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HATARAKUKAGUVol.24ADALCO.,LTD.—PublicRelationsMagazine

LookintoNature〈Sakyu〉

思出の黒いたち、株式会社アダルは「はたらく家具」̶商業空間などで使われる業務用家具の企画から販売までを一貫して行う会社です。業務用家具って?と思われるかもしれませんが、簡単に言えば、誰に使ってもらうかが違います。いわゆるご家庭でお使いいただく家具たちは購入した人やその周りの人たちが使うものですが、業務用家具は、その場に訪れるさまざまな人々が使うもの。本誌で注目するのは、業務用家具だからこその「快適と愛着」。子私当たり前にそこにある家具が、皆さんの快適を支え、知らず知らずのうちに、景色に溶けているように。高い耐久性と機能性を持ち、私たちの快適を今日も物静かに支えてくれています。あなたが浮かべる思い出の背景に、たぶん、私たちの家具があります。見えないところで主役を支える黒子(くろこ)のように、ときにチャーミングな黒子(ほくろ)のように、私たちのつくる家具が、誰かの思い出の黒子になっていますように。株式会社アダル福岡県福岡市博多区金の隈3丁目13番2号1953年創業。営業用イス・テーブル・什器などの製造卸販売、その他、インテリア資材販売及び設計・施工を事業として行う。

01宮崎県の離島、大島に開業するラグジュアリーヴィラ「HINATA大島」。最高級の余白を堪能できる宿泊体験を支えるのは、アダルの家具たちです。今回は、HINATA大島の責任者である、株式会社レジャークリエイトホールディングス社長の河野さんと、アダル担当プランナーの末冨よおっ客適て様は違に、さんに、「私たちが考える快適」について話を伺いました。アダルの快適研究所、スタートです!株式会社アダルクリエイティブ事業部プランニング室末冨秀果うADALHINATA大島は、どのくらい前から始まったプロジェクトなんでしょう?河野末冨スタートは3年前ですね。平地の、背の高い雑草が生い茂っているところから始まりました。今の景色からは考えられないくらい、ザ・無人島!って感じで。私たちアダルが関わったのは、半年ほど前からです。設計の猪股さんのご紹介で、昨年の10月に初めて現地を訪れました。2快

いきなりですが、アダルにお願いすることになった決め手は何なんでしょう?というのも、色んな会社さんがある中で、どういう判断でどういう要素が決め手になったのかは、決める側も決められる側も、特徴や性格が出るのかなと。河野末冨河野末冨元々、コンペ形式にさせていただいたんです。私たちとしても社運を懸けた大きなプロジェクトで、失敗も後悔もしたくないという思いはありましたから。決め手になったのは、「私たちの思いや考えを、最も汲み取ってくれそうだな」と感じたところですね。コンペに参加いただいた会社さんは、もちろん皆さん、良い提案をしてくださったんです。良い提案が並ぶ中で、アダルさんに感じた「汲み取ってくれそうだな」という姿勢や経験が、私たちの中で大きかった。嬉しいです。何度も船に乗って、現地に足を運んだ甲斐があります(笑)最初のプレゼンで、そこを強く感じたんですよね。もちろん、打ち合わせを重ねるにつれて、最初の方向性から変わったところもあります。宮崎にない宿を作りたい、洗練されたイメージも欲しければ、ラグジュアリーさも担保したい。でも、パースはあると言えど、まだ内外装も出来上がっていない中で、ちゃんと言葉にして伝えるのって難しい。そんな私たちの悩みや迷い、まだ言葉にできていないことを汲み取ってくれそうだなと思ったのが大きいです。私たちアダルの理念は「快適な生活空間のアドバイザー」なんです。ただ、「快適」という言葉はかなり抽象度が高いし、細かなテクニックはあっても明確な方程式があるわけじゃない。何より「お客様の考える快適」は、お客様によって違うし、変化するもの。だからこそ、汲み取ろうとする姿勢は社風として根付いているものだと思います。株式会社レジャークリエイトホールディングス社長河野紗霧日本初のコンクリート製灯台を有し、亜熱帯植物が自生するほどの大自然が魅力の大島。3

付棟バーカウンタ絶景と共にお客様を出迎える受付棟受付棟ライブラリー受じゃあ、今回はHINATA大島がどのような快適をイメージしていて、それをどう具現化したのかがポイントになってくるわけですね。河野全体としては「余白」がコンセプトですね。余白に浸ることで、心と時間に余裕を取り戻してもらえるような体験を意識しています。専用ヘリコプターで島に降り立つような非日常体験や乗馬などのコンテンツ、宿泊棟に備え付けたサウナ、静寂に満ちた広大なロケーション。他にも、日本では珍しい蝶や自然が生息していたり、ここでしか味わえない時間と体験をどう作るかが鍵でした。末冨家具のイメージも、最初は「和モダン」というざっくりとした指定でしたが、打ち合わせを重ねるにつれて変わっていきましたよね。河野そうですね。「景に寄り添う」という、家具選定におけるコンセプトを出していただいたのが大きかった。それまではトーンやイメージでしか比較できませんでしたが、コンセプトという旗が出来たおかげで、私たちも大切にしたい考えがーより深まって。末冨河野社長がおっしゃるように、ここでしか流れない時間や体験を重視したいと考えたときに、家具が主張しすぎない、自然の景観を崩さないことが、快適をつくるポイントだと感じたんです。形状や素材が空間を邪魔しない、でもきちんと調和がとれて、見劣りしないハイエンドなもの。家具の機能だけでなく、「情緒的価値」をいかに空間にマッチさせるか。そういった提案ができたのも、河野社長がアダルを受け入れて信頼してくださったのが大きいですね。コミュニケーションの中で、もうちょっと好き勝手にというか、踏み込んで提案してみようと思えましたから。4

HINATA大島のプロジェクト過程が発信されているYoutubeでも、社長がすごくフランクに、でも悩みや思いをきちんと伝えながら打ち合わせをされている様子が、とても印象的でした。お客様の快適を考える上で、私たちが窮屈に打ち合わせしたら本末転倒ですし。きちんと抑えるところは抑えて、でも信頼して悩みや迷い、要望をお伝えする。会社でもそうですし、社員や私たちがのびのびと力を発揮できた方が、必ずいいものができると信じています。河野快適は、快適なコミュニケーションから生まれる海を眺めながら食事ができるレストラン個室でも食事と景色を楽しめる

河野アダルさんで良かったなと思ったのは、コンセプトも含めて、家具を通して「物語」を描いてくれたこと。ただ単に「こっちの素材の方が合います」とかじゃなくって、「受付棟には伝統工芸品や木のオブジェがあるから、い草を使った製品や陶器などを合わせると、素材やテクスチャを通して物語が生まれます」という提案をしてくださったんです。くそれ描語」を物「して通を6家具末冨棟あるんですが、同じ家具でもどうにか違いを出せないかと考えて。そこで、棟ごとの立地の方角に着目しました。「二十四方」と呼ばれる、360度分割した方位に、日本の「二十四節気」という暦を対応させたんです。「小寒」「立春」など、棟の立地ごとに設定された二十四節気のイメージに合わせて、ソファの張り地の色などを変えて。家具が同じでも、棟ごとの個性を表現することができました。、いま耳で聞いているだけでも面白いアイデアですね。末冨素材の組み合わせとテクスチャの相性は、かなり考えましたね。棟ごとに塗り壁の色も違っているので、その棟でしか出来ない体験もしていただけると思います。ソファの座高も少し低いものを採用していて、従来のものより目線が低くなることで、茶室のような日本らしさも演出できるし、圧迫感も少なくなったり。河野そうした「物語」って、こちらも納得できるし、憶えやすいんです。憶えやすいと、お客様にも説明しやすいし、感動してもらえるこだわりになります。物語ーーナラティブを作っていただいたのが、本当に素晴らしかった。宿泊棟のソファは特注で製作してもらって、試作で座り心地も確認させてもらえたり。末冨わざわざショールームまで足を運んでくださって、工場も見学してくださり。レジャークリエイトさんのそこまでこだわる姿勢に引っ張られて、私たちも火が付きましたね。河野現地に何度も足を運んで、色合わせや向きなども確認してね。本当に、物語だらけなんです、この場所は。2015年に最後の住民が離れ、無人島になったこと。それなのに週に一度、島に通って、重要文化財である灯台の点検や植樹といった環境を整備してくださっている人がいること。地主さんとの縁や、私たちを受け入れてくださったこと。設計の猪股さんやアダルさん、工事関係者の皆さんもそうです。そんな文脈と物語を、私たちが引き継いで、新たな物語をここから作っていければと思います。末冨家具も納品して終わりじゃなく、お客様に使っていただいてからが始まり、みたいなところもあるので。これからここで始まる物語を、私たちの家具が時間と共に愛されるものになってくれたら嬉しいです。

PROJECTPOINTThe24SolarTerms&Directions二十四節気と方角風水にも適用される「二十四方」に、日本の暦「二十四節気」を対応させたアイデア。暦に合わせたカラーリングを適応させ、同じ造りと家具でも個性を表現。宿泊棟A-2「霜降」宿泊棟B-5「小寒」Maintenanceソファ生地のメンテナンスProposalA3長辺綴じの提案書Material素材の組み合わせ一部のソファの張地には、アクアクリーン加工を施したものを採用。水で拭くだけで汚れが取れ、メンテナンスも快適に。両面印刷・中綴じ仕様にすることで、見開きで情報をダイナミックに伝え、全体像を描きやすくする工夫が。木目の美しいテーブルと「い草」を使ったソファの組合せなど、素材・テクスチャと景観との調和が快適な空間を実現。担当:野口晃裕(本社営業部)、末冨秀果(クリエイティブ事業部)納入製品:葉月・和佳・ジオグリフ・ミコチェア・特注ソファ他設計:有限会社猪股浩介建築設計HINATA大島〒889-3204宮崎県日南市南郷町中村乙8004-3

MANSHIPRAFTS8

36401222026年2月25日、午前9時12分。この日、みずほPayPayドーム福岡に、アダルが設計・デザイン・製作を手掛けた〈三陽アジフライBOX〉合計36席が降り立った。ライトフェンスにある搬入口から入場し、今シーズンより新調された人工芝で彩られたグラウンドを横切り、一塁側からスタンドへ。アジフライはコンコース03通路から30通路まで泳ぎ、右中間・左中間それぞれにあるボックス席へ運ばれる。70キロ超の巨大モニュメントを運ぶ人数は、奇しくもグラウンドを守る選手の数と同じ「9人」。独特の緊張感に包まれながら、細かく声をかけ合い、慎重に丁寧に運ばれていく。2026年度の定員、40122席分の36席。新たな球場名物となる〈三陽アジフライBOX〉の軌跡をご紹介します。写真:勝村祐紀担当:大庭育朗・中村優斗(本社営業部)、宅万未夏・吉川優斗(クリエイティブ事業部)9

10遠目からでもインパクト抜群!縦3.29m横1.98m重さ70kgを超える巨大モニュメントを運ぶスターティングメンバーたち球場に新たに導入された観戦空間、全36席のボックス席・巨大モニュメント・サインなどを全て特注製作。隣接する〈やまやめんたいこBOX〉(2019年納品)に続き、みずほPayPayドーム福岡のボックス席製作は7年ぶり二度目となる。この日行われたのは、巨大モニュメントの搬入・設置作業。モニュメントは看板に合わせて、「39度」という計算された角度で取り付ける。模造紙で作った下書きを頼りに、引っ掛ける金具の設置場所をミリ単位で調整し、狭い通路内で9人が意思疎通を図り、取り付けていく。「後ろ、気をつけて!」「お尻上げすぎ!もう少し下!」など、真剣な目つきで確認する職人たち。3mを超えるモニュメントの巨大さとは対照的に、大きければ大きいほど確認やチェックは細かく、小さなズレやミスも許されない。広いドームの一角で、静かな集中力が立ち上らせる緊張感が球場を包んでいく。

11アダルが誇るクラフトマンシップを語るには、デジタル面での活躍も欠かせない。実物を徹底的に観察し、衣のサクサク感と揚げ色のムラ、身のふっくらとした厚みなど、ディティールを細かくグラフィックに落とし込む。リアルさを追求する一方で、ドームという広い空間の中でどう見えるのか?という俯瞰的な視点も必要だ。実寸シミュレーションを幾度も重ね、視認性を検証。インパクトと機能性の両立に、様々な分野のプロフェッショナルが心血を注ぎ込む。〈三陽アジフライBOX〉は、左中間・右中間スタンドそれぞれに新設。アジフライ(ソース・タルタル)を模したベンチやテーブル、魚体をあえてリアルに再現したソファなど、難しいモチーフながらもバリエーション豊かな造作家具を展開する。チームスポーツの象徴である野球と同じく、球団関係者はもちろん、営業担当やデザイナー、職人たちそれぞれの一球入魂を懸命に繋いできた結果が、「36/40122」として表れている。

その言葉の一端を担うのは、最大級の規模を誇る製造工場。材料の選定から完成まで一貫した生産体制を整え、熟練の技術を持つ職人たちにより、自社オリジナルの既製品および造作家具、修理や張り替えなどのメンテナンスも行っている。今回は、左中間スタンドに納品された〈アジソファ〉の製作工程に密着した。アジソファのテーマは、リアルを追求したものづくり。魚体独特の膨らみや形状をウレタン等で表現し、グラフィックはとことん現物に近づけ、あえて気持ち悪いほどリアルに作っている。また、例えば「黄色」とひとくちに言っても何十もの種類があるのはもちろん、シートやレザーといった素材、塗装方法によって同じ色味でも「乗り」が違うため、細かなトーンを揃える試行錯誤も欠かせない。工場で行われる工程のみならず、デジタル面での技術も駆使した、アダルのクラフトマンシップが伺える特注製作だ。12「家具のことはアダルに頼めば大丈夫」Factory

機械切り手切り1アジソファができるまで2張地カットリアルなアジを再現した張地は、本体は裁断機で、形状が細かいヒレ部分は職人の手によってカットされる。それぞれの手と使い方に合わせてカスタマイズされた鋏が、プロフェッショナルを象徴している。3縫製裁断した張地を縫い合わせる縫製作業では、余った生地を活用してマチと縫い代をつくる。本来、縫い代は10ミリのところ、特殊な仕様のため今回はわずか3ミリ。椅子に座り、ミシンと向き合う孤独な作業の内情は、1ミリのズレも許されない世界。4上張り下張りを施した型に、縫製を終えた張地をステープルで留めて張り付ける。シワができないようにこれでもかと張地を伸ばし、寸分の狂いなく柄の位置を調整しながら留めていく。少しずつ魚体が浮かび上がり、本物のアジを扱っているかのような手捌きは、魚市場のようにも見える。本物のアジの10倍以上の大きさ下張りクッションとなるウレタンに接着剤を塗布し、木型に張り付けていく。絶妙に計算されたサイズ違いのウレタンを重ね合わせることで、魚体独特の膨らみを再現。張り付けたウレタンを器用な手捌きで整える様は、まるで魚を捌く板前のよう。上から、張地、ウレタン、木型の順で構成されるアジソファ。それぞれのパーツが意匠と機能の双方において大切な役割を果たす。13

あわいeScenery写真:山口亜希子担当:中村聖也(東日本ブロック営業部)、末冨秀果(クリエイティブ事業部)納入製品:Sakyu・Rakusui・伊予・カリラ他撮影協力:成田国際空港株式会社

風景のBetweenth成田国際空港第1ターミナル5FSHIKISAIGARDEN-Seasonalcolors-い草を使った家具たちが、外と内の境界線をあわいにし、旅の始まり、締めくくりの時間を心落ち着く快適なものへ。自然と調和する風景が、人とモノと自然の関係性を編み直し、日本らしさを五感で浴びることのできる空間を実現する。

16茣蓙︵ござ︶や畳に使われる日本古来の素材﹁い草﹂︒日本では1500年以上も前から使われ︑独自の風習である﹁床座︵畳などの床に座ること︶﹂を形成した伝統素材である︒石や木など︑ほとんどのマテリアルは建築物の材料としても使われるのに対し︑い草は茣蓙や畳といった︑主に屋内空間におけるアイテムの素材として︑日本では古来から活用されてきた︒つまり︑今や﹁い草﹂という素材・テクスチャそのものが︑屋内空間の象徴として機能している︒そこに在るだけで︑不思議と気の許された家の中にいるような感覚を生む︑特殊なマテリアルだと言える︒リニューアルオープンした成田国際空港第1ターミナル5F﹁SHIKISAIGARDEN﹂に並ぶのは︑国産い草を使ったアダルのサステナブルブランド︿LookintoNature﹀シリーズ︒手作業で育てられたい草を︑熟練の職人が長年の経験をもとに︑天候・水・湿度・気温・色に応じて︑顔料の分量調整を行い︑丁寧に染め上げた一級品だ︒い草の特性を活かすため︑支持構造を最小限に抑えたプロダクトに贅沢に使用し︑自然の美を人工的な家具に纏わせる︒﹁日本の文化と精神性を育む︑豊かな水と四季の移ろい﹂をテーマに選定された家具たちが︑日本を代表する国際的な空港での滞在を︑特別な時間へと昇華する︒「居の間」に並ぶのは、対照的な形状のプロダクト〈Tenzan〉(左)・〈Rakusui〉(右)

い草は、九州の指定農場で生まれ育った国産天然ものを使用。消臭性・喘息の予防・湿度の快適化などの特徴を備え、座り心地を追求するために高密度で仕上げた最高級の織りを誇る。00和のしつらいが特徴的な〈Tenzan〉が、広い空間の中でも個のスペースを創出。

足を伸ばしてくつろげるパーソナルな空間。読書や仕事にも集中できる。格子と光調が静けさと落ち着きを演出。書の間書院のような造りで、上質なリラックスタイムを18緩やかに仕切られた「書の間」では、雄大な山並みを想起させるシェーズロングソファ〈Sakyu〉、世界三大デザイン賞の「iFデザイン賞」を受賞した〈Sakyuchair〉、曲線の美しい〈カリラ〉他数点が並び、静寂のひとときを演出する。SHONOMA

茶の間芳醇な草木の香りに包まれる、憩いの時間調和したプロダクトにより、内外がゆるやかに溶け合う。編み方・カラーリングの違う6種類が展開。CHANOMAアート作品や植栽を楽しめる「茶の間」には〈双葉〉が並ぶ。野点(のだて)を想起させる「茶の間」では、い草の編み方と色に変化を付けることで、調和とアクセントを創出。催事場としても機能する空間に合わせ、移動が容易なプロダクトを選定することで、空間の多様なシーンにも対応する。19

アイデアの「居心地「ヤーキーズ・ドットソンの法則」とは、生理心理学の基本法則であり、1908年に心理学者のロバート・ヤーキーズとJ・D・ドットソンが発見した理論である。要約すれば、「パフォーマンスを最大限発揮するためには、安堵と緊張の適切なバランスが重要である」というものだ。様々なジャンルの商品開発から販売までを一貫して行う、新進気鋭の企業androots株式会社。グループ企業を集約した自社ビル「androotsFORESTSQUARE」の新設に伴い、設計・施工をアダルが担当。家具提案だけでなく、設計・内装などプランニング全体からアートディレクションまで手掛け、アダルの総合力を発揮する大きな機会となった。コンセプトは「ほどよい安堵感とここちよい緊張感の両立」。全6フロアからなるそれぞれの階層の安堵と緊張の比率を用途に合わせて設定し、「柔らかい・硬い」「軽い・重い」など、コンセプトを形成するキーワードをもとに、素材・質量・カラーリングなどを踏まえて空間を構成。面と線を意識したレイアウトで視覚的な快適を保ちつつ、安堵・緊張を誘発するエレメントを随所に用い、パフォーマンス発揮に助力する空間設計を試みた。̶androots株式会社福岡市博多区住吉2丁目16-36写真:藤本幸一郎」納入製品:ノーマン・ハング・ロイ・ヴィラ他担当:露口治(クリエイティブ事業部)、向井春莉(本社営業部)androotsCo.,Ltd.

1Fのエントランス&ミーティングフロアでは、ラフな打ち合わせはもちろん、イベント等の使用もできるよう、100人が座れる設計に。スケルトンの状態から設計施工、外壁や柱までも全てアダルがプランニングを手掛けた。家具の製造販売・選定はもちろん、空間全体のプロデュースまでも手掛けるメーカーは、全国でもそう多くない。しかも今回は、ビル全体を設計段階から手掛けた、アダルとしても初の試みだ。家具の特性を熟知するメーカーであり、「快適」という指針を持つアダルだからこそできるアイデアを随所に散りばめた造りとなっている。新たな時代の会社にふさわしい働き方や人だけでなく、アイデアの居心地にも思いを馳せた空間だ。21オン・オフの切り替えを表現した段差は、イベント時には腰掛けられるようにも設計仕切りを無くし、会話を通してアイデアが生まれやすい環境を生む背もたれが特徴的なスツール〈ロイ〉細部の造りにも曲線を意識し、柔らかな空間に安堵緊張6:41F:Entrance&MeetingSpace

オフィスフロアでは、エレベーターを降りると洞窟のようなアプローチが。他にもコートラックの仕様や、畳の小上がりスペースには足がかり用に岩を設置するなど、空間で生まれるあらゆる行為にテンションを付けることで、オン・オフの切り替えを手助けする仕掛けが施されている。4Fはフリーアドレスのため、安堵感を最も感じられる設計に。壁で完全に仕切るのではなく、視線が必ず抜ける仕様により、開放感を演出。オープンな共有スペースとは対照的に、半個室の高集中ブースも設置し、多様なシーンにも対応する。また、家具の突板も天然木に見えるよう、木目の柄の配置まで細かく指示するなど、細かな造作も抜かりない。4F:FreeAddress洞窟のようなアプローチは空間の広がりも魅せる「靴を脱ぐ」というオン・オフの切り替え畳スペースには堀があり、落ち着いて仕事に集中できる柔らかな家具が、適切な安堵感を保つ22安堵緊張7:3

6F:MeetingSpace23ミーティング専用のフロアとして機能する6Fは、暗い色で空間の重心を取り、集中力を高める仕掛けが。例えば神社のように、重たい・硬い・冷たいと感じる素材を用いるなど、無意識下で生まれる緊張感を演出する。対して、各ルームの家具には天然木など柔らかなマテリアルを採用し、ほのかな安堵感を漂わせることで、ストレス&リラックスの適切なバランスを実現。また、各ルームは折戸のため、ひとつなぎの大会議室としても機能する。厳格なアプローチの先には広いベランダがあり、区内の景色が一望できる。空間での多様なシーンに応え、コミュニケーションを円滑にするレイアウト・デザイン・家具選定まで一貫して行った。曲線とスチール脚が生む、安堵と緊張のバランス外光など、ルームごとにも細かくバランス設計がなされる多様な打ち合わせに対応するトーン設計景色が見えることで、天候や時間によっても雰囲気が変わる安堵緊張4:6

OurHistory釜めしビクトリアにて—〒810-0001福岡県福岡市中央区天神2丁目7-144新天町商店街24

2525「長い間、本当にお疲れさまでした」ご主人がビールに口をつける前に、奥様がぽつりとそう言った。4月21日、火曜日の午後二時。ホテルのロビーをコンセプトにした、二階席の一角に座っていたご夫婦。聞けば、40年以上勤めた会社を昨日退職し、そのお祝いで、ご夫婦ともにお気に入りのこのお店に来られたそうだ。「もう60年は通っとるよ」ご主人は、子どもの頃に母親に連れてきてもらって以来、ビクトリアに通い続けているらしい。鳥取県出身の奥様とは、21歳の頃にお見合いで出会い、結婚して福岡市で暮らしている。「天神に来たら必ず寄るどころか、ここの釡めしを食べるついでに天神に来ているくらいでね」奥様も、ご主人の母親に連れてきてもらったのがきっかけで、それからふたりで年に数回、ビクトリアで食事をするのだという。「釡からこう、お茶碗によそうでしょ。そのたびにちゃんと蓋をしておくと、冷めないしお米がおいしいままなんよ」ご主人はそぼろ釡めし、奥様はごもく釡めしを、初めて来たときから変わらず注文するそうだ。ふたりで分け合うこともせず、数十年、それぞれ同じメニューを食べ続けている。ただ、今日だけは、初めてビクトリアでビールを頼んだのだという。「楽しいことばかりやなかったねぇ」40年以上勤めあげた生活はどうでしたか、と訊くと、ご主人は笑顔でそう応えた。そして、しみじみと何かを振り返り、「うん、楽しいことばかりやなかったねぇ」と、再び同じ言葉を、同じ笑顔で口にした。釡めしビクトリアの創業は、1954年。当時

26は、一階を喫茶店、二階を釡めし屋として営業していたそうだ。その後、釡めしが人気を博し、一階も釡めし屋として営業することになった。先のご主人のように、何世代にも渡って足を運ぶお客さんも多い。もちろん、お客さんは日本人だけではない。一階の奥のテーブル席に、慣れない箸使いで釡めしをほおばる外国人のご夫婦と、日本人女性の3人組がいた。3人はアメリカ在住で、ご夫婦が旅行で日本に訪れるのに合わせて、友人である女性は、出身の福岡を案内しようと一時帰国したそうだ。「せっかくの日本の食事で、ふたりに何を食べてもらおうか考えていたら、ふと思い出して。調べてみたらまだ営業されていたのでびっくりしました」どう?とご夫婦に訊くと「オコゲ、モ、オイシイ」と釡の底でカリカリになったお焦げを見せてくれた。学生時代に通っていた店が、未だ営業していることに心底驚いて、嬉しくなったと女性は語る。「二階の奥、窓際の席が好きだったんですよ。今日は人が多くて入れなかったけど、あの席から商店街を見下ろしながら食べてたなぁ」店内は30年ほど前に改装し、上質で落ち着く空間となっている。改装時に、椅子とソファをアダルから仕入れてもらったそうだ。30年前の製品だが古さは感じられず、むしろ空間に馴染み、調和している様が受け取れる。ソファのみ一度張り替えを行ったが、それ以外は今でも現役のまま、はたらきつづけている。「昔はね、この商店街も屋根がなかったから、雨の日には地面が水浸しやったんよ」

27午後三時ごろ、少し遅めのお昼ご飯に訪れた母子。赤いブラウスを着たお母さんは、70年ほど前、すぐ近くの大名小学校に通っていたそうだ。当時はまだ屋根がついておらず、木造瓦ぶきの二階建てが東西に並ぶ町並みで、雨の日には人通りが少なかった。1950年の大改装を機に、「降っても照っても新天町」というキャッチフレーズと共に、西日本初の大型アーケードとして生まれ変わる。じゃあ、昔からよくビクトリアには来られていたんですか。そう訊くと、意外にもお母さんは、若い頃にはほとんど来たことがなかったという。「母はひとりで仕出し屋をしていたから、昼間は動けなかったんです。私は祖母に面倒を見てもらっていたので、祖母によく連れて来てもらっていました」だから、母が来れるようになったのは私たちを育て終えてからで、ようやく一緒に来れるようになったんです。娘さんが、懐かしい引き出しをそっと開けるように教えてくれる。今は下関で働いており、月に一度、実家に帰ってお母さんと一緒に食事をするそうだ。「ここも、もうじき開発でしょ。不思議よね、子どもの頃は新しいものができることにワクワクしてたのに、今はさみしい気持ちの方があるの。もしかしたら、あの頃の大人たちもそんな気持ちだったんかねぇ」ビクトリアが店を構える新天町が出来たのが、戦後まもない1947年。それから2回の大改装を経て、人々の暮らしに寄り添い、歴史と思い出を積み上げてきた。そんな新天町も、2030年代の開業を目指し、一体的な再開発が計画されてい

28る。その情報を聞いて、今のうちにとやってくるお客さんも多い。長い年月を経て、積み重なってきた関係性は、町と人だけではない。ビクトリアの釡めしは、お米は島根県産コシヒカリを、具材のひとつひとつにも新鮮な国産素材を使用。それも、材料を一括して卸している業者に頼むのではなく、長年のお付き合いがある専門業者からそれぞれ直接仕入れている。そのぶん手間もかかるが、なるべく価格を抑え、よりおいしいものを味わってほしいという、先代より続く想いからだ。ちょうどお客さんが掃けた夕方、料理長の左近允さんに、三階にある厨房を案内してもらった。釡めし専用のコンロは、全部で24個もの火口が備えられており、ピーク時はすべて稼働するという。中でも目を見張ったのは、客席の様子を映したモニターだ。「釡めしは炊きあげるまで時間がかかります。かといって、お客様を待たせすぎるのも良くないし、手頃な価格で食べてもらうためには回転率も上げないといけない。モニターでお客様の入りを確認して、先にお米を炊き、具材を後から入れることで、炊き立てを素早く提供できるようにしているんです」炊き時間は、すべて「勘と感覚」で調整するという職人技。ピーク時には24個もの釡が並ぶが、最適なタイミングを逃すことはないのだという。それもそのはず、左近允さんは22年前、高校在学時に初めてビクトリアを訪れ、そぼろ釡めしをひとくち食べたところ感動し、そのまま就職したベテランスタッフ。現在のスタッフの中では最も歴が長く、何十年と続く味を守り続けている。

写真:西澤真喜子29二代目社長の加藤さんがビクトリアに戻ってこられたのが、42年前。ファミリーレストランの店長を務めていた当時、先代である父親から「戻ってこないか」と連絡があり、承継を決心する。「お店に立つと、皆さん『ごちそうさま』と声をかけてくださるんです。ファミレスで働いていた当時は、ありえないことだったんですよ」当時の資料を眺めながら、加藤さんはしみじみとつぶやく。そして奇しくも、あのご主人と似たような言葉を口にする。「もちろん、色々と大変でしたし、楽しいことばかりじゃなかった。でもお客様の声が心から嬉しくて、その声に応え続けたいなと今でも思っています」創業72年。この文章をタイピングする指先は、その数字の重さに関係なく、いとも簡単にそう打ち込めてしまう。「孫はここのすき焼き釡めしが大好物で、遊びに来る日は必ずお持ち帰りするんです」と、一階のレジ前で待つご婦人。「それぞれ地方から集まったので今日が初めてです」とスーツ姿の男女4人。旦那さまの御用達で、今日は初めてふたりで来たという母娘。今日もたくさんの人々が、炊きたての釡めしを口いっぱいにほおばり、笑顔で店をあとにする。テーブルを見ると、その誰もがまるで「ごちそうさまでした」と言わんばかりに、空になった釡に必ず綺麗に蓋をしている。何世代にも渡って伝えられ、繋がれ、守られ、積み重ねられてきた時間。町や人と同じように、家具もまた、そんな些細な時間を担うひとつの背景となっている。

母が今年の一月に亡くなった。あれをすればよかった、これをすればよかった、と普通はなるのだろうが、正直、やれることはやった、という気持ちしかいまはない。母が、がんを患ってから、十年が経とうとしていた。最期、母が病室で「いい?もう充分やってくれたからね。あとからなにか悔いたりしないでよ」と言った。亡くなる二日前だった。僕は、「なに言ってるの!」くらいのことを言って、「元気にならなきゃね」と諭すように伝えた。「毎日電話したわね」母は、僕の呼びかけには応えず、思い出話をし始める。たしかに毎日電話をした。母が、がんになってから、朝、仕事場に向かう道すがら、必ず電話をしていた。「おはようございます」と僕が言うと、「はいはい、おはよう。元気?まあ、昨日も話したけど」と母が応える。それが十年つづいた。母の体調がかなり悪いとき以外は、必ず毎日電話をかけた。これはもう癖になっていて、正直、母が亡くなったいまでも、思わず手が勝手に動いてしまって、電話をかけそうになる。本当にある。実家にも月に一度は帰ることにしていた。母は海苔お煎餅が好きで、大福などにも目がなかった。「あなたね、そんなに帰ってこなくていいから、仕事をちゃんとしなさい!」母のところに帰るたび、ひと言目に必ずそう言われた。もうそこまでが、自分の中ではルーティーンと化していた。母のがんが見つかったとき、家族が集められ、医者に「厳しい」と最初に言われた。そのとき、僕は心に決める。母の命の最期のときまで、できるかぎりのことをしよう、と。それは半年かもしれないし、一年の可能性もあった。結果的には十年に及んだが、とにかく最期まで、毎朝電話をして、月に一度は顔を見せに行こうと決めた。母が病気になる前は、仕事、仕事の人生だった。正月に顔を見せて、それっきり、なんてこともザラだった。テレビの裏方の仕事をしていたので、仕方がなかったが、それにしても申し訳なかったと思っている。月に一度帰るたび、恥ずかしい話、帰りしな、母が寝室の奥にあるタンスをゴソゴソやって、お年玉袋に入れた一万円札を僕に渡してきた。文燃え殻絵廣田くみこ大切なものをしまってある場所30

大丈夫だから、と何度も押し問答になったが、いいから、いいから、と言って必ず最後はポケットに突っ込まれた。「これで、おいしいものでも食べなさい」母はいつもそう言っていた。「あのタンスって、金庫かなにか?」茶化すようにそう言ったこともある。「ここはね、お母さんの大切なものをしまっているの」母は真顔でそう言っていた。母の容態が急変したのは、今年の一月下旬だった。がんは肺に転移し、肺炎を併発した。そこからは、坂道を下るように容態は悪くなっていった。葬儀が終わり、妹と話していると、いつしか寝室のタンスの話になった。毎回、帰りしな、そこから一万円札をお年玉袋に入れて持たされた、という話に。「大切なものをしまっているって、お母さん言ってたよね。開けるの怖い」妹はそう言っていたが、いろいろと整理をしなければいけないこともあり、家族全員で、母だけの聖域だった、タンスの引き出しを開けてみた。どの引き出しにも、母の着ていた服が、きれいにしまわれていた。そして、一番上の引き出し。母がいつも一万円札を取り出していた、あの引き出しを、妹が慎重に開ける。開けてすぐ、妹は無言でポロポロと涙を流し始め、僕はその反応に驚きつつも、引き出しの中を覗き込んでみた。そこには幾らかのまとまったお札と、僕と妹が幼稚園、小学生の頃にクレヨンなどで描いた絵が、きれいにしまわれていた。茶封筒もあった。中を開けると、僕と妹が、母の日や、母の誕生日に書いた手紙が入っていた。「お母さん……」と妹は両手で顔を覆う。僕も我慢できず、涙が溢れて溢れて仕方がなかった。そのタンスは、母が父と結婚するときに、祖母が母に持たせたものだということを聞いていた。結婚してからずっと、寝室には、そのタンスがあった。僕が中学に入るまで、その寝室で、家族全員、川の字で寝ていたことも懐かしい。母の遺影を選ぶため、昔のアルバムを見返していたとき、タンスの前でポーズを取る、幼い僕と若い母の写真が出てきた。小学校の入学式に向かう前、なぜか寝室で撮った僕と妹の写真などもあった。大量の写真を見ながら、父や妹と、笑ったり泣いたり忙しかった。寝室のタンスは、母だけの聖域だった。タンスはいまもそのまま、実家に置かれている。母が大切に保管してくれていた、僕と妹の絵や手紙も、そのままの状態にしている。「いつか、このタンスをどうしようか、話し合わなきゃね」妹がこの間会ったとき、そう言っていた。そうだね、とだけ僕は返した。実家の寝室に、母のタンスがあるだけで、母の不在が少し和らぐような気がしている。もえがら/1973年神奈川県横浜市生れ。2017年、『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説家デビュー。同作はNetflixで映画化、またエッセイ集『すべて忘れてしまうから』はDisney+とテレビ東京でドラマ化され、ほかにも映像化、舞台化が相次ぐ。著書に、小説『これはただの夏』『湯布院奇行』、エッセイ集『それでも日々はつづくから』『ブルーハワイ』『これはいつかのあなたとわたし』『この味もまたいつか恋しくなる』など多数。燃え殻私とあの家具Vol.131

フォーリサローネ2026にて、サステナブルブランド「LookintoNature」を出展いたしました。©ToLoLostudioはたらく家具第24号発行日:2026年7月1日発行者:株式会社アダル812-0863福岡県福岡市博多区金の隈3丁目13番2号https://www.adal.co.jp編集・ディレクション:佐藤瞳/白川烈アートディレクション&デザイン:廣畑潤也デザイン:牛原佳穂/長末香織写真:刑部信人/勝村祐紀/西澤真喜子/藤本幸一郎/山口亜希子寄稿:燃え殻イラスト:しんご/廣田くみこ印刷・製本:有限会社日高印刷ご感想・問い合わせ©️株式会社アダル本書の複写・複製・転載などは著作権法上の例外を除き禁じます。ホームページ

しんご「イスとイヌ」catalogvol.28Jill×シュナウザーPirotte×スパニエルJill̶P79Pirotte̶P126Damo̶P34ページはカタログ内の数字です。

快適研究所[HINATA大島]̶P2クラフトマンシップ[みずほPayPayドーム福岡]̶P8風景のあわい[成田国際空港]̶P14アイデアの居心地[androots株式会社]̶P20OURHISTORY[釜めしビクトリア]にて̶̶P24私とあの家具燃え殻「大切なものをしまってある場所」̶P30ADALGALLERYしんご「イスとイヌ」̶最終ページ
