小名浜港と相馬港において、「小名浜港港湾脱炭素化推進計画(令和6年)」「相馬港港湾脱炭素化推進計画(令和7年)」を策定し、推進計画に基づき、国や企業等と連携し、水素やアンモニア等の次世代エネルギーの大量輸入や貯蔵・利活用、また脱炭素化に配慮した港湾機能の高度化等を通じて、温室効果ガスの排出を全体でゼロにするカーボンニュートラルポートの形成を推進しています。対象範囲は公共ターミナルにおける脱炭素化の取組に加え、公共ターミナルを経由して行われる物流活動や臨海部に立地する事業者の活動に係る取組も含まれます。2030年度には二酸化炭素排出量を、小名浜港で107万t(2013年比56%減)に、相馬港では約46万t(2013年比44%減)に、2050年には両港とも実質0tにすることを目標にしています。業04校教育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料

02生活基盤/東北自動車道・常磐自動車道・東北中央自動車道東北自動車道の開通をよろこぶ沿線の住民たち(提供/福島民報社)東北を貫く交流促進の要震災復興時に早急に救援・輸送東日本大震災時、東北自動車道は救援活動や物資輸送の早急な支援に役立ちました。平成23年(2011)3月11日、最大震度6強という大地震の発生により通行止めを実施後、ただちに緊急点検を開始。3月12日早朝には、主要路線を中心に緊急車両の通行を可能にする仮復旧を順次実施し、自衛隊等の救援車両が利用できるようになりました。6月20日には被災者支援のための無料措置を開始しています。また、大震災時の救援ルート確保のため「くしの歯作戦」を実施。東北自動車道と国道4号から沿岸部に「くしの歯」のように伸びる県内の国道を切り拓いて救命・救助にあたりました。東日本大震災発生の翌日に11ルート、15日には15ルートが確保されました。昭和48年11月26日白河ICでの開通式典東北自動車道は、総延長679.5kmを誇る日本最長の高速自動車道です。県内では、まず昭和48年(1973)11月26日に白河IC─郡山IC間(46.7km)が部分開通し、高速交通時代に入りました。昭和49年12月には矢板IC─白河IC間(49.5km)が開通、翌年の昭和50年4月に郡山IC─白石IC間(83.3km)の開通で福島県内の工事が完了。昭和62年9月に川口JCT─浦和IC間開通により、全線開通となりました。その後も、平成2年(1990)には郡山JCT開通により磐越自動車道と接続し、郡山JCTは高速道路のクロスポイントとなりました。沿線の工業団地が加速的に整備され、昭和50年からの約1年で工場立地数は3倍に増加。福島県の中央で2本の高速道路が交わることで物流・交流等が活発に展開されました。白河市4福島市二本松市郡山市28928849115459114●相馬港相馬市いわき市いわき市勿来●小名浜港浪江町双葉町警戒区域範囲(20km)○印福島県内の4ルート×印JR常磐線跨道橋落橋及び原発事故避難区域のため通行不可東北自動車道・国道4号から沿岸部へ「くしの歯作戦」救命・救助のための道を拓く44福島県政150周年記念誌

13福島空港興・再生01生活基盤02産東北中央自動車道(R3開通)仙台亘理E6福島相馬郡山常磐磐越自動車道富岡宇都宮いわき北関東自動車道安倍元総理出席のもと開催された水戸常磐自動車道全線開通セレモニー(常磐富岡IC付近)栃木都賀友部川口三郷東北自動車道常磐自動車道経由経由約320km約270kmダブルネットワークを形成する路線福島と相馬をつなぐ復興支援道路開通新地北工業団地国見IC●国見町宮城県駒ヶ嶺工業用地新地町相馬港5号学山形県編首都圏と浜通り地方が直結福島おおざそうインター工業団地福島大笹生IC福島JCT桑折工業団地やながわ工業団地●桑折町伊達工業団地桑折JCT伊達桑折IC北福島地区●伊達市・福島飯坂IC保原工業団地伊達瀬上工業団地中央IC東北中央新地南工業団地新地IC相馬IC●ふ頭分譲地相馬港湾関連用地相馬中核工業団地●相馬市西福島地区福島市●福島霊山IC自動車道佐倉工業団地工業団地相馬相馬山上IC相馬南第二福島西工業団地佐倉南工業団地福島西IC霊山飯舘IC玉野IC工業団地南相馬鹿島上名倉工業団地南福島地区羽田産業団地スマートIC松川川俣西部工業団地●川俣町南相馬IC●飯舘村工業団地飯野工業団地飯坂工業団地中山工業団地福島県信田沢工業団地山木屋工業団地南相馬市復興工業団地猪苗代町二本松IC猪苗代東北中央自動車道を軸とする産業拠点形成に期待磐梯高原IC4車線化により災害時の交通確保ふくしま復興再生道路小名浜道路約10年間の整備期間を経て令和7年(2025)8月7日、小名浜道路が開通。いわき市泉町を起点とする全長8.3kmの自動車専用道路(通行無料)です。常磐自動車道の「いわき湯本IC」と「いわき勿来IC」の中間地点に、小名浜道路の「いわき小名浜IC」が新たに完成。常磐自動車道から小名浜港までの移動時間が、約30分から約10分に大幅に短縮され、物流網の円滑化や観光ネットワークの拡大などが期待されています。いわき小名浜IC周辺福島県内の広域道路道からはじまる未来ネットワークE13計画図E13121「東北地方新広域道路交通計画」E4●福島市4会津縦貫北道路喜多方市●(仮称)●南相馬市あぶくま横断道路E496●会津若松市●郡山市252会津縦貫南道路28949289E8049栃木西部・会津南道路●白河市(仮称)水戸・郡山●いわき市289広域都市圏連絡道路(仮称)つくば・289八溝縦貫・白河道路いわき東道路常磐自動車道は東京都を起点とし、埼玉県、千葉県、茨城県、福島県を経て宮城県仙台市に至る約350kmの高速道路です。昭和45年(1970)の整備計画決定から45年、平成27年(2015)3月1日に最後の常磐富岡IC〜浪江IC間(14.3km)開通により、全通しました。これにより、関東地方と東北地方南部の太平洋沿いの主要都市が一本の道路で結ばれ、産業・経済・観光などの交流が拡大され、沿線各地の発展を促しています。さらに、東北自動車道とのダブルネットワークを形成し、東北自動車道が災害等で通行止めになった際の代替道路として機能しています。首都圏から相馬市まで東北道を利用(約320km)すると約3時間30分ですが、常磐道を利用(約270km)することで約3時間に。約30分の短縮になりました。復興支援道路として整備された東北中央自動車道(相馬福島道路)は、常磐自動車道(相馬IC)と東北自動車道(桑折JCT)を結ぶ約45kmの自動車専用道路です。東日本大震災からの早期復興を図る事業と位置付けられ、令和3年(2021)4月24日、全線開通しました。開通により福島〜相馬間は約1時間で結ばれ、沿線から福島内陸への農畜産物の出荷、海産物では輸送の効率化・出荷拡大・輸送時間の短縮による鮮度維持など、地域産業の振興に役立っています。道の駅等の観光交流施設による賑わいの創出や広域周遊観光の促進·活性化が見られます。さらに首都圏と東北中北部を結ぶ位置にあるため、沿線は東北トップクラスの産業拠点に躍進。特に情報通信機械器具の製造業の集積が見られます。※相馬IC〜伊達桑折IC間は無料で利用できます。東日本大震災4年後に、異例のスピードで全線開通を迎えた常磐自動車道。現在、通行止めの減少や大規模災害時の交通の確保、大雪時の代替路確保等を目的に、2車線区間の4車線化事業が進められています。福島県区間のいわき中央IC〜広野IC間約27kmでは4車線化が実現。渋滞による速度低下の緩和、降雪時の狭い道路空間と通行止めの解消等に貢献しています。4車線化により企業立地や経済活動の促進等も期待され、県内では広野IC〜ならはスマートIC、浪江IC〜南相馬IC、相馬IC〜新地IC各間でも進められています(令和8年2月現在)。未来へシンカチャレンジするふくしま!東北地方における物流や人流の確保・活性化を図る道路交通マネジメント等の基本として策定された「東北地方新広域道路交通計画」。令和4年度を初年度として、広域道路ネットワーク、交通・防災拠点、ICT交通マネジメントの各計画が実施されています。都市圏の形成や空港・港湾等へのアクセス強化、災害に備えたルート確保など、広域的な道路交通においてネットワークの強化を図るために、県内では3路線が構想路線と位置付けられています。(仮称)水戸・郡山広域都市圏連絡道路、(仮称)つくば・八溝縦貫・白河道路、(仮称)あぶくま横断道路の3路線の、道からはじまる未来に期待が広がります。業04校教育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料

02生活基盤/土地利用郡山市東部より市街地を望む(出典/郡山市デジタル観光マップ)土地利用の推移福島県では、明治期に入ると農業を基盤とした県土の形成が始まり、社会や経済活動の変化とともに土地利用も段階的に変貌を遂げてきました。河川整備や山野の開墾を行い、集落を形成しながら農用地が拡大しました。その後、戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、土地利用が変化を見せます。産業構造の変化や交通網の発展などを背景に、住宅地・商業地・工業地等の土地利用が進展。さらに市街地の形成や都市開発等を経て、土地利用の構造は、時代により多様に変化していきます。福島県では平成20年代以降、少子高齢化や人口減少などにより農用地の減少が続く一方で、宅地や道路は増加傾向が続きました。平成23年(2011)の東日本大震災・原発事故は県土に大きな被害をもたらし、県民の生活や様々な活動のための土地利用に大きな影響を与えました。避難指示区域は順次避難指示解除が進み、帰還困難区域においても復興・再生が進められているものの、震災前のような利用に至らない土地はいまだに残されています。また少子高齢化の進行や、自然災害の激甚化・頻発化等も、福島県の土地利用の上で基本的な要素に関わっています。その中で各地域の将来像を見すえ、未来への持続可能な社会の実現を目指して、魅力ある県土づくりが行われています。県土の利用区分別面積の構成(令和4年)その地8.4%宅地3.7%道路3.9%水面・河川・水路3.3%原野等0.3%農地9.9%森林70.5%本県の文化・産業をリード─県北地域県北地域は面積が175,334haで、令和元年(2019)度の土地利用の現況は、農地13.4%、森林56.5%、宅地6.1%となっています。阿武隈川流域の信達盆地に行政・教育・医療等の都市機能が集積する一方、県内最大の果樹地帯が広がる地域です。福島市では福島駅から東に延びる通りを「東西導線軸」として整備。レンガ基調のレトロモダンをイメージした道路の再生と、街の賑わい創出を目指しています。また高速交通体系の整備等により首都圏や相双地域、宮城、山形方面へのアクセスが充実しており、様々な地域との連携・交流を図っています。外観がレンガ調の福島駅東口福島駅西口自転車管理棟多様な交流を育む活力あるまちへ──県中地域の都市づくり県中地域は面積が240,625haで、令和元年(2019)度の土地利用の現況は、農地14.9%、森林58.7%、宅地6.1%となっています。阿武隈川流域に広がる安積平野に都市機能が集積し、多数の試験研究機関が立地する地域です。「こおりやま広域圏」により、生活の利便性の維持向上、将来にわたる豊かな地域の持続を目指し、連携中枢都市圏の形成を進めています。また高速交通体系の充実や、福島空港から関西方面へのアクセスなど、移動手段の多様性を生かし、新たな未来を創造する成長産業の創出が期待されています。郡山駅前(郡山市)Rojima(すかがわの路地deマーケット)(須賀川市)46福島県政150周年記念誌

興・再生01生活基盤02産歴史と潤いあるまちづくり─県南地域県南地域は面積が123,307haで、令和元年(2019)度の土地利用の現況は、農地13.4%、森林66.5%、宅地3.8%となっています。高速交通体系が整っており、首都圏をはじめ都市部との交流にも優位性がある地域であり、その特性を踏まえて、工業用地には輸送機器関連産業や半導体、医療関連産業等の製造業の集積が進んでいます。一方、日光国立公園や県立公園などが広がり、豊かな自然に恵まれた地域でもあります。古くから奥州の玄関口として知られる白河の関や、日本最古の公園といわれる南湖公園などが残されており、環境を大切にする都市・歴史と潤いのある都市空間を目指しています。地域の特性を生かした産業振興─会津・南会津地域会津地域は面積が307,878haで、令和元年(2019)度の土地利用の現況は、農地10.0%、森林74.3%、宅地2.2%であり、飯豊山や磐梯山、猪苗代湖などの美しい自然環境に恵まれており、本県の観光やリゾートの中心的地域になっています。また豊富な水・電力資源等に恵まれ、電子部品、医療用機械関連産業等を中心に産業が集積している地域です。南会津地域は面積が234,153haで令和元年度における土地利用の現況は農地1.6%、森林93.0%、宅地0.5%で、日本最大の山岳湿原・尾瀬国立公園の雄大な自然が広がっています。森林が9割以上を占めており、基幹産業の農林業では地域資源を生かした産業の振興を推進しています。海と山に育まれた広域産業都市─いわき地域いわき地域は面積が123,202haで、令和元年(2019)度の土地利用の現況は、農地6.2%、森林72.0%、宅地6.5%となっています。他地域と比較して宅地の割合が高くなっています。西方の阿武隈山系から太平洋へ緩やかに広がる多核分散型の地形のもと、温暖な海洋性気候に恵まれた水産業・農業・製造業が発展。東北と首都圏を結ぶ太平洋沿いの玄関口として、常磐自動車道やJR常磐線が首都圏と結び、広域交流を支えています。重要港湾・小名浜港を核とした物流・交流の要衝として、さらなる発展が期待されています。基幹産業の林業(下郷町)小名浜港(いわき市)復南湖公園(白河市)03─相双地域学福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)(浪江町)自然とのふれあいと環境保全ふくしまグリーン復興構想猪苗代湖・裏磐梯湖沼フォトコンテスト入賞作品福島県政150周年記念誌47相双地域は面積が173,891haで、令和元年(2019)度の土地利用の現況は、農地12.2%、森林66.7%、宅地3.9%となっています。「福島イノベーション・コースト構想」の主要エリアであり、再生可能エネルギーなどの新たな産業基盤構築への挑戦が続いています。また、交通体系の整備による県北・首都圏との連携や、重要港湾・相馬港の物流拠点としての機能強化等、新たな物流ルートの形成が求められています。さらに、Jヴィレッジ、東日本大震災・原子力災害伝承館をはじめとした復興・交流拠点施設の有効活用を踏まえた復興ツーリズムを展開しています。未来へシンカチャレンジするふくしま!東日本大震災の影響により減少した自然公園利用者数の回復と交流人口の拡大を目指すため、福島県は国や地域と連携して、自然公園などの自然環境の保全と適正利用を促進する「ふくしまグリーン復興構想」を推進しています。令和7年(2025)7月には猪苗代湖がラムサール条約湿地に登録されるなど、自然環境の保護・保全を図りつつ持続可能な形で利活用する取組が進んでいます。料編震災からの復興と新産業が息吹く業04校教育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資

02生活基盤/エネルギー写真左上補助金を活用した太陽光発電導入事例(田村市)写真右上阿武隈風力発電所(田村市・大熊町・浪江町・葛尾村)写真左下信夫山・遠藤ヶ滝・大玉第一小水力発電所(大玉村)写真右下土湯温泉16号源泉バイナリー発電所(福島市)エネルギー供給の歴史福島県では、明治期から、鉱山、製造業等の近代産業の発達に伴県(埼玉県、千葉県、神奈川県)に対して、その消費電力の約3分のい、県内各地に水力等の発電所が建設されました。特に、大正以降、1を供給していました。高圧送電線による東京への送電など、当時としては画期的な事業が展開されました。昭和20〜30年代には、国の計画で只見川流域における大規模な水力開発が行われ、首都圏への電力供給の拡大が図られました。その後、国内の電力需要の増大やオイルショック以降の石油依存度の低減を背景に、昭和46年(1971)に東京電力福島第一原子力発電所(大熊町、双葉町)が、昭和57年には東京電力福島第二原子力発電所(楢葉町、富岡町)が営業運転を開始し、首都圏に電力を供給しました。東日本大震災以前、本県は、水力、火力、原子力などの発電所が多数立地する国内最大の発電県であり、東京都を中心とする1都3宮下発電所(三島町)再生可能エネルギー先駆けの地へ平成23年(2011)3月に発生した東日本大震災とそれに続く東京電力福島第一原子力発電所事故は、本県がこれまで経験したことがない甚大な被害をもたらしました。同年8月に策定された「福島県復興ビジョン」では、「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」を基本理念に掲げ、復興に向けた主要施策の一つに「再生可能エネルギーの飛躍的推進」を位置付けました。また、平成24年3月に改訂された「福島県再生可能エネルギー推進ビジョン」では、「2040年頃を目途に、県内のエネルギー需要量の100%以上に相当する量のエネルギーを再生可能エネルギーで生み出す」ことを目標に掲げています。福島県の再生可能エネルギー導入実績(原油換算)10,000単位:千kL8,0006,0004,0002,00023.7%県内エネルギー需要59.7%70%100%再エネ導入目標02011202420302040年度48福島県政150周年記念誌

活基盤02産校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編水素の普及拡大新しい技術の先行活用―ペロブスカイト太陽電池―薄型、軽量で柔軟性があり、次世代の国産技術として期待されるペロブスカイト太陽電池について、令和7年(2025)3月、全国に先駆けて県内の公共施設等3カ所に設置しました。今後も、新しい技術の活用を図りながら、再生可能エネルギーの導入拡大に取り組みます。産業技術総合研究所の新たな研究拠点福島再生可能エネルギー研究所(FREA)東日本大震災と原発事故からの復興に向け、平成26年(2014)に産業技術総合研究所福島再生可能エネルギー研究所(FREA)が郡山市に設置されました。再生可能エネルギーの世界的イノベーションハブとしての役割をもち、併せて企業や大学との連携を通して人材育成や企業の発展を促進。様々な形で被災地企業の事業開発等を支援し、福島県から新しい技術を発信しようと活動しています。再エネを柱とした研究開発では太陽光や風力等の課題、さらに水素発電の実証実験など幅広く取り組んでいます。水素は、利用時に二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギーであり、カーボンニュートラルの達成に向け、利活用拡大を図ることが重要です。また、余剰の再生可能エネルギーを水素に変換することで、エネルギーとして貯蔵することが可能であるため、再生可能エネルギーの有効活用の観点からも、水素をつくり、ためる取組を推進するとともに、日常生活や産業活動において水素を活用する社会、すなわち「水素社会」を実現するため、水素の普及拡大に取り組んでいます。Jヴィレッジの湾曲形状の地面(芝生)に設置したペロブスカイト太陽電池(楢葉町)福島再生可能エネルギー研究所(FREA)本宮インターチェンジ水素ステーション(本宮市)福島県政150周年記念誌49復興・再再エネで地域の復興を推進―福島新エネ社会構想に基づく共用送電線等の整備―再生可能エネルギーの導入を通じて避難地域等の復興を加速させるため、阿武隈地域や沿岸部における総延長86kmに及ぶ共用送電線の整備が進められ、令和6年(2024)7月に完成しました。順次、太陽光発電や風力発電が連系されており、これらによる売電収入の一部は、福島県再生可能エネルギー復興推進協議会を通じて地域の復興に役立てられています。福島大学共生システム理工学類附属水素エネルギー総合研究所水素・再生可能エネルギーに関する教育研究を推進するため、令和6年(2024)4月に福島大学共生システム理工学類附属水素エネルギー総合研究所が設置されました。低環境負荷で持続的な社会システムの実現に向け、福島大学を企業・研究機関のイノベーションハブとして、水素関連技術の社会実装に資する取組を進めています。未来へシンカチャレンジするふくしま!福島県再生可能エネルギー復興推進協議会による支援水素エネルギー総合研究所(福島市)未来の新エネルギー社会実現に向けて(移動販売支援事業)エネルギー分野からの福島復興の後押しを一層強化していくために、国、県、関連企業などが一丸となって、再生可能エネルギーの最大限の導入拡大を図るとともに、再生可能エネルギーから水素を「作り」、「貯め・運び」、「使う」、未来の新エネルギー社会実現に向けたモデルを福島で創出することを目指し、平成28年(2016)9月に「福島新エネ社会構想」が策定されました。構想の策定後も、再生可能エネルギーの導入拡大や関連産業の集積、研究開発等の進展に合わせ、様々な取組をさらに加速させる「加速化プラン」を作成し、アップデートを重ねています。福島新エネ社会構想デンソー福島の水素アフターバーナー炉(出典/デンソー福島)03学生01生業

03産業/農業・畜産業新しい価値を生み出す力収穫を迎える秋の田(喜多方市)明治時代安積疏水と養蚕明治初期、広大な安積原野の開拓と養蚕業の振興が、福島県の農業において近代化の幕を開けました。安積原野開拓の要であり、国づくりの礎となった安積疏水の工事は、明治12年(1879)に始動。3年をかけて猪苗代湖の水を分水する日本初の国営開拓事業が実施され、不毛の地であった安積原野が国内有数の穀倉地帯へと生まれ変わりました。これは国営開拓の先駆けとなりました。明治から大正にかけて、福島県は日本有数の養蚕・製糸業の拠点として、国の近代化を支える外貨獲得の重要な役割を担いました。福島・伊達地域を中心に桑畑が広がり、福島県の基幹産業として定着しました。様々な養蚕の技術革新により、高品質な生糸の安定生産を実現。横浜港からの輸出を通じて、本県経済の発展に大きく寄与しました。れ、小作地が解放されて多数の自作農が誕生。土地所有の安定が農家の生産意欲を飛躍的に高め、戦後の食糧難解消に向けた増産体制が構築されました。さらに農地改革の理念を受け継いで、土地改良事業が推進されます。阿武隈川流域や開拓地におけるほ場の大区画化、用水・排水路、農道などの基盤整備が進み、県内全域で生産基盤が強化されました。昭和30年(1955)代からの高度経済成長期には、米の生産過剰に伴い「生産調整(減反政策)」が導入されました。福島県ではこれを機に、稲作と野菜や果樹等を組み合わせた複合経営への転換を加速させました。農業の機械化が進み、トラクターやコンバインの導入で労働時間が大幅に短縮。効率的な大規模経営への道が開かれました。また、水稲の単収は技術革新や品種改良により、右肩上がりに増加していきました。昭和時代農地改革と高度成長昭和に入ると世界恐慌や化学繊維(ナイロン)の普及による影響で、養蚕業は急激な衰退を余儀なくされました。需要の減少を受け、桑畑から果樹園・水田への大規模な転換が行われました。この未曾有の危機に対し、福島県の農業は食糧増産へと大きく舵を切りました。また、山間部や畑作地帯では、貴重な現金収入源として葉タバコの栽培が進められました。終戦直後から、明治以来の地主制の解体による農地改革が行わ昭和45年(1970)の農作業(馬を使っての代掻き)(提供/福島民報社)50福島県政150周年記念誌

再生01生活基盤02産福島県の農業の強みは、広大な耕地面積(13万3,700ha/令和6年統計)と、大消費地である首都圏に近いことが主に挙げられます。令和6年(2024)の農業産出額は約2,874億円(全国第14位)で、米46%、畜産18%、野菜19%、果実12%。収穫量では福島は米の主要な生産県(37万1,200t)であり、全国4位。ももは2万8,500tで全国2位、日本なしは1万3,800tの4位、きゅうりは3万9,200tの4位、花きではりんどうが4位と上位が並びます。主要作物である県産米では、「コシヒカリ」「天のつぶ」2品種で全体の7割近くを占め、次いで「ひとめぼれ」「里山のつぶ」と続きます。もち品種では「こがねもち」、酒造好適米品種では「夢の香」の作付けが最も多くなっています。豊かな自然環境に加え、地域農業を守る担い手らが安全・安心な米づくりを目指し、環境保全や食品安全に取り組んでいます。くだもの王国ふくしま福島県県北地域はもも、さくらんぼ、日本なし、ぶどう、りんご、かきなどの果物が特産です。果樹栽培が盛んになったのは昭和30年(1955)以降。昭和恐慌や第二次世界大戦の影響で養蚕業が衰退し、果樹園に向く風土として桑畑からの転換が進みます。その頃、福島県園芸試験場(現福島県農業総合センター果樹研究所)でもも「あかつき」を大玉化する栽培技術が確立。もも栽培への転換が急速に進みました。その後、生産者や行政が一体となりブランド力を高め、日本有数のくだもの産地になりました。また令和4年(2022)、オリジナルいちご「ゆうやけベリー」がデビュー。10年をかけて開発したもので、糖度が高く酸味が控えめで、甘さが際立つ味わいが特徴で、県内各地で栽培されています。ふくしまの畜産ブランド特産品福島県の中通りと浜通りを分ける阿武隈高地周辺では、江戸時代以降、農耕や荷運びに適した馬を産出。戦後は農業の機械化や食生活の変化もあり、牛が飼われるようになりました。現在では、福島牛をはじめ県内各地で銘柄牛が飼育され、県の重要な産業になっています。また、コクや旨みに優れる「会津地鶏」、弾力ある肉質と旨みの「川俣シャモ」など、地域の歴史と文化に根ざし生産されている地鶏は郷土を代表する特産品となっています。令和5年(2023)の出荷羽数では会津地鶏は約3万1,000羽、川俣シャモは約6万5,000羽。県が技術開発し、エゴマの種を餌に混ぜて肥育される「うつくしまエゴマ豚」は、柔らかな肉質と脂身の甘さが特徴です。さらに、令和6年度には、県産の酒粕を餌に加えて肥育された新たなブランド牛、福島牛「福粕花(ふくはっか)」がデビューし、今後の福島牛のブランド力向上に大いに寄与するものと期待されています。福島県のももの代表品種「あかつき」会津地鶏川俣シャモ福島牛「福粕花」大区画に整備された農地復興・編地形・気候の利点を生かした農業福島県政150周年記念誌51平成23年(2011)3月に発生した東日本大震災と原発事故により、多くの農家が営農休止・断念の状況に陥りました。あわせて放射性物質による作付け・出荷の制限、風評による価格下落等、複合的な課題に直面することになりました。原子力被災12市町村の被災認定農業者768経営体のうち、経営再開率は約54%(令和6年度)であり、今後は労働力の確保や農業機械の導入、販路の確保などが課題となっています。避難地域12市町村のほ場整備では、計画した4,245haのうち2,754ha(65%)が完了しました(令和7年3月)。福島の被災した農地を再び耕し農作物を作るため、全国から農業土木職員「福耕支援隊(愛称)」が15年間で延べ1,877人派遣され、復興・復旧の加速化を支援しています。未来へシンカチャレンジするふくしま!震災からの復興と安全・安心の追求東日本大震災及び原子力災害は、本県農業に甚大な被害をもたらしました。生産者、関係機関、県が一丸となり、信頼回復に向けた取組を継続しています。福島県農業総合センターを中心に、県では徹底した安全対策の取組において、放射性物質の吸収抑制技術を確立し、科学的根拠に基づく安全な農作物生産手法を確立して生産者を支えてきました。また、米の全量全袋検査(現在は抽出検査に移行)やモニタリング検査を実施するとともに、第3者認証GAPの認証取得推進などにより、安全性を確保する取組を進めました。販路回復と風評払拭に向け、科学的根拠に基づいた情報発信により、県産農産物の市場評価の回復を図っています。県内各地域県北地域県中地域県南地域会津地域南会津地域相双地域いわき地域農産物の特色⽶、きゅうり、いちご、もも、りんご、⽇本なし、かき、ぶどう、きく、畜産⽶、きゅうり、ピーマン、トマト、いちご、⽇本なし、畜産⽶、⼤⾖、トマト、ブロッコリー、こんにゃく、畜産⽶、そば、アスパラガス、きゅうり、トマト、かき、畜産⽶、そば、トマト、アスパラガス、りんどう⽶、⼤⾖、さつまいも、ブロッコリー、たまねぎ、⽇本なし、畜産⽶、トマト、ねぎ、いちご、⽇本なし福島県農業総合センターの取組と未来大区画に整備された農地(南相馬市原町東区)福島県産米「福、笑い」03学業04校教育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料

03産業/水産業震災から復旧した相馬原釜地方卸売市場福島の海戦後・ふくしまの漁業福島県は太平洋に面し、南からの黒潮(日本海流)と北からの親潮(千島海流)が交錯する潮目があり、良い漁場に恵まれています。福島県には10漁港、7港湾(うち浜通りには5港湾)があり、漁港はもとより港湾でも漁業の基地として地場産業の支援や漁業活動などをしています。相双地区は底びき網・船びき網・さし網などの沿岸漁業が盛んで、いわき地区は沿岸漁業に加えてまき網やサンマ棒受網などの沖合漁業が盛んな地域。春はメヒカリ、夏はウニやカツオ、秋はサンマやヒラメ、冬はカレイやアンコウなど、福島の港には約200種の魚介類が水揚げされ、四季折々の魚種で賑わいます。第二次世界大戦が終わり、戦後の復興期を経て福島県の漁業は遠洋漁業へと向かいます。昭和30〜40年代、好漁場を背景に発展。浜通り地方は東北有数の漁業基地としてサケ・マス漁を中心に北洋漁業で黄金期を迎え、昭和42年(1967)にサケ・マスの漁獲量は10,000tを超えました。昭和50年代に入ると社会的・経済的状況が大きく変化し、北洋漁業も転換期を迎えます。第1次・第2次オイルショック、そして昭和52年には漁業を揺るがした200海里(約370km)水域制限の時代が到来します。漁業者の減少や輸入水産物の増加なども影響を及ぼし、漁獲量が大幅に減少し北洋漁業は終息を迎えます。現在、福島県では沿岸・沖合漁業に加え、内水面養殖業が盛んです。コイやマス類の養殖が行われており、令和4年(2022)の生産量は1,087t。コイは646tで全国2位の生産量となっています。沖合漁業でのサンマの水揚げ風景請戸漁港出初式(浪江町)江名港サケ・マス漁船出航(昭和58年)(提供/いわき市)52福島県政150周年記念誌

福島県政150周年記念誌53復興・再生01生活基盤02産業03学校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編福島の水産業震災を越えて小名浜港漁業振興の拠点景勝地・松川浦漁港と漁業常磐ものブランドの確立平成22年(2010)の海面漁業生産量をみると7万8,939tで全国16位、生産額は182億円で全国17位。その翌年、東日本大震災と原発事故が起き、漁業はじめ浜通りの生活は一変しました。それから15年が経ち、まだ影響が残りながらも復興を続けています。令和4年(2022)の生産量は5万7,900tで全国14位、生産額は101億円で全国23位となっています。平成24年6月から開始した試験操業は令和3年3月末をもって終了。震災後、延べ44種類の魚種で指示された出荷制限は、令和6年10月に最後の1種が解除となり全魚種で出荷できるようになりました。今後は、これまで以上の生産量・流通量の拡大を目指しています。福島県沖は、魚のエサになるプランクトンが豊富であり、カツオやマグロをはじめ多彩な魚類が回遊しています。それらの魚が水揚げされる小名浜魚市場は明治20年(1887)に魚の取引を始め、大正・昭和には水産物の加工などが促進され、賑わいを見せました。平成27年(2015)3月には新魚市場が完成。沖合漁業の大型船が2隻同時に水揚げできる規模をもちます。小名浜港はカツオの水揚げ額で全国トップクラス。生命を育む豊かな海が、漁港の発展を支えています。また、小名浜にある福島県水産海洋研究センターでは、水産調査研究と情報発信をはじめ、県産魚介類の魅力と安全性を広く伝える公開講座などを行っています。相馬市の松川浦漁港は景勝地「松川浦」内に築造された漁港で、金華山沖の好漁場に近く、沿岸漁業において漁獲量・漁獲高とも県内一を誇ります。昭和21年(1946)に始まった漁港整備により、昭和43年に第3種漁港の指定を受けました。沖合底びき網漁や船びき網漁などが行われ、カレイ・ヒラメ、シラス、メバルなどが水揚げされます。また福島では明治時代からノリの養殖が行われ、隆盛を極めました。貝類ではアサリやカキの養殖も行われ、アサリは潮干狩りや土産物としても需要が伸びました。平成23年(2011)の震災により74の施設すべてが被災。平成30年7月に復旧事業を完了しています。福島県沖の海域は、南からの暖かい黒潮と、北からの冷たい親潮の2つの海流が交わる潮目の海で、栄養豊富で多種多様な魚種を育む世界的にも有数の良い漁場です。そこで漁業者は様々な漁業を営み、また海の資源を守り育ててきました。豊富な水産物が安定して鮮度よく消費地に届くことから、市場関係者から「常磐もの」として高い評価を得てきました。震災からの復興の最中にある現在でも損なわれていないその評価を生かしていけるよう、震災により失われた販路の回復を進めています。小名浜港漁港区少ない労力で高い収益目指す福島県の水産業は震災及び原子力災害を乗り越え、福島県沿岸の一部の魚種において資源量の増加や大型化が確認されています。県では、現在の資源状況における最適な獲り方として、震災前のおおむね6割の操業で8割の水揚量の確保を目指しています。また、ICT等先端技術の活用による海洋環境の変化への対応と操業の効率化を推進し、魚を傷めない漁獲手法やシャーベット氷による鮮度保持技術の導入等による付加価値を高める取組も支援するとともに、万全な放射性物質検査により、県産水産物の安全性をしっかり確保しています。こうした取組を総合的に進めることで、震災前より少ない労力で、震災前を上回る高い収益を目指す漁業を「ふくしま型漁業」と位置づけ、生産を始め、流通、消費に至る総合的な対策を推進しています。ふくしま型漁業未来へシンカチャレンジするふくしま!親潮(冷たい海流)黒潮(暖かい海流)令和2年/震災前5年平均との重量密度比率(倍)121086420ヒラメババガレイヤナギムシガレイマガレイアオメエソアカムツキアンコウ震災前の水準マアナゴキチジマダラヤリイカヤナギダコスルメイカズワイガニ異体類底魚類頭足類、甲殻類出典/福島県水産資源研究所調べ福島県沿岸における主要魚種の資源状況明治37年(1904)頃の松川浦港全景出典/農林水産省「漁業産出額」出典/農林水産省「海面漁業生産統計調査」02040608010012014016018020017618287647979868795959799101101110222324252826令和元2733022945億円平成17年t昭和60年511,965415,792148,986124,629105,71484,02949,68945,32245,44652,84669,41562,66057,74278,93942,42759,79047,94450,03371,50557,900平成2712172123252729令和元352224262830240100000200000300000400000500000600000メヒカリ海面漁業生産額海面漁業生産量の推移

03産業/林業適正に管理された森林木材需要の増大と林業(明治〜昭和初期)緑化運動の広まりと森林の利用明治時代の経済発展から戦中・戦後にかけては薪炭が燃料の中心でした。当時、福島県は広大な森林資源を背景に、全国でも有数の木炭生産県でした。木材の搬出、木炭の出荷のため、国有林を中心に専用の林道(軌道)が多く整備されたほか、浜通りでは、常磐線や磐越東線の開通により、首都圏へも出荷されました。中でも浪江森林鉄道は総延長58.6kmという大規模なものでした。また明治〜戦後にかけては、木炭需要と同様に富国及び戦後復興のため木材の需要が高まり、奥久慈をはじめ県内で多くの木材が生産され、首都圏へ出荷されました。木材需要の急速な増加に伴い、奥会津の広葉樹の利用も盛んになりました。戦中戦後の木材需要の増加により森林が荒廃し、各地で多発する自然災害を背景に、昭和25年(1950)に国土緑化運動が始まりました。これを契機として、本県でも森林環境の保全への意識が高まり、県内各地で植樹祭の開催や森林ボランティア団体による森林づくり活動等が展開されています。県内には緑の団(令和8年2月現在)結団され、緑を守り育てる心を育んでいます。県民が森林に求める役割は、木材の供給だけでなく、地球温暖化防止機能や保健・休養の場など多様化し、昭和47年には安達太良山麓に福島県県民の森を開園、平成10年(1998)には当時全国有数の規模を誇るオートキャンプ場(フォレストパークあだたら)をオープンして、県民に親しまれています。木炭の県営検査の様子(15kg俵に製俵された木炭を精錬計により1俵毎に検査する)第5回ふくしま植樹祭(矢吹町)54福島県政150周年記念誌

興・再生01生活基盤02産福島県森林環境税の創設福島県は、県民一人一人が参画して森林を守り育て、健全な状態で次の世代へと引き継いでいくため、平成17年(2005)11月に、「森林文化のくに・ふくしま県民憲章」を制定しました。さらに県民憲章に基づく森林(もり)づくりを実施するため、平成18年4月に福島県森林環境税を導入。「森林環境の保全」と「森林をすべての県民で守り育てる意識の醸成」を基本目標に掲げ、水源地域の森林整備や住宅等への県産材の利用促進、森林環境学習の実施などに取り組んでいます。令和8年(2026)4月からはもり)づくり県民震災と森林の再生東日本大震災による森林の被害は848カ所、167億円にのぼり、県内の海岸部では保安林の約6割が津波で流失しました。これを教訓に「減災」対策として、海岸防災林と防潮堤等の多重防御により、津波防災対策を施しています。県土の7割を占め、県民生活と深く結びついている森林においては、原発事故による放射性物質の影響から、山菜・きのこ等の出荷が制限されました。また、森林整備活動の停滞や全国トップクラスの生産量を誇っていたきのこ原木の生産が制限されたことから、間伐等の森林整備とその実施に必要となる放射性物質対策を一体的に実施するふくしま森林再生事業や、きのこ原木林の再生に向けた広葉樹林再生事業に取り組んでいます。平成30年(2018)6月に第69回全国植樹祭を南相馬市で開催し、国内外からの支援に対する感謝と復興に向かって強く歩み続ける福島の姿を広く発信しました。生産量日本一のブランド会津桐会津の桐産業は、会津藩主・保科正之の植林政策により始まったとされ、約400年の歴史があります。桐材には一般的に「材質が軽い」「熱伝導率が低く湿度の変化に影響されない」という性質があります。加えて、「木肌の美しさ」が会津桐の特徴といえ海岸防災林(浪江町)使うほどに木目が美しい会津桐タンス(三島町)ます。桐生産は、昭和30年(1955)からの10年間が戦後の最盛期。以後、民間住宅の洋式化による生活様式の変化等で需要が激減したことが、桐材の価格低下を招いた主な原因といわれます。現在、会津桐を守り育てる取組が喜多方市、西会津町、柳津町、三島町、金山町を中心に行われています。会津桐の令和5年(2023)の生産量は185㎥。全国生産量(275㎥)の67.3%を占め、日本一の座を守り続けています。る持続可能な森林管理を目指します。復税」に名称を変更し、県民一人一人が参画した森林の循環利用によ里山保育・自然保育体験活動の様子03(福島市)学原木しいたけ栽培(いわき市)素材生産量の推移1600千㎥1400120010008006004002000昭平令年303540455055607121722273452622未来の杣人(そまびと)林業アカデミーふくしまの挑戦林内での伐木研修林業アカデミーふくしま福島県政150周年記念誌55福島県のしいたけ栽培は、大正から昭和の初期にかけて広まりました。昭和30年代後半の木炭需要の減少を契機に、広葉樹資源の活用を図るため薪炭生産者の転換作物としてしいたけ生産量が増加。全国有数の原木栽培の産地になりました。その後、原発事故の影響により原木栽培が打撃を受けるなか、菌床栽培への転換や復興への取組等で、生産量は回復・増加傾向にあります。県内の素材生産量は、昭和42年(1967)の153万㎥から平成14年(2002)には63万5,000㎥まで減少しましたが、間伐材の利用促進や森林資源が成熟したことに伴う主伐の増加で、令和4年(2022)には104万7,000㎥まで回復しました。またバイオマス利用をはじめ、強度等に優れた建築用木材や木質耐火部材等に関する技術開発とその実用化により公共建築物のみならず、非住宅の建築物などへも利用が拡大しています。未来へシンカチャレンジするふくしま!福島県森林環境税による森林整備福島県では、森林・林業・木材産業を将来にわたり持続的に発展できる成長産業とするため、新規林業就業者の育成を目的に令和4年度から林業アカデミーふくしま(郡山市)を開講しています。1年間の就業前長期研修では、林業に必要な知識や技術の習得に加え、現場において必要な資格の取得からインターンシップによる体験などを通して、将来の林業へ手応えを確かめます。チェンソーやドローンの操作、建設機械・林業機械の使用法などを実習で学ぶほか、14の資格取得が可能です。林業アカデミーふくしまでは、地域林業の核となる担い手の育成や次代を担う新規林業就業者の確保・育成に取り組んでいます。料編木材の利用やきのこ生産業04校教育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資

03産業/商業令和7年第5回イルミエールいわき(いわき駅前大通り・いわき市)県土を構成する7つの生活圏福島県と商業まちづくり明治期の福島は、東北地方の2大鉄道の結束点として物流の要衝であり、それは日本銀行が支店を設ける理由にもなりました。日本有数の生糸産出地域を背景に、県北地域は商都として活発化し商品経済が進展。また常磐炭田の開発や安積疏水の完成により、物流が飛躍的に発展、県内各地域で近代的な商業・金融業が成長しました。昭和40年代以降、郡山市をはじめ大型店の進出が加速し卸売・商業が発達。自動車の普及により商圏が拡大し、産業も多様化しました。平成時代から福島県は、県土全体を地理的な条件や歴史的・文化的関連の強い7つの生活圏に分けて、それぞれの特性を生かしたまちづくりを推進しています。それらの生活圏は、県北(福島市)、県中(郡山市)、県南(白河市)、会津(会津若松市)、南会津(南会津町)、相双(南相馬市)、いわき(いわき市)という各市町を中心とする7つに大別されます。また、7つの生活圏を基本にしながら生活圏相互の関わりに着目し、交流人口の増加、まちの賑わい創出、商業エリアの発展など、実際の住民の生活実態に対応したまちづくりを計画・実施しています。会津地区南会津地区県南地区県北地区県中地区相双地区いわき地区福島県7つの生活圏昭和55年(1980)のいわき駅前大通り(提供/いわき市)福島県では、平成18年(2006)10月に「福島県商業まちづくりの推進に関する条例」が施行されました。そして将来の人口減少や高齢化等をふまえて、県づくりにおける基本的考え方「歩いて暮らせるまちづくり」「環境への負荷の少ない持続可能なまちづくり」「7つの生活圏構想に基づくコンパクトなまちづくり」「連携・協働のまちづくり」等に基づくまちづくりを推進しています。7つの生活圏構想における各生活圏及び各市町村では、商業の現状や課題を整理し、“持続可能で歩いて暮らせるまちづくり”の実現を目的として、地域風土や個性を生かしたまちづくりを行っています。56福島県政150周年記念誌

福島県では、数年ごとに消費購買動向調査を実施し県内の商圏復80.0%71.1%70.0%◆03みちのくの玄関口白河市新産業都市指定とともに成長郡山市学郡山市は明治期から戦前にかけて多くの人が集まり、急速に都市として発展してきました。昭和39年(1964)2月に新産業都市の指定を受け、さらに拡大。市街地を中心に昭和43年からの1年間で商店数が卸売16.3%・小売1.7%・飲食店6.6%の伸びとなり、それに伴い従業員数・年間販売額も増加。特に小売業では年間販売%の増加となりました。工業誘致・企業誘致等によって人口も増え、店舗の大型化も進行。市内と周辺市町村からの買い物客で商店の流通量が増大しました。郡山市は古くから商店街活動が活発であり、現在も中央商店街や大町商店街を中心に、地域の繁華街として市民に親しまれています。広大な会津エリアの中心地会津若松市人々が集い、賑わう駅前風景へ福島市の福島駅東口、中合百貨店福島店跡地等を含むエリアには、官民共創により複合施設ビルの建設が予定されており、中心市街地の賑わいと交流人口の拡大が望まれます。福島の商万636人であり、地元購買人口は25万1,636人、吸引人口は6万9,000人となっています(令和元年度福島県消費購買動向調査)。また、駅東口だけでなく西口も視野に入れたまちづくりが検討され、将来にわたる活性化につなが編福島県民の買い物の動向68.9%68.9%68.0%◆◆64.7%65.6%75.9%◆◆◆◆67.6%◆61.6%60.0%◆◆地元地元以外▲県外50.0%40.0%28.1%30.2%30.9%34.0%32.9%31.4%32.9%28.0%27.4%30.0%20.0%10.0%0.8%0.9%1.1%1.3%1.5%2.7%3.1%5.0%5.5%0.0%▲▲▲▲▲▲▲▲▲H6H9H12H15H18H21H25H28R1出典/地元購買率と県外購買率の推移最終調査年/令和元年度白河だるま市郡山市中央商店街(昭和26年)(提供/郡山市中央図書館)未来へシンカ県都・福島市の未来像るよう、駅東西の一体的なまちづくりが進められています。福島駅東口再開発複合棟外観イメージ※イメージは変更となる可能性があります。七日町通り福島県政150周年記念誌57構造や消費購買動向の実態を把握し、商業施策の参考にしています。令和元年(2019)の調査では福島県全域の約2万1,000世帯についてアンケート調査を実施しました。その結果、地元購買率(居住地で買い物する割合)は全体で61.6%、地元以外県内購買率(居住地以外だが県内での買い物)は、全体で32.9%でした。グラフにあるように、地元購買率が減少し、地元以外県内購買率が上昇した背景には、県内各地にドラッグストアや量販店等の店舗が立地したことで、地元以外の周辺各地での買い物の機会が増えたことがあると考えられています。奈良時代から「白河」として知られていた白河市には、「白河関跡」をはじめ史跡が多く、「白河そば」「白河ラーメン」などの文化資源もあり市民の誇りになっています。中心市街地は旧奥州街道に沿って発展。沿道には蔵や商家が残り、市を代表する祭り「白河だるま市」「白河提灯まつり」もこの通りを中心に開催されます。白河市は周辺の棚倉町・塙町・矢祭町、西郷村等からの買い物客が多いのが特徴です。市民や周辺町村の来街を促す賑わい創出のため、空き店舗の活用やイベントの開催をはじめ様々な環境整備を継続的に進めています。会津若松市の中心市街地エリアは、文禄2年(1593)以降、会津若松城下町として発展してきました。明治から昭和にかけて鉄道の開通により新たな市街地が開け、徐々に発展。近年は会津縦貫北道路の開通や環状道路の整備等で市街地の拡大が進行し、郊外住宅地の形成も見られます。会津若松市内での購買動向を見ると、会津地方・南会津地方のほぼ全エリアが商圏となっており、衣類や家電製品等で特に商圏が広域化している傾向にあります。また、中心市街地には歴史的建造物や史跡等の観光資源が集積しており、観光の拠点としての賑わいも商業まちづくりの一端を担っています。チャレンジするふくしま!興・再生01生活基盤02産業04校教育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料

福島県政150周年記念誌58産業/工業03福島県の工業小名浜臨海工業団地(昭和50年4月)(提供/いわき市)いわき市に明治17年(1884)、磐城炭礦社が設立。明治26年には炭鉱就業者が2万3,000人を数え最盛期を迎えました。常磐炭田は本州最大の埋蔵量を誇り、豊富で安価な石炭は鉄道はじめ電気・水道の動力源、また紡績・製紙等の工場で使われました。東北各地や首都圏、信越方面にも送られ、その名は広く知られました。昭和30年代になると石炭から石油へとエネルギーの転換が進み、昭和51年(1976)に常磐炭礦は閉山。昭和40年代以降、重化学工業中心の小名浜臨海工業団地の建設により、化学・非鉄金属等の基礎資材の工業集積が進みます。その後、昭和47年の工業再配置促進法の適用により、いわき好間中核工業団地を新たに建設。内陸部を中心に電気・輸送機械等の加工組立型産業が集積しています。現在、市内には15の工業団地があり、製造品出荷額等は約1兆730億円(令和5年)で県内1位。福島県全体(5兆6,344億円)の約18.6%を占めています。福島県は各地域に特色ある工業が根づき、確かな技術と先見性でものづくりを続けています。福島県の製造品出荷額を見ると5兆6,344億5,944万円(令和5年)で、最も多い産業が化学工業(構成比11.9%)、次に輸送用機械器具製造業(10.5%)、電子部品・デバイス・電子回路製造業(10.4%)と続きます。前年と比較すると輸送用機械器具製造業(前年比25.9%)、飲料(同18.5%)など13産業で増加。東北地方の玄関口として、充実した高速交通・物流ネットワークが福島県の工業を支えています。いわき好間中核工業団地(平成27年12月)(提供/いわき市)製造品出荷額等の推移産業中分類別製造品出荷額等出典/福島県統計課編「令和5年福島県の工業」(億円)化学輸送電子情報食料業務金属プラ窯業非鉄紙・パはん用電気ゴム生産飲料鉄鋼木材家具印刷その他繊維石油皮革01,0002,0003,0004,0005,0006,0007,000(億円)01,0002,0003,0004,0005,0006,0007,000▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲平成18年平成19年平成20年平成21年リーマンショック東日本大震災新型コロナ平成22年平成23年平成24年平成25年平成26年平成27年平成28年平成29年平成30年令和元年令和2年令和3年令和4年令和5年製造品出荷額等(億円)付加価値額(億円)▲いわき市の工業

福島県には大手医療機器メーカーの生産拠点が数多く立地しており、また、産学官連携による医療関連産業の集積を図るプロジェクトを平成17年(2005)度から推進してきたことで、全国屈指の医療機器生産県となっています。平成28年には、感染症やがん等の新規治療薬・診断薬等の開発を支援する拠点として、福島県立医科大学医療−産業トランスレーショナルリサーチセンター(福島市)を整備し、同センターから5社のベンチャー企業が輩出するなど医薬品関連企業等の集積が進んでいます。さらに、ふくしま医療機器開発支援センター(郡山市)も開所し、生物学的安全性試験など、医療機器の開発から事業化までを一体的に支援する国内初の施設となっています。福島県は、県内ものづくり企業が有する高度な技術力を生かし、医療関連産業のさらなる集積を目指しています。会津地域で進むICT産業の集積会津若松市に平成31年(2019)4月に誕生したICTに特化したオフィス「スマートシティAiCT」。オフィス棟・交流棟・テラスなどを含め働きやすいオフィス環境を整備しており、首都圏からのICT関連企業の集積によって地域活力の維持・発展を目指しています。会津地域には、ICTを専門とした公立大学法人会津大学が立地しており、産学官連携や共同開発など、地域を巻き込んだ交流が期待されています。未来へシンカチャレンジするふくしま!ふくしま医療機器開発支援センター(郡山市)スマートシティAiCT新技術実装連携“絆”特区ドローンによる配送サービスの社会実装地域産業6次化を支援福島県の豊かな農林水産資源を活用し、地域の多様な主体がそれぞれの強みを生かして付加価値を生み出す取組を「地域産業6次化」として平成22年(2010)より推進しています。特に、原発事故後は、加工された食品は風評が比較的少なく、かつ、加工することで賞味期限や流通に優位性があることから、6次化商品をPRすることで原料となっている農林水産物の喫食機会の拡大や風評払拭を目指し、6次化商品の開発・流通・販売に力を入れてきました。産業の集積が進む県南地域復興・再編医療関連産業の集積へ福島県政150周年記念誌59平成29年には全国に先駆け、6次化商品の県オリジナルブランド「ふくしま満天堂」を立ち上げ、商品力向上と販路拡大を図ってきたほか、令和元年(2019)には、地域産業6次化に関する総合支援窓口として「ふくしま地域産業6次化サポートセンター」を設置し、農林漁業者等による新商品開発等の支援を行い、売れる商品づくりを後押ししたことで、これまでに多くの魅力的な6次化商品が誕生し、全国的なコンテストで受賞する商品も輩出しています。県南地域は、東北自動車道、東北新幹線の利便性はもとより、あぶくま高原道路により福島空港へのアクセスも良好なため、輸送機器関連産業や半導体などの電子デバイス関連産業の集積地となっています。また、首都圏に隣接しているという好立地条件から、地域内外の企業や教育・研究機関との連携を図り、研究開発・販路拡大等により地域経済を牽引する産業づくりにおいて今後更なる発展が期待される地域です。ロボット・ドローンの一大開発実証拠点である福島ロボットテストフィールドでは、これまで様々な実証実験が行われてきました。現在、福島県では、国家戦略特区「新技術実装連携“絆”特区」に指定されている強みを生かし、ドローンのオンデマンドサービス実現に向けた取組を推進しています。こうした中、県内のドローン企業は、福島ロボットテストフィールドにおいて、エリア単位での飛行に必要となるリスクと安全対策を検証するため、緊急時対応の実証実験を行い、その後、南相馬市内で本州初となるエリア単位でのレベル4飛行を成功させました。こうした実証を通じてドローン配送の「福島モデル」を確立し、全国へ波及させることを目指しています。浦和ICから約1時間45分の白河中央スマートIC福島ロボットテストフィールドでの実証実験の様子03業学校教01生02生活基盤産04育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料

03産業/観光・物産多彩な交流促進・県産品の魅力発信観光●ふくしまデスティネーションキャンペーン2026.4/1-6/30福島県が誕生して150年、東日本大震災及び原発事故の発災から15年という節目に、国内外の多くの方々に、福島に「来て」、「見て」、「食べて」、「感じて」いただき、福島の今(復興の現状)と魅力を体験していただくため、国内最大級の観光キャンペーンを11年ぶりに開催しました。●福島の温泉福島県は全国第4位の温泉地数を誇る、知る人ぞ知る温泉王国。奥羽山脈が南北を縦断し、東西に越後山脈と阿武隈山地を抱えるという地形から、地質や気候風土が異なり、多様な泉質を楽しめます。●発酵文化と観光ふくしま独自の多種多様な発酵文化を観光誘客に活用し、「美を醸すふくしま」をコンセプトに、食と健康と旅行を結ぶ発酵ツーリズムを推進しています。●花の王国ふくしま数多くの花の名所に恵まれた福島県。季節ごとに競い合うように咲き誇る県内各地の花々は、本県観光の見どころのひとつです。●ふくしまアートツーリズム県内の美術館や博物館にあるアート作品だけではなく、本県が誇る美しい自然景観・温泉、歴史、伝統文化、多彩な食、頑張る人々など、本県ならではの魅力を「ふくしまアート」として捉え、観光コンテンツとして発信し、誘客につなげています。●ホープツーリズムホープツーリズムは、福島のありのままの姿と、復興に向け果敢にチャレンジする人々との対話を通して、震災・原子力災害の教訓、復興、そしてこの逆境からどうすれば脱却できるのかを考えることで、自分自身を成長させる学びの旅です。●大阪・関西万博への出展令和7年(2025)7月19日に大阪・関西万博において、「ふくしまからありがとう」をテーマに、震災以降に頂いたご支援への感謝と復興が進む「福島の今」を様々なアプローチで発信し、多くの来場者に共感の輪を広げることができました。また、旬の県産もも等の魅力を発信し、風評の払拭にもつなげることができました。空港●福島空港国際線令和6年(2024)1月、福島と台湾を結ぶ連続チャーター便が運航を開始しました。週2便の運航により、福島と台湾を行き来する多くの旅行者が利用しており、両地域の観光・ビジネス・文化交流に大きく寄与しています。また、このチャーター便は、相互交流の新たな架け橋としてインバウンド施策にも重要な役割を果たしています。●福島空港国内線大阪便と札幌便は、観光やビジネス等での利用者も多く、大阪からの乗り継ぎ便を生かして九州・沖縄地域への移動など、県民にとっても空の交通網として重要な役割を担っています。60福島県政150周年記念誌

活基盤02産県産品の魅力発信●県産品イベントの開催ふくしまの酒や、全国の品評会で高い評価を得ている味噌・醤油、本県特有の歴史や伝統の技を生かした工芸品など福島県が誇る県産品の魅力を発信するため、県内外でイベントを開催し、県産品の認知度向上や販路拡大に取り組んでいます。ものづくりと伝統工芸福島県の広大な県土に育まれ、様々な工芸品が生まれました。会津地方、中通り地方、浜通り地方、それぞれに独特で豊かな文化があり、ものづくりの伝統が受け継がれています。●奥会津編み組細工未来へシンカチャレンジするふくしま!●赤べこデジタル製造技術を活用し、会津だるまを復活福島県ハイテクプラザの技術支援●奥会津昭和からむし織●会津塗伝統工芸業界における職人不足による生産性の低下や技術伝承の問題を解決するため、未来への取組としてデジタル製造技術と職人の手仕事を組み合わせた工法を開発しました。開発した工法では、張り子の木型を3Dスキャンで測定し、取得した3Dデータをもとに3Dプリンタで木型を製作。和紙の貼り付けや塗装、絵付けの一部は人の手で行うことで、だるまの手触りはそのままに、デジタル技術と手づくりの良さが融合しています。●輸出拡大の取組福島県政150周年記念誌61復興・再日本酒をはじめとする県産酒や、米・果物・牛肉等の農産物や水産物について、現地の飲食店や小売店と連携したプロモーションやトップセールスなどを戦略的に展開し、輸出拡大に取り組んでいます。●会津本郷焼●大堀相馬焼だるまの3Dスキャン出力した木型開発した工法で試作した会津だるま03学生01生業校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08

04学校教育学び舎に笑顔の花咲く明治(1910)大正(1916)昭和(1950)平成(2000)令和(2025)子どもたちに公平な教育の場を日本の近代教育制度は、明治5年(1872)の学制発布に始まります。明治12年から全国の町村を基礎に小学校を設置。明治14年「小学校教則綱領」を制定し、全国的に小学校教育が統一化されました。福島県内にも学制発布とともに数多くの小学校が創立。福島市立福島第一小学校、会津若松市立城西小学校、郡山市立金透小学校、南相馬市立原町第一小学校、湯川村立勝常小学校など、明治6年創立の小学校は県内各地にあり、150年以上にわたり教育の現場であり続けています。小学校設立と同時期、県内各地域にはまた別の教育の場がありました。就学年齢に達しても家が貧しく学校に行けない子どもが読み書きや算術を学ぶ場として、地域の地主や有力者が出資して小学校を設けて教育の場を提供。さらには、奉公先の赤ん坊の子守のため学校に行けない子どもらに読み書き等を教える「子守学校」など、地域一体となりまたは有志として子どもの成長を助け育む場が県内各地にありました。また学校教育の始まりとして、幼児教育には「生きる力」の基礎を育成する役割がありました。日本では明治9年(1876)に最初の幼稚園が発足。その後、福島県では明治26年に海老名リンによって会津復興の思いを込めた若松幼稚園が設立されました。福島市立第一小学校明治6年創立。明治40年市制施行により福島市立福島第一尋常高等小学校となり、戦後、福島市立福島第一小学校と改称されました。明治6年創立の会津若松市立城西小学校。会津若松市西部に位置し、東に鶴ヶ城を望みます。明治・大正・昭和・平成・令和と、5つの時代それぞれの生徒や校舎の様子から学びの姿が見えてきます。義務教育の延長と中等教育制度の充実明治33年(1900)、小学校令により尋常小学校の義務教育が4年に定められ、授業料も原則無償となります。明治40年には、就学率の上昇と尋常小学校に併設された高等小学校の普及・拡大を背景に、義務教育が6年に延長されました。初等教育制度の整備に連動して、明治20年代後半から中等教育制度の形成が進められます。高等中学校がすでに高等学校と改編(改称)されていたことから、明治32年の第二次中学校令により尋常中学校は単に「中学校」(5年制)となり、併せて女子の高等普通教育として高等女学校(4年制基本)、実業教育として実業学校(3年制)の3系統に体系化されました。62福島県政150周年記念誌

福島県における農業・工業学校の創立明治32年(1899)の実業学校令発布により農業・工業・商業学校等の創立が相次ぎました。明治期後半以降の近代産業の発展を背景として専門的な実業学校の必要性が顕著になったことや、明治27年の実業教育費の国庫補助法が拍車をかけました。福島県では県立学校として、明治34年蚕業学校、明治37年会津工業学校、明治40年会津農林学校・福島商業学校、明治41年岩瀬農学校・東白川農蚕学校・相馬農蚕学校、明治45年若松商業学校、大正9年(1920)平商業学校などが設立。昭和22年(1947)に制定された「学校教育法」をもとに翌23年には新制高等学校が発足し、実業学校は旧制中等学校から新制高等学校へと組織変更されました。戦時体制下の教育体制昭和13年(1938)に国家総動員法が制定されると、生活のあらゆる分野が統制下に置かれました。昭和16年に国民学校令、昭和18年には中学校令が制定され教育内容の改革も行われましたが、戦争の激化による勤労動員や学徒動員などにより、教育の正常な機能がほとんど停止。福島県でも10代後半の学生らが軍需工場で働きました。青年、壮年の男性は徴兵されて戦地に赴くなか、戦争末期には「教育に関する戦時非常措置」により学生の徴兵猶予は停止され学徒出陣が始まります。福島経済専門学校(現福島大学)の学生も兵士として出征しています。福島高等女学校敷島隊昭和20年5月16日、海軍工日東工砿での作業廠造機部設計係写図班三笠記念艦にて(中央は指導員)昭和20年ICTと英語教育に特徴会津大学会津大学は、日本で最初のコンピュータ理工学専門の大学として平成5年(1993)に創設。充実したコンピュータ教育・研究環境で1,384人(令和6年5月1日現在)の学生が学んでいます。学内はマルチメディア・コンピュータネットワークが構築され、広範囲かつ最先端の研究に取り組める環境が整っています。英語教育のレベルの高さも特徴の一つであり、社会・経済のグローバル化を見据え、ICTと英語力を重視した教育で未来を拓く研究者・企業家を育成しています。外国人教員は全教員の約40%復興・再新教育制度の確立と総合教育計画の導入教員養成を担った「福島県師範学校」。明治7年設立の福島小学則仮講習所が起源(提供/福島市)学びの力が未来をつくる未来を切り拓く!探究的な学び編実業学校の展開にみる福島県政150周年記念誌63明治29年創立当時の福島県蚕業学校。明治34年に県立蚕業学校、昭和23年に県立福島農蚕高校となり、平成9年に県立福島明成高等学校に改称(提供/福島市)昭和22年(1947)教育基本法が制定され教育の機会均等が実現。6・3・3制の学校制度が確立し、義務教育年限が9年間へ延長となりました。昭和24年には新制大学が発足。福島師範学校・福島青年師範学校・福島経済専門学校の3校により、学芸学部と経済学部の2学部を持つ福島大学が設置されました。令和7年度現在、3学群、5学類の総合国立法人として発展しています。昭和41年には県教育委員会として初めての教育計画となる「福島県長期総合教育計画」を策定。現在は、令和4年度からを計画の期間とする「第7次福島県総合教育計画」の基本方針をもとに〈福島ならではの教育〉を掲げ、様々な取組が行われています。未来へシンカチャレンジするふくしま!福島県では令和4年(2022)度からの9年間の計画として「第7次福島県総合教育計画」を策定。福島県で育成したい人間像として「急激な社会の変化の中で、自分の人生を切り拓くたくましさを持ち、多様な個性をいかし、対話と協働を通して、社会や地域を創造することができる人」を掲げ、福島ならではの教育の充実を図っています。この計画では、「学びの変革」と「学校の在り方の変革」を両輪として進めることとしており、福島県の課題を題材とした学びや、福島の良さを生かした学びなど、福島県で学び育つ過程で、福島県に誇りを持つことができる教育を推進しています。その中で、複雑な社会の課題を主体的に解決する力の育成として、高校生の地域課題探究活動を充実させるため、地域ネットワーク推進委員の配置や、探究的な学びを実践するための自己表現力やコミュニケーション能力育成の推進に取り組んでいます。学校と地域の連携・協働や地域をフィールドとした探究的な学びの推進等により、「福島を生きる」教育を目指しています。03業学校教01生02生活基盤産04育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料

04学校教育震災遺構として残る浪江町立請戸小学校日々の授業が途切れた3.11東日本大震災と原発事故が発生平成23年(2011)3月11日に発生した東日本大震災と原発事故の影響により、周辺一帯の住民は県内外への避難を余儀なくされました。被害は教育の場においても例外ではなく、県内では国立・公立・私立の学校施設で合わせて900校を超える学校が被害を受け、他にも体育館や社会教育施設・文化施設等で530施設が被害を受けました(平成24年9月13日時点)。主な被害状況は、校舎や体育館の倒壊や半焼、津波による流出、水没、浸水、校庭の段差や亀裂、外壁・天井の落下等、広範囲に及びました。また避難所に使用された学校・施設も多くあり、地域住民とともに様々な困難のなか共に助け合い乗り越えることとなりました。福島県では、「生き抜く力」を育む防災教育を行っています。教師・児童生徒がともに授業再開を目指して震災後、児童生徒の安全確認とともに教育機会の確保が急務になりました。市町村立小中学校では、原発事故の影響により、双葉郡の8町村、飯館村、南相馬市の大部分、川俣町山木屋地区、田村市都路町の学校で授業再開が困難になり、県内他校、他施設へ避難。移転先での学校再開となりました。双葉町は現在もいわき市で教育活動を続けており、令和10年(2028)度の帰還を目指しています。見学できる震災当時のままの教室県立高等学校10校(分校含め)「双葉」「浪江」「浪江津島」「富岡」「双葉翔陽」「原町」「相馬農業」「相馬農業飯舘」「小高商業」「小高工業」ではサテライト校が設置され、県内各地域の協力校で教育活動を再開することができました。地震により福島県立図書館(福島市)では棚の図書が落下福島明成高等学校(福島市)にサテライト校を設置した相馬農業高等学校飯舘校64福島県政150周年記念誌

高校生の復興に向けた取組震災5カ月後の平成23年(2011)8月には第35回全国高等学校総合文化祭(ふくしま総文)が本県で開催され、高校生たちが発表した構成劇『ふくしまからのメッセージ』は、未来への復興の決意を広くアピールする内容となりました。当時の高校生が綴った「福島に生まれて、福島で育って、福島で働いて、福島で結婚して、福島で子どもを産んで、福島で子どもを育てて、福島で孫を見て、福島でひ孫を見て、福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです。あなたが福島を大好きになれば幸せです。」という劇中の言葉は、国内のみならず海外からも大きな反響を呼びました。また、ふくしま総文実行委員会では、県内高校文化部を対象とした避難所慰問活動に取り組みました。県内各地の避難所や仮設住宅等を訪れ、演劇、音楽、ダンス、美術などによる活動発表により被災者支援を行いました。平成23年8月4日第35回全国高等学校総合文化祭(ふくしま総文)の震災後、双葉郡に5校あった県立高校は県内各地のサテライト校で授業を続けましたが、元の校舎に戻ることなく平成27年(2015)に休校となりました。そのような中、同年4月、双葉郡広野町に福島県教育復興のシンボルとなる「福島県立ふたば未来学園高等学校」が開校しました(平成31年4月、ふたば未来学園中学校開校)。建学の精神に「変革者たれ」を掲げ、地域や世界で活躍できるリーダーの育成を目指しています。総合開会式第3部(會津風雅堂・会津若松市)世の中を変革する次世代リーダー育成「ふたば未来学園」の開校カリキュラムの中心は「未来創造探究」と呼ばれるプロジェクト学習。福島や世界の課題を解決するためのプロジェクトを、地域の方々と連携しながら各自が企画し、実践します。解の無い課題にも果敢に挑戦し、新しい価値を創造する最先端の教育を求め、県内だけでなく全国各地から生徒が集まっています。教育復興のシンボル「ふたば未来学園」2024インターハイ男子サッカー競技福島県固定開催スタート福島県政150周年記念誌65復興・再平成29年(2017)、全国高等学校総合体育大会夏季大会(南東北総体)が山形・宮城・福島各県を中心に開催され、本県ではバスケットボール、卓球、ハンドボール、テニス、柔道など10の競技が行われました。本県は陸上競技男子1,500m(学法石川高等学校陸上競技部)とバドミントン競技(ふたば未来学園高等学校バドミントン部・史上初の6種目中5種目制覇)で優勝。全国の高校生が熱戦を繰り広げました。全国高等学校総合体育大会男子サッカー競技の福島県固定開催が決定したことを受け、令和6年(2024)、福島復興のシンボルであるJヴィレッジを主会場とした大会が初めて本県で開催されました。本県からは、帝京安積高等学校と尚志高等学校の2校が出場し、全国の強豪と熱戦を繰り広げました。県内外から訪れた約2万人の来場者に大きな感動を与えるとともに、復興の確かな歩みを広く発信し、全国からの支援に対し心から感謝の気持ちを伝え「絆」を深めました。未来へシンカチャレンジするふくしま!デジタル化から変革を続ける「教育DX」を推進近年、教育の現場では情報通信技術を使った授業が可能になり、学びの環境は大きく変化しました。一人一台の学習端末やクラウド環境の整備等を行い、児童生徒それぞれに適した学習を可能にするGIGAスクール構想は第2期に入り、ICT化は急速に進んでいます。その先を見据え、デジタル技術を活用して教育の在り方を変革し、新たな価値を創造する取組が教育DXです。福島県では、公立学校のすべての児童生徒と教職員にアカウントを配布し、クラウドを活用した個別最適な学び、協働的な学び、探究的な学びを推進しています。また、児童生徒の状況を個別に把握した指導・支援につなげるため、デジタルドリルを活用した学習や、自分自身の健康を管理する自分手帳の電子化等による教育データの利活用など、教育DXを推進しています。※「DX」とは、「DigitalTransformation」の略称會津風雅堂(会津若松市)で開催されたテニス競技大会の開会式インターハイ男子サッカー表彰式012017インターハイの福島県開催生02生活基盤03産業04学校教育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料編

05医療・福祉だれもが健やかに暮らせる未来へ福島県立医科大学附属病院福島県の医療の歴史と発展明治4年(1871)、当時の白河県に白河医術講議所が設置されたことにより福島県において近代西洋医学が導入され、その後、須賀川及び福島へと医療拠点が移転しながら福島県の医療体制の基礎を築きました。明治後期には三郡共立病院など地域において共同で運営する病院が誕生し、伝染病対策や衛生行政の整備とともに医療体制が拡充されました。その後、戦時中の医師不足を背景に昭和19年(1944)に福島県立女子医学専門学校が創立され、戦後は教育改革を経て福島県立医科大学へ発展し、現在では、県の医療人材育成の中心となっています。平成23年(2011)の東日本大震災は、福島県の医療体制に深刻な打撃を与えました。震災後の地域の医療ニーズに対応するために、医療機関の再開支援や運営支援、医療人材の確保など、避難地域等の医療提供体制の再構築に係る事業を継続して実施しています。県民の健康・医療を守る研究・支援福島県立医科大学は、県民の基幹施設として附属病院・会津医療センターによる医療提供、医学部・看護学部・保健科学部・別科助産学専攻による医療人の教育・育成、大学院教育による高度な医学・看護学及び保健科学の研究・創造等に取り組んでいます。大学には、先端医療の研究から医療人材の育成・支援等を担う各種センター・施設があります。科学的根拠に基づいた評価・分析により、県民の健康寿命の延伸・健康格差の縮小を目指す「健康増進センター」、産婦人科や小児科の専門分野において子供と女性の医療を支援する「ふくしま子ども・女性医療支援センター」、福島県内の医師の確保と定着を図る取組を行う「地域医療支援センター」など、多岐にわたって活動しています。福島県立医科大学福島駅前キャンパス66福島県政150周年記念誌

興・再生01生活基盤02産明治政府が近代医療の導入を図ったものの、福島県の農村部においては、昭和初期まで無医村もしくは準無医村が多くありました。戦後、全国的に公的医療の再建が進められ、へき地医療の必要性が高まりをみせ、国は昭和31年(1956)に「へき地保健医療対策計画」を策定します。福島県においても、市町村立の診療所の設置が進み、無医地区も減りました。平成13年(2001)に「へき地保健医療対策事業」が本格的に開始されます。福島県においては、平成16年(2004)に福島県へき地医療支援機構を設置するとともに、会津医療センターの前身である会津総合病院をへき地医療拠点センターとして、南会津病院未知の感染症が流行令和元年(2019)12月に中国武漢市で原因不明の肺炎が発生して以降、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、世界的な大流行に至りました。令和2年1月16日、国内で初めて感染者が確認され、3月には県内初の感染患者が確認されました。日本の累計感染者数は令和5年5月には3,380万人に達し、うち福島県の累計感染者数は41万人を超えました。福島県における新型コロナウイルス感染症新規陽性者数(令和5年5月7日まで)新規感染者数4,0003,5003,0002,5002,0001,5001,0005000R2.3.6R2.5.6単位:人R2.7.6新規感染者数累計感染者数R2.9.6R2.11.6R3.1.6R3.3.6R3.5.6R3.7.6R3.9.6R3.11.6新たな感染症への備え出典/福島県保健福祉部調べ平成11年(1999)、これまでの伝染病予防法にかえて感染症法が施行。平成20年に改正し、全国的かつ急速なまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあるものとして、新たに新型インフルエンザ等感染症が追加されました。令和2年(2020)2月に指定感染症、令和3年2月に新型インフルエンザ等感染症に位置付けられた新型コロナウイルス感染症は、罹患しても軽症で経過することが多いとされる半面、高齢者や基礎疾患を持つ人は重症化リスクが高いと報告されました。変異株の出現等に伴い対策が長期化する中で、医療提供体制の整備、外出自粛や基本的な感染対策の要請等により、徐々に流行は収束に向かい、令和5年5月には5類感染症へと移行しました。新型コロナウイルス感染症への対応の経験を踏まえ、令和7年3月、福島県は「福島県新型インフルエンザ等対策行動計画」を改定し、次なる感染症危機の発生時に迅速かつ的確に対応できるよう計画的に準備を進めています。R4.1.6R4.3.6R4.5.6R4.7.65/7410,462人R4.9.6R4.11.6R5.1.6R5.3.6R5.5.6累450,000計感400,000染350,000者数300,000250,000200,000150,000100,00050,0000及び宮下病院をへき地医療拠点病院に指定しました。福島県へき地医療支援機構においては、へき地医療拠点病院等での診療を支援し、平時から医師派遣や拠点病院による支援体制を整備してきました。へき地を支えるオンライン診療介護保険制度の開始学34.2%29.6%20.3福島県14.310.517.45.98.012.15.7編へき地医療を支える歩み7.19.1全国昭和45年昭和55年平成2年平成12年令和7年(1970)(1980)(1990)(2000)(2025)福島県統計課「福島県の高齢者の数」より作成医療の充実を目指した取組「遠隔医療の推進」「医療情報の連携」平成12年(2000)、高齢者介護を社会全体で支える仕組みとして介護保険法が施行されました。日本の老人福祉・医療は昭和38年(1963)に老人福祉法が制定されたのが始まりです。昭和57年に老人保健法が制定。平成元年に高齢者保健福祉推進十か年戦略、通称「ゴールドプラン」が策定され、福祉サービスの市町村への一元化が示されました。平成9年に介護保険法が成立。自立支援・利用者本位・社会保険方式を基本に据え、利用者の選択により多様なサービスを総合的に受けられる体制となりました。福島県の高齢者(65歳以上)の割合単位:%35302520151050昭和35年(1960)未来へシンカチャレンジするふくしま!地域医療を取り巻く環境は、医療従事者の高齢化や人員の不足、住民の高齢化に伴うニーズの多様化、医療へのアクセスの困難さ等複合的な課題を抱えています。限られた医療資源の中で、良質かつ適切な医療行為を効果的に提供する体制を確立するためには、ICTを活用した遠隔医療の利用・進展が不可欠です。「オンライン診療」は、身近な遠隔医療の一例ですが、令和6年(2024)2月から浪江町において開始した小児科のオンライン診療は、大熊町、双葉町と広がり、令和7年には、双葉郡の8町村に広がりを見せています。また、より専門的な診断が可能となる遠隔病理診断や遠隔画像診断は、県内の医療機関においても活用が進んでいます。業04校教育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料

05医療・福祉健康で長寿ふくしまのチャレンジ令和2年(2020)の県民の平均寿命は、男性80.60年(全国平均81.49年)、女性86.81年(全国平均87.60年)となっており、どちらも全国では最下位に近い数字です。一方、健康寿命は男性71.89年(72.57年)、女性74.74年(75.45年)。平均寿命と健康寿命の差は日常生活に制限のある期間を意味し、この期間をより短くするために、健康寿命を延伸させることが重要です。県民の健康長寿を実現するため、福島県では平成13年度から「健康ふくしま21計画」を実施しています。食生活や運動、睡眠などの生活習慣の改善から、心の健康の維持、社会環境の質の向上まで様々な分野で推進しています。地域住民の心と体の健康保持を推進福島県では、地域包括ケアシステムの基盤整備として、地域包括支援センターの機能強化を行っています。地域住民の心身の健康、生活の安定のために必要な支援をしています。県内には133カ所の地域包括支援センターがあり(令和7年4月1日現在)、高齢者に限らず地域生活について総合的な相談などの支援を通して、地域のネットワークを構築。市町村における体制整備・先駆的な事業実施に対する補助金の交付や、家族介護支援体制の充実のため、関係機関との連携強化を図っています。市民からの介護や福祉についての相談窓口として、頼りになる存在となっています。健康寿命の推移(女性)年7675.57574.57473.57372.57275.3875.45全国平均75.0575.3774.0974.2174.7974.74福島県73.9673.62平成22年(2010)平成25年(2013)平成28年(2016)令和元年(2019)令和4年(2022)年度健康寿命の推移(男性)年7372.6872.5772.5全国平均72.147272.2871.571.1971.8971.547170.4270.570.67福島県7069.569.9769平成22年(2010)平成25年(2013)平成28年(2016)令和元年(2019)令和4年(2022)年度地域包括支援センターによる活動の様子平均寿命の推移(男女)年齢88全国87.0187.60878685女性85.7585.4586.3586.05福島県86.4086.81848382全国80.7781.49818078.7979.5980.1280.607978男性77.9778.84福島県77平成17年(2005)平成22年(2010)平成27年(2015)令和2年(2020)年出典/都道府県別生命表の概況(厚生労働省)68福島県政150周年記念誌

〔お問い合わせ先〕こころの健康度・生活習慣に関する調査(ここから調査)専用ダイヤル福島県立医科大学放射線医学県民健康管理センター電話番号024-549-5170(9:00~17:00土日祝・年末年始を除く)-4--4-−4−ふりがなふりがな本調査にご協力いただき、ありがとうございます。Aインターネットを利用しオンラインで回答される方は、右の二次元コード等からご回答ください。B紙の調査票(本紙)で回答される方は、下記へご記入ください。都・道府・県郡※AかBどちらかの方法でご回答ください。以下の欄に、必要事項をご記入いただき、当てはまる□に✔をご記入ください。ご記入日:令和7年月日ふりがなお子様のご氏名:お子様の生年月日:5□令和年月日1−−1−-1-−1−性別:1□男2□女(送付先住所変更)※結果通知書も上記住所にお送りする予定です。変更される場合は下記にご記入ください。〒-都・道府・県市・区郡令和6年度「県民健康調査」こころの健康度・生活習慣に関する調査日中つながりやすい連絡先※ここから健康支援チームから、ご連絡する場合がございます。電話番号:()-(様方)最初に本調査票を回答する保護者の方についておたずねします。以下のご記入をお願いします。1□母親2□父親3□祖父母4□その他福島県福島県立医科大学オンライン回答もご利用いただけます活基盤02産校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編−キラリふくしま介護賞福島県では令和2年(2020)度から「キラリふくしま介護賞」を制定し、県内の介護施設等で勤務する介護の職場でキラリ輝いている介護職員の方や、労働環境・処遇改善等について優れた取組を行っている施設を表彰しています。令和7年度の第6回授賞式では、介護職を目指す学生らの目標や憧れとなる働き方を実践している介護職員30人と介護施設5施設が受賞しました。誰もが自分らしく安心して暮らせる社会を実現するために介護福祉の現場を支えています。福島県「県民健康調査」開始福島県では、平成23年(2011)6月から全県民を対象に県民健康調査を行っています。同年3月の原発事故による放射性物質の拡散等をふまえ、長期にわたり県民の健康状態を把握し、将来の健康の維持、増進につなげていくことを目的としています。県民健康調査では、外部被ば2)現在、お子様に発達やこころの問題等はありますか。(✔はどちらかひとつ)1□ある2□ない問5.現在、育児について相談できる身近な人や各種機関はありますか。(✔はどちらかひとつ)く線量を推計する「基本調査」1□ある2□相談できる人や機関はない問6.この1年間に、新型コロナウイルス感染症の流行により、お子様の生活への支障はどの程度ありましたか。(✔はひとつ)1□全くなかった2□あまりなかった3□ある程度あった4□非常にあったのほか、詳細調査として「甲状あまりなかった・ある程度あった・非常にあった方にお尋ねします。新型コロナウイルス感染症の流行によって支障を受けた出来事の内容をご記入ください。腺検査」、「健康診査」、「こころの健康度・生活習慣に関する調査」「妊産婦に関する調査(令和4年度で終了)」を実施し、県民の健康を見守っています。※お子様の体調や心配ごと、ご意見等がございましたら以下にお書きください。今後の健康管理、調査の参考にさせていただきます。これで質問は終わりです。返信用封筒に入れてご返送ください。ご回答ありがとうございました。〔お問い合わせ先〕こころの健康度・生活習慣に関する調査(ここから調査)専用ダイヤル福島県立医科大学放射線医学県民健康管理センター電話番号024-549-5170(9:00~17:00土日祝・年末年始を除く)本調査にご協力いただき、ありがとうございます。本調査にご協力いただき、ありがとうございます。Aインターネットを利用しオンラインで回答される方は、右の二次元コード等からご回答ください。B紙の調査票(本紙)で回答される方は、下記へご記入ください。※AかBどちらかの方法でご回答ください。以下の欄に、必要事項をご記入いただき、当てはまる□に✔をご記入ください。ご記入日:令和7年月日お子様のご氏名:性別:1□男2□女お子様の生年月日:平成年月日(送付先住所変更)※結果通知書も上記住所にお送りする予定です。変更される場合は下記にご記入ください。〒-都・道府・県日中つながりやすい連絡先※ここから健康支援チームから、ご連絡する場合がございます。電話番号:()-(様方)最初に本調査票を回答する保護者の方についておたずねします。以下のご記入をお願いします。・回答する保護者氏名市・区令和6年度「県民健康調査」こころの健康度・生活習慣に関する調査(ここから調査)(小学生用)Aインターネットを利用しオンラインで回答される方は、右の二次元コード等からご回答ください。B紙の調査票(本紙)で回答される方は、下記へご記入ください。福島県福島県立医科大学オンライン回答もご利用いただけます※AかBどちらかの方法でご回答ください。以下の欄に、必要事項をご記入いただき、当てはまる□に✔をご記入ください。ご記入日:令和7年月日・回答する保護者の生年月日3□昭和4□平成年月日・お子様との続柄1□母親2□父親3□祖父母4□その他入院から在宅への橋渡しをする介護老人保健施設「老健」お子様のご氏名:性別:1□男2□女お子様の生年月日:4□平成5□令和年月日(送付先住所変更)※結果通知書も上記住所にお送りする予定です。変更される場合は下記にご記入ください。昭和60年代、高齢者医療の課題として、入院後のリハビリテーションを十分に行う施設環境が整っておらず、長期入院を余儀なくされる状況がありました。昭和62年(1987)に現在の介護老人保健施設のモデルとなる施設が、医療機関と在宅をつなぐ「中間施設」として検討され、翌年、本格的に運用が始まりました。リハビリテーション等の医療ケアを必要とする要介護者に対し、在宅復帰を目指して機能訓練やその他の必要な医療を行っています。県内には86の老健(令和7年4月現在)が登録されています。〒-日中つながりやすい連絡先※ここから健康支援チームから、ご連絡する場合がございます。電話番号:()-(様方)最初に本調査票を回答する保護者の方についておたずねします。以下のご記入をお願いします。・回答する保護者氏名市・区郡・回答する保護者氏名令和6年度「県民健康調査」こころの健康度・生活習慣に関する調査(ここから調査)(4歳~6歳用)福島県福島県立医科大学オンライン回答もご利用いただけます・回答する保護者の生年月日3□昭和4□平成年月日・回答する保護者の生年月日3□昭和4□平成年月日・お子様との続柄1□母親2□父親3□祖父母4□その他・お子様との続柄(ここから調査)(0歳~3歳用)子育て応援パスポート「ファミたんカード」福島県では協賛企業と協力して平成19年(2007)12月から子育て応援パスポート事業を行っています。県内在住の子育て世帯に配布している「ファミたんカード」を協賛店で提示すると、お店のご厚意により、割引などのサービスが受けられます。福島県内約4,000店をはじめ全国の事業協賛店での使用が可能。カードは子ども1人につ福島県政150周年記念誌69復興・再き1枚受け取ることができ、カード裏面の二次元コードを読み取れば、スマートフォンで表示できるデジタルパスポートも利用できます。子育て世帯の負担を軽減しながら楽しく利用できるよう推進しています。未来へシンカチャレンジするふくしま!日々の健康づくりに役立つふくしま健民アプリ「ふくしま健民アプリ」は、県民一人一人の健康づくりを支援するために平成28年度にスタートしました。アプリは、日々の歩数がポイント化され、目標ポイントに達成すると県内約1,700の協力店で割引などの特典が受けられる「ふくしま健民カード」が入手できる仕組みとしました。また、個人や企業がチームで参加できるバーチャルウォーキング大会等の取組を切れ目なく開催したことにより、県民の皆さんの健康づくりに取り組むきっかけになりました。日々の健康づくりが未来の健康寿命につながることから、より楽しみながら生活習慣の改善につなげることができるよう、これまでの歩数の記録に加え、食事内容の見える化や、個人に適したアドバイスなどの機能強化を図り、アプリもさらにシンカします。キラリふくしま介護賞受賞者(令和7年度)ふくしま健民アプリ03学生01生業

06スポーツ限界のその先に挑戦オリンピック賛歌を披露する郡山高等学校と豊島岡女子学園高等学校の生徒野球・ソフトボール競技が行われた県営あづま球場開会式でオリンピック讃歌を披露する郡山高等学校と豊島岡女子学園(提供/ロイター/アフロ)大会期間中に県営あづま球場前に設置されたオリンピックシンボル花壇大会後に県営あづま球場前に設置された記念碑マラソンランナー・円谷幸吉の東京オリンピックのオリンピックで日本中に歓喜の渦が広がりました。マラソン以外に、陸上競技10,000m6位入賞も果たしています。昭和39年(1964)10月21日、東京オリンピックの陸上競技のマラソンで円谷幸吉選手(須賀川市出身)が銅メダルを獲得。陸上競技がオリンピックでメダルを獲得したのは昭和11年のベルリン大会以来、28年ぶりのことでした。円谷選手は、高校2年生の時に代走で出場した福島縦断駅伝大会で区間新記録をマーク。昭和36年の青東駅伝では出走の3区間すべてで新記録樹立、延べ15人抜きの記録を打ち立てます。さらに昭和39年の毎日マラソンでは第2位を記録するなど、型破りの躍進を見せました。こうして初マラソンからわずか7カ月での東京オリンピック出場は、自己ベストの2時間16分22秒8を記録し銅メダル。アジア初、日本初開催伝説的マラソンランナー円谷幸吉選手復興五輪東京2020オリンピックの開催昭和39年(1964)以来、57年ぶりに東京で開催された「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」。復興五輪として開催されたこの大会は、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行の影響で、史上初めて1年延期となり、ほとんどの会場で無観客での開催となりました。第32回オリンピック競技大会は、令和3年(2021)7月23日に開会式が行われ、206の国・地域の選手が参加し、野球・ソフトボール、空手、スポーツクライミング等が新たに加わった全33競技(339種目)で行われました。日本選手団は選手583人で、金メダル数27個を含む総数58個は史上最多となり、活躍が光りました。70福島県政150周年記念誌

興・再生01生活基盤02産校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編オリンピックの野球・ソフトボール競技は、県営あづま球場(福島市)を会場に、野球1試合・ソフトボール6試合の計7試合が開催され、全ての競技を通じた最初の試合が、福島会場でのソフトボール競技開幕戦となりました。福島会場でのソフトボール競技開幕戦その後、横浜会場に舞台を移して決勝戦まで行われ、日本代表は野球・ソフトボールともに金メダルを獲得しました。昭和23年誕生、78回を迎えたスポーツ大会昭和23年(1948)9月9日、第1回福島県総合体育大会の開会式が福島師範男子学校のグラウンドで開催。翌10日に競技が開始され、野球やテニス、バスケットボール、ハンドボールなどで熱戦を繰り広げました。令和7年(2025)で第78回を迎えた福島県総合スポーツ大会は、県民総参加のスポーツ大会として、国民スポーツ大会・東北総合スポーツ大会選手選考会等やスポーツ少年団大会、地域スポーツ大会で構成され、令和7年度は約2万5,000人が参加するなど、県内最大のスポーツイベントとして親しまれています。※「国民体育大会」の名称は、関連法案の成立により令和6年の佐賀大会から「国民スポーツ大会」に変更されました。「福島県総合体育大会」の名称は令和5年から「福島県総合スポーツ大会」へと変更されています。第7回・第50回、国民体育大会開催戦後の昭和27年(1952)10月19日、第7回国民体育大会秋季大会が信夫ヶ丘競技場(福島市)で開会式を行い、開幕。福島・宮城・山形を舞台に競技が行われました。平成7年(1995)10月14日、「友よほんとうの空にとべ!」をスローガンに、第50回国民体育大会(ふくしま国体)の秋季大会が県営あづま陸上競技場で開会式を行い開幕しました。冬季2大会・夏季・秋季の4大会全てを同一県で行う完全国体となり、4大会合わせて史上最多の2万477人が参加。福島県に天皇杯(男女総合優勝)、皇后杯(女子総合優勝)が授与されました。第7回国民体育大会秋季大会秋空のもと行われた「ふくしま国体」総合開会式東京2020パラリンピックと福島県出身選手の活躍復03学橋本勝也選手福島県政150周年記念誌71東京2020パラリンピック競技大会は、令和3年(2021)8月24日から13日間の会期で162の国・地域等の選手が参加し、バドミントンとテコンドーが加わった全22競技、539種目について熱戦を繰り広げました。日本選手団は選手254人で、金メダル13個を含む51のメダル総数は過去2番目。入賞(4~8位)も近年の70前後から大幅増の107となり躍進しました。福島県出身者では、男子車いすバスケットボールで豊島英選手(いわき市出身・平商業高校卒)が銀メダル、車いすラグビーで橋本勝也選手(三春町出身・田村高校卒)が銅メダルを獲得しました。豊島英選手男子車いすバスケットボール(提供/日刊スポーツ/アフロ)福島県の歩み53福島インターハイ開幕ソフトボール競技開幕戦での始球式昭和53年(1978)8月1日男子車いすラグビー(提供/毎日新聞社/アフロ)昭和53年8月1日、全国高校総合体育大会(53福島インターハイ)の開会式が信夫ヶ丘競技場(福島市)で行われました。47都道府県から5,000人の選手・役員が参加し行進。スタンドから1万2,000人の観客が声援を送りました。福島県で初めて開催された高校総体であり、各競技の舞台となった県内13市町村では、若者たちが集う大きなスポーツの祭典として、歴史的なスポーツイベントとなりました。競技は8月9日まで行われました。業

06スポーツ甲子園を沸かせた磐城高等学校の活躍(提供/福島民友新聞社)日本高校記録を樹立した学法石川高等学校・男子(令和7年)(提供/福島民友新聞社)福島県に歓喜の渦夏の甲子園準優勝高校生の初勝利に沸く駅伝初勝利昭和46年(1971)8月16日、福島県立磐城高等学校(いわき市)が第52回全国高校野球選手権大会で準優勝しました。甲子園で躍動するユニホームに使われた色が福島のさわやかな空を思わせ、「コバルトブルー旋風」といわれました。投手の田村選手は1人で投げ切り、初戦となった2回戦から連続完封。コーナーを巧みに突く丁寧なピッチングで相手打線を揺さぶりました。最終、決勝戦で神奈川県代表の桐蔭学園高校点を奪われ0対1で惜敗し、優勝にあと一歩届きませ令和7年(2025)12月21日、男子第76回全国高校駅伝競走大会で福島県代表の学校法人石川高等学校が初優勝を飾りました。学法石川は15年連続17度目の出場であり、2時間0分36秒で日本高校記録と大会記録を更新。1区では日本選手最高記録を更新するタイムで区間賞を獲得し、その後も最終7区まで後続福島県勢初優勝の田村高等学校・女子(平成10年)んでした。田村投手を中心に少ない得点を守り抜く堅実な守備や、バントと強打を組み合わせた多彩な攻撃もスタンドを惹きつけ、福島県勢として初の決勝進出を果たした磐城高等学校に日本中が沸きました。を寄せ付けない展開で、理想的なレースができました。県勢の優勝は、平成10年(1998)の女子第10回大会で福島県立田村高等学校が混戦を制覇して初優勝して以来のこと。どちらも総合力を発揮したレースで選手達の底力を見せました。〈陸上王国・福島〉の礎福島大学陸上部と川本和久監督福島大学陸上競技部は、日本女子短距離界で名門として広く知られています。平成19年(2007)、同20年と、陸上の日本学生対抗選手権(インカレ)で女子の部総合優勝。その成果に導いたのが、陸上競技部の川本和久監督です。川本監督は独自の指導法を確立し、福島大学と後に東邦銀行の陸上競技部監督を務めており、「陸上王国・福島」の礎をつくりました。監督を務めた両陸上部からは、女子400mの千葉麻美(旧姓・丹野)選手、同走り幅跳びの井村久美子(旧姓・池田)選手ら日本記録保持者や日本代表選手を多く輩出しました。川本和久監督佐賀県伊万里市生まれ。元福島大学・東邦銀行の陸上競技部監督。小中学生対象の陸上クラブ開設。大震災直後に自費で全国を巡りチャリティー陸上教室を開催。女子400mで日本新記録を樹立した時の千葉麻美選手(平成20年・静岡国際陸上競技大会)(提供/築田純/アフロスポーツ)72福島県政150周年記念誌

活基盤02産校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編福島レッドホープス(野球)いわきFC(サッカー)きこえない・きこえにくい人のオリンピック「東京2025デフリンピック」が、令和7年(2025)11月に日本で初めて開催されました。Jヴィレッジで行われたサッカー競技は、デフリンピック全競技に先駆けて開幕した最初の競技となりました。県民をはじめとする約1万6,000人の観客が来場し、手話による応援などで、きこえる人もきこえない人も一体となって選手にエールを送りました。日本代表は男女ともに銀メダルを獲得するなど、大盛況のうちに幕を閉じました。福島県では、スポーツ推進基本計画に基づき、生涯スポーツの推進に取り組んでいます。本県の豊かな自然環境や地域資源を生かし、スポーツイベントやスポーツ教室を開催することで、県民がスポーツに親しむ機会の創出と充実を図っています。将来にわたり、県民一人ひとりが心身ともに健康で豊かな生活を送ることができるよう、誰もが身近で安全・安心な環境のもと、自主的かつ継続的にスポーツに親しめる環境づくりが重要です。また、スポーツは「する」ことにとどまらず、「見る」「支える」といった関わり方を通して得られる喜びも大きな魅力の一つです。福島県では、余暇の充実や競技スポーツなど、スポーツを幅広く捉え、県民それぞれが多様な形でスポーツに親しめる生涯スポーツ社会の実現を目指しています。福島県に拠点を置く5つのプロスポーツチームフクシマファイブスターズFUKUSHIMA5STARS東京2025デフリンピックサッカー競技がJヴィレッジで開催生涯スポーツ社会を目指して平成26年(2014)創設。プロ野球独立リーグに加盟する東北唯一のプロ野球チーム。福島県の復興を後押しすることを第一に掲げて活動しています。いわき市と双葉郡を拠点にするJリーグ加盟のプロサッカークラブ。令和4年(2022)にJ3昇格。参入初年度で優勝した、福島県初のJ2昇格チームです。選手に手話でエールを送る観戦招待の子どもたち男子開幕戦日本VSオーストラリア本県ゆかりのエアレースパイロット(室屋氏)によるスポーツイベント「スカイスポーツ教室」福島ユナイテッドFC(サッカー)未来へシンカチャレンジするふくしま!福島市を拠点に活動。福島が“ひとつ”になり活動することを表現したチーム。平成26年(2014)からJ3リーグを舞台に全国の強豪と戦っています。福島ファイヤーボンズ(バスケットボール)平成25年(2013)設立。郡山市を拠点にした福島県初のプロバスケットボールチーム。「福島を元気に」が旗印。絆・結束を表す「Bonds」をチーム名にしています。福島デンソーエアリービーズ(バレーボール)昭和47年(1972)創部。大同生命SV.LEAGUEに所属する女子バレーボール世界200以上の国・地域で実施「スペシャルオリンピックス」福島県政150周年記念誌73復興・再チームです。郡山市を拠点に活動しています。スペシャルオリンピックス(略称:SO)は昭和43年(1968)にアメリカで始まった国際的なスポーツ組織です。知的障がいのある人たちに、スポーツトレーニングとその成果を発表する機会を、年間を通して提供しています。スペシャルオリンピックス日本(SON)では、4年に一度のナショナルゲーム(全国大会)の開催、世界大会への日本選手団の派遣、コーチ育成などを行っています。平成24年(2012)2月に第5回SON冬季ナショナルゲーム・福島が猪苗代町を中心に行われ、全国から選手団約900人、ボランティア等約3,500人が参加しました。福島県選手団は65人、アルペンスキー、クロスカントリー、フィギュアスケートなど7競技で日頃の成果を競いました。令和7年(2025)3月8日〜15日にかけて開催された「2025年SO冬季世界大会・トリノ」に、福島県から5人のアスリート・パートナーがフロアボール(ユニファイドスポーツ®)競技に参加し銀メダルを獲得。世界の舞台で力を発揮しました。第5回SON冬季ナショナルゲーム・福島(提供/スペシャルオリンピックス日本)03学生01生業

07文化・芸能人と地域のおもいをつなぐ長い歴史の中で、各地域の風土を背景に生まれた多彩な神事・芸能。それは地域の絆を深め、地域づくりの一端を担うもの。先人の想いを伝え、伝統を守り育てる──。地域固有の神事・芸能は、時代を経て人々の心を一つにしています。歴史を守り伝統をつなぐ※■国重要無形民俗文化財■金沢の羽山ごもり(福島市)提供/一般社団法人福島市観光コンベンション協会旧暦11月16~18日開催。黒沼神社にある「こもり家」を中心に、連日厳格な儀式を重ねます。御神託を聞き翌年の豊穣を予祝する農耕祭儀の様子が残され、古来の民間信仰の形がそのまま伝わります。一般公開されていない部分が多い神聖な祭りです。■木幡の幡祭り(二本松市)12月第1日曜開催。平安時代の前九年の役で、源氏の軍勢がわずか数騎で木幡山に立て籠ったところ、降り積もった雪を白旗と見間違えた敵軍が撤退したという故事に由来。100本以上の鮮やかな旗を立て、法螺貝を響かせて練り歩きます。■会津田島祇園祭“おとうや行事”(南会津町)提供/南会津町観光物産協会7月22~24日開催。鎌倉時代に祇園信仰により祭事として行われたことが起源。9組で毎年巡る「お党屋制度」に月から様々な神事が行われ、7月の例祭を迎えます。日本一の花嫁行列といわれる「七行器(ななほかい)行列」は田出宇賀神社への奉献神事です。■伊佐須美神社の御田植祭(会津美里町)7月12日を中心に開催。町中を掛け声を響かせながら駆け巡る「獅子追」、江戸時代に始まった「早乙女踊り」など、五穀豊穣の祈りを捧げる神事や芸能が行われます。伊勢神宮の朝田植、熱田神宮の夕田植と並び、伊佐須美神社の昼田植と称される「日本三田植」の一つです。■相馬野馬追(浜通り北部一円)5月最終の土・日・月曜日。1,000年の伝統をもつ相馬地方で行われる3つの妙見社の祭礼。約400騎の騎馬武者が甲冑をまとい、腰に帯刀、背に旗指物をつけて疾走します。馬を追う野馬懸、甲冑競馬、神旗争奪戦など、勇壮な神事が繰り広げられます。74福島県政150周年記念誌

活基盤02産校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編地域間のコラボレーションで進化する祭りに未来へシンカチャレンジするふくしま!二本松提灯祭り(二本松市)10月第1土・日・月曜日開催。初日の宵祭りには、各町内からすずなりに約300個の提灯を付けた7台の太鼓台が繰り出し、夜空を赤く染めます。若連の威勢のよい掛け声とお囃子が響きわたります。福島わらじまつり(福島市)8月第1金・土・日曜日開催。江戸時代から400年以上続く冬の神事「信夫三山暁まいり」に起源を持ちます。昭和45年(1970)、冬に加えて夏の祭りも始めました。日本一の大わらじを担いで練り歩きます。地域の心とともに県内各地域の主な祭り提供/福島わらじまつり実行委員会ふくしま山車祭り松明あかし(須賀川市)平成19年(2007)の福島市制100周年を記念して始まった「ふくしま山車祭り」は、令和7年(2025)で17回を数えました。福島市を中心とした県北地方の山車が一堂に介し、各地域の伝統を受け継いだ太鼓やお囃子の音色などが街の空に響き渡ります。毎年5月に開催され、令和7年は1,000人以上が参加。毎年15~20台ほどの山車が集まるほか、これまでも青森県や石川県などをはじめ県内外からの特別出演もあり、祭りで地域間の文化交流ができるのが特徴です。未来に向けてコミュニケーションの場が拡大しています。11月第2土曜日開催。430年以上の伝統ある火祭り。高さ約10mもの大松明をはじめ、約20本の松明が燃え盛る光景は圧巻です。威勢のよい松明太鼓が会場を盛り上げます。郡山うねめまつり(郡山市)8月上旬開催。昭和40年(1965)に始まった市民が一体となる祭典です。郡山駅前大通りを2日間で4,000人以上が踊り流すほか、趣向を凝らしたステージ、采女伝説にちなんだイベントなどが繰り広げられます。檜枝岐歌舞伎(檜枝岐村)5、8、9月年3回公演。役者から裏方まですべて村人だけで継承している農村歌舞伎で、座名は「千葉之家花駒座」。280年以上前、村の先祖が観劇した檜舞台の歌舞伎を伝えたのが始まりといわれます。じゃんがら念仏踊(いわき市)念仏を唱えながら太鼓・鉦を打ち鳴らして踊る民俗芸能です。いわき市内には65以上のじゃんがら念仏踊を伝える団体があり、お盆の時期に供養として新盆の家を巡って踊ります。会津まつり(会津若松市)9月下旬開催。3日間にわたり繰り広げられる会津若松最大の祭り。提灯行列で幕を開け、会津藩公行列・会津磐梯山踊り・先人感謝祭などが、鶴ヶ城・神明通りを中心に行われ、市内は祭り一色になります。提供/いわきデジタルミュージアム下郷町からの特別出演「會舞道郷人」の演舞福島県政150周年記念誌75復興・再03学生01生業

07文化・芸能悠久の時をへて地域を見守る国宝白水阿弥陀堂(いわき市)永暦元年(1160)に藤原清衡の娘・徳姫が、夫・岩城則道公の供養のために建立したと伝わります。福島県唯一の国宝建造物。浄土庭園では夏はハスの花、秋にはイチョウやモミジなどが季節の彩りを添えます。周囲を池に囲まれ、静かな佇まいをみせています。えんつうさんそう■円通三匝堂(会津若松市)通称・さざえ堂。寛政8年(1796)に飯盛山に建立されました。高さ16.5m、6角3層のお堂内部は2重らせん構造で、スロープをたどると同じ場所を通らずに西国三十三観音巡りをして戻れる珍しい建物です。■馬場都々古別神社本殿(棚倉町)提供/芳賀元昌陸奥一宮格の古社として崇敬されてきた神社。現在の本殿は文禄3年(1594)造営と伝わり、東北地方に数少ない桃山期の本殿建築として貴重な存在です。もとは棚倉城の地にありましたが、築城の際に現在地に遷宮されました。■十一面千手観音(会津坂下町)■旧伊達郡役所(桑折町)明治16年(1883)に建てられた木造2階建の擬洋風建築。郡役所として遺存している建物では最大規模となります。昭和54年(1979)に中央の塔屋が復元されました。明治初期の建築の特徴がよく残る建物として知られます。1本の大樹に立木の状態から彫刻されたことで「立木観音」と呼ばれます。身の丈7.4m、総高8.5mある国内最大級の木像。お参りをすることで一生を健康にすごせると伝わる「会津ころり三観音」のひとつです。※■国重要文化財76福島県政150周年記念誌

興・再生01生活基盤02産校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編みんなで実践!気軽に無理なく楽しく健康づくり!若松城跡(会津若松市)別名「鶴ヶ城」。江戸末期、戊辰戦争で約1カ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として知られます。昭和40年(1965)に再建。平成23年(2011)には赤瓦への葺き替えが完了し、幕末当時の姿が再現されました。天守閣郷土博物館併設。国史跡。未来へシンカチャレンジするふくしま!戦後からの郡山「音楽都市」の誕生戦後の荒廃を乗り越える中、郡山市に多くの人々が集まり、音楽や美術、演劇などの団体が結成され、のど自慢大会や演劇会などが開催されました。音楽活動は徐々に盛んになり、音楽が戦災から復興を目指す心の拠り所となりました。小・中・高等学校の合唱や合奏の実績や市民の音楽活動の高まりがあり、平成20年(2008)3月24日に、郡山市は「音楽都市」宣言をしました。未来へ、音楽のあふれる街づくりを通して、交流の輪が拡大していきます。提供/会津若松市声楽アンサンブルコンテスト全国大会福島から歌うことの楽しさを全国に発信することを目的に、平成20年(2008)から少人数編成の合唱グループによるアンサンブルコンテストを開催しています。小学生から一般まで、トップレベルの団体が参加し、歌唱力や細やかなハーモニーの技術等を競います。二本松城跡(二本松市)ふくしまアートウォーキング別名「霞ヶ城」。戊辰戦争での激しい攻防により落城。二本松少年隊戦死の悲話が残ります。公園内は、春には桜で覆われ、秋は令和8年に70回を迎える「二本松の菊人形」の会場になるなど、年間を通し多くの人が訪れます。国史跡。ふくしまの文化を育み、伝えるチャレンジふくしま県民運動は、県民一人一人が健康へ向けた取組に身近なところからチャレンジしていくことで、人も地域も笑顔で元気にしていこうという運動です。その新たな取組として、「ふくしまアートウォーキング」を令和6年(2024)度から開始しました。身近にある美術館などに収蔵されている素晴らしい芸術作品を始め、本県ならではの豊かな自然、伝統文化、おいしい食などを「ふくしまアート」として幅広く捉え、これらを歩いて巡ることで、県民一人一人が、気軽に無理なく楽しみながら健康づくりを実践する取組です。県民運動の推進により、地域が賑わい、交流が生まれていくことで「ふくしま」が賑わい、皆さんのココロとカラダの健康はもちろん、地域も盛り上がることを目指していきます。県内在住者や県出身者から、日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の5部門の作品を公募し、多彩な作品を鑑賞できる美術展です。県の美術振興を目的に、昭和22年(1947)から開催し、令和8年(2026)で第80回を迎えます。次世代美術家の育成、創作活動の発表の場として歴史を重ねています。食文化は本県の豊かな風土や歴史の中で育まれた地域資源であり、大切に継承していくことが重要です。文化庁では、世代を超え地域で長く愛されてきた食文化を100年続く食文化「100年フード」として認定しています。福島県からは20件が認定を受けており(令和8年2月時点)、全国で最も多くの郷土料理や食材が認定を受けています。こづゆや円盤餃子など、県内各地で地域の食文化が受け継がれています。小峰城跡(白河市)復提供/白河市03学展覧会の様子円盤餃子福島県政150周年記念誌77奥州関門の名城といわれ、7家21代の大名の居城となりました。戊辰戦争で落城。現在、三重櫓・前御門が江戸時代の絵図と発掘調査に基づき木造で復元されています。敷地内の小峰城歴史館では、CGで江戸時代の小峰城を再現しています。国史跡。合唱王国ふくしま「福島県総合美術展覧会(県展)」声楽アンサンブルコンテスト全国大会地域の食文化(100年フード)こづゆ業

08自然景観ふくしまの自然守り続けてきた景色福島県は全国で3番目の広大な面積を有し、山々や河川、湖沼など自然豊かな地域が広がっています。県内に広がる豊かな自然環境や名勝地は国立公園、国定公園、県立自然公園として保護され、多様な自然に親しむエリアになっています。さらに地域で受け継がれてきた数々の景観が四季の美しさを伝え続けています。福島県内の自然公園❶-1磐梯山と猪苗代湖福島県の中央にそびえる標高1,816mの磐梯山。なだらかな山容とともに明治21年(1888)の大爆発跡の荒々しさがまだ残ります。磐梯山は「天に架かる磐(岩)の梯子」を意味し、信仰の山でもあります。南麓には日本で4番目の大きさの猪苗代湖が広がり、水上スポーツが楽しめるほか、冬には約3,000羽の白鳥が訪れる湖として親しまれています。❶-2桧原湖・五色沼磐梯山の北方には爆発によって誕生した大小の湖沼が点在しています。その中で最も大きい桧原湖は湖岸周約31km。モーターボートや湖岸キャンプ、冬にはワカサギ釣りが楽しめます。近くには“神秘の湖沼”と呼ばれる五色沼湖沼群もあり、毘沙門沼・みどろ沼・弁天沼・るり沼・青沼・柳沼など独特の美しい色を見せています。探勝路があり片道約4km(約1時間20分)で湖沼巡りができます。五色沼(弁天沼)磐梯山と猪苗代湖(提供/猪苗代観光協会)桧原湖磐梯山と猪苗代湖(明治後半)(出典/国立国会図書館)78福島県政150周年記念誌

福島県政150周年記念誌79復興・再生01生活基盤02産業03学校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編⓬松川浦福島県唯一の潟湖であり、砂州により河口部の入江が堰き止められてできました。沿岸流により運ばれてきた砂が、宇多川の緩やかな流れにより堆積し成長して、現在の砂州をつくりました。潟湖は南北約7km、幅は最大で約1.5km。点在する島々、広大な太平洋と、ノリ・アサリ養殖の風景が広がっています。❺霊山約3万5,000年前の火山活動から誕生したと伝わる標高825mの霊山。奇岩怪石がそそり立つ険しい地形の中に慈覚大師が霊山寺を開き、最盛期には3,600もの堂塔や僧坊がありました。ハイキングコースが整備され、独特の岩肌に新緑、ツツジ、紅葉などの景観が映えます。❼南湖南湖は、享和元年(1801)に白河藩主松平定信により、身分の隔てなく共に楽しむ「士民共楽」の理念で築造された日本最古の公園といわれます。那須連峰を借景にした本格的な日本庭園や書院造の「松楽亭」など、現在も憩いの場となっています。また湖水は灌漑用水等にも利用されています。❶-3磐梯吾妻スカイライン・吾妻小富士福島市の西方、高湯温泉と土湯峠を結ぶ約29kmの山岳観光道路。吾妻小富士はその中心にあり、火口壁の上縁から福島盆地や阿武隈山地、蔵王・安達太良連山などを展望できます。山肌の残雪が「うさぎ」のように見える頃は、種まきの時期と重なり「種まきうさぎ」と呼ばれ親しまれています。101023456711-1-1891111121213131414新潟県群馬県栃木県伊南川只見川阿賀川日橋川阿賀川(大川)阿武隈川夏井川鮫川久慈川茨城県宮城県山形県N1-21-3自然を守り次代へつなげるジオパークは、「地質遺産」を保護し、教育に役立て、持続可能な開発をしていくことを目的としています。磐梯山ジオパークでは、磐梯山の歴史からもたらされた地形、歴史、文化遺産、観光資源などが豊富であり、11のエリアや81のジオサイト(見どころ)が設定されています。磐梯山の麓に根付いた信仰を物語る慧日寺跡をはじめ猫魔岳、雄国沼、天鏡台など様々な見どころがあります。磐梯山ジオパーク未来へシンカチャレンジするふくしま!国立公園❶磐梯朝日❷日光❸尾瀬国定公園❹越後三山只見県立自然公園❺霊山❻霞ヶ城❼南湖❽奥久慈❾阿武隈高原中部❿夏井川渓谷⓫大川羽鳥⓬松川浦⓭磐城海岸⓮勿来

08自然景観尾瀬❸尾瀬県にまたがり2,000m級の山々に囲まれた尾瀬。福島県側では燧ヶ岳(2,356m)、会津駒ヶ岳(2,133m)、田代山(1,926m)などの登山や、尾瀬沼、尾瀬ヶ原を巡るハイキングなど、雄大な自然の懐に入る体験ができます。標高1,660mにある尾瀬沼は国内で最も標高の高い場所にある湖であり、その隣の大江湿原は希少な湿原植物の宝庫。江戸時代から続く会津沼田街道が通っており、今昔の自然との出会いを楽しめます。❹只見川周辺会津地方西部、只見川周辺の地域では、ブナなどの広大な自然林に希少な生物が生息し、国内有数の豪雪と急峻な山岳から里山の風景まで、多彩な景色が広がっています。金山町にある沼沢湖周辺はブナやミズナラに囲まれ、県内で唯一ヒメマスが生息。西会津町にある阿賀川の渓谷「銚子の口」では奇岩が張り出した渓谷と豪快に泡立つ水しぶきがみられます。また、越後三山只見国定公園を含む只見町全域は、ユネスコエコパークに登録されています。※ユネスコエコパーク(生物圏保存地域):自然と人間が共生する国際的なモデル地域と年に開始されました。❸ミズバショウミズバショウといえば尾瀬の夏のイメージかもしれませんが、実際の見頃は5月下旬月上旬頃。尾瀬沼周辺、尾瀬ヶ原、大江湿原などの水辺、特に水の流れがある場所で芽を出すといわれ、群生する姿が見られます。❷白河甲子高原日光国立公園の北端にある西郷村の白河甲子高原。中通りを北上する阿武隈川の源流地帯であり、険しい渓谷がつくる四季折々の景観が見られます。阿武隈川の源流上流部には雄滝(落差40m)、雌滝(落差10m)があり、滝までは案内人の同行が必要であることから「幻の滝」といわれます。提供/尾瀬保護財団銚子の口雄滝80福島県政150周年記念誌

阿武隈高地の大滝根山の麓に2つの鍾乳洞があります。あぶくま洞は全長4,128.3mのうち約600mが公開され、天井から下がる鍾乳石や床から堆積してできる石筍など、幻想的な姿が広がっています。入水鍾乳洞では地底探検の趣で、コースによっては水に濡れながら奥に進みます。どちらも洞内にはサンショウウオやコウモリなどが生息しており学術的にも注目されています。未来へシンカチャレンジするふくしま!三春滝桜(三春町)四方に枝を伸ばしたベニシダレザクラは推定樹齢1,000年を超える名木。日本三大桜に数えられ、大正11年(1922)に国の天然記念物に指定されました。高さ13.5m、根回り11.3m、幹からの枝張りは最大14.5m。滝のように枝垂れる姿から「滝桜」とも呼ばれます。ふくしまの桜あぶくま洞入水鍾乳洞守り続けてきた自然⓫塔のへつり福島県政150周年記念誌81復興・再塔のへつりは、阿賀川の流れが100万年にわたり侵食・風化を繰り返して生まれた全長約200mの奇岩の連続です。「へつり」は岩壁を侵食した跡で、人が通れるほどの幅があります。屏風岩、烏帽子岩、獅子塔岩などの独特の形や、岩を覆う木々が季節により色を変え、自然の妙を見せてくれます。⓭新舞子浜いわき七浜の一つである新舞子浜。南北約10kmに長く、江戸時代に防風・防潮のためにクロマツを植えたとされ、松林が続いています。新舞子浜公園には、松林、野外音楽堂、太平洋を一望できる展望台、魚釣りができる藤間沼などがあります。名前所在地見どころ湯野上温泉駅下郷町レトロ駅舎とソメイヨシノ日中線しだれ桜並木喜多方市約3km1,000本の桜のトンネル宮川の千本桜会津美里町残雪の磐梯山を背景に桜並木鶴ヶ城会津若松市鶴ヶ城と桜の撮影スポット花見山福島市桜はじめ春の花が約70種やながわ希望の森公園伊達市6種類2,000本の桜、ミニSLも稚児舞台二本松市阿武隈川沿いに桜とユキヤナギ夏井千本桜小野町夏井川両岸に約1,000本の桜並木紅枝垂地蔵ザクラ郡山市樹齢400年、三春滝桜の娘桜いしかわ桜谷石川町2,000本の桜、多彩に咲き競う久慈川の桜並木塙町自転車道路沿いに桜のトンネル復興桜飯舘村約3,000本の桜で埋まる村風景夜の森の桜富岡町約2.2kmに420本の桜トンネル勿来の関公園いわき市和歌で知られる関跡は桜の名所01❾あぶくま洞・入水鍾乳洞生02生活基盤03産業04学校教育05医療・福祉06スポーツ07文化・芸能08自然景観資料編

福島県ゆかりの人物福島県には、歴史を彩り、未来へと語り継がれるべき数多くの偉人がいます。様々な分野で輝かしい功績を残し、今なお私たちに影響を与え続ける人物たち。その生きざまや信念を知ることは、これから先の未来をつくる私たちにとって大きなヒントとなるはずです。ここでは、福島県ゆかりの偉人から主な人物を抜粋してご紹介いたします。未来に語り継ぎたい日本人初のイェール大学教授であり、世界的な歴史学者です。日米の文化史等の諸論文を執筆、また日米開戦前には戦争回避に奔走。中学時代の夢「世界を識り日本文化の発展に貢献」を実現した生涯でした。歌謡曲、映画音楽、スポーツ応援歌など約5,000の作品を作曲。老若男女に歌いやすい「古関メロディー」として知られます。全国各地の校歌も手がけ、県内では100以上の校歌・応援歌が歌われています。建築家フランク・ロイド・ライト(米国)の建築思想を忠実に受け継ぎ、旧帝国ホテル、自由学園、甲子園ホテルなどの設計を手掛けました。新地町で遠藤設計の「くるめがすりの家(旧小塩邸)」が公開されています。学生時代から俳人として広く活動。その後、郡山を舞台に戯曲「牛乳屋の兄弟」を発表し、劇作家としてスタート。小説「父の死」をはじめ、自身の身近な出来事に題材を採った作品で知られます。1873(明治6)年~1948(昭和23)年1889(明治22)年~1951(昭和26)年弱き人たちの心を照らした、弱き人たちの心を照らした、日本のナイチンゲール日本のナイチンゲール日本初のイェール大学教授。日本初のイェール大学教授。日米の架け橋となった知の巨人日米の架け橋となった知の巨人作った楽曲は生涯で約5千曲。作った楽曲は生涯で約5千曲。日本を代表する作曲家日本を代表する作曲家郷土の風土が色濃い作品を郷土の風土が色濃い作品を残した孤高の作家残した孤高の作家ゴジラとウルトラマンをゴジラとウルトラマンを生み出した「特撮の神様」生み出した「特撮の神様」朝河貫一1829(文政12)年〜1897(明治30)年うりゅういわこ瓜生岩子1909(明治42)年〜1989(平成元)年古関裕而こせきゆうじ度重なる家族の死を経験した後、社会的な弱者のために身を捧げる道を選んだ岩子。孤児救済施設や貧困層向けの無料病院を創設するなど、広範囲な活動は社会福祉運動の先駆けとなりました。遠藤新1891(明治24)年~1952(昭和27)年久米正雄38歳の時に菊づくりの名人を描いた『厚物咲』で芥川賞を受賞。受賞翌年には先祖の悲劇に光をあてた『碑』を発表、長い不遇時代の末に文壇の地位を築きました。県内を舞台にした作品も数多く生み出しました。1900(明治33)年~1969(昭和44)年中山義秀完成度の高いリアルな映像表現を求め、様々な撮影機材や特殊技術を考案・開発、「ゴジラ」「ウルトラマン」等では怪獣旋風を巻き起こしました。その独創性溢れる作品により“特撮の神様”と呼ばれています。1901(明治34)年~1970(昭和45)年円谷英二フランク・ロイドの薫陶を受けたフランク・ロイドの薫陶を受けた革新的建築家革新的建築家郡山で育ち、小説・俳句・戯曲など郡山で育ち、小説・俳句・戯曲など様々な作品を残した作家様々な作品を残した作家えんどうあらたくめまさおつぶらやえいじなかやまぎしゅうあさかわかんいち提供/二本松市教育委員会提供/福島市古関裕而記念館提供/郡山市こおりやま文学の森資料館82福島県政150周年記念誌

1876(明治9)年〜1928(昭和3)年のぐちひでよ野口英世1940(昭和15)年〜1968(昭和43)年円谷幸吉つぶらやこうきち絶え間ない努力で絶え間ない努力で感染症の克服に貢献した先駆者感染症の克服に貢献した先駆者純文学の灯を守った純文学の灯を守った福島県在住初の芥川賞作家福島県在住初の芥川賞作家がん研究の基礎に生涯を捧げ、がん研究の基礎に生涯を捧げ、数多くの功績を残した研究者数多くの功績を残した研究者日本中が歓喜した走り。日本中が歓喜した走り。東京オリンピック銅メダリスト東京オリンピック銅メダリスト左手の大火傷を手術で克服、その経験から医学の道へ。アメリカを拠点に感染症等の研究を続け世界で活躍、ノーベル賞候補にもなりました。西アフリカで黄熱病の研究中に感染し生涯を終えました。安積開拓を背景に虐げられる農民の姿を「貧しき人々の群」として発表。百合子17歳の作品です。人道主義的立場から社会の矛盾の中で生きる人々をモデルに、数多くのプロレタリア文学作品を書きました。1899(明治32)年~1951(昭和26)年人道主義から人道主義から人間解放の文学を目指した小説家人間解放の文学を目指した小説家宮本百合子みやもとゆりこ夭折した兄の影響から詩を書き始め、25歳で初の詩集『第百階級』を出版。全編を通し蛙が主人公で、独特な世界観を作り上げました。以後も「蛙」「石」「富士山」等をテーマに1,400編余を残しています。1903(明治36)年~1988(昭和63)年すべてのものと共に生きる大切さ。すべてのものと共に生きる大切さ。カエルの詩人カエルの詩人草野心平くさのしんぺい浅川町出身の医学博士。世界で初めてラット腹水肉腫を発見、後に「吉田肉腫」と命名され、がんの基礎的研究材料として多用されました。がんの化学療法薬の開発なども行い、がん研究の発展に貢献しました。1903(明治36)年~1973(昭和48)年吉田富三よしだとみぞう1964年の東京オリンピック陸上競技マラソンで銅メダル、10,000m6位入賞を獲得しました。自衛隊入隊後に本格的にランナーの道を進み、初マラソン出場からわずか7カ月後のことでした。尊王思想のもと、戊辰戦争で三春城の無血開城に尽力。明治に入って国会開設・憲法制定を訴える自由民権運動に目覚めます。衆議院議員に連続14回当選し、晩年は普通選挙の実施に努めました。教員生活の中で小説を執筆、1943年に「和紙」により、県内在住者として初めて芥川賞受賞。戦時下を背景に上川崎(現二本松市)で和紙づくりをする農民の姿が描かれています。1902(明治35)年~1962(昭和37)年東野辺薫とうのべかおる75歳で発表した『洟をたらした神』で大宅壮一ノンフィクション賞・田村俊子賞を受賞、世間を驚かせました。苦難続きの夫との開墾生活、亡くした娘への追慕等を迫力のある文体で綴っています。古希を過ぎて文筆で開墾。古希を過ぎて文筆で開墾。子育ての生涯を記した文筆家子育ての生涯を記した文筆家民主主義を啓蒙した民主主義を啓蒙した自由民権運動家自由民権運動家1899(明治32)年〜1977(昭和52)年よしのせい吉野せい1849(嘉永2)年〜1923(大正12)年こうのひろなか河野広中撮影/田村茂撮影/小林正昭福島県政150周年記念誌83

未来に語り継ぎたい福島県ゆかりの人物名前職業生没年生涯片寄平蔵かたよせへいぞう事業家1813(文化10)年〜1860(万延元)年佐久間庸軒さくまようけん和算学者1819(文政2)年〜1896(明治29)年服部撫松はっとりぶしょう文学者1841(天保12)年〜1908(明治41)年鈴木信教すずきしんきょう僧侶・福祉家1843(天保14)年〜1892(明治25)年新島八重にいじまやえ教育者1845(弘化2)年〜1932(昭和7)年安田利作やすだりさく養蚕家1847(弘化4)年〜1896(明治29)年海老名リンえびなりん教育者1849(嘉永2)年〜1909(明治42)年天田愚庵あまだぐあん学者1854(嘉永7/安政元)年〜1904(明治37)年山川健次郎やまかわけんじろう教育者1854(嘉永7/安政元)年〜1931(昭和6)年半谷清壽はんがいせいじゅ郷土開発者1858(安政5)年〜1932(昭和7)年大山捨松おおやますてまつ慈善活動家1860(万延元)年〜1919(大正8)年森嘉種もりよしたね教育者1862(文久2)年〜1933(昭和8)年若松賤子わかまつしずこ翻訳家1864(元治元)年〜1896(明治29)年新井石禅あらいせきぜん僧侶1864(元治元)年〜1927(昭和2)年西郷四郎さいごうしろう柔道家1866(慶応2)年〜1922(大正11)年宗像金吾むなかたきんご地域開発者1878(明治11)年〜1943(昭和18)年白石禎美しらいしていみ郷土開発者1880(明治13)年〜1962(昭和37)年服部ケサはっとりけさ医師1884(明治17)年〜1924(大正13)年櫛田民蔵くしだたみぞう経済学者1885(明治18)年〜1934(昭和9)年鈴木貞次郎すずきていじろう自然保護家1887(明治20)年〜1966(昭和41)年佐藤玄々さとうげんげん彫刻家1888(明治21)年〜1963(昭和38)年酒井三良さかいさんりょう日本画家1897(明治30)年〜1969(昭和44)年関根正二せきねしょうじ洋画家1899(明治32)年〜1919(大正8)年関屋敏子せきやとしこオペラ歌手1904(明治37)年〜1941(昭和16)年本田安次ほんだやすじ郷土芸能研究家1906(明治39)年〜2001(平成13)年斎藤清さいとうきよし版画家1907(明治40)年〜1997(平成9)年佐々木俊一ささきしゅんいち作曲家1909(明治42)年〜1957(昭和32)年埴谷雄高はにやゆたか思想評論家1909(明治42)年〜1997(平成9)年鈴木俊夫すずきとしお郷土史研究家1911(明治44)年〜1979(昭和54)年高橋信次たかはししんじ放射線医学者1912(明治45)年〜1985(昭和60)年棚辺四郎たなべしろう政治家1912(大正元)年〜1983(昭和58)年丘灯至夫おかとしお作詞家1917(大正6)年〜2009(平成21)年大山忠作おおやまちゅうさく日本画家1922(大正11)年〜2009(平成21)年春日八郎かすがはちろう歌手1924(大正13)年〜1991(平成3)年田部井淳子たべいじゅんこ登山家1939(昭和14)年〜2016(平成28)年西田敏行にしだとしゆき俳優1947(昭和22)年〜2024(令和6)年石炭を発掘し石炭販売を事業化、江戸で販売。磐城の特産物の輸出も行い貿易商として活躍しました。17歳で『当用算法』を記し、三春藩校「明徳堂」教師。のち私塾で農民など2,000人に算学を教えました。明治7年、文明開化の風俗を描いた『新東京繁昌記』がベストセラーとなり、世の中に影響を及ぼしました。約200人の子どもらを寺で育て、また織物「門前縞」を考案し教えるなど、社会福祉の向上に尽くしました。戊辰戦争後上洛。現同志社女子大学を開設、篤志看護婦として日清戦争等に従軍、看護学校の助教も務めました。生糸の「掛田折り返し糸」を考案し輸出。また掛田養蚕伝習所を開き、養蚕の技術を教え全国へ広めました。会津藩士の娘として生まれ、幼児教育・女子教育に尽力しました。現若松第一幼稚園、現葵高等学校の創始者。34歳で禅宗の僧侶になり「万葉調和歌」を広め、正岡子規の文学運動に多大な影響を与えました。日本人初の物理学博士。賊軍の汚名回復に貢献するとともに、会津学校会を設立し人材育成に尽力しました。常磐線開通、小高駅開業、小高銀行設立。農村開発のモデルとして富岡町夜の森を開拓し経営しました。看護教育所の創設に力を尽くし、日本赤十字社に働きかけ篤志看護婦人会を立ち上げる活動をしました。小学校教諭だった明治25年に、中等教育の場として石川地方に県内初の私立学校「石川義塾」を開きました。小説『小公女』の名翻訳が知られます。わかりやすく美しい翻訳は日本の文学界に大きな影響を与えました。大正10年、日米友好と平和を願い日本を代表しハーディング大統領と会見。女子教育にも尽力しました。小説『姿三四郎』のモデルで得意技は山嵐。警視庁武術大会で優勝し、講道館柔道の発展に貢献しました。私財を投じた病院建設をはじめ道路整備、橋梁建設、郵便局建設など、地域の発展のため大きな貢献をしました。私財を使い病院を誘致、場所を提供し高校の開設に尽力、鉄道の敷設等、塙町の開発・発展に尽くしました。ハンセン病患者の病状に心を痛め大正13年、日本人で初めてハンセン病専門病院「鈴蘭病院」を開業しました。ドイツで社会主義文献調査後帰国し研究成果を発表。日本のマルクス経済学の水準向上に貢献しました。採取した草が、牧野富太郎により新種「ビャッコイ」と名付けられました。自然を愛する一生を送りました。フランス留学後、日本の古典彫刻に新風を吹き込み、独特な表現で「天女」像など数多くの名作を残しました。生涯、日本の美しい自然と、いきいきとした人々の姿を描き続け、日本美術の発展に努めました。夭折の画家として知られ、鮮やかで独特な色使いが特徴。数少ない作品の一部が県立美術館に収蔵されています。昭和2年イタリアに留学。スカラ座で「椿姫」「ルチア」等を習得しプリマドンナとして高い評価を得ました。全国各地で伝承されている神楽等の民俗芸能を調査し、詳細な分類法を確立しました。多数の著作があります。独学で版画の世界に入り海外で受賞を重ねました。故郷柳津町に「やないづ町立斎藤清美術館」があります。西条八十作詞の「涙の渡り鳥」の作曲でデビュー。戦後の「月よりの使者」等多くの流行歌を手がけました。約50年もの時間をかけた未完の大作といわれる形而上的小説『死霊』、ドフトエフスキー論で知られます。福島県史26巻の執筆・編纂ほか福島県議会史、国見町史などを執筆・編纂し、郷土史研究に貢献しました。現在のCT(コンピュータ断層撮影)の基本原理に結びつく研究の功績により国際学会で高く評価されました。現在の石川郡で農業振興・酪農振興に力を尽くし、県や国の農業政策に地元の生産者の声を反映させました。放送局や新聞社勤務を経験。代表作『長崎の雨』『高原列車は行く』(作曲は古関裕而)、『高校三年生』など。人物画、花鳥、風景など広範囲な題材を描きました。平成21年故郷二本松市に大山忠作美術館開館。日本レコード大賞特別賞はじめ受賞歴多数。故郷の会津坂下町民歌、坂下第二中学校校歌などを作曲しました。昭和50年に女性で世界初のエベレスト8,848m登頂。女性で世界初の7大陸最高峰登頂者でもあります。昭和42年の俳優デビュー以来、数多くの映画・舞台・ドラマに出演。歌手や司会者としても高い評価を得ました。84福島県政150周年記念誌

福島県政150周年記念誌福島県の魅力を発信するキャラクターキビタン福島県復興シンボルキャラクター。福島県の鳥「キビタキ」をモチーフに一般公募により決定。「キビタン」はみんなとふくしまをつなぐ架け橋として活躍しています。キビタンⒸ福島県ベコ太郎ベコ太郎自ら積極的にふくしまを応援する、「赤ベコ」をモチーフにしたキャラクター。福島県総合情報誌『ふくしままっぷ』のナビゲーターです。資料編福島県DATA

福島県DATA福島県政150周年記念誌86▪福島県の位置▪人口・世帯数推移仙台東京名古屋大阪広島福岡那覇札幌新潟200㎞400㎞福島県福島県は東北地方の一番南、東京からは約200km圏内に位置しています。面積は、1万3,783.90k㎡。全国で北海道、岩手県に次いで3番目の広さです。本県の人口は、出生数の減少、死亡者数の増加による「自然減」及び就職等に伴う若者の県外流出による「社会減」により、平成10年(1998)の214万人をピークに減少を続け、令和6年(2024)10月時点で174万人と、この26年間で約40万人減少しています。【人口目標】2040年(令和22)に福島県総人口“150万人程度の維持”を目指す【基本理念】連携・共創による「福島ならでは」の県づくり―「復興・再生」と「地方創生」を両輪で推進―1県民の誇り「ふくしまプライド。」を更に光り輝かせ、あらゆる世代、人々の希望を大切にし、“挑戦”を支える思いやりあふれる社会の実現2ふくしまの「可能性、魅力、強み」を更に高め、誰もが安心して暮らせる、しなやかで持続可能な社会の実現3人の魅力が人を呼び込む「あこがれの連鎖」を更に広げ、新たな価値や魅力の創造に挑戦できる社会の実現出典/総務省「国勢調査」・福島県統計課「福島県の人口(福島県現住人口調査月報)」昭和20年(1945)は、緊迫する社会情勢により、国勢調査は中止猪苗代湖446613494949113114114115115118118118121400121252288289289289289289289294294349349349349352352399399399399400400401401401459459磐越西線線本羽奥只見線磐越東線磐東北本線東阿武隈急行北線幹新線線磐常郡水越自動車道自磐常動車道線山形新幹東北中央磐越自動車道福島空港会津鉄道野岩鉄道会津鬼怒川線自動車道福島交通飯坂線東北自動車道あぶくま高原道路あぶくま高原道路小名浜道路小名浜道路郡山駅新白河駅那須塩原駅福島駅会津若松駅会津若松駅いわき駅いわき駅川俣町川俣町飯舘村飯舘村本宮市本宮市鏡石町鏡石町矢吹町矢吹町中島村中島村天栄村天栄村西郷村西郷村泉崎村泉崎村三春町三春町小野町小野町平田村平田村古殿町古殿町石川町石川町浅川町浅川町棚倉町棚倉町塙町塙町矢祭町矢祭町鮫川村鮫川村玉川村玉川村川内村川内村広野町広野町楢葉町楢葉町富岡町富岡町大熊町大熊町葛尾村葛尾村浪江町浪江町新地町新地町双葉町双葉町大玉村大玉村猪苗代町猪苗代町磐梯町磐梯町南会津町南会津町下郷町下郷町会津美里町会津美里町柳津町柳津町三島町三島町金山町金山町昭和村昭和村檜枝岐村檜枝岐村只見町只見町会津坂下町会津坂下町西会津町西会津町北塩原村北塩原村湯川村湯川村桑折町桑折町国見町国見町福島市福島市宮城県山形県茨城県栃木県群馬県新潟県伊達市伊達市二本松市二本松市郡山市郡山市会津若松市会津若松市太平洋喜多方市喜多方市須賀川市須賀川市田村市田村市白河市白河市いわき市いわき市南相馬市南相馬市相馬市相馬市24020016012080400(年)100806040200人口(万人)世帯数(万世帯)T91920T141925S51930S101935S151940S201945S251950S301955S351960S401965S451970S501975S551980S601985H21990H71995H122000H172005H222010H272015R22020R7.8.120252025.8.1現在172.1万人1998年ピーク約214万人人口世帯数▪福島県内の市町村・交通網

復興・再生01生活基盤02産03学業校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編▪県章・県旗福島県のかしら文字「ふ」の字をデザインした県章は、県民の融和と団結を表しており、福島県の着実な前進を象徴するものです。明治100年記念行事の一環として、昭和43年(1968)10月23日に制定されました。愛情と希望を表す「あかみだいだい」の地色に、県章を旗の中心からやや左上部に配置することによって、福島県の限りない躍進を表しています。県章と併せて制定されました。▪県の花ネモトシャクナゲ北海道から本州北中部の高山帯、亜高山帯に分布するツツジ科の常緑低木。福島県では吾妻山、安達太良山に群生しています。高さは1〜3mで、白または淡紅色の花を咲かせます。昭和29年(1954)3月22日NHK開局29周年記念特別番組のなかで、福島県の「郷土の花」として発表。▪県の鳥▪県の木ケヤキ北海道と九州の一部を除く日本全土に分布し、福島県内にも広く分布しているニレ科の落葉高木です。陽のあたる場所を好み、成長が早く、寿命が長いのが特徴です。昭和41年(1966)9月28日公募により選定。キビタキ4月から10月にかけて渡来し、低山帯から上部の落葉広葉樹のうっそうとした自然林に好んで生息しています。オスはオレンジ、黒、黄色を帯び、美しい声で鳴きます。昭和40年(1965)5月10日公募により選定。福島県政150周年記念誌87

県福島県DATA▪福島県民の日8月21日いわさき明治9年(1876)8月21日に、旧福島県・磐前県が合併し、ほぼ現在の福島県の形が誕生しました。郷土への理解と関心を深め、ふるさとを愛する心をはぐくみ、自治意識を高めるとともに、県民が心を合わせてより豊かな福島県を築き上げることを期する日として、平成9年(1997)に福島県民の日条例を制定しました。福島県が誕生した日に、明治政府右大臣であった岩倉具視が通達した文書が残っています。その中で若松県と磐前県の廃止と、3県を合併して福島県の成立を命じています。旧福松島県県▪福島県「県民の歌」1しゃくなげ匂う山なみに呼びかけよう若い理想をかざしてあしたの夢がはてなく伸びる明るいふるさと福島をつくろうみどりひかるこの空いつまでもああ福島県2けやきの樹にしあわせの虹かけよう若い血汐を燃やして嵐をこえて雪崩に耐えて豊かなふるさと福島をつくろうちから満ちるあしおと高らかにああ福島県磐前昭和42年3月25日開催の福島県「県民の歌」発表会パンフレットより若明治政府の岩倉具視から福島県への通達。原本は福島県歴史資料館所蔵3きびたき歌う尾根を背に手をつなごう若いあこがれむすんで町から村へひとつにみのる楽しいふるさと福島をつくろうこころあわせつち音絶やさずにああ福島県「県民の歌」〈作詞〉吉田武〈作曲〉星和男親しみやすく県民に愛唱される県民の歌を広く募り、昭和42年(1967)2月11日、県歌として制定しました。歌詞には1,572件、曲には727件の応募があり、その中から、吉田武さん、星和男さんの作品が選ばれました。88福島県政150周年記念誌

復興・再生01生活基盤02産03学業校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編▪福島県県民栄誉賞受賞者福島県では、スポーツや文化等の分野での業績が顕著であり、県民に敬愛され、希望と活力を与えた方に福島県県民栄誉賞を授与しています。た田べ部い井じゅん淳こ子氏(1939〜2016)※受賞功績・経歴の内容は表彰時のものです。すずき鈴木たけ猛し史氏(1988〜)⃝表彰日平成3年3月26日⃝出身地三春町⃝受賞功績女性初六大陸最高峰登頂成功⃝表彰日平成26年4月8日⃝出身地猪苗代町⃝受賞功績ソチ冬季パラリンピックアルペンスキー男子回転座位において金メダル獲得⃝経歴昭和50年エベレスト(アジア8,848m)に女性世界初の登頂に成功昭和54年モンブラン(西ヨーロッパ4,807m)に登頂昭和56年キリマンジャロ(アフリカ5,895m)に登頂昭和62年アコンカグア(南アメリカ6,960m)に登頂昭和63年マッキンリー(北アメリカ6,194m)に登頂平成3年ビンソンマシフ(南極大陸4,892m)の登頂に成功し、世界で女性として初めて六大陸最高峰に登頂※受賞後、世界で女性として初めて世界七大陸最高峰登頂を果たすむろや室屋よしひで義秀氏(1973〜)⃝表彰日平成29年12月4日⃝出身地奈良県(福島市在住)⃝受賞功績レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ2017シーズンで年間総合優勝⃝経歴平成20年レッドブル・エアレース参戦に必要なスーパーライセンスを取得平成21年2009シーズン:初参戦平成28年2016シーズン第3戦(千葉県):アジア人初優勝平成29年2017シーズン:年間総合優勝(シーズン4回優勝)※レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップとは、曲技飛行パイロットによる国際航空連盟公認のエアレース。「空のF1」とも形容され、エアレースの最高峰の一つはしもと橋本かつ勝⃝表彰日令和6年10月25日⃝出身地三春町⃝受賞功績パリ2024パラリンピック競技大会車いすラグビー競技において日本初の金メダル獲得に大きく貢献⃝経歴平成29年本格的に車いすラグビー競技を開始平成30年日本代表強化指定選手に選出IWRFウィルチェアーラグビー世界選手権(オーストラリア大会):優勝令和3年東京2020パラリンピック競技大会車いすラグビー競技:銅メダル令和6年パリ2024パラリンピック競技大会車いすラグビー競技:金メダルや也氏(2002〜)⃝経歴平成18年トリノ2006パラリンピック:滑降座位4位入賞平成22年バンクーバー2010パラリンピック:大回転座位銅メダル、スーパー大回転座位5位入賞、スーパーコンビ5位入賞平成24年2012シーズン:IPCワールドカップ年間総合1位、年間種目別(回転)1位平成26年ソチ2014パラリンピック:回転座位金メダル、滑降座位銅メダルにしだ西田としゆき敏行氏(1947〜2024)⃝表彰日平成30年9月17日⃝出身地郡山市⃝受賞功績昭和42年に俳優デビューして以来、数多くの映画・舞台・ドラマに出演し、卓越した演技力で様々な賞を受賞。歌手や司会者としても高い評価を受けるなど、多方面で活躍してきた。芸能生活50周年を超え、平成30年4月29日に旭日小綬章を受章。⃝経歴映画「植村直己物語(昭和61年)」「学校(平成5年)」等、数多くの作品で重要な役割を演じ、昭和63年に公開の「釣りバカ日誌」シリーズは21年続く大ヒット作となった。舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」の主演を平成6年から7年にわたって務めた。その他、紅白歌合戦に歌手として4回出場。表彰歴:第15回ゴールデンアロー賞放送賞(昭和52年)、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞(平成元年「敦煌」、平成6年「学校」)他多数受賞コメント「おめでとう」を原動力に橋本勝也さん福島県民の方々に「おめでとう」「頑張ってください」という言葉をかけていただき、僕にとって原動力になっています。車いすラグビーというスポーツを通して自分の思いを伝えて、障がいの有無にかかわらず、誰もが社会で輝けるような場所を作っていきたいと思っています。今後も、車いすラグビーで結果を残せるよう頑張りますので、引き続きよろしくお願いします。福島県政150周年記念誌89

福島県DATA▪福島県歴代知事明治5年から昭和22年までは、知事は国から任命された官選知事でした。知事名就任山吉盛典明治5年10月9日三島通庸明治15年1月25日赤司欽一明治17年12月26日折田平内明治19年7月29日山田信道明治21年10月19日渡辺清明治24年6月15日日下義雄明治25年8月20日原保太郎明治28年7月17日小倉信近明治29年4月7日秋山恕郷明治29年12月26日安楽兼道明治30年4月7日山田春三明治31年4月14日有田義資明治33年10月25日平岡定太郎明治39年7月28日西沢正太郎明治41年6月12日西久保弘道明治43年2月12日太田政弘大正2年6月1日知事名就任岩田衛大正11年10月16日香坂昌康大正12年12月25日川淵洽馬大正14年9月16日伊東喜八郎昭和2年5月17日加勢清雄昭和3年5月25日小柳牧衛昭和4年7月5日川崎末五郎昭和6年4月15日村井八郎昭和6年12月18日赤木朝治昭和7年6月28日畑山四男美昭和8年7月21日伊藤武彦昭和9年10月26日君島清吉昭和12年7月7日橋本清吉昭和14年9月5日江辺清夫昭和15年12月23日荒木義夫昭和17年7月7日亀山孝一昭和18年7月1日石井政一昭和19年4月18日増田甲子七昭和20年10月27日石原幹市郎昭和21年4月25日阿賀正美昭和22年3月14日堀口助治大正4年4月1日川崎卓吉大正5年4月28日宮田光雄大正8年6月28日馬渡俊雄大正11年6月14日▪公選知事知事名就任期間期数石原幹市郎昭和22年4月5日~昭和24年11月30日1大竹作摩昭和25年1月28日~昭和32年7月25日2佐藤善一郎昭和32年8月25日~昭和39年3月23日2木村守江昭和39年5月16日~昭和51年8月11日4松平勇雄昭和51年9月19日~昭和63年9月18日3佐藤栄佐久昭和63年9月19日~平成18年9月28日5佐藤雄平平成18年11月12日~平成26年11月11日2内堀雅雄平成26年11月12日~390福島県政150周年記念誌

復興・再生01生活基盤02産03学校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編▪歴代県議会議長福島県では、明治10年(1877)12月に福島県民会を設立し模擬県会を開催。明治11年1月に全国に先がけて福島県独自の民会規則を公布し、6月に初の福島県会を開会しました(安部井磐根議長)。明治11年7月、三新法(府県会規則、郡区町村編制法、地方税規則)が公布され、翌年の明治12年1月に施行。福島県では6月に府県会規則による最初の県会開場式が行われました。代議長名就任1遠藤致明治12年5月2山口千代作明治13年7月3河野広中明治14年4月4佐藤泰次明治16年2月5佐藤泰次明治18年2月6安部井磐根明治19年10月7安部井磐根明治21年3月8安部井磐根明治23年2月9岡田健長明治23年11月10矢部重高明治24年11月11目黒重真明治25年5月12目黒重真明治27年4月13目黒重真明治29年4月14高松嘉績明治31年3月15佐藤甚右衛門明治32年3月16八島成正明治32年11月17朝倉鉄蔵明治35年11月18斎藤喜三明治36年10月19鐸木三郎兵衛明治38年11月20吉田定之助明治40年10月21国分守(虎吉)明治44年10月22菅村太事大正4年10月23前田兵郎大正6年4月24鈴木重郎治大正8年10月25鈴木重郎治大正12年9月26湊芳蔵昭和2年10月27太田三郎昭和5年11月28釘本衛雄昭和6年10月29釘本衛雄昭和10年10月30小松茂藤治昭和12年9月31小松茂藤治昭和14年10月32太田秋之助昭和17年11月33川田正智昭和21年6月34物江浩昭和21年12月35大竹作摩昭和22年5月36蓮沼龍輔昭和24年12月37蓮沼龍輔昭和26年5月38蓮沼龍輔昭和28年7月39渡辺鉄太郎昭和30年5月40河原田盛雄昭和32年3月41伊藤幟昭和34年5月42鈴木寅之助昭和35年6月代議長名就任43山口一男昭和36年7月44馬目武之助昭和37年7月45佐川幸一昭和38年5月46鈴木省吾昭和40年3月47鈴木省吾昭和42年5月48早川竣通昭和43年7月49横井政吉昭和45年3月50鈴木正一昭和46年5月51池田善治昭和50年5月52遠藤正二昭和54年5月53中田武雄昭和56年3月54笠原太吉昭和57年3月55添田増太郎昭和58年5月56渡辺正市昭和60年2月57早川理久昭和62年5月58大野雅人平成元年3月59太田豊秋平成3年5月60菅野喬之平成5年3月61山口勇平成7年5月62斎藤卓夫平成9年3月63三保恵一平成11年5月64植田英一平成13年3月65加藤貞夫平成15年5月66渡辺敬夫平成17年3月67遠藤忠一平成19年5月68佐藤憲保平成21年3月69斎藤健治平成23年12月70平出孝朗平成25年11月71斎藤勝利平成27年6月72杉山純一平成27年12月73吉田栄光平成29年10月74太田光秋令和元年12月75渡辺義信令和3年10月76西山尚利令和5年12月77矢吹貢一令和7年11月業福島県政150周年記念誌91

福島県DATA▪市町村情報福島県の7地域59市町村の人口、面積、主な特産品、伝統行事・伝統芸能を掲載しています。県北地域(出典/2025年版福島県市町村要覧)会津地域相双地域県中地域南会津地域県南地域いわき地域県北地域市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能福島市267,924人767.72㎢もも、なし、りんご、いかにんじん、円盤餃子信夫三山暁まいり、福島わらじまつり、飯坂けんか祭りなど二本松市51,263人344.42㎢伝統家具、菓子、清酒、乳用牛と肉用牛二本松の提灯祭り、二本松の菊人形、木幡の幡祭りなど伊達市56,768人265.12㎢ニット、もも、あんぽ柿、伊達鶏ももの里マラソン大会、霊山太鼓まつり、つつこ引き祭など本宮市29,852人88.02㎢とろろ芋、しいたけ、手作り糀みそ、清酒本宮市夏まつり、岩角山大梵天祭、荒井の太々神楽など伊達郡市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能桑折町11,050人42.97㎢もも、りんご、醤油、調味料諏訪神社例大祭、堰東京都祇園囃子、桑折町ホタルまつりなど国見町8,203人37.95㎢コシヒカリ、もも、りんご、さくらんぼ内谷春日神社太々神楽、義経まつり、鹿島神社例大祭など川俣町11,687人127.70㎢絹製品、川俣シャモ、アンスリウム、ミニトマトコスキン・エン・ハポン、からりこフェスタ、春日神社祭礼など安達郡市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能大玉村8,784人79.44㎢米、日本酒、焼酎、そば遠藤ヶ滝不動尊祭礼、本揃の田植踊、神原田神社十二神楽など県中地域市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能郡山市315,155人757.20㎢あさか舞(米)、うねめ牛、特選郡山梨、郡山の鯉如宝寺七日堂まいり、郡山うねめまつり、中田町柳橋の歌舞伎など須賀川市73,828人279.43㎢岩瀬きゅうり、ぼたん姫(米)、なし松明あかし、牡丹焚火、里守屋三匹獅子、仁井田田植え踊りなど田村市31,636人458.33㎢エゴマ油、ピーマン、さつまいも、さやいんげん灯籠流しと花火大会、安倍文珠菩薩堂例大祭、お人形様衣替えなど岩瀬郡市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能鏡石町12,436人31.30㎢牧場のしずく(米)、岩瀬きゅうり、鏡石イチゴ仁井田祭礼花火大会、鏡石「牧場の朝」オランダ・秋祭りなど天栄村5,245人225.52㎢天栄ヤーコン、天栄長ネギ、天栄米二岐山開き、湯本満願寺の馬頭観世音祭など石川郡市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能石川町13,884人115.71㎢りんご、なし、こんにゃく、いしかわ牛石都々古和気神社祭礼、中田のささら舞、八槻市など玉川村6,191人46.67㎢さるなし、トマト、いんげん、米南須釜念仏踊り、玉川夏まつり・花火大会など平田村5,512人93.42㎢自然薯、アスパラガス、地酒、黒毛和牛駒形じゃんがら念仏踊り、酉小屋燃やし、芝桜まつりなど浅川町5,896人37.43㎢魔除花火、コシヒカリ、地酒浅川の花火、風袋(カザブクロ)、夜桜花火、豊秋花火など古殿町4,655人163.29㎢ミニトマト、こんにゃく、山菜流鏑馬、馬場平のジャンガラ念仏、論田の獅子舞など田村郡市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能三春町16,312人72.76㎢三春駒、ピーマン、ブルーベリー、三春素麺西方水かけ祭り、三春だるま市、長獅子舞・三匹獅子舞など小野町9,092人125.18㎢ミネラル野菜、黒にんにく、燻製たまごたかむら踊り、じゃんがら念仏踊り、菅布彌神社祭礼など県南地域市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能白河市57,869人305.16㎢白河ラーメン、そば、米、日本酒白河だるま市、白河提灯まつり、天道念仏さんじもさ踊など西白河郡市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能西郷村20,494人192.06㎢米、高原じゃがいも、大豆、大豆加工品上羽太天道念仏踊、にしごう紅葉まつり、西郷村文化祭など泉崎村6,140人35.43㎢ハトムギ茶、水耕栽培、トマト、きゅうり峠節、熊野講、関和久地区のマイコンダなど中島村4,822人18.92㎢トマト、きゅうり、ブロッコリー小針天王祭、熊野講、汗かき地蔵太鼓など矢吹町16,944人60.40㎢トマト、きゅうり、とうもろこし中畑清旗争奪ソフトボール大会、矢吹神社祭礼、原宿の熊野講など92福島県政150周年記念誌

興・再生01生活基盤02産03学校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編東白川郡市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能棚倉町13,011人159.93㎢ブルーベリー、コシヒカリ、しいたけ八槻都々古別神社御田植祭、山本不動尊例大祭、棚倉秋まつりなど矢祭町5,241人118.27㎢ゆず、いちご、こんにゃく、花卉天王祭、戸塚正観世音堂の百八灯、中石井の権現様など塙町7,979人211.41㎢こんにゃく餅、こんにゃく、ダリア、焼酎塙町流灯花火大会、はなわの秋祭り、出羽神社祭礼など鮫川村2,975人131.34㎢大豆加工品、エゴマ、木炭奥州鮫川太鼓、渡瀬の獅子舞、鮫川花火大会など市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能会津若松市112,445人382.97㎢会津漆器、会津清酒、さくら刺身(馬肉)初市・十日市、会津まつり、彼岸獅子舞など喜多方市44,344人554.63㎢喜多方ラーメン、そば、清酒、グリーンアスパラガス小荒井・小田付の初市、慶徳稲荷神社のお田植まつりなど市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能北塩原村2,427人234.08㎢会津山塩、じゅんさい、アスパラガス裏磐梯火の山まつり、北山漆薬師如来の縁日など西会津町5,560人298.18㎢ミネラル野菜、原木なめこ、焼麩野沢初市、西会津ふるさとまつり、野沢祭ばやしなど磐梯町3,230人59.77㎢米、磐梯はちみつ、地酒舟曳き祭(豊作祈願祭礼)、巫女舞、彼岸獅子など猪苗代町12,836人394.85㎢米、そば、トマト、雪下キャベツ、トルコギキョウ小平潟天満宮初天神、中ノ沢こけし祭り、磐梯まつりなど市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能会津坂下町14,552人91.59㎢地酒、味噌、さくら刺身(馬肉)坂下初市奇祭大俵引き、御田植祭、諏訪神社例大祭坂下秋まつりなど湯川村3,050人16.37㎢コシヒカリ、純米酒、グリーンアスパラガス勝常念仏踊り、湯川村新米祭、ゆがわ夏まつりなど柳津町2,938人175.82㎢あわまんじゅう、ソースカツ丼、米、きゅうり、トマト七日堂裸まいり、霊まつり流灯花火大会、十三講詣りなど市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能三島町1,380人90.81㎢会津総桐箪笥、奥会津編み組細工、会津地鶏、山菜ときのこ等の加工食品三島のサイノカミ、虫送り、鳥追い、団子さし、ひな流しなど金山町1,781人293.92㎢奥会津金山赤カボチャ、米、エゴマ、天然炭酸水だんごさし、歳の神、百万遍、沼沢湖水まつり、秋祭りなど昭和村1,120人209.46㎢からむし織、宿根カスミソウ、山菜両原早乙女踊り、雪まつり、からむし織の里フェアなど会津美里町18,526人276.33㎢高田梅、身不知柿、加工ぶどう奇祭高田大俵引き、伊佐須美神社御田植祭、会津本郷せと市など市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能下郷町4,986人317.04㎢そば、エゴマ、ニジマス、イワナ大内宿半夏祭り、大内宿雪祭りなど檜枝岐村503人390.46㎢岩魚、はちみつ、山人料理檜枝岐歌舞伎、会津駒ケ岳夏山開き、真夏の雪まつりなど只見町3,828人747.56㎢トマト、りんどう、そば、イワナ、つる細工小林早乙女踊り、梁取太々神楽、只見ふるさとの雪まつりなど南会津町13,733人886.47㎢清酒、アスパラガス、南郷トマト、そば会津田島祇園祭、田島屋台歌舞伎、舘岩地域の湯ノ花神楽など市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能相馬市32,842人197.79㎢いちご、なし、トラフグ、ホッキ貝、あおさ相馬野馬追、相馬盆踊り大会、相馬民謡など南相馬市56,618人398.58㎢みそ、トマト、鮭相馬野馬追、日吉神社浜下り、鹿島御子神社火伏せ祭など市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能広野町4,608人58.69㎢コシヒカリ、みかんジュース、無農薬バナナ大滝・鹿島神社春の例大祭、八雲神社夏祭り、亀山神社百矢祭など楢葉町6,274人103.64㎢ゆず、さつまいも(甘藷)、米、木戸川の鮭大滝神社浜下り行事、北田天満宮初天神、鳥小屋行事など富岡町11,516人68.39㎢米、たまねぎ、日本酒、パッションフルーツ、ポン菓子桜まつり、夏祭り、麓山の火祭り、えびす講市など川内村2,285人197.35㎢ワイン、ぶどう、いわなの燻製、そば高田島・西郷・町・西山の獅子舞、東郷神楽舞、天山まつりなど大熊町9,955人78.73㎢イチゴ、キウイなど熊川稚児鹿舞、長者原じゃんがら念仏踊りなど双葉町5,436人51.42㎢双葉ダルマ、ブロッコリー双葉町ダルマ市、盆踊り、奉納神楽など浪江町15,174人223.14㎢大堀相馬焼、なみえ焼そば、地酒、しらす請戸漁港出初め式、安波祭り、標葉郷相馬野馬追祭など葛尾村1,273人84.37㎢羊肉、牛肉、凍みもち、エゴマ葛尾三匹獅子舞、葛尾村盆踊り、かつらお恵みの感謝祭など市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能新地町7,581人46.70㎢ニラ、いちじく、ミニトマト、りんごジュース福田十二神楽、奥の相善宮子眉嶺神社例祭、遊海しんちなど飯舘村4,686人230.13㎢黒毛和牛、大吟醸飯舘、なつはぜ、あぶくまもち田植え踊り、三匹獅子舞、山津見神社例大祭など市町村名人口面積主な特産品伝統行事・伝統芸能会津地域耶麻郡河沼郡大沼郡南会津地域南会津郡相双地域双葉郡相馬郡いわき地域業福島県政150周年記念誌93

福島県DATA▪市町村姉妹友好都市福島県では、昭和57年(1982)にいわき市と中国・撫順市が石炭を縁にして姉妹都市を結んだのを皮切りに、現在26市町村が36組の姉妹(友好)都市交流を結んでいます。(令和7年3月現在)※海外の姉妹友好都市のみ掲載しております。市町村名提携相手国・地域提携相手先提携年提携の契機など会津若松市中国米国湖北省荊州市ミズーリ州リーサミット市平成3年(1991)民間交流団体の交流(相互訪問・研修・留学生の交換事業)平成14年(2002)学校教育国際化ホームステイ事業郡山市オランダヘルダーランド州ブルメン市昭和63年(1988)安積疏水事業に尽力したオランダ人技師ファン・ドールンの生誕地の縁中国遼寧省撫順市昭和57年(1982)石炭にゆかりの深い撫順市との交流いわき市オーストラリアクイーンズランド州タウンズビル市平成3年(1991)人口規模・港湾都市であることに共通点米国ハワイ州カウアイ郡平成28年(2016)フラを中心とする民族舞踊を通じた文化交流、スポーツ交流白河市フランス米国オワーズ県コンピエーニュ市ミネソタ州アノーカ市昭和63年(1988)仏企業が白河市の工業団地に進出平成14年(2002)旧大信村中学生のホームステイ派遣須賀川市中国河南省洛陽市平成5年(1993)大規模牡丹園のある洛陽市と牡丹を架け橋とした市民交流喜多方市米国中国オレゴン州ウィルソンビル市江蘇省宿遷市昭和63年(1988)商工会議所間の姉妹会議所提携令和4年(2022)交流推薦による相互往来二本松市中国米国湖北省京山県ニューハンプシャー州ハノーバー町平成6年(1994)国史跡「旧二本松藩戒石銘碑」を元にした交流平成11年(1999)二本松出身の歴史学者朝河貫一博士が学んだ町の縁田村市米国オハイオ州マンスフィールド市平成19年(2007)旧船引町時代からの子どもらの海外学習を含む相互交流南相馬市米国オレゴン州ペンドルトン市平成10年(1998)民間による「馬」に関わるイベントを通した文化交流伊達市米国マサチューセッツ州リヴィア市平成28年(2016)中学生の派遣をもとにした交流事業本宮市英国ロンドン市ケンジントン&チェルシー王室特別区令和6年(2024)英国の「福島庭園」と本宮市の「英国庭園」の姉妹庭園締結桑折町米国ケンタッキー州エリザベスタウン市平成4年(1992)企業交流による提携相互合意川俣町アルゼンチン共和国コスキン市令和6年(2024)川俣町の中南米音楽祭「コスキン・エン・ハポン」を縁とする交流大玉村ペルーマチュピチュ村平成27年(2015)マチュピチュ村長を努めた大玉村出身の野内与吉氏の縁北塩原村ニュージーランドタウポ市ツランギ・トンガリロ地区平成9年(1997)気候・地理等の環境に共通点磐梯町カナダブリティッシュコロンビア州オリバー市昭和63年(1988)日本・カナダ親善使節団の来日西郷村中国天津市薊県平成7年(1995)民間レベルでの交流が発展泉崎村オーストラリアニューサウスウェールズ州テモラ町平成元年(1989)小中学生の作品等の交換等を通して友好交流ギリシャラコニア県スパルタ市昭和61年(1986)「ルネサンス棚倉」のイメージシンボルである同市との交流棚倉町オーストラリアニューサウスウェールズ州レイクマコーリー市平成6年(1994)子どもらを中心とするホームステイ相互交流玉川村台湾南投縣鹿谷郷昭和63年(1988)日本と近く伝統、文化の源を同じくする地域として古殿町ニュージーランドロドニー地方ワークワース地区平成11年(1999)ホームステイ等をはじめ相互交流三春町米国ウィスコンシン州ライスレイク市昭和62年(1987)英語教育助手招聘に発する教育、文化等の交流楢葉町中国米国黒龍江省五常市オハイオ州ユークリッド市平成4年(1992)水稲栽培の盛んな五常市との交流平成5年(1993)町内工業団地への米国企業立地、教育交流富岡町ニュージーランド中国オークランド市浙江省海塩県昭和58年(1983)町議会議長の全国町村議会議長会調査団長としての訪問平成7年(1995)行政視察の受け入れ大熊町オーストラリアニューサウスウェールズ州バサースト市平成3年(1991)海外派遣事業「おおくま希望の翼」浪江町中国米国江蘇省興化市カリフォルニア州ランカスター市平成8年(1996)推薦による国際交流令和3年(2021)再生可能エネルギーの積極導入地域として交流▪海外の福島県人会福島県は、東日本最多、全国7位の海外移住者輩出県で、その数は戦前戦後を通して2万8,500人以上にのぼります。1869年に戊辰戦争後の会津藩士を中心とした移民団が日本人として初めてアメリカ本土に入植してから、ハワイ、南米と本県出身者の移民は増えていきました。そして、彼らやその子孫が現地で県人会を設立したのが、海外の福島県人会の始まりです。現在、世界24か国・地域に36の海外県人会があり、平成29年度にはブラジル福島県人会創立100周年記念式典、ペルー福島県人移住110周年記念式典、令和5年度にはホノルル福島県人会創立100周年記念式典が行われました。県人会の皆さんは、福島県の良き理解者として、また、東日本大震災と原発事故以降、福島県に対する御支援や各国において本県の復興状況を発信していただいている等、海外との架け橋となって活躍されています。福島県の海外移住者数戦前昭和27年〜平成5年(明治2〜合計昭和16年)ブラジルパラグアイアルゼンチンボリビアドミニカその他計25,9232,34185315591132,61628,539出典/国際協力事業団「海外移住統計」※昭和17年~26年、平成6年度以降調査は行われていない。全国での海外移住者数順位都道府県移住者数(人)1広島県98,9752沖縄県79,4543熊本県72,6994福岡県55,7765山口県47,4306和歌山県32,9197福島県28,539北海道・東北での海外移住者数順位都道府県移住者数(人)1福島県28,5392北海道27,1613宮城県8,7464山形県5,1545秋田県3,6216岩手県3,5347青森県2,569第4回在外福島県人会サミット(令和5年)94福島県政150周年記念誌

復興・再生01生活基盤02産03学校教育04医療・福祉05スポーツ06文化・芸能07自然景観08資料編▪福島県への移住者福島県は、移住・定住の促進に向けて、市町村と連携し、各種イベントの開催やきめ細かな相談対応、受入体制の充実等に努めるとともに、首都圏のテレワーカーやテレワーク導入企業を対象とした関係人口の創出・拡大等に取り組んだ結果、近年の移住者数は増加傾向にあります。福島県への移住者数(人)4,0003,0002,3332,8323,4193,7992,0001,0001,116※市町村窓口でのアンケート等により把握できた数を県が集計したものであり、全数とは限りません。※転勤や進学による一時的な転入は除いています。0R2年度R3年度R4年度R5年度R6年度全県規模の移住相談会「福島くらし&しごとフェア」の様子(ふるさと回帰・東京)業▪福島あれこれ全国ランキング~ベスト3~全国データ(令和6年版)から見えてくる、福島県の暮らしや産業、農産物等の各種データを紹介。県民の豊かさや誇り、福島県ならではの魅力を知ることができます。全国順位項目数値年1位の都道府県資料出所もも支出金額(1世帯当たり)(購入数量1位)7,386円令和3~令和5年平均ー①納豆支出金額(1世帯当たり)6,308円令和3~令和5年平均ー①しめじ支出金額(1世帯当たり)(購入数量1位)2,267円令和3~令和5年平均ー①夏秋きゅうり収穫量33,300t令和4年ー②1位つるむらさき収穫量281t令和2年ー③桐材生産量160㎥令和4年ー④医療用機械器具部品等出荷金額442億円令和5年ー⑧測量機械器具の部品出荷額51億円令和3年ー⑧写真機・映画用機械の部品出荷額54億円令和3年ー⑧豚肉支出金額(1世帯当たり)(購入数量2位)37,301円令和3~令和5年平均新潟県①きゅうり支出金額(1世帯当たり)(購入数量3位)4,143円令和3~令和5年平均神奈川県①カレールウ購入数量(1世帯当たり)(支出金額8位)1,506g令和3~令和5年平均新潟県①もも収穫量27,700t令和4年山梨県②2位馬肉生産量903t令和4年熊本県⑤干し柿生産量792t令和3年長野県⑥こい(養殖)収獲量646t令和4年茨城県⑦航空機用エンジン部品出荷額1,558億円令和3年東京都⑧羽二重類(交織を含む)(広幅のもの)出荷額4億円令和3年福井県⑧アイスクリーム・シャーベット支出金額(1世帯当たり)12,910円令和3~令和5年平均埼玉県①かつお支出金額(1世帯当たり)(購入数量3位)2,786円令和3~令和5年平均高知県①ヨーグルト支出金額(1世帯当たり)15,961円令和3~令和5年平均山形県①3位まんじゅう支出金額(1世帯当たり)1,731円令和3~令和5年平均鹿児島県①宿根カスミソウ出荷量8,090千本令和4年熊本県②銅、鉛、亜鉛、ニッケル、すず等粗製品出荷額142億円令和3年千葉県⑧※ベスト3は抜粋版[資料出所]①総務省「家計調査(二人以上の世帯)品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング」、②農林水産省「作物統計」、③農林水産省「地域特産野菜生産状況調査」、④農林水産省「特用林産物生産統計調査」、⑤農林水産省「畜産物流通調査」、⑥農林水産省「特産果樹生産動態等調査」、⑦農林水産省「内水面漁業生産統計調査」、⑧経済産業省「経済構造実態調査」福島県政150周年記念誌95

令和8年1月8日(木)に「県政150周年記念事業オープニングイベント」を開催し、書道家でVISITFukushimaアンバサダーの千葉清藍氏と県立福島西高校書道部の皆さんに会津木綿のたすきを掛けて書道パフォーマンスを披露いただきました。作品には、福島県の伝統や様々な魅力が込められています。福島県政150周年記念誌令和8(2026)年3月企画・発行福島県文化スポーツ局文化振興課監修吉村仁作編集株式会社進和クリエイティブセンター印刷株式会社日進堂印刷所※本誌の著作権は福島県に帰属します。


