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# 築地本願寺新報　2024年2月号

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令和6年能登半島地震で被災された方がたにお見舞い申しあげます令和6年1月1日午後4時過ぎ、石川県能登地方を震源とする地震が発生し、石川県志賀町で最大震度7の揺れが観測されました。被災された皆さまに、衷心よりお見舞い申しあげます。築地本願寺では、本堂入口に募金箱を設置し、地震被災者の救援活動や復興支援のため、義援金の受付をしております。1月19日(金)築地本願寺義援金箱に寄せられた義援金、1,808,100円を浄土真宗本願寺派たすけあい運動募金「令和6年能登半島地震災害義援金」へ送金しておりますことご報告いたします。引き続き皆さまの温かいご支援をよろしくお願い申しあげます。02

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03僧侶の一日僧侶の一日築地本願寺新報WEB版はこちら華やかな入堂作法僧侶たちが列をなして入堂することを「縁えん儀ぎ」や「庭てい儀ぎ」といいます。築地本願寺や一般寺院の大きな法要で見ることができます。雅楽の演奏や稚児行列が入り、非常に華やかな作法です。目次01表紙03僧侶の一日目次04築地ニュース06特集お寺にお墓があるのはなぜ？14ご旧跡歩いて記た16ちょっと、聞いてよ18法話舟川智也（本願寺派布教使）20コラムあっち、こっち、どっち?酒井順子22英語で知ろう！初めての仏教24多田修の落語寺25松本智量のようこそ、仏教シネマへ26築地本願寺で働くヒトビト27TERAMACHI38仏さまの教え39PLAZA402月のスケジュール423月のスケジュール・編集後記44話はつきじ2

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04築地ニュース築地ニュース築地本願寺や築地周辺の気になるニュースやモノ・コトを紹介します。除夜会・除夜のつどいと元旦会を勤修しました築地本願寺では、12月31日に除夜会・除夜のつどいを、1月1日に元旦会を勤修しました。除夜のつどいでは、パイプオルガンコンサートや僧侶になんでも相談コーナー、中尾史峰宗務長による「新年の書」の発表などが行われました。毎年恒例の鐘つきも実施され、参加者は総勢1247名に上りました。また、JA全農より農協牛乳の提供があり、ホットミルクとコーンスープを参拝者の方々に配布しました。元旦会では、中尾宗務長導師のもと、「正信念仏偈作法（第二種）」を勤修した後、宗務長の挨拶がおこなわれました。当日は、早朝にもかかわらず、約250名の方々が、オンラインでは、約300名の方々にご参拝いただきました。総勢181名が参加「20歳の集い」を開催しました1月21日に、「2024（令和6）年第51回築地本願寺20歳の集い」を行い、2023（令和5）年度に20歳を迎える181名の方が参加しました。毎年恒例となった式典は、代表者の献灯・献花・献香から始まり、音楽法要をお勤めいたしました。その後、築地本願寺を代表して木村共宏副宗務長からはお祝いの言葉があり、最後に記念撮影を行いました。また、この度の「20歳の集い」をご縁に、10名の方が帰敬式を受式されました。20歳の集いに参加された方からは、「同級生であるみなさんと、築地本願寺でこうして式典に参加できて嬉しい。自分の行動に責任が持てる大人になりたい」との声があがりました。皆さまおめでとうございます。はたち

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05築地ニュース築地のヒト今月の人人情味があふれる下町らしい交流が魅力東銀座と築地を結ぶ晴海通りに位置する京橋郵便局。築地本願寺職員はもちろん、住民や近隣企業の人々が日々お世話になる郵便局で働くのが局員の楢木りえさんです。「もともとは地元の宮崎市の郵便局で働いていたのですが、9年前、娘の大学進学を機に夫と共に東京へと転勤し、現在に至ります。京橋郵便局での勤務は3年目になりますね」東京駅前にある東京中央郵便局や神田郵便局での勤務歴もある楢木さんですが、築地の地で働くことに、どこか懐かしさも感じているとか。「私の伯父が築地市場で働いていたため、小さい頃から『築地はにぎやかな場所だよ』と聞かされていました。京橋郵便局に配属された際は、『かつて伯父が働いていた築地で働くのか』とご縁を感じましたね。いざ働いてみると、都会ながら下町気質で温かみのある方と交流できるのが魅力的です。最近は外国のお客様も多くて、築地市場で買い込んだお土産を自国に送るため、朝から郵便局に行列ができることもあります」時代と共に人々が求める郵便局のニーズは変わる一方、楢木さんが大事にするのが「手紙」の存在です。「最近はメールやＳＮＳなどの発達で、手紙を書く人が減っているかもしれません。でも、手紙だからこそ伝わる気持ちもあるし、受け取ったときの喜びも大きくなると思うので、もっと多くの方に手紙を書いてほしいです。あと、京橋郵便局は記念切手発売日には記念押印の会場としても活用されています。気になる切手の発売日には、お越しください」京橋郵便局課長代理楢木りえさん築地の達人・楢木さんが教える！築地の逸品今月のお店ふぐ料亭wanofu（ワノフ）石灯籠や箱庭もある、趣深いふぐ料亭。高級感ある佇まいは、接待や会食にもぴったり。ランチ時は、ふぐ料理や懐石料理が入ったコースのみならず、大山鶏と新鮮な卵を使った「特製親子丼」（1,200円）をはじめ、魚やふぐ雑炊まで幅広いメニューがリーズナブルな金額で食べられる。東京都中央区築地4-2-10☎03-3543-345011:30～14:30、17:30～22:30㊡土・日・祝日

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06特集●特集地域差はありますが、お寺にお墓があるのは珍しくありません。しかし歴史を見ると、お寺は最初から墓地を持っていたわけではなかったのです。お墓とお寺の関係、そしてお墓のあり方は、時代によって変化してきました。そもそも、お墓参りにはどんな意味があるのでしょうか？お寺にお墓があるのはなぜ？意外に新しい「○○家之墓」現在、多くの墓石に「○○家之墓」と刻まれています。それ以外の言葉が書かれていることもあります（浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と刻む習慣になっています）が、どのような言葉であれ、その家で代々受け継いでいくお墓です。この習慣は、実は新しいものです。「○○家之墓」と書かれた墓が主流になったのは明治30年代（西暦で言うと1900年頃）と指摘されています。古いものでも、江戸後期のものです。それ以前は、お墓は家単位ではなく、個人単位で建てるものでした。墓石にその人の法ほう名みょう（戒名）を刻みます。かつては土葬が多く、複数の遺体を一カ所に納めるのが難しかったのです。「一人につき一つお墓を建てていたら、町がお墓だらけになるのでは？」と思われそうですが、そうではありません。まず、お墓を建てるには費用がかかります。だから、誰もが墓石のあるお墓を作ることができたわけではありませんでした。江戸時代のお墓については地域による違いがあるので一概には言えませんが、江戸の町の場合、お寺はお墓を建てる区画と別に、お墓がない人の遺体を納める場所を用意していました。また、江戸には地方から仕事に来ていて、

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07特集江戸に身寄りがない人がいました。そのような人も、亡くなるとその区画に葬られました。それだけではありません。個人のお墓がある場合でも、そのお墓に何年もお参りがないと、お寺は「無縁になった」という扱いにして、更さら地ちにします。そのお墓に納められていた遺体や遺骨は、お墓がない人用の区画に移されます。更地になった所には、別の人のお墓が建つことになります。このため、一人につき一つのお墓を作っていても、お墓だらけになるということはなかったのです。さて、今ではお墓は家で代々受け継いでいく習慣になっています。しかし、家族のあり方が変化して、「お墓を代々受け継ぐ」ことが難しい例がよく見られるようになってきました。これは私の予想ですが、これからは江戸時代のように、家ではなく個人のお墓を、いずれ撤去する前提で建てるようになっていくのではないでしょうか。お寺に墓地があるのはいつから？今では、たいていのお寺に墓地があります。しかし、最初からそうだったわけではありません。日本に仏教が伝わったのはおよそ1500年前ですが、それ以前から日本にお墓はありました。日本に仏教が伝わっても、お寺とお墓は別でした。例えば、聖しょう徳とく太たい子し（574～622）は日本に仏教を取り入れることに非常に熱心で、法ほう隆りゅう寺じを始めとしてさまざまな寺院を建てています。しかし聖徳太子のお墓は、これらの寺院にはありません。お寺に墓地を作る習慣が広まったのは、平安時代のことでした。平安時代の歴史書『栄えい花が物もの語がたり』『大おお鏡かがみ』に、藤ふじ原わらの道みち長なが（966～1028）が一族の墓地を訪れた話があります。「いずれの人も、あるは先祖の建て給たまへる堂にてこそ、忌日にも説経・説法もし給めれ。真実の御身を斂おさめられ給へるこの山には、たゞ標しるしばかりの石の卒そ塔と婆ば一本ばかり立てれば、又参り寄る人もなし。これいと本意なき事なり」とおぼして、この山の頂を平げさせ給て、高き石をば削り、短き所をば埋めさせ給ひなどして、やがて三昧堂を建てさせ給ふ。（『栄花物語』巻15）「おほくの先祖の御骨おはするに、鐘のこゑきゝ給はぬ、いとうきことなり。わが身おもふさまになりたらば、三昧堂をたてん」と、御心のうちにおぼしめしくわだてたりけるとこそ、うけ給はれ。（『大鏡』巻5）墓地はすっかり荒れ果てていて、どこの誰の遺体が納められているのかわからず、お参りに来る人がいないというありさまでした。これは、亡き人の供養についての考えが、今と違っていたからです。平安時代の貴族にとって、亡き人の供養とは寺院で法事をすることであって、墓参りの習慣がありませんでした。墓地

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08特集たからです。また、先ほどお話しした聖徳太子の墓は叡えい福ふく寺じ（大阪府太子町）にあります。しかし、叡福寺は聖徳太子の生前にはありませんでした。叡福寺の寺伝では、聖徳太子が亡くなった後、推すい古こ天皇（554～628）から土地をあたえられて寺院が建立されたとされます。しかし学術的には、創建は平安後期の11世紀中期～12世紀中期あるいは鎌倉時代の12世紀末～13世紀前半と推定されています。いずれにせよ、墓地が先で寺院が後です。なお、寺院と墓地が併設されているのは日本だけではありません。インドの仏教遺跡の調査・研究に取り組んでいる島しま田だ明あきら氏（ニューヨーク州立大学ニューパルツ校教授）は、古代インドでも僧院・仏塔が墓地に隣接しており、これは仏教僧が葬儀などの儀礼を担っていた証拠だと指摘します。島田氏は、仏教僧が葬儀や墓地に関わっていた理由として、古代インドでは死は不浄とされていたが、仏教は死を不浄と見ないことを挙げています。亡き人にお参りすることは、亡き人から教わることでもある仏教は約2500年前のインドで始まりました。仏教を開かれたのはお釈迦さまです。お釈迦さまの遺体は、どうなったのでしょうか？お釈迦さまの晩年を記した経典『大パリニッバーナ経』に、このような話があります。お釈迦さまは高齢になり、先が長くは、遺体を納めた後はとくに用事がない場所だったようです。もっとも藤原道長は、遺体を納めた場所が荒れているのは、先祖に申し訳ないと思ったようです。一族の墓地を整地して、読経の鐘が先祖の遺骨に聞こえるように、仏堂を建てました。これは、墓地が先で、後で寺院を建てたことになります。「寺院に墓地を造った」のではありません。ただし、寺院と墓地を同じ土地に造るのは、藤原道長が最初ではありません。平安初期の仁にん明みょう天皇（810～850）の陵に、嘉か祥じょう寺じを併設したという記録があります。もっとも、現在の仁明天皇陵・深ふか草くさの陵みささぎ（京都市伏見区）には寺院がありません。そもそも、現在の深草陵は江戸時代の天皇陵修復事業によって整備されたものであって、仁明天皇の本来の陵は別の場所だと推定されています。これより後の時代の天皇陵についても、管理していた寺院が廃絶したことなどが原因で、一時期所在不明となった陵は少なくありません。江戸時代から明治時代にかけての研究でかなりの陵が特定されましたが、鎌倉時代や南北朝時代の天皇でも正確な埋葬地を特定できなかった例があります（その場合でも、その天皇の陵として指定された墓所が存在します）。仁明天皇のように、「○○天皇陵」と呼ばれている地に本当にその天皇が葬られているのかどうか、学術上疑義が示されているものは少なくありません。こうなってしまったのは、埋葬地への関心が薄い時代があっ

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09特集ないと察して、仕えていた弟子・アーナンダに、自身の亡き後は遺体を火葬し、遺骨を納める塔を建てるよう伝えます。その塔について、こうおっしゃっています。修行完成者のストゥーパをつくるべきである。誰であろうと、そこに花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、また心を清らかにして信ずる人々には、長いあいだ利益と幸せとが起るであろう。…（中略）…〈これは、かの修行完成者・真人・正しくさとりを開いた人のストゥーパである〉と思って、多くの人は心が浄まる。かれらはそこで心が浄まって、死後に、身体が壊れてのちに、善いところ・天の世界に生まれる。…（中略）…修行完成者の教えを聞いて実行する人については、人々がかれのストゥーパをつくってこれを拝むべきであるのか？アーナンダよ。〈これは、かの修行完成者・真人・正しくさとりを開いた人の教えを聞いて実行した人のストゥーパである〉と思って、多くの人は心が浄まる。かれらはそこで心が浄まって、死後に、身体が壊れてのちに、善いところ・天の世界に生まれる。（中村元訳『ブッダ最後の旅大パリニッバーナ経』133～134頁）「ストゥーパ」とは、遺骨を納めた塔です。とくに、仏ぶっ舎しゃ利り（お釈迦さまの遺骨）を納めた仏塔を指します。このお釈迦さまの言葉の中に、修行完成者（すなわちお釈迦さま）の遺骨を納めた仏塔に、花と香を供えなさいとあります。今でもお墓にお花とお香をお供えしますが、これはお釈迦さまの時代からあった習慣です。そしてお釈迦さまの言葉には、仏塔を拝むと、心が清らかになり、この世の命が尽つきた後に良い世界に生まれるとあります。ここで注目したいのは、その続きの箇所です。「修行完成者の教えを聞いて実行する人」についても、そのストゥーパ（遺骨を納めた塔、つまりお墓）を建てることを説いています。それを拝むと、心が清らかになり、この世の命が尽きた後に良い世界に生まれるとあります。これは、お釈迦さまの仏塔をお参りした時と同じ結果になるということです。心が清らかになって良い世界に生まれるとは、お釈迦さまの教えを聞いた人の利益のはずです。それが、お釈迦さまだけでなく、他の人の遺体を納めた所にお参りしても同じになるとは、どういうことでしょうか？私が思うに、亡き人にお参りをするインド・サールナートのダーメク・ストゥーパ。

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10特集塔は崇拝の対象となり、教えを説く場ともなりました。やがて、仏塔はお釈迦さまと同等の存在と見なされるようになり、仏塔を崇拝すれば仏になるという教えを説く派も現れました（以前、仏塔を崇拝する人々の間から大乗仏教が始まったという説が提唱されたことがあります。近年まで有力な説でしたが、これに対して現在ではさまざまな疑念が呈されています）。さて、仏舎利はインド以外の地にも伝わり、それを納める塔が建てられました。日本でも五重塔などの塔がある寺院がありますが、そこには仏舎利が納められています。もっとも、お釈迦さまの遺骨だけではすべての塔に足りませんので、多くの場合、代わりに宝石を納めています。それでも、仏舎利（またはその代わり）を納めているのですから、お釈迦さまのお墓のようなものです。親鸞聖人のお墓が本願寺の始まり浄土真宗を開かれた親鸞聖人（1173～1263）のお墓は、どうなっているのでしょうか？ことは、亡き人への関心を呼び起こし、それが亡き人から教わったのと同じ結果をもたらす、ということなのでしょう。例えば、毎年8月には全国で戦没者を追悼する行事が開かれます。戦没者を追悼することは、戦争や平和について考えるきっかけになります。それを考えるようになって理解が深まったなら、それは戦没者から戦争や平和について教わったようなものです。それと同じことが、仏塔などにお参りすることについても言えます。お釈迦さま、あるいはその教えをより所に生きた人にお参りすることは、お釈迦さまの教えについての興味を引き起こすきっかけとなります。お釈迦さまの教えについて理解を深めたなら、それはお釈迦さまから教わったのと同じ結果をもたらします。お墓参りについて、「亡き人のためにすること」と思われることが多いのではないでしょうか。実はそれだけではなく、亡き人から何かを教わりに行くに等しい、自分のためにもなる行為とも言えます。お寺の塔は何のためにある？お釈迦さまが火葬されると、仏舎利は8等分されました。そして、仏舎利を納める塔が8カ所に建立されました。これと別に、仏舎利を量るのに用いた瓶かめを納める塔と、火葬後の炭（または灰）を納める塔も建てられました。その後、仏舎利はさらに分配されて、インド各地に仏塔が造られました。仏京都・東寺五重塔。

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11特集仏舎利を納めた塔を、サンスクリット語(古代インドの言語)でストゥーパと言います。この「ストゥーパ」の発音を漢字にあてたのが「卒そ塔と婆ば」です。卒塔婆を省略した言い方が「塔とう婆ば」「塔」です。現在では「塔」は細長い建物の意味ですが、本来は仏塔のことです。「卒塔婆」「塔婆」と言うと、お墓にある細長い木の板を思い浮かべる人が多いでしょう(浄土真宗では用いません)。この起源は、仏教とは別のようです。宗教民俗学者の故・五ご来らい重しげる氏(大谷大学名誉教授)は、お墓の塔婆の起源は、木を切って依より代しろ(神や魂がよりつくもの)にしたものだと推定します。始めは木を切っただけの棒状でしたが、やがて板状に加工するようになりました。仏教式の葬儀や供養が広まると、その板を仏塔に模した形状にするようになったので、「卒塔婆」と呼ばれるようになったと述べます。さらに五来氏は、亡き人を「ほとけ」と呼ぶ場合があるので、「ほとけの遺体を納めたしるし」の意味で、お釈迦さまのストゥーパに倣ならって卒塔婆と言うようになった可能性を指摘します。当初の塔婆は木製でしたが、耐久性を持たせるため、石で作られたものが現れました。これが、現在の墓石の原形です。そのため、墓石を「石いし塔とう婆ば」「石せき塔とう」と呼ぶことがあります。コラム❶仏塔＝墓地の塔婆＝墓石？親鸞聖人は生前、「某それがし親鸞閉へい眼がんせば、賀か茂も河がわにいれて魚うおにあたふべし」とおっしゃっていました。この言葉は、親鸞聖人のひ孫に当たる覚かく如にょ上人（1270～1351）の著『改がい邪じゃ鈔しょう』に記されていますが、実際にはお墓がつくられました。親鸞聖人は弘こう長ちょう2年11月28日（1263年1月16日）、90歳で亡くなりました。遺体は鳥とり辺べ野の（京都市東山区）の南で火葬され、遺骨は鳥辺野の北に納められました。始めは簡素なお墓でしたが、10年後の1272（文ぶん永えい9）年の冬、吉よし水みず（京都市東山区）の北に改葬されて、親鸞聖人の像を安置した廟びょう堂どうが建てられました。この廟堂には多くの人が参拝に訪れました。覚如上人が1294（永えい仁にん2）年に著した『報ほう恩おん講こう私し記き』に「廟堂に跪ひざまずきて涙を拭ぬぐひ、遺骨を拝して腸はらわたを断つ。入にゅう滅めつ年としはるかなりといへども、往おう詣げい挙こぞりていまだ絶えず」とあります。親鸞聖人の意図はとにかく、遺骨が尊ばれていた様子がわかります。1312（正しょう和わ元）年、親鸞聖人の廟堂に「専修寺」の額が掲げられました。ほどなく、名が「本願寺」に改められました。親鸞聖人のお墓が発展して、本願寺となったのです。後に本願寺は何度も移転しているので、最初の廟堂の地と、現在の本願寺の場所は異なります。廟堂は当初の位置にあり続けましたが、1603（慶けい長ちょう8）年、知ち恩おん院いん拡張のため移転することとなりました。そして築かれたのが、現在の大おお谷たに本ほん廟びょうです。大谷本廟には親卒塔婆の語源は「ストゥーパ」という可能性も。

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12特集お墓参りの時、食べ物をお供えすることがよくあります。この習慣は、古代のインドにもありました。このような話が伝わっています。お釈迦さまの時代のことです。修行僧は、食べ物を托たく鉢はつ(人々からの寄付)で手に入れていました。ところがある僧侶は、「私は托鉢に頼りません」と言って、墓地に住み、お墓に供えられた食べ物を食べて暮らしていました。すると町の人々の間で、「修行僧はみんな托鉢するのに、あの人は托鉢をしない。それでいて、やせる様子がない。あの人は墓地に住んでいる。ということは、あの人は死体の肉を食べているのでは!?」という噂うわさが立ちました。これを知ったお釈迦さまは、このような噂が立つようでは困るということで、これ以降、食べ物は人から受け取るように定められました。自然に生えている木の実などを取ることもやめるようになりました。この話は、古代のインドでもお墓に食べ物を供える習慣があったことを示しています。ここで紹介した話は、戒律の文献にあります。仏教の戒律は、「これをしなさい」「あれをしてはいけません」と言うだけでなく、その規定が定められる原因になった話が記されています。それらの話は、お釈迦さまの教団で起こったトラブルです。お釈迦さまは、教団でトラブルが起こるとその都度「今後、同じようなことが起こったら、このように扱います」という形で戒律を定めていきました。ですから戒律を読めば、お釈迦さまの教団でどんなトラブルがあったかを知ることができます。「お釈迦さまの直弟子は、みんな立派な方だった」と思われるかも知れませんが、トラブルの種になる人もいたということです。コラム❷お供えの食べ物鸞聖人の遺骨を納めた祖そ壇だんと、その拝堂として明めい著ちょ堂どうがあります。なお、親鸞聖人の遺体が火葬された地は大谷本廟の北東とされ、現在「お荼だ毘び所しょ」となっています（火葬の地について、それより南の延えん仁にん寺じとする説もあります）。親鸞聖人の最初のお墓が建てられたのは知恩院大おお方ほう丈じょうの辺り、廟堂があったのは知恩院境内の崇そう泰たい院いん辺りと推定されます。親鸞聖人亡き後にお墓ができ、それが発展して本願寺ができました。これを中心に集まった人々の組織が教団となり、親鸞聖人の教えが現在まで受け継がれています。親鸞聖人の墓所として、本願寺派（西本願寺）の大谷本廟の他に、大谷派（東本願寺）の大谷祖そ廟びょう（京都市東山区）や、高田派・専せん修じゅ寺じ（三重県津市）境内の御ご廟びょうもあります。余談ですが、高こう野や山さん（和歌山県）の奥の院に親鸞聖人墓とされる墓所があります。高野山の西さい禅ぜん院いんのウェブサイトによると、親鸞聖人が63歳のころ高野山で念仏の行に励み、同院には親鸞聖人自作の自像があるとのことです。本願寺の記録と大きく異なりますが、興味深い伝承です。＊＊＊＊＊＊＊＊＊仏教は初期から、墓地と密接な関わりを持ってきました。まず、お釈迦様が亡くなると、その遺骨（仏舎利）を納めた塔が造られました。その塔は崇拝の対象となり、教え

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13特集を伝える場ともなりました。親鸞聖人の場合も、墓地が発展して本願寺となりました。遺骨を納めた場は、教えに遇う場でもあることになります。お墓にお参りすることは、今回ご紹介したお釈迦さまの言葉にありますように、お参りした人のためにもなる行いです。そう考えると、お墓はむしろ、残された人のためにあると言うことができるでしょう。（文／編集委員・多田修）【参考文献】・井上亮著『天皇と葬儀』（新潮社）・岩田重則著『「お墓」の誕生』（岩波書店）・岩田重則著『墓の民俗学』（吉川弘文館）・小野一之著「聖徳太子墓の展開と叡福寺の成立」（『日本史研究』第342号所収）・勝田至編『日本葬制史』（吉川弘文館）・『五来重著作集第12巻葬と供養（下）』（法蔵館）・AkiraShimada（島田明）“AmaravatiandDhānyakaţaka:TopologyofMonasticSpaceinAncientIndianCities”(OxfordUniversityPress,BuddhiststupasinSouthAsia)・新谷尚紀著『お葬式―死と慰霊の日本史―』（吉川弘文館）・杉本卓洲著『ブッダと仏塔の物語』（大法輪閣）・外池昇著『検証天皇陵』（山川出版社）・中村元訳『ブッダ最後の旅大パリニッバーナ経』（岩波書店）・西木浩一著「江戸の墓制と身分」（『歴史と地理』第580号所収）・西木浩一著「江戸の社会と「葬」をめぐる意識―墓制・盆儀礼・「おんぼう」―」（『関東近世史研究』第60号所収）・平川彰著『二百五十戒の研究Ⅲ』（春秋社）・本願寺史料研究所編纂『増補改訂本願寺史第1巻』（本願寺出版社）・松村博司校注『大鏡』（岩波書店）・松村博司・山中裕校注『日本古典文学大系75栄花物語（上）』（岩波書店）・山口哲史著『四天王寺史・叡福寺史の展開と聖徳太子信仰』（関西大学）大谷本廟の中にある明著堂。親鸞聖人の遺体が火葬された地「お荼毘所」が、現在の大谷本廟に。京都にある荼毘所などを記載した、親鸞聖人聖躓図。『御伝鈔御俗姓（現代語版）』（著／浄土真宗本願寺派総合研究所、本願寺出版社）167ページより抜粋。

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14ご旧跡歩いて記た現地ルポ親鸞聖人が42歳で配流先の越後から常ひたち陸国のくに笠間（現在の茨城県笠間市）の稲いな田だの草そう庵あんに拠点を移された時のことは、『親鸞伝でん絵ね』に「隠居したまふ」という表現がとられていますが、実際、当時の人々の平均寿命（42歳前後といわれる）を迎えた親鸞聖人は、隠居のつもりであったかも知れません。しかし関東での聖人は、その健脚を生かし、水路も使いながら、方々へ伝道に赴かれます。そして聖人は還暦を迎えた1232（貞永元）年の頃、これはさすがに隠居とお考えになられたのかはわかりませんが、帰洛の途につきます。箱根・芦ノ湖手前の甘酒茶屋付近にある「笈おいの平たいら」には、聖人が門弟の性しょう信しんと別れた際に詠んだ歌の碑があり、また芦ノ湖畔の箱根神社には『親鸞伝絵』に後述のエピソードが残されています。また、かつて箱根神社が「箱根～2人の僧侶が、ぶらぶら歩いて、ゆるゆる楽しむ～ご旧きゅう跡せき歩いて記きた【第23回】箱はこ根ね神じん社じゃ（神奈川県足柄下郡箱根町）〜最終章・前編〜本年4月に築地本願寺で勤められる「親しん鸞らん聖しょう人にん御誕生850年・立りっ教きょう開かい宗しゅう800年慶きょう讃さん法ほう要よう」を記念して、宗祖・親鸞聖人（1173︱1263）が関東の地に残された由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。権ごん現げん」と呼ばれていたのは、神々は仏・菩薩が衆しゅ生じょう利り益やくのために権（かり）に現れた姿、という考えから。箱根権現は社やしろと金剛王院東福寺から構成され、さらに「親鸞堂」と呼ばれる建物も存在していたといいます。親鸞堂に安置されていた法宝物は、廃仏毀釈の際に近くの真宗大谷派・箱はこ根ね山さん萬まん福ぷく寺じに受け継がれ、そのうち阿弥陀如来像は現在まで受け継がれています。ご旧跡紹介親鸞聖人ご一行は帰洛の途中、箱根権現（現・箱根神社）近くの人家で神官のもてなしを受けた。聞けば神官は仮眠していた夢の中に権現（神）が現れ、「私の尊敬している客人がこの道を通られるので、心を尽くして特に丁寧におもてなしをしなさい」と告げたという。また、旧東海道沿いの笈の平には、聖人に同行してい

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15ご旧跡歩いて記たた性信らに対し詠まれた歌「病む子をばあずけて帰る旅の空心はここに残しこそすれ」の碑がある。聖人は東国門徒をいまだ病の癒いえぬ子に譬たとえ、性信らに教化を託し、生まれ故郷に向かうのだった。旅ある記星2022（令和4）年4月から始まったこのご旧跡めぐり欄は、親鸞聖人が越後から関東にご移動されてきて長く拠点とされた茨城県を皮切りに、関東のゆかりの地を巡ってきたわけですが……。藤西へ西へと進んできて、とうとう芦ノ湖畔までやってきましたよ。というわけで最終章前編、箱根神社です。星ここは神官が霊告を受けて親鸞聖人を歓待したとされる地ですが、法然聖人のもとでの兄弟子・聖せい覚かく法ほう印いんが箱根権現の管理をしていた関係で親鸞聖人が訪れたのかも知れませんね。藤あり得ますね。それから旧東海道沿いにある笈の平も見逃せません。星親鸞聖人が性信房と涙、涙のお別れをしたという石碑が残っていましたね。我々の連載も読者の皆さまと涙、涙のお別れです。藤まだ「最終章・後編」があるんだけどね。星テレビドラマによくある、終わると言いつつなかなか終わらないアレですか？（藤本真教・星顕雄）公共交通機関でレッツアクセス！250-0522神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1電話0460-83-7123FAX0460-83-6669https://hakonejinja.or.jp築地三丁目バス停→（都営バス都05-2東京駅丸の内南口行き・210円）→東京駅丸の内南口→（徒歩）→東京駅→（JR東海道本線・1520円）→小田原→（徒歩2分）→小田原駅東口→（箱根登山バス・箱根町港行き・1340円）→箱根神社入口ご旧跡の基本情報や参拝マナーはこちらから箱根神社東京都神奈川県築地本願寺★★

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ちょっと、聞いてよ16ちょっと、聞いてよＡ１利他とは菩薩の歩む道仏教における「利他」とは、本来「自利利他円満」といって自他を隔てずにさとりをめざす菩薩の行いです。日常語にすると「私の幸せがあなたの幸せ」「あなたの幸せが私の幸せ」といってもいいでしょう。ただ、私たちは自分の幸せだけを追い求めてしまいがちです。例えば受験に合格したとき、不合格の人のために自分の枠を譲ることはできるでしょうか。自分の好きな人が自分以外の人と幸せになって人の数だけ、悩みは尽きぬもの。皆さまから寄せられた悩みに、お坊さんや仏教関係者たちが答えます。Q最近の社会情勢を見ていると、「利己」ではなく「利他」の心を持つことが大切だとつくづく感じます。ただ、言うは易し、行うは難し。「利他の心」はどうしたら持つことができるのでしょうか？（50代・男性）いたらショックを受けませんか。台風の進路が自分の住む地域から別の地域に変わると、そこに住む人のことを忘れて安心していませんか。「嫌いな人が失敗をして嬉しい」など、人の不幸が自分の幸せになる場面もあります。仏教の自利利他の精神を学ぶと、どこまでも自他を隔てて利己的な私のすがたが知らされます。菩薩にはほど遠い不完全な自分であることを深く見つめていった先に、本当の「利他の心」に出遇うのかもしれません。（編集委員・横内教順）今月のお悩み

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17ちょっと、聞いてよ同コーナー上でお坊さんに聞いてみたい相談がある方は、年代、性別を併記の上、築地本願寺新報社「ちょっと、聞いてよ」係（〒104–8435東京都中央区築地3–15–1）まで、お悩みをお送りください。お悩み募集中！Ａ２あなたに向けられた利他この度の大地震でも、被災地に向けられる人々の気持ちに私自身励まされる思いです。でも行うは難しというのはその通りで、大きすぎる事象が自らを萎縮させてしまうことが何度もあります。東日本大震災のあと、よく言われたのが「支援する人を支援する」という考え方でした。できないことはできる人に託し、その分サポートにＡ３人それぞれの「利他」がある私たちは、隣を歩いていた人が突然転んだとしても、痛くはありません。悲しいことに、他人の痛みを、私は感じることができないからです。しかし、私たちの周りには、人の痛みを我が事として受け取り、自分の身を顧みることなく、他人のために行動することができるような「利他の心」を持った人もいます。そして、その究極の姿が、私たちのいただい回る、そして関心を持ち続けるということです。仏教者として付け加えるなら、実はそういった気持ちを他から受け続けてきたのが私でもありました。ですから、他の人に向けた行動だけではなく、見過ごしてきた他者の思いに気づくことも利他の内容と思います。なお仏教では「利己と利他」ではなく「自利と利他」で考え、意味合いも異なりますので、特集の企画を編集部に提案しておきますね。（編集委員・藤本真教）ている阿弥陀さまという仏さまです。その姿は、自分と他者、損か得かといった考えにとらわれず、相手のことを最優先に行動するという価値観を私たちに与えてくださいます。理想とするような「利他の心」を持てない自分を苦しむのではなく、仏法や私たちの周りにある様々な「利他の心」に触れていき、人それぞれの「利他の心」を育んでいってはいかがでしょうか。（築地本願寺職員・橘俊了）

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18法話効率や生産性のなかに喜びはあるのか？「お寺に参ってお金が儲かるんだったら、なんぼでも参ってやる」昔、法事で言い放たれた一言だ。確かに、お寺に参ってもお金は儲からないし、出世もしない。普段、私たちが世間の中で求めているものが手に入ることはない。しかし、生きるという事は、ただそのように私の欲を叶えることが全てなのだろうか。随分前の事だが、布教先の住職さんがこんな話をしてくれた。「最近は何事においても効率を求める。家づくりでもそうで、決まった予算内で、限られたスペースに必要な空間をということになると、最初に排除された空間が縁側だ。居間や食卓、トイレやお風呂と違って、用途が曖昧な空間だからね。でも、用途が曖昧だからこそ何にでもなれたのが縁側。ある時は人を迎える玄関、ある時は人と会話をする居間、法事なんかする際には拡張した部屋の一部として使えたし、何もない時は洗濯物干しとして使う。曖昧だからこそ活きる良さもあったのに、そういうものが無駄として排除されていくのはなんか悲しいなぁ」この話にあるように、現代社会は効率や生産性が大切にされる。それは限られた時間や資源の中で生きていくので当たり前のことなのだが、同時に感じるのは、人は生産的な行動だけで生きていけるのだろうか？ということ。生産的な行動や効率的な行動の中に喜びはあるのだろうか？ということだ。人生の余白を愉しむ本願寺派布教使舟川智也法話

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19法話普段と違う価値観が優先される場の大切さコロナ禍の最中、「不要不急」ということが声高に叫ばれた。誰もが人との接触を可能な限り控えて生活をしてきたはずだ。時には1週間、誰ともまともに話をしていないという話もよく聞いた。しかし、そんな生活を送る中で私が感じたのは、「人と話さないというストレス」だ。今までは人と会話をすること自体が特にストレスと感じることもあったが、全く話をしないということが起きた時、「誰でもいいから話したい。何でもいいから話したい」という気持ちが芽生えた。そして思う。「あぁ、普段のたわいもない会話こそ、私を支えてくれていたものだったのか」と。このたわいもない日常会話、生産性があるかと言われれば、全くない。天気がどうの、病気がどうの、毎度毎度繰り返される同じような会話であり、その会話によって何かを解決することもない。でも、そんな何気ない会話こそが私の日常を支えてくれているのだ。最近は少なくなったが、友だちとお酒を一緒に飲む時間、効率で言えば、ただお金と時間を浪費し、健康を害している時間なのだが、その一見無駄に思える時間ともいえる非生産的時間こそが日常（生産的時間）を支えてくれているとも言える。当山壮年会会員の方は言う。「お寺の良いところは、会社にある上下関係のようなものがなく、気を遣う相手がいない。お金持ちだろうと、そうでなかろうと横一列。普段、大事にしていることと違う価値観が優先される場所をもっておくことも大事ですね」と。お金が儲かる以上に大切な価値がここにはある。あなたは何を大切に生きていきますか。舟川智也（ふなかわ・ともや）北豊教区京仲組両徳寺住職。本願寺派布教使。YouTubeチャンネル「みんなでおてらいふ／両徳寺」や、Voicy「舟川智也のまったり仏教LIFE」を通して、短い法話や日々の所感を配信中。

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20あっち、こっち、どっち？元日に石川県能登地方を震源とした、大きな地震が発生しました。能登半島好きの私は、珠す洲ずに住む友人と、年末に電話で話していたばかりだったのであり、心配が募ります。友人一家の安否は、しばらくわかりませんでした。LINEが既読にならないのは、スマホの電源がなくなっているのもしれない。いやもしかすると……などと、様々な想像が頭を駆け巡ります。しかし様々な検索をしているうちに、とあるニュースサイトに掲載されている写真の撮影者として、友人の名前が出ているのを発見。彼女が住んでいる場所は孤立集落となっており、現状を知らせる画像を、彼女は発信していたのです。「よかった、元気だった!」と読み進めると、その集落では、体調を崩している人などもいない様子。「ということは、ご家族も皆、ご無事!」と、まずは胸をなでおろしました。とはいえその後もしばらくは、孤立状態が解消されない集落が多かったのであり、住民の皆さんのご苦労はいかばかりのものだったか、と思うと、言葉もありません。能登地方が細長い半島であるが故に、道路の本数は多くなく、限られた道路が寸断されたことによって、孤立集落が多発してしまったのです。能登半島では、かつては鉄道も、今より長く走っていました。今は、第三セクターののと鉄道が半島の途中の穴あな水みず駅まで走っていますが、以前は奥能登の蛸たこ島じま駅、そして西側の輪島駅まで走っていたのです。しかし赤字路線ということで、鉄酒井順子第47回「海」と「陸」あっち、こっち、どっち?

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21あっち、こっち、どっち？道の線路はぐっと短縮。能登半島での移動は、車に頼らざるを得なくなったのです。このようにして、能登半島といえば、同じ石川県内であっても交通が不便な地という印象になったわけですが、しかし過去にさかのぼってみれば、そこは非常に先端的な地域として存在していました。自動車や鉄道といった手段がなかった江戸時代は、海運が中心。特に日本海側は、大阪と蝦夷地を結ぶ北きた前まえ船ぶねが、物品のみならず様々な情報も運ぶ、日本の経済と文化のメインルートだったのです。日本海に突き出る能登半島もまた、北前船の時代は交通の要衝として機能していました。能登には、時とき国くに家という重要文化財のお屋敷がありますが、こちらの家も北前船によって巨万の富を築きました。しかし明治以降、鉄道や自動車といった陸を走る交通手段が発達すると、能登半島は交通の要衝ではなくなり、陸路では行きにくい僻地となってしまったのです。海路の時代であれば、地震の被害にあった能登半島の集落も、決して「孤立」とは言われなかったことでしょう。半島は、海を通じて様々な地とつながることができる場所なのですから。しかし、交通＝陸路、と私たちが思い込んでいるからこそ、人々は道が繋がっていない地を、孤立と言ってしまうのではないか。日本人は、かつて海と共に生きていた時代の記憶を、失いかけているのかもしれません。日本海が経済のメインルートだった時代、能登半島は船を漕ぎ出せばどこへでも行くことができる地でした。世界有数の海岸線を持つ日本では、能登のような場所は多いのかもしれず、今回の震災は、日本人が海との繋がりを思い出すための一つの契機となる気がしてなりません。酒井順子（さかい・じゅんこ）エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『鉄道無常』（角川文庫）など。

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NHKワールドTVでもおなじみのミッシェールさんが初めてであう仏教の文化や習慣を、浄土真宗本願寺派僧侶の南條了瑛さんと共に英語で解説していきます。ThemostfamousBuddhisteventinFebruaryistheNirvanaDay.ThisisknownasoneofthethreemajoreventsinBuddhisminJapanalongwithKanbutsu-e(Buddha’sBirthday,thebirthofShakyamuniBuddha)andJodo-e(BodhiDay,thedayBuddhabecameenlightened).NirvanaisaBuddhistmemorialserviceheldonthedaywhenSakyamuniBuddhapassedaway,whichissaidtobeFebruary15,buttheexactdateisnotknown.Accordingtothedictionary,“JodoshuDaijiten”themeaningoftheword“nirvana”isasfollows,Nirvanaisthestateinwhichallworldlydesireshavebeeneliminated,andasthe267thchorusoftheSuttaNipāta(aBuddhistscripture)states,“Toattainnirvanaistoattainunsurpassedhappiness.ThisisthegoalofaBuddhistpractitioner.Atsometemples,the“Nirvana”isexhibitedontheoccasionofNirvanaDay,providingvisitorswithanopportunitytobecomefamiliarwithvaluableBuddhistart.Forexample,KongobujiTempleinWakayamaPrefecturehasthe“OutokuNehan-zu”initscollection.ThewebsiteoftheKoyasanReihokanMuseumsays,“Itistheoldestexistingworkamongthemanynirvanapaintings.TheelegantandgracefulexpressionofthismasterpieceisworthyofbeingcalledamasterpieceofJapaneseBuddhistpaintings.MichelleYamamoto山本ミッシェールTVpresenterforNHKWORLDTV,TrilingualMC,universitylecturer.BornintheUS,raisedinEurope.アメリカ出身、ヨーロッパ育ちNHKWORLDTVのキャスター、リポーター、司会者、大学非常勤講師http//www.meridian-p.net2月の仏教行事といえば、涅槃会です。これは、灌仏会や成道会と並ぶ日本仏教の三大行事の一つとして知られています。涅槃会とは、お釈迦様の亡くなられた日に行われる法要のことです。2月15日とされていますが、正確なことはわかっていません。涅槃という言葉の意味について、『新纂浄土宗大辞典』には、涅槃は煩悩を滅し尽くした境地であり、『スッタニパータ』二六七偈に「涅槃を体得することが無上の幸福である」と説かれているように、仏道修行者の目指すべき到達点である。とあります。お寺によっては、涅槃会の際に特別公開される「涅槃図」をみることができ、貴重な仏教美術に親しむ機会にもなります。例えば、和歌山県の金剛峯寺には「応徳涅槃図」が所蔵されています。また、高野山霊宝館のホームページには、「多くの涅槃図の中で現存最古の作である。また、その優雅で気品あふれる表現は、日本仏画の最高傑作と呼ぶに相応しい名画である。」と説明されています。南蔵院の釈迦涅槃像。RyoeiNanjo南條了瑛ShinBuddhistminister,Ph.D（Letters）,universitylecturer.StudiedintheInstituteofBuddhistStudiesinBerkeley,US.浄土真宗僧侶、博士（文学）、大学非常勤講師。米国仏教大学院留学。英語で知ろう！初めての仏教22

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英語で知ろう！初めての仏教Today‘sTopicNirvanaDay（涅槃会）RyoeiTheBuddhisteventinFebruaryisthe“NirvanaDay”.ItisheldonFebruary15,whichisbelievedtobethedaywhenSakyamuniBuddhapassedawayattheageof80.2月の仏教行事といえば、「涅槃会」です。お釈迦様が80歳でお亡くなりになったとされる2月15日に営まれます。Iwasverysurprised!Helivedaverylonglifeconsideringthetimes!とっても驚きました！時代を考えるととても長生きされたのですね！MichelleRyoeiThestoryofBuddhaatthetimeofNirvana,ashelaydownbetween“twosaltrees”withhisheadtowardsthenorthandtherightsideofthebodytothegroundiswellknown.Thislegendisdepictedinthe“Nirvana”basedonthe“MahanirvanaSutra,”whichdescribestheBuddha’sspiritualjourneytonirvanaandhisteachings.涅槃の際、「沙羅双樹（二本のシャーラ樹）」の間に頭を北にし、右脇を地につけ臥せたお釈迦さまのお話は有名です。こうした伝承は、お釈迦さまが涅槃に入られるまでの道程や説法が記される『大般涅槃経』の典拠に基づき「涅槃図」として描かれています。IhaveseendrawingsofBuddhalyingdown,butIdidn’tknowthathewasgivinghislastteachingsuntilthelastmoment.Michelle寝ていらっしゃる姿が描かれているのを見たことがありますが、最後の説法をされている様子なのですね。身体が起こせなくなってもなお、ギリギリまで伝え続けていらしたのですね。23英語で知ろう！初めての仏教

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24多田修の落語寺目の不自由な定さだ次じ郎ろうは、目が見えるようになりたいと、石田の旦だん那なの勧めで清きよ水みずの観音さまに願がん掛かけをします。欠かさず通い続けて100日目、期待したのに見えるようになりません。すると定次郎は観音さまに暴言を吐はきます。それを聞いた石田の旦那は定次郎をたしなめ、明日からさらに100日通うように言い聞かせます。その帰り、定次郎は雷に打たれます。気がつくと、目が見えるようになっていました。「清水の観音さま」とは、上野の寛かん永えい寺じのお堂の一つ、清水観音堂のことです。京都の清きよ水みず寺でらに見立てて建立されました。清水寺と同様、ご本尊は観音菩薩です。演題の「景清」とは、源平の戦いでの平家の武将・藤ふじ原わらの景清のことです（平たいらの景清とも言われます）。謎が多い人物ですが、伝説では源氏の世となった後に自らの目をくりぬき、その目を清水寺に奉納したとされます。この伝説は浄じょう瑠る璃り「大だい仏ぶつ殿でん万ばん代だいの石いし楚ずえ」などの題材になっています。落語はそれを踏まえて、景清の目にちなんだお堂に参拝することになっています。お参りしたのに願いがかなわないと、悪態をつきたくなるでしょう。でも、そんなことをしても事態は良くなりません。私の経験で言うと、頭に血が上ると自分が損する道を選びやすくなります。それは、「今の私がするべきことは何か」に目を閉ざしているからです。「するべきこと」を見出したなら、より良い道に目が開かれたことになります。多田修の落語寺演題景かげ清きよ多田修（ただ・おさむ）1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。落語は仏教の説法から始まりました。だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。『景清』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚八代目桂かつら文ぶん楽らく師匠のCD「昭和の名人古典落語名演集八代目桂文楽⑴富久／景清／酢豆腐」（キングレコード）をご紹介します（今の文楽師匠は九代目です）。定次郎が観音さまに悪態をついた後、また通い続けることに同意するまでの心情の変化が、聞き所です。

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25仏教シネマ物語の舞台は近未来の地方町。そこはIT大企業である星間エレクトロニクスの城下町で、町全体がIT技術の社会実験場となっています。その町の高校に、シオンという転校生がやってきます。容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、天真爛漫な性格を持ちながら、周りの空気を全く読まないシオンは、転校初日、クラスの中にサトミを見つけると親しげに近寄って、「サトミ、今、しあわせ？しあわせじゃなかったら、私がしあわせにしてあげる！」と唐突に歌い出します。唖然とする級友たちの中で困惑するサトミ。実はシオンは、星間エレクトロニクスに勤めるサトミの母親が、社内の冷遇に抗って開発した、人型ロボットでした。その最終テストとして、5日間、ロボットであることを誰にも見破られず無事に高校生活を送ることが課せられていたのです。失敗すると社内の立場を失う母親のために、サトミはシオンの突飛な行動や発言を抑えようとするのですが、シオンはどこ吹く風。騒動を起こしながらもシオンの率直さは次第に、サトミや級友たちの生き方や関係をプラスの方向へ誘っていくのでした。しかしそんな日々が、突然奪われる事態が発生します。深い喪失感に陥ったサトミたちでしたが……。シオンはサトミに何回も問いかけていました。「今、しあわせ？」。しあわせって何だろうとサトミは考え、そして、思いあたります。その問いは今初めて問われたわけではないことに。ずーっと前から問われていた。ずーっと前から自分には、自分を案ずる思いと願いが向けられ続けていたのだと。そのサトミの気づきに、どうぞご自身を重ねてみてください。松本智量（まつもとちりょう）1960年、東京生まれ。龍谷大学文学部卒業。浄土真宗本願寺派延立寺前住職、本願寺派布教使。自死・自殺に向き合う僧侶の会事務局長。認定NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワーク理事長。松本智量の松本智量のようこそ、仏教シネマへようこそ、仏教シネマへWelcome,toaBuddhistmovie.「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な映画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。「アイの歌声を聴かせて」第95回吉浦康裕監督2021年日本作品

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26築地本願寺で働くヒトビト「顔が見えるお寺」をめざして。築地本願寺で働く人々をご紹介します！Qお坊さんになったきっかけは？お寺に生まれて、父や祖父の姿を見て自分も僧侶になるのだろうと漠然と思ったのがきっかけでした。自坊に戻るまでに経験を積むことを考えたときに、大きなお寺に勤めてみたいと思って宗務員を志しました。幼い時から築地本願寺（当時は築地別院）に来ることが多かったので、こうして奉職していることについて改めて考えてみると、不思議な気持ちと有難い気持ちで一杯です。Qお休みの日の過ごし方は？お酒を飲みながら阪神の応援をしています。去年も10回以上現地に観戦に行きました！舞台の観劇も好きなので、同じ作品でも可能であれば何度もリピートしていろんな角度から見て楽しんでいます。Qお坊さんになったきっかけは？住職の父が、今から約30年前に「都市開教」を志し、浄土真宗の少なかった埼玉県新座市にお寺を建立しました。「将来は好きな仕事に就いていい」と言われながらも、父が志した開教には興味がありました。龍谷大学卒業後、本山式務部へ憧れ、試験を受けましたが、私自身の課題である「開教」が根底にあり、都市開教に注力する築地本願寺に奉職するご縁をいただきました。Qお休みの日の過ごし方は？浅草演芸ホールで落語鑑賞をしています。上手いお師匠の噺を聞いていると、自分も少しだけ、話し方が上手くなった気がします。好きな落語家は柳家喬太郎師匠です。落語が分からない人でも好きになれる、そんな師匠です。吉よし田だ遙はる樹き龍たつ山やま崇たか道みち群馬県出身・重恩寺所属（群馬県桐生市）埼玉県出身・教念寺所属（埼玉県新座市）法要行事部法要担当法要行事部法要担当

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27TERAMACHITERAMACHITERAMACHIでは、これまで、浄土真宗本願寺派のお寺の情報を発信してきました。本誌でも掲載いたします。寺院名：寶ほう冠かん山ざん福ふく善ぜん寺じ住職：新田了英住所：山梨県南都留郡西桂町小沼1990電話：0555-25-3366寺院名：寶ほう松しょう山ざん大だい正しょう寺じ住職：遠山正真住所：山梨県富士吉田市浅間1-2-1電話：0555-22-1017―寺院情報――寺院情報―「TERAMACHI」は、右記QRコードよりご確認ください。山梨県富士吉田市の富士の裾野にある大正寺は、開基が室町時代に遡る古刹。遠山正真住職は前住職の代より続く、鳥取砂丘で農業の研究をしていた大叔父・遠山正瑛博士の遺志を受け継ぎ、地球温暖化対策として、中国内蒙古自治区の沙漠に木を植えるボランティア活動をしてきた。そのほか、門信徒による合唱団の結成、報恩講での雅楽演奏やゲストを招いてのコンサートも行う「音楽の寺」として存在感を高めている。また、趣味のアウトドアを活かして子どもたちに向けたボーイスカウト活動も行うなど、地元との交流も深めている。「多様化によって孤独を感じる人も増えている中、拠り所となるべきお寺の役割の大きさを感じています」と遠山住職は語る。1528（享禄元）年から18代にわたり、人々に親しまれてきた山梨県の福善寺。名峰・三ツ峠山を背景に築110年の風情を醸す本堂が佇む。そんな美しい境内で、新田了英住職が坊守と共に特に力を入れてきたのは、地域の子どもたちとの関わりをつくることだ。坊守は15年前から境内に学習塾を開講し、地域との交流を育み続けている。新田住職は、その想いについてこう語る。「私たちが大切にしてきたのは、歴史を受け継ぎつつも時代に合わせた文化をつくり、次の世代へと繋げていくことです」嬉しいのは、大人になった子供たちも会いに来てくれること。子どもたちにとって、このお寺がいつになっても集える、思い出の場所であることを誇りに思います。ボランティアや合唱団などを通じて「拠り所」を作るお寺を「思い出の場所」に大正寺遠山正真住職福善寺新田了英住職

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ご法事、ご宴会、会食に日本料理「紫水」をご利用ください。ご人数様に合わせて個室もご用意いたします。スマートフォンでポイントがたまる（ポイントで割引になる）便利なアプリをご利用ください。詳しくは第1伝道会館フロントで承ります。広告28

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築地本願寺報恩講懇志進納御礼築地本願寺報恩講に際して、ご懇志をご進納いただきありがとうございました。築地本願寺親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年慶讃法要記念出版親鸞聖人の一生800年の昔、人々とともにお念仏のみ教えに生き、今も私たちを導きつづける浄土真宗の宗祖・親鸞聖人。その出会いと別れ、苦悩、葛藤、そしてよろこびに彩られた90年のご生涯をしのぶ一冊、『親鸞聖人の一生』が築地本願寺より発行されました。（敬称略）潮見寺著者：今井雅晴（筑波大学名誉教授・東国真宗研究所所長）発行：築地本願寺制作販売：合同会社自照社価格：2,200円（税込み）自照社発売日：2023年9月1日オンラインショップ広告32

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33広告親鸞聖人御誕生８５０年・立教開宗８００年慶讃法要協賛行事神かんだしょうりかんだしょうり田松田松鯉・桂かつらそらじかつらそらじ空治空治談だんしょうきょうえんだんしょうきょうえん笑響宴笑響宴●座席／全席自由●チケット料金／１,000円※恐れ入りますが、未就学児の入場はご遠慮ください。●チケット申込／チケットぴあイープラス●お問い合わせ／浄土真宗本願寺派東京教区教務所TEL03-3541-1666（平日9時~17時）人間国宝と新二ツ目講談・落語夢幻の二重奏２０２４（令和６）年5月3日（金・祝）18時開演（17時30分開場）築地本願寺本堂東京都中央区築地３-15-1（日比谷線築地駅出口１直結）

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2024(令和6)年度築地本願寺帰敬式年間スケジュール◇2024(令和6)年①4月26日(金)～29日(月)親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要②5月21日(火)築地本願寺宗祖降誕会③6月16日(日)親鸞聖人月忌日中法要御命日法話に引き続き10時30分頃～④7月15日(月)親鸞聖人月忌逮夜法要に引き続き14時40分頃～⑤8月16日(金)親鸞聖人月忌日中法要御命日法話に引き続き10時30分頃～⑥9月16日(月)親鸞聖人月忌日中法要御命日法話に引き続き10時30分頃～⑦10月5日(土)鏡如上人御祥月逮夜法要に引き続き14時40分頃～⑧11月11日(月)～16日(土)報恩講法要⑨12月15日(日)親鸞聖人月忌逮夜法要に引き続き14時40分頃～◇2025(令和7)年⑩1月19日(日)第52回築地本願寺20歳の集い（※20歳の集い対象者のみ受式可能）⑪2月16日(日)親鸞聖人月忌日中法要御命日法話に引き続き10時30分頃～⑫3月16日(日)親鸞聖人月忌日中法要御命日法話に引き続き10時30分頃～◆お問合せ先コンタクトセンター：0120-792-048お知らせ34

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はなまつり稚児行列募集について昨年4月の「はなまつり」は150名近くの子どもたちに稚児行列に参加いただき、築地本願寺の境内は、可愛い子どもたちの笑顔で賑わいました。来年度の「はなまつり」も昨年に引き続き境内にてイベントを実施し、稚児行列を行う予定です。詳細は築地本願寺HPをご確認ください。（随時更新いたします）皆さまのお申込みをお待ちしております。【日時】2024（令和6）年4月７日(日)10：00～16：00【日程】10：00はなまつり開始11：00～稚児行列開始※事前申込制11：30～灌仏会（はなまつりの法要）16：00はなまつり終了※期間中境内にてイベントを行っております！【会場】築地本願寺（境内及び本堂、近隣の公道）【申込方法】築地本願寺公式HPより※2024(令和6)年3月1日(金)10：00より申込開始詳細につきましては、築地本願寺HPにて随時お知らせいたします。築地本願寺からの待ってるよ！「はなまつり」とは？お釈迦様（おしゃかさま）のお誕生日をお祝いすることです。お釈迦様のご誕生をみんなでお祝いしましょう!!35お知らせ

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お西さん（西本願寺）WEBサイトいつでもどこでもご本尊と一緒に「いつでもどこでも阿弥陀さまとともにある生活を送りたい」そんなご要望にお応えして、このたび新たに「携行本尊」をご用意しました。お求めの方は、築地本願寺2階本堂受付へお越しください。名刺とほぼ同サイズです縦90mm×横55mm×厚さ2mm冥加金1万円表南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつ「われにまかせよそのまま救すくう」の弥み陀だのよび声ごえ私わたしの煩ぼん悩のうと仏ほとけのさとりは本ほん来らい一ひとつゆえ「そのまま救すくう」が弥み陀だのよび声ごえありがとうといただいてこの愚み身をまかすこのままで救すくい取とられる自じ然ねんの浄じょう土ど仏ぶっ恩とん報ほう謝しゃのお念ねん仏ぶつこれもひとえに宗しゅう祖そ親しん鸞らん聖しょう人にんと法ほう灯とうを伝でん承しょうされた歴れき代だい宗しゅう主しゅの尊とうといお導みちびきによるものです新しい「領りょう解げ文もん」（浄土真宗のみ教え）み教おしえを依よりどころに生いきる者ものとなり少すこしずつ執とらわれの心こころを離はなれます生いかされていることに感かん謝しゃしてむさぼりいかりに流ながされず穏おだやかな顔かおと優やさしい言こと葉ば喜よころびも悲かなしみも分わかち合あい日ひ々びに精せい一いっ杯ぱいつとめます36

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37お知らせ築地本願寺布教所・専従員一覧あなたのそばの築地本願寺。ご葬儀・ご法要承ります。詳しくはこちらから埼玉県東京都神奈川県千葉県三郷布教所聞もん信しん寺じいるま布教所超ちょう法ほう寺じ町田布教所高こう源げん寺じ王子布教所横浜保土ケ谷布教所住じゅう蓮れん寺じ川崎多摩布教所慶きょう念ねん寺じ海老名布教所自じ然ねん寺じ市原辰巳台布教所至し安あん寺じ大おお久く保ぼ悟さとる末すえ田だ雅まさ裕ひろ鳴なる海み昭しょう純じゅん大おお江え和かず正まさ猪いの口くち大だい悟ご小こ林ばやし賢けん五ご村むら上かみ弘こう樹じゅ川かわ上かみ真しん隆りゅう〒341-0044三郷市戸ケ崎3-522-3〒358-0002入間市東町5-8-28〒195-0063町田市野津田町2534-20〒114-0002北区王子2-15-8MYSビル2階〒240-0044横浜市保土ケ谷区仏向町44-1〒214-0012川崎市多摩区中野島4-24-2-5〒243-0406海老名市国分北3-23-67〒290-0004市原市辰巳台西1-1-3☎048-951-1400☎04-2907-8813☎042-737-3236☎03-5944-6613☎045-335-5680☎044-819-5482☎046-205-4252☎0436-37-2353「築地本願寺新報」協賛社※協賛社募集中（年間6万円）株式会社若林佛具製作所築地店☎03-3546-8228〒104-0045東京都中央区築地3-15-1築地本願寺第二伝道会館内株式会社川勝法衣店☎075-371-0367〒600-8344京都市下京区花屋町通油小路東入日本料理紫水☎03-3544-0551〒104-0045東京都中央区築地3-15-1築地本願寺第一伝道会館内松井建設株式会社☎03-3553-1151〒104-8281東京都中央区新川1-17-22株式会社弘電社☎03-3542-3660〒104-0061東京都中央区銀座5-11-10株式会社龍保険事務所☎03-3567-8591〒104-0061東京都中央区銀座2-2-17浜屋株式会社☎079-288-2211〒670-0961兵庫県姫路市南畝町2-31株式会社和光舎☎075-612-7988〒612-8081京都市伏見区新町3-487株式会社松栄堂☎075-212-5590〒604-0857京都市中京区烏丸通二条上ル東側本願寺出版社☎075-371-4171〒600-8501京都市下京区堀川通花屋町下ル浄土真宗本願寺派宗務所首都圏都市開教専従員・OB会☎043-276-5552〒261-0026千葉市美浜区幕張西5-1-1無量寺内株式会社プラニ☎0120-37-0243〒600-8109京都市下京区五条通西洞院西入平屋町420-3F株式会社カナメ☎028-660-3831〒321-0905栃木県宇都宮市平出工業団地38-52株式会社三井住友銀行☎03-3541-5532〒104-0061東京都中央区銀座6-10-1GINZASIX7F東京恵日会☎090-1550-2714〒340-0044埼玉県草加市花栗1-32-35株式会社浅野製版所☎03-3541-3618〒104-0045東京都中央区築地3-11-2

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築地本願寺提供のラジオ放「築地本願寺YouTube」で検索！仏さまの教え【YouTubeでも配信中】仏教の話（ご法話）を聞きましょう基本的な配信時間●金・土・日の10時30分〜11時40分●木・金・土・日の13時〜13時40分●木・金の19時〜19時40分※詳しくはＨＰをご確認ください2月1（木）～4日（日）2月8日（木）～12日（月・祝）2月15日（木）～18日（日）2月22日（木）～25（日）2月29日（木）～3月3日（日）長原真一師［長野県・善立寺］山本茂樹師［京都府・願生寺］福田了潤師［山口県・専福寺］園淵和貴師［大阪府・西法寺］白川憲仁師［東京都・正法寺］「真実を仰いで生きる」道を、ご一緒に聞かせて頂きましょう。「阿弥陀さまのお慈悲のぬくもり」についてお話いたします。ほとけさまのみ教えについて、お話しします。南無阿弥陀仏がご一緒であることを、ご一緒したいと思います。「私のため」のお話はうれしいですね。※スケジュールや内容が変更、または中止になる可能性もございます。最新情報は築地本願寺ウェブサイトにてご確認ください。あなたのそばに歎異抄「徳光和夫とくモリ！歌謡サタデー」内コーナー「徳さんとお坊さん」2023年に親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年を迎えるにあたり、『歎異抄』を多くの方に分かりやすくご紹介する番組です。コロナ禍で社会に不安が広がる中、『歎異抄』を通じて、前向きになれる言葉や教えをリスナーに届けます。番組MC：長野智子間：毎週土曜日朝6時～6時5分送時毎週土曜日放送中「徳光和夫とくモリ！歌謡サタデー」内コーナー「徳さんとお坊さん」毎回、築地本願寺をはじめとする僧侶が登場し、徳光さんと共にリスナーの相談や様々な疑問にお答えします。2月・3月は、築地本願寺伝道企画部コンタクトセンター担当主任の戸見嶋淳昭さんが出演しています。放送局：文化放送＜ＡＭ放送：1134kHz・ＦＭ放送：91.6MHz＞時間：毎週土曜日朝5時50分～58分放送局：ニッポン放送＜ＡＭ放送：1242kHz・ＦＭ放送：93.0MHz＞仏さまの教え38

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結婚式PLAZA初参式団体参拝2023/11/18小倉畑昂祐さん瀧澤花織さん2023/12/24筆野光太郎さん藩美香さん2024/1/14松山いろはちゃん2023/12/21北陸高等学校男子バスケットボール部さま※1月号において誤植がございました。謹んでお詫び申しあげますと共に訂正して再掲載させていただきます。めぐみの参拝奉告参拝2023/11/26秋田谷光ちゃん2023/12/23片岡瑛心ちゃん2024/1/5会館開発株式会社新年奉告参拝39プラザ

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40スケジュール晨朝勤行／日没勤行晨朝勤行／日没勤行和東佃あ03-3323-0321杉並区永福1-8-1042-474-6787東久留米市柳窪5-8-30042-532-3153あきる野市菅生657-103-3536-7800中央区月島1-2-9築地本願寺佃ビル2階7:00／16:007:00／16:007:00／16:00なし／16:00和田堀分院東久留米分院あきる野分院佃島分院※スケジュールや内容が変更、または中止になる可能性もございます。最新情報は築地本願寺ウェブサイトにてご確認ください。24土慈土曜法座（17時～）講師：園淵和貴師築英語法座（17時30分～）講師：能美良也師［広島県・圓立寺］講題：妙好人の世界場所：講堂23金築パイプオルガンランチタイムコンサート（12時10分～）出演：大西貴浩氏（声楽）板垣敬子氏（オルガン）覚如上人御祥月日中法要（9時30分～）22木築覚如上人御祥月逮夜法（1要4時～）16金佃親鸞聖人御命日法要（14時～）講師：佃島分院職員慈親鸞聖人御命日法要（13時～）講師：岡崎信暁師［東京都・善照寺］あ講座（体験）（14時～）講師：渡辺佳子氏親鸞聖人御命日法（1要3時～）築地本願寺スカウトボーイスカウト東京中央第10団ガールスカウト東京都第155団対象：年長～高校生集会日：日曜日（月に1～2回）会場：築地本願寺他☆リーダー同時募集中東京ビハーラがん患者・家族語らいの会・オンライン講演会日時：2月10日（土）14：00〜16：30会場：築地本願寺内東京ビハーラ主催講師：中島聡美氏［武蔵野大学人間科学部教授］講題：「大切な人を喪ったあとに―悲嘆とそのケアについて―」申し込み先：東京ビハーラ事務局担当太田うららurara.ota@gmail.com参加締切日：2月8日（木）問い合わせ：東京ビハーラ平日14：00～17：00TEL／FAX:03-5565-3418［問い合わせ］03-5565-3418

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41スケジュール晨朝勤行／日没勤行築慈0120-792-048中央区築地3-15-103-3622-3011墨田区横網1-7-27:00／16:007:00／16:00築地本願寺慈光院2月schedule行事イベント予定-February-16金和親鸞聖人御命日日中法（9時3要0分～）講師：和田堀分院職員築引き続き帰敬式親鸞聖人御命日日中法要（9時30分～）15木和親鸞聖人御命日逮夜法要（14時～）講師：伊東英明師［神奈川県・法德寺］築涅槃会布教大会（14時30分～16時30分）場所：講堂親鸞聖人御命日逮夜法要（14時～）11日東常例法座（13時～）講師：南條了瑛師［東京都・法重寺］7水和如月忌（13時～）講師：藤井智子師［福岡県・西光寺］5月築テンプルモーニング（晨朝終了後～）2金築如信上人御祥月日中法（9時3要0分～）1木和永代経法要（14時～）講師：小林賢五師［神奈川県・慶念寺］［問い合わせ］教化育成部03-3541-1131築地本願寺の各種団体2月の行事築地本願寺仏教婦人会私たちは念仏生活に勤しみ、友の輪を広げております。例会：5日（月）13：30～15：30築地本願寺仏教壮年会主に浄土真宗の教えを聴く会です。どなたでもお入りいただけます。築地本願寺合唱団楽友会仏教讃歌を一緒に歌いましょう。昼の練習：２日、16日（金）13：00〜15:00夜の練習：9日、23日（金）19：00〜21:00年会費：5,000円年会費：5,000円月会費：2,500円

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42スケジュール・編集後記編集後記元日に発生した令和6年能登半島地震でお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表しますとともに、被災されたすべての方々にお見舞い申しあげます。一日も早い復興再建を願っています。能登半島など被災地域は、浄土真宗の寺院が多くあり、本願寺派だけでも450カ寺を超える寺院が被災し、ご門徒も多く被災されています。宗派でも支援復興の活動を始めています。築地本願寺では1月2日より義援金を募り、8日には、宗派が本願寺金沢別院に設置した「支援センター」に駐在職員を派遣。支援物資の送付などを行っております。どうぞ皆様には復興支援にご協力いただきたくよろしくお願いいたします。詳しくは宗派WEBをご覧ください。（編集長・東森）元日の夕刻、能登半島沖を震源とするマグニチュード7・6の大震災が能登地方に多くの被害をもたらした。先輩のお寺も津波により被災したと伺った。一時は道路も寸断され、生活インフラの復旧も難航している。先日、私の最寄駅で、保育園の園児が小さな手作りの箱を首から下げ、先生と一緒に震災の募金を呼びかけていた。多くの人々が立ち止まり募金をしていた。後日、市議会議員の方から、社会福祉協3月-Marchnextmonth30土築英語法座（17時30分～）講師：熊原佳奈師［埼玉県・正善寺］講題：仏縁の尊さ場所：講堂29金築パイプオルガンランチタイムコンサート（12時10分～）出演：英貴子氏（オルガン）23土築春季彼岸会・総永代経法要（14時～）21木慈春季彼岸会（10時～）講師：山本英哲師［神奈川県・妙延寺］20水東春季彼岸会（13時～）講師：山本英哲師［神奈川県・妙延寺］あ公開講座（13時～）講師：疋田忠氏講題：生前整理について彼岸会・総永代経法要（10時30分～）講師：川茂唯順師［山梨県・浄泉寺］慈春季彼岸会（10時～・13時～）17日築和あ春季彼岸会（～23日）16土佃親鸞聖人御命日法要（14時～）講師：佃島分院職員慈親鸞聖人御命日法要（13時～）あ親鸞聖人御命日法要（13時～）和親鸞聖人御命日日中法要（9時30分～）講師：和田堀分院職員築親鸞聖人御命日日中法要（9時30分～）引き続き帰敬式15金和親鸞聖人御命日逮夜法要（14時～）講師：南荘摂師［静岡県・教覚寺］築親鸞聖人御命日逮夜法要（14時～）14木ああきる野講座（14時～）築おみがき13水和おみがき11月築東日本大震災追悼法要（14時46分～）10日慈戦災記念追悼法要（13時～）講師：照本さおり師［神奈川県・専福寺］5火築実如上人御祥月日中法要（9時30分～）4月築テンプルモーニング（晨朝終了後～）1金和永代経法要（14時～）講師：増田廣樹師［茨城県・清心寺］

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43編集後記築地本願寺は、京都の本願寺（西本願寺）を本山とする浄土真宗本願寺派の寺院です。1617年に江戸の浅草近くで創建されたのが始まりです。しかし1657年に「明暦の大火」とよばれる大火事で本堂が焼失します。その後、江戸幕府から再建の地として与えられた海上を埋め立てて、土地を築いたところに本堂を建立。それが「築地」という名称の由来になりました。東京帝国大学（現・東京大学）名誉教授で建築史家の伊東忠太博士が設計した本堂は、日本の仏教寺院には珍しいオリエンタルなインド等アジアの古代仏教様式を使用しているのが特徴です。日比谷線・築地駅に直結、大江戸線・築地市場駅から徒歩5分です。銀座へも徒歩で行ける場所にありますので、いつでもお参りにお越しください。※新型コロナウイルス感染症拡大予防対策により参拝状況を変更する可能性があります。ご参拝の際は事前に築地本願寺ウェブサイトなどをご確認の上、お越しください。浄土真宗本願寺派築地本願寺〒104-8435東京都中央区築地3-15-1問い合わせ：築地本願寺コンタクトセンター0120-792-048本堂参拝時間6：00〜16：00※日没勤行終了後、閉門。築地本願寺とは？議会の呼びかけで募金活動が市内で行われていたことを聞いた。本願寺も金沢別院に「能登半島地震支援センター」を設置し、救援活動をおこなっている。支援物資の受け付けもおこなっているので、できる支援を行っていきたい。支援物資の受け付け・活動状況は、左のQRコードより支援センターのX（旧ツイッター／@hongwanji247）をご覧ください。（酒井）能登島のお寺では、本堂などの建物被害はかなり大きかったが、高台にあることから地震発生後、住民が避難してきた。被害の小さかった建物で寝泊まりし、2週間後にその役目を終えた。昼間は自宅に戻れても、夜は心細さや自宅の安全性の不安から、お寺で泊まる人も多かったそうだ。地元住民はみな、そのお寺の門徒だが、自宅家屋はかなりの被害を受け、全壊に近い家屋もある。朝、地区の集会所で会議を開き、役割やその日の情報整理、作業内容などを確認する毎日を過ごしているという。「昔から地域コミュニティの一翼を担ってきたお寺本来の役割を果たせてよかった。ご門徒の方々と力を合わせたおかげで、在所内で犠牲者を出さずに済み、今はホッとしている」と住職は語っていた。（宮本）浄土真宗本願寺派築地本願寺へのアクセス［東京メトロ］日比谷線築地駅出口１直結●有楽町線新富町出口４徒歩約５分［都営地下鉄］●浅草線東銀座駅出口５徒歩約５分●大江戸線築地市場駅出口Ａ１徒歩５分本堂京橋築地小学校銀座出口築地本願寺第二伝道会館第一伝道会館至晴海至銀座首都高速道路銀座入口浅草線「東銀座」駅出口5国立がんセンター日比谷線「築地」駅出口1新大橋通り晴海通り大江戸線「築地市場」駅出口Ａ１★5ページ掲載ふぐ料亭wanofu有楽町線「新富町」駅出口４築地本願寺では、2024（令和6）年4月26日（金）〜4月29日（月）の4日間築地本願寺親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要を修行いたします。

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2024（令和6）年2月1日発行第915号1947（昭和22）年6月18日創刊毎月1日発行発行：浄土真宗本願寺派（西本願寺）築地本願寺・築地本願寺新報社〒104-8435東京都中央区築地3-15-1築地本願寺は、京都の西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派の直轄寺院です。

