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“旧”加古川図書館歴史的建築物が伝えるまちの景色

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学校からの帰り道石の門柱を入ってゆく小径は傾く陽光に包まれてどこか物悲しい夕刻も歩みは希望の音がしたぼくらは知っていたから背中を向けた大きなしかくその寂びた厚い壁の向こう所々塗装の剥がれた石の階段の濃い緑色も手すりに頬を乗せたときの心地いい冷たさもステンドグラスから差す淡色の光のやさしさも五月になれば紅白ピンクロータリーの花壇が輝くつつじでいっぱいになることも朝日に照らされた正面の誇らしげにさえ見える表情もぼくらは知っていたから背中を向けた大きなしかくの側面にはいくつも窓がありその向こうには誰かしら本を読んだり働いたりして春夏秋冬この小径を通った雨の日も晴れの日もごきげんの日も泣きべその日も重く確かなあの存在に励まされながらあしたあわいろあかよこ

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“旧”加古川図書館歴史的建築物が伝えるまちの景色

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たたずまい

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昭和10年に建設されてから加古川のまちを見続けてきた加古川図書館にはその記憶が埋め込まれています。その“たたずまい”から、まちの歴史を感じてみてください

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みまもってくれる場所

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みまもっていく場所

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冬の図書館雪降る日も来館する人がいる

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瑞々しい花々に彩られて

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ゆっくり

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流れる場所ゆっくりと時間が

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図書館裏上映イベント図書館の壁面を使った上映会を開催

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うつろい時の経過・・・

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つゆの日もしとしと降る

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迎え入れてくれた場所

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みつめて

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思い出して

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こども室まであと少し

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本たちの息が聴こえてきそう

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光の扉公園へ駆け出したくなる

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KakoagwaLibrary

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いきづかい

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加古川図書館のまわりには人がいます。本を読んだり、公園で遊んだり、散歩をしたり、お喋りしたり。そっと耳を傾けて見てみると、日常の“いきづかい“が聞こえてきませんか?

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PakuPakuマルシェ金剛寺浦公園で行ったマーケットイベント

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基地Lab図書館周辺の魅力を発信する拠点

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旧加古郡加古川町マンホール蓋※1950年(昭和25年)町村合併により加古川市に

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はれぶたい

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演劇や成人式などが行われていた旧加古川町公会堂は生活に彩りを与える“人生の晴れ舞台”でした。そして現在、建物の周辺は人と人が触れあう“日常の晴れ舞台“となっています。

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旧加古川図書館の変遷旧加古川図書館は加古川市の前身となる旧加古川町の公会堂として昭和一〇年に建てられました。旧加古川町には木造の公会堂がありましたが、昭和二年春に火災により焼失しました。町議会は同八年に新公会堂の建設を議決、同十年十一月二十五日に落成式が行われ、この地方随一のホールとして現在の建物が完成しました。火災に見舞われたのは、老朽化した畳がすべて新調され、議会に『新しい畳でこれから気持ち良く使えますよ!』と報告のあがった数ヶ月後のことでした。全焼は残念ですが、そこから新たに立派な公会堂を復活させようとした当時の方々の熱意のおかげで今の名建築があるといえます。絵画の額縁のように見える舞台と緩やかなアーチ型の高い天井は、このホールが住民にとって、特別な晴れの舞台であり社交の場であることを教えてくれています。実際に、様々な催しが行われ、その都度大勢の住民が集まりました。宝塚歌劇団や美空ひばりさんといった著名な方が来てくれたそうです。建物が完成した数年後には戦時下の軍に公用徴収され、終戦後ようやく本来の使い方に戻ったのち、一部を市役所庁舎として並行して活用されました。その後、市民会館の完成を機に、昭和四十九年五月から令和三年六月までは市立図書館として活用されました。二階の大講堂は児童書コーナーや事務室として利用するため、新たに天井が取り付けられ、間仕きりが設けられました。ただ、建物の持つ力はそのまま引き継がれ、大人から子供まで静かに図書に親しむ空間がつくられていました。建物のイメージとしては公会堂より図書館の方が強い方も多いと思います。『旧加古川町公会堂』と言えば、『三島由紀夫の松の木』を挙げる人も多くいます。敷地内にある松の木の下で三島由紀夫が徴兵検査を受けたそうで、遠方から訪れるファンの方もいらっしゃいます。興味のある方は『仮面の告白』を読んで下さい。十九歳の三島由紀夫が見た、国と自分の将来に想いをはせてみてはどうでしょう?令和三年六月に閉館し、現在は館内の一部が書庫として利用されています。耐震性調査をする事が決まった他は大きな動きはありませんが、魅力的な利活用に向けて動き出すことを期待します。(井上津奈夫)

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建築が伝える置塩章と加古川町の想い建築史家倉方俊輔置塩章さんは卒業設計で市議会議場や市公会堂と訳すことが出来る『cityassemblyhall』を設計しています。市の中心となる建物を選んだことから、公共性を重視する置塩さんの心を伺い知ることが出来ます。建物の外観はクラシック(古典的)で、オーダーと言われる古代ギリシア建築などで使われている優美で権威的な柱をデザインするなど、置塩さんが世に生み出したゴシックを基調とした直線的な建築物とは趣の異なるデザインとなっています。装飾を施すとデザイン自体が破綻する可能性が多分に高いにも関わらず、統一感を持たせ、まとめ上げられているところからは置塩さんの高いデザイン力を感じることが出来ます。●置塩章建築群・旧大阪砲兵工廠化学分析場一九一九年(大正八年)大阪城の北側にある建物で陸軍省に入省していた時に設計した建物です。陸軍の建物は煉瓦造が多く、この建物もレンガでつくられています。一見簡素に見える建物ですが、屋根まわりに幾何学模様のデザインが施されています。この幾何学模様のデザインは大正時代から取り入れられ始めた様式で、置塩さんのデザインに対するこだわりが見え隠れします。・旧尼崎警察署一九二六年(大正十五年)兵庫県庁時に設計した建築物の一つに旧尼崎警察署があります。列柱を使用するなど警察署という権威を備えた場所であることを主張するようなデザインとなっています。ただ、細部を見ていくと幾何学模様を取り入れた遊びがあり、権威だけではない建物の佇まいを表現しようとしています。研究、執筆、実践を通じて、建築の魅力と可能性を世の中に広める活動をされている建築史家の倉方さんに、旧加古川図書館の視察を通じて見出された価値や設計者の置塩章(おしおあきら)さんが手がけた建物の歴史を話していただきました。倉方さんのお話から、旧加古川図書館の魅力を語るには置塩章さんが手がけた建築群と戦前・戦後の歴史的背景を知ることが大切だと感じたので、置塩章さんについて書き進めていこうと思います。●置塩章さんの想い置塩章さんは東京帝国大学造家学科で建築を学び、卒業後は陸軍省に入省し大阪を拠点とする第四師団の営繕事業でキャリアをスタートさせました。その後、兵庫県庁に入庁し県内の建築物を手がけ、兵庫県の県徽章をデザインするなど建築物以外でも功績を残しています。兵庫県庁離職後は建築事務所を開設し全国に活躍の場を広げました。置塩章さんの思想や方向性は帝国大学時代の卒業設計から見て取れると倉方さんは教えてくれました。卒業設計は自由に条件設定できるので、どんな建物をどのように設計するかは設計者に委ねられているため、実際の建物以上にその人の思想が色濃く見えるそうです。

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・茨城県庁舎一九三〇年(昭和五年)兵庫県庁を離れ独立してから設計した建物ですが、旧尼崎警察署と同じように公共建築物としての威厳を主張するようなゴシック的要素を備えた上昇感のある設計となっています。ただ、ところどころに切り欠きを入れて変化を加えるなど、置塩さんらしさもうかがえます。・宮崎県庁舎一九三二年(昭和七年)フライングバットレスを使用するなどゴシック的要素は多いものの、どこか南国を思わせるようなテイストにデザインされた建物です。ここでも県庁舎という権威を表に出しつつも、豪華な装飾を多めに使い華やかさも感じさせる建物となっています。・旧国立生糸検査所(デザイン・クリエイティブセンター神戸新館)一九三二年(昭和七年)限られた予算の中でも検査所の機能を損なわないよう出来るだけ床面積を稼ぐような設計が求められているため、デザイン性が比較的少ない建物といえます。その中でも、階段部分にデザイン的要素を集中させて、メリハリをつける形で建物をより印象的に見せるように設計されています。さまざまな置塩章さんの建物を振り返っていきましたが、陸軍省から兵庫県を経て民間の設計事務所で設計をするようになっても、公共性を持った建物を数多く建築していることが分かります。また、公共建築には限られた予算というものがあり、その予算内でいかに『「らしく」見せるか』を考えながらデザインしているところが置塩さんの特徴として見て取れます。やりすぎず、かといって物足りなさもない建築群は置塩章さんの秀でたデザイン力によるものだということが分かります。●旧加古川図書館(旧加古川町公会堂)一九三五年(昭和十年)・建築物としての貴重性地方の公共建築物の戦前と戦後における違いについて、倉方さんから教えていただきました。戦前の地方自治体は国の出先機関としての色合いが強く、建物にも威厳が求められていました。一方で戦後は知事が公選となり市民との距離感が近くなったことにより、装飾を多用した権威主義を否定し、スッキリと合理的デザインのモダニズム建築に変わっていったそうです。戦前と戦後で活躍した建築家が異なるのはこのためで、戦後も生きていらっしゃったにもかかわらず、置塩さんを代表する建物が戦前に片寄っているのはこのためです。そういった意味では、円熟期を迎えた置塩建築の代表作が旧加古川図書館と言えるのではないかと思います。旧加古川町公会堂が建設された三年後の昭和十三年には国家総動員法が施行され、あらゆるものが戦争遂行の一点に向けられたため、鉄筋コンクリートの本格的な建物がつくられなくなりました。戦後の復興を経て、ようやく建物に力を入れることが出来るようになった時には、社会的思想としてモダニズムの建築が望まれるようになりました。戦争を経験し人の考え方が変わっていき、明治から昭和初期にかけてつくられてきたクラシカルで重厚な建築は戦後の日本では作られなくなりました。建築はその時代の世相を表現する道具としては効果的で、時代背景を建築から読み取ることが出来ます。旧大阪砲兵工廠化学分析場旧尼崎警察署旧国立生糸検査所

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1先に書いたように、戦後には高度成長に合わせてさまざまな建物が作られるようになりましたが、権威主義を否定するモダニズム建築が多く建てられるようになりました。そして、戦前に建てられたクラシカルな建築は新しい社会をつくるうえで否定される対象となり、一九六〇年から一九七〇年代にかけて取り壊されるケースが全国各地であったそうです。そんな中、徐々に戦前の建物を保存・活用する動きが出来てきました。例えば、一八八九年に建設された倉敷紡績の工場は、一九七四年に倉敷アイビースクエアという、ホテルなどを伴う複合的な文化施設に生まれ変わりました。旧加古川図書館も一九七四年に公会堂から図書館に生まれ変わった経緯があります。戦前の建物が社会的に取り壊される状況が多い中で旧加古川図書館が残ったということにも価値があると言えます。・らしさを表現する外観戦前に作られた他の公共建築と同様に旧加古川図書館にも幾何学模様が取り入れられています。凹凸を強調したデザインにより、戦前の公共建築に求められる威厳が表現されています。ところで、置塩建築で特に印象的なのが正面に配された四本の列柱ですが、旧加古川図書館には列柱の印象はありません。一方で、旧加古川図書館といえば、やはり二階の大窓に配されたステンドグラスではないでしょうか。しかし、よく見るとステンドグラスの下に控えめながら四本の列柱が配されています。私はこのデザインがこの建物としての価値を表していると思います。威厳を表す列柱は控えめに配し、ステンドグラスを前面に押し出すことで、市民に開かれた場所であることを印象付けています。威厳を醸すだけでなく、そこに親しみやすさが交差した正面のデザインは、旧加古川図書館がパブリックとプライベートの交差する場所であることを教えてくれます。側面には大掛かりなデザインは施されていないものの、正面につながるようデザインされてあり、全体的なまとまりが破綻することなく成り立っているのは置塩さんの確かな手腕を感じさせるものです。室内は柱や梁に装飾が随所に施されていますが、豪華さが過度に演出しているわけではありません。入り口から階段にかけての構成は簡素にならない程度のデザイン性を持たせられています。訪れる人はその内装のデザインを味わいながら階段を登っていくと、この建物の最大の特徴でもあるステンドグラスに出会います。ステンドグラスから入る光は公会堂の階段室に風格を醸し出し、限られた空間の中で最大限の効果を持って公会堂らしさを演出しています。また、ステンドグラス自体にはそこまで華麗で優美なデザイン性はありませんが、幾何学模様が積み木のように並んで美しく、色とりどりのガラスを通して晴れの舞台を感じることが出来ます。また、ステンドグラスは作り込みすぎていないため、まちのガラス職人が修復出来たそうで、維持管理の配慮も見てとれます。

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倉方さんは建物調査をされたときに天井裏まで行かれました。天井裏には大講堂としての空間が残されており、当時の雰囲気を今に伝えてくれています。講堂部の壁にあるアーチ窓はふんだんに太陽の光を取り入れ、天井裏を明るく照らしてくれています。また、天井裏の鉄骨造は、まだ建設機材が発達していなかった昭和初期に、当時の職人たちがいかに知恵を絞りながら曲線的な屋根を作り出していったかを教えてくれています。・加古川町の想いと市民の暮らしを伝える空間倉方さんは、昭和初期に加古川町という地方都市がこのような大規模の公会堂をつくったのは、全国でも稀だとおっしゃいました。伝え聞くところによると、公会堂を建設するにあたり国の起債を期待して計画を進めていましたが、戦争に向かう世の中を反映して、国からの支援が途中で出来ないことが分かり建設が危ぶまれる事態になりました。しかし、最終的には加古川町が二年をかけて自身で建設費を支払い切ったそうです。財政的にままならない、いち地方都市の心意気を汲んで設計した置塩章さんの設計者としての力量は、表層的な建物の価値以上に深さを与えてくれます。そんな、加古川町民の想いと置塩さんの想いが交錯したこの建築は次代に語り継ぐべきものだと感じました。また、倉方さんは建物の持つ価値だけではなく、隣接する公園と一体となった空間としても価値があるとおっしゃいました。子供からお年寄りまで多世代の舞台となる公園が文化的な建築の隣にあることは加古川市の豊かさを表す場所として非常に価値があるとして評価していただきました。(藤輪友宏)建築史家倉方俊輔一九七一年生まれ。大阪公立大学教授建築そのものの魅力と可能性を、研究、執筆、実践活動を通じて深め、広めようとしている。研究として、伊東忠太を扱った『伊東忠太建築資料集』(ゆまに書房)、吉阪隆正を扱った『吉阪隆正とル・コルビュジエ』(王国社)など。執筆として、対話を通じて理解を深める『大阪建築みる・あるく・かたる』、『東京建築みる・あるく・かたる』(以上、京阪神エルマガジン社)、建築を現在形で物語る『生きた建築大阪』、文章と写真で建築の情感を詳らかにする『神戸・大阪・京都レトロ建築さんぽ』、『東京モダン建築さんぽ』、『東京レトロ建築さんぽ』(以上、エクスナレッジ)ほか。実践として、日本最大級の建築公開イベント「イケフェス大阪」、品川区「オープンしなけん」、日本建築設計学会、住宅遺産トラスト関西、東京建築アクセスポイント、GinzaSonyParkProjectのいずれも立ち上げからのメンバーとしての活動などがある。

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「語らないもの」を語り継ぐということ作家西村恭子その加古川市で、二〇〇三年「文化振興ビジョン」が纏められた。策定委員会の副委員長だった私はその冊子の序章も書いた。そこには弾けた文明の現実が、空や水や土を汚し、経済不安と、人が壊れたかと思うほどの事件の続発は軽症ではないと記した上で「町は人と時間の重なり。過ぎた時間を読み解き、この町ならではの色合い(過去)を知ると共に、ここから何を継ぎ足していくのか(未来)、今は考える時かもしれない」と書く。そして「町には歴史を醸す建造物や史跡も多い。伝統文化、生活文化は積み重なり、伝え、遺されてきた世界。これら、風土を醸すものをどう伝え、どう遺していくか、独自性を大切にする一方で、長い歴史の中から捉える視座も持ちたい」と。そしてラストには「何より、これが出来るのは、唯一、人間に限られているということ、その叡智に掛かっていることを、私たちは再び忘れてはけないと思う」と結んだ。この想いは十九年を経た今も変わっていなかった。作家西村恭子一九四四年兵庫県生まれ。放送局、編集記者などを経てフリーに。神戸新聞読者文芸欄選者(十四年)こうべ市民文芸選者。(公財)姫路市文化国際交流財団発行「BanCul」編集委員(三十年)。加古川市文化財審議委員(十二年)半どんの会文化賞。姫路文化賞。二〇一五年、ラジオ関西「青い目の人形メリー再会の旅」の制作、放送により第九回井植文化賞(報道出版部門)。著作は児童書、絵本、一般書、戯曲など。近著には「青い目の人形メリーの旅」(神戸新聞出版センター)がある。日本ペンクラブ会員。かつて夫は修学旅行の列車の窓から帽子を飛ばしたという。その帽子が加古川駅に届き、戻ってきたと聞いた。それが縁なのかどうか、この町に暮らして五十年ほどが経った。久しぶりに旧加古川図書館へ向かう。市章のついた建物の顔、アーチ型のステンドグラスの窓、ここには何度も通い、閲覧し、資料を調べ、取材にも通った。二階に昇る手すりの感触が蘇える。その建物が沈黙して建っていた。道を挟んだ隣地は教会と市立加古川小学校。門からランドセルを背負った生徒たちが出てきた。図書館の裏手の道に入って行く子も見える。ここの過ぎた時間を知る楠の巨木が覆うように茂り、自転車置き場には倒れたままの自転車が残る。金剛寺浦公園を横切った。広い公園の真ん中にひと際大きく育った楠木が一本、ベンチと向き合うように立つ。風に乗って美味しそうなダシの匂いがした。図書館の裏手、小道を挟んだ北側ある店で「手打ちうどん」の暖簾が揺れている。こんな店があったことさえ知らずに暮らしてきた。この近辺はかつて町の中心となる郡役所、町役場が並ぶ行政の中心エリアだったという。加古川小学校も含め、それらの建物は図書館同様、ゴシック建築だったとも聞く。そんな時代を想像しながら顔を空に向けると、古色の町を眺めるように空と同じ色をした高層マンションが完成していた。マンションの向かいの店で“揚げたてコロッケ”を待つ人がいる。図書館帰りに買ったその味に足は止まり、並ぶことになった。

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NEIGHBORHOODSKONGOUJIURAPARKHYAPONDATEKOUGETSUDOKONPIRASANKIMURAMEETSHOPKAKOGAWALIBRARYKAKOGAWAPUBLICHALLKICHILabROOM2FUTABACAFÉSHIPOOLD-NEWCHICCOO’SHAIR

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建物に関わった人たちつくったひと前川容洋(まえかわやすひろ)昭和十七年生まれ。加古川市にて総合建築業を営む前川建設株式会社の代表取締役社長。前川建設創業者、前川俵次が旧加古川町公会堂(旧加古川図書館)の施工を行った。当時から「世のため、人のため」と地域社会、国のための公共事業に利他の精神で取り組み、現在もそれを色濃く受け継いでいる。「思い入れ」が持てることを大事にしており、設計者と違いなかなか表に名前が出ない、残らない施工現場のメンバーも記録としてしっかり残るようにと、自社独自で建物ごとに施工の記録を冊子に残している。一九三五年に竣工した旧加古川町公会堂。連日演劇や講演会といった芸術・文化のイベントが行われ、地域文化の中心地となったこの建物は、時代ととも用途が変わり、一九七一年に図書館としてリニューアル。その後、二〇二一年六月の閉館を迎えるまで、たくさんの人たちに親しまれてきました。設計者は兵庫県庁で営繕課長も勤めた置塩章氏。見る者を圧倒するステンドグラスを用いた大アーチ窓をはじめ、幾何学的なスタイルが特徴のアールデコ調の建築様式を有した加古川図書館は、二〇〇八年に兵庫県の「景観形成重要建築物」に指定され、歴史・文化的に価値の高い建物として多くの人に知られています。昭和初期の近代建築を代表するこの建物を施工したのが、今回ご紹介する前川建設株式会社。「私が生まれる前の話で、記録もあまり残っていないんですけども……」と、控えめながら当時のことを話してくださったのは、前川建設株式会社の四代目社長、前川容洋さん。「創業者である俵次は、当時、興国のため、鉄道拡充に少しでも役に立つべきと加古川・揖保川・(空海を慕って)高野山の麓の紀ノ川で砂利採取事業を行っておりました。高野山へ登る道路を地元の要望で完成させたその年、紀ノ川の砂利採集運搬船の進水式の最中、足を挟まれて52歳で亡くなります。また、その年が正に加古川公会堂の竣工の年でもあります」事業に対する姿勢は創業当初から変わらず、現在も会社の経営理念には「社会基盤の整備と、都市空間における新たな価値の創造を通じて、より安心で豊かな文化的生活を実現する」といった文言が入っています。「創業者の俵次が建設業を選んだのも、地域が成長していくためには公共のインフラ整備が欠かせないという認識があったから。地域住民たちの願いに応える形で今がある」と話す前川さん。加古川図書館についても市民の文化的生活を支えつづけてきたインフラの一つとしてとらえており、何とか残していきたいといった地域住民の声に対して、「人々の認識や常識というのは時代とともに移り変わっていきます。それに伴い建物の役目も変わっていき、加古川図書館は今いろいろな試練の中にあることでしょう。ただ、私個人としては加古川図書館がたくさんの思い入れがある場所であるなら、出来る限りのことをしていきたいと考えています」と容洋さんは話して下さいました。創業者前川俵次氏(左)前川真一郎専務(右)前川容洋社長

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みまもってきた人旧加古川図書館元館長荒木宏明(あらきひろあき)さん昭和三五年生まれ。加古川市立加古川図書館元館長。図書館司書として行政職に就き、現在に至るまでの三七年間を図書館とともに歩む。「本を通して地域の子どもたちや人と関わりたい」との思いから、『ただ本を貸す施設の職員』ではなく、自ら絵本の読み聞かせを企画し、先頭に立って本と人、人と人との関係を結んできた。読み聞かせの十八番絵本は「おさるのジョージ」で知られる『ひとまねこざる』。兵庫県加古川市。地域で暮らす人たちの憩いの場であり、読書文化を支え続けた加古川図書館。かの三島由紀夫が徴兵検査を受けた場所としても知られる歴史あるこの建物が、先日その役目を終えました。市の実施したパブリックコメントではたくさんの声が寄せられ、「公設図書館の存在自体が市内の文教文化を維持するという象徴的な役割も担っている」「加古川図書館はその存在自体が重要な文化の結晶であり、図書館として、近隣の子どもたちの教養の支えであることに意義がある」といったコメントが多くあり、「本を借りる」だけにとどまらない『機能を超えた魅力』にあふれていることがわかります。「加古川図書館では、『本を貸す施設』といった機能だけでなく、訪れる人たちに豊かな読書体験を提供できる施設であれるよう心がけ、これまで取り組んできました」。そう話すのは加古川図書館元館長の荒木宏明さん。図書館司書として現場に入って三七年。加古川図書館館長としても活躍されてた叩き上げの館長さんです。「もともとは子どもと関わることが大好きだった」と話す荒木さんは、自ら先頭に立って絵本の読み聞かせイベントを企画し、実施してきました。本を通して図書館でつながった子どもたちが大人になって戻ってくることも多く、「私が二十代のころに利用してくれていた小学生が、いま四〇~五〇代くらい。ずっと利用してくれていて、今でも顔を見ると当時を思い出します。長く続いてきた図書館だからこそ見える成長、変化といったものがありますよね」と嬉しそうに目を細めます。「閉館前は親子連れで来る利用者が多かったです。親御さんたちが本や読書文化の価値を知り、子どもたちに伝え、一緒に楽しんでもらいたい」。一つの歴史の節目を迎え、これからの図書館や読書文化を思う荒木さんの言葉は、昔と変わらず地域の次世代への慈しみに満ちていました。(中野広夢)

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/中野広夢恒藤温人津久井あゆみ岸本夏純兵庫県を拠点として活動している編集ライター、カメラマン。大学卒業後、小学校教諭、塾講師、保育士を経験。2019年からは合同会社hyphenに転職し、コワーキングスペースmocco姫路スタッフ、コワーキングスペースmocco加古川の立ち上げに関わり、コミュニティーマネージャーとして活動。その後兵庫県播磨地域の情報誌『まるはり』の編集・取材フォトライターを経て独立。今新しく建てられる建物は綺麗とか便利とか儲かるとか。そんな建物群に囲まれた生活が本当に豊かなのでしょうか。私は建築はもっと深く違うところに本質があると考えています。建築とは建てられてから築かれて築かれてつくりあげられていくのでしょう。群馬県太田市出身。神奈川、アフリカを経て加古川へ。着物・漫画が好き。所属するNPOでは、活動する人をつなぎ、後押しをしている。写真を通じて活動を応援できるようになることが目標。見返したときに、情景や会話、雰囲気を思い出せるような写真を残せるよう日々勉強中。2004生れファンタジーなものが大好きな、心は少年系JK。絵や写真などで自分の思い描く一枚を閉じ込めることが好きで、気が向いたときに撮影に行ったり絵を描いていたりする。勉強よりも自分の実力が顕著に表れるFPSなどのゲームを好む。特技は歌。歌に合わせて声を使い分けることができる。

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西嶋輝兵庫県加古川市出身。加古川市在住。「中小企業や事業、関わる人達の物語を届け続ける」デザイン事務所として、「聴くコト」「知るコト」から始まり、関わる人たちと一緒に考え、実現したい未来のために、社会に届け続けるお手伝いをしています。大和旦陽2004生まれ、兵庫県加古川市育ち。加古川南高等学校に通っている。高校一年生から趣味で写真をはじめて、今は写真のいろんな撮り方の勉強をしています。好きな被写体は、食べものと高い所からの景色です。最近はスナップ写真を挑戦中です。増田真人神戸市生まれ、加古川市育ち朝来市在住。兵庫県を旅する感覚で仕事をするパラレルワーカー。都会と田舎で「多拠点居住」をしながら、兵庫県の魅力的なスポット、人物、物を切り取る「出張カメラマン」。被写体の魅力を最大限に引き出す一瞬を撮影します。/尚子加古川育ち、加古川市民。“PneumaAlhemia”〜聖なる創造者〜の屋号で、からだや心の調律のお手伝いをしています。カメラは子どもの成長の切り取り。また風景写真も好きで撮る。ほぼ加工なし。自然好き。

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井上津奈夫1968年生鳩里小学校の一期生。幼少期は毎日イタズラをしては親に叱られる。20歳から幽霊の出る文化アパートで一人暮らしスタート。震災を期に家業と親の借金4,500万円を引き継ぎ毎日もやし生活がスタート。完済した時は、最前線から生きて帰郷し終戦を迎えた兵士の様な心境でした。(徴兵されたこと無いけど)七彩加古川町寺家町出身。2019年春から詩作がライフワーク。気楽に詩を書き分かち合う《ポエトリーシェアリング》を発案。『ナナイロの泉』を結成、活動を通し普及に努める。明石市文芸祭入賞/こうべ市民文芸入賞/播磨灘詩話会会員/詩誌『別嬢』同人/井上恭子(やすこ)加古川市議会議員2016年に地域のお母さん達と加古川市の中学校給食実施の署名を集め、市に提出。まちの課題を自分事として取り上げていくというのがキーワードに行動。また、町おこしプロジェクを実施したり、イベントの企画をしている。最近では旧加古川図書館を題材にPakuPakuマルシェを開催。山分大史芦屋市で「国語専門学習会種」という国語塾を運営。塾というものがあまり好きではない塾屋。生まれ育ちは東京ですが、流れ流れて芦屋で独立開業することになり、また住んでいるのは加古川という、とりとめのない来歴です。「山川太史」という俳号で俳句をやっています。

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写真集製作までの足跡2021202206.18旧加古川図書館館内撮影09.23荒木館長取材10.02金剛寺浦公園など周辺撮影10.11前川建設(株)取材12.11倉方先生視察03.05金剛寺浦公園写真展08.16~21kaku°写真展①09.14~18kaku°写真展②09.20市民ギャラリー写真展①10.23かわのまちマーケット写真展11.03PakuPakuマルシェ写真展朝倉智恵子朝倉勇仁朝倉恵万大西美紀大西悠友大西章仁野口美香野口友愛野口友希松田りこかわのまち保育園園児たちココちゃん松本敏和前川建設株式会社久保一人岩坂純一郎藤輪友宏加古川少年団部

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くわはらあさこ坂本和美坂本たけしすがのしの杉浦元記鈴木みどり園田聡高野純江瀧川富士子田中茂田中文章谷口蘭太郎田村康一郎田原昭彦土谷光江恒藤温人中島省悟長田佳子七彩ニシジマアキラ野口美香野村綾音萩原一樹橋元知里畑悦子春下充代東口智彦福田喜久夫冨士原千悦堀川公子松本元生水野あすか簑田光子宮下敏行村瀬ツヤコ寄玉昌宏藪本和法栁川詔一山内ふみよ山口智子国語専門学習会種山分大史匿名希望12名

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旧網干銀行湊倶楽部お好み焼き・鉄板バル加古川まちづくり舎かわのまちほいくえん株式会社喜多農機古民家カフェ七宝旅する保健室てつたろう梅田中崎町店中原歯科医院(株)フジヤ號婦人服飾ベル前川建設(株)赤松伸哉秋武英毅秋津教雄井上幸史岩坂純一郎宇陽裕司衿木希季榎本悦子大川保太田めぐみ大西晋輔大桃和泉大谷稔彦小川和子尾崎洋おとむこ加古川の小市民梶谷博之梶原伸介河合勝彦かんまる岸本建樹喜多貢北山泉久後正行國本保則久保川恵美子黒川芳秋

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『種火』となる写真たち十年ほど前、加古川に引っ越してきた僕は旧加古川図書館に出会いました。日常的な暮らしの中で、こんなにかっこいい建物が存在していることにすごく驚きました。それと同時に親しみを感じたのは、威風堂々とした建物でありながら図書館という市民に開いた場所だったからだと思います。当時の都市計画における考え方は、新たに公共施設をつくって暮しの利便性を充足させる「まちをつくる」から、今ある施設を活用して暮しの質を高める「まちを育てる」に変わりつつある時期でした。事例として、図書館にカフェを併設するなど行政と民間による連携が徐々に進んでいた時代であり、趣きのある旧加古川図書館なら行政と民間が連携すれば、きっと素晴らしい場所になるだろうなと思っていました。本好きの息子を連れて図書館に行くことが僕の日課となっていました。人造大理石の階段を二人で上がり、鮮やかに光を彩るステンドグラスを眺めてから、一目散に児童室に駆け込む息子を見るのが僕にとっては大切な時間となっていました。多くの子どもが両手いっぱいに抱えた本を受付にもっていく光景は本当に愛らしく、残していきたい景色だと思いました。普段は賑やかな子供たちも、のめり込むように本を読んでいる時は本当に静かで、本の世界を旅しているように見えました。図書館の活動に関わるようになってから、多くの人の想いを聞くようになりました。三十代や四十代の方は図書館としての思い出を語ってくれました。例えば、子供の頃に普段の生活でさまざまなストレスを抱えていた僕の友人は、旧加古川図書館で本を読んでいる時が日常から自分を切り離せる時間であり、救いの場所だったと話してくれました。六十歳を過ぎた方々は公会堂の思い出を語ってくれました。子供の頃に描いた絵が入選したという方は、広く大きな大講堂に貼りだされた自分の絵を誇らしげに思うと同時に、広々とした空間に圧倒されたこと。公会堂で行われた最後の成人式の出席者であるというお話。みなさん自分だけが持つ公会堂のエピソードを懐かしそうに語ってくれました。子供のころに図書館のまわりで遊んだ思い出をinstagramを通じてアメリカからコメントしてくれた男性もいらっしゃいました。令和三年六月二四日旧加古川図書館は閉館しました。当たり前にあると思っていた日常が消えかかった時、僕は図書館と出会ったときの想いが呼び起こされたと同時に、子どもたちの居場所やまちの誇りが失われそうになることに危機感を覚えました。そう思って始めたこの活動の中で誰かに何かを伝えたくて写真集をつくろうと思いました。建物は今も残っていますし、多くの人の記憶に残っています。そんな記憶を呼び覚ます『種火』となるような写真たち。今回の写真集はそんな役割を持って生まれてきたと思います。図書館の思い出がある方は、一枚ごとに記憶を呼び起こしてください。図書館の思い出が無い方は、この一冊を携えて誰かの記憶を呼び起こしてみて下さい。歴史的建物とは私たちが私たちの物語を語れる建物だと思います。『旧加古川図書館/旧加古川町公会堂』の写真集はみんなが出来る範囲で力を合わせて作りました。そのプロセスが次の物語を生み出します。ぜひ、ページをめくり色んな『種火』に出会ってください。そして、あなたと共に旧加古川図書館の物語を紡いでいけたらと思います。令和五年一月藤輪友宏

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旧加古川町公会堂歴史的建築物が伝えるまちの景色

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その建物を祖母はよく「公会堂」と呼んでいた社交の場であった格式ある建物と一帯はまちの中心だったのだと令和三年つつじが落ちて葉が雨露に光る頃、散歩帰りに絵本を借りる娘との週末の習慣は絶えたすぐそばに公園と小学校界隈には商店に飲食店も。「旧」と頭文字がついても何ひとつ変わらない風情で辺りの景色の真ん中に在る今日も子どもらが遊びランチタイムの婦人たち夕方には自転車の高校生屹立する存在の懐へと引き寄せられるように人が集い、行き交い、穏やかな活気を帯びる建物が役目を果たしたあとも日常は何かに抱かれ場は息をしている─

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